メトロポリタン通い・2
メトロポリタンを全部見ようと決めて、今日はアフリカ・オセアニア・アメリカのアートと企画展「中央アフリカのアート」へ。
メトロポリタンの収蔵品の半分近くは、富豪のコレクションが死後に寄贈されたものだという。特にそれぞれの地域のプリミティブ・アートが中心になっているこのセクションは、寄贈されたものが多いという印象を受けた。
展示品を見ていくと、19世紀後半に収集されたものが基礎になっているけれど、最近(といっても1970年代以降に)寄贈されたものも多い。だから、世界的なプリミティブ・アートへの関心の高まりを反映して、メトロポリタンのなかでもその比重が高くなっているんだろう。
なかでも、1961年に若くして事故死したロックフェラー家の御曹司・マイケルが収集した品々はいちばんいい場所を与えられている。上の写真は、彼がニューギニアで収集した死者葬送のためのポール。ここの目玉のひとつ、デンドゥール神殿と同様、全面ガラス張りの窓からは外光がたっぷり入り、セントラル・パークの木々が見える。ゆったりと空間を使った、なんとも贅沢な展示。
ヒョウの頭部(ナイジェリア、16~19世紀)
骨壺(メキシコ、4~5世紀)
素晴らしく充実したこれらの部屋を見ていて、気がついたことがある。
一方で、これだけの量のプリミティブ・アートを世界各地から収集してきた富の蓄積のすごさと、その一方、アメリカ合衆国内のネイティブ・アメリカンのアートが本当に数えるほどしか展示されていなかったことだ。地理的に離れているアラスカ(1867年に合衆国政府がロシアから購入)のものを除けば、多分、十数点しかなかったと思う。
プリミティブ・アートのセクションで19世紀後半の収集物が中心になっているということは、この時代、エキゾチックな辺境や未開の地への興味が高まり、博物学の流行や写真の発明もあって、そうした地への探検・収集の旅がはやったことと無縁ではないだろう。
でも、その時代、アメリカ合衆国内部では白人とネイティブ・アメリカンの戦いが続いていた。自らが戦い、虐殺を繰り返した相手に対してはエキゾティシズムも彼らのアートへの興味も生まれるはずがなく、それが今にいたるまで、メトロポリタンのネイティブ・アメリカン・アートの欠落ということにつながっているんだろう。
このセクションの展示は、「あったもの」もとても面白かったけど、「なかったもの」もまた興味深かった。
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コメント
そこにあるものとないものの両方を見る目・・
終わりの2行に痺れました。次回も楽しみにしています。
投稿: Jam | 2008年1月29日 (火) 00時04分
これで1階展示室の3分の2を見た程度でしょうか。ともかく質量ともに圧倒されます。でも、今日はどこを見ようか、迷うのも楽しみのうちです。
投稿: 雄 | 2008年1月29日 (火) 23時08分