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2008年3月

2008年3月31日 (月)

アメリカン・インディアン博物館

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マンハッタンの南端、17世紀にオランダ植民地として開かれたニューヨーク港に近いボウリング・グリーンに、1907年に建てられた税関の立派な建物がある(写真上は内部のホール)。今は税関としての使命は終わり歴史的建造物として保存されていて、内部がアメリカン・インディアン博物館になっている。

オランダ人が先住民からほんのわずかな金でマンハッタン島を買い上げたとされる、その初期植民町に先住民の博物館があるというのも皮肉な気がするけれど、ここで開かれている「Listening to Our Ancestors--The Art of Native Life Along The North Pacific Coast」に行った。

アラスカからカナダ、合衆国ワシントン州にかけての北太平洋岸に住んだ十数部族のプリミティブ・アート(というのは後世の命名で、要するに生活文化・宗教の道具類ですね)。トーテム、仮面、頭飾り、器、漁具、布、服、アクセサリーなんかが展示されている。

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アラスカのグラハム島などに住むHaida族の狼のトーテム(1870~80)。写真家の故星野道夫がこのHaida族の朽ち果てたトーテムを撮った作品が記憶に残っている。

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まるで能面のようなNisga'a族の仮面(1850)。

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こちらは烏天狗のような。Nisga'a族はブリティッシュ・コロンビア州(カナダ)の内陸に住む部族。

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ブリテッシュ・コロンビア州に住むTsimshian族のワタリガラスの頭飾り。星野道夫の最後の仕事は、シベリアからアラスカにかけて連綿とつながるワタリガラスの神話を持つ先住民を写真に撮ることだった。

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Tsimshian族のワシの仮面(1875)。

その昔、ユーラシア大陸の遊牧民がベーリング海峡を渡って北米から南米大陸まで移動した過去を世界史で習ったときは、その壮大な旅に夢想がふくらんだけど、彼らが連綿と伝えてきた仮面や道具類にどこか親しみを覚えるのは、やはり祖先の血をいくぶんなりとも共有しているからだろうか。

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2008年3月28日 (金)

チャイナタウンの桜開花

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チャイナタウンにあるコロンバス・パークの桜が開花した。公園には桜の木が3本しかなくて、ちょっと寂しい。日本のカンザクラの一種なのか、中国の桜桃なのか、小さくて細い花弁の、あまりなじみのない花。

中国人は桜に格別の思いがないのか、立ち止まって見上げるのは僕ひとりだった。

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2008年3月27日 (木)

『ボーディング・ゲート(Boarding Gate)』

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アーシア・アルジェントという女優をはじめて見た。調べてみると、イタリアのアカデミー賞に相当する賞の最優秀女優賞を2度受賞し、女優業だけでなく自ら監督として映画をつくり、小説も書くなど、才能もキャリアもすごい女性なんですね。

『ボーディング・ゲート』は、まさしく彼女のための映画だった。うなじと下腹部にタトゥーを入れた元娼婦。金のために男を操り、そのあげく無慈悲に男を殺してしまう。かと思うと、傷つきやすいヴァルネラブルな心を持っていて、時にその表情が苦痛にゆがむ。

そんな複雑な役を演じて、なんとも存在感がある。黒い下着姿で男を誘惑し、サディスティックな行為のあと後頭部にためらいなく銃を撃ち込むシーンは、この映画の最高の場面だね。

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監督はフランスのオリヴィエ・アサイヤス。テイストはB級アクション映画なんだけど、時どきカメラが据えっぱなし長回しになり、おやB級らしからぬショットだなと思っていると、途中から舞台は香港に飛び、ここから後は文字通り香港ノワールの世界になる。英語とフランス語と中国語が飛び交い、今ふうの無国籍映画に仕上がっている。

もっとも1本の作品としてのまとまりはなく、色んな要素がばらばらに放り出されたまま。おまけにB級テイストらしく、ストーリーもなんともご都合主義なんですね。

北京でクラブ経営を夢見るサンドラ(アーシア・アルジェント)は、元愛人だったファンド・マネジャー(ミシェル・メドセン)を誘惑して金を引き出そうとする。麻薬密輸に手を染める中国人貿易商レスター(カール・ン)の愛人でもある彼女は、ファンド・マネジャーを殺し、香港に逃亡するのだが、そこでもまた命を狙われて……。

要するに香港ロケしたかったんだよね。前半の舞台であるロンドンでは動きの少なかったカメラが、香港へ来てからのアクション・シーンでは手持ちでぐらぐら揺れたり、左右に激しく振られたりしながら路地裏やビルのなかをこれでもかと動き回る。

この監督の映画を見るのははじめてだけど、キャリアを見るとB級映画の監督ではなく、どちらかといえばアート系。香港の女優マギー・チャンを主役にすえた作品を撮っているし、台湾のホウ・シャオシェン監督を追ったドキュメンタリーもある。中国語圏の映画が大好きなんですね。

おまけに、元カイエ・ド・シネマで批評を書いていたと知って、ははんと思った。

かつてカイエ・ド・シネマで批評を書いていたジャン・リュック・ゴダールが50年代ギャング映画やアクション映画を解体・再構築して『気狂いピエロ』をつくったように、アサイヤスも香港ノワールやウォン・カーウァイ、ホウ・シャオシェンの映画を換骨奪胎して、現代的なファム・ファタールを主役に彼流の『気狂いピエロ』をつくろうとしたんじゃないかな。

(以下、ネタばれです)もっとも、ラストシーンは『気狂いピエロ』の伝説的なシーンのようにはいかず、香港ノワールがこと男女のことに関してはけっこう純愛(?)であるのを反映してか、アーシア姉さん、最後の最後で並の女に戻ってしまうのが残念。

ま、映画は特にどうという出来ではないけど、アーシア・アルジェントだけは記憶に残ります。

「ヴィレッジ・ヴォイス」の映画評も指摘してたけど、喉を絞ってセリフを口の中でもごもごとしゃべる表情は、女マーロン・ブランドみたい。彼女、美しいというのではないけれど、切羽詰った黒い瞳でじっと見つめられると、身体をぎゅっと掴まれ身動きできなくなる感じがする。

