僕の住んでいる地域は、近くにある公園(かつては軍隊が駐屯した砦)の名前を取ってフォート・グリーン地区という。このあたりを散歩していて、公園の北と南では街の表情がまったく違うのに気づいた。
公園の南側は上の写真のように、静かな住宅地が広がっている。落ち着いた褐色砂岩の3~4階建ての建物が並んでいて、その多くは100年以上前に建設されたものだ。
住宅街に対して直角に走っているデカルブ・アヴェニュー(写真上)にも、古い建物が並んでいる。このアヴェニューの商店やデリやカフェは個人営業の、いわゆる「パパ・ママ・ストア」がほとんどで、大きなスーパーもなければ、マックもスタバもない。僕の行きつけの2軒のカフェもここにあり、どちらも個人営業の店だ。
この一帯には、昔ながらのコミュニティーがそのまま残っているように感じられる。事実、僕はこの通りを歩いていて、見知らぬアフリカ系のおばちゃんから挨拶されたことがある。古い建物におしゃれなレストランやワイン・セラーが入り、古びていた街が再び活気づいてきたのは、ここ5年くらいのことらしい。
その住宅街の反対側になる公園の北側には、1950~60年代に建設されたと思しい茶褐色のレンガ造りの中層アパートが二十棟近く並んでいる。すべての建物が同じ外観を持ち、慣れないとどこに住んでいるのか分からなくなってしまいそう。1階部分に店舗はなく、鉄格子のはまった窓ばかり。夜になると人影が途絶え、ひとりで歩くのは不安になる。
ここはウォルト・ホイットマン・レジデンス(田園詩人の名が冠されているとは皮肉)といい、ニューヨーク市住宅局がつくった低所得者向けの公共住宅だ。レジデンスの向こうにはブルックリンとクイーンズを結ぶ高速道路が走っている。
地図を見ると、南北に走るストリートがこのレジデンスがある地域だけ分断されているから、かつてはここにも公園の南側と同じ褐色砂岩の住宅が並んでいたのだろう。その名残りのように、アパート群の脇に1891年建設のカソリック教会がぽつんと残されている(写真下)。
このレジデンスに入っているのは大部分がプロテスタントのアフリカ系のようだから、カソリック教会の信者たちはどこかへ散ってしまったんだろう。
現在のニューヨークの都市構造をつくった男をロバート・モーゼスという。
資産家の家に生まれたモーゼス(自ら運転する必要がなかったので、一生、車を運転できなかった)は、市の公園局長となった1930年代から60年代までニューヨークの都市計画の実権を握った。
マンハッタン島の外周に高速道路を張りめぐらせ、いくつもの橋を架けて郊外まで高速道路を伸ばし、ニューヨーク市内と郊外を結んだ。そのことによって、上・中流階級が郊外に家を持ち、車で市内に通勤するというライフ・スタイルが可能になった。
ちなみにモーゼスは中・下層階級の足(僕にとっても)である地下鉄を重視せず、ほとんど投資しなかった。現在のニューヨークで地下鉄のインフラが古く貧弱なのは、遠くそこに原因がある。
またモーゼスは市内の「再開発」を積極的に推しすすめた。スラムや空き家の多くなった地域を取り壊し、その後に大規模公共建築や中高層公共アパートを建てた。
(後記:これらの公共住宅は通称「プロジェクト」と呼ばれる。高祖岩三郎『ニューヨーク烈伝』によると、「プロジェクト」は1943年に建設が始まったイースト・ヴィレッジ北のスタイブサン・タウンを皮切りに、1950~60年代にかけてコレアーズ・フック、ハーレム、北ハーレム、モーニングサイド・ハイツ、コロンバス・サークル、コロンバス・サークル、ここフォート・グリーンなど10の「プロジェクト」が建設された。)
彼のやり方は現在では、地域のコミュニティーを破壊し、貧しい者を外へ(マンハッタンからブルックリンやブロンクスへ、さらにその郊外へ)と追いやる結果になったと批判されている。また、コミュニティーが破壊された後に建てられた公共アパート群が、ドラッグや銃撃など60~80年代の荒廃の舞台ともなった。
ウォルト・ホイットマン・レジデンスがいつ建設されたかは正確には分からないけど、こういう都市再開発の流れのなかでつくられた公共アパートであることは確かだろう。想像するに、レジデンスの背後を走るブルックリン・クイーンズ・エクスプレスウェイが建設された時に、ここも同時に「再開発」されたのかもしれない。
ちなみに、ここと同じレンガ造りの画一的な中高層アパート群は、マンハッタンのダウンタウンやブルックリンの他の地域でも頻繁にお目にかかる。例えば僕が毎日乗る地下鉄Qラインでイースト・リバーを渡り、マンハッタンに入ってゆくと、高架の左右にこのレジデンスと同じ、しかもより大規模な、暗い感じのアパート群が目に入ってくる。
このホイットマン・レジデンスの前を走るマートル・アヴェニューにもかつては「パパ・ママ・ストア」がたくさんあったんだろうけど、現在では敷地の一角につくられた集合店舗のなかに、いくつかの店が押し込められている(写真上)。
まあ、あまり散歩して楽しい場所ではないね。でも都市の構造が見えてくるという意味の面白さはある。
マートル・アヴェニューは、かつては道路の上を高架鉄道が走る繁華街だったけれど、今はちょっとさびれた感じの商店街になっている。それでも新しいレストランやカフェが少しずつ増えてきているようだ。
そんな1軒、タイ料理の「Thai 101」でパッドを食べて、今日の散歩はおしまい。
最近のコメント