大晦日のカウント・ダウンに行ったプロスペクト・パークのそばに、ブルックリン図書館がある。
誰でも利用できるし、登録すれば(ブルックリンの住所宛てで届いた手紙を持っていけば、誰でも登録できる)、1度に本を100冊(!)とDVD、CDを5枚ずつ3週間借りることができる。ブルックリンに住んでいた日本人が寄贈したらしい日本語の本も、アメリカ本から実用書、ミステリーまでごちゃまぜながら数百冊ある。
僕も登録してときどき借り出しているのだが、ここの「ブルックリン資料室」で面白い本をみつけた。
「Brooklyn Heights And Downtown 1860-1922」という写真集で、およそ100年前のブルックリンの姿が記録されている。僕のアパートから近いダウンタウンの、よく歩く通りや広場も何枚か掲載されていて、うーん、100年前はこんなだったのか。なんだか今より活気がありそうだなあ。……というわけで、新年の町を歩いて同じポイントを写真に撮ってみた。
フラットブッシュ・アヴェニュー。フルトン・アヴェニューの交差点から北を見る。右奥方向に2分ほど歩いたところに僕のアパートがある。まっすぐ行けば、マンハッタン橋(古い写真は、橋の完成直後の1913年撮影)。マンハッタンとブルックリンを結ぶ幹線道路だ。かつてはここを路面電車が走っていたんだね。
フラットブッシュ・アヴェニュー。1枚目の写真と同じポイントから、南を見ている。1枚目の古い写真は、2枚目の古い写真手前に写っている高架上から撮ったものらしい。南方向へは、路面電車の上を高架鉄道が走っていた。
地下鉄ができて、路面電車も高架鉄道もともに撤去されたんだろうな。もっともブルックリンに限らず、ニューヨークの地下鉄はときどき地上に出て高架を走る。かつてのこういう高架鉄道を利用しているんだろう。今、フラットブッシュ・アヴェニューはただだだっ広い車ばかりの道で、歩いていて楽しくはない。
フルトン・ストリート。フルトン・ストリートは今も昔も変わらない、ブルックリンのダウンタウンでいちばんにぎやかな通り。今はメイシーズ百貨店や、金銀ジュエリーの店、レアものスニーカーを売っている店、アフリカ系趣味のスポーツ用品店などが軒を並べている。左側のビルは、2階部分を見ると昔(1912年撮影)と同じ建物であることが分かる。
ブルックリン区役所前の広場。昔(1908年撮影)と同じ銅像が今もある。銅像の背後にある、塔をもった石造の建物が昔と同じものなのかどうか(写真集をみたとき、あ、同じ建物だと思ったけど、こうして並べて見ると別の建物に見える)。
もし同じものだとしたら、銅像は昔あった場所から100メートルほど北に移動させられている。昔は銅像と、背後の建物の間に高架鉄道が走っていて、駅があった。背後の建物は、今は郵便局。
ウォール・ストリート・フェリー乗り場。昔(1900年撮影)はこのフェリーがマンハッタン(ウォール・ストリート)とブルックリンを結び、フェリーを降りた人はモンタギュー・ストリートを走る路面電車に乗った。今は古い桟橋の跡が残っているだけ。
写真が撮られた1900年といえば、ブルックリン橋は完成しているが、マンハッタン橋はまだ。1910年にマンハッタン橋が完成した後、このフェリーはいつまで寿命を保ったんだろう。
もともとブルックリンは、1898年にニューヨーク市に合併されるまで独立したブルックリン市だった。だからニューヨークとは別の歴史と文化を持ち、言葉ひとつとっても、「ブルックリン訛り」と呼ばれる独特の労働者階級の言葉をもっている。主要産業は港湾、倉庫業、造船など、海運関係。
ニューヨーク市に編入されたブルックリンは、20世紀に入って何本もの橋と地下鉄でマンハッタンと結ばれ、単にニューヨークの一部となって、徐々にその個性を失っていったようだ。さらに海運が交通・運輸の中心でなくなったことで、経済・産業的にも凋落した。
1950年代にブルックリン・ドジャースがロサンゼルスに本拠を移したことは落ち目のブルックリンを象徴する出来事として、今もブルックリンっ子の嘆きの対象になっている。かつてブルックリン市の中心だったダウンタウン周辺は、その後、長いこと発展から取り残されていたという。
僕がいまブルックリンの街をほっつき歩いて感ずるのは、そういう歴史の3層構造だ。
マンハッタンからブルックリンまで地下鉄で10分足らずだけど、大げさにいうと別の町に来たような印象がある。まず気づくのは、家並が低くて空が広いこと。良くも悪くも、田舎の町に来た、という感じがする。
ブルックリンには19世紀から20世紀初頭の低層の建物や住宅があちこちに残っている。空が広いという印象は、そこから来ているんだろう。それらが単独でなく面として残っているから、街歩きをしていても、実に落ち着いた、歴史を感じさせる街だという印象を受ける。それが第1層。
そんな第1層を、20世紀後半の、何の変哲もない無個性のビル群・商店群が第2層として覆っている(上に載せた現在の写真が、主にこの層に当たる)。特にダウンタウンの繁華街や商店街を歩いていて感ずる、おしゃれなマンハッタンとは全然違うなという印象は、そこから来てるんじゃないだろうか。
もっともこういう第2層の町並みを、おしゃれじゃないと悪く言う気もない。ブルックリンにはベッドフォード・スタイブサントというニューヨーク最大のアフリカ系の住宅地域があるし、世界中からやってきた移民のコミュニティもある。多くは低所得層に属する彼らは、おしゃれな(即、高価な、あるいは白人的価値観でおしゃれな)店には足を向けないだろう。
僕のアパート近くのご近所商店街では、白人は少数派。アフリカ系や中東系、インド系、カリブ海系の人が多く歩いている商店街だけど、99セント・ショップやホワイト・キャッスルなんて最もチープなファスト・フード店が並ぶごちゃごちゃした通りを歩くのも嫌いじゃない。いや、好きと言ってもいいかもしれない。
さて第3層は、1990年代以降の現象。マンハッタンからアーチストが移り住み、ギャラリーが生まれ、それに伴って最先端のショップやレストランが店を開きはじめた。それらが、第1層のさびれた倉庫街や工場跡や19世紀の住宅街のなかに、ぽつんぽつんと生まれている。それがブルックリンの歴史と文化を再認識しようとする動きと連動している。
僕のアパートから、ご近所商店街と反対方向に10分ほど歩くと、古い住宅街のなかにおしゃれなレストランが点在する一角がある。
元倉庫街がコンドミニアムに変身しつつあるダンボ地域、元工業地域がアーチストの街に変わりつつあるウィリアムズバーグなどは今や人気スポットで、マンハッタンから若者が遊びにやってくる。かつてのソーホーやチェルシーと同じで、古い第1層と新しい第3層の取り合わせが新鮮なんだろう。
そんな多層構造をもった街を歩くのが楽しい。要するに、ブルックリンに4カ月住んで、この街が好きになったってことかな。
書きはじめたら、思わず長くなってしまった。住みはじめてまだ4カ月で、たぶん間違ってることも多い。とりあえず現時点での印象ということで、いずれまた修正版を。
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