まさしくこの時代のファム・ファタール、そんなオーラが出ている女優だね。

日本でも公開されるらしい。

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2008年3月25日 (火)

ブルックリンご近所探索・19

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日曜の昼、暖かな日差しに誘われてパークスロープを散歩することにした。

アパートからフラットブッシュ・アヴェニューを南へ20分ほど。パークスロープはブルックリン最大の公園プロスペクト・パークの西側斜面(というほど高低差があるわけではないが)に広がる住宅地だ。

公園に面した一角はブルックリン・ハイツと並ぶ高級住宅街で大きな邸宅が並び、そこから下ってくるとブラウンストーンで建てられた築100年ほどの古いアパート群が広がっている。僕が住んでいるのはアフリカ系住民が多い地域だけれど、パークスロープは白人の住民が多い。昔からの白人住宅街が、そのまま残っているんだろう。

メインストリートは5thアヴェニューと7thアヴェニュー。まずは5thアヴェニューを南へ(写真)。この通りは最近、新しいレストランやカフェ、ショップが増えていて、若い人たちでいっぱいだ。

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街路樹の新芽が逆光に輝いている。もう春だね。

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アヴェニューから左右のストリートに入ると、ブラウンストーンのアパート群が連なる静かな住宅街。ここでもレンギョウが咲きはじめた。

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1928年の5thアヴェニュー。高架鉄道が走っていた。

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5thアヴェニューのバー(1940年代)。

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もう1本の繁華街、7thアヴェニューへ。こちらのほうが5thアヴェニューより閑散としている。写真はバプテストの教会。

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1922年の7thアヴェニュー。

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2時間ほど歩いてお腹がすいたので、エジプト料理のレストランで昼食。ヴェジタブル・プレートは2種類のホンムス(豆のペースト)や、豆と玉ねぎのコロッケ、野菜のぶどう葉包みなど。ヘルシーながら、量はたっぷり。

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2008年3月23日 (日)

イースター・エッグ・ハント

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イースターの前日、近くのブルックリン・ブリッジ・パークで子供のためのお祭り「スプリング・フリング・エッグ・ハント」が開かれると聞いて、散歩がてら出かけてみた。

イースターには鮮やかに色づけしたゆで卵がつきものだけど、それにちなんだ卵探しのゲーム。公園のなかに隠された金色の卵を見つけると、近くの有名チョコレート店ジャック・トーレスから特別の賞品が出るらしい。

もっとも僕が行ったときにはもうゲームは終わっていて、子どもむけのコンサートが開かれたり、子どもたちが顔にペインティングしてもらって喜んだりしてた。

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冬のあいだこの公園に来ることもなかったけど、イースト・リバーを渡る風ももう冷たくない。ここはベンチに座って対岸のマンハッタンを眺めたり本を読んだりするのに、なんとも気持ちいい場所なのだ。

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2008年3月22日 (土)

『マリッド・ライフ(Married Life)』

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第二次世界大戦後、1940年代後半から50年代のアメリカ映画は、アメリカも映画も輝いていた黄金時代の記憶として繰り返し反芻され、参照されているみたいだ。

空前の繁栄を謳歌していた反面、赤狩りの時代でもあったこの時代の重苦しい空気を反映したフィルム・ノワールは、今でもジャンルとしてしっかり残っているし、インディペンデント系映画館で当時の作品がしょっちゅう特集上映されている。

この時代に盛んだったもうひとつのジャンルであるメロドラマも、フィルム・ノワールほどでないにしても、昔の作品がときどき上映されているし、数年前には若いトッド・ヘインズ監督が当時のメロドラマを下敷きに『エデンより彼方に』をつくった。

この『マリッド・ライフ』も、そんな1本。2組の男女が絡みあう典型的なメロドラマの設定を基本に、コメディやスリラーの要素も取り入れながら、Ira Sachs監督(1965年生)はそれらのジャンル映画の定型と戯れている。

会社を経営し、郊外の上品な家で家庭を営むハリー(クリス・クーパー)には、若い愛人ケイ(レイチェル・マクアダムス)がいる。ハリーは友人の独身男リチャード(ピアース・ブロスナン)にケイを紹介するのだが、彼はハリーを出し抜いてケイに言い寄り、彼女を奪おうとする。

一方、ハリーは妻のパット(パトリシア・クラークソン)と離婚するよりは、いっそ彼女を殺してしまおうと毒薬を買い求める。ところがパットはパットで若い男がいて……といった具合に、話がこんがらかってゆく。

設定は1949年。髪型もメイクもファッションも、車やテレビなどの家具も、いかにも当時のアッパー・ミドル・クラスの生活を再現しているのが、アメリカ人には懐かしく感じられるんだろう。

若い愛人ケイの髪はブロンドだけど、演ずる女優レイチェル・マクアダムスの写真を見ると、どうも地毛はブルネットみたいなんですね。だから、ここでもアメリカ人が夢見る「ブロンド美人」をつくりこんでるんだと思う。

ケイが最初に登場するシーンで、彼女はブロンドの髪をアップにし、深緑のワンピースを着ているけど、これは明らかにヒッチコック『めまい』のキム・ノヴァクの髪型・服装を意識してる。

彼女が次に登場するとき、今度は髪をおろしてマリリン・モンローそっくりの髪型になる。頬にほくろがあるのもモンローによく似てるから、これも明らかに意識してるんだろう。ま、キムとマリリンを足して2で割ったというより、4で割ったくらいの魅力でしたけどね。

ハリーによる妻のパット殺しは成功するのか? ケイはハリーからリチャードに心変わりしてしまうのか? 

