写真

2008年5月16日 (金)

DAIDO MORIYAMA展

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チェルシーのスティーブン・カッシャー・ギャラリーで森山大道「THE 80s VINTAGE PRINTS」展が開かれている(6月7日まで)。

ニューヨークでは確か7、8年前にメトロポリタン美術館で大規模な森山大道展が開かれ、そのすぐ後にも70年代のニューヨークを撮影した作品展があったはずだから、それ以来になるだろうか。

1980年代に森山が雑誌『写真時代』などに発表した作品のヴィンテージ・プリント(雑誌入稿用原稿)80点が展示されていた。

写真そのものは当時の雑誌や、その後まとめられた写真集で見たものが多いけど、面白かったのは印画紙に書かれた印刷所向けの指示がそのまま生かされていたこと。

赤のフェルトペンで写真脇に書かれた「①」「トル」「②見開き」「↑天」「左右カットは均等に」といった指示や、時に写真の上に直に書き込まれたカットを指示するラインなども、いわば「作品」の一部として展示されている。

ちなみに元編集者の私にはなじみ深い用語ばかり。

「トル」は文字通り削除の指示、「見開き」は1点を左右2ページに大きく印刷する指示、「↑天」は矢印が向いている方向が上であることを示す(印刷所はときどき上下を間違えるので)、「左右カットは均等に」とは、フィルムの縦横の比率と雑誌の縦横の比率が異なる場合、上下あるいは左右をカットしなければならないので、どうカットするかの指示を意味する。

この展示方法がギャラリーの発案なのか森山のアイディアなのか分からない。でも森山は、自分の写真は印刷されたときにこそリアリティを持つと常々語っているから、印刷用原稿であることを利用したこの展示は、彼にとっても望むところだったろう。

余談だけど、単行本をつくっていて編集者としていちばん楽しいのは「ゲラ」と呼ぶ試し刷りが出てきたときだ。特に絵や写真を使ったヴィジュアルな本をつくっているときは、「色校」と呼ぶ試し刷りが何とも言えず嬉しい。

8ページあるいは16ページ分が1枚の大きな紙に刷られ、印刷面の脇には裁断位置を示す罫が引かれたり、黄赤藍などインクの色見本が刷られている。

著者やデザイナーとともに色校を検討し、「よごれトル」とか「藍もっと強く」とか書き込んで印刷所に戻すわけだけど、別のセットを折りたたんでカッターで1ページ1ページ切り離しているときが、ああ、本が出来てきたな、と感ずる至福の時だ。本が出来上がっても「色校」が捨てられなくて、押入れにはそういう「色校」がいくつも眠っている。

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それはさておき。

最近は写真とアートの境目がなくなって、写真の上に何かを描いたり(アラーキーがやるように)、脇に文字を書いたりする手法も多いから、この展示は、森山が最初から意図したものでないにせよ、期せずしてそういう文脈のなかに置かれることになる。

アメリカ人にとっては日本語も意味のない「図形」として認識されるだろうから、ギャラリーとしてはそういう面白さも考えたろう。

ここしばらくのアメリカの写真を見ていると、アートとの境界がなくなって以来、大なり小なりコンセプチュアルな仕掛けがほどこされているものがほとんどだ(好きか嫌いかはともかく)。

今回の展示は、入稿用の指示が「仕掛け」に相当するわけだけど、にもかかわらず写真そのものの圧倒的な力と質感がそういう仕掛けを突きぬけて迫ってくるのが、やはり森山大道は森山大道だと感じさせるのだった。

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2008年4月12日 (土)

AIPADフォト・ショー

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10日からAIPADフォト・ショーが開かれているので、どんなものか覗いてみた(Park Avenue Armory)。

AIPADとはThe Association of International Photography Art Dealersの頭文字で、写真を専門に扱う美術ギャラリーの国際的な組織。毎年この時期に、アメリカを中心に世界中から100以上のギャラリーが出店して写真を売買する。

絵画の世界に比べれば小さなマーケットだけど、写真を扱うギャラリーもコレクターもずいぶん増えてきている。日本ではまだ写真をアートとして評価し売買する習慣が根づいてないし、その功罪を話しはじめると長くなるからひとまず措いて、世界的に見れば写真が美術マーケットの一部に組み込まれつつあるのは紛れもない事実だ。

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(右はロバート・メープルソープの作品)

このショーはいわば業界の催しで、写真コレクターやギャラリー同士の売買の場だから、僕みたいな野次馬的な観客は少ない(入場料25ドルって、冷やかしお断りってことだろうね)。

でも、どのギャラリーも売りたい作品を選りすぐって展示しているわけだから、美術館でしかお目にかかれない(あるいは美術館でもお目にかかれない)作品のヴィンテージ・プリントを見ることができる。

