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2008年2月

2008年2月17日 (日)

ステーキの味

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(地下鉄Jライン、マーシー・アヴェニュー駅からウィリアムズバーグ橋を見る)

日本から遊びに来た知人がおいしいステーキを食べたいというので、ウィリアムズバーグに行った。ニューヨークにおいしいステーキはないよ、と言ったんだけど(あくまで私の行ける予算の範囲内で、の話です)、こちらで本当にうまい料理に出会わなかった、最後の期待をかけて行ってみたいという。

レストラン・ガイド『ザガット』でも最高の28点がついている有名店。で、「最後の期待」の結果は? 知人のコメントは、言わぬが花かな。私はといえば、昔、松阪で食べた網焼きビーフの味をしきりに思い出しました。

ところで。

用事ができ2週間ほど日本に帰ることになりました。映画を見る時間があったり、なにか面白いことがあれば、日本からアップしたいと思います。

2月末にはニューヨークに戻ります。その頃には、少しでも暖かくなっているといいんだけど。

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2008年2月16日 (土)

『カッサンドラズ・ドリーム(Cassandra's Dream)』

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ウッディ・アレンの映画はコメディやブラック・ユーモア、あるいはひねりを利かせた作品が多いから、内容だけでなく映画作法にも遊びやひねりが多いような印象を持っていた。

でもそれは間違いだったと、この作品を見て気づいた。ウッディ・アレンの映画作法は実にストレートで、古典的と言ってもいいくらい。脚本の構成、カットとカットのつなぎ、音楽の入れ方など、1950年代以前の映画のテイストに通ずるものがある。きっちりしたモンタージュのリズムなど、もっと昔の無声映画みたいな感じさえする。

『カッサンドラズ・ドリーム』は、ユアン・マクレガーとコリン・ファレルの兄弟の犯罪心理劇だけど、例えばよく似たテーマをもつ『ビフォア・ザ・デビル・ノウズ・ユウ・アー・デッド』(日本未公開)の場合、過去と現在の時制を入り組ませ、カメラが複数の登場人物の視線に転換するなど、複雑な語り口をもっていた。

それは今ではハリウッドはじめ、世界のどの国の映画でも当たり前のように採用されてる映画作法だけど、『カッサンドラズ・ドリーム』は正反対。

過去から未来へと、時間は一直線に進む。カメラはきっちり据えられた客観3人称で、ごくオーソドックスな映像を積み重ね、人を驚かすようなつなぎは一切ない。音楽も、フィリップ・グラスの古いようで新しいストリングスの曲が、要所要所で控え目に入ってくる程度で、現実音だけで処理されている場面が多い。すべてが端正につくられている。

ウッディ・アレンの映画がクラシックな側面を持っているのは僕には新しい発見だったし、好感がもてるんだけど、そういう構造に目が行ってしまったこと自体が、この映画の出来を物語っているかもしれない。

美しい舞台女優に惚れたユアン・マクレガーと、賭博で借金を抱えたコリン・ファレルの兄弟が金に困り、アメリカから来た裕福な伯父に援助を求める。すると伯父は、彼の不正を告発したビジネス・パートナーを殺してくれるなら、と交換条件を出してくる。2人はその「仕事」をうまくやったのだが……というお話。

セリフの英語がよく理解できなかったので、ウッディ・アレンらしいジョークや皮肉がどこまで散りばめられているのか分からないけど(観客はあまり笑っていなかった)、『マッチ・ポイント』みたいに作品の構造が全体としてブラック・ユーモアになっているわけではない。

いかにも彼の映画らしく、心理の歪みや精神の失調がドラマをつくりだしている。強い母と弱い父という構図も出てくる。ウッディ・アレンの映画はたいてい、それらが歪んだ笑いや自虐的なユーモアになるわけだけど、ここではそうではなく、彼の映画が時々そうなるように重苦しい犯罪心理劇に終始する。

兄弟が買ったヨットで海に遊びに出るシーンとか、兄弟と伯父が雨を避けて木の下で密談するショットなど印象に残る場面もあるけど、全体としては期待はずれだったな。

なにより人間が生きてないと思った。強く偽善的な兄と、弱くて兄に引きずられる弟。ユアン・マクレガーもコリン・ファレルも、そんな図式的な絵解きを演じているだけのように見える。兄弟がほとんど同じ関係に設定されていた『ビフォア・ザ・デビル…』のフィリップ・シーモア・ホフマンとイーサン・ホークのほうが、はるかに生々しく感じられた。

