MURAKAMIとUTAGAWA
ブルックリン美術館で、日本に関係した2つの展覧会が開かれてる。
「MURAKAMI」は、日本よりアメリカで評価も人気も高い村上隆の大規模な回顧展。「UTAGAWA」は広重、豊国、国芳など十数人の歌川派の浮世絵展。
村上隆はニューヨークを拠点に活動してるし、浮世絵もいいものはほとんどこちらにあるから、アメリカならではの日本展と言えそうだ。
村上隆についてはその作品も、評価や批判についても関心が薄くて、ちゃんと見たことがなかった。なにしろ、若い女性がときどき持ってる白地にピンクや青のど派手なルイ・ヴィトンのバッグが村上隆のデザインになるものと、今回はじめて知ったくらいだから。
この展覧会はロサンゼルス現代美術館を皮切りにニューヨークからヨーロッパを巡回する回顧展だけに、彼の90年代から最近までの作品が網羅され、村上隆をよく知らないジジイにはうってつけだった。
平日の午後、若い人たちがグループでわいわい言いながら楽しんでる。普通の美術展とは違う雰囲気。まあ、美少女フィギュアにアニメにヴィトンのバッグと、モノがモノですから。
無責任な感想を言えば(もともと責任なんてないけど)、絵画的な作品には面白いのがあるし、現代のアートのあり方が戦略的に考えられてるし、ま、これはこれでいいんじゃないの。
さんざ言われてることだろうけど、村上が日本画から出発して、日本画の視線と技法でポップなアニメやマンガを再構成したことが彼のオリジナリティと言えばオリジナリティなんだろうな。
特に平面の作品ではそれが独特の「フラット」感をつくりだしてて、アニメふうな稲妻の線がUTAGAWA展の広重の波の線にダブって見えてくるあたり、同時開催ならではの面白さかも。大キャンバスに描かれた色とりどりのコスモスは、さしずめ現代の琳派といったところか。
もっとも村上の仕事は平面よりもフィギュア、立体、アニメーション、フィルム(実写)などのジャンルのほうが有名だし、量的にも多い。そうしたもののなかに、日本のサブカルチャーが大量に流れ込んでる。
マンガ(手塚治虫、水木しげる、ドラえもん)、アニメ(ジジイの私には特定できないけど)、ゲーム(これも特定できない)、フィギュアをはじめ、ファンシー・グッズ、ファミレスのコスチューム、NHKの幼児番組、CMなんかが村上流に変形されつつ引用されている。そこに「かわいい」、あるいは「エロ」い味付けがされてるところもキモでしょうね。
村上のキャラクターを1点1点見れば、ドラえもんはじめ引用元のほうがよくできてると思うけど、いま西洋人が日本の何に惹かれるのか、それをどう見せるか、マーケティングとプレゼンテーションが上手であることは確か。オリジナリティの塊というタイプではなく、工房の主宰者としてプロデューサー的、あるいは編集的才能を持ったアーチストなんだろう。
毀誉褒貶が激しい村上隆だけど、しばらく前にネットで展開された彼に対する悪口は結局のところ、パクリじゃないかということと、商売上手だ、という2点に集約されるみたいだ。
それはその通りだと思うけど、短いながらニューヨークに滞在している者の感覚から言うと、同じことを別の視点から見ることもできるような気がする。
ウォーホールを引き合いに出すまでもなく、ポップアートは既成のモノやイメージを引用・変形することで成り立っているから、どこまでがパクリでどこからがオリジナルかは結局のところ線が引けない。
というより、オリジナルという考え方を疑うことからポップアートは始まっている。村上はウォーホール以来のポップアートの手法に忠実に従っているにすぎない(だから、村上が著作権侵害で裁判を起こしたのは、自らの方法を否定することになる茶番だね)。
私もそんなに詳しくないけど、アメリカの美術市場は周知のように巨大なマネーが動く。村上隆の制服ウェイトレスのフィギュアは5800万円で落札された。
村上隆の戦略的なところは、もともとオタク向け商品だったフィギュアやマンガ・アニメをアートにし(先日、フィラデルフィアで見たデュシャンの「泉」と同じ、文脈のつけかえですね)、アートとして認知されたものをもう一度商品に戻して自分の会社で大量生産・販売してることだろう。
美術市場で6000万の値がついても動く数はたかが知れてるけど、高価なものを少数売るより廉価で大量生産するほうが巨大なマネーを生むのは現代資本主義の道理。しかも、そういうシステムそのものが現代アートに対するパロディになっているという、アートと経済の両面で2度おいしい仕掛けがほどこされている。
ニューヨークに暮らして感ずるのは、論証抜きでいえば、ここは近未来の世界だ、ということかな。
ニューヨークはアメリカではない、と言われる。この町には合法非合法の移民が世界中から集まり、あらゆる人種・民族が混交して(融合ではなく)暮らしている。しかも年収2000億円、3000億円のファンド・マネジャーら超富裕層から、最低賃金以下で働く非合法移民、ホームレスまで、あらゆる階層がいる露骨な階級社会だ。
彼らはみな、マルクスが分析した19世紀に一回りして帰ってきたかと思われるような、裸の、残酷な資本主義のなかで生きている。政府による所得再分配・平等化などという思想は20世紀の遺物にすぎない。富む者は際限なく富み、貧しい者はとことん貧しい(最近の調査によると、ニューヨーク州は全米で最も貧富の差が激しい州で、なかでもニューヨーク市は、市民の上位1%の超富裕層が市民の全所得の37%を独占している)。
アートもまた、そのなかに組み込まれている。村上隆はそのシステムのなかで活動し、評価され、マネーを生んでいる。
そう考えると、村上隆批判は、村上個人というより現在のアートが置かれた状況そのものに対する反発に根ざしているようにも見える。村上はたまたまそのシステムのなかの最も有名な(あるいはただ一人の)日本人であるにすぎない。
そしてその反発の裏には、芸術はあくまで個人のオリジナリティによってつくられるものであるという信仰、芸術を金に換えるのは間違っているという信仰があるようにも見える。
いや、私は、近未来には世界がニューヨーク化する、そういう世界がいいと言ってるんじゃない。逆に、ジジイとしてそういう世界からできる限り遠く離れて暮らしたいと思ってる。でも日本を含めて、これからの世界は間違いなく「ニューヨーク化」し、いっそう酷い社会がやってくるだろう。
この町に暮らしていると、「近未来の世界」での日本の存在感は例えば中国や韓国より薄いように感ずる。そんな世界で評価されマネーを生んでいる日本人アーチストがいるのを、それだけで批判する気にはなれない。むしろ、村上なんか二流だと言わせてしまう、もっとすごいアーチストが出てきてほしい。
その一方で、もちろんマネーゲームに背を向けた芸術家もいてほしい。要するに、色んな価値観と手法を持った色んなアーチストの色んな作品を楽しみたい。
そんなことを感じたのは、日本を離れた人間が往々そうなるようにナショナリストになったのか、それとも還暦を過ぎてあらゆることに寛容になってきたのか。自分でもよく分からない。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 引っ越しのお知らせ(2008.09.26)
- 旅行に出ます(2008.07.29)
- チェルシー歴史保存地区(2008.07.10)
- チェルシー・マーケットで買い物(2008.07.07)
- 10番街を歩く(2008.07.01)
コメント
写真で見る分には、毎度の村上ワールドなんですね。ミッドタウンができて、ヒルズがやや廃れたように、村上さんのあの絵もさすがに飽きてきました。でも、外国人の金持ちに大金を出させるのはいいと思います。可哀想な日本の若者に還元してくれると、悪口も少し納まるかも。
NYの証券会社やファンドマネの超高給を、話には聞きますが、やっぱりすごいんですね。同じNYにいても、なかなか覗けない世界かもしれません。。。朝のセントラルパークなんかジョギングしてそうですが・・・(映画のイメージ)。
>それとも還暦を過ぎてあらゆることに寛容になってきたのか。
やはり作品力は、さほどではないんでしょうね。
行動力は、いいんじゃないですか。
投稿: aya | 2008年5月 3日 (土) 15時40分
こちらの雑誌がヘッジファンド・マネジャーの07年度年収ランキングを発表しましたが、NO.1はジョン・ポールソン(ポールソン&カンパニー)で37億ドル(3899億円)、NO.2はジョージ・ソロス(ソロス・ファンドマネジメント)で29億ドル(3057億円)でした。
製造業のCEOの年収は1桁下がるようで、カジノ資本主義が桁違いに儲かる世の中ですね。
20世紀の富豪が集めた美術品はメトロポリタンやグッゲンハイムに収まってますが、彼らにもせめてそのくらいのことをやってもらわないと。
投稿: 雄 | 2008年5月 4日 (日) 12時12分