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2007年12月

2007年12月31日 (月)

2007年・僕の映画BEST10

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今年は6月に仕事を辞め、8月にニューヨークに来たこともあって忙しかったから、見た映画の本数がいつもより少ないなあ。だからあまり他人にお見せできるようなものじゃないけど、リストをつくる楽しみと自分の記憶のため、ともあれ10本選んでみた。

日本で見た映画とアメリカで見た映画、日本映画と外国映画、すべてごっちゃのBEST10です(特に日本映画は10本選ぶほど見てないので)。

1 ノー・カントリー・フォー・オールド・メン

2 松ケ根乱射事件

3 長江哀歌 

4 エグザイルド(放逐)

5 ゼア・ウィル・ビー・ブラッド 

6 黒い眼のオペラ 

7 天然コケッコー

8 イースタン・プロミセズ 

9 それでも僕はやってない  

10 ボルベール

番外 シュート・エム・アップ

番外 ザ・ミスト

10本のうち、日本で見たものが6本、こちらで見たものが4本。アメリカ映画が4本と多いのは、ニューヨークにいると東京より外国映画(アメリカ映画以外の映画)を見る機会が少ないからかな。

東京でいえば、日比谷シャンテや恵比寿ガーデン・シネマみたいな劇場が少しあるだけで、ユーロスペースやイメージ・フォーラムでやっているような作品はほとんど見られない。美術館や博物館の映画が充実しているけど、特集上映が多く(それはそれでありがたい)、新作がかかることはまずない。

10本の順番はその時の気分次第で、たいして意味があるわけじゃない。でも特に上位の4本は、それぞれにスタイルは違うけど映画的な面白さを存分に味わわせてもらい、大満足して映画館を出た作品だった。

日本映画が3本入ったのは、今年の日本映画は面白いという評判を反映してるのかも。とくに山下敦弘監督の2本の映画にはまいった。

心残りは、『デス・プルーフ』と『プラネット・テラー』の2本を、日米の公開のタイミングの差で見ることができなかったこと。どこかでやってないかと情報誌を見てるけど、まだみつからない。その代わり、番外としてB級テイスト満載の「シュート・エム・アップ」を挙げておこうかな。

もう1本、番外を挙げるなら、「テロとの対決」などと拳を振り上げているものの、その内実は恐怖に凍りついているように見える今のアメリカの精神状況をいささか性急に暗喩させた「ザ・ミスト」。でも、あまりにも救いのない映画で、お勧めできない。

なお日本で公開されてない映画については、それぞれ感想を書いてますので、右脇にある「カテゴリー」の「映画・テレビ」をクリックしてみてください。

では皆さん、良いお年を。

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2007年12月30日 (日)

『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド(There Will Be Blood)』

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ポール・トマス・アンダーソン監督は1作ごとにいろんなスタイルの映画をつくって、それをまたことごとく見事な作品に仕立ててる。いま僕がハリウッドでいちばん期待してる若手の監督。

『ブギー・ナイツ』は巨根のポルノ映画スターを主人公に、観客に麻薬のように刺激を与えつづけるハリウッドの常套的な映画づくりの逆を行きながら、しかも長時間を飽きさせず見せた新鮮な内幕ものだった。『マグノリア』はトム・クルーズやフィリップ・シーモア・ホフマンが印象に残る、ロバート・アルトマンみたいな群像劇の傑作だったし、『パンチドランク・ラブ』はオフ・ビートなラブ・ストーリーだった。

今回、P・T・アンダーソン監督は『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』で歴史に挑み、叙事的な年代記を、またしても見ごたえある作品としてつくりあげた。

19世紀末のカリフォルニア。金銀を掘っていた流れ者ダニエル・デイ=ルイスが、偶然に石油を掘り当てる。その冒頭10分近くを、アンダーソンは、ほとんどセリフなしの映像だけで語る。デイ=ルイスが掘った鉱口から見上げる、3つの峰を持った丘の暗くのしかかるようなショットが、これからの展開を暗示するように迫ってくる。

