旅行に出ます
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ヴィレッジ・ヴァンガードへヴィクター・ルイスを聴きにいく。
僕がヴィクター・ルイスを初めて聴いたのは、マンハッタン・ジャズ・クインテット(MJQ)のメンバーとしてだった。初代ドラマーのスティーブ・ガッドにつづく2代目。1990年代に来日したときのシャープなドラムが印象に残っている。晩年のスタン・ゲッツのアルバムにも参加していたと思う。
ニューヨーク滞在も残り少なくなり、日本からやってきたかみさんの「ジャズらしいジャズを聴きたい」って希望で選んだ。
MJQと同じクインテット編成で、メンバーはシーマス・ブレーク(ts)、シーン・ジョーンズ(tp)、ブルース・バース(p)、エド・ハワード(b)。最初にハービー・ハンコックの曲をやった以外、すべてルイスのオリジナル曲を演奏した。
「デクス・マクス」というのはデクスター・ゴードンにちなんだマイナー・ブルース。ブルースといってもこてこてではなく、今ふうな演奏なのがMJQと似てる。全体として現代的なハードバップという感じ。
MJQは腕っこきの職人的ミュージシャンのグループだから、アンサンブルは見事だし、ソロも聞きごたえ十分で、聞き手を心地よく乗せてくれるけど冒険には乏しい。その点、今日のグループはリーダー以外は若く、腕にばらつきがあるけど、そのぶん個性を押し出そうと力いっぱいにプレイするのが気持ちいい。特にセンスのいいピアノと、パワフルなアフリカ系の若いトランペットがいい。
「クロイスター」は、そのトランペットをフィーチャーして、ベースと、ルイスのドラムによるトリオ。トランペットが吼えまくる。
ルイス以外、名前を知らないミュージシャンだったけど、やっぱりこの町にはすごいプレイヤーがごろごろしてる。
ルイスはリーダーといっても、俺が俺がというタイプでなく、若いメンバーに存分にやらせている。切れのいいドラミングで彼らをサポートし、煽りたて、ここぞというときにガツンと決める。曲も印象的なテーマが多く、作曲家としてもいい腕だね。
ウェス・モンゴメリーやウィントン・ケリーのようにスイングするジャズが好みのかみさんも満足しておりました。
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香港のジョニー・トー監督と、この映画の脚本家ワイ・カーファイが共同監督した新作『マッド・ディテクティブ(原題・神探)』をやっと見ることができた。
去年のヴェネツィア映画祭に出品された作品で、先月のニューヨーク・アジア映画祭にかかっていた。
そのときは上映時間を間違えてしまい、なんとも悔しい思いをした。おまけにトー監督のもう1本の作品『スパロウ』も満員で見ることができず、結局、マークしていたジョニー・トーを1本も見ることができなかった。ついてない。
帰国してから日本公開されるのを期待するしかないかと思っていたら、アジア映画祭と同じ映画館、ウェスト・ビレッジのIFCで週末から上映がはじまった。
うーむ、実にジョニー・トーらしい仕掛けとケレンに満ちた映画。存分に楽しませてくれました。
ワイ・カーファイとはすでに何本か共同で監督していて、いわば仲間同士。物語の設定は、そのうちの1本『マッスルモンク』のワイの色が濃い(香港映画賞の脚本賞などを受賞)。ただ演出や撮影・編集について、どのあたりがジョニー・トーではなくワイの色なのかは僕にはよく分からない。
元警官で精神を病んでいるバン(ラウ・チンワン)が、対面している相手の隠された「内的自己」を幻視してしまう、という設定がミソ。バンの前に現れる人物の、分裂した人格を持っていたり、気弱な少年だったりする「内的自己」を、ジョニー・トーは大胆に映像化してみせる。
バンには、今はいない離婚した妻(彼女も警官)の姿も見えてしまう。バンは単に病んでいるだけなのか、それとも何らかの能力を持っていて隠された真実を幻視することができるのか、誰にも分からない。
