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2008年7月15日 (火)

ボストンの旅 2

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ボストンに着いたのが昼すぎだったので、まずは地下鉄に乗ってウォーター・フロントのクインシー・マーケットへ行き昼食を取る。再開発された倉庫3棟にレストラン、カフェ、ブランド・ショップなどが入っていて、大変なにぎわい。

とりあえず名物のクラムチャウダーで空腹を満たす。パンをくりぬいて、そのなかにチャウダーが入っている。チャウダーを飲み、容器のパンまで食べるとお腹いっぱい。7ドルで安くておいしい。

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ホテルにチェックインして、最初に向かったのはビーコン・ヒル。市の中心部にある公園「ボストン・コモン」の向こうに広がる丘がビーコン・ヒルで、ここはボストンの由緒ある名家や上流階級が住む地域だ。

渡辺靖『アフター・アメリカ』(慶応大学出版会)は、「ボストン・ブラーミン」と呼ばれるワスプの名家に属する数十人(と、サウス・ボストンに住むアイルランド系労働者階級数十人)にインタビューした、なかなか面白い本だった。

そこに登場する「ボストン・ブラーミン」の多くがビーコン・ヒルに住むか、親や祖父母の世代がかつてここに住んでいた。

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ビーコン・ヒルの家々は19世紀に建てられた赤レンガのタウンハウスで、外装をいじることは禁じられている。私道の小路には丸石が敷きつめられ、車が入ることはむずかしい。

もともとビーコン・ヒルに居を構えたのは、19世紀に中国貿易や捕鯨、紡績などで資産家になったボストンのワスプたちだった。彼らはここに住み、海辺に別荘を持ち、ハーバード大学やボストン美術館、ボストン交響楽団の後援者となった。

旧家の息子と娘が結婚することで、彼らは濃密な人間関係をつくり、互いの財産と家系を守ろうとした。仲間内でいくつもの社交クラブをつくり、そのひとつはアイルランド系J・F・ケネディの父の入会を断った。旧家の息子にとっては、「ハーバードが『唯一』の大学で、エールやプリンストンなどは二流」の大学だった、という。

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その後、アメリカが工業化するなかで経済の中心はボストンからニューヨークに移る。鉄鋼や鉄道、金融で巨万の富を得たバンダービルド、ロックフェラー、カーネギーら「金ピカ時代」のニューヨークの富豪の前では、ピルグリム・ファーザーズの末裔として毛並みの良さを誇る「ボストン・ブラーミン」は時代遅れの存在となっていった。

彼らは収集した美術品を税金対策で寄贈し、家族信託で財産を守ろうとしてきたが、かつての繁栄を維持することはむずかしく、1950年代以後はビーコン・ヒルのタウン・ハウスや別荘を手放す家も出てきた。

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それらのタウン・ハウスはコンドミニアムに改装され、白人の新富裕階級が移り住むようになった。今ではビーコン・ヒルに住む旧家は数少なくなったという。

だから現在のビーコン・ヒルは、没落しつつある「ボストン・ブラーミン」と新富裕階級が混在する高級住宅地になっている。

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もちろんそんな内情は、ごく短い時間ビーコン・ヒルを歩いただけではうかがい知れない。

でも花で美しく飾られたドアから洒落た服装の老女が出てきて買い物にゆくのを見ていると、この人はどんな人生を送ってきたのかと想像してしまう。

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ビーコン・ヒルからダウンタウンへ歩く。このあたりにはボストンの歴史を物語る場所がいくつもある。

旧マサチューセッツ州議会議事堂の小さな建物。1713年に建てられたボストン最古の建築で、独立前はイギリス植民地政府が置かれ、独立後は州政府が置かれていたこともある。

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ボストン虐殺地跡に円形の石が敷かれている。

1768年、課税を強化するイギリス政府に反対するボストン市民が抗議し、イギリス兵が発砲して5人が殺された。これがやがて「ボストン茶会事件」を引き起こ、独立戦争のきっかけとなる。

当時の衣装を着ているのは歴史ツアーのガイドさん。

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