『アイ・アム・レジェンド』の主役はニューヨークの街だね。そう思うのは、僕がいまニューヨークに住んでるからだけど、僕だけじゃなく、まわりの観客もマンハッタンのいろんな場所がスクリーンに映るたびに、あ、あそこだ、ってな感じでささやきが飛び交っていた。
この映画を見ようと思ったのは、ひとつにはブルックリン橋が真ん中で無残に落ちているポスターを見て、毎日見ている風景が映画のなかでどんなふうに変容しているのか興味があったこと。
ガン特効薬のはずだったウィルスが人間をゾンビに変えてしまい、ゾンビの街となったマンハッタンは外部と連絡する橋を落とされ、封鎖されている。3年後、生き残っている人間はウィルス学者のウィル・スミスだけ、という設定。
5番街やパーク・アヴェニューなどマンハッタンの道路はひび割れて雑草が生い茂り、並木は野生化して大きくなっている。そこを鹿の群れが駆け抜け、鹿を狙ってライオンまでが出没する(動物園から逃げ出した?)。道路には乗り捨てられた車が散乱し、ビルが工事中のまま放棄されている。
そんなふうに廃墟と化しつつあるタイムズ・スクエア、ブルックリン橋、ワシントン・スクエア、グランド・セントラル駅、メトロポリタン美術館、セントラル・パーク、5番街、ソーホー、イントレピッド博物館などなど、ニューヨークの有名観光スポットがことごとく登場する。
個人的に「お、おっ」と思ったのは、ウィル・スミスが毎日やってくるブルックリン橋下の桟橋。爆破されたブルックリン橋とマンハッタン橋の向こうに、対岸のブルックリンの公園が見える。僕はここにしょっちゅう散歩にやってくるのだ。ブルックリン橋とマンハッタンの摩天楼を望む絶景スポットだけど、これからここにやってくるときは、爆破されたブルックリン橋を想像しそうだ。
人間がいなくなって3年。都市が都市であることをやめ、自然が次第に無人の都市を侵食しつつある。誰もが訪れたり写真で見たことのある風景が異様な変貌をとげている、それがリアルに感じられるのが、この映画の最大の見どころだろう。
2004年の木村伊兵衛写真賞を受けた写真家、中野正貴に『TOKYO NOBODY』という写真集がある。ふだんは人がいっぱいの渋谷や銀座や新宿の誰でも知っている街角を、誰もいない時間に撮影した労作。
この写真集からは、人が築いた都市は人がいてはじめて都市であり、人がいないことが都市にとってはどんなに異様かがまざまざと感じられる。この映画は、さらにそれを大がかりに、しかも野生に乗っ取られつつある都市の姿をエンタテインメントとして見せてくれる。映画全体が廃墟テーマパークとでも言えそうな趣がある。
そんな架空の画像をこれだけ見事につくったSFXの進歩はすごいなあと思ったら、HPのプロダクション・ノートによると、基本はすべてロケしているらしいと知って、さらにびっくり。
ブルックリン橋の橋脚下に桟橋を組み、道路をひび割れさせ雑草を生えさせ、トンネル入り口に放棄された車の列を配するなどして、実際に早朝に現場を封鎖して撮影されたらしい(もちろんロケしたフィルムをもとにCGI--Conputer Generated Image--で仕上げられてる)。
実際、友人からこの映画のためにソーホーが通行禁止になっていたと聞いたことがあるし、道路を歩いていると、「何日の何時から何時まで映画ロケのため駐車禁止」と書いたビラを見かけることがある。この作品には軍と沿岸警備隊、ニューヨークの警察、消防なども全面的に協力している。そうでなければ、とてもニューヨークの観光スポットを網羅したこれだけのロケはできないだろう。
それに巨大な予算がかかっていることは容易に想像がつく。その意味でも、風景こそこの映画の主役なのだ。
ところで、この映画を見ようと思ったもうひとつの興味がある。それは音楽。『アイ・アム・レジェンド』の原作はリチャード・マシスンの小説で、今回は3度目の映画化だけど、30年以上前に2度目の映画化『地球最後の男 オメガマン』を見たことがある。
そのなかで、たったひとり生き残ったチャールトン・ヘストンが自分の棲家に帰ってプレイヤーの針を落とすと、セロニアス・モンクの名曲「ラウンド・ミッドナイト」が流れてくる。それが映画の雰囲気にどんぴしゃりで、作品そのものは大した出来じゃなかったけど、そのシーンだけが強列な印象に残っている。それが今回はどう処理されているのか?
ウィル・スミスが、ワシントン・スクエア前にある要塞のような棲家に戻ってオーディオ装置のスイッチを入れる。流れてきたのはボブ・マーリィだった。しかも『オメガマン』でモンクが流れてきたのは1シーンだけだったと記憶するが、『レジェンド』では全編にボブ・マーリィが流れている。「スリー・リトル・バーズ」などの曲。ウィル・スミスが「アイ・ショット・ザ・シェリフ」の一節を口ずさむシーンもある。
『オメガマン』の「ラウンド・ミッドナイト」はチャールトン・ヘストンの孤独を浮き彫りにしてたけど、ボブ・マーリィのレゲエはウィル・スミスがより軽やかに生き抜く姿勢を伝え、歌詞のメッセージ性を強く感じさせる使われ方をしていた。
映画の出来そのものは『オメガマン』と一緒で、特にどうと言うほどのことはないけど、ニューヨークの廃墟風景とボブ・マーリィだけでも十分に楽しめたね。
(後記。「町山智浩のアメリカ映画特電」によると、配給会社がこの映画のエンディングを気に入らず、監督はストーリーを変更して撮り直すことを余儀なくされたらしい。
元のストーリーは、ゾンビは知性を持っていて、彼らの秩序と社会をつくりあげていた。彼らの立場からすると、ウィル・スミスは夜な夜な彼らを殺しにくるモンスターのような存在ということになる。確かにゾンビにはリーダーがいて、彼の命令でゾンビがウィル・スミスを襲ったり罠にかけたりして、彼らなりの組織を持っていると思わせるシーンがある。
つまり彼らは新人類に「進化」していたので、ウィル・スミスはたった一人生き残った「旧人類」だった。ウィル・スミスが「アイ・アム・レジェンド」というのは、そういうことだったのだ。これは原作通りの結末とのこと。
もうひとつ、町山は『ソイレント・グリーン』という映画のことに触れている。それに接して、もしかして僕がモンクの「ラウンド・ミッドナイト」が流れてきたと記憶し、そう書いたのは、ひょっとしたら『ソイレント・グリーン』の誤りだったかもと思いはじめた。同じ時代につくられ、両方ともチャールトン・ヘストン主演で、ニューヨークを舞台にした近未来SFで、人間とゾンビ(のような存在)の対決を描いているという、共通点の多い映画。
2本とも30年以上前に見たきりなので、記憶が定かでない。どなたか分かる方がいたら教えてください。どっちだったかはっきりしないと気持ち悪くて。)
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