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2008年5月

2008年5月30日 (金)

マンハッタン橋を歩いて帰る

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チャイナタウンで昼ごはんを食べ、天気が良かったのでマンハッタン橋を歩いてブルックリンへ帰る。

橋の上から見るチャイナタウンは、歩いていては見えない建物の内臓に当たる部分をちらっと見せてくれるのが面白い。右端のビルは最上部に「1891」と建設年のレリーフが嵌めこまれていて、ここを歩くときはいつも立ち止まって眺めてしまう。

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明日から1週間の予定で、ニューオリンズ、エルパソへ旅に出ます。その間、更新はお休みさせていただきます。写真をたくさん撮ってくるつもりですので、乞ご期待です。

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2008年5月27日 (火)

チャイナタウンを散歩

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(ペル・ストリート)

チャイナタウンは買い物や食事に週に1度、多い時には2度も訪れる。マンハッタンでいちばんよく行く場所なので見慣れた風景でもあり、改めて散歩しようとすると新鮮さに乏しい。そこで、いつもと別の目で見るためにガイド(?)を探してみた。

結果、見つけたのは作家の永井荷風。彼は1903年にアメリカに渡り、その体験を『あめりか物語』にまとめている。1世紀以上前のことだけど、ニューヨークは100年前のインフラを平気で使いまわしている都市だから、なんとかなるだろう。東京だったら、こうはいかない。そのなかの2編で、彼はチャイナタウンに触れている。

チャイナタウンへ行くために、荷風は「地下鉄道に乗って、ブルックリン大橋へ出る手前の、小さい停車場」で降りる。この駅は多分、ブルックリン橋・シティホール駅。今はチャイナタウンへ行くのにキャナル・ストリート駅で降りるのが普通だから、彼は反対方向から街に入っていったわけだ。

「高架鉄道の通っている第三大通り(注・現在のバワリー通り)を四、五丁ほども行くと、チャタム・スクエアといって、ここから左へ入ればユダヤ街、右手に曲がれば支那街(注・差別語だけど、ここは原文通り)から、続いてイタリヤ街へと下りられる広い汚い四辻に出る」

地下鉄ブルックリン橋・シティホール駅を降り、ニューヨーク市役所の裏手からチャタム・スクエアに向かう道筋は、今は公園と州裁判所などの官庁街になっている。

荷風が歩いた時代、この周辺はファイブ・ポインツと呼ばれるスラムを中心に貧しい移民が密集する地域だった。彼によれば、道は「痰唾でぬるぬる」し、「怪し気な紙屑」や「ぼろきれ」「破けた女の靴下」が散乱していたという。その後、市が貧民街を一掃して一帯を再開発したんだろう。

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(チャタム・スクエアのバワリー通りから伸びる2本のストリート。右手に入ればチャイナタウン)

荷風の時代とは少し道筋が変わっているようだけど、チャタム・スクエアはキムロウ・スクエアと名前を変えて今もある。

バワリー通りなど7本の道路が交差する広場。荷風が描写するように、チャイナタウンのメーン・ストリートであるモット・ストリートがここから始まり、チャイナタウンを突きぬけキャナル・ストリートを横断して、リトル・イタリーに至る(リトル・イタリーはいまやチャイナタウンに飲み込まれつつある)。

チャタム・スクエアは現在では広大なチャイナタウンの南のはずれに当たり、キャナル・ストリート周辺の、肩と肩が触れ合う人混みに比べれば人通りはやや少ない。

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マンハッタンのチャイナタウンは19世紀後半、中国人排斥運動で迫害され、また大陸横断鉄道の完成で職を失った西海岸の中国人が移住してきたことに始まる。

彼らはニューヨーク最大のスラムで、アフリカ系やアイルランド系の下層労働者が住むファイブ・ポインツ(映画『ギャング・オブ・ニューヨーク』の舞台)の東側、モット・ストリート、ペル・ストリート、ドイヤー・ストリート、モスコ・ストリートに住みついた。

そうか、荷風の道筋をたどって分かってきたのは、今では中心からはずれたこのあたりがチャイナタウン発祥の地だったんだ。

荷風がここを訪れる数年前、1900年のチャイナタウンの中国人人口は2000人。ちなみに現在は25万とも35万とも言われる。不法移民が多いので誰も正確な数字を把握できていない。

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(チャタム・スクエアに近いモット・ストリート。当時のチャイナタウンの入口)

今では大きく広がったチャイナタウンだけど、今日は荷風が訪れた当時の、最初にできたチャイナタウンだけを歩くことにしよう。といってもバワリー通りを底辺とした三角形の、ゆっくり歩いても10分あれば一回りできてしまう程度の広さ。

「家屋はみなアメリカ風のレンガ造りであるが、数多い料理店、雑貨店、青物屋など、その戸口毎に下げてある種々の金看板、提灯、灯篭、朱唐紙の張札が、出入りや高低の乱れた家並の汚さ、古さと共に、暗然たる調和をなし、全体の光景をば、誠によく、憂鬱に支那化さしている」

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荷風好みの「憂鬱」「暗然」といったフィルターを通してはいるものの、チャイナタウンは今も彼の描写した時代と大して変わっていない。

レストランや土産物屋が軒をつらね、所狭しと極彩色の品物を陳列している。家並が「古く」「汚い」のもそのまま。この周辺は、荷風が歩いた当時の建物の多くがそっくり残っているんじゃないかな。