物語は警官のホー(アンディ・オン)とバンが、失踪した警官を探して警察内部を捜査することで始まる。バンが最初に幻視するのは、失踪した警官の相棒コー(ラム・カートゥン)の後を追っているとき。路上を歩いているコーが突然、7人の男や女に変化してしまう。
最初、コーが口笛を吹きはじめ、次のショットで7人が口笛で同じメロディを吹くことで、彼らがコーの分身であることが暗示される。とはいえ、最初はこれがどういう仕掛けなのか、見る者はとまどう。
どうやら7人がコーの「内的自己」らしいぞと感じはじめたところで、バンが7人の間をすり抜ける。それがまるでバンがコーの身体を透明人間みたいに通り抜ける感触があり、そのあたりから見る者はジョニー・トーに心地よく幻惑されてゆく。
コーの分裂した7つの内部人格は、狡猾な頭脳をもつ知的な女性だったり、やたら殺したがる武闘派の男だったりする(その1人が食い意地の張った男で、演じているのはトー映画の常連、ラム・シュー)。
そういうバンの見る幻視のカットと現実のカットが何の説明もなくつながれ、「内的自己」と現実の人物が当たり前のように会話したり戦ったりするのが面白い。
「内的自己」と現実の人物が絡み合ったあげく、最後は香港ノワールの決まり事のような結末を迎えるんだけど、そこでもまたトーは「内的自己」を登場させてひとひねりし、映画の余韻を深くしている。
それにしても、アクション・シーンの畳みかけるようなリズムが素晴らしい。ラスト、鏡張りの部屋での銃撃戦も、オーソン・ウェルズ『上海から来た女』以来の定番といえば定番だけど、「内的自己」と外側の人物が入り乱れているだけに、いっそう迷宮的な酩酊を感ずる。
マッド・ディテクティブを演ずるラウ・チンワンが、時にハードボイルドに決め、時に滑稽味を出していて、とてもいい。
考えてみれば去年の夏、ニューヨークに来てはじめて見た映画がジョニー・トーの『エグザイルド(放逐)』だった。来週にはニューヨークを離れるので、どうやら『マッド・ディテクティブ』がこちらで見る最後の映画になりそうだ。
ジョニー・トーで始まり、ジョニー・トーで終わる。それがアメリカ映画ではなく香港映画だったことが(『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』とか『ノー・カントリー・フォー・オールド・メン』とか見事なアメリカ映画もあったけど)、ニューヨークの映画体験の記憶として残りそうだな。
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チャック・マンジョーネはフュージョン系のミュージシャンで、ちゃんと聴いたことはない。
でも何曲目かで「自分の大好きなディジーとマイルスのために」と言って自作の「ディジー=マイルス」を、フリューゲル・ホーンにミュートをつけて吹きはじめたときにはうなった。うーん、さすがにストレート・アヘッドなジャズをやらせてもすごいな。
マイルス・デイビスのミュートを思わせるテーマだけど、マイルスのように重く鋭くはない(トランペットでなくフリューゲル・ホーンのせいもある)。マイルスの訥々とした内省的な音づかいとはかなり違う印象(先週、エディ・ヘンダーソンを聴いたけど、彼こそマイルスの音だった)。
チャックの音は彼のもう一人のアイドル、ディジー・ガレスピーに近い。明るく弾んでいて、スタイリッシュな心地よさにあふれている。アドリブになるといよいよそれがはっきりして、うむ、彼のアイドルはやっぱりディジーなんだな。
エディ・ヘンダーソンが現代的なマイルスだとすれば、チャック・マンジョーネは現代的なディジーとでも言ったらいいのか。
バンドはキーボード、ベース、ドラムスにギター、サックス(フルート)の6人編成。さすがに皆すご腕。
ヒット曲「フィールズ・ソー・グッド」はじめ、ラテン・フレーバーにあふれた楽しいナンバーを1時間半、たっぷり聴かせてくれた。
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ボストンの対岸、ケンブリッジに行きハーバード大学を歩く。
構内は観光客でいっぱいで、ハーバードの学生はツアーのボランティア・ガイドくらいしか見当たらない。
