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2008年4月

2008年4月29日 (火)

『ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン(The Flight of the Red Balloon)』

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ニューヨーク・タイムズweb版の映画ページに、プロの評論家による映画評と並んで読者による投稿と採点欄がある。ときにプロの評価とまったく違う意見が載ったりするのが面白くて、ときどき覗いてみる。

ホウ・シャオシェン監督がフランスで撮影した『ザ・フライト・オブ・ザ・レッド・バルーン』(邦題『ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン』)の読者採点欄が興味深い。27人が投稿しているけれど(4月27日現在)、そのうち16人が最低評価の1点をつけている。その一方、6人が最高点の5点をつけ、4人が4点をつけている。

つまり投稿した読者の3分の2近くが最低評価をし、一方、3分の1以上が4点以上の高評価をしている。それ以外の中間的な評価をしているのは27人中わずか1人。これほど見事に評価が分かれる映画も珍しいんじゃないかな。

「退屈の極み」という読者評の隣に「傑作」という評が載っている(ちなみにプロによる映画評は、「この映画を感動的にしているのはストーリーではなく語り口である」と、かなりの高評価)。

実のところ僕は、ホウ・シャオシェンの映画がアメリカの観客にすんなり受け入れられるとは思っていなかった。だからプロはともかく、普通の映画ファンのなかに彼を評価する人がけっこう(27人中10人も)いることにちょっと驚いたのだ。

というのは、アメリカのマニアックな映画ファンは、時に数分に及ぶ長いショットをつないでゆったり語るホウ・シャオシェンやアッバス・キアロスタミのような寡黙なタイプより、タランティーノのように物語を過剰に加速させる饒舌な映画を好むんじゃないか、という思いこみがあったから。

ハリウッド映画を基準にすれば、『ザ・フライト・オブ・ザ・レッド・バルーン』を「退屈の極み」と感ずるのは、まあそうだろうなと思う。なにしろこの映画では、事件らしい事件はまったく起こらない。ひとつのエピソードが次のエピソードを生んでゆく因果関係によるストーリー展開も、あってないようなもの。

と書いてくれば、ホウ・シャオシェンのファンなら、ああ、あの感じだな、と想像つくだろう。一言で言えば『珈琲時光』のパリ・バージョン、というのが僕の印象。ただ、完成度は一段とアップしている。

パリのオルセー美術館が製作したこの作品は、1956年につくられたフランスの短編映画『赤い風船』のリメークということになっている。僕は元の映画を見てないので比較できないけれど、風船と少年が交流する話という大枠が共通している以外、登場人物や設定はホウ・シャオシェンのオリジナルといってよさそうだ。

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バスティーユ広場の地下鉄の入口で、少年が街路樹に引っかかっている赤い風船を見つけ、「こっちへおいで」と呼びかけている。長いワンカットで、カメラは視線を上下させながら少年と風船を追う。

風船と少年が他人には分らない特別の親密さで結ばれていることを最初のショットで見る者に分からせてしまう、見事なシーン。同時に、少年の仕草とせりふの自然さから、そうだホウ・シャオシェンは子供を演出する名手だったと思い出す。

さらに次のショットで電車に乗る少年が写し出されて、そういえばホウ・シャオシェンは列車も大好きだったなあ。『珈琲時光』なんか、鉄道が主役といってもいいくらいの作品だった。

主な登場人物は3人。

主人公の少年シモン(シモン・イテアニュ)と、離婚して少年を独りで育てている母スザンヌ(ジュリエット・ビノシュ)。人形劇の作家として多忙なスザンヌの代わりに少年のシッターとして雇われた台湾人留学生ソン(ソン・ファン)。ソンは映画を学んでいて、どこへ行くにもビデオ・カメラを持ち、赤い風船についての映画をつくろうとしている。

カメラは3人の日常を追ってゆく。

パリの裏町を歩き、カフェでゲームに興ずるシモンとソン(街路の音が見事に拾われている)。常に忙しく動き回り、時にいらいらし、アパート代を払おうとしない下宿人と口論するスザンヌ。家のなかでは、シモンがピアノを練習したり、ソンがパソコンをいじったり、下宿人がキッチンで料理したりしている(鏡やガラスが効果的に使われているのも印象に残る)。

そういう3人の日常が、ただひたすら見つめられている。普通の映画は、一つの出来事が次の出来事を引き起こしてゆくといった具合に、因果関係の連鎖で効率的に物語を進めてゆく。あるいは、観客を退屈させないよう無駄な描写をはぶいて、モンタージュによって時間を凝縮(時には人の一生を2時間に)してゆく。

この映画では、そういうことが一切ない。映画のなかで流れている時間が、僕たちが普段経験している日常の時間に限りなく近い。そういう時間の流れは、ただ日常をそのまま撮ればフィルムに写るというものではない。それでは素人のビデオと変わらない。優れた写真家が空気をフィルムに写すことができるように、そういう時間の流れは高度な演出力があって初めてフィルムに記録することができる。

それを意識的につくろうとしたのが『珈琲時光』だと思うけれど、『ザ・フライト・オブ・ザ・レッド・バルーン』では、それが更に徹底されている。だからこそ、この映画が『珈琲時光』のパリ・バージョンと感じたんだろう。

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ホウ・シャオシェンは、僕の独断では「思い」の作家だと思う。長いショットで人や風景をじっと見つめるなかで、例えば主人公の「思い」、主人公を見つめるホウ・シャオシェンの「思い」、主人公を見つめる観客の「思い」、そういうさまざまな「思い」が引き出されたとき、その「思い」の深さに僕たちは心を動かされる。

ちょっと脇道にそれてみる。

ホウ・シャオシェンやエドワード・ヤンら80年代「台湾ニューウェーブ」の生みの親と言われる年長の人物がいる。1980年のホウのデビュー作『ステキな彼女』からこの作品まで、すべてのホウ作品で編集を担当しているリャオ・チンソンだ。

彼がホウ・シャオシェンについて語ったインタビューのなかで、青春歌謡映画の監督としてキャリアをスタートさせたホウが作風を変えるきっかけになったのはゴダールを見たことだ、と語っている(多分、リャオ自身がホウにゴダールを見せたんだろう)。

リャオが言うところでは、ホウがゴダールから学んだのは、カットとカットのつなぎは別に絵柄や物語がつながっていなくてもよい、ただ感情がつながっていればいいのだ、ということだった。果たしてゴダールのカットのつなぎが本当にそうなっているのかは問題じゃない。ホウ・シャオシェンがゴダールをそのように理解したことが重要だ。

そこからホウ・シャオシェンは自分のスタイルをつくっていった、と僕は思う。彼を「思い」の作家だと考えるのも、そこに関係してる。ホウは絵柄や物語よりも感情=「思い」をこそ描きだそうとしている。人や風景をじっと見つめるなかで、「思い」が湧きあがってくる瞬間をこそフィルムに写そうとしている。

そういう彼独自のスタイルと、エンタテインメント映画の監督として習得した既成の文法がうまく調和したのが『童年往事』『恋恋風塵』『悲情城市』など80年代の傑作群だったろう。