移民たちが住んだテナメントと呼ばれるアパートは、荷風の時代には電気も水道も暖房もトイレもなく、狭い部屋に何家族もが暮らしていた。劣悪な環境で、乳児死亡率は40%近かったという(テナメントについては07年11月22日の「テナメント博物館」参照)。

今ではずいぶん改善されているんだろうけど、それでもここがニューヨークの他の地域に比べて人口密度が飛びぬけて高いのは間違いない。

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「家屋から人の衣服から、目に入るものは一斉に暗鬱な色彩ばかりで、空気はいつも、露店で煮る肉の臭い、人の汗、その他いわれぬ汚物の臭いを帯びて、重く濁って、人の胸を圧迫する」

チャイナタウンが独特の匂いを持っていることは確か。地下鉄を降りて地上に出ると、ああ、チャイナタウンだなと、街並みや人混みだけでなく匂いでも分かる。

荷風は当時、ボードレールの『悪の華』に心酔してたから、それをチャイナタウンに重ねて、彼自身の想念と二重映しで街を見ているんでしょうね。

いかにも荷風らしく、こんなことも書いている。

「ああ、私は支那街を愛する。私はいわゆる人道、慈善なるものが、遂には社会の一隅からこの別天地を一掃しはせぬかという事ばかりを案じている」

大丈夫。一掃されるどころか、チャイナタウンは元気で、リトル・イタリーを飲み込み、ロウワー・イーストサイドに広がり、イースト・ブロードウェーを東に進み、日に日に増殖している。

私が週に2度もチャイナタウンに来るのも、荷風の気分を少しは共有していて、やっぱりこの街が好きなのかもしれない。汚いし臭いからチャイナタウンは嫌いという人もいるけど、この街に足を踏み入れ、誰も知る人のいない人混みのなかを目的もなく歩いていると、なぜかほっとする。

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かつてのスラム、ファイブ・ポインツの南端が再開発されてコロンバス公園になっている。中国人の憩いの場で、この日は四川大地震支援の音楽会が開かれていた。ささやかながら寄付。

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チャイナタウンのウインドー・ショッピングは楽しいです。買う勇気はないけど。

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2008年5月26日 (月)

ブルックリンご近所探索・23

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14階にある私のアパートからは、ブルックリンとスタッテン島を結ぶヴェラザノ・ナロウズ橋が彼方に小さく見える。夜は緑色にライトアップされる橋の上空を、JFK空港に向かって高度を下げてゆく航空機の灯が闇を横切ってゆくのを眺めるのは、なんとも心の休まる時間だ。

この橋のあるベイ・リッジ地区に、いつか行こうと思いながらなかなか果たせなかった。

土曜の午後、地下鉄Rラインの終点ベイ・リッジ駅を降りて地上へ出ると、毎日遠くにながめる橋が目の前に迫っている。おお!

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ニューヨーク湾が細くくびれた海峡(ナロウズ)にかかるヴェラザノ・ナロウズ橋は1964年に完成した。

ブルックリン橋やマンハッタン橋と同じ構造の吊り橋で、長さは1300メートル。もっとも、橋脚が石造のブルックリン橋や装飾された鉄骨で組まれたマンハッタン橋のように、19世紀末~20世紀初頭につくられた橋の古典的美しさはない。鋼鉄の板を張った、どちらかといえば機能的な美を感じさせる。

この橋は、ニューヨークの都市計画を仕切ったロバート・モーゼズによって計画された。モーゼズはニューヨーク市内と周辺にフリーウェイをはり巡らせ、郊外に住んでマンハッタンで働く、車社会の「都市-郊外」型生活様式をこの街で実現させた男。その一方、地下鉄など大衆の足にはほとんど投資せず、だからニューヨークの地下鉄のインフラは今もって100年前と大して変わらない。

またモーゼズはマンハッタンのスラム再開発を積極的に推し進め、その度に貧困層は郊外へ、郊外へと追いやられた。いま問題になっている「ジェントリフィケーション(高級化)」もその延長線上にある。

フリーウェイやナロウズ橋の建設でも、多くの住民が立ち退きを迫られた。ナロウズ橋の建設を、追いやられた住民と、建設をになった橋梁労働者の双方の視点から克明に描いたのがゲイ・タリーズのノンフィクション『ブリッジ』で、これについては拙ブログで触れたことがある。

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海岸には遊歩道が巡らされ、公園になっている。前日までの寒の戻りから一転して暖かくなり、家族連れが土曜の午後を楽しんでいた。

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ベイ・リッジは19世紀から20世紀初頭にかけて、ノルウェーやデンマーク系の船員が住みはじめた。この家は20世紀初めに建てられ、当時は海が見えたバルコニーから、船で旅発つ夫に妻が別れを告げたという「伝説」があるらしい。

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その後、ベイ・リッジにはアイルランド系やイタリア系が多く住むようになった。近年はロシア系、中国系、ギリシャ系、アラブ系などいろいろな民族が流入し、それぞれにコミュニティをつくっている。 多国籍のエスニック・レストランが並ぶアベニューから一歩脇道に入ると、閑静な住宅街が広がっている。

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モロッコ料理レストラン「メゾン・ド・クスクス」のミント・ティー。歩き疲れた体に、ミントの香りとほんのりした甘さが心地よい。ラム肉をレモンやオリーブで煮込んだタジーン・ベルベルも美味でした。