そんなふうにメロドラマやコメディやスリラーといったジャンル映画の典型的なシーンを連続させながら進むのがこの映画で、それ以上でも以下でもなかった。

どこかでそういう定型を逆転させるたくらみがあるのかと期待してたけど、そのまま50年代ふうな中産階級のモラルに回収されてしまう。ラストシーンもいかにもで、じゃあ、この映画を今つくる意味はなんなの? と、一言言ってみたくもなる。

例えば『エデンより彼方に』では、それが成功しているとは思えなかったけど、ゲイの問題や白人女性とアフリカ系男性の恋といった50年代メロドラマにはありえない設定を取り入れて、メロドラマの現在化を図ろうとしていた。

この作品にはそういう試みはまったくない。ちょっとビタースイートで懐かしい映画だったね、でお終い。いや、もちろん小味な映画として楽しみましたけどね。

日本では公開されるんだろうか?

蛇足。こちらで見たアメリカ映画のなかで、この映画、いちばんよく英語が聞きとれた。1940年代に白人中産階級が話していたクセのない英語を再現してたからだろう。

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2008年3月20日 (木)

ブルックリンご近所探索・18

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暖かくなったので外を歩くにはいい季節になったけど、今日はあいにく一日中雨。そこで久しぶりにブルックリン図書館をのぞくことにした。

まずは図書館近くのTom's Restaurantで腹ごしらえ。『ザガット』でも紹介されている店で、いかにもアメリカのダイナーといった内装。1936年からの老舗で、いつも地元の人々でいっぱいだ。スザンヌ・ヴェガがここで書いた曲の詞が壁にかかっている。

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前に来たときはパンケーキだったので、今日はチーズバーガー。こういう店では、やっぱりアメリカならではのメニューを注文したくなる。

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図書館そばのグランド・アーミー・プラザでは、雨のなかサンシュ(?)の黄色い花が満開だった。

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ブルックリン図書館。建物はご覧のように立派だけど、なかは町の図書館みたいな雰囲気で、高校生やシニアが気軽に利用している。

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館内には「Brooklyn Collection」という郷土資料室があって、たいていこの部屋に来て面白そうな本を探す。

今日は『Brooklyn - an illustrated history』という本をながめていたら、あれれ、これ僕のアパートのそばのビルではないか。

解説には「1940年代のパラマウント・シアター」とある。映画会社のパラマウントが持っていた劇場で、プラターズやビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツも公演したことがあるらしい。当時は、夜ごと近所のアフリカ系その他の人々でいっぱいだったんだろうな。

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これが元パラマウント・シアターの現在の姿。ロング・アイランド大学の校舎になっている。実はブルックリンの黄金時代を記憶する建物だったんだ。

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道理で大学の校舎には似合わない装飾がほどこされていると思った。元は劇場だったと分かれば納得。

『Brooklyn - an illustrated history』には他にも面白い図版があったけど、それはまた後ほど。

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2008年3月18日 (火)

『パラノイド・パーク(Paranoid Park)』

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ガス・ヴァン・サント監督の映画を見るのは初めて。『マイ・プライベート・アイダホ』も『グッド・ウィル・ハンティング』も『エレファント』も、その都度気になりながら、なぜか見に行かなかった。還暦を過ぎたジジイとしては、かつて浴びるほど見た青春映画というやつにアンビヴァレントな感情を持ってるからだろうか。

でもこの『パラノイド・パーク』、1990年代からインディペンデントやハリウッドで10本近いキャリアを持っている監督なのに、まるで処女作みたいにみずみずしいのにうなった。

中身だけでなく、製作のスタイルもそう。多分これ低予算映画で、主役はじめ多くの役に素人を使い、監督が拠点にしているポートランドで少人数のスタッフでオールロケしている。

その代わりというか、撮影にウォン・カーウァイ作品の名手、クリストファー・ドイルを『サイコ』に続いて起用した贅沢が、この映画のポイントでしょうね。

「マイ・スペース」で公募した主役のアレックス(ゲイブ・ネヴァンス)がスケートボードで宙を舞い、海辺の砂浜を歩き、夜の鉄道線路を走るさまを、クリストファー・ドイルは35ミリ・ムーヴィカメラ、ビデオカメラ、スーパー8を使い分け、それらを自在に組み合わせながら撮影している。

粒子が荒れたり色彩が微妙に違ったりと、機材によって質感が異なる映像を過去・現在の時間をばらしてつなぎ(そのために映像が説明的でなくなる)、偶然に人を死なせてしまったアレックスの、それまでとその後の行動をひたすら見つめているのがこの映画と言っていいだろう。

夜のスケートボード公園から事故にいたるいきさつや、ガールフレンドとのやりとりなど、ストーリーらしきものも一応あるけれど、それはどうでもいい。

また8ミリなど「ドキュメンタリーふう」な映像から、人を死なせてしまったアレックスの罪悪感を浮き彫りにしようというのでもない。

アレックスを追う映像から、監督が彼の内面に迫ろうとしているようにはまったく見えない。映像にそのような意味を生じさせるのではなく、ただそれらを価値判断なしに、でも美しく放りだしている。それがガス・ヴァン・サント監督のスタイルといえばスタイルなのかも。

もっとも、主役の美少年に対するフェティッシュな感情だけは感じられる。

『エレファント』でカンヌのパルムドールと監督賞を取った堂々たるキャリアの後に、こういうまるで処女作みたいな(実はかなりのテクニシャンだと思うけど)映画をつくったのが面白いね。

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2008年3月17日 (月)

スティーブ・キューンを聴く

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スティーブ・キューン(Steve Kuhn)は、僕がいまいちばん好きなジャズ・ミュージシャンだ。スタンダードをリズミカルに弾くときも、自分の曲をやや実験的な音使いで演奏するときも、いつも新鮮なフレーズで型にはまらず、しかも楽しいジャズを聴かせてくれる。

東京で2度ほど聴いたことがあるけど、そのときのトリオは若いメンバーで、しかも1度は女性ヴォーカルのバックだった(もったいない)。この日バードランドに出たトリオは、ベースにロン・カーター、ドラムスがアル・フォスターと、これ以上は望めないメンバーで、2年前に出たアルバム「Live at Birdland」と同じ場所、同じトリオ。