以後、ホウ・シャオシェンは自分のスタイルを純化させる方向で映画をつくってきた。その結果、90年代以後のホウ・シャオシェンは大きな観客動員ができなくなり、内容的にも失敗作と言われることが多くなった(『憂鬱な楽園』や『フラワーズ・オブ・シャンハイ』など素晴らしいと思うけど)。

そんなふうに自分のスタイルを純化させてきた極北の形が、『珈琲時光』とこの作品で少し見えてきたと感ずるのは僕だけだろうか。

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赤い風船がたゆたうパリの裏町も美しいけれど、『ザ・フライト・オブ・レッド・バルーン』でいちばん印象に残るのは長い長い室内ショットだ。

狭いアパルトマンにドアや窓から光が差し込んでいる。部屋の中央にテーブル、右には小型ピアノが置かれ、左は書棚に本や資料がびっしり積まれている。床にも資料が散乱している。壁にかけられた赤いバックとカーテンの赤が目に鮮やか(「赤」は無論この映画のキーワード)。

物と色が氾濫する室内。画面右では、やってきた調律師がキーを叩きながらピアノを調律している。サイモンがピアノを弾いている。スザンヌが帰ってくるなり携帯電話で話しはじめ、やがて怒ってどなりだす。ソンは、なす術もなくうろうろしている(あまりに長いワンカットなので、正確に覚えてないけど)。

そんなふうに登場人物が画面を出たり入ったりするのを、カメラは右に揺れ左に揺れたりしながら見つめている。彼らは互いに会話するわけではなく、彼らの行動が次の物語の展開につながるわけでもない。それを、カメラはただ見つめている。そこからサイモン、スザンヌ、ソン、それぞれの「思い」がじわっと浮かび上がってくる。ああ、これがホウ・シャオシェンだな、と思う瞬間だ。

前作『百年恋歌』のビリヤード場のシーンでも、手前に無関係なビリヤード客を大きく映しこみながら画面奥で主人公の男女が出会う瞬間を遠くから捉える、長く素晴らしいショットがあった。『珈琲時光』でも、主人公たちがお茶の水駅で電車が交錯する音を録音しながらじっと佇んでいる長いショットがあった。

主人公がクローズアップされることは決してない。少し遠くから見詰めるカメラが映し出す、主人公と無関係に動いている風景。そのなかから、彼らの「思い」がじわりと湧きあがってくる。こういうのが、今、ホウ・シャオシェンがいちばん撮りたいショットだという気がする。

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最初の話に戻れば、ニューヨーク・タイムズで最低点の1点をつけた多数派の観客の気持ちが全然分からないかといえば、そうでもない。

ホウ・シャオシェンが自分のスタイルを純化した極北の形が見えてきたといっても、1本の映画として、例えば『童年往事』や『悲情城市』の(その時点での)完成度にはまだ至っていないように思う。

しかも物語的な面白さやスピード感、モンタージュの刺激を排しているわけだから、ホウが撮ろうとしている「思い」が感じられなければ、「退屈の極み」と言いたくなるのはその通りだろう。

僕自身も、ホウ・シャオシェンのスタイルの極北を見たいと思う一方で、作家的意欲と職人的巧みさがうまくバランスされた『風櫃の少年』や『恋恋風塵』のような甘やかな作品を、もう一度見たいとも思う。前作の『百年恋歌』でそんな時代の気配が少しだけ蘇っただけに、余計そう感ずるんだろう。

どっちも頼むよ、ホウ・シャオシェン!

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2008年4月28日 (月)

土曜の午後はヴィレッジで

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土曜の午後をヴィレッジで過ごす。

アパート近くのジェイ・ストリート駅から地下鉄Aラインに乗り、ウェスト・ヴィレッジの映画館IFC(International Film Center)へ行く。

ここはマイナー系の映画をやっている、日本でいえば単館ロードショーの劇場。館内は清潔でスクリーンも見やすく、好きな映画館のひとつだ。見たのは、台湾のホウ・シャオシエン監督がフランスで撮った新作『フライト・オブ・ザ・レッド・バルーン』。

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映画に満足してワシントン・スクエア・パークを横切りイースト・ヴィレッジのほうへ行くと、ユニバーシティ・プレイスでフリーマーケットをやっていた。あちこち覗きながら、ぶらぶら歩き。

古レコード、CDの店があるとつい足が止まる。ジョー・ヘンダーソンがウィントン・ケリー・トリオと共演した「FOUR」を見つけて買う(帰ってさっそく聞くと、ヘンダーソンはごりごり吹きまくり、ケリー・トリオは軽快にスイングしてご機嫌でした)。

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地下鉄アストール・プレイス駅の出口で3人のストリート・ミュージシャンが演奏していたので、またしても足が止まる。ユニオン・スクエア駅と並んで、ここはいつも腕の立つストリート・ミュージシャンが演奏してる。この日のアフリカ系トリオもファンク・ジャズをやって、なかなか聞かせる。

もらったチラシを後で見たら、ドラムスはドゥエイン・”ライトフット”・パーデューという名前で、マーカス・ミラー、スティービー・ワンダー、チャカ・カーンなど錚々たるメンバーと共演したことのあるミュージシャンだった。

少し疲れたので、行きつけのカフェ「pane e cioccolato」へ。

ここではいつもカプチーノなので、頼む前からウェイターが「カプチーノか?」と聞いてくる。カプチーノとミックス・ベリー・タルトを注文し、映画のチラシと買ったCDのライナーノーツを読みながら、ひと休み。アメリカのケーキは大きすぎ甘すぎるものが多いけど、ここのは大きさも甘さも適当で気に入っている。

映画 $8.5(シニア料金)

CD $7

ストリート・ミュージシャン $1(寄付)

カフェ $11(チップ込み)

計$27.5。僕の1カ月の生活費からすると、ちょっと贅沢な土曜の午後でした。

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2008年4月27日 (日)

スタテン島を散歩

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スタテン島へ行ってみたかったんだけど、冬のあいだはなかなか足が向かなかった。すっかり暖かくなったので、マンハッタン南端のバッテリー・パークから市が運営する無料のフェリーに乗る。

自由の女神像のあるリバティ島のそばを通るときは、デッキで記念写真を撮る人も多い。それに見向きもせず室内で新聞を読んだりおしゃべりに夢中なのは、毎日このフェリーを利用してなんの感慨もない人たちだろう。

上の写真でフェリーの向こうに見えるのは、ブルックリンとスタテン島を結ぶヴェラザノ・ナロウズ橋。僕のアパートの窓から、夜になると緑にライトアップされたこの橋が遙かに見える。

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スタテン島はニューヨークを構成する5つの区のひとつ。でも、フェリー・ターミナルからバスに乗って町を走っていると、とても大都会、それもニューヨークとは思えない。丘陵がつづき、緑が多い。高い建物はほとんどなく、アフリカ系が多いダウンタウンを過ぎると、あとは郊外の瀟洒な1軒家が広がっている。