もっと現代写真が多いかと思っていたけど、意外にも写真史の教科書に出てくるようなモノクロームの作品が多い。ウジェーヌ・アジェやアウグスト・ザンダー、アルフレッド・スティーグリッツといった近代写真の祖のような人たちのプリントに出会えるとは思わなかった。

日本人写真家はこのところ世界的に注目されてるけど、人気はやはり森山大道と荒木経惟で、複数のギャラリーが作品を展示していた。他に目についたのは浜谷浩、東松照明、若い世代では瀬戸正人、川内倫子といったところ。

ブースからブースへ歩いていると、印刷物でしか見たことのない写真家や有名作品に出くわして、あるところにはあるもんだなあ。

ちなみに見た限りでいちばん安かったのはビリー・ホリデイとルイ・アームストロングのポートレート(知らない写真家。ヴィンテージでなく、モダン・プリント)で1400ドル、いちばん高いのはスティーグリッツのキャビネ・サイズほどの小さな風景写真で6万ドルでした。

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2008年4月 1日 (火)

気になる風景

この1週間で撮った写真から4点ほど。

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アパートのそばにあるカー・ウォッシュの看板。午後7時半。空が真っ暗になる前の、この時間が好きだ。

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地下鉄ユニオン・スクエア駅のストリート・ミュージシャン。パワフルな歌に、左の2人が飛び入りで踊りはじめた。

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フリーウェイの陸橋の下にあった小さな扉。開けると、何があるのだろう。

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最上部に「1891」と建設年のレリーフが嵌めこまれたチャイナタウンの古いアパート。

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2008年1月30日 (水)

R・キャパのネガ3500点を発見!

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1月27日のニューヨーク・タイムス(日曜版)にすごい記事が出ていた。失われたはずのロバート・キャパのスペイン市民戦争のネガ3500点が発見されたというのだ。

キャパが撮影したスペイン市民戦争の写真といえば、代表作「崩れ落ちる兵士」(上の写真右側の紙面に載っている)があまりにも有名だ。この写真はキャパを有名にしただけでなく、戦争写真家という存在を世界に知らしめたし、写真というメディアが単なる記録にとどまらず世界を動かす巨大な力を持ちうることを証明した。

しかしこの「崩れ落ちる兵士」のネガは残っていない。いま世界に流通しているのは、ヴィンテージ・プリントからの複写なのだ。ネガが存在しないことも含めて、この名作には撮影場所や状況などはっきりしないことが多く、キャパもそのことについて何も語っていないことが、この作品が実は演出ではないかという疑問が繰り返し出される理由のひとつになっている。

それはともかくニューヨーク・タイムスによると、90年代半ばから少数の関係者の間でキャパのネガが存在することが囁かれており、それは「メキシカン・スーツケース」(左側紙面の写真がそれ)と呼ばれていた。

事の経緯はこうだ。

1939年、ナチス侵攻を前にキャパがフランスからアメリカに旅立ったとき、彼はパリの暗室にスペイン市民戦争関係のネガを3箱の手提げかばんに入れて隠した。キャパは友人の写真家ワイツにネガを救うよう頼んだのだが、ワイツは逮捕され収容所に送られる。

だからキャパ自身、これらのネガはナチス侵攻によって失われたと考えていた(記事はこの「失われたフィルム」を、1922年に失われたヘミングウェイの初期原稿と同じ神話的な喪失と呼んでいる)。

ところが、ネガは誰か分からないが支援者の手によってパリからマルセイユに運ばれていた。マルセイユで、ネガはメキシコの外交官・ゴンサレス将軍の手に渡る。当時、メキシコはキャパが参戦したスペイン人民戦線を支持していた。

ネガはゴンサレス将軍とともにメキシコに渡り、そこで長い眠りにつくことになる。

将軍の死後、ネガは遺族が保管していたが、親類の映画監督がこのネガの重大性に気づく。彼は1995年にニューヨークの関係者に連絡を取り、そこからいろいろ経緯があったらしいが、最終的にICP(International Center of Photography、キャパの弟・コーネルが設立し、キャパの作品を管理している)に戻ってくることになった、というのである。

3500カットのネガに「崩れ落ちる兵士」も含まれているのか。そのことについて、記事は何も語っていない。でもスペイン戦線のヘミングウェイやガルシア・ロルカが写っている(!)というんだから、これはすごい。

もうひとつ、気になることが書かれている。

キャパのネガが発見されたことで、スペイン戦線でキャパの公私にわたる同志だった女性写真家ゲルダ・タロの作品の再検討が進んでいる(タロについては、以前のエントリで触れたことがある)。キャパとタロは共同クレジットで作品を発表したこともあり、キャパのものと思われている写真のうちに、実はタロの作品があるかもしれないというのだ。