デイ=ルイスは、石油が埋蔵されている土地を所有する一家から、騙すようにして土地を借り上げ(このあたり、英語のセリフがよく分からず、間違ってるかも)、人を雇って本格的な石油採掘を始める。利益のためには他を顧みない強引なやり方で彼は事業を成功させ、やがて第一次世界大戦を経て富豪にのぼりつめる。

そんなアメリカン・ドリームを実現させた男の一生を、映画は主人公の心情に寄り添うのでなく、次々に起こる出来事を第三者的な視点から叙事的に描いてゆく。

デイ=ルイスが実現したアメリカン・ドリームの背後には、いくつもの「血」が流れている。デイ=ルイスは幼い息子を事業のパートナーに育てようと連れ歩いていたが、息子が採掘現場の事故で聾唖になると、手のひらを返したように施設に追いやって捨てる。同じ母から生まれた弟だといって近づいてきた男を、いったんは息子に代わるパートナーとして受け入れるが、それが偽りだったと知ると、男をひそかに殺して埋める。

デイ=ルイスには強力な反対者も出現する。土地を騙し取った一家の息子(ポール・ダノ)が熱狂的なキリスト教の牧師として、彼の土地に戻ってくる。牧師は人々を扇動し、デイ=ルイスは信者たちの面前で、聾唖の息子を捨てた罪人として牧師の前に膝を屈し、「私は罪人だ」と告白させられる屈辱を受ける。やがて、この対立も最後に「血」を見ることになるのだが……。

『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』はだから、一人の石油成金を通して見たアメリカ資本主義生成史であり、血塗られた「アメリカン・ドリーム」の裏側を描いた映画なのだ。……と書けば、似たような素材とスタイルをもった作品としてオーソン・ウェルズの古典『市民ケーン』を思い浮かべる人もいるだろう。こちらのいくつもの映画評も、『市民ケーン』を引き合いに出していた。

映画の後半、莫大な財産を築きあげたデイ=ルイスは豪邸に住んでいる。豪邸の一室にはボーリングのレーンがある。このシーンで、何人かの観客のささやき声が聞こえた。僕の推測だけど、彼らは「まるでフリック邸だね」とささやいたんじゃないだろうか。

フリック・コレクションで知られるフリックは石油でなく鉄鋼王だけど、映画の設定と同時代につくられた彼の豪邸(現・美術館)にボーリング・レーンがあることは有名で、僕も写真で見たことがある。

この映画を見るアメリカ人の観客の頭を、そんな何人もの富豪の名前が横切ったであろうことは想像に難くない。

そのひとつは、ブッシュという名前だろう。テキサス出身のブッシュ家はもともと石油で財をなしたし、ブッシュ政権が石油業界と密接に結びついていることはよく知られている。イラク戦争も石油をめぐる戦争という側面を持っている。だからこの映画、単なる歴史叙事詩ではなく、なまなましい、今日ただいまのアメリカの「血」についても語っているのだと感じさせる。

映像が素晴らしい。シネマスコープの横長の画面に、石油採掘の櫓がそそり立つカリフォルニアの原野。暗い空に噴き上げる真黒な原油。そんな風景が、この映画の基調低音をなしている。黒い原油のしぶきは、言うまでもなく「血」の暗喩でもある。

20世紀初頭の映像にかぶさるレディオヘッドのデジタルぽい音楽と、こちらはどんぴしゃりのブラームスが効いている。

ダニエル・デイ=ルイスという役者、セリフや仕草が僕には大袈裟な気がしてあまり好きな俳優ではなかったけど、ここではぴったりのはまり役だ。流れ者から富豪に登りつめる男を熱演して、来年のアカデミー賞にノミネートされそうだな(作品は暗くてアカデミー賞向きじゃないけど)。

この映画は興行的には厳しいという予想からだろうか、単館ロードショーで、僕は初日の午後に見たけど満員だった。映画が終わってエンドロールになったとき、場内から拍手が湧いた。エンドロールの終わりに、「ロバート・アルトマンに捧ぐ」と出たとき、もう一度、拍手が湧いた。