それに舞台女優になるサリー・ホーキンズも端正な美人だけど、『マッチ・ポイント』のスカーレット・ヨハンソンみたいなエロティックな存在感に欠ける。そこでもまた映画の肉体性というか、画面を圧する存在感が足らないな。

やっぱりウッディ・アレンは、老人といっていい歳になっても惚れた女優を使ったときのほうが魅力的な映画になるみたいだ。新作『Vicky Christina Barcelona』はまたスカーレット・ヨハンソンらしいから、こっちのほうが期待が持てるかも。

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2008年2月13日 (水)

雪、そして予備選

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日曜の夜から猛烈に冷えこんで、今朝の気温は-9℃だった。外へ出ると顔に当たる風が冷たいというより、カミソリで切られる感じ。いよいよ本格的な冬がやってきた。午後からは雪も降り出した。

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夜になっても雪はやまない。明日の朝までにはかなり積もるかも。

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大統領予備選。民主党はオバマがヴァージニア、メリーランドなど3州すべてでヒラリー・クリントンに勝った。

CNNのメリーランドでの調査では、先週のスーパー・チューズデーに比べて、これまでオバマ票が少なかった女性、65歳以上のシニア層、農村部での票がぐんと増えた。若者、アフリカ系を中心にした熱狂的支持層だけでなく、より広い支持を獲得しつつあるようで、オバマの勢いを感ずる。ヒラリーは、次のテキサスで勝たないと苦しくなるだろうな。

共和党はマケインで決まりだろうけど、その場合、ハッカビーを押しているキリスト教右派が穏健派のマケインにどういう態度を取るのか。ブッシュ政権はこの層が支持基盤になっていたわけだから、共和党への興味はそこに尽きる。

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2008年2月11日 (月)

ブルックリンご近所探索・17

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僕の住んでいる地域は、近くにある公園(かつては軍隊が駐屯した砦)の名前を取ってフォート・グリーン地区という。このあたりを散歩していて、公園の北と南では街の表情がまったく違うのに気づいた。

公園の南側は上の写真のように、静かな住宅地が広がっている。落ち着いた褐色砂岩の3~4階建ての建物が並んでいて、その多くは100年以上前に建設されたものだ。

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住宅街に対して直角に走っているデカルブ・アヴェニュー(写真上)にも、古い建物が並んでいる。このアヴェニューの商店やデリやカフェは個人営業の、いわゆる「パパ・ママ・ストア」がほとんどで、大きなスーパーもなければ、マックもスタバもない。僕の行きつけの2軒のカフェもここにあり、どちらも個人営業の店だ。

この一帯には、昔ながらのコミュニティーがそのまま残っているように感じられる。事実、僕はこの通りを歩いていて、見知らぬアフリカ系のおばちゃんから挨拶されたことがある。古い建物におしゃれなレストランやワイン・セラーが入り、古びていた街が再び活気づいてきたのは、ここ5年くらいのことらしい。

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その住宅街の反対側になる公園の北側には、1950~60年代に建設されたと思しい茶褐色のレンガ造りの中層アパートが二十棟近く並んでいる。すべての建物が同じ外観を持ち、慣れないとどこに住んでいるのか分からなくなってしまいそう。1階部分に店舗はなく、鉄格子のはまった窓ばかり。夜になると人影が途絶え、ひとりで歩くのは不安になる。

ここはウォルト・ホイットマン・レジデンス(田園詩人の名が冠されているとは皮肉)といい、ニューヨーク市住宅局がつくった低所得者向けの公共住宅だ。レジデンスの向こうにはブルックリンとクイーンズを結ぶ高速道路が走っている。

地図を見ると、南北に走るストリートがこのレジデンスがある地域だけ分断されているから、かつてはここにも公園の南側と同じ褐色砂岩の住宅が並んでいたのだろう。その名残りのように、アパート群の脇に1891年建設のカソリック教会がぽつんと残されている(写真下)。

このレジデンスに入っているのは大部分がプロテスタントのアフリカ系のようだから、カソリック教会の信者たちはどこかへ散ってしまったんだろう。

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現在のニューヨークの都市構造をつくった男をロバート・モーゼスという。

資産家の家に生まれたモーゼス(自ら運転する必要がなかったので、一生、車を運転できなかった)は、市の公園局長となった1930年代から60年代までニューヨークの都市計画の実権を握った。