記事は、ICPキュレーターのこんな言葉を紹介している。「『崩れ落ちる兵士』がキャパではなくタロが撮ったものだという可能性もまったくないわけではない」。

ICPはいわばキャパの身内だけど、そこのキュレーターからこういう発言が出ることの真意はなんだろう? いずれ世界的に大々的な写真展が開かれるだろうけど、そのための話題づくりなのか、それとも何か根拠があってのことなのか? そのへんは分からない。

いずれにしてもこの3500カットのネガの全貌が明らかになれば、写真史の重要な部分が書き換えられることになるかもしれない。うーん、興奮します。

 

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2008年1月 5日 (土)

100年前のブルックリン、そして今

大晦日のカウント・ダウンに行ったプロスペクト・パークのそばに、ブルックリン図書館がある。

誰でも利用できるし、登録すれば(ブルックリンの住所宛てで届いた手紙を持っていけば、誰でも登録できる)、1度に本を100冊(!)とDVD、CDを5枚ずつ3週間借りることができる。ブルックリンに住んでいた日本人が寄贈したらしい日本語の本も、アメリカ本から実用書、ミステリーまでごちゃまぜながら数百冊ある。

僕も登録してときどき借り出しているのだが、ここの「ブルックリン資料室」で面白い本をみつけた。

「Brooklyn Heights And Downtown 1860-1922」という写真集で、およそ100年前のブルックリンの姿が記録されている。僕のアパートから近いダウンタウンの、よく歩く通りや広場も何枚か掲載されていて、うーん、100年前はこんなだったのか。なんだか今より活気がありそうだなあ。……というわけで、新年の町を歩いて同じポイントを写真に撮ってみた。

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フラットブッシュ・アヴェニュー。フルトン・アヴェニューの交差点から北を見る。右奥方向に2分ほど歩いたところに僕のアパートがある。まっすぐ行けば、マンハッタン橋(古い写真は、橋の完成直後の1913年撮影)。マンハッタンとブルックリンを結ぶ幹線道路だ。かつてはここを路面電車が走っていたんだね。

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フラットブッシュ・アヴェニュー。1枚目の写真と同じポイントから、南を見ている。1枚目の古い写真は、2枚目の古い写真手前に写っている高架上から撮ったものらしい。南方向へは、路面電車の上を高架鉄道が走っていた。

地下鉄ができて、路面電車も高架鉄道もともに撤去されたんだろうな。もっともブルックリンに限らず、ニューヨークの地下鉄はときどき地上に出て高架を走る。かつてのこういう高架鉄道を利用しているんだろう。今、フラットブッシュ・アヴェニューはただだだっ広い車ばかりの道で、歩いていて楽しくはない。

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フルトン・ストリート。フルトン・ストリートは今も昔も変わらない、ブルックリンのダウンタウンでいちばんにぎやかな通り。今はメイシーズ百貨店や、金銀ジュエリーの店、レアものスニーカーを売っている店、アフリカ系趣味のスポーツ用品店などが軒を並べている。左側のビルは、2階部分を見ると昔(1912年撮影)と同じ建物であることが分かる。

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ブルックリン区役所前の広場。昔(1908年撮影)と同じ銅像が今もある。銅像の背後にある、塔をもった石造の建物が昔と同じものなのかどうか(写真集をみたとき、あ、同じ建物だと思ったけど、こうして並べて見ると別の建物に見える)。

もし同じものだとしたら、銅像は昔あった場所から100メートルほど北に移動させられている。昔は銅像と、背後の建物の間に高架鉄道が走っていて、駅があった。背後の建物は、今は郵便局。

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ウォール・ストリート・フェリー乗り場。昔(1900年撮影)はこのフェリーがマンハッタン(ウォール・ストリート)とブルックリンを結び、フェリーを降りた人はモンタギュー・ストリートを走る路面電車に乗った。今は古い桟橋の跡が残っているだけ。

写真が撮られた1900年といえば、ブルックリン橋は完成しているが、マンハッタン橋はまだ。1910年にマンハッタン橋が完成した後、このフェリーはいつまで寿命を保ったんだろう。

もともとブルックリンは、1898年にニューヨーク市に合併されるまで独立したブルックリン市だった。だからニューヨークとは別の歴史と文化を持ち、言葉ひとつとっても、「ブルックリン訛り」と呼ばれる独特の労働者階級の言葉をもっている。主要産業は港湾、倉庫業、造船など、海運関係。

ニューヨーク市に編入されたブルックリンは、20世紀に入って何本もの橋と地下鉄でマンハッタンと結ばれ、単にニューヨークの一部となって、徐々にその個性を失っていったようだ。さらに海運が交通・運輸の中心でなくなったことで、経済・産業的にも凋落した。

