ブルックリンご近所探索

2008年7月 9日 (水)

ブルックリンご近所探索・25

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ダウンタウンからバスに乗ってレッド・フックへ、買い物かたがたランチに出かける。

レッド・フックは、かつてブルックリンの港としてにぎわった場所。倉庫が林立し、全米から集積された産物を加工する工場地帯だったが、この数十年は港としての機能を失ってさびれていた。最近、海沿いの元倉庫がスーパーとコンドミニアムとして再開発され、新たな脚光を浴びている。

スーパーでテイクアウトしたサンドイッチやピザを、ニューヨーク港や自由の女神を眺めながら食べることができる。7~8ドルでこのロケーションでのランチは、ちょっとした贅沢気分。

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再開発された倉庫。1階がスーパー、2階から上がコンドミニアムになっている。

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近くに家具の安売り店「IKEA」の巨大な店舗がオープンしたので、そちらへ向かってレッド・フックを散歩。

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まだスーパーとIKEAがぽつんとあるだけだけど、5年後にはもっとジェントリフィケーション(高級化)が進んで、良くも悪くも町が変わっているだろう。

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2008年7月 3日 (木)

ブルックリンご近所探索・24

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アパートから歩いて15分ほどのところにDUMBOと呼ばれる地域がある。ブルックリン橋とマンハッタン橋にはさまれた一角で、DUMBOとはDown Under the Manhattan Bridge Overpassの頭文字を取ったもの。

19世紀末にブルックリン橋ができるまでは、ここにマンハッタンのウォール街と結ぶフェリーのターミナルがあった。周辺は倉庫と工場地帯で、石畳の道にはかつての貨物鉄道の線路が残っている。

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ブルックリンの工業が衰退したことで、ここは1960年代まではさびれた地域になり、映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』のロケで1920年代のニューヨークを再現するのに使われたりした。

1970年代以降、アーティストが倉庫をロフトとして使い移り住むようになり、ここ10年ほどはしゃれたショップやレストランも増えた。廃工場もコンドミニアムに改装され、いまマンハッタンやブルックリンの各所で進行中のジェントリフィケーション(高級化)がここでも進んでいる。写真下の右に見えるビルもコンドミニアムに改装されている。

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倉庫の壁の落書き。

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写真集と児童書の書店「パワーハウス」や、チョコレートの有名店「ジャック・トレス」は、ここへ散歩に来ると必ず寄る店。買いたい本が次々に見つかるのが悩みの種だ。「ジャック・トレス」のホット・チョコレートも甘いけれど旨い。

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ブルックリン橋下の公園では、「ニューヨークシティ・ウォーターフォール・プロジェクト」で人工的な滝がつくられている。

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この日はちょっと贅沢をして、橋下の「リバー・カフェ」でランチを。

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2008年5月26日 (月)

ブルックリンご近所探索・23

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14階にある私のアパートからは、ブルックリンとスタッテン島を結ぶヴェラザノ・ナロウズ橋が彼方に小さく見える。夜は緑色にライトアップされる橋の上空を、JFK空港に向かって高度を下げてゆく航空機の灯が闇を横切ってゆくのを眺めるのは、なんとも心の休まる時間だ。

この橋のあるベイ・リッジ地区に、いつか行こうと思いながらなかなか果たせなかった。

土曜の午後、地下鉄Rラインの終点ベイ・リッジ駅を降りて地上へ出ると、毎日遠くにながめる橋が目の前に迫っている。おお!

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ニューヨーク湾が細くくびれた海峡(ナロウズ)にかかるヴェラザノ・ナロウズ橋は1964年に完成した。

ブルックリン橋やマンハッタン橋と同じ構造の吊り橋で、長さは1300メートル。もっとも、橋脚が石造のブルックリン橋や装飾された鉄骨で組まれたマンハッタン橋のように、19世紀末~20世紀初頭につくられた橋の古典的美しさはない。鋼鉄の板を張った、どちらかといえば機能的な美を感じさせる。

この橋は、ニューヨークの都市計画を仕切ったロバート・モーゼズによって計画された。モーゼズはニューヨーク市内と周辺にフリーウェイをはり巡らせ、郊外に住んでマンハッタンで働く、車社会の「都市-郊外」型生活様式をこの街で実現させた男。その一方、地下鉄など大衆の足にはほとんど投資せず、だからニューヨークの地下鉄のインフラは今もって100年前と大して変わらない。

