『モーラーデ(Moolaadé)』
「アフリカ映画の父」と呼ばれるウスマン・センベーヌ監督が6月に亡くなり、そのレトロスペクティブがソーホーのフィルム・フォーラムで開かれている。
作家で伝承の語り部でもあったセネガルのセンベーヌ監督は、1960年代にアフリカで初めてアフリカ人自身の手による映画をつくり始めた。映画の社会的影響力の大きさに着目したからだという。プロの俳優を使わず、セネガルなど西アフリカの社会の現実を素材にした作品が多い。
遺作となった『モーラーデ』(2005)を見た。僕は気づかなかったけど、この作品、岩波ホールでも公開されたらしい。
『モーラーデ』は、地域の慣習である割礼(女性器削除)を扱ったもの。昔ながらの慣習を守ろうとする男たちに対し、もうそんなことはやめようと立ち上がる女たちを描いている。
といっても、この映画、がちがちの社会派映画ではない。最後には男たちと女たちが対決してドラマチックに盛り上がるけど、それまでは小さな村の日常が淡々と描写されてゆく。そのゆったりしたリズムが心地よい。
子どもたち、女たちが水を汲み、薪を運んで食事の支度をしている。広場では、リヤカーに薬缶や服をぶらさげた雑貨屋が店を開いている。鶏が走りまわる。フランスに留学していた村長の息子が帰ってきて、若い彼の結婚話が進行する。
世界のどこにでもありそうな村の風景が、まるでホウ・シャオシエンみたいなタッチで、でもアフリカらしく強烈な色彩をともなって描かれる。イスラムを信仰する村のモスクが、土を固め、木の枝で装飾したユニークな建築で素晴らしい。
主人公の女性のもとに、割礼を嫌って逃げだした少女たちが庇護(モーラーデ)を求めて駆け込んでくる。そこから、映画が動きはじめる。
女性が家の入口にロープを張ると、そこが結界になって、誰も少女たちに手を出せなくなる。世界のいろんな場所で見られるアジールが今も生きているのが面白い(日本でもかつて駆け込み寺というアジールがあった)。割礼を守ろうとする男たちは、テレビやラジオといった西洋文明も拒否しようとする。
かつて日本もそうだったけど、テレビが多くの家庭に入り込むまでは映画が娯楽の王者だった。そういうところでは映画は人々に大きな影響力を持っているから、社会的あるいは啓蒙的映画がたくさんつくられる。
この作品しか見てないから断定的なことは言えないけど、センベーヌ監督の映画は現在のそうした映画の最良の部分なんだと思う。監督の最大のヒット作で、セネガルのポスト・コロニアル状況を描いているという『Xala』(1974)が終わってしまい、見られなかったのが残念だ。
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