1950年代にブルックリン・ドジャースがロサンゼルスに本拠を移したことは落ち目のブルックリンを象徴する出来事として、今もブルックリンっ子の嘆きの対象になっている。かつてブルックリン市の中心だったダウンタウン周辺は、その後、長いこと発展から取り残されていたという。

僕がいまブルックリンの街をほっつき歩いて感ずるのは、そういう歴史の3層構造だ。

マンハッタンからブルックリンまで地下鉄で10分足らずだけど、大げさにいうと別の町に来たような印象がある。まず気づくのは、家並が低くて空が広いこと。良くも悪くも、田舎の町に来た、という感じがする。

ブルックリンには19世紀から20世紀初頭の低層の建物や住宅があちこちに残っている。空が広いという印象は、そこから来ているんだろう。それらが単独でなく面として残っているから、街歩きをしていても、実に落ち着いた、歴史を感じさせる街だという印象を受ける。それが第1層。

そんな第1層を、20世紀後半の、何の変哲もない無個性のビル群・商店群が第2層として覆っている(上に載せた現在の写真が、主にこの層に当たる)。特にダウンタウンの繁華街や商店街を歩いていて感ずる、おしゃれなマンハッタンとは全然違うなという印象は、そこから来てるんじゃないだろうか。

もっともこういう第2層の町並みを、おしゃれじゃないと悪く言う気もない。ブルックリンにはベッドフォード・スタイブサントというニューヨーク最大のアフリカ系の住宅地域があるし、世界中からやってきた移民のコミュニティもある。多くは低所得層に属する彼らは、おしゃれな(即、高価な、あるいは白人的価値観でおしゃれな)店には足を向けないだろう。

僕のアパート近くのご近所商店街では、白人は少数派。アフリカ系や中東系、インド系、カリブ海系の人が多く歩いている商店街だけど、99セント・ショップやホワイト・キャッスルなんて最もチープなファスト・フード店が並ぶごちゃごちゃした通りを歩くのも嫌いじゃない。いや、好きと言ってもいいかもしれない。

さて第3層は、1990年代以降の現象。マンハッタンからアーチストが移り住み、ギャラリーが生まれ、それに伴って最先端のショップやレストランが店を開きはじめた。それらが、第1層のさびれた倉庫街や工場跡や19世紀の住宅街のなかに、ぽつんぽつんと生まれている。それがブルックリンの歴史と文化を再認識しようとする動きと連動している。

僕のアパートから、ご近所商店街と反対方向に10分ほど歩くと、古い住宅街のなかにおしゃれなレストランが点在する一角がある。

元倉庫街がコンドミニアムに変身しつつあるダンボ地域、元工業地域がアーチストの街に変わりつつあるウィリアムズバーグなどは今や人気スポットで、マンハッタンから若者が遊びにやってくる。かつてのソーホーやチェルシーと同じで、古い第1層と新しい第3層の取り合わせが新鮮なんだろう。

そんな多層構造をもった街を歩くのが楽しい。要するに、ブルックリンに4カ月住んで、この街が好きになったってことかな。

書きはじめたら、思わず長くなってしまった。住みはじめてまだ4カ月で、たぶん間違ってることも多い。とりあえず現時点での印象ということで、いずれまた修正版を。

 

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2007年11月10日 (土)

R・キャパ「これが戦争だ!」展

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ICP(国際写真センター)で新しい展覧会が始まった。ロバート・キャパの「This Is War !」展を中心に、スペイン市民戦争の写真が特集されている。

キャパ展は、スペイン市民戦争(1936-39)のほかに、抗日戦争の中国(1938)とノルマンディー上陸作戦(1944)。「崩れ落ちる兵士」から「Dデイ」まで、キャパの名作がほとんど網羅されている。

写真集や新プリントの写真展で何度も見た作品も多いけど、縁が欠けたり折れたりしている当時のプリント(キャパが戦場から送ったフィルムを「LIFE」編集部などが焼いたんだろうから、オリジナル・プリントとは呼べないのかも)を目の当たりにすると、当時の空気に触れたような気がして、ちょっとした感慨がある。

それ以上に興味深いのは、「崩れ落ちる兵士」や「Dデイ」のベタ焼きに、キャパの手紙・メモ類、加えて作品が発表された雑誌・パンフレットが展示されていること。

キャパ展以外に、やはりスペイン市民戦争に参加して戦死した女性写真家ゲルダ・タロ(GERDA TARO)の写真や、人民戦線側の雑誌・パンフレット・ポスター類も展示されている。

それらも併せて、キャパの写真を独立した「作品」として鑑賞するのではなく、人民戦線の政治的武器として使われた写真という媒体の意味、またそれを可能にした雑誌編集や印刷技術の発達など、その時代のパースペクティブのなかに戻してみようとする展示になっていたと思う。

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