マンハッタン島の外周に高速道路を張りめぐらせ、いくつもの橋を架けて郊外まで高速道路を伸ばし、ニューヨーク市内と郊外を結んだ。そのことによって、上・中流階級が郊外に家を持ち、車で市内に通勤するというライフ・スタイルが可能になった。

ちなみにモーゼスは中・下層階級の足(僕にとっても)である地下鉄を重視せず、ほとんど投資しなかった。現在のニューヨークで地下鉄のインフラが古く貧弱なのは、遠くそこに原因がある。

またモーゼスは市内の「再開発」を積極的に推しすすめた。スラムや空き家の多くなった地域を取り壊し、その後に大規模公共建築や中高層公共アパートを建てた。

(後記:これらの公共住宅は通称「プロジェクト」と呼ばれる。高祖岩三郎『ニューヨーク烈伝』によると、「プロジェクト」は1943年に建設が始まったイースト・ヴィレッジ北のスタイブサン・タウンを皮切りに、1950~60年代にかけてコレアーズ・フック、ハーレム、北ハーレム、モーニングサイド・ハイツ、コロンバス・サークル、コロンバス・サークル、ここフォート・グリーンなど10の「プロジェクト」が建設された。)

彼のやり方は現在では、地域のコミュニティーを破壊し、貧しい者を外へ(マンハッタンからブルックリンやブロンクスへ、さらにその郊外へ)と追いやる結果になったと批判されている。また、コミュニティーが破壊された後に建てられた公共アパート群が、ドラッグや銃撃など60~80年代の荒廃の舞台ともなった。

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ウォルト・ホイットマン・レジデンスがいつ建設されたかは正確には分からないけど、こういう都市再開発の流れのなかでつくられた公共アパートであることは確かだろう。想像するに、レジデンスの背後を走るブルックリン・クイーンズ・エクスプレスウェイが建設された時に、ここも同時に「再開発」されたのかもしれない。

ちなみに、ここと同じレンガ造りの画一的な中高層アパート群は、マンハッタンのダウンタウンやブルックリンの他の地域でも頻繁にお目にかかる。例えば僕が毎日乗る地下鉄Qラインでイースト・リバーを渡り、マンハッタンに入ってゆくと、高架の左右にこのレジデンスと同じ、しかもより大規模な、暗い感じのアパート群が目に入ってくる。

このホイットマン・レジデンスの前を走るマートル・アヴェニューにもかつては「パパ・ママ・ストア」がたくさんあったんだろうけど、現在では敷地の一角につくられた集合店舗のなかに、いくつかの店が押し込められている(写真上)。

まあ、あまり散歩して楽しい場所ではないね。でも都市の構造が見えてくるという意味の面白さはある。

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マートル・アヴェニューは、かつては道路の上を高架鉄道が走る繁華街だったけれど、今はちょっとさびれた感じの商店街になっている。それでも新しいレストランやカフェが少しずつ増えてきているようだ。

そんな1軒、タイ料理の「Thai 101」でパッドを食べて、今日の散歩はおしまい。

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2008年2月 9日 (土)

メトロポリタン通い・4

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今日はたっぷり時間があったので、中世美術、ヨーロッパ彫刻・装飾美術、アメリカン・ウィング、それに企画展を2つ、ジャスパー・ジョーンズ「GRAY」とリー・フリードランダー写真展「A RAMBLING in OLMSTED PARK」を、休み休み5時間かけて回る。

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メトロポリタンの中世美術は、分館のクロイスターズ美術館が修道院を建物ごと移築して、中世の空間のなかで数々の美術品を見ることができる。だから本家のこちらは、そんなに量は多くない。

中世美術はほとんどがキリスト教関係だから、その方面の知識に乏しい当方には苦手。でも宗教的なことはさておき、人の表情など、時に稚拙とも思えるつくりのなかに見る者の胸にぐさりと刺さるものがある。

写真は13世紀フランス(リモージュ)の聖母子像。

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アメリカン・ウィングは装飾美術が中心。これはシェーカー教徒が隠遁生活を送った部屋(19世紀)を再現したものだ。シェーカー教は厳格な清教徒の一派で、自給自足の共同生活、禁欲、独身主義などで知られる。シェーカー教徒がつくった家具は「シェーカー家具」と呼ばれ、装飾を排した実用的な美しさを持つ。

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(ヨーロッパ彫刻の部屋で)

ジャスパー・ジョーンズの「GRAY」展は、彼の作品のなかで特徴的なグレー1色に塗りこめられたものだけを選んで、「国旗」「地図」などテーマごとに展示したもの。これまで彼の作品をMoMAなどで単品で見たことはあったけど、これだけまとまって見るのは初めてだ。初期のものから近作まで、グレーを通してジャスパー・ジョーンズの全体像がよく分かる。

