『アレクサンドラ(Alexandra)』
ロシアのアレクサンドル・ソクーロフ監督の新作『アレクサンドラ』は、内戦の続くチェチェンを舞台にしている。といっても、ここには1人の敵も出てこないし、戦闘シーンもまったくない。
チェチェン(と明示されているわけではないが)に駐留するロシア軍士官の祖母アレクサンドラ(ガリーナ・ビシネフスカヤ、チェリストの故ロストロポービッチ夫人)が、招かれて孫の所属する基地を訪れる。単純にいえば、ストーリーはそれだけ。それだけの映画が、95分をまったく飽きさせずに見せる。
低い灌木と草の丘陵がつづく黄土色の大地(暗殺されたアンナ・ポリトコフスカヤがチェチェン内戦をレポートした著書からイメージしていた風景に重なった)。そこを走る軍用列車がホームもない駅に止まり、アップになったアレクサンドラの太くおぼつかない足がチェチェンの地を踏みしめる。
そのアレクサンドラの第1歩から、映画のリズムは最後まで変わらない。ゆったりと、静かに移動しながら、ひたすら彼女を追ってゆく。
迎えにきた兵士に助けられて装甲車両に乗り、アレクサンドラは基地へ向かう。古いテントを張った宿舎に案内される。朝、目が覚めたアレクサンドラは、テントに寝ていた孫に気がつき抱擁する。テントから出て、機銃の手入れをする兵士たちを眺める。
基地の外へ出るときに、門衛やすれ違う若い兵士たちと目が合う。基地のそばにあるらしい市場では、物売りの若くはないチェチェン女性と言葉を交わし、親しくなる。
特に何をするでもなく、基地の内と外で日常的な行動を重ねるアレクサンドラの眼差しと、それを見つめるカメラが、とてつもなく優しいのだ。彼女の眼差しの優しさは孫に対するときだけでなく、若い兵士に対しても、チェチェン女性に対するときもまったく変わらない。
戦争(内戦)は、戦う敵と味方の互いの憎しみが原因ともなり結果ともなる。この映画の眼差しは、そういう憎しみをゼロにしてしまう。
いや、単純に憎しみを消せば敵味方の対立も消えると性急に言っているわけではない。映画は、敵味方を区別しない大地の母のようなアレクサンドラの眼差しを、黙って見る者に差し出しているだけだ。
『タイム・アウト』誌のインタビューのなかでソクーロフは、「プーチンはこの映画が嫌いだと聞いた」と言っている。この映画は大上段に反戦を唱えているわけではないけれど、チェチェンだけでなくイラクでもチベットでも、憎しみを掻きたて、敵味方の区別を立てて自らの「正義」をふりかざす者はアレクサンドラの眼差しを密かに憎むにちがいない。
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