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2008年4月18日 (金)

フィラデルフィアの旅・4

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1泊2日の旅でフィラデルフィア美術館に行く、しかもニューヨークへ戻る列車の出発まであと5時間というところで行こうとするのは無謀というほかない。なにせここの所蔵品は30万点。メトロポリタン美術館、ボストン美術館と並んで質量ともに世界の5本指に入る美術館なんだから。

しかも美術館にやってきたらメキシコの画家フリーダ・カーロの特別展をやっていて、心惹かれたけれど、日曜の午後で長い列ができており、1時間待ちと聞いてあきらめた。

で、この1点だけ見よう、と決めていたものがある。

ここへ来なければ絶対に見られないもの。マルセル・デュシャンの「(1)落下する水、(2)照明用ガス、が与えられたとせよ」。この長く奇妙なタイトルの作品はデュシャンの遺作で、美術館の1部屋に恒久展示されている。部屋そのものが作品の一部になっているから、どうしたって動かせない。

ここのデュシャン・コレクションは世界一と言われている。

男性用便器に署名して展覧会に出品した、あの有名な「泉」とか、スキャンダラスな「(1)落下する水…」とか、ごく断片的にしかデュシャンを知らなかったけれど、ここでは彼の主な作品がほとんど展示されていて、その全貌を知ることができる。

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(これが「泉」。オリジナルは失われ、デュシャン公認の複製。ある雑誌の特集で「20世紀を動かした芸術」の第1位に選ばれた)

セザンヌばりの絵を描いていた初期からキュビスムの抽象画へ。さらに絵画を捨ててガラスを用いた「大ガラス」から、「泉」のように既成品を使った「レディメイド」へ。そして死後の発表の仕方まで計算して密かに制作されていた遺作。

印象派(?)からポップアート(?)まで、20世紀前半を駆け抜けた半生(後半生はほとんど制作活動をしていない)の、作風が変化してゆく速度がすさまじい。

その「泉」のそばに、「(1)落下する水、(2)照明用ガス、が与えられたとせよ」の入口があった。

薄暗い小部屋。その奥に古めかしい木製の扉(これも既成品)がある。扉の、ちょうど人の目の高さに小さな穴が2つあいている。作品は、そこから覗き見することになっている。その風景がこれ。

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うーむ。

僕もこれまで写真でしか見たことがないので分からなかったけれど、背後の風景以外は絵画ではなく、立体。いわば立体的な覗きからくりみたいなもの。

「落下する水」とは右奥に見える滝のことらしい。この滝に、温泉地のチープな土産品みたいにちらちらと電飾が点滅している。「照明用ガス」とは裸の女性が手に持っているガス灯で、これも本当に灯りがついている。この2つが「与えられたとせよ」とは? 

うーむ。

それにしてもこの女性は生きているのか死んでいるのか。手にガス灯を持ってるんだから生きていて、覗き見されてることを承知であられもない姿態で挑発してる図、なんだろうけど、上半身は少し青みがかって、まるで死体のようにも見える。

なんだかエロチックな犯罪現場を覗き見してどきどきしている小学生みたいな気分になってくる。江戸川乱歩や初期の谷崎潤一郎を読んでるときの妖しさにも通ずる。

デビッド・リンチの『ツイン・ピークス』も、滝本誠が指摘してたけど、ラッピングされた美しい死体と絵のような自然の組み合わせは、明らかにここからインスピレーションを得ている。

リンチだけでなく、小説や映画の快楽殺人・猟奇殺人もののあらゆるヴィジュアルの源泉もここにあるのかもしれない。

でも、僕がこうしてこんなことを書けるのも、フィラデルフィア美術館に芸術作品として置かれているからで、もしこれが温泉地の「秘宝館」に置かれていたら(そうされてもちっとも不思議じゃない)、とてもこうは書けないだろう。

文脈によって芸術としてでも見世物としてでも語れるという意味では、「泉」と同じなんだろうね。

それは一方では、アートの根っこにセックスを含めた人間の世俗的な欲望や黒々とした感情が横たわっているというメッセージかもしれないし、他方では、便器がそれが置かれる文脈で実用品になったり芸術になったりするように、人間の認識や価値判断のいいかげんさを、デュシャンは周到に考え抜いた「遺作」で挑発し、かつ笑ってるのかもしれないな。

                 ☆

歩きまわった2日間。「合衆国誕生の地」に始まり、色んなことを考えさせられた刑務所、そしてマルセル・デュシャンまで、フィラデルフィアは想像以上に奥深い街でした。

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コメント

Duchamp の"Fountain" は、カレッジの美術史の課題にも出たので、苦労して書いた記憶が蘇りました。Da daでしたよね。
でも、"Fountain" を日本語で「泉」と訳しているのは知りませんでした。ちょっと誤訳のように感じますね〜
彼の意図からしたら日本語訳はやはり「噴水」のほうが断然しっくりきます。

投稿: yucca | 2008年4月19日 (土) 10時11分

確かに”Fountain"は「泉」より「噴水」のほうが適切ですね。最初に「泉」と訳した人は「噴水」では身も蓋もなく芸術にふさわしくない(?)とでも考えたのか、ちょっと上品に訳しすぎましたね。デュシャンの意図が分からなかったのか、分かろうとしなかったのか。

投稿: | 2008年4月19日 (土) 11時45分

デュシャンはラカニストなのか…

頭がいい人は見て
気持ちいいかもしれないが、
デュシャンの作品成立させる手口は、
醜い、と思う。
こんなものに、限られた時間を
使う人の気が知れない。

投稿: ヤス | 2009年1月20日 (火) 17時26分

確かに彼の手口は「醜い」ものです。それを意識的に、挑発的にやっているところが、一筋縄ではいかないところですが。

投稿: | 2009年1月23日 (金) 23時54分

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