映画館での拍手。久しぶりの体験だったね。映画がいかにも生きてる実感があって、嬉しい気持ちで映画館を出た。

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2007年12月27日 (木)

グランド・セントラルのライト・ショー

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グランド・セントラル駅へ行ったら、メイン・コンコースの天井と壁を使ってカレードスコープ・ライト・ショーがおこなわれていた(12月いっぱい)。

ニューヨークは12月になると町じゅうがクリスマス飾りでにぎやかになる。店ばかりでなく、家庭でも窓際に大きなツリーを飾ったり、日本でもよく見かけるイルミネーションをベランダや屋根、玄関口に飾っている家が多い。

ふだんマンハッタンやブルックリンのダウンタウンをほっつき歩き、移動にもっぱら地下鉄を使っていると、ニューヨークって汚い街だなあという印象が強い。でもこの季節だけは、特に散乱したゴミが見えなくなる夜は、ニューヨークは美しい街だと思える。

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2007年12月26日 (水)

『アイ・アム・レジェンド(I Am Regend)』

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『アイ・アム・レジェンド』の主役はニューヨークの街だね。そう思うのは、僕がいまニューヨークに住んでるからだけど、僕だけじゃなく、まわりの観客もマンハッタンのいろんな場所がスクリーンに映るたびに、あ、あそこだ、ってな感じでささやきが飛び交っていた。

この映画を見ようと思ったのは、ひとつにはブルックリン橋が真ん中で無残に落ちているポスターを見て、毎日見ている風景が映画のなかでどんなふうに変容しているのか興味があったこと。

ガン特効薬のはずだったウィルスが人間をゾンビに変えてしまい、ゾンビの街となったマンハッタンは外部と連絡する橋を落とされ、封鎖されている。3年後、生き残っている人間はウィルス学者のウィル・スミスだけ、という設定。

5番街やパーク・アヴェニューなどマンハッタンの道路はひび割れて雑草が生い茂り、並木は野生化して大きくなっている。そこを鹿の群れが駆け抜け、鹿を狙ってライオンまでが出没する(動物園から逃げ出した?)。道路には乗り捨てられた車が散乱し、ビルが工事中のまま放棄されている。

そんなふうに廃墟と化しつつあるタイムズ・スクエア、ブルックリン橋、ワシントン・スクエア、グランド・セントラル駅、メトロポリタン美術館、セントラル・パーク、5番街、ソーホー、イントレピッド博物館などなど、ニューヨークの有名観光スポットがことごとく登場する。

個人的に「お、おっ」と思ったのは、ウィル・スミスが毎日やってくるブルックリン橋下の桟橋。爆破されたブルックリン橋とマンハッタン橋の向こうに、対岸のブルックリンの公園が見える。僕はここにしょっちゅう散歩にやってくるのだ。ブルックリン橋とマンハッタンの摩天楼を望む絶景スポットだけど、これからここにやってくるときは、爆破されたブルックリン橋を想像しそうだ。

人間がいなくなって3年。都市が都市であることをやめ、自然が次第に無人の都市を侵食しつつある。誰もが訪れたり写真で見たことのある風景が異様な変貌をとげている、それがリアルに感じられるのが、この映画の最大の見どころだろう。

2004年の木村伊兵衛写真賞を受けた写真家、中野正貴に『TOKYO NOBODY』という写真集がある。ふだんは人がいっぱいの渋谷や銀座や新宿の誰でも知っている街角を、誰もいない時間に撮影した労作。

この写真集からは、人が築いた都市は人がいてはじめて都市であり、人がいないことが都市にとってはどんなに異様かがまざまざと感じられる。この映画は、さらにそれを大がかりに、しかも野生に乗っ取られつつある都市の姿をエンタテインメントとして見せてくれる。映画全体が廃墟テーマパークとでも言えそうな趣がある。

