『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド(There Will Be Blood)』
ポール・トマス・アンダーソン監督は1作ごとにいろんなスタイルの映画をつくって、それをまたことごとく見事な作品に仕立ててる。いま僕がハリウッドでいちばん期待してる若手の監督。
『ブギー・ナイツ』は巨根のポルノ映画スターを主人公に、観客に麻薬のように刺激を与えつづけるハリウッドの常套的な映画づくりの逆を行きながら、しかも長時間を飽きさせず見せた新鮮な内幕ものだった。『マグノリア』はトム・クルーズやフィリップ・シーモア・ホフマンが印象に残る、ロバート・アルトマンみたいな群像劇の傑作だったし、『パンチドランク・ラブ』はオフ・ビートなラブ・ストーリーだった。
今回、P・T・アンダーソン監督は『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』で歴史に挑み、叙事的な年代記を、またしても見ごたえある作品としてつくりあげた。
19世紀末のカリフォルニア。金銀を掘っていた流れ者ダニエル・デイ=ルイスが、偶然に石油を掘り当てる。その冒頭10分近くを、アンダーソンは、ほとんどセリフなしの映像だけで語る。デイ=ルイスが掘った鉱口から見上げる、3つの峰を持った丘の暗くのしかかるようなショットが、これからの展開を暗示するように迫ってくる。
デイ=ルイスは、石油が埋蔵されている土地を所有する一家から、騙すようにして土地を借り上げ(このあたり、英語のセリフがよく分からず、間違ってるかも)、人を雇って本格的な石油採掘を始める。利益のためには他を顧みない強引なやり方で彼は事業を成功させ、やがて第一次世界大戦を経て富豪にのぼりつめる。
そんなアメリカン・ドリームを実現させた男の一生を、映画は主人公の心情に寄り添うのでなく、次々に起こる出来事を第三者的な視点から叙事的に描いてゆく。
デイ=ルイスが実現したアメリカン・ドリームの背後には、いくつもの「血」が流れている。デイ=ルイスは幼い息子を事業のパートナーに育てようと連れ歩いていたが、息子が採掘現場の事故で聾唖になると、手のひらを返したように施設に追いやって捨てる。同じ母から生まれた弟だといって近づいてきた男を、いったんは息子に代わるパートナーとして受け入れるが、それが偽りだったと知ると、男をひそかに殺して埋める。
デイ=ルイスには強力な反対者も出現する。土地を騙し取った一家の息子(ポール・ダノ)が熱狂的なキリスト教の牧師として、彼の土地に戻ってくる。牧師は人々を扇動し、デイ=ルイスは信者たちの面前で、聾唖の息子を捨てた罪人として牧師の前に膝を屈し、「私は罪人だ」と告白させられる屈辱を受ける。やがて、この対立も最後に「血」を見ることになるのだが……。
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』はだから、一人の石油成金を通して見たアメリカ資本主義生成史であり、血塗られた「アメリカン・ドリーム」の裏側を描いた映画なのだ。……と書けば、似たような素材とスタイルをもった作品としてオーソン・ウェルズの古典『市民ケーン』を思い浮かべる人もいるだろう。こちらのいくつもの映画評も、『市民ケーン』を引き合いに出していた。
映画の後半、莫大な財産を築きあげたデイ=ルイスは豪邸に住んでいる。豪邸の一室にはボーリングのレーンがある。このシーンで、何人かの観客のささやき声が聞こえた。僕の推測だけど、彼らは「まるでフリック邸だね」とささやいたんじゃないだろうか。
フリック・コレクションで知られるフリックは石油でなく鉄鋼王だけど、映画の設定と同時代につくられた彼の豪邸(現・美術館)にボーリング・レーンがあることは有名で、僕も写真で見たことがある。
この映画を見るアメリカ人の観客の頭を、そんな何人もの富豪の名前が横切ったであろうことは想像に難くない。
そのひとつは、ブッシュという名前だろう。テキサス出身のブッシュ家はもともと石油で財をなしたし、ブッシュ政権が石油業界と密接に結びついていることはよく知られている。イラク戦争も石油をめぐる戦争という側面を持っている。だからこの映画、単なる歴史叙事詩ではなく、なまなましい、今日ただいまのアメリカの「血」についても語っているのだと感じさせる。
映像が素晴らしい。シネマスコープの横長の画面に、石油採掘の櫓がそそり立つカリフォルニアの原野。暗い空に噴き上げる真黒な原油。そんな風景が、この映画の基調低音をなしている。黒い原油のしぶきは、言うまでもなく「血」の暗喩でもある。
20世紀初頭の映像にかぶさるレディオヘッドのデジタルぽい音楽と、こちらはどんぴしゃりのブラームスが効いている。
ダニエル・デイ=ルイスという役者、セリフや仕草が僕には大袈裟な気がしてあまり好きな俳優ではなかったけど、ここではぴったりのはまり役だ。流れ者から富豪に登りつめる男を熱演して、来年のアカデミー賞にノミネートされそうだな(作品は暗くてアカデミー賞向きじゃないけど)。
この映画は興行的には厳しいという予想からだろうか、単館ロードショーで、僕は初日の午後に見たけど満員だった。映画が終わってエンドロールになったとき、場内から拍手が湧いた。エンドロールの終わりに、「ロバート・アルトマンに捧ぐ」と出たとき、もう一度、拍手が湧いた。
映画館での拍手。久しぶりの体験だったね。映画がいかにも生きてる実感があって、嬉しい気持ちで映画館を出た。
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コメント
こんにちは。
ぼくも同じような感想を抱きました。
この映画は、過去のアメリカを描いているように見えて
実は現代をも射抜いている。
しかしパワフルな映画。
圧倒されました。
投稿: えい | 2008年2月15日 (金) 11時11分
『パンチドランク・ラブ』の後に、P.T.アンダーソンがこんなパワフルな映画をつくるとは嬉しい驚きですね。
ハリウッドの若い世代の監督のなかでは抜きんでていると感じます。目が離せません。
投稿: 雄 | 2008年2月16日 (土) 08時21分
こんにちは、お邪魔します。
日本でもこの映画は完全に単館扱いですが、本国でもそうだったのですね。
上映後の拍手とは素晴らしいですね。私も拍手したい気分でいっぱいでした。
素晴らしい作品だったと思います。
ではでは。。
投稿: 真紅 | 2008年5月15日 (木) 08時40分
こちらでは、上映後にけっこう拍手が起こりますね。先日、『ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン』を見た時も、何人かが拍手し、私も一緒に拍手しました。
日本でも昔は拍手が起こりましたが(もっとも映画への賛辞というより、姫危うしというところへ駆けつけるヒーローへの拍手でした)、映画と見る人との関係が近かったからでしょうね。私が最後に体験した拍手は、『スペース・カウボーイ』で最後の着陸シーンでした。
投稿: 雄 | 2008年5月16日 (金) 08時24分