またモーゼズはマンハッタンのスラム再開発を積極的に推し進め、その度に貧困層は郊外へ、郊外へと追いやられた。いま問題になっている「ジェントリフィケーション(高級化)」もその延長線上にある。

フリーウェイやナロウズ橋の建設でも、多くの住民が立ち退きを迫られた。ナロウズ橋の建設を、追いやられた住民と、建設をになった橋梁労働者の双方の視点から克明に描いたのがゲイ・タリーズのノンフィクション『ブリッジ』で、これについては拙ブログで触れたことがある。

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海岸には遊歩道が巡らされ、公園になっている。前日までの寒の戻りから一転して暖かくなり、家族連れが土曜の午後を楽しんでいた。

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ベイ・リッジは19世紀から20世紀初頭にかけて、ノルウェーやデンマーク系の船員が住みはじめた。この家は20世紀初めに建てられ、当時は海が見えたバルコニーから、船で旅発つ夫に妻が別れを告げたという「伝説」があるらしい。

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その後、ベイ・リッジにはアイルランド系やイタリア系が多く住むようになった。近年はロシア系、中国系、ギリシャ系、アラブ系などいろいろな民族が流入し、それぞれにコミュニティをつくっている。 多国籍のエスニック・レストランが並ぶアベニューから一歩脇道に入ると、閑静な住宅街が広がっている。

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モロッコ料理レストラン「メゾン・ド・クスクス」のミント・ティー。歩き疲れた体に、ミントの香りとほんのりした甘さが心地よい。ラム肉をレモンやオリーブで煮込んだタジーン・ベルベルも美味でした。

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2008年5月20日 (火)

ブルックリンご近所探索・22

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ブルックリンのブライトン・ビーチは、「リトル・オデッサ」とも「リトル・ロシア」とも呼ばれるロシア人街だ。

香港の映画監督、ウォン・カーウァイがニューヨークで撮影した『マイ・ブルーベリー・ナイツ』のロケ地は、まず間違いなくここだと思う。

映画のなかで、地下鉄が高架を走るショットが繰り返し使われている。車両の先頭には「Q」の文字があったと記憶する。ジュード・ロウとノラ・ジョーンズが出会うカフェはロシア名前の店だった。

僕の知る限り、地下鉄Qラインが高架を走り、しかもロシア名前のカフェがあるのは、ここブライトン・ビーチしかない。しかも映画を見たとき、あ、これを撮影したのはあそこのカーブじゃないか、と直観した場所があった。

で、それを確かめに日曜の午後、ランチかたがた出かけて行った。

ブライトン・ビーチ駅を降りてすぐのところに、地下鉄が大きくカーブし、ガード下が交差点になっている場所がある。上の写真がそれ。映画ではもう少しアップ気味だったと思うけど、こんな感じじゃなかったっけ? このカーブ以外は高架の両側に建物が密着して建っているので、こういう角度のショットは撮れないと思う。

映画でジュード・ロウがオーナーのカフェは、残念ながらどこにあるのか分からない。でも、あんな洒落たカフェはブライトン・ビーチにそんなにはないだろうから、この街に詳しいyuccaさんに聞けば分かるかもしれないな。

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地下鉄を降りると同時に雨が降ってきたけど、なにやら音楽が聞こえてくるほうへ歩いていくとストリート・フェスティバルが開かれていた。舞台ではロシア語の歌やラップ。

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舞台の両側にはテントの出店がいっぱい。これはシシカバブーの店。

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高架の両脇はにぎやかな商店街で、ロシアの食品スーパーや野菜・果物店、スウィーツの店が並ぶ。

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映画のカフェを探すつもりだったけれど、雨に濡れて寒くなってきたのであきらめ、目についたカフェに飛び込んでボルシチで暖まる。

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2008年4月10日 (木)

ブルックリンご近所探索・21

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ブルックリン・ボタニカル・ガーデンで「Hanami」が始まった。5月上旬までの1カ月で、染井吉野が咲くのは4月下旬になるらしい。今は何種類もの緋寒桜が花を咲かせている。写真はジャパニーズ・ヒル&ポンド。