そんな架空の画像をこれだけ見事につくったSFXの進歩はすごいなあと思ったら、HPのプロダクション・ノートによると、基本はすべてロケしているらしいと知って、さらにびっくり。

ブルックリン橋の橋脚下に桟橋を組み、道路をひび割れさせ雑草を生えさせ、トンネル入り口に放棄された車の列を配するなどして、実際に早朝に現場を封鎖して撮影されたらしい(もちろんロケしたフィルムをもとにCGI--Conputer Generated Image--で仕上げられてる)。

実際、友人からこの映画のためにソーホーが通行禁止になっていたと聞いたことがあるし、道路を歩いていると、「何日の何時から何時まで映画ロケのため駐車禁止」と書いたビラを見かけることがある。この作品には軍と沿岸警備隊、ニューヨークの警察、消防なども全面的に協力している。そうでなければ、とてもニューヨークの観光スポットを網羅したこれだけのロケはできないだろう。

それに巨大な予算がかかっていることは容易に想像がつく。その意味でも、風景こそこの映画の主役なのだ。

ところで、この映画を見ようと思ったもうひとつの興味がある。それは音楽。『アイ・アム・レジェンド』の原作はリチャード・マシスンの小説で、今回は3度目の映画化だけど、30年以上前に2度目の映画化『地球最後の男 オメガマン』を見たことがある。

そのなかで、たったひとり生き残ったチャールトン・ヘストンが自分の棲家に帰ってプレイヤーの針を落とすと、セロニアス・モンクの名曲「ラウンド・ミッドナイト」が流れてくる。それが映画の雰囲気にどんぴしゃりで、作品そのものは大した出来じゃなかったけど、そのシーンだけが強列な印象に残っている。それが今回はどう処理されているのか?

ウィル・スミスが、ワシントン・スクエア前にある要塞のような棲家に戻ってオーディオ装置のスイッチを入れる。流れてきたのはボブ・マーリィだった。しかも『オメガマン』でモンクが流れてきたのは1シーンだけだったと記憶するが、『レジェンド』では全編にボブ・マーリィが流れている。「スリー・リトル・バーズ」などの曲。ウィル・スミスが「アイ・ショット・ザ・シェリフ」の一節を口ずさむシーンもある。

『オメガマン』の「ラウンド・ミッドナイト」はチャールトン・ヘストンの孤独を浮き彫りにしてたけど、ボブ・マーリィのレゲエはウィル・スミスがより軽やかに生き抜く姿勢を伝え、歌詞のメッセージ性を強く感じさせる使われ方をしていた。

映画の出来そのものは『オメガマン』と一緒で、特にどうと言うほどのことはないけど、ニューヨークの廃墟風景とボブ・マーリィだけでも十分に楽しめたね。

(後記。「町山智浩のアメリカ映画特電」によると、配給会社がこの映画のエンディングを気に入らず、監督はストーリーを変更して撮り直すことを余儀なくされたらしい。

元のストーリーは、ゾンビは知性を持っていて、彼らの秩序と社会をつくりあげていた。彼らの立場からすると、ウィル・スミスは夜な夜な彼らを殺しにくるモンスターのような存在ということになる。確かにゾンビにはリーダーがいて、彼の命令でゾンビがウィル・スミスを襲ったり罠にかけたりして、彼らなりの組織を持っていると思わせるシーンがある。

つまり彼らは新人類に「進化」していたので、ウィル・スミスはたった一人生き残った「旧人類」だった。ウィル・スミスが「アイ・アム・レジェンド」というのは、そういうことだったのだ。これは原作通りの結末とのこと。

もうひとつ、町山は『ソイレント・グリーン』という映画のことに触れている。それに接して、もしかして僕がモンクの「ラウンド・ミッドナイト」が流れてきたと記憶し、そう書いたのは、ひょっとしたら『ソイレント・グリーン』の誤りだったかもと思いはじめた。同じ時代につくられ、両方ともチャールトン・ヘストン主演で、ニューヨークを舞台にした近未来SFで、人間とゾンビ(のような存在)の対決を描いているという、共通点の多い映画。