バスに30分ほど乗ったところに、ヒストリック・リッチモンド・タウンがある。19世紀から20世紀初頭にかけての裁判所や民家が保存されている公園。もっとも、周辺で今も使われている建物も似たような木造家屋が多いから、どこまでが公園でどこからが町なのか、すぐには区別がつかない。

上の写真はエドワーズ=バートン邸。豊かな一家だったんだろう、大きな館。

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小川の脇に立つバスケット製造業者の家。

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大工の家。

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ブリキ加工品店の内部。

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印刷屋の活字棚。

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スタテン島がこんなのどかな雰囲気を残しているのも、フェリー(人だけ。車は載せられない)でしかマンハッタンと結ばれていないからだろう。歩道をゆったり歩いている人たちの表情を見ていると、住民もそれを良しとしているように思える。

これが日本だったら、本州と四国の間に橋を架けてしまうくらいだから、それよりずっと短いスタテン島とマンハッタンの間に橋を架けるなりトンネルを掘るなりしてしまうだろう。その結果、便利にはなるけれど、ニューヨークの一角にこんな田舎町の風情が残っているという信じられない光景は、あっという間に消えてしまうに違いない。

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ヒストリック・リッチモンド・タウンから10分ほど歩いた丘陵の上、斜面に沿った高級住宅街のなかにジャック・マーシェ・チベット美術館がある。

20世紀前半にマンハッタンに住んだジャック・マーシェという裕福な女性が、チベットの仏教美術に心酔して集めたコレクション。チベット以外では最大規模らしいけれど、チベット寺院の1室を模してつくられたささやかな美術館で、展示されているのは仏像を中心に仏典、仏具、陶磁器、家具、書籍など。

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ヴァジュラパニ(金剛力士、左)とシクロ(平和相や憤怒相など様々な相の仏のひとつ、らしい)。ほかに釈迦像や観音像、明王・明妃の交合像などがある。

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ダライ・ラマの写真も飾ってあったけれど、最近のチベット問題に関しては何のメッセージもなかった。ご当人が亡くなった後は、その精神を引き継ぐ人もなく、世俗から切り離され美術品としてのみ管理されているということか。

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スタテン島の夕暮れ。

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マンハッタンの港から見たブルックリン。

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2008年4月25日 (金)

『ホェア・イン・ザ・ワールド・イズ・オサマ・ビン・ラディン?(Where in the World Is Osama Bin Laden?)』

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僕は見てないんだけど、ビッグ・マックを30日間食べつづけて話題になったドキュメンタリー『スーパーサイズ・ミー』をつくったモーガン・スパーロックの新作。前作と同じようにスパーロック監督自身が「主役」で、「オサマ・ビン・ラディンはどこにいるんだろう?」と人々に質問しながらイスラム諸国を駆けまわる。

もっとも「アラビアのロレンス」と「地獄の黙示録」を掛けあわせたみたいなポスターを見ても分かるように正統派のドキュメンタリーではなく、映画全体がゲーム仕立てになっている。

ビン・ラディンがアニメの悪役キャラクターになって登場する。モロッコ、イスラエル、サウジアラビア、アフガニスタン、パキスタンなど、訪れる国ごとにチャプターに分けられ、チャプターが進むごとに、監督がビン・ラディンに少しずつ迫ってゆく(ほんとか?)仕掛け。

スパーロック監督はまずエジプトを訪れ、市場の人々に「オサマ・ビン・ラディンはどこにいるんだろう?」と尋ねる。もちろん誰も答えられないのは分かりきっている。いわば話のきっかけみたいなもの。

誰とでも仲良くなれるのは監督のパーソナリティなんだろう、話がはずんで、自宅に招かれ食事をふるまわれたりする。家族とも話をする。

そこから分かってくるのは、イスラム諸国の人々が何を考え、どんな暮らしをしているのか、どんな悩みを抱えているのかといったこと。貧しさや子供の教育といった身近な問題から、自分の国の政治の問題、アメリカに対する感情まで、いろんな国のいろんな人々の生の声が聞こえてくる。

イスラムの人々だけでなく、アフガニスタンでは米軍の対タリバーン作戦に同行して、現場の米軍兵士たちの声も拾い上げている(ブッシュ政権をからかっているとも取れるこの映画の取材をちゃんと受け入れ、実際の作戦にまで同行させるあたり、さすがアメリカは懐が深い。すぐ国益だの何だの言いだす国とは違います)。

もっとも、監督がインタビューを拒否される場面もある。ひとつはイスラエルで、黒づくめの厳格な服装をしたユダヤ教徒に話を聞こうとして。もうひとつは、独裁的な王政で知られるサウジアラビアの学校で、教師同席のもとに学生に話を聞く場面。

インタビューを拒否されることは、多かれ少なかれどの国でもあったと思うけど、イスラエルとサウジアラビア、ともにアメリカと親密な国での出来事が選ばれているのは偶然か、意図的なものか(まあ、意図的でしょうね)。結果として、スパーロック監督のイスラム諸国に暮らす普通の人々への親近感が浮き彫りにされてくる。

そこらへんから、このドキュメンタリーの狙いが見えてこないだろうか。

相手は「テロリスト」と決めつけて軍隊を送って戦争をしながら、そこで暮らしている人の姿を見ようとしないアメリカ人(一部を除いて、アメリカ人が外国事情に無知なのは驚くほど)に向けて、自分たちが戦争してる国、あるいは「テロリスト」の巣窟と思ってる国に暮らしているのはこういう人たちなんだよ、というメッセージ。

それをきっちりしたドキュメンタリーでなく、ゲーム仕立てで面白おかしくやってみせたのがいかにもアメリカの作品だね。もっとも見かけにかかわらず、中身はけっこう啓蒙的な映画。それもアメリカの平均的国民に向けたものだろうから、アメリカに比べればまだイスラムの情報が入ってきている日本の観客にとってはちょっと物足りないかも。

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2008年4月23日 (水)

ヒラリーvsオバマはまだ続く

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4月22日。大統領選、民主党のペンシルバニア予備選挙。開票が始まって10分、開票率7%の時点でCNNはヒラリー・クリントンがオバマに勝ったと報じた。

大都市のフィラデルフィアはオバマが押さえたけれど、もうひとつの中心都市ピックバーグと都市周辺の工業地域、農村ではクリントンが優勢だ。

ペンシルバニアといえば映画『ディアハンター』の舞台になったところ。ロバート・デ・ニーロら5人の男たちが工場勤めだったことからも分かるように、製鋼業が盛んな地域だった。そうした重工業は1970年代に衰退し、長く低迷がつづいたが、最近はIT産業やサービス産業で経済は持ち直したと言われている。

CNNの調査によれば、工業地域は経済問題を中心にキャンペーンを展開したクリントンがほぼ押さえている。やはり、サブプライム問題をきっかけにした経済の失速がクリントンに有利に働いたんだろうか。

ペンシルバニアの経済は他州に比べ悪くないとはいえ、重工業衰退の傷跡はまだ癒えていないように見える。先週、フィラデルフィアに行ったけれど、列車のなかから見た北フィラデルフィアの風景が忘れられない。