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脇には染井吉野の並木があるけれど、まだ蕾は固かった。

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こちらは桜でなく、満開のマグノリア(木蓮)。日本の木蓮は清楚な印象があるけど、ピンクのマグノリアはなんとも妖艶。

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2008年4月 9日 (水)

ブルックリンご近所探索・20

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日曜の午後、今日から新しくフリーマーケットが始まるというので、散歩がてら出かけてみた。アパートから歩いて10分ほどの住宅街にある、ビショップ・リンカーン・ハイスクールの校庭。寒さが戻り、今にも冷たい雨が降り出しそうな空だったけど、100軒近い露店が思い思いに店を広げている。

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(後ろは高校の校舎)

古着、照明器具、レコード、陶磁器、家具、カメラ、食器、絵葉書、シューズ、天井の飾り板を細工した鏡、一枚板のドア(3500ドル! の値がついてた)……。あらゆる日用品が売られている。なかには、そのへんで拾ってきたんじゃないの? ってな品物もあるけど、こちらの人が古いものをうまく使いまわしするのには感心するね。

友達に譲ってもらったんだろうか、古くて大きな家具や家電を重そうに運んでいる姿に地下鉄や路上でよく出会うし、レストランやライブハウスへ行っても、不揃いの椅子やテーブルを使っている店がよくある。手づくり感覚で、それをお洒落に見せるセンスが憎い。

プロ化(?)しているマンハッタンのフリーマーケットと違って、売り手も素人の雰囲気をただよわせているのには好感が持てた。

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2008年3月25日 (火)

ブルックリンご近所探索・19

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日曜の昼、暖かな日差しに誘われてパークスロープを散歩することにした。

アパートからフラットブッシュ・アヴェニューを南へ20分ほど。パークスロープはブルックリン最大の公園プロスペクト・パークの西側斜面(というほど高低差があるわけではないが)に広がる住宅地だ。

公園に面した一角はブルックリン・ハイツと並ぶ高級住宅街で大きな邸宅が並び、そこから下ってくるとブラウンストーンで建てられた築100年ほどの古いアパート群が広がっている。僕が住んでいるのはアフリカ系住民が多い地域だけれど、パークスロープは白人の住民が多い。昔からの白人住宅街が、そのまま残っているんだろう。

メインストリートは5thアヴェニューと7thアヴェニュー。まずは5thアヴェニューを南へ(写真)。この通りは最近、新しいレストランやカフェ、ショップが増えていて、若い人たちでいっぱいだ。

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街路樹の新芽が逆光に輝いている。もう春だね。

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アヴェニューから左右のストリートに入ると、ブラウンストーンのアパート群が連なる静かな住宅街。ここでもレンギョウが咲きはじめた。

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1928年の5thアヴェニュー。高架鉄道が走っていた。

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5thアヴェニューのバー(1940年代)。

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もう1本の繁華街、7thアヴェニューへ。こちらのほうが5thアヴェニューより閑散としている。写真はバプテストの教会。

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1922年の7thアヴェニュー。

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2時間ほど歩いてお腹がすいたので、エジプト料理のレストランで昼食。ヴェジタブル・プレートは2種類のホンムス(豆のペースト)や、豆と玉ねぎのコロッケ、野菜のぶどう葉包みなど。ヘルシーながら、量はたっぷり。

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2008年3月20日 (木)

ブルックリンご近所探索・18

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暖かくなったので外を歩くにはいい季節になったけど、今日はあいにく一日中雨。そこで久しぶりにブルックリン図書館をのぞくことにした。

まずは図書館近くのTom's Restaurantで腹ごしらえ。『ザガット』でも紹介されている店で、いかにもアメリカのダイナーといった内装。1936年からの老舗で、いつも地元の人々でいっぱいだ。スザンヌ・ヴェガがここで書いた曲の詞が壁にかかっている。

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前に来たときはパンケーキだったので、今日はチーズバーガー。こういう店では、やっぱりアメリカならではのメニューを注文したくなる。

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図書館そばのグランド・アーミー・プラザでは、雨のなかサンシュ(?)の黄色い花が満開だった。

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ブルックリン図書館。建物はご覧のように立派だけど、なかは町の図書館みたいな雰囲気で、高校生やシニアが気軽に利用している。