上の写真は1720年に建設されたマサチューセッツ・ホールで、ハーバードでいちばん古い建物。
その向かいにあるのはハーバード・ホールで、1766年の建設。
ユニバーシティ・ホール(1815年建設)前に大学設立の功労者・ハーバードの銅像がある。記念写真を撮る観光客でいっぱい。
タイタニック号の事故で亡くなった学生を記念して建てられたワイドナー記念図書館。 大学図書館としては世界最大だという。
ハーバード大学自然史博物館に保存されているシーラカンスの標本。何億年もの時間を生きてきた種の虚ろな目で見つめられると、心の奥で何かうごめくものがある。
恐竜の骨格や、世界中の動物の剥製が展示されていて、こちらも面白い。
大学近くのオーガニック・カフェで昼食。ここは学生のたまり場みたいだった。
夕方、ボストンに戻りサウス・ステーションへ。
再び「ノースイースト・コリドール」でニューヨークへ。途中、ニュー・ロンドンでは駅前でフェスティバルが開かれていた。
夕闇が迫る。
ブリッジポート駅。ここまで来れば、ニューヨークまで1時間ほどだ。
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この日は朝からボストン美術館へ。正面玄関は工事中で、西館から入ると綱渡り(?)している男が迎えてくれる。
2階のアトリウムにも空中遊泳している男がいる。
ここでの見たいのは、やはり日本美術。もっとも期待した作品群は残念ながらほとんど展示されてない。
浮世絵は力士絵の企画展をやっていた。三代豊国(国貞)が多いなかで、歌麿、北斎はやはり一味ちがう。
アジア関係の企画展は「花と鳥」。日本美術からは伊藤若冲の「鸚鵡図」、広重の花鳥図、北斎の鳥シリーズなど普段見られない図柄が展示されていた。
アジア美術では、中国の陶磁器コレクションに質量ともに圧倒される。
最低限これだけはと考えていた日本とアジアを見ただけで夕方までかかり、疲れ果ててしまった。でももう一度来られるか分からないし、19世紀ヨーロッパ絵画の代表作だけを急いで見る。
しばし休憩し、ウォーターフロントへ。6時すぎだけど、まだ明るい。
風船を髪に結んだ女の子が可愛い。
ボストンはチャールズ川の河口にあって、市の中心部はチャールズ川とボストン内湾に囲まれて親指のような形をしている。
「サンセット・クルーズ」に乗って港を出る。右の建物は倉庫を改装したコンドミニアム。
ダウンタウンの高層ビル群が遠ざかる。
ボストンの川と海のイメージというと、すぐに1本のTVドラマと1本の映画が思い浮かぶ。
ひとつはNHKでやっていた『アリー マイ・ラブ』というシリーズ。アリーたち若い弁護士の仕事と恋愛模様がそれなりに面白いシリーズで、なるほどアメリカのヤッピーはこんなふうに暮らしているのかと知った。
毎回のタイトルバックで、彼らの事務所やコンドミニアムがある高層ビルが光かがやき、その向こうにボストン湾が広がる夜のショットが印象的だった。おそらくハーバード出だろう若きヤッピーたちの舞台らしいお洒落な映像だった。
もうひとつはクリント・イーストウッドが監督した映画『ミスティック・リバー』。
やはりボストン湾に注ぐミスティック・リバーと、そこにかかるトビン橋のなんとも暗い映像が映画の始めと終わりに効果的に使われていた。こちらは『アリー』とは対照的に下層階級が住むサウス・ボストンを舞台にした悲しいドラマだったなあ。
ボストン湾内の島。
ボストン湾の入り口にある灯台。
湾をはさんで空港がある。
8時半。ようやく陽が落ちる。
高層ビル群にも灯がともりはじめた。
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ボストンに着いたのが昼すぎだったので、まずは地下鉄に乗ってウォーター・フロントのクインシー・マーケットへ行き昼食を取る。再開発された倉庫3棟にレストラン、カフェ、ブランド・ショップなどが入っていて、大変なにぎわい。
とりあえず名物のクラムチャウダーで空腹を満たす。パンをくりぬいて、そのなかにチャウダーが入っている。チャウダーを飲み、容器のパンまで食べるとお腹いっぱい。7ドルで安くておいしい。