北フィラデルフィアは工業地域で、閉鎖されたまま放置されている工場がそこここに残っている。その周辺を労働者階級の小さな住宅が取り囲んでいるけれど、人影は少なく、ところどころ歯抜けのように空地があって、ゴミが散乱している。店はほとんど開いていない。CNNの調査では、こういう町の住民は今回、クリントンを支持した。

結果が出て、ヒラリーとオバマがそれぞれの支持者を前に演説した。ヒラリーはこれまでの予備選のなかでいちばんリラックスしているように見えた。気になった表情の剣も消えている。オバマの演説はいよいよ熱が入り、素晴らしい演説だったけれど、不況とか石油価格の高騰とか身近なテーマが問題になってくると、その理想主義が逆に浮いているように感じたのは僕だけだろうか。

先日、話をしたニューヨーカー(50代男性、白人)は、「私はオバマ支持だけど、オバマが民主党の候補になれば、マケインが勝つだろうね」と言っていた。アフリカ系ということと、政策的実績に乏しいことで、全米では不安を持つ層がまだまだ多いんじゃないか、というのだ。

今日はヒラリーが勝ったとはいえ、獲得した代議員の数ではオバマが有利なことに変わりはない。本当に民主党の予備選は8月までもつれこむんだろうか。

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2008年4月21日 (月)

はじめてのMac

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Macといってもパソコンじゃなく、ハンバーガーのほう。ニューヨークにきて、はじめてマクドナルドに入った。

日曜の午後、思い立って近くのBAM(Brooklyn Acedemy of Music)に映画を見にいくことにしたのだが、ちゃんとした昼食を取る時間がない。そこで途中でダウンタウンのMacに寄って手早くすませてしまおうと思ったのだ。

今回の滞在では体調のこともあり、できるだけ食事は自炊することにして、とりわけジャンク・フードは避けてきた。Macだけじゃなく、バーガー・キングにもケンタッキーもまだ行ったことがない。

Macのハンバーガーが嫌いかと言われれば、そういうことでもない。日本ではたまに食べていたし(フレッシュネス・バーガーに行くことが多かったけど)、正統派のチーズバーガーなど温かければそれなりにおいしいと思える。

ダウンタウンのMacは、通りがかりに外から見るといつもアフリカ系の客でいっぱいだ。今日も子供連れの家族、若いカップル、独り客の老人と若い男。アフリカ系以外では、ヒスパニックの老夫婦が一組と、ジーンズとTシャツの間から、腰いっぱいに蝶のタトゥーが覗いているアジア系の女性がいるだけ。白人は一人もいない。

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窓際に座ってチーズバーガーを食べていると、だぶだぶのTシャツを着て太ったアフリカ系の若い男が、「Change」と声をかけてきた。

顔を上げると、左手に7、8枚のペニー(1セント)を握っている。両替してくれってことか、それにしては1、2枚足らないみたいだなと思いながらダイム(10セント)を渡すと、「Thank You」と言ったきり、こちらにペニーを渡す仕草を一向に見せない。

その瞬間に思い出した。

そうだ。前にも同じことがあった。男は「Change」と言ったけれど、両替じゃなく、寄付してくれってことなんだ。さすがに面と向かって「恵んでくれ」とは言いにくいんだろう。でも僕がペニーをよこせと言ったら、男はどうするんだろう? 

そんな考えが一瞬のうちに頭のなかを駆けめぐり、そういうことならダイムじゃなくクオーター(25セント)を出せばよかったな、と思ったときには男はもう歩きはじめていた。

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これがBAMの映画館。100年近く前に建てられた立派な劇場です。

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壁には「仁義なき戦い」のポスター。  

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2008年4月20日 (日)

ホーボーケンを散歩

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ホーボーケンは、ハドソン川をはさんでマンハッタンの対岸にあるニュージャージー州の町。金曜の午後、25度近い陽気に誘われて散歩に出かけた。

マンハッタンからは電車でも行けるけどフェリーもあって、ウォール街と結んでいる。もともと列車が川を越えてニューヨークへ入ることができなかった時代の終着駅。だから鉄道の駅とフェリーのターミナルがひとつになっている。

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ホーボーケンを歩きはじめてまず気づくのは、ニューヨークに比べて車と人が少ないこと。歩く人もゆったりしていて、追い抜かれることはない(マンハッタンでは、忙しくない僕は次々に人々に追い抜かれる)。それだけでのんびりした気分になれる。そして子供づれのカップルが多いこと。

ランチを食べていたら、前のテーブルに座っていた女の子が父親におこられたらしく、「ダディなんか嫌いだ」と大声でぐずりはじめた。母親がなだめても聞かない。父親は憮然とした表情で黙っている。そこへ通りかかった警官が女の子に一言。「君のダディはナンバーワンだよ」。しばらくして、機嫌を直した女の子は父親の膝に乗っかった。

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特に見るべきものがある町ではないけれど、歩いていると気持ちが落ち着く。フランク・シナトラの出身地というからイタリア系が多いのか、イタリア・レストランが目についた。壁にギリシャ文字を大きく記した住宅もある。

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ホーボーケンは野球発祥の地として知られる。父親が少年野球をコーチし、母親たちは観客席に座っておしゃべり。

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この日は湿度が高く、対岸のマンハッタンは霞んでいる。

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川べりの公園では、人々が思い思いのかっこうで春の陽射しを楽しんでいた。

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フェリーは今も通勤の足として生きている。夕方、フェリーでウォール街に戻ったら、ターミナルはホーボーケンへ帰るフェリーを待つ人でいっぱいだった。

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2008年4月18日 (金)

フィラデルフィアの旅・4

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1泊2日の旅でフィラデルフィア美術館に行く、しかもニューヨークへ戻る列車の出発まであと5時間というところで行こうとするのは無謀というほかない。なにせここの所蔵品は30万点。メトロポリタン美術館、ボストン美術館と並んで質量ともに世界の5本指に入る美術館なんだから。

しかも美術館にやってきたらメキシコの画家フリーダ・カーロの特別展をやっていて、心惹かれたけれど、日曜の午後で長い列ができており、1時間待ちと聞いてあきらめた。

で、この1点だけ見よう、と決めていたものがある。

ここへ来なければ絶対に見られないもの。マルセル・デュシャンの「(1)落下する水、(2)照明用ガス、が与えられたとせよ」。この長く奇妙なタイトルの作品はデュシャンの遺作で、美術館の1部屋に恒久展示されている。部屋そのものが作品の一部になっているから、どうしたって動かせない。

ここのデュシャン・コレクションは世界一と言われている。

男性用便器に署名して展覧会に出品した、あの有名な「泉」とか、スキャンダラスな「(1)落下する水…」とか、ごく断片的にしかデュシャンを知らなかったけれど、ここでは彼の主な作品がほとんど展示されていて、その全貌を知ることができる。

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(これが「泉」。オリジナルは失われ、デュシャン公認の複製。ある雑誌の特集で「20世紀を動かした芸術」の第1位に選ばれた)

セザンヌばりの絵を描いていた初期からキュビスムの抽象画へ。さらに絵画を捨ててガラスを用いた「大ガラス」から、「泉」のように既成品を使った「レディメイド」へ。そして死後の発表の仕方まで計算して密かに制作されていた遺作。

