キー・ウェストの旅 2
キー・ウェストと言えばヘミングウェイ。
ホワイトヘッド・ストリートにヘミングウェイの家がある。新進作家として名をなし、パリから戻った彼は1931年から1939年まで8年間、このスパニッシュ・コロニアル・スタイルの邸宅に住んだ。
その間に彼はこの家で、『武器よさらば』『誰がために鐘は鳴る』『キリマンジャロの雪』といった代表作を完成させている。
客間兼居間。テーブルの上には、『敗れざる者』を思わせる闘牛の置物がある。
書斎。ヘミングウェイが使っていたロイヤル社製タイプライターが、当時のままに置かれている。椅子はハバナの葉巻職人がつくったもの。棚には彼の蔵書や、彼が集めた品々が収められている。
ヘミングウェイの小説は『日はまた昇る』を例外として長編より短編のほうがいいと思うけど、僕の好きな『清潔で、とても明るいところ』や『世界の首都』はこの部屋で書かれた。
ベランダ。
バスルーム。当時は水が貴重だったので屋根に雨水を溜める水槽があり、 その水を使って風呂を焚いた。
邸内には、ヘミングウェイが愛した猫たちの子孫が何十匹もいる。
高見浩「キー・ウェストのヘミングウェイ」(『ヘミングウェイ全短編 2』新潮文庫)によると、あご髭に葉巻、強い酒、釣りとハンティングを愛するタフな「パパ・ヘミングウェイ神話」は、キー・ウェスト時代にできあがったと言われる。実際、ヘミングウェイの日常はそんなライフ・スタイルに貫かれていた。
でも、彼がこの島で書いた『キリマンジャロの雪』や『フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯』を読むと、自ら「パパ神話」を演じながら、内面では深い虚無にさいなまれていたことが分かる。
8年後、この島を訪れた女性に恋したヘミングウェイは、2番目の妻と3人の子供を置いて島を出ていってしまい、やがて内戦下のスペイン人民戦線に参加することになる。
ヘミングウェイの家から港のほうに10分ほど歩くと、スラッピー・ジョーズというバーがある。
ヘミングウェイはこの店のオーナーと親しくなり、毎晩のように通った。夜ごと店に現れては陽気に酔う人気作家ヘミングウェイの姿は、キー・ウェストの名物だったという。
今はキャプテン・トニーズ・サルーンという店になっている。
キャプテン・トニーズ・サルーンの店内。
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コメント
雄さん お久しぶりです。
このブログはひょっとしてこのキーウエストの旅が最後の記事になるのでしょうか?
もしや西からの帰り道に立ち寄られたのであろう最後のブルックリンの記事でもアップされるのでは?と期待しておりましたが、、、
ともかく1年間お疲れさまでした。
私とはまた違った視点で見られたブルックリン、NYの記事を1年間色々楽しませて頂きました。
私のブルックリン生活もあと半月になりました。週末いつものようにFortGreeneParkのグリーンマーケットに買い物に行ったついでに公園を散歩。雄さんが勝手に植樹したとおっしゃってたプランツを何気なく探してみたりしましたが、残念ながら見つかりませんでした。
意外とあの公園も広いですもんね〜笑
では、日本でまたお会い出来るの日を楽しみにしております。
投稿: yucca | 2008年9月15日 (月) 02時07分
このブログを続けるかどうか迷っているうちに、ずるずると日が経ってしまいました。最後のニューヨークだけでなく、まだ書き残したことがいくらかあるので、それを書きたいと思ってはいるのですが、、、。といってももうNYに暮らしているわけではないので、このブログは閉じ、元のブログを再開してそこに書こうかと迷っているうちにまたまた時が過ぎてゆくという具合です。
yuccaさんのブログもあとわずかでお終いですね。帰ってきてからもブルックリンの空気を拝見するのを楽しみにしていたので、残念です。
またお目にかかれるのを楽しみにしています。
投稿: 雄 | 2008年9月17日 (水) 11時56分