フィラデルフィアの旅・2
フィラデルフィアは17世紀にクエーカー教徒によって開かれた。東をデラウェア川、西をスクールキル川に囲まれた港町で、植民地最大の貿易・通商の中心地として栄えた。独立後の10年間は合衆国最初の首都でもあった。
デラウェア河畔にはフリーウェイが走り、市街地と川は切り離されている。海運が主役でなくなった時代の港町はちょっと寂しいね。フリーウェイを越えて河畔に出ると、そこは公園になっている。桟橋が何本か見えるし、対岸へのフェリーもあるから、港町としての機能と風景がまったく失われたわけではなさそうだ。
歴史公園地区に戻り、そこから南へ少し歩くとセント・ピーターズ・チャーチがある。
1793年、先住民の土地を奪って開拓を進める白人に抵抗していた先住民のリーダーたちが、ジョージ・ワシントン大統領に招かれて和平会議のためフィラデルフィアを訪れた。白人と初めて接触した彼らは次々に天然痘にかかり、そのうち8人が死んだ。ここには彼らが埋葬されているが、どれが8人の墓かは分かっていない。
このときの会議では何の合意も得られず、翌年、フォールン・ティンバースの戦いで先住民は大敗北を喫する。
教会からさらに南へ少し歩くとサウス・ストリートがある。マンハッタンならイースト・ヴィレッジ、東京なら渋谷のセンター街といった感じの若者の街。ヴィレッジやセンター街より小規模だけど、歩いていると、ウィンドーや看板にちょっと泥臭い面白さを感じる。
フィラデルフィア名物、チーズ・ステーキ(通称フィリーズ)の有名店、ジムズ・ステーキもここにある。
チーズを塗ったパンにはさまれたたっぷりの肉が売りものだけど、老年の身にはちょっと多すぎ(写真は半分)。トッピングで玉ねぎやピーマンを乗せることもできる。普段は飲むことはないけど、こういうアメリカン・フードにはやっぱりコーラが合う。
ホテル近くのリッテンハウス・スクエアの夕闇。
フィラデルフィアの路上を歩いていて、なにかニューヨークと違うなあと感じていた。それは何だろうと考えていて、つまりは白人が多く、ヒスパニックとアジア系が少ないんだなと気づいた。
もし100人の人間がいれば、ニューヨークならその内訳は白人35人、アフリカ系30人、ヒスパニック20人、アジア系15人といったところだろうか。僕の住むブルックリンなら白人とアフリカ系の割合が逆転する。ところがここでは、白人50人、アフリカ系30人、ヒスパニックとアジア系がそれぞれ10人といった感じ。
もちろん大雑把な印象だし、観光客も白人が多いみたいだから、そのせいもあるかもしれない。中心部をちょっと北に歩けば、フィラデルフィアにも小さいながらチャイナ・タウンがあって、そこへ行けばアジア系がぐっと多くなる。でも1日歩いての印象では、ここは白人とアフリカ系の町、つまりもともとのアメリカの町なんだなと思える。
というより、世界中から合法非合法の移民が集まっているニューヨークが特殊なんだろう。「ニューヨークはアメリカではない」と言われるくらいだから。
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コメント
本場フィリーズですね!NYで通ってたカレッジの前にもランチ時になるフィリーズのベンダーでよく出ていました。
私は当然野菜もたっぷり入れてもらっていました。薄切り肉とはいえお肉だけだとかなりキツいので。
投稿: yucca | 2008年4月17日 (木) 03時51分
確かに肉だけだと日本人にはつらいですね。僕も翌日は(笑)野菜をトッピングしました。
夜は北イタリア料理の店で、ワインのつまみにクリームチーズをスモークサーモンで巻いたものを食べましたが、これがスシになったのがフィラデルフィア・ロールなんですね。
投稿: 雄 | 2008年4月17日 (木) 07時23分