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館内には「Brooklyn Collection」という郷土資料室があって、たいていこの部屋に来て面白そうな本を探す。

今日は『Brooklyn - an illustrated history』という本をながめていたら、あれれ、これ僕のアパートのそばのビルではないか。

解説には「1940年代のパラマウント・シアター」とある。映画会社のパラマウントが持っていた劇場で、プラターズやビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツも公演したことがあるらしい。当時は、夜ごと近所のアフリカ系その他の人々でいっぱいだったんだろうな。

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これが元パラマウント・シアターの現在の姿。ロング・アイランド大学の校舎になっている。実はブルックリンの黄金時代を記憶する建物だったんだ。

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道理で大学の校舎には似合わない装飾がほどこされていると思った。元は劇場だったと分かれば納得。

『Brooklyn - an illustrated history』には他にも面白い図版があったけど、それはまた後ほど。

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2008年2月11日 (月)

ブルックリンご近所探索・17

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僕の住んでいる地域は、近くにある公園(かつては軍隊が駐屯した砦)の名前を取ってフォート・グリーン地区という。このあたりを散歩していて、公園の北と南では街の表情がまったく違うのに気づいた。

公園の南側は上の写真のように、静かな住宅地が広がっている。落ち着いた褐色砂岩の3~4階建ての建物が並んでいて、その多くは100年以上前に建設されたものだ。

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住宅街に対して直角に走っているデカルブ・アヴェニュー(写真上)にも、古い建物が並んでいる。このアヴェニューの商店やデリやカフェは個人営業の、いわゆる「パパ・ママ・ストア」がほとんどで、大きなスーパーもなければ、マックもスタバもない。僕の行きつけの2軒のカフェもここにあり、どちらも個人営業の店だ。

この一帯には、昔ながらのコミュニティーがそのまま残っているように感じられる。事実、僕はこの通りを歩いていて、見知らぬアフリカ系のおばちゃんから挨拶されたことがある。古い建物におしゃれなレストランやワイン・セラーが入り、古びていた街が再び活気づいてきたのは、ここ5年くらいのことらしい。

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その住宅街の反対側になる公園の北側には、1950~60年代に建設されたと思しい茶褐色のレンガ造りの中層アパートが二十棟近く並んでいる。すべての建物が同じ外観を持ち、慣れないとどこに住んでいるのか分からなくなってしまいそう。1階部分に店舗はなく、鉄格子のはまった窓ばかり。夜になると人影が途絶え、ひとりで歩くのは不安になる。

ここはウォルト・ホイットマン・レジデンス(田園詩人の名が冠されているとは皮肉)といい、ニューヨーク市住宅局がつくった低所得者向けの公共住宅だ。レジデンスの向こうにはブルックリンとクイーンズを結ぶ高速道路が走っている。

地図を見ると、南北に走るストリートがこのレジデンスがある地域だけ分断されているから、かつてはここにも公園の南側と同じ褐色砂岩の住宅が並んでいたのだろう。その名残りのように、アパート群の脇に1891年建設のカソリック教会がぽつんと残されている(写真下)。

このレジデンスに入っているのは大部分がプロテスタントのアフリカ系のようだから、カソリック教会の信者たちはどこかへ散ってしまったんだろう。

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現在のニューヨークの都市構造をつくった男をロバート・モーゼスという。

資産家の家に生まれたモーゼス(自ら運転する必要がなかったので、一生、車を運転できなかった)は、市の公園局長となった1930年代から60年代までニューヨークの都市計画の実権を握った。

マンハッタン島の外周に高速道路を張りめぐらせ、いくつもの橋を架けて郊外まで高速道路を伸ばし、ニューヨーク市内と郊外を結んだ。そのことによって、上・中流階級が郊外に家を持ち、車で市内に通勤するというライフ・スタイルが可能になった。

ちなみにモーゼスは中・下層階級の足(僕にとっても)である地下鉄を重視せず、ほとんど投資しなかった。現在のニューヨークで地下鉄のインフラが古く貧弱なのは、遠くそこに原因がある。