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2008年5月24日 (土)

ブルックリン橋125歳の誕生日

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今年は1883年にブルックリン橋が建設されて125年。それを記念して大々的な「125歳誕生祝い」が開かれている。

この日はブルックリン橋下の公園でオープニング・セレモニー。やっと暗くなりはじめた午後8時前、ブルックリン・フィルハーモニーや地元R&Bグループのコンサートで幕が開く(橋そのものについては「ブルックリンご近所探索・8」に書きましたので、興味のある方は「カテゴリー」からどうぞ)。

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橋を形どった巨大なバースデイ・ケーキが運ばれ、観客とともに「♪ハッピー・バースデイ・ディア・ブルックリン・ブリッジ」で盛り上がる。

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カウント・ダウンとともに橋がライト・アップされ、2カ所から盛大な花火が打ち上げられた。全員が歓声を上げ、しばし美しさに酔う。

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2008年5月23日 (金)

夕陽に染まる

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午後から降り始めた雨が止み、午後6時すぎ、夕陽が顔をのぞかせた。最高気温13度。冷え込んで空気が澄んでいるせいか、元ウィリアムス貯蓄銀行ビルが鮮やかなピンクに染まった。

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2008年5月21日 (水)

ヒラリーの難しい選択

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ケンタッキーの民主党大統領予備選でヒラリー・クリントンがオバマに35%の大差をつけて圧勝した。

同時に行われているオレゴンは、これを書いている時点(20日午後10時)でまだ開票が始まってないけど、オバマが勝つだろうという予想だ。オバマは今日のケンタッキーの代議員を加えて過半数の代議員を獲得したことになり、実質的な勝利宣言をした。

クリントンにとっては、どう撤退するのか、いよいよ難しくなってきたね。今日も、「ネバー・ギブ・アップ」と演説していたけれど、最後の党大会まで頑張るつもりなのか。

ケンタッキーで圧勝といっても、代議員数が少ないから、わずかに差を縮めただけ。オバマが圧倒的に有利なことに変わりはない。アメリカのメディアはどこも「オバマの勝ち。クリントンに逆転の目はない」と判定している。

ところでCNNの郡・市ごとの投票分析を見ていると、オバマとクリントンの支持基盤がくっきり分かれているのがよく分かる。

アフリカ系にオバマ支持、白人層にクリントン支持が多いのは当然として、それ以外の要素でいうとオバマに投票しているのは都市部、高学歴、若者、富裕層が多い。一方、クリントンの支持者には農村部、低学歴、高齢者、貧困層が多い。

これらを具体的な人格としてイメージすれば、オバマを支持しているのは、大学を出て安定した職業に就いている20~30代の都会の若者(ちなみに小生の住むブルックリンでは、圧倒的にオバマ支持のビラやポスターが目につく)。クリントンを支持しているのは、高卒で肉体労働に従事し、生活が苦しい田舎町の50~60代の労働者ということになるだろうか。

もちろんこんな単純化は危険だけど、民主党候補者の場合、日本にいたときの私は、どちらの政治姿勢がよりリベラルか、だけで判断しがちだったと思う。でもこういう細かな分析を見ていると、リベラルかどうかだけでは片付かない要素がたくさんあることに気づく。

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ブルックリンの朧満月

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14階(といっても「13」階がないので、本当は13階)のアパートの窓から外を見ると、満月が浮かんでいた。雨上がりで、朧ににじんだ月が筋雲を照らしている。

右側のビルは元ウィリアムズバーグ貯蓄銀行で、20世紀初頭に建てられたブルックリンでいちばん高いビル。てっぺんの時計台と尖塔のデザインが素敵で、ニューヨークの名建築のひとつに数えられている。

最近、全館が高級コンドミニアムに改装され、数カ月前から入居が始まった。ブルックリンの「ジェントリフィケーション(高級化)」を象徴する建物。

私が住むアパートと通りを隔てた一角でも、大規模なショッピング・モールとコンドミニアムの建設が始まった。アパートの裏手にも2つのコンドミニアムが建設中で、「5年後に来たら、風景がまったく違っていて驚くよ」と、同じアパートに住むRさん。

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2008年5月20日 (火)

ブルックリンご近所探索・22

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ブルックリンのブライトン・ビーチは、「リトル・オデッサ」とも「リトル・ロシア」とも呼ばれるロシア人街だ。

香港の映画監督、ウォン・カーウァイがニューヨークで撮影した『マイ・ブルーベリー・ナイツ』のロケ地は、まず間違いなくここだと思う。

映画のなかで、地下鉄が高架を走るショットが繰り返し使われている。車両の先頭には「Q」の文字があったと記憶する。ジュード・ロウとノラ・ジョーンズが出会うカフェはロシア名前の店だった。

僕の知る限り、地下鉄Qラインが高架を走り、しかもロシア名前のカフェがあるのは、ここブライトン・ビーチしかない。しかも映画を見たとき、あ、これを撮影したのはあそこのカーブじゃないか、と直観した場所があった。

で、それを確かめに日曜の午後、ランチかたがた出かけて行った。

ブライトン・ビーチ駅を降りてすぐのところに、地下鉄が大きくカーブし、ガード下が交差点になっている場所がある。上の写真がそれ。映画ではもう少しアップ気味だったと思うけど、こんな感じじゃなかったっけ? このカーブ以外は高架の両側に建物が密着して建っているので、こういう角度のショットは撮れないと思う。