ホテルにチェックインして、最初に向かったのはビーコン・ヒル。市の中心部にある公園「ボストン・コモン」の向こうに広がる丘がビーコン・ヒルで、ここはボストンの由緒ある名家や上流階級が住む地域だ。
渡辺靖『アフター・アメリカ』(慶応大学出版会)は、「ボストン・ブラーミン」と呼ばれるワスプの名家に属する数十人(と、サウス・ボストンに住むアイルランド系労働者階級数十人)にインタビューした、なかなか面白い本だった。
そこに登場する「ボストン・ブラーミン」の多くがビーコン・ヒルに住むか、親や祖父母の世代がかつてここに住んでいた。
ビーコン・ヒルの家々は19世紀に建てられた赤レンガのタウンハウスで、外装をいじることは禁じられている。私道の小路には丸石が敷きつめられ、車が入ることはむずかしい。
もともとビーコン・ヒルに居を構えたのは、19世紀に中国貿易や捕鯨、紡績などで資産家になったボストンのワスプたちだった。彼らはここに住み、海辺に別荘を持ち、ハーバード大学やボストン美術館、ボストン交響楽団の後援者となった。
旧家の息子と娘が結婚することで、彼らは濃密な人間関係をつくり、互いの財産と家系を守ろうとした。仲間内でいくつもの社交クラブをつくり、そのひとつはアイルランド系J・F・ケネディの父の入会を断った。旧家の息子にとっては、「ハーバードが『唯一』の大学で、エールやプリンストンなどは二流」の大学だった、という。
その後、アメリカが工業化するなかで経済の中心はボストンからニューヨークに移る。鉄鋼や鉄道、金融で巨万の富を得たバンダービルド、ロックフェラー、カーネギーら「金ピカ時代」のニューヨークの富豪の前では、ピルグリム・ファーザーズの末裔として毛並みの良さを誇る「ボストン・ブラーミン」は時代遅れの存在となっていった。
彼らは収集した美術品を税金対策で寄贈し、家族信託で財産を守ろうとしてきたが、かつての繁栄を維持することはむずかしく、1950年代以後はビーコン・ヒルのタウン・ハウスや別荘を手放す家も出てきた。
それらのタウン・ハウスはコンドミニアムに改装され、白人の新富裕階級が移り住むようになった。今ではビーコン・ヒルに住む旧家は数少なくなったという。
だから現在のビーコン・ヒルは、没落しつつある「ボストン・ブラーミン」と新富裕階級が混在する高級住宅地になっている。
もちろんそんな内情は、ごく短い時間ビーコン・ヒルを歩いただけではうかがい知れない。
でも花で美しく飾られたドアから洒落た服装の老女が出てきて買い物にゆくのを見ていると、この人はどんな人生を送ってきたのかと想像してしまう。
ビーコン・ヒルからダウンタウンへ歩く。このあたりにはボストンの歴史を物語る場所がいくつもある。
旧マサチューセッツ州議会議事堂の小さな建物。1713年に建てられたボストン最古の建築で、独立前はイギリス植民地政府が置かれ、独立後は州政府が置かれていたこともある。
ボストン虐殺地跡に円形の石が敷かれている。
1768年、課税を強化するイギリス政府に反対するボストン市民が抗議し、イギリス兵が発砲して5人が殺された。これがやがて「ボストン茶会事件」を引き起こ、独立戦争のきっかけとなる。
当時の衣装を着ているのは歴史ツアーのガイドさん。
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ボストンへ2泊の旅に出かける。
ニューヨークからボストンへはバスのほうが安いし早いけれど、今回も列車を利用することにした。マンハッタンのペンシルバニア駅から「ノースイースト・コリドール」号に乗り、地下線路を抜けて地上に出るとクイーンズで、橋の向こうにマンハッタンが見える。
列車はニューヨーク州からコネチカット、ロードアイランド州の海岸線を走り、マサチューセッツ州ボストンまで4時間の旅。
跳ね橋がまだ使われている。背の高い船は通れない日本の川と違って、物資を運ぶ貨物船や大型ヨットなど川が重要な交通手段として生きているってことかな。
ニューイングランドと呼ばれるこの地域は、17世紀に入植が始まった最初のイギリス植民地だった。現在でもワスプと呼ばれるプロテスタントの白人人口が多い。