濃紺の地味なスーツでステージに上がったスティーブは2年前のライブにさらりと触れ、来年もまたここへ戻ってこられるといいんだけど、と淡々とした口調で加えた。

ロン・カーターは、スティーブの紹介と客席の拍手にもほとんど表情を変えず、目をつむったまま顔をベースの棹に近づける。シャイな彼らしい。アル・フォスターもちょっと笑顔を見せただけで、いかにも大人のトリオといった印象。さりげなく、静かに演奏が始まる。

「ライク・サムワン・イン・ラブ」などスタンダード2曲から入り、スティーブ・スワローの曲で「レディ・イン・メルセデス」。これがとてもリズミカルな曲で客席が乗る。次の自作曲では、低音で語るような歌をちょっとだけ披露し、アドリブも早弾きのフレーズを繰り返しながら次々に変化させてゆく表情豊かなもの。素晴らしい。

スティーブ・キューンのピアノを何と形容したらいいんだろう? 知的な抒情? 冷たい官能? うまく言い表せないけど、アフリカ系ピアニストのノリとはまったく別系統のクールな音。

アフリカ系ピアノのノリが聴き手の身体を直に揺さぶり、気がつけば身体が自然に動いているのに対して、スティーブの音を聴いているとまず脳が反応し、身体より先に脳が陶酔して、その後じわっと体全体に沁みてくる、と言ったら少しは分かっていただけるだろうか。彼のピアノに身も心も預けて聴いているのは無上の快楽なのだ。

このところ日本ではピアノ・トリオのスタンダード集が大人気で、毎月必ず何枚かの新譜が出る。スティーブ・キューンも例外じゃないけど、ほかのピアニストのアルバムは10回ほども聴くと飽きがくることが多いのに対して、彼のアルバムはこの10年ずっと聴いているけど、聴くたびに新鮮な感動をおぼえる。

ステージは一転してロン・カーターの静かな曲「リトル・ワルツ」。印象的なテーマをもった曲で、ロンのベースは相変わらずよく響く。アル・フォスターは控え目ながら、決めるべきところでびしっとと決める。

つづけてビリー・ホリデイが愛唱した「ドント・エクスプレイン」。最後は、自分が最初に働いたバンドのリーダーの曲と紹介して、ケニー・ドーハムの「ロータス・ブロッサム」。50年代ハードバップふうな曲が、スティーブの手にかかるととても現代的に聞こえるから面白い。

7曲、1時間半。なんとも贅沢なナイト・アト・バードランドでした。

ところで、彼はブルックリン生まれのブルックリン育ちらしい。そう聞くと、いっそう親近感が増す。

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2008年3月16日 (日)

メトロポリタン通い・5

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(Florine Stettheimer「The Cathedrals of Broadway」・1929)

冬の季節のメトロポリタン通いも、前回ですべての展示を回ったことになる(もっとも、展示してあるのは所蔵品のごく一部だけど)。残ったのは、少なくとも1度は見たことがあるセクション。で、今日は「モダン・アート」「19・20世紀ヨーロッパ絵画」と、始まったばかりの特別展「クールベ」へ。

「モダン・アート」では、去年の秋に見られなかったエドワード・ホッパーが展示替えで見られるかと期待してたんだけど、やはり展示されていなかった。

Florine Stettheimerがニューヨークを象徴するアイコンを描いた大作「カテドラル」シリーズが、いかにもアメリカ的な色づかいとポップな画面で印象に残った。「ウォール街」「ブロードウェー」「5番街」など4点。「ブロードウェー」(写真)は1929年というから、大恐慌のその年に描かれている。

僕らが知ってる大恐慌のイメージは、粗末な服を着た人々が職を求めて路上に並んでいるような写真だけど、それとは正反対の世界がブロードウェーの虚構のなかで繰り広げられていた。解説には「打ちひしがれた人々はブロードウェーのエンタテインメントに逃避した」とある。

「19・20世紀のヨーロッパ絵画」では、部屋から部屋へ次々に登場する印象派の画家たちのこれでもかというほど多数の作品を見ていると、20世紀初頭、アメリカの富豪たちがフランスへどんなに憧憬をもったかが分かるし、これだけの作品を収集した富の蓄積のすごさをも感じてしまう。

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クールベをちゃんと見たことはない。印象派より一世代前のリアリズム画家、程度の通り一遍の知識しかなかった。でもこれだけまとまって見ると、クールベのリアリズムがどんなものだったか理解できるし、人間としてもなんとも興味深い男だったことが分かる。

いくつもある自画像を見れば、彼が反逆的なアーティストの魂をもった男だったことは一目瞭然。肖像画は、時に19世紀のリアルを超えて現代的なセンスさえ感じさせる(娘を描いたものなど)。

古典主義絵画に対するアンチとして描かれた女性ヌードはどれもリアルで、レズビアンを主題にしたものなど、当時どんな反響があったんだろう。女性性器をアップにしたものもあるけど、これは江戸の浮世絵画家たちもたくさん描いているから、画家としては当然のことか。

風景画で興味深かったのは、当時、瞬間的な動きを捉えられるまで発達してきた写真との関係。クールベの絵画には、写真を下絵に使ったものがいくつもある。打ちよせる波の動きを捉えた作品なんかも、明らかに写真を意識したものだろう。

光が差し込む森を素材にした作品と、同じテーマの写真が並べてあるのを見ると、レンズを通した、人間の目とは異なった視覚が似ているだけでなく、色についても、白から墨に至るモノクロームの諧調で表現された写真の描写を、そのまま色彩の世界に移し替えて、くすんだリアルさを出しているのがよく分かる。

クールベは政治的にも過激でパリ・コミューンに参加、逮捕された。後に亡命してスイスで生涯を終えている。

前回見たジャズパー・ジョーンズの「グレイ」展といい、これといい、メトロポリタンの特別展はどれも面白い。

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2008年3月13日 (木)