同時に、一つのテーマ(アイディア)からいくつものバリエーションを描いてゆくやり方は、なるほどアートをお金にするのはこうやるのか、ということも分かる。ウォーホールもそうだけど、いろんなヴァリエーションをつくりやすいポップアートは、特にそういうやり方に向いているのかも。

「国旗」シリーズのグレー1色で描かれた星条旗は、星やストライプが色を失い、あるヴァリエーションでは形すら失われかけている。政治的メッセージが込められているわけではないけど、同時期にジミ・ヘンドリックスがアメリカ国歌をずたずたに演奏した(こちらはベトナム戦争批判)のを思い出してしまった。

リー・フリードランダーのは、セントラル・パークなど都市の公園の木々を繊細なタッチで撮影したもの。数週間前に散歩したプロスペクト・パーク(ブルックリン)の石造の橋が写っていて、おお、と思う。かつて「ソーシャル・ランドスケープ」で世に出たフリードランダーが、公園という「アーティフィシャル・ランドスケープ」を撮ったことに歳月を感じてしまった。

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2008年2月 7日 (木)

『4マンス・3ウィークス・アンド・2デイズ(4 Months, 3 Weeks and 2 Days )』

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暗く、淋しく、しかしどこに誰の目が光っているか分からない不気味さを感じさせる街。そんななかを、不安を抱えてさまよい歩く主人公の姿が圧倒的だ。

チャウシェスク独裁政権下のルーマニア。ブカレストの学生寮で、2人の女子学生が同室で暮らしている。その1人、ガビータ(ローラ・バシリュー、写真右)が妊娠してしまい、非合法の堕胎をしようとしている。

もう1人の女子学生、オティリア(アナマリア・マリンカ)がそれに協力する。恋人から闇の医者を紹介してもらい、ホテルの部屋を取る。監視されているフロントを通過して医者を部屋に連れてきたものの、所持金が不足していて、その分を体で支払うことを強いられる。

ストーリーそのものも辛いけど、そうしたことが学生寮やホテルや街路や路面電車の、何とも寒々とした風景のなかで進行する。『善き人のためのソナタ』もそうだったけど、社会主義政権下の、冷気が肌に沁みこんでくるような気配が実感できる。その冷たい空気感が、この映画のひりひりするような魅力だ。

手術直後のガビータを部屋に残して、オティリアは恋人の誕生日を祝いに彼のアパートを訪れなければならない。残されたガビータは無事なのか? 堕胎はうまくいったのか? このあたりはサスペンス・タッチで、見る者をはらはらさせる。

恋人の家にいたたまれず、暗い道を走ってホテルに戻るオティリア。堕ろした胎児をバスタオルにくるみ、処分する場所を求めて街をさまよい歩くオティリア。その姿を捉えるカメラは、彼女の動揺が乗りうつったように揺れ動く。そのカメラワークが素晴らしい。

2007年カンヌ映画祭のパルムドール受賞作。クリスチャン・ムンギウ監督の2作目だけど、前作はコメディーだったそうだ。1作目を見てみたい。

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2008年2月 6日 (水)

スーパー・チューズデー

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あるアメリカ人が、こんなに面白い大統領選は久しぶりだと言っていた。

民主党では、エドワード・ケネディ上院議員がオバマ支持を表明して以来、オバマの勢いが本命クリントンを飲み込もうとしているように見える。

エドワードだけでなく、彼の息子パトリック・ケネディ下院議員、故ジョン・F・ケネディ大統領の娘キャロラインに続いて、大統領の姪で、共和党(!)のシュワルツネッガー・カリフォルニア州知事夫人であるマリア・シュライバーまでがオバマ支持を明らかにした。ケネディ家の支持は、元大統領のイメージに自分を重ねたいオバマにとっては願ってもないことだろう。

俳優のロバート・デ・ニーロも、今まで政治的立場を明らかにしたことはないが、と前置きしてオバマ支持を公言した。

午後6時から始まったCNN特番の出口調査を見ていると、20代、30代の若い世代とアフリカ系(当然だけど)のオバマ支持が際立っている。

若い世代を中心に「変化」を望む声は、今のところ2大政党の一方で多数を形成できるかを争っている段階で、単純化すればアメリカの4分の1の声にすぎない。でもこの動きが広がって、民主党の大統領候補になり、さらに初のアフリカ系大統領実現にまで結びつくのかどうか。それが(僕にとっては)この選挙のいちばん興味深いところだ。