家々はゆったりした白塗り木造の一軒家で、こういうのをニューイングランドの風景っていうんだろうな。
どの港にもたくさんのヨットやモーターボートが繋留されている。
その数の多さに驚く。一家に一艘という感じ。船を持つのがニューイングランドの人々のステイタスというか、持っていないと肩身が狭いのかもしれないな。週末にはヨットやボートで海に出るのが、彼らの夏の過ごし方なんだろう。
このあたりの海岸線は入り組んでいて、あちこちに潟ができている。河口付近には低湿地も多く、細い流れをカヤックで遊んでいる人もいる。
ボストンのサウス・ステーションに到着。
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ダウンタウンからバスに乗ってレッド・フックへ、買い物かたがたランチに出かける。
レッド・フックは、かつてブルックリンの港としてにぎわった場所。倉庫が林立し、全米から集積された産物を加工する工場地帯だったが、この数十年は港としての機能を失ってさびれていた。最近、海沿いの元倉庫がスーパーとコンドミニアムとして再開発され、新たな脚光を浴びている。
スーパーでテイクアウトしたサンドイッチやピザを、ニューヨーク港や自由の女神を眺めながら食べることができる。7~8ドルでこのロケーションでのランチは、ちょっとした贅沢気分。
再開発された倉庫。1階がスーパー、2階から上がコンドミニアムになっている。
近くに家具の安売り店「IKEA」の巨大な店舗がオープンしたので、そちらへ向かってレッド・フックを散歩。
まだスーパーとIKEAがぽつんとあるだけだけど、5年後にはもっとジェントリフィケーション(高級化)が進んで、良くも悪くも町が変わっているだろう。
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バードランドでルー・タバキン=秋吉敏子カルテットを聴く。
メンバーはタバキン(ts,fl)と秋吉(p)に、ピーター・ワシントン(b)、マーク・テイラー(ds)。
オープニングは秋吉の代表作「ロング・イエロー・ロード」から。タバキンも秋吉も1曲目から全開で、客を一気に乗せる。
2曲目は熱い演奏から一転、スローに。タバキンが安部公房「砂の女」にインスパイアされてつくった「デザート・レディ」。サックスをフルートに持ちかえたタバキンが東洋的なメロディを瞑想的に吹く。3曲目は秋吉がチャールズ・ミンガスに捧げた「フェアウェル・トゥー・ミンガス」。
僕は秋吉とタバキンが1970年代から2003年までやっていたビッグ・バンドを、ちゃんと聴いたことがない。テレビで2度ほど見たけど、さほど魅力を感じなかった。ま、もともとビッグ・バンドにさほど興味がなかった、ってことなんだけど。
それ以前、渡米した秋吉が1954年に最初に出したアルバム「ザ・トシコ・トリオ」は昔よく聴いた。
この日の彼女のピアノは、その若いころのアルバムを思い出させた。ぽきぽきしたタッチ。微妙な間の取り方。やっぱりビッグ・バンドより小さなグループのほうが彼女の個性がよく分かる。秋吉はいくつになってもバド・パウエル直系のバップ・ピアニストなんだなあ。20代の若々しさをそのまま保ったピアノが素敵だ。
タバキンをちゃんと聴くのも初めて。太く男性的なビッグ・トーンで時に激しく、時に柔らかく吠える。それでいて、俺が俺がという押しつけがましさのない上品なサックス。
ステージ真下のテーブルだったので、息遣いまで生々しく聞こえる。サックスと身体が一体になって踊るように吹くから、いま彼がどんな音を出したいか、何をしたいかが見た目にもよく分かるし、楽しい。
ステージは、タバキン抜きのピアノ・トリオで1曲(バド・パウエルがよく弾いた曲。タイトル失念)、秋吉抜きのトリオで1曲。最後にカルテットでもう1曲。
このグループはタバキンがリーダーになっている。キャリアからいえば秋吉のほうがタバキンより上だけど、彼女が音でも態度でもご亭主をサポートしているのが可愛い。
秋吉敏子とルー・タバキンの魅力を今更ながら感じた夜だった。