またモーゼスは市内の「再開発」を積極的に推しすすめた。スラムや空き家の多くなった地域を取り壊し、その後に大規模公共建築や中高層公共アパートを建てた。

(後記:これらの公共住宅は通称「プロジェクト」と呼ばれる。高祖岩三郎『ニューヨーク烈伝』によると、「プロジェクト」は1943年に建設が始まったイースト・ヴィレッジ北のスタイブサン・タウンを皮切りに、1950~60年代にかけてコレアーズ・フック、ハーレム、北ハーレム、モーニングサイド・ハイツ、コロンバス・サークル、コロンバス・サークル、ここフォート・グリーンなど10の「プロジェクト」が建設された。)

彼のやり方は現在では、地域のコミュニティーを破壊し、貧しい者を外へ(マンハッタンからブルックリンやブロンクスへ、さらにその郊外へ)と追いやる結果になったと批判されている。また、コミュニティーが破壊された後に建てられた公共アパート群が、ドラッグや銃撃など60~80年代の荒廃の舞台ともなった。

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ウォルト・ホイットマン・レジデンスがいつ建設されたかは正確には分からないけど、こういう都市再開発の流れのなかでつくられた公共アパートであることは確かだろう。想像するに、レジデンスの背後を走るブルックリン・クイーンズ・エクスプレスウェイが建設された時に、ここも同時に「再開発」されたのかもしれない。

ちなみに、ここと同じレンガ造りの画一的な中高層アパート群は、マンハッタンのダウンタウンやブルックリンの他の地域でも頻繁にお目にかかる。例えば僕が毎日乗る地下鉄Qラインでイースト・リバーを渡り、マンハッタンに入ってゆくと、高架の左右にこのレジデンスと同じ、しかもより大規模な、暗い感じのアパート群が目に入ってくる。

このホイットマン・レジデンスの前を走るマートル・アヴェニューにもかつては「パパ・ママ・ストア」がたくさんあったんだろうけど、現在では敷地の一角につくられた集合店舗のなかに、いくつかの店が押し込められている(写真上)。

まあ、あまり散歩して楽しい場所ではないね。でも都市の構造が見えてくるという意味の面白さはある。

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マートル・アヴェニューは、かつては道路の上を高架鉄道が走る繁華街だったけれど、今はちょっとさびれた感じの商店街になっている。それでも新しいレストランやカフェが少しずつ増えてきているようだ。

そんな1軒、タイ料理の「Thai 101」でパッドを食べて、今日の散歩はおしまい。

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2008年2月 3日 (日)

ブルックリンご近所探索・16

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バスに乗ってウィリアムズバーグへ出る。ここはもともと工場地帯だったけれど、ブルックリンの工業の衰退とともにさびれていた。それがこの10年ほど、かつてのソーホーのようにアーティストがロフトに移り住み、それにともなって新しい店ができて、今ではすっかり若者の街に変わっている。

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カフェのカウンターに座って外を眺めていると、いかにもスノッブな若者はじめいろんな人種が通りすぎて飽きない。カウンターの隣に座った若い男の子が「見て見て」って感じでライカM7を脇に置いたので、「いいカメラ持ってるね」と言ったら、いかにも嬉しそうに「サンキュー」と笑った。プロを目指してるという。

写真背後に写っている建設中のビルはコンドミニアム。ここもまたコンドミニアム・ブームなんだろう。

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メイン・ストリートを一歩脇に入ると、まだ昔の工場地帯の面影がそこここに残っている。水道タンクはブルックリン・インダストリーズというファッション・ブランドのマークにもなっているほどで、ブルックリンを代表する景観。

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工場の壁にグラフィティ・アーティストのイラストが嵌めこまれている。

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ここの一角にブルックリン・ブリュワリーという地ビールの工場がある。土日は見学させてくれ、4ドルで4種類のビールから試飲もできる。ブラウン・エールを飲んだけど、けっこういけました。

ブルックリン・ブリュワリーは1987年に2人の男によって始められた新しい企業だ。目指したのはベルギーのエール(ビールの1種でアルコール度が高い)。1996年に現在地のウィリアムズバーグの古い工場跡に醸造所をつくって、文字通りの地ビールになった。

今ではエール、ラガー、ピルスナー、スタウトなど13種類のビールを販売している。

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工場の一角。温度計なんかが置いてある。

ブルックリンのレストランやカフェには、緑の円のなかにブルックリンのBをデザインしたマークのネオンが出ている店がけっこうあり、無国籍のマンハッタンとは違う地元意識を感じさせる。

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