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2008年1月15日 (火)

『I'm Not There(アイム・ノット・ゼア)』

Im_not_there

『アイム・ノット・ゼア』はボブ・ディランの伝記映画と紹介されていて、僕も以前のエントリでそう書いたけど、実際に見てみると、彼の半生を描いた伝記映画などではまったくないのだった。

いや、確かにボブ・ディランの過去のいろんな出来事が素材として散りばめられているし、ディランの十数曲もの歌が、彼自身を含め何人もの歌手によって歌われているのは確かなんだけど。

この映画の公式HPに「クリスチャン・ベール、ケイト・ブランシェット、リチャード・ギア(など6人の役者の名が並び)、彼らはみなボブ・ディランなのだ」とあるように、この映画では6人の役者がボブ・ディラン(映画のなかでは仮名)を演じている。

いや、そういう言い方は正確じゃない。6人の役者がボブ・ディランの少年期から現在までを演じわけているのではなく、ボブ・ディランという歌い手のなかに凝縮されているさまざまな要素を6つの人格として独立させ、6人の役者がそれぞれに演じているのだといえば、少しは映画に近づくことができるかな。

だから、早熟なブルースあるいはフォーク・シンガーである少年期のボブ・ディランを演ずるのはアフリカ系の少年だし、リチャード・ギアが演ずるのはボブ・ディランであると同時に歴史のなかの人物、ビリー・ザ・キッドでもある(このあたり、例によってセリフが十分に聞きとれないので誤解があるかも。間違ってたらお許しあれ)。

そんな6つの人格が織りなすたくさんのエピソードが、ばらばらに分解されて散りばめられている。映画は時にモノクロームになり、時にはカラーになる。バイクで事故を起こしたり、ビートルズと出会ったりと、僕らが知っているディランのエピソードもあれば、事実から自由にイメージの世界に遊んでしまったりもする。リアルなカメラワークかと思えば、ファンタジックになったり、昔のシネマ・ヴェリテふうな映像になったりもする。

結局のところ、トッド・ヘインズ監督はボブ・ディランを素材に虚実のあいだで自在に遊んでいると言えばいいのか。「I'm not there」ってディランの曲をタイトルにしてるけど、まず「there」のt抜きで「I'm not here」とタイトルが出て、次にtが入って「I'm not there」となる。どんぴしゃりだね。

6つの人格をつなぐ接着剤の役を果たしているのが、女優ケイト・ブランシェット。ほかの5人がそれぞれ地のまま演じているのに対して、彼女だけがボブ・ディランの表情や仕草やしゃべり方を見事に再現してる。

女性がディランを演ずることだけでも驚きだけど、ほんとによく似てるんだな、これが。サングラスをずらして上目づかいに見上げる表情とか、恥ずかしげに両手を挙げる仕草なんか、もうそっくり。さすが、女優魂といいますか。

この監督の映画、『エデンより彼方に』を見て失望したことがあるけど、こっちのほうが遙かに面白かった。去年の各種ベスト10で、この映画をベスト1に挙げている人が何人かいたけど、好みがはっきりしているとはいえ、それもうなずける。

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