映画でジュード・ロウがオーナーのカフェは、残念ながらどこにあるのか分からない。でも、あんな洒落たカフェはブライトン・ビーチにそんなにはないだろうから、この街に詳しいyuccaさんに聞けば分かるかもしれないな。

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地下鉄を降りると同時に雨が降ってきたけど、なにやら音楽が聞こえてくるほうへ歩いていくとストリート・フェスティバルが開かれていた。舞台ではロシア語の歌やラップ。

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舞台の両側にはテントの出店がいっぱい。これはシシカバブーの店。

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高架の両脇はにぎやかな商店街で、ロシアの食品スーパーや野菜・果物店、スウィーツの店が並ぶ。

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映画のカフェを探すつもりだったけれど、雨に濡れて寒くなってきたのであきらめ、目についたカフェに飛び込んでボルシチで暖まる。

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2008年5月19日 (月)

ロングアイランドのライブ

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Hさん夫妻がロングアイランドのレストランでライブをするというので、車に同乗して連れていってもらう。

ロングアイランドはニューヨークの東に広がる東西に細長い島。西端は市内のブルックリン区とクイーンズ区で、その東には一軒家が連なる典型的な郊外住宅地が広がる。島の先端にある岬のあたりは、フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』の舞台でもある。

土曜の夕方、ロングアイランド・エクスプレス・ウェイは混んでいる。週末の午後をマンハッタンで過ごして帰る車、あるいは岬の別荘で過ごしたり、海を見ながらディナーを楽しもうと出かける車も多いのかもしれない。

ライブのあるレストランは、島の北側にある小さな町、ハンチントンのはずれにある。ブルックリンから1時間半ほどのドライブ。

ヴォーカリストHさんの夫でギタリストのRさんは、運転しながらもあまり機嫌がよくない。今日のライブはジャズ・クラブではなくレストランだから、客は音楽を聞きにくるわけではない。いわばBGMのための演奏で、聞きやすい音が求められる。自分がやりたいスタイルは封印しなければならない。

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以前にもロングアイランドのライブに連れていってもらったことがあるけれど、そこと同じで、このレストランPIER441も客は白人だけだった。若いカップル、子供連れ、おじいちゃんから孫まで一家で来ている客、老夫婦。みなカジュアルな格好で夕食を楽しみに来ている。

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(窓の外に広がる湖)

以前はメキシコ料理の店だったのを、シーフード料理の店として新装オープンして1カ月足らず。湖に面したテーブルは満員だ。脇のバーで食前のアルコールを楽しんでいるカップルもいる。

Rさんたちは、オーナーの希望通り静かなバラードやポップスを演奏して客を楽しませている。何組かは音楽に静かに耳を傾け、拍手もしてくれた。

演奏も最後に近く、セロニアス・モンクの曲をさりげなく弾きはじめたのは、Rさんの「仕掛け」だったのか。終わってから「モンクはよかったよ」と誉めたら、深夜のフリーウェイでハンドルを切りながら「ふふん」と言っただけだったけれど。

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2008年5月16日 (金)

DAIDO MORIYAMA展

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チェルシーのスティーブン・カッシャー・ギャラリーで森山大道「THE 80s VINTAGE PRINTS」展が開かれている(6月7日まで)。

ニューヨークでは確か7、8年前にメトロポリタン美術館で大規模な森山大道展が開かれ、そのすぐ後にも70年代のニューヨークを撮影した作品展があったはずだから、それ以来になるだろうか。

1980年代に森山が雑誌『写真時代』などに発表した作品のヴィンテージ・プリント(雑誌入稿用原稿)80点が展示されていた。

写真そのものは当時の雑誌や、その後まとめられた写真集で見たものが多いけど、面白かったのは印画紙に書かれた印刷所向けの指示がそのまま生かされていたこと。

赤のフェルトペンで写真脇に書かれた「①」「トル」「②見開き」「↑天」「左右カットは均等に」といった指示や、時に写真の上に直に書き込まれたカットを指示するラインなども、いわば「作品」の一部として展示されている。

ちなみに元編集者の私にはなじみ深い用語ばかり。

「トル」は文字通り削除の指示、「見開き」は1点を左右2ページに大きく印刷する指示、「↑天」は矢印が向いている方向が上であることを示す(印刷所はときどき上下を間違えるので)、「左右カットは均等に」とは、フィルムの縦横の比率と雑誌の縦横の比率が異なる場合、上下あるいは左右をカットしなければならないので、どうカットするかの指示を意味する。

この展示方法がギャラリーの発案なのか森山のアイディアなのか分からない。でも森山は、自分の写真は印刷されたときにこそリアリティを持つと常々語っているから、印刷用原稿であることを利用したこの展示は、彼にとっても望むところだったろう。

余談だけど、単行本をつくっていて編集者としていちばん楽しいのは「ゲラ」と呼ぶ試し刷りが出てきたときだ。特に絵や写真を使ったヴィジュアルな本をつくっているときは、「色校」と呼ぶ試し刷りが何とも言えず嬉しい。