印象派(?)からポップアート(?)まで、20世紀前半を駆け抜けた半生(後半生はほとんど制作活動をしていない)の、作風が変化してゆく速度がすさまじい。

その「泉」のそばに、「(1)落下する水、(2)照明用ガス、が与えられたとせよ」の入口があった。

薄暗い小部屋。その奥に古めかしい木製の扉(これも既成品)がある。扉の、ちょうど人の目の高さに小さな穴が2つあいている。作品は、そこから覗き見することになっている。その風景がこれ。

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うーむ。

僕もこれまで写真でしか見たことがないので分からなかったけれど、背後の風景以外は絵画ではなく、立体。いわば立体的な覗きからくりみたいなもの。

「落下する水」とは右奥に見える滝のことらしい。この滝に、温泉地のチープな土産品みたいにちらちらと電飾が点滅している。「照明用ガス」とは裸の女性が手に持っているガス灯で、これも本当に灯りがついている。この2つが「与えられたとせよ」とは? 

うーむ。

それにしてもこの女性は生きているのか死んでいるのか。手にガス灯を持ってるんだから生きていて、覗き見されてることを承知であられもない姿態で挑発してる図、なんだろうけど、上半身は少し青みがかって、まるで死体のようにも見える。

なんだかエロチックな犯罪現場を覗き見してどきどきしている小学生みたいな気分になってくる。江戸川乱歩や初期の谷崎潤一郎を読んでるときの妖しさにも通ずる。

デビッド・リンチの『ツイン・ピークス』も、滝本誠が指摘してたけど、ラッピングされた美しい死体と絵のような自然の組み合わせは、明らかにここからインスピレーションを得ている。

リンチだけでなく、小説や映画の快楽殺人・猟奇殺人もののあらゆるヴィジュアルの源泉もここにあるのかもしれない。

でも、僕がこうしてこんなことを書けるのも、フィラデルフィア美術館に芸術作品として置かれているからで、もしこれが温泉地の「秘宝館」に置かれていたら(そうされてもちっとも不思議じゃない)、とてもこうは書けないだろう。

文脈によって芸術としてでも見世物としてでも語れるという意味では、「泉」と同じなんだろうね。

それは一方では、アートの根っこにセックスを含めた人間の世俗的な欲望や黒々とした感情が横たわっているというメッセージかもしれないし、他方では、便器がそれが置かれる文脈で実用品になったり芸術になったりするように、人間の認識や価値判断のいいかげんさを、デュシャンは周到に考え抜いた「遺作」で挑発し、かつ笑ってるのかもしれないな。

                 ☆

歩きまわった2日間。「合衆国誕生の地」に始まり、色んなことを考えさせられた刑務所、そしてマルセル・デュシャンまで、フィラデルフィアは想像以上に奥深い街でした。

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2008年4月17日 (木)

フィラデルフィアの旅・3

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フィラデルフィア市街地の北のはずれ、フィラデルフィア美術館から歩いて5分ほどのところに元イースタン州刑務所(Eastern State Penitentiary)がある。もちろん今は使われてなくて、内部を見学することができる。

ここに興味を持ったのは、チャールズ・ディケンズ『アメリカ紀行』(岩波文庫)を読んだから。

ディケンズは1842年にアメリカを訪れ、半年にわたって東部と中西部を旅した。

この旅で彼はフィラデルフィアも訪れているけれど、町そのものと独立史跡にはほとんど興味を示していない。

旧宗主国のイギリス人としていささか面白くなかったのか、あるいは碁盤の目のような「クエーカー教徒的」都市計画に嫌悪を感じたのか、「フィラデルフィアは壮麗な都市だが、人を当惑させるほど画一的である」(伊藤弘之他訳)と切り捨てている。

そのかわり、彼はこの刑務所について多くのページを費やした。翻訳本で言えば、フィラデルフィアについて書かれた33ページのうち、実に28ページがイースタン州刑務所の記述という具合。

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「私たちは……大きな部屋に入った。そこから7つの通路が放射状に延びている。それぞれの通路の両側には低い独房の長い長い列があり、一つ一つ番号がついている」

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1829年につくられ「ペンシルバニア・システム」と呼ばれた放射状の刑務所は、その後、世界中に影響を与え、各国で同じ様式の刑務所がたくさんつくられた(金沢刑務所、網走刑務所もその例)。

フランスの哲学者ミシェル・フーコーは『監獄の誕生』のなかで、近代社会の管理システムの原型として「一望監視装置(パノプティコン)」というものを考えている。そのモデルは中央に監視塔があり、その周囲を独房が囲む円形の刑務所で、これは机上プランで実現されなかったが、「ペンシルバニア・システム」はその変形というべきもの。

受刑者(人々)は監視者の姿が見えないけれど、常に監視されていることを意識して自らの行動を律しなければならず、そのことによって受刑者(人々)は強いられた規則を内面化する、ってことですね。

フーコーの説に従えば近代社会のモデルともいうべき建築が、ここフィラデルフィアで初めて現実につくられた。

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独房の扉。

ディケンズはもちろん「一望監視」という現代思想っぽい視点からこの刑務所を問題にしてるわけじゃなく、この刑務所の、全員を独房に閉じ込める「独房監禁」というやり方を問題にしている。

受刑者を独房に閉じ込め、他人との接触を一切断って監禁するやり方がいかに非人間的で精神的に残酷なものであるかを怒っている。

「数年に及ぶ恐ろしい懲罰が受刑者に与える、想像を越えた責め苦と苦悶を推し量ることのできる人はまずほとんどいるまい」

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独房内部。広角で撮ってるから広く見えるけど、3畳ほどの狭さ。ベッドがあったから、動ける空間はほとんどない。

ディケンズが書いたように、受刑者を独房に閉じ込めることによって、受刑者同士の、あるいは看守による暴力的支配は減ったけれども、受刑者の精神的・感情的障害という別の問題が生まれることになった。

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天井に開けられた60センチ×10センチほどの窓。ここからだけ、わずかに外光が差し込む。受刑者はどんな気持ちで空を見上げたろう。

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理髪室。

この「ペンシルバニア・システム」の刑務所は、ヨーロッパ、アジア、ラテン・アメリカでたくさんつくられたが、本家のアメリカではその後、ほとんどつくられなかった。なぜか。

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独房棟の廊下。

アメリカは当時、労働力不足に悩んでいた。また刑務所にかかるコストも莫大なものがあった。そこで受刑者を働かせることにしたのだが、独房システムでは、ひとりひとりが独房で作業することになり効率が悪い。

そこで受刑者を独房に閉じ込める「ペンシルバニア・システム」ではなく、刑務所内に工場をつくり、そこで受刑者を働かせるシステムの刑務所がつくられることになったという。いかにも生産効率と大量生産のフォード・システムを考案したアメリカ的な話。

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暗い独房棟から中庭に出ると、棟と棟のあいだに、わずかな広場がある。受刑者はここで束の間、野球やフットボールを楽しんだ。