数年前のテレビ・ムーヴィー『24』で大統領がアフリカ系に設定されていたのは架空のお話だったけど、それが本当に実現するかもしれないところまで時代は動いている。

午後11時すぎ。今、カリフォルニアの開票が始まったところで、クリントン優勢が伝えられた。出口調査では、ラテン系とアジア系のクリントン支持(というより反オバマでしょうね)が目立つ。

クリントンはニューヨーク、ニュージャージー、マサチューセッツと東部の重要な州を押さえ、カリフォルニアでも勝つとなると、けっこうな数の代議員を獲得できる。もっとも、今のところオバマもクリントンより多い9州を押さえているから(6日0時現在)、スーパー・チューズデーは引き分けということになるのか。

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支持者の前に登場したヒラリー・クリントンも、緒戦で苦戦していたころの感情が表に出る切迫した演説に比べると、余裕の表情。オバマは相変わらず見事な演説で、最後は例によって会場が「Yes, we can」の大合唱になったけど、表情はちょっと硬いように思える。

いずれにしても、決着はまだ先になりそうだ。

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2008年2月 5日 (火)

バワリーのニュー・ミュージアム

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昨年12月にオープンしたバワリーのニュー・ミュージアムに出かけた。

バワリーといえば、かつては足を踏み入れてはいけない場所の代名詞のようなところだった。

高校生だったからもう40年以上前、『バワリー25時』というドキュメンタリー(ふうの劇映画だったか?)を見たことがある。まだホームレスやジャンキーなどという言葉を知らない時代、浮浪者や麻薬中毒者がうごめく貧民街のリアルな姿に、同時上映されていた映画のタイトルそのままに『アメリカの影』(ジョン・カサベテス監督)を感じた。

それから20年近くたった1980年代にニューヨークを初めて訪れたとき、バワリーはまだ危険な場所だった。NYに住む友人の案内でバワリー近くのレストランに行ったおりも、車から降りてほんの数十メートル歩くだけで、まわりに気をつけて、と言われて足早になったのを思い出す。

いま、バワリーにそんな空気はない。ロウワー・イースト・サイドの街並みはきれいとはいえないけれど、そしてこの日は大雨で人が少なかったけれど、ホームレスもジャンキーの姿もなく、歩いているのはごく普通の人たちだ。

周辺に厨房器具の店などが並ぶなかに、ニュー・ミュージアムのユニークな建物が建っている。妹島和世と西沢立衛のユニット・SANAAの設計で、まるで近くで売っている厨房器具を巨大にした箱が乱雑に積み重ねられたような、メタリックな感触。周囲の古い建物のなかに屹立して、バワリーが変わりつつあることを実感させる。

彼らの設計した建物では原宿のDior表参道に行ったことがあるけど、まるで光の塔のようになる夜の姿が特に美しかった。このミュージアムは夜はどうなるんだろう? 今度は夜に来てみようか。

もっとも、中にもう一度入る気はしないな。ここは現代アート専門の美術館で、オープニング展の「アンモニュメンタル」はあえて「ジャンク」な素材と手法の作品を集めてるみたいだけど、結果も「ジャンク」だったと僕には思える。どの作品の前でも、一度も足が止まらなかった。

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2008年2月 3日 (日)

ブルックリンご近所探索・16

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バスに乗ってウィリアムズバーグへ出る。ここはもともと工場地帯だったけれど、ブルックリンの工業の衰退とともにさびれていた。それがこの10年ほど、かつてのソーホーのようにアーティストがロフトに移り住み、それにともなって新しい店ができて、今ではすっかり若者の街に変わっている。

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カフェのカウンターに座って外を眺めていると、いかにもスノッブな若者はじめいろんな人種が通りすぎて飽きない。カウンターの隣に座った若い男の子が「見て見て」って感じでライカM7を脇に置いたので、「いいカメラ持ってるね」と言ったら、いかにも嬉しそうに「サンキュー」と笑った。プロを目指してるという。

写真背後に写っている建設中のビルはコンドミニアム。ここもまたコンドミニアム・ブームなんだろう。

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メイン・ストリートを一歩脇に入ると、まだ昔の工場地帯の面影がそこここに残っている。水道タンクはブルックリン・インダストリーズというファッション・ブランドのマークにもなっているほどで、ブルックリンを代表する景観。