バワリーを散歩する

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バワリー通りはブロードウェーにほぼ並行してマンハッタンのダウンタウンを南北に貫く15ブロックの短い通りだけど、ここを北から南まで歩いたことはなかった。暖かな太陽がのぞいて春めいた1日、ちょっとした散歩を試みた。

バワリー通りは、19世紀には当時の町の中心だったダウンタウンで、ブロードウェーとともに栄えた繁華な大通りだった。でも19世紀末に通りの上を走ることになった高架鉄道が街を分断して衰退し、やがてアルコール依存症患者やジャンキーがたむろするスラムになった。

ジャンキーたちがホームレスとなってマンハッタン全域に散り、隣のソーホー地区からアーティストが移り住んで街が変わりはじめたのは、ここ十数年のことらしい。昨年末にはニュー・ミュージアムが開館し、シックなバワリー・ホテルが開業してスノッブなニューヨーカーが集まりはじめ、今ではバワリーは注目されるスポットになっている。

そんな栄枯盛衰の歴史を持っているバワリーだけど、一部のスポットを除けば、通り全体はいまだスラムだったころの面影を残して、そぞろ歩きが楽しい場所じゃあない。通りの南半分は膨張するチャイナタウンの一角となり、北半分は厨房器具などを売るハードウェアの店が並んでいる。

バワリーを歩きながら漢字の看板の上を見上げたり、キッチン用品のウインドーの脇をのぞいていくと、建物はどれも古い。おそらく100年近く前の建築が多く、スラム以前の繁華街だったころを偲ばせる装飾がところどころ見えるのが面白い。

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(バワリー・ボール・ルーム=ダンスホールの看板と飾り窓)

19世紀のバワリーは音楽と劇場の街だった。

「(バワリーには)12軒以上の大劇場が軒をつらね、そのほかにもダンスホールやキャバレーがあり、オイスター・バーと飲み屋は数えきれないほどだった。劇場はどこも大衆向けにしたシェイクスピアなどの知的な芝居から低俗なものまで、さまざまな趣向をこらした演目を提供した」。(ピート・ハミル『マンハッタンを歩く』=集英社)

現在のブロードウェーのミュージカルの原型は、ここで生まれたのだった。

「若い男たちは週6日の仕事を終えると、給料袋を持ってやってきた。最初は劇場の安い席からはじめ、最後はダンスホールか売春宿で終わることになった。シェイクスピアか踊り子の女か。どちらにしても安アパートの部屋よりはましだった」(同)

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バルコニーと飾り窓を持つこの建物は、昔はなんだったんだろう?

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花模様のレリーフがドアの両脇に嵌めこまれている。

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かつての繁栄を偲ばせるバワリー貯蓄銀行。ニューヨークにいくつもの名建築を残したスタンフォード・ホワイトの設計で、1893年に建築がはじまった。

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2008年3月10日 (月)

ヴィレッジのジャズ・クラブで徹夜

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近所のyuccaさん夫妻に誘われて、土曜の深夜、ウェスト・ヴィレッジのジャズ・クラブ「smalls」に出かけた。ヴィレッジ・ヴァンガードの近く、西10丁目に面して目立たない入口がある。ガイドブックに載っているような店ではないから、誘われなければ来ることはなかったろう。夫妻に感謝。

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店のビラには「NY's Cutting Edge Jazz Club」とあった。とんがったジャズ・クラブ、ってとこかな。

店はカウンターと椅子席で、30~40人で一杯になる適度な密室感。パーカーやマイルスの写真が飾られた店内はいかにも手づくりで、寄せ集めの椅子やベンチやソファーにカップルが思い思いのかっこうで座り、リラックスしてジャズを聴いている。観光客の姿はない。20ドルのチャージ(週末はドリンク別)で、出入り自由、夜通しいても構わない。

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この日は土曜の夜とあって、3グループが出演する。店に入った午後11時には、2グループ目のEmilio Sosa & Tango Jazzが演奏していた。

ピアノ・トリオにテナー・サックスとアコーディオンのクインテット。メンバーはアメリカ在住のラティーノ(アルゼンチン? スペイン?)だろう。バンドネオンでなくアコーディオンが入っているのは、コンチネンタル・タンゴのミュージシャンだからか、あるいはバンドネオンではジャズのリズムとインプロビゼーションに対応しにくいのかも。

タンゴやミロンガや、マイナーな旋律の曲。タンゴとアヴァンギャルド・ジャズが混交したみたいな、魅力的な演奏。東欧のロマ・ブラスバンドの匂いもある。皆かなりの腕ききと見たけど、なかでもアコーディオンのインプロビゼーションは、初めて聴いたせいもあるけどすごかった。

世界中のあらゆる文化が交錯しているこの街で聴くにふさわしい。客もおおいに盛り上がり、楽しんでいる。

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午前1時からは、3グループ目のHarry Whitakar & "moment to moment"。ハリー・ウィテカーといえば、1970年代から活躍し『ブラック・ルネサンス』や『ソート』など何枚ものアルバムを出しているベテラン。そんな実力派のミュージシャンが深夜のヴィレッジで演奏するのが素敵だ。

演奏が始まるちょっと前に現れたウィテカーは、ご覧のようにお腹がぽこんと突き出して、歩くのも辛そう。病気でもしたんだろうか。

ベース(女性)、ドラムス、サックス&フルート(女性)の若いミュージシャンを従えての演奏。若い3人はまだ修行中といった音で、自分の演奏だけで精いっぱい。カルテットとしてのグルーヴが出なくて、ハリーのピアノだけが突出している。とはいえ、親しみやすい、ノリのいいピアノを聴いているだけで快い。

午前3時近く始まったセカンド・セットでは、クラブにふらりと現れたらしいトランペットが加わった。

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どこかの仕事を終えて顔を出したんだろうか、中年のこのトランペット吹きがなかなかの腕。若い3人は置き去りにされて、トランペットとピアノの素晴らしいインタープレイが始まる。ジャズのライブは、ときどきこういうことが起こるから面白い。トランペットにインスパイアされて、ハリーも長く見事なアドリブを聴かせてくれる。眠気もふっとんでしまった。うーん、いいなあ。

ところで、この日の深夜、アメリカは冬時間から夏時間へとシフト。時計が午前2時を打った瞬間が、そのまま午前3時になる。1時間がどこかへ消えてしまった。でもこういう音楽を聴いていれば関係ないか。

たっぷりと5時間。ニューヨークへ来て初めての朝帰りで、アパートの守衛の兄ちゃんに「グッド・モーニング」と挨拶された。

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2008年3月 8日 (土)

チャイナタウンの公園

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チャイナタウンに行きつけのカフェが2軒ある。カフェというより喫茶店と呼びたい昔ふうの店と、ややモダンなもう1軒。

モダンなほうの1軒はコロンバス・パークに面している。ここ数日、春を予感させる暖かな日がつづいて、公園のベンチでは男たちが中国将棋に、女たちはトランプに興じている。

のどかな風景だけど、この場所には悲惨な過去が隠されている。

現在のチャイナタウンからリトル・イタリーにかけての地域は19世紀にはファイブ・ポインツと呼ばれ、ニューヨーク最大のスラムだった。アイルランドやドイツからやってきた初期移民たちは、ここファイブ・ポインツやローワー・イーストサイドのテナメントと呼ばれる狭いアパートに住みついた。

当時、弁護士として彼らを助けた人物が、この地域について記した日記を残している。

「そこ(ファイブ・ポインツ)に住む大勢のお針子たちは毎日毎日、最低耐乏生活しかできない安い賃金で単調な骨折り仕事に身をすりへらしている。そこには希望も娯楽もない。波止場には泥棒が大勢いるし、街路には道端で寝起きする宿なしの子供たちがいる。ブロードウェイを少し歩けば、かならずボロを着たおぞましい12歳以下の娘たち(娼婦)に出会うことになる」(ピート・ハミル『マンハッタンを歩く』=集英社)

ファイブ・ポインツのなかでも、マルベリー・ベンドと呼ばれる一帯はとりわけひどかったらしい。

「世界で最も人口密度が高く、あらゆる犯罪、疫病、不幸、および執政者の腐敗が雑居する空間だった。5歳以下の子供の死亡率は65%にも達した。ここにはテナメント・アパートよりさらにひどい『地下住居』と呼ばれる共棲空間があった。文字通り、地下の穴蔵住居で窓も換気口もなく、雑居者の間でコレラ、マラリア、結核などの疫病が多発した」(高祖岩三郎『ニューヨーク烈伝』=青土社)

そこでの生活がどんなものだったかは、フォト・ジャーナリズムの開祖であるジェイコブ・リースが撮った、この街のスラムの写真からも想像することができる。

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(ジェイコブ・リース『How the Other Half Lives』)

マルベリー・ベンドのあまりのひどさに、1886年、ニューヨーク市はこの地区を買い上げて建物を壊し、公園をつくった。それがこのコロンバス・パークというわけだ。

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コロンバス・パークの周囲には、19世紀から20世紀初頭に建てられたと思われる古いアパートが残っている。今では改造されているだろうけど、当時は電気も水道もトイレもなく、1戸3部屋に10人以上がひしめいて暮らしていた。

チャイナタウンからテナメント博物館のあるローワー・イーストサイドにはニューヨークのいちばん古い町並みがそこここに残っていて、それらが今も現役の建物として使われ、人が出入りしている。その傍らを歩いていると、崩れかけたレンガ壁やすり減った石段から歴史の「影」を感じ取ることができる。

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数日前、チャイナタウンで偽ブランド商品の大規模な摘発があったというニュースを見たけど、いつも使っている地下鉄駅そばの一角だった。ふだんなら商品が鈴なりに吊るされている店が、すべて閉鎖されている。

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2008年3月 6日 (木)

予備選はまだ続く

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民主党の大統領予備選で、ヒラリー・クリントンがテキサス、オハイオという大票田でオバマに勝利した。CNNの開票速報を見ていたら、テキサスでは最初、オバマが3%のリードを保っていたのが時間とともに差が縮まり、やがて逆転という手に汗握る展開。風邪気味だから早く寝ようと思っていたのに、つい遅くまでテレビに見入ってしまった。

2つの州でヒラリーを勝たせた要因は、テキサスでは反オバマ(反アフリカ系)のラティーノ(農場のメキシコ系労働者)の存在、オハイオの場合は景気(ここでの争点は高失業率と貧困)だろうか。

両州のどちらかでもオバマが取れば勝負は決まりだったろうけど、これで決着は4月まで持ちこされることになった。高見の見物をしている外国人から見ると、まだまだ楽しめそう。

今回の民主党予備選は、初めての女性大統領か、初めてのアフリカ系大統領か、が話題の中心だけど、それをひとまずカッコに入れると、その下から昔ながらの構図が見えてくるように思う。

ワシントンでの豊富な経験と実績を売りものにする現実的政治家(クリントン)と、現実政治に汚染されていない清新さを売りものにするポピュリスト(オバマ)の対決という構図。前にも書いたけど、オバマが「Yes we can」を連発し聴衆がそれに応えて熱狂する風景は、ゴスペルを歌いながら陶酔する教会の信者たちを思い起こさせるし、ポピュリストの典型的な手法でもある。

ポピュリストは「風」を掴むのがうまいし、追い風に乗れば更に勢いに乗る。この1カ月、9連勝したオバマはまさにそれだった。今回の結果で、果たして「風」は止むのか。それとも、もう一まわり大きな「風」を巻き起こせるのか。

今回の大統領選でいちばん底を流れているのは、共和党の候補がそろってブッシュから距離を置いたことでも分かるように、ブッシュと彼がやったイラク戦争はもういいよ、という感情だろうと思う。

なにしろ9・11と何の関係もなかった国に軍隊を派遣して、毎月数十人もの自国兵士の犠牲を出している(それより遙かに多いイラク人を殺してもいる)。だから今回は振り子が逆に振れるはずで、その意味では初めから民主党優位の選挙と言えるんじゃないかな(予備選の投票総数を見ても、民主党のほうが共和党よりかなり多く、関心が高い)。

共和党では穏健派のマケインが候補に決まったのも、共和党なりにブッシュとは違うスタンスでそのへんを修正しましょう、ということだろうか。

ところで、選挙本番では2~3割いる無党派層が共和党候補に投票するか民主党候補に投票するかで勝負が決まると言われる。民主党側でその層を掴めるのは、経験と堅実さを売りにするクリントンなのか、「変革」の風を吹かすオバマなのか。

風が一瞬凪いでふと気づいてみたら、明日の財布が心配になった、なんてことも、サブプライム問題で景気悪化が心配されている今、ありえないことじゃないな。

ところで何人かのアメリカ人に、「アフリカ系が大統領になることへの抵抗感はあるの?」と聞いてみた。誰も口には出さないけど内心の抵抗はある、という人もいれば、もうそんな時代じゃないよ、という人もいる。

そんなもろもろの要素が絡み合って、ほとんど期待が持てない日本の政治に比べると、「劇場政治」としての面白さは本場のブロードウェー並みだ。少なくとも、どちらの党のどの候補者も、自分の考えと政策をはっきり言葉にして国民に語りかけていることには、当り前のことながら感心する。

誰が米国大統領に選ばれるかは、世界がこれから10年どの方向に動くかに影響する重大な選択だけど、とりあえず選挙権のない身にとっては、この出し物はどんな芝居より面白い。

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2008年3月 4日 (火)

ドン・フリードマンを聴く

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ニューヨークに戻った翌日、『ヴィレッジ・ヴォイス』のジャズ欄をチェックしていたら、次の日に1日だけ、それもランチタイムにドン・フリードマンがブルーノートに出ることを知り、さっそく予約を入れた。

ドン・フリードマンといえば、僕にとっては「サークル・ワルツ」の印象があまりに強い。

1962年録音のこの曲を初めて聴いたのは、まだウィントン・ケリーはじめハードバップ系のピアノばかり聴いていた時代だった。ワルツの3拍子に乗せた忘れがたいメロディーは闇夜に一瞬浮かんでは消える花火みたいな脆い美しさを持っていて、ビル・エバンスとともに白人ジャズ・ピアノの素晴らしさを教えてもらった。

この日は、ドン・フリードマン&NYUジャズ・ファカルティ・カルテットとしての出演。彼はニューヨーク大学(NYU)でジャズを教えていて、その教授陣によるカルテットということらしい。長老格のドン以外は、アルト・サックスはじめ30~40代の若いメンバーで組まれている。

スタンダードの「It could happen to you」から入り、ヘンリー・マンシーニの曲やベーシストのオリジナル・ブルース、スローバラードをはさんで、最後にまたスタンダードの「I hear a rhapsody」の5曲。

どの曲も、そこここにドンらしい叙情的な音が散りばめられている。叙情的ではあるけれど、マンシーニの曲をやってもべたっと甘くならないのがドンらしい。

自作曲を演奏しなかったので「サークル・ワルツ」みたいな斬新な音使いこそ聴けなかったけれど、安心して身も心も預けられる演奏。ブルースと「I hear a rhapsody」では、アルト・サックスとのインタープレイで大いに盛り上がる。

ちょうど1時間。ミュージシャンも聴くほうもエンジンがかかってきたところで終わってしまったのは残念だけど、ランチにドリンクつきで30ドルでは仕方ないか。

帰り際、あなたの「サークル・ワルツ」は僕の愛聴盤ですと握手を求めたら、ご老体、顔をくしゃくしゃにして喜んでくれた。

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ブルーノートを出たら、すぐ近くの映画館IFCセンターで看板の文字を交換していた。劇場の文字看板は昔から写真の素材になるほどニューヨークらしさのひとつだけど、なるほど、こんなふうに換えるのか。

先月、『4Months, 3Weeks and 2Days』を見たところ。主に外国映画やインディペンデント系の作品を上映し、設備も新しくゆったりしていて、お気に入りの映画館です。

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2008年3月 3日 (月)

地下鉄の5ヶ国語のビラ

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地下鉄の駅に運賃改訂のビラが貼られていた。3月2日から、基本料金こそ変わらないものの、各種パスが値上げになる。僕が使っている30日パスも76ドルから81ドルへ5ドルの値上げ。当局(MTA)は基本料金は変わらないと強調しているけれど、大多数の人は各種パスを使っているから実質的な値上げだと評判が悪い。

ところでこのビラ、英語は当然として、それ以外にスペイン語、韓国語(ハングル)、中国語、ロシア語の計5種類がある。

この選択に今のニューヨークでの、それぞれのエスニック(あるいは語圏)の存在感が表れていると考えるのは詮索しすぎかな。

ニューヨークの人種別人口のデータは持ってないけど、スペイン語圏(主に中南米)と中国語圏の人間が多いのは経験的にうなずける。街にはスペイン語なまりの英語(これが聞き取りにくい)が氾濫しているし、チャイナタウンはリトル・イタリーを飲み込み、さらに外側へと膨張しつづけている。

韓国人とロシア語圏の人間もコリア・タウンやロシア・タウン(リトル・オデッサ)を持ち、郊外にしっかりとコミュニティを形成している。コミュニティのなかでは誰も英語を必要とせず、それぞれの言葉で生活することができる。だから英語を解さない人がかなりの程度いて、それが地下鉄の5ヶ国語のビラになったとも考えられる。

しっかりとコミュニティを持っているロシア語圏の民族や韓国人に比べて、日本人はかなりの数がいるはずなのに、スシ・レストラン以外ニューヨーカーにとっても存在感が薄いみたいだ(スシ・レストランも中国人経営の店がけっこうある)。

そのひとつの要因は、日本人が良くも悪くもコミュニティを形成していないことだろうか。

戦前の西海岸のような日本人移民は東海岸にはいない。企業の駐在員とその家族、さまざまな理由で日本を脱出してきた若者(かつての若者)が日本人の2大グループだろうか。企業の駐在員は数年で交代するし、若者(かつての若者)も留学生であればやがて帰国する。ニューヨークに根づいたからといって一族郎党を呼びよせるわけではない。

つまりはコミュニティを形成する動機が薄いということだろう。だから、ここへ行けば日本人ばかりで日本語で用が足りるという地域がない(かすかにあるとすればイースト・ヴィレッジ)。コミュニティがないから、僕のような下手くそでも、なんとか英語を話しながら生活している。

日本人はまた、僕がブルックリンに住んでいるようにニューヨークのいたるところに住んでいる。スシ・レストランはじめ日本料理の店もいたるところにある。でも、どこにでもいる、どこにでもある代わりに塊としての存在感はない、ということかな。

地下鉄の話に戻れば、ここにはイタリア語のビラもない。かつてのイタリア移民は、リトル・イタリー(今では観光客向けレストランだけが残っている)を出て、ニューヨークの全域に「溶けて」いった。イタリア語だけしか解さないイタリア人は、世代の移り変わりとともに減った。

ついでながら、よく知られた話だけどかつてニューヨークは人種の「メルティング・スポット」と呼ばれた。今では人種の「サラダ・ボウル」と呼ばれる。

新しく来た移民たちは、いやもともといたアフリカ系でさえ「溶けた」のではない。サラダをどんなにかき混ぜてもトマトはトマト、レタスはレタスであるように、ニューヨークというサラダ・ボウルのなかで溶けずに混在している。

日本人の存在感が薄いのは、アングロサクソンと同じコーカソイド(白人種)ということでニューヨークに「溶けて」いったイタリア人の場合とは少し趣がちがうように思う(「溶けた」といっても、イタリア系は料理でもアートでも政治でも「アメリカ人」としてしっかり存在を主張してるけど)。

日本人は「溶けて」いない。でも中国人やロシア人のように群れをなして住んでいるわけでもない。良くも悪くも、コミュニティを形成する必要がない程度には個人として成熟してきた、逆に言えば民族としての集団のエネルギーが希薄になってきたということだろうか。

ニューヨークでなぜ日本人の存在感が希薄なのか、なんだか支離滅裂で、自分でも納得しかねる結論になりそうなので、尻切れトンボのまま中断。何かの機会に、また考えてみよう。

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2008年3月 2日 (日)

2週間ぶりのNY

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北米大陸を横断してニューヨークJFK空港を目指す航空機はいったん大西洋に出て反転し、海上から空港に入ってゆく。眼下にロングアイランドの海岸線と、小さな沼がいくつも連なったような潟を見下したとき、いま、この便はブルックリンの自分の部屋から見えているな、と思った。

僕が住むアパートの窓からは、ヴェラザノ・ナロウズ橋をかすめるようにJFK空港に下りてゆく航空機を朝から晩まで1、2分おきに、時には視界に複数見ることができる。ベッドに寝転がって、青空を切り裂く機影を、あるいは闇を横切ってゆく灯をぼんやりといつまでも眺めているのは、なんとも快い時間なのだ。

空港内を走るエア・トレインから地下鉄のハワード・ビーチ駅に出ると、風が頬を刺すように冷たい! 機内には現在の気温-2℃と表示が出ていた。出発日の東京が春みたいなぽかぽか陽気だっただけに、これはこたえる。

Aトレインに乗ると、車内も座席も冷えきっている。こちらの地下鉄の座席は合成樹脂製で、柔らかくて暖かな日本の電車の座席とは大違い。腰かけた尻の冷たさに、ああ、ニューヨークに戻ってきたんだな、と思う。

Aトレインはブルックリン東端の郊外から西へと夕闇の高架上を走る。現在でもあまり治安がよくないと言われている地域だ。いくつ目かの駅で、若いアフリカ系の男が黒いゴミ袋を片手に乗ってきて大声で話しはじめた。自分はホームレスだ、仕事も住むところもない、クォーター(25セント)でもダイム(10セント)でもいいから援助してくれないか。

ニューヨークの地下鉄では日常的に出会う風景。あまりに頻繁にお目にかかるので、音楽なりブレイク・ダンスなり、おお、やるじゃんと思える芸を披露してくれたときに1ドル寄付することにしている。

この若い男は何の芸もなく、ただしゃべっているだけ。でも、2週間ぶりのNY、自分の手が勝手にポケットのなかで動いて、1ドル札がなかったのでクォーター2枚を寄付した。「God Bless You.」と男から感謝されて、ああ、ニューヨークに戻ってきたな、と思う。

僕の向かいの席には、仕事帰りらしき中年の男が座っている。小柄な白人で、髪も目もブラウン。ときどきジャンパーの内ポケットから、ジンかウォッカだろうか透明なスピリッツの小瓶を取り出し、人目から隠れるように素早くぐびっとやっている。

またいくつ目かの駅で、一目でインディオの血が濃いと分かるラティーノが乗ってきて、ぐび男の隣に座った。こちらも肉体労働をした後らしく、手や顔がほこりにまみれたままだ。

彼はおぼつかない英語で、この地下鉄はマンハッタンに行くか、と隣のぐび男に尋ねている。ぐび男は、大丈夫だ、という仕草をしてみせ、ラティーノが持っていた手書きの地図を見て、いくつ目の駅だと教える。

やがて僕が降りる駅のひとつ手前で、ぐび男は、俺はここで降りるけど4つ目があんたの降りる駅だよ、とラティーノに教えて降りていった。その光景を眺めながら、ああ、ニューヨークに戻ってきたな、と3度思った。

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