暖かな日差しに、ただの見学者にすぎない僕もほっとする。

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2008年4月16日 (水)

フィラデルフィアの旅・2

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フィラデルフィアは17世紀にクエーカー教徒によって開かれた。東をデラウェア川、西をスクールキル川に囲まれた港町で、植民地最大の貿易・通商の中心地として栄えた。独立後の10年間は合衆国最初の首都でもあった。

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デラウェア河畔にはフリーウェイが走り、市街地と川は切り離されている。海運が主役でなくなった時代の港町はちょっと寂しいね。フリーウェイを越えて河畔に出ると、そこは公園になっている。桟橋が何本か見えるし、対岸へのフェリーもあるから、港町としての機能と風景がまったく失われたわけではなさそうだ。

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歴史公園地区に戻り、そこから南へ少し歩くとセント・ピーターズ・チャーチがある。

1793年、先住民の土地を奪って開拓を進める白人に抵抗していた先住民のリーダーたちが、ジョージ・ワシントン大統領に招かれて和平会議のためフィラデルフィアを訪れた。白人と初めて接触した彼らは次々に天然痘にかかり、そのうち8人が死んだ。ここには彼らが埋葬されているが、どれが8人の墓かは分かっていない。

このときの会議では何の合意も得られず、翌年、フォールン・ティンバースの戦いで先住民は大敗北を喫する。

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教会からさらに南へ少し歩くとサウス・ストリートがある。マンハッタンならイースト・ヴィレッジ、東京なら渋谷のセンター街といった感じの若者の街。ヴィレッジやセンター街より小規模だけど、歩いていると、ウィンドーや看板にちょっと泥臭い面白さを感じる。

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フィラデルフィア名物、チーズ・ステーキ(通称フィリーズ)の有名店、ジムズ・ステーキもここにある。

チーズを塗ったパンにはさまれたたっぷりの肉が売りものだけど、老年の身にはちょっと多すぎ(写真は半分)。トッピングで玉ねぎやピーマンを乗せることもできる。普段は飲むことはないけど、こういうアメリカン・フードにはやっぱりコーラが合う。

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ホテル近くのリッテンハウス・スクエアの夕闇。

フィラデルフィアの路上を歩いていて、なにかニューヨークと違うなあと感じていた。それは何だろうと考えていて、つまりは白人が多く、ヒスパニックとアジア系が少ないんだなと気づいた。

もし100人の人間がいれば、ニューヨークならその内訳は白人35人、アフリカ系30人、ヒスパニック20人、アジア系15人といったところだろうか。僕の住むブルックリンなら白人とアフリカ系の割合が逆転する。ところがここでは、白人50人、アフリカ系30人、ヒスパニックとアジア系がそれぞれ10人といった感じ。

もちろん大雑把な印象だし、観光客も白人が多いみたいだから、そのせいもあるかもしれない。中心部をちょっと北に歩けば、フィラデルフィアにも小さいながらチャイナ・タウンがあって、そこへ行けばアジア系がぐっと多くなる。でも1日歩いての印象では、ここは白人とアフリカ系の町、つまりもともとのアメリカの町なんだなと思える。

というより、世界中から合法非合法の移民が集まっているニューヨークが特殊なんだろう。「ニューヨークはアメリカではない」と言われるくらいだから。

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2008年4月15日 (火)

フィラデルフィアの旅・1

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フィラデルフィアへ1泊の旅に出かけた。

今回の滞在の目的はニューヨークで暮らすことだから、これまでニューヨーク州から外へ出たことがなかった。でも半年が過ぎて、さすがに別の街も見たくなってきた。ここからいちばん近い大都市はフィラデルフィアで、列車で1時間半ほど。

マンハッタンのペンシルヴァニア・ステーションからAmtrackに乗り、ハドソン河を越えてニュージャージー州に入ると、すぐに一面の葦原になる。

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列車で20分も走れば、窓の外はいかにも田舎町といった風情になり、大都市の周りにびっしりと住宅地が広がる日本とはだいぶ趣きが違う。

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フィラデルフィア駅に着いてダウンタウンを望む。今にも雨が降り出しそう。気温は15度。ニューヨークより暖かい。

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まずはこの街を訪れる観光客が必ず訪れる独立記念館へ。1776年、アメリカ合衆国独立宣言がここで採択され、憲法制定会議も行われた。もとはステーキ・ハウスだったらしい。

他に独立の際に鳴らされた「リバティ・ベル」、宗主国イギリスに対抗する大陸会議が開かれたカーペンターズ・ホールなど、独立にちなむ史跡がこの「歴史公園」一帯に集中している。

いわばアメリカ合衆国国民(といっても白人)にとっての聖地。週末とあって、田舎から来た風情の白人の老夫婦や家族連れでいっぱいだ。

長髪にケープという当時の服装をした御者の馬車に乗って「合衆国誕生の地」をひとめぐりする人たちを見ていると、アメリカ人(白人)にとってはこれが正史の第1ページで、それ以前の歴史は未開の闇のなか、だからこそこの地が大切なんだろうなと思う。

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歴史公園地域の東北に「オールド・シティ」が広がっている。白人の庶民階級が住んだ旧市街。何本か残っている路地の雰囲気がいい感じだ。

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エルフレス(Elfreth's)小路は現存するアメリカ最古の住宅街で、18世紀前半に建てられた。当時の労働者階級の住まいで、今も人々が住みながら、きれいに保存されている。

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オールド・シティの一角にある「ベッツィ・ロスの家」で。ベッツィ・ロスは独立に際して最初に国旗を縫った女性。13州の星が円形に並んだ星条旗。

彼女が住んだ当時の家が公開されている。3畳ほどの小部屋が4室に地下室が2つ。階段は急で狭い。ジョージ・ワシントン将軍の依頼で国旗を縫ったというから、それなりの身分の女性だったんだろう。それでもこんなに狭い家に住んでいたんだ。

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2008年4月13日 (日)

『マイ・ブルーベリー・ナイツ(My Blueberry Nights)』

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ニューヨーク。暗くなった街路の高架を、光の箱のような電車が通り過ぎてゆく。それをスローモーション気味に下から広角で見上げるショットは、いかにもウォン・カーウァイ好みだなあ。

と思って見ていたら、あれ、この電車、僕が毎日のように乗る地下鉄Qラインではないか。高架を走るQライン、舞台になるレストランがロシア名前とくれば、ロケ地はブルックリンの「リトル・オデッサ」と呼ばれるロシア人街、ブライトン・ビーチに違いない。

ところで、映画のオープニング・タイトルで共同脚本がローレンス・ブロックとあったけど、ハードボイルド作家のローレンス・ブロックのことだろうか。私立探偵マット・スカダーを主役にしたシリーズは大好きだったけど、彼はもう引退してニューヨークからフロリダに移ったと聞いている。

引退と言っても、やめたのは小説で、今度は映画に進出ってことかな? それともウォン・カーウァイもブロックが好きで、ストーリーはウォンが書き、英語のせりふをブロックに頼みこんだんだろうか? そう思ってみれば、ジュード・ロウとノラ・ジョーンズの洒落たせりふのやりとりは、いかにもローレンス・ブロックだなあ。