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工場の壁にグラフィティ・アーティストのイラストが嵌めこまれている。

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ここの一角にブルックリン・ブリュワリーという地ビールの工場がある。土日は見学させてくれ、4ドルで4種類のビールから試飲もできる。ブラウン・エールを飲んだけど、けっこういけました。

ブルックリン・ブリュワリーは1987年に2人の男によって始められた新しい企業だ。目指したのはベルギーのエール(ビールの1種でアルコール度が高い)。1996年に現在地のウィリアムズバーグの古い工場跡に醸造所をつくって、文字通りの地ビールになった。

今ではエール、ラガー、ピルスナー、スタウトなど13種類のビールを販売している。

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工場の一角。温度計なんかが置いてある。

ブルックリンのレストランやカフェには、緑の円のなかにブルックリンのBをデザインしたマークのネオンが出ている店がけっこうあり、無国籍のマンハッタンとは違う地元意識を感じさせる。

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2008年2月 1日 (金)

メトロポリタン通い・3

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(色っぽい観音さん。遼時代。10~11世紀)

今日のメトロポリタン通いは中国美術へ。ここの展示は、アーヴィング夫妻という一組の夫婦のコレクションを基礎にしているらしい。特に古代中国の青銅器は質量ともに豊富で見ごたえがある。

陶磁器もかなりの量が展示されている。

中国の陶磁器はヨーロッパに輸出されて貴族に愛好され、17~18世紀にはそれを真似たデルフトやマイセンなどヨーロッパ陶磁器を産み出し、シノワズリーという中国趣味も流行した。伊万里の磁器も、もとをたどれば景徳鎮の代用品としてヨーロッパに輸出されていた。

中国・日本・ヨーロッパの似たデザインの陶磁器を並べて展示するコーナーがあり、これがけっこう面白い。有田の柿右衛門はあまり好みではないけど、中国・ヨーロッパのものと並べみると、いちばん好ましく感じられるのはやっぱり日本人だからだろうか。

そういう歴史があるから、ヨーロッパに憧れたアメリカの金持ちも中国趣味を共有している。そういえば、フリック・コレクションにも中国の陶磁器がたくさんあったっけ。

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(四川の職人を招いてつくられた館内庭園は不思議な空間。ロックフェラー家、ヴァンダービルト家と並ぶ米3大富豪のひとつ、アスター家の寄贈)

中国美術のセクションに隣り合って、日本と韓国美術の部屋がある。

中国と日本・韓国の展示を同時に見ていると、中世くらいまでの日本と韓国の美術は中国美術の1支流にすぎないことを否応なく納得させられる(もちろんディテールには、さまざまな「日本化」「韓国化」があるのだが)。

メトロポリタンは寄贈された個人コレクションが基礎になっているから、所蔵品ははっきり言って玉石混交だと思う。もちろんすごい「玉」がたくさんあるわけだし、「石」は「石」でヨーロッパ絵画やエジプト美術のように圧倒的な量があれば、それによって流れがつかみやすくなるという役割を果たしている。

でも日本のように展示品の量が少ないと、文字通りの玉石混交が目につく。春信や歌麿の隣に、明治期のどう見ても上品とは言えない浮世絵が飾ってあるし、陶磁器は僕にはかなりの部分がジャンクに見える。

話はとぶけど、ハリウッド映画で日本や日本人が登場すると、たいていどこか中国ふうな、あるいは無国籍東洋ふうな、珍妙な姿になっていることが今に至るまで続いている。

でもこういう展示を見るていと、関心を持っている人ならともかく、一般的なレベルではそうなるのも無理ないな、という気もする。3国は大づかみにいえば同じ流れに属しているから、僕らがイラクとイランの美術の識別がむずかしいように、アメリカ人にも中国と日本と韓国の区別は簡単じゃないだろう。

しかも中国への憧れを持っていた日本絵画(例えば屏風絵や南画)は、テーマとして中国の風景や風俗を取り上げることも多い。平均的な外国人がこれを見れば、日本の屏風絵に描いてあるのだから日本の風景や日本人に違いないと勘違いしても仕方ないのかも。

日本や韓国のセクション(あるいはドローイング・版画・写真のセクション)みたいに量的に貧弱なところの展示を見ると、良くも悪くもメトロポリタンのあり方が分かってくる。

もちろん、量的に少ないセクションにも「玉」があるのがさすがなんだけど。1点づつあった春信、歌麿が艶っぽくて素敵だ。李朝白磁の大壺にも見惚れる。

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