8ページあるいは16ページ分が1枚の大きな紙に刷られ、印刷面の脇には裁断位置を示す罫が引かれたり、黄赤藍などインクの色見本が刷られている。

著者やデザイナーとともに色校を検討し、「よごれトル」とか「藍もっと強く」とか書き込んで印刷所に戻すわけだけど、別のセットを折りたたんでカッターで1ページ1ページ切り離しているときが、ああ、本が出来てきたな、と感ずる至福の時だ。本が出来上がっても「色校」が捨てられなくて、押入れにはそういう「色校」がいくつも眠っている。

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それはさておき。

最近は写真とアートの境目がなくなって、写真の上に何かを描いたり(アラーキーがやるように)、脇に文字を書いたりする手法も多いから、この展示は、森山が最初から意図したものでないにせよ、期せずしてそういう文脈のなかに置かれることになる。

アメリカ人にとっては日本語も意味のない「図形」として認識されるだろうから、ギャラリーとしてはそういう面白さも考えたろう。

ここしばらくのアメリカの写真を見ていると、アートとの境界がなくなって以来、大なり小なりコンセプチュアルな仕掛けがほどこされているものがほとんどだ(好きか嫌いかはともかく)。

今回の展示は、入稿用の指示が「仕掛け」に相当するわけだけど、にもかかわらず写真そのものの圧倒的な力と質感がそういう仕掛けを突きぬけて迫ってくるのが、やはり森山大道は森山大道だと感じさせるのだった。

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2008年5月15日 (木)

アーマッド・ジャマルを聴く

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ジャズ好きの知人夫婦が日本から来ていて、おとといのバードランドに続いて今日はブルーノートへ出かける。

アーマッド・ジャマルといえば、1950年代、マイルス・デイビスが自分のグループのメンバーに迎えいれようとしたとき、「帝王」の申し出を断ったピアニストとして知られている。音楽的にも、マイルス自身アーマッドに影響を受けたと語っている。

もっとも私は30年ほど前にジャズ喫茶で何回か聞いた程度で、その後はとんとご無沙汰してる。

今日のメンバーはジェームズ・カマック(b)、アイドリス・ムハマド(ds)のレギュラー・トリオにマノロ・バドレーナ(per)が加わったカルテット。今月発売された新譜「It's Magic」と同じ面子だね。

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(フラッシュを焚かなければ写真OKのことが多いけど、今日は「ノー・フォトグラフィー」とのことで写真はなし)

「伝説的」ピアニスト、しかも日曜の夜とあってブルーノートは満員、1席も空いていない。バーには立ち見の客もいる。

アーマッドは78歳だからかなりの歳だなと思っていると、背筋をしゃんと伸ばし確かな足取りでステージに上ってきた。ピアノの前に座り、ぱらぱら音を出したかと思うと立ち上がり、椅子の高さを調整させる。貫録十分。

曲は多分、新譜に収められたオリジナル曲ばかり(1曲だけスタンダードを弾いたが、曲名思い出せない)。よくスイングする美しいシングル・ノートと、オクターブ奏法っていうのかな、オクターブ違いの音を重ねた力強いアドリブを組み合わせた演奏で、聴く者をぐいぐい惹きつける。

シングル・ノートのフレーズがまだ続きそうなところでアーマッドは突然弾くのを止め、ベースやパーカッションを指さす。一瞬の沈黙。指さされたベースやパーカッションが親分の指示に従って、ピアノの音が消えた空白を埋めてゆく。

そんな「間」の取り方と、シングル・ノートからオクターブ奏法に変化するタイミングの意外さ、ピアノからベースやドラムスへと受け渡すタイミングの意外さが新鮮で、そのあたりがマイルスにインスピレーションを与えたんだろうか。

78歳の音楽とは思えない若々しさ。1時間余りの短い演奏だったけど、誰もが堪能して拍手、また拍手でした。

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2008年5月14日 (水)

ワシントン・スクエアでブルース

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久しぶりにワシントン・スクエア・パークへ行った。ここにはいつも何組かのストリート・ミュージシャンが集まっている。

いつもはジャズが多いけど、今日はブルース・ギターがいちばんいい場所に陣取っている。アフリカ系のミュージシャンで、ギターとヴォーカル。モダンなアーバン・ブルースで、ギターもヴォーカルも素敵だ。コンガとアコースティック・ギター(右端に背中が写っている女性)も飛び入りで参加。背中にギターを背負った男も、しばらく踊っていたけれど、やがてギターを弾きだした。

地下鉄のストリート・ミュージシャンはどちらかといえばお金が目的だけど、休日のワシントン・スクエアはミュージシャンが三々五々集まって、聞かせるというより自分たちでセッションを楽しんでるみたいだ。観客も地下鉄の乗客と違い、長時間べったりと座りこんで耳を傾けている。

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2008年5月12日 (月)

レジーナ・カーターを聴く

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知人夫妻とレジーナ・カーターを聴きにバードランドへ出かける。

レジーナ・カーターはアフリカ系のジャズ・バイオリニスト。名前は知っていたけれど、聴くのははじめてだ。バンドは彼女のほかにアコーディオン、ギター、ベース、ドラムスのクインテット。バイオリンにアコーディオンという組み合わせからどんなジャズが聞こえてくるのか、見当もつかない。