でもウォン・カーウァイはなんでシネマスコープにこだわるんだろう? 横長のシネスコ・サイズは空間の広がりを描写するには強いけど、狭い空間で人間を撮るには向いてない。ウォンは広い空間を使って風景を撮ることはあまりせず、どちらかといえば『花様年華』みたいに狭い空間が好きなのに。

実際この映画でも、レストランやバーといった狭い空間のシーンが多く、ニューヨークからメンフィスへ、さらにラスヴェガスへという空間移動は、期待したほど描写されてない。 

もっとも、シネスコ・サイズで監督やカメラマンがみんな悩んだあげく(黒澤明も加藤泰も増村保造も)必殺技を繰り出した2人の会話の切り返し(リヴァース)は、顔のアップでなくバスト・ショットを多用し、背景にウォン・カーウァイらしい色彩のマジックを使って実にうまく処理されてる。

文字が書かれたり外の風景が反射しているガラス越しのショットが多いのも、色彩の効果や立体感を狙ってのことだろうか。とすると、彼にとってのシネスコは、広い空間を描写するためではなく、狭い空間を広く立体的に描写するためにこそ必要だったのかも。

『マイ・ブルーベリー・ナイト』を見ながら、本筋とは関係ない、そんなとりとめもないことを考えていた。

なぜかといえば……。この映画は見ていてとても心地よい。すべてが、「決まって」る。

ファンにはたまらない、『恋する惑星』と似た設定やウォン・カーウァイならではのショットの数々。ノラ・ジョーンズがジュード・ロウや旅先で出会った男たち、女たちと交わす会話がきわまり、ここで音楽というタイミングで、ちゃんとノラ・ジョーンズはじめオーティス・レディング、カサンドラ・ウィルソンなんかの素敵な音が入ってくる。さらにライ・クーダーとくれば、これはもう『パリ・テキサス』。

すべてが「決まり」すぎていて、心地よいけれど、ときどき退屈なのだった。もともとウォン・カーウァイはその気味があるけど、スタイルだけが残った、とでも言えばいいのかな。

そういえば、こちらのブルーベリー・パイは甘すぎて、どうも僕の口には合わない。

 

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2008年4月12日 (土)

AIPADフォト・ショー

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10日からAIPADフォト・ショーが開かれているので、どんなものか覗いてみた(Park Avenue Armory)。

AIPADとはThe Association of International Photography Art Dealersの頭文字で、写真を専門に扱う美術ギャラリーの国際的な組織。毎年この時期に、アメリカを中心に世界中から100以上のギャラリーが出店して写真を売買する。

絵画の世界に比べれば小さなマーケットだけど、写真を扱うギャラリーもコレクターもずいぶん増えてきている。日本ではまだ写真をアートとして評価し売買する習慣が根づいてないし、その功罪を話しはじめると長くなるからひとまず措いて、世界的に見れば写真が美術マーケットの一部に組み込まれつつあるのは紛れもない事実だ。

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(右はロバート・メープルソープの作品)

このショーはいわば業界の催しで、写真コレクターやギャラリー同士の売買の場だから、僕みたいな野次馬的な観客は少ない(入場料25ドルって、冷やかしお断りってことだろうね)。

でも、どのギャラリーも売りたい作品を選りすぐって展示しているわけだから、美術館でしかお目にかかれない(あるいは美術館でもお目にかかれない)作品のヴィンテージ・プリントを見ることができる。

もっと現代写真が多いかと思っていたけど、意外にも写真史の教科書に出てくるようなモノクロームの作品が多い。ウジェーヌ・アジェやアウグスト・ザンダー、アルフレッド・スティーグリッツといった近代写真の祖のような人たちのプリントに出会えるとは思わなかった。

日本人写真家はこのところ世界的に注目されてるけど、人気はやはり森山大道と荒木経惟で、複数のギャラリーが作品を展示していた。他に目についたのは浜谷浩、東松照明、若い世代では瀬戸正人、川内倫子といったところ。

ブースからブースへ歩いていると、印刷物でしか見たことのない写真家や有名作品に出くわして、あるところにはあるもんだなあ。

ちなみに見た限りでいちばん安かったのはビリー・ホリデイとルイ・アームストロングのポートレート(知らない写真家。ヴィンテージでなく、モダン・プリント)で1400ドル、いちばん高いのはスティーグリッツのキャビネ・サイズほどの小さな風景写真で6万ドルでした。

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2008年4月10日 (木)

ブルックリンご近所探索・21

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ブルックリン・ボタニカル・ガーデンで「Hanami」が始まった。5月上旬までの1カ月で、染井吉野が咲くのは4月下旬になるらしい。今は何種類もの緋寒桜が花を咲かせている。写真はジャパニーズ・ヒル&ポンド。

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脇には染井吉野の並木があるけれど、まだ蕾は固かった。

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こちらは桜でなく、満開のマグノリア(木蓮)。日本の木蓮は清楚な印象があるけど、ピンクのマグノリアはなんとも妖艶。

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2008年4月 9日 (水)

ブルックリンご近所探索・20

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日曜の午後、今日から新しくフリーマーケットが始まるというので、散歩がてら出かけてみた。アパートから歩いて10分ほどの住宅街にある、ビショップ・リンカーン・ハイスクールの校庭。寒さが戻り、今にも冷たい雨が降り出しそうな空だったけど、100軒近い露店が思い思いに店を広げている。

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(後ろは高校の校舎)

古着、照明器具、レコード、陶磁器、家具、カメラ、食器、絵葉書、シューズ、天井の飾り板を細工した鏡、一枚板のドア(3500ドル! の値がついてた)……。あらゆる日用品が売られている。なかには、そのへんで拾ってきたんじゃないの? ってな品物もあるけど、こちらの人が古いものをうまく使いまわしするのには感心するね。

友達に譲ってもらったんだろうか、古くて大きな家具や家電を重そうに運んでいる姿に地下鉄や路上でよく出会うし、レストランやライブハウスへ行っても、不揃いの椅子やテーブルを使っている店がよくある。手づくり感覚で、それをお洒落に見せるセンスが憎い。

プロ化(?)しているマンハッタンのフリーマーケットと違って、売り手も素人の雰囲気をただよわせているのには好感が持てた。

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2008年4月 7日 (月)

『アレクサンドラ(Alexandra)』

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ロシアのアレクサンドル・ソクーロフ監督の新作『アレクサンドラ』は、内戦の続くチェチェンを舞台にしている。といっても、ここには1人の敵も出てこないし、戦闘シーンもまったくない。

チェチェン(と明示されているわけではないが)に駐留するロシア軍士官の祖母アレクサンドラ(ガリーナ・ビシネフスカヤ、チェリストの故ロストロポービッチ夫人)が、招かれて孫の所属する基地を訪れる。単純にいえば、ストーリーはそれだけ。それだけの映画が、95分をまったく飽きさせずに見せる。

