ブルックリンご近所探索・23
14階にある私のアパートからは、ブルックリンとスタッテン島を結ぶヴェラザノ・ナロウズ橋が彼方に小さく見える。夜は緑色にライトアップされる橋の上空を、JFK空港に向かって高度を下げてゆく航空機の灯が闇を横切ってゆくのを眺めるのは、なんとも心の休まる時間だ。
この橋のあるベイ・リッジ地区に、いつか行こうと思いながらなかなか果たせなかった。
土曜の午後、地下鉄Rラインの終点ベイ・リッジ駅を降りて地上へ出ると、毎日遠くにながめる橋が目の前に迫っている。おお!
ニューヨーク湾が細くくびれた海峡(ナロウズ)にかかるヴェラザノ・ナロウズ橋は1964年に完成した。
ブルックリン橋やマンハッタン橋と同じ構造の吊り橋で、長さは1300メートル。もっとも、橋脚が石造のブルックリン橋や装飾された鉄骨で組まれたマンハッタン橋のように、19世紀末~20世紀初頭につくられた橋の古典的美しさはない。鋼鉄の板を張った、どちらかといえば機能的な美を感じさせる。
この橋は、ニューヨークの都市計画を仕切ったロバート・モーゼズによって計画された。モーゼズはニューヨーク市内と周辺にフリーウェイをはり巡らせ、郊外に住んでマンハッタンで働く、車社会の「都市-郊外」型生活様式をこの街で実現させた男。その一方、地下鉄など大衆の足にはほとんど投資せず、だからニューヨークの地下鉄のインフラは今もって100年前と大して変わらない。
またモーゼズはマンハッタンのスラム再開発を積極的に推し進め、その度に貧困層は郊外へ、郊外へと追いやられた。いま問題になっている「ジェントリフィケーション(高級化)」もその延長線上にある。
フリーウェイやナロウズ橋の建設でも、多くの住民が立ち退きを迫られた。ナロウズ橋の建設を、追いやられた住民と、建設をになった橋梁労働者の双方の視点から克明に描いたのがゲイ・タリーズのノンフィクション『ブリッジ』で、これについては拙ブログで触れたことがある。
海岸には遊歩道が巡らされ、公園になっている。前日までの寒の戻りから一転して暖かくなり、家族連れが土曜の午後を楽しんでいた。
ベイ・リッジは19世紀から20世紀初頭にかけて、ノルウェーやデンマーク系の船員が住みはじめた。この家は20世紀初めに建てられ、当時は海が見えたバルコニーから、船で旅発つ夫に妻が別れを告げたという「伝説」があるらしい。
その後、ベイ・リッジにはアイルランド系やイタリア系が多く住むようになった。近年はロシア系、中国系、ギリシャ系、アラブ系などいろいろな民族が流入し、それぞれにコミュニティをつくっている。 多国籍のエスニック・レストランが並ぶアベニューから一歩脇道に入ると、閑静な住宅街が広がっている。
モロッコ料理レストラン「メゾン・ド・クスクス」のミント・ティー。歩き疲れた体に、ミントの香りとほんのりした甘さが心地よい。ラム肉をレモンやオリーブで煮込んだタジーン・ベルベルも美味でした。
| 固定リンク
「ブルックリンご近所探索」カテゴリの記事
- ブルックリンご近所探索・25(2008.07.09)
- ブルックリンご近所探索・24(2008.07.03)
- ブルックリンご近所探索・23(2008.05.26)
- ブルックリンご近所探索・22(2008.05.20)
- ブルックリンご近所探索・21(2008.04.10)
コメント