「今日は次のアルバムのために準備している曲をやります」とレジーナが挨拶して、演奏が始まる。

美しいメロディを持ったオリジナル曲。カントリー&ウェスタン。クラシック。アフリカ的なサウンドの曲。ジャズのスタンダード。

カントリー&ウェスタン(タイトル思い出せない。有名な曲)では西部の香りが漂う。バイオリンとアコーディオンの音からは、映画『荒野の決闘』の野外パーティでヘンリー・フォンダ演ずるワイアット・アープがクレメンタインと照れながらダンスを踊るシーンを思い出した。クラシック(これもタイトル思い出せない)は途中からジャズのリズムになる。

とはいえバイオリンはなかなか激しいリズムには乗せにくいから、いわゆるジャズ的な興奮とはちょっと違う。

ジャズ・バイオリンといっても、寺井尚子みたいなオーソドックスな方向ではなく、ジャズを含め色んなジャンルの素材を使って新しい音楽をつくろうとしているように聞こえた。

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2008年5月 9日 (金)

ルーズベルト島を散歩

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ぽかぽか陽気に誘われてルーズベルト島へ出かける。

ルーズベルト島はイーストリバーにある細長い島で、マンハッタンとクイーンズに挟まれている。都会の中の島といっても大阪の中之島や博多の中洲みたいな繁華街ではなく、ごく静かな住宅地。特に見るべきものがあるわけでもない。

ただひとつ名物と言えそうなのは、マンハッタンと島を結ぶロープウェーだろう。アメリカで公共交通機関として使われている唯一のロープウェーだそうだ。1976年に開通したというから、そんなに古いものではない。

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ロープウェーはクイーンズボロ橋に並行していて、マンハッタン側の乗り口は2ndアヴェニューと60丁目の角にある。料金はいくらだろうと考えながら階段を昇っていくと、地下鉄駅と同じ自動改札があって、共通のパスで乗ることができるのに気づく。ちょっと得した気分。

一眼レフを持った人や記念写真を撮っている家族がいるから、住民の足というだけでなく、観光客もいるんだろう。普通、ロープウェーといえば風光明媚な観光地にあるけれど、都会の上空を通るのが珍しい。エンパイア・ステート・ビルやロックフェラー・センターの展望台ほど高くなく、川の上を適度な高さで移動しながら見る風景が新鮮だ。

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ルーズベルト島の川沿いには遊歩道が巡らされている。八重桜が満開だった。対岸はマンハッタン。

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島の反対側へ行くと、対岸はクイーンズになる。こちらには高層ビルはほとんどなく、のんびりした雰囲気。

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クイーンズボロ橋の橋脚。

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クイーンズボロ橋は1909年に建設され、1100メートルの長さを持つ。いかにもアメリカらしく太く無骨な鉄骨で組まれていて、それが独特の美しさになっている。その姿から「鋼鉄の蜘蛛の巣」と呼ばれ、小説(『グレート・ギャツビー』)や映画(『スパイダーマン』など)、音楽(サイモンとガーファンクル)にしばしば登場する。

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ルーズベルト島は17世紀以来、島全体が個人所有だったけれど、19世紀にニューヨーク市が買い上げて監獄をつくった。1935年、監獄は廃止されて病院に転用され、1970年代になってからようやく住宅地域としての整備が始まった。

元所有者の古い木造家屋が保存されているかと思うと、病院にしてはやや異様な建物(元監獄だもの)が残っている。ロープウェー駅のそばでは、高級コンドミニアムが何棟も建設中だ。

この島には、人が何十年、何百年と暮らしつづけるなかでつくりあげる町の匂いや空気がまったくない。歩いていてなにか空疎で奇妙な感覚を覚えたのは、そういう島の歴史からきているんだと、案内所でもらったパンフレットを読んで後から気づいた。

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2008年5月 7日 (水)

決着つかない大統領予備選

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民主党の大統領予備選。ノース・カロライナ州とインディアナ州はオバマとクリントンが1勝1敗で、決着はまたしてもつかなかった。

CNNの開票速報を見ていたら、インディアナではまず農業地帯の開票が進み、クリントンが10%近くリードしていた。ところが時間がたつごとにアフリカ系が多い都市郊外の票が開いて5%、2%と差が縮まり、深夜にもつれこんだ。結局、2%のままCNNはクリントンの当確を打ったけど(これを書いている現在、開票率99パーセント)、僅差の勝利でクリントンはいよいよ苦しくなってきたね。

6月までいくつかの州の予備選が残ってるけど、代議員数が少ないので決着はつかないだろう。クリントンは「最後まで戦う」と演説してたけど、態度未定の特別代議員(議員など)がどちらを支持するか、あるいは党内で何らかの調整が始まるのか、高見の見物の立場からいうと、もつれればもつれるほど面白い。

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2人の演説を聞いていると、オバマは魅力と危険が隣り合わせの政治家、ヒラリーは民主党とはいえ穏健な保守という印象を持つ。

オバマが大統領になれば、イラクから撤退するなどアメリカの外交政策は大転換するかもしれない。それは望ましいことだけど、その一方、アメリカ国民がなんらかのきっかけで極端な方向に振れれば、ポピュリストのオバマはその声に従うか、あるいは煽ることさえするかもしれない。

ヒラリーが大統領になれば、おそらくイラク政策の転換はむずかしいだろう。アメリカの占領は当分つづくに違いない。全体としてはすべてが大して変わらず、地域経済とか保健制度とか、国内の問題に力を注ぐことになるのかな。