低い灌木と草の丘陵がつづく黄土色の大地(暗殺されたアンナ・ポリトコフスカヤがチェチェン内戦をレポートした著書からイメージしていた風景に重なった)。そこを走る軍用列車がホームもない駅に止まり、アップになったアレクサンドラの太くおぼつかない足がチェチェンの地を踏みしめる。

そのアレクサンドラの第1歩から、映画のリズムは最後まで変わらない。ゆったりと、静かに移動しながら、ひたすら彼女を追ってゆく。

迎えにきた兵士に助けられて装甲車両に乗り、アレクサンドラは基地へ向かう。古いテントを張った宿舎に案内される。朝、目が覚めたアレクサンドラは、テントに寝ていた孫に気がつき抱擁する。テントから出て、機銃の手入れをする兵士たちを眺める。

基地の外へ出るときに、門衛やすれ違う若い兵士たちと目が合う。基地のそばにあるらしい市場では、物売りの若くはないチェチェン女性と言葉を交わし、親しくなる。

特に何をするでもなく、基地の内と外で日常的な行動を重ねるアレクサンドラの眼差しと、それを見つめるカメラが、とてつもなく優しいのだ。彼女の眼差しの優しさは孫に対するときだけでなく、若い兵士に対しても、チェチェン女性に対するときもまったく変わらない。

戦争(内戦)は、戦う敵と味方の互いの憎しみが原因ともなり結果ともなる。この映画の眼差しは、そういう憎しみをゼロにしてしまう。

いや、単純に憎しみを消せば敵味方の対立も消えると性急に言っているわけではない。映画は、敵味方を区別しない大地の母のようなアレクサンドラの眼差しを、黙って見る者に差し出しているだけだ。

『タイム・アウト』誌のインタビューのなかでソクーロフは、「プーチンはこの映画が嫌いだと聞いた」と言っている。この映画は大上段に反戦を唱えているわけではないけれど、チェチェンだけでなくイラクでもチベットでも、憎しみを掻きたて、敵味方の区別を立てて自らの「正義」をふりかざす者はアレクサンドラの眼差しを密かに憎むにちがいない。

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2008年4月 6日 (日)

BAMカフェ・ライブ

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アパートから歩いて7、8分のところにブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージック(BAM)がある。もともと19世紀にブルックリン・シンフォニー・オーケストラの本拠地としてつくられたものだが、その後、音楽だけでなくアート全般のブルックリンの中心地として機能してきた。

実際、映画も新旧の名作を上映していて、つい2日前にアンドレイ・タルコフスキーの『アンドレイ・ルブリョフ』を見てきたところだ(モノクロームの画面の美しさに息を飲む!)。階段の壁には『仁義なき戦い』の菅原文太のポスターが貼ってあり、5月に上映されるとのこと。これも久しぶりに大画面で見てみたい。

ここの2階にカフェがあり、金曜と土曜の夜には無料のライブがある。無料といっても、プログラムを見ると若くて実力のありそうなミュージシャンが出演している。数カ月前、ブロードウェーのジャズ・クラブ、イリディウムで聴いたピアニストが若くて生きがよかったので、彼のホームページを見たらBAMカフェに出ていたのを知って残念に思ったことがある。

4日の夜は、Souljazz OrchestraとKobo Townという2つのグループが出演する。

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開演の午後9時近く、カウンターで飲みものを買った人たちが思い思いに席に座っている。僕の前のテーブルに家族と座っていた30代のアフリカ系男性が、後で分かったのだがこのライブのキュレーターで、それまで男の子と話していた彼が立ってマイクを握り、グループを紹介してライブが始まる。いかにも手づくりの感じがいい。

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Souljazz Orchestraは、キーボード(voも)、アルト、テナー、バリトンの3本のサックス、ドラムス(vo)、女性ボーカルの6人グループ。

アフロ・ビートっていうのかな。紹介のなかでアフリカのジャズ・ミュージシャン、フェラ・クティの名前が出てた。キーボードとドラムスが繰り出すアフリカ的なリズムに支えられて3本のサックスが強烈な短いフレーズを繰り返し、その上に「ピープル」「フリーダム」といったメッセージ性の高い言葉が乗る。 バリトンのぶりぶりと野太い音が身体に響く。

次のKobo Townはカナダのトロントから来た4人のグループ。といってもカナダを感じさせる要素はなくて、カリブ海のカリプソを今ふうに演奏する。トリニダード・トバゴのパーカッショニストがトロントに来たのをきっかけに結成されたそうだ。今日はSouljazz Orchestraのドラムスも加わっての演奏。

リーダーのボーカルはパキスタン系(!)カナダ人で、カリブのカヴァキーニョ(小型ギター)も弾く。ものすごく訛りの強い英語で、ほとんどの曲を英語以外の言葉(独特のクレオール語?)で歌ってるんだと最後まで思ってた。カリプソの南国的なメロディーと、レゲエとはまた違う強烈なベースとパーカッションのリズムが心地よい。

あちこちで女性が踊っている。長髪を後ろで束ねたキュレーターの男性も母親(?)らしい女性と踊りはじめた。

2つのグループともに、メンバーも音楽の中身も国籍など関係なくミックスされ、混沌としたなかから何かが生まれようとしている。ニューヨークで聴くにふさわしい。そんな印象を持った。ここのライブ、また行くことになりそうだ。

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2008年4月 4日 (金)

ワシントン・スクエア・パークの春

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グリニッチ・ヴィレッジのワシントン・スクエア・パークは、僕らの世代には「ワシントン広場の夜はふけて」という歌でなじみがある。周囲をニューヨーク大学の校舎にかこまれ、昼間は学生やストリート・ミュージシャンでにぎやかだけど、暗くなると怪しげな男たちも徘徊しはじめる。

ところで僕の生活圏は、単純に言えば住んでいるブルックリンと、学校のあるマンハッタンのミッドタウン、その中間にあって週2、3回はうろつきまわるイースト&ウェスト・ヴィレッジ、チャイナタウンなどのダウンタウンという3つの場所から構成されている。

ミッドタウンには、リーズナブルな値段でおいしいものを食べさせてくれたり居心地がよかったりするレストランやカフェが少ないので、学校が終わるとたいてい地下鉄でダウンタウンにやってくる。このワシントン・スクエア・パークのそばには行きつけのカフェがあるから、週に1度は通りぬけたり脇を歩いたりする。

水仙やクロッカスが花ざかりの他の公園と違って、草花が植えられているわけでもなく、樹木もまだ新芽が出ていないものが多くて、遠目にはまだ春は遠いように見える。でも近づいてみると、いろんなところに春が来ているのが分かる。

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2008年4月 1日 (火)

気になる風景

この1週間で撮った写真から4点ほど。

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アパートのそばにあるカー・ウォッシュの看板。午後7時半。空が真っ暗になる前の、この時間が好きだ。

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地下鉄ユニオン・スクエア駅のストリート・ミュージシャン。パワフルな歌に、左の2人が飛び入りで踊りはじめた。

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フリーウェイの陸橋の下にあった小さな扉。開けると、何があるのだろう。

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最上部に「1891」と建設年のレリーフが嵌めこまれたチャイナタウンの古いアパート。

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