チャイナタウンの公園
チャイナタウンに行きつけのカフェが2軒ある。カフェというより喫茶店と呼びたい昔ふうの店と、ややモダンなもう1軒。
モダンなほうの1軒はコロンバス・パークに面している。ここ数日、春を予感させる暖かな日がつづいて、公園のベンチでは男たちが中国将棋に、女たちはトランプに興じている。
のどかな風景だけど、この場所には悲惨な過去が隠されている。
現在のチャイナタウンからリトル・イタリーにかけての地域は19世紀にはファイブ・ポインツと呼ばれ、ニューヨーク最大のスラムだった。アイルランドやドイツからやってきた初期移民たちは、ここファイブ・ポインツやローワー・イーストサイドのテナメントと呼ばれる狭いアパートに住みついた。
当時、弁護士として彼らを助けた人物が、この地域について記した日記を残している。
「そこ(ファイブ・ポインツ)に住む大勢のお針子たちは毎日毎日、最低耐乏生活しかできない安い賃金で単調な骨折り仕事に身をすりへらしている。そこには希望も娯楽もない。波止場には泥棒が大勢いるし、街路には道端で寝起きする宿なしの子供たちがいる。ブロードウェイを少し歩けば、かならずボロを着たおぞましい12歳以下の娘たち(娼婦)に出会うことになる」(ピート・ハミル『マンハッタンを歩く』=集英社)
ファイブ・ポインツのなかでも、マルベリー・ベンドと呼ばれる一帯はとりわけひどかったらしい。
「世界で最も人口密度が高く、あらゆる犯罪、疫病、不幸、および執政者の腐敗が雑居する空間だった。5歳以下の子供の死亡率は65%にも達した。ここにはテナメント・アパートよりさらにひどい『地下住居』と呼ばれる共棲空間があった。文字通り、地下の穴蔵住居で窓も換気口もなく、雑居者の間でコレラ、マラリア、結核などの疫病が多発した」(高祖岩三郎『ニューヨーク烈伝』=青土社)
そこでの生活がどんなものだったかは、フォト・ジャーナリズムの開祖であるジェイコブ・リースが撮った、この街のスラムの写真からも想像することができる。
(ジェイコブ・リース『How the Other Half Lives』)
マルベリー・ベンドのあまりのひどさに、1886年、ニューヨーク市はこの地区を買い上げて建物を壊し、公園をつくった。それがこのコロンバス・パークというわけだ。
コロンバス・パークの周囲には、19世紀から20世紀初頭に建てられたと思われる古いアパートが残っている。今では改造されているだろうけど、当時は電気も水道もトイレもなく、1戸3部屋に10人以上がひしめいて暮らしていた。
チャイナタウンからテナメント博物館のあるローワー・イーストサイドにはニューヨークのいちばん古い町並みがそこここに残っていて、それらが今も現役の建物として使われ、人が出入りしている。その傍らを歩いていると、崩れかけたレンガ壁やすり減った石段から歴史の「影」を感じ取ることができる。
数日前、チャイナタウンで偽ブランド商品の大規模な摘発があったというニュースを見たけど、いつも使っている地下鉄駅そばの一角だった。ふだんなら商品が鈴なりに吊るされている店が、すべて閉鎖されている。
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