この1カ月、オバマは師と仰ぐアフリカ系牧師の白人蔑視発言などで支持率が落ちてたけど、今回の結果は、やはり国民(少なくとも民主党員)のなかに「変化」を望む声が大きいということか。それだけ現状にストレスがたまってるのかもしれない。

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2008年5月 5日 (月)

土曜の夜のブルックリン・ミュージアム

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ブルックリン・ミュージアムは毎月第1土曜の5時から通常展示が無料になり、それだけでなく色んな催しが開かれる。催しもすべて無料だから、夜遅くまで人々でいっぱいだ。

いまミュージアムでは「MURAKAMI」「UTAGAWA」という日本美術の展覧会が開かれているし(5月3日参照)、隣のブルックリン・ボタニカル・ガーデンは八重桜が満開で「HANAMI」フェスティバルだから、この日のプログラムは日本関係のものばかり。

音楽が2つ(般若帝国とおおたか静流コンサート、百々徹のジャズ・コンサート)。映画が2本(溝口健二『歌麿をめぐる5人の女』、今敏のアニメ『ミレニアム・アクトレス』)。アーチストMegumi Akiyoshiのパフォーマンス。「MURAKAMI」と「UTAGAWA」をめぐるトーク・セッション2つ。日本人DJによるダンス・パーティ。

これが全部無料なんだからすごい。スポンサーになっているのは、若い層向けのユニークな戦略で成功しているスーパー・マーケットのターゲット。ターゲットにとっては社会還元でイメージを上げ、美術館にとっては多くの人に足を運んでもらえるチャンスをつくる、どちらにとってもプラスになる仕組みだ。

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どれにしようかと迷った末、おおたか静流のコンサートと溝口の映画に決めた。

おおたか静流のアルバムは2枚ほど持っている。けっこう好きです。それにしても、ブルックリンで彼女を聞けるとは思わなかった。尺八デュオとの共演で、おおたか静流の持ち歌もこうして聞くと日本のわらべ唄みたいに聞こえてくる。

会場は美術館1階のホール。このフロアの展示はアフリカ美術で、ホールには大きなトーテムも置いてある。臨時の出店も出ていて、ドリンク、アルコール類、サンドイッチを売っている。飲んだり、食べたりしながら音楽を楽しめる仕組み。日本の美術館では到底考えられないだろうね。

溝口はいつか全作品を見ようと思っている。と言いつつ、せいぜい代表作4、5本を見ているだけなので、未見の『歌麿をめぐる5人の女』はいい機会だった。開場を待って並んでいると、前にいた白人の老夫婦に「日本人か」と声をかけられ、話しているうちに奥さんが溝口ファンだということが分かる。うーむ、溝口ファンなんて、今は日本でだってそうそうお目にかかれない。

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映画が終わって、おおたか静流を聞いたホールに戻ると、そこはクラブ(「ク」でなく「ブ」にアクセントがあるほう。私らの世代ではディスコと呼ぶ)と化していた。ごった返したホールは、日本人DJによる音楽に合わせて踊る人あり、談笑する人あり。夜10時、美術館とはとても思えない光景です。

ホール隣の「UTAGAWA」展会場を覗くと、こちらも2日前の午後に来たときより遙かに多い人が浮世絵を見ている。ミュージアム・ショップも日本関係のグッズを集めて盛況。

最近は日本の美術館も金曜夜に遅くまで開けてるようだけど、ここの美術館の人を集める仕掛けは、発想も規模もまったく違う。文化的アミューズメント・パークとでもいったらいいか。ともかく美術館がこんなふうにみんなに開かれているのは楽しい。

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ショップで買った浴衣と刀を持って、村上隆の前で記念撮影。

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2008年5月 3日 (土)

MURAKAMIとUTAGAWA

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ブルックリン美術館で、日本に関係した2つの展覧会が開かれてる。

「MURAKAMI」は、日本よりアメリカで評価も人気も高い村上隆の大規模な回顧展。「UTAGAWA」は広重、豊国、国芳など十数人の歌川派の浮世絵展。

村上隆はニューヨークを拠点に活動してるし、浮世絵もいいものはほとんどこちらにあるから、アメリカならではの日本展と言えそうだ。

村上隆についてはその作品も、評価や批判についても関心が薄くて、ちゃんと見たことがなかった。なにしろ、若い女性がときどき持ってる白地にピンクや青のど派手なルイ・ヴィトンのバッグが村上隆のデザインになるものと、今回はじめて知ったくらいだから。

この展覧会はロサンゼルス現代美術館を皮切りにニューヨークからヨーロッパを巡回する回顧展だけに、彼の90年代から最近までの作品が網羅され、村上隆をよく知らないジジイにはうってつけだった。

平日の午後、若い人たちがグループでわいわい言いながら楽しんでる。普通の美術展とは違う雰囲気。まあ、美少女フィギュアにアニメにヴィトンのバッグと、モノがモノですから。

無責任な感想を言えば(もともと責任なんてないけど)、絵画的な作品には面白いのがあるし、現代のアートのあり方が戦略的に考えられてるし、ま、これはこれでいいんじゃないの。

さんざ言われてることだろうけど、村上が日本画から出発して、日本画の視線と技法でポップなアニメやマンガを再構成したことが彼のオリジナリティと言えばオリジナリティなんだろうな。