2本とも30年以上前に見たきりなので、記憶が定かでない。どなたか分かる方がいたら教えてください。どっちだったかはっきりしないと気持ち悪くて。)

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2007年12月25日 (火)

ロング・アイランドのライブ

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友人のカンナ夫妻がロングアイランドのレストランでライブをやるというので連れていってもらった。

場所はニューヨークから車で北東へ1時間ほど、コールド・スプリング・ハーバーという小さな町。ゆったりした緑のなかに1軒家が点在する、アッパー・ミドル・クラスの白人層が住んでいる典型的な郊外住宅地だった。

静かな湾に面したレストラン「105Harbor」は、白い外装の、いかにもそれらしい店。なかはレストランとバーに分かれていて、ライブはバーでおこなわれる。

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バーは緑と赤のクリスマス飾りで彩られ、暖炉には火が入っている。クリスマス・ホリデーの週末とあって、この街に住んでいる夫婦連れがひっきりなしにバーに出入りする。皆おしゃれをしていて、ちょっとしたドレスを着こんだ女性もいる。カウンターに座って、カップルで話し込んだり、何組ものカップルが集まって騒ぎ、記念写真を撮ったりしている。

なんだか分からないけど、ニューヨークへ来て初めて見る風景だな、と思っていた。なにが初めてなのか、しばらく考えて気がついた。客が白人だけ、という店に初めて入ったのだった。

僕の生活圏は住んでいるブルックリンと、ミッドタウン、ヴィレッジ、チャイナタウンあたり。どこもいろんな人種が入り混じってて、特にブルックリンやチャイナタウンでは白人は少数派だ。店にしても客は黒人だけ、あるいは中国人だけというところに入ったことはあっても、白人だけという店に入ったことはなかった。

地下鉄でも僕の乗るQ線やR線では白人は少数派だ。そもそも、車を持ってる人は地下鉄を使わないから、地下鉄はどちらかといえば下層階級や、意識的に車を持たない人の乗り物という印象がある。実際、地下鉄でばりばりのビジネス・マンやキャリア・ウーマンの姿を見かけることはそんなに多くない。

その意味で、この105Harborで初めての「白いアメリカ」を体験したことになる。それも郊外の典型的な。ニューヨークは人種のサラダボウル(混じってるけど溶け合わない)と言われるけど、確かにここは溶け合ってない空間だった。

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2007年12月24日 (月)

シダー・ウォルトンを聴く

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(ヴィレッジ・ヴァンガードの壁に貼られた出演ミュージシャンの写真)

ピアニストのシダー・ウォルトンを聴きにヴィレッジ・ヴァンガードに行った。

この店に行くのは、実に二十数年ぶり。1980年代に10日ほどニューヨークに滞在したとき、ここと、少し南に下ったところにあった(今はない)スイート・ベイジルに毎日のように通った。当時はこの2軒が、いちばんイキのいいジャズをやっていた。

7番街の地下鉄14丁目駅から下っていくと、ありました、ありました。ドアの上に、昔と変わらない独特の書体のネオンが(「ジョン・コルトレーン・ライブ・アト・ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲイン」のジャケ写ですね)。

細い階段を下ってドアを開けると、三角形の形をした店内も、狭いステージの後ろに赤いビロードのカーテンがかかっているのも昔とまったく変わらない。壁やテーブルは20年前にもいささか古びた感じがしたものだけど、その空気や匂いもそのまま。嬉しくなってしまった。

今はブルーノートやバードランドのほうがおしゃれで、人気のあるミュージシャンが出てるけど、こちらはジャズ好きがジャズを聴くためだけに集まる店、という雰囲気がある。今夜はシダー・ウォルトンの出演とあって店は満員、ぎしぎしに詰めこまれて、昔の山下洋輔トリオあたりが出たときの新宿ピットインを思い出す。

メンバーはシダーのほかにルイス・ナッシュ、デビッド・ウィリアムスのレギュラー・トリオに、ゲストでