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2008年3月13日 (木)

バワリーを散歩する

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バワリー通りはブロードウェーにほぼ並行してマンハッタンのダウンタウンを南北に貫く15ブロックの短い通りだけど、ここを北から南まで歩いたことはなかった。暖かな太陽がのぞいて春めいた1日、ちょっとした散歩を試みた。

バワリー通りは、19世紀には当時の町の中心だったダウンタウンで、ブロードウェーとともに栄えた繁華な大通りだった。でも19世紀末に通りの上を走ることになった高架鉄道が街を分断して衰退し、やがてアルコール依存症患者やジャンキーがたむろするスラムになった。

ジャンキーたちがホームレスとなってマンハッタン全域に散り、隣のソーホー地区からアーティストが移り住んで街が変わりはじめたのは、ここ十数年のことらしい。昨年末にはニュー・ミュージアムが開館し、シックなバワリー・ホテルが開業してスノッブなニューヨーカーが集まりはじめ、今ではバワリーは注目されるスポットになっている。

そんな栄枯盛衰の歴史を持っているバワリーだけど、一部のスポットを除けば、通り全体はいまだスラムだったころの面影を残して、そぞろ歩きが楽しい場所じゃあない。通りの南半分は膨張するチャイナタウンの一角となり、北半分は厨房器具などを売るハードウェアの店が並んでいる。

バワリーを歩きながら漢字の看板の上を見上げたり、キッチン用品のウインドーの脇をのぞいていくと、建物はどれも古い。おそらく100年近く前の建築が多く、スラム以前の繁華街だったころを偲ばせる装飾がところどころ見えるのが面白い。

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(バワリー・ボール・ルーム=ダンスホールの看板と飾り窓)

19世紀のバワリーは音楽と劇場の街だった。

「(バワリーには)12軒以上の大劇場が軒をつらね、そのほかにもダンスホールやキャバレーがあり、オイスター・バーと飲み屋は数えきれないほどだった。劇場はどこも大衆向けにしたシェイクスピアなどの知的な芝居から低俗なものまで、さまざまな趣向をこらした演目を提供した」。(ピート・ハミル『マンハッタンを歩く』=集英社)

現在のブロードウェーのミュージカルの原型は、ここで生まれたのだった。

「若い男たちは週6日の仕事を終えると、給料袋を持ってやってきた。最初は劇場の安い席からはじめ、最後はダンスホールか売春宿で終わることになった。シェイクスピアか踊り子の女か。どちらにしても安アパートの部屋よりはましだった」(同)

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バルコニーと飾り窓を持つこの建物は、昔はなんだったんだろう?

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花模様のレリーフがドアの両脇に嵌めこまれている。

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かつての繁栄を偲ばせるバワリー貯蓄銀行。ニューヨークにいくつもの名建築を残したスタンフォード・ホワイトの設計で、1893年に建築がはじまった。

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