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アパートから歩いて15分ほどのところにDUMBOと呼ばれる地域がある。ブルックリン橋とマンハッタン橋にはさまれた一角で、DUMBOとはDown Under the Manhattan Bridge Overpassの頭文字を取ったもの。
19世紀末にブルックリン橋ができるまでは、ここにマンハッタンのウォール街と結ぶフェリーのターミナルがあった。周辺は倉庫と工場地帯で、石畳の道にはかつての貨物鉄道の線路が残っている。
ブルックリンの工業が衰退したことで、ここは1960年代まではさびれた地域になり、映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』のロケで1920年代のニューヨークを再現するのに使われたりした。
1970年代以降、アーティストが倉庫をロフトとして使い移り住むようになり、ここ10年ほどはしゃれたショップやレストランも増えた。廃工場もコンドミニアムに改装され、いまマンハッタンやブルックリンの各所で進行中のジェントリフィケーション(高級化)がここでも進んでいる。写真下の右に見えるビルもコンドミニアムに改装されている。
倉庫の壁の落書き。
写真集と児童書の書店「パワーハウス」や、チョコレートの有名店「ジャック・トレス」は、ここへ散歩に来ると必ず寄る店。買いたい本が次々に見つかるのが悩みの種だ。「ジャック・トレス」のホット・チョコレートも甘いけれど旨い。
ブルックリン橋下の公園では、「ニューヨークシティ・ウォーターフォール・プロジェクト」で人工的な滝がつくられている。
この日はちょっと贅沢をして、橋下の「リバー・カフェ」でランチを。
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(10番街と32丁目の交差点)
チェルシーへギャラリー回りに行った帰り、時間があったので10番街をダウンタウン方向へ歩いてみた。
にぎやかな繁華街の5番街や7番街と違って、マンハッタンの西の端、ハドソン河にほど近いあたりを走る10番街はしゃれた店があるわけでもなく、人通りも少ない。歩いて楽しい通りではない。
(10番街と14丁目の交差点)
かつてここには「ハイライン」と呼ばれる高架鉄道が走っていた。
チェルシーには精肉工場が集中していたから、港からここへ肉などを運んだ貨物専用鉄道で、1934年に完成し1980年に廃線になった。小生の知る限り、かつて何本もあったマンハッタンの高架鉄道のうち現在でもその跡が残っているのはここだけだ。
数年前、ジョエル・スタンフェルドが撮った「ハイライン」跡のカラー写真を見たことがある。高層ビル群の間を雑草の生い茂った廃線が走っている風景は、廃墟の都市を感じさせる。映画『I Am Regend』のイメージの源泉のひとつはこの写真じゃないかと思った。
いま、元「ハイライン」は公園として再開発されつつある。高架の遊歩道になるらしい。現在は工事中で、高架に上がってみることはできない。
(グリニッチ通り)
廃線は10番街からミート・マーケットを通りぬけて、グリニッチ通りを走る。この交差点はガードが撤去されている。よく見ると不思議な風景。
これが跡をたどれる南端。ここから先は廃線が見つからなかった。
話の前後が逆になったけど、チェルシーのギャラリーでは、写真専門の「シルバースタイン」でユージン・スミス展をやっていた。
「スペインの村」から「硫黄島」「水俣」まで代表作100点近くのヴィンテージ・プリントが展示されている。小生、こんなにたくさんのスミスのヴィンテージを見るのは初めてで、その見事なプリントに圧倒された。
写真史の教科書に載っている名作がそこらじゅうに展示されている。「ボブ・ディラン」などのポートレートも素晴らしい。小生の頭の中では歴史的存在として整理されていたスミスの生々しいリアリティを再認識させられた。
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