特に平面の作品ではそれが独特の「フラット」感をつくりだしてて、アニメふうな稲妻の線がUTAGAWA展の広重の波の線にダブって見えてくるあたり、同時開催ならではの面白さかも。大キャンバスに描かれた色とりどりのコスモスは、さしずめ現代の琳派といったところか。

もっとも村上の仕事は平面よりもフィギュア、立体、アニメーション、フィルム(実写)などのジャンルのほうが有名だし、量的にも多い。そうしたもののなかに、日本のサブカルチャーが大量に流れ込んでる。

マンガ(手塚治虫、水木しげる、ドラえもん)、アニメ(ジジイの私には特定できないけど)、ゲーム(これも特定できない)、フィギュアをはじめ、ファンシー・グッズ、ファミレスのコスチューム、NHKの幼児番組、CMなんかが村上流に変形されつつ引用されている。そこに「かわいい」、あるいは「エロ」い味付けがされてるところもキモでしょうね。

村上のキャラクターを1点1点見れば、ドラえもんはじめ引用元のほうがよくできてると思うけど、いま西洋人が日本の何に惹かれるのか、それをどう見せるか、マーケティングとプレゼンテーションが上手であることは確か。オリジナリティの塊というタイプではなく、工房の主宰者としてプロデューサー的、あるいは編集的才能を持ったアーチストなんだろう。

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毀誉褒貶が激しい村上隆だけど、しばらく前にネットで展開された彼に対する悪口は結局のところ、パクリじゃないかということと、商売上手だ、という2点に集約されるみたいだ。

それはその通りだと思うけど、短いながらニューヨークに滞在している者の感覚から言うと、同じことを別の視点から見ることもできるような気がする。

ウォーホールを引き合いに出すまでもなく、ポップアートは既成のモノやイメージを引用・変形することで成り立っているから、どこまでがパクリでどこからがオリジナルかは結局のところ線が引けない。

というより、オリジナルという考え方を疑うことからポップアートは始まっている。村上はウォーホール以来のポップアートの手法に忠実に従っているにすぎない(だから、村上が著作権侵害で裁判を起こしたのは、自らの方法を否定することになる茶番だね)。

私もそんなに詳しくないけど、アメリカの美術市場は周知のように巨大なマネーが動く。村上隆の制服ウェイトレスのフィギュアは5800万円で落札された。

村上隆の戦略的なところは、もともとオタク向け商品だったフィギュアやマンガ・アニメをアートにし(先日、フィラデルフィアで見たデュシャンの「泉」と同じ、文脈のつけかえですね)、アートとして認知されたものをもう一度商品に戻して自分の会社で大量生産・販売してることだろう。

美術市場で6000万の値がついても動く数はたかが知れてるけど、高価なものを少数売るより廉価で大量生産するほうが巨大なマネーを生むのは現代資本主義の道理。しかも、そういうシステムそのものが現代アートに対するパロディになっているという、アートと経済の両面で2度おいしい仕掛けがほどこされている。

ニューヨークに暮らして感ずるのは、論証抜きでいえば、ここは近未来の世界だ、ということかな。

ニューヨークはアメリカではない、と言われる。この町には合法非合法の移民が世界中から集まり、あらゆる人種・民族が混交して(融合ではなく)暮らしている。しかも年収2000億円、3000億円のファンド・マネジャーら超富裕層から、最低賃金以下で働く非合法移民、ホームレスまで、あらゆる階層がいる露骨な階級社会だ。

彼らはみな、マルクスが分析した19世紀に一回りして帰ってきたかと思われるような、裸の、残酷な資本主義のなかで生きている。政府による所得再分配・平等化などという思想は20世紀の遺物にすぎない。富む者は際限なく富み、貧しい者はとことん貧しい(最近の調査によると、ニューヨーク州は全米で最も貧富の差が激しい州で、なかでもニューヨーク市は、市民の上位1%の超富裕層が市民の全所得の37%を独占している)。

アートもまた、そのなかに組み込まれている。村上隆はそのシステムのなかで活動し、評価され、マネーを生んでいる。

そう考えると、村上隆批判は、村上個人というより現在のアートが置かれた状況そのものに対する反発に根ざしているようにも見える。村上はたまたまそのシステムのなかの最も有名な(あるいはただ一人の)日本人であるにすぎない。

そしてその反発の裏には、芸術はあくまで個人のオリジナリティによってつくられるものであるという信仰、芸術を金に換えるのは間違っているという信仰があるようにも見える。

いや、私は、近未来には世界がニューヨーク化する、そういう世界がいいと言ってるんじゃない。逆に、ジジイとしてそういう世界からできる限り遠く離れて暮らしたいと思ってる。でも日本を含めて、これからの世界は間違いなく「ニューヨーク化」し、いっそう酷い社会がやってくるだろう。

この町に暮らしていると、「近未来の世界」での日本の存在感は例えば中国や韓国より薄いように感ずる。そんな世界で評価されマネーを生んでいる日本人アーチストがいるのを、それだけで批判する気にはなれない。むしろ、村上なんか二流だと言わせてしまう、もっとすごいアーチストが出てきてほしい。

その一方で、もちろんマネーゲームに背を向けた芸術家もいてほしい。要するに、色んな価値観と手法を持った色んなアーチストの色んな作品を楽しみたい。

そんなことを感じたのは、日本を離れた人間が往々そうなるようにナショナリストになったのか、それとも還暦を過ぎてあらゆることに寛容になってきたのか。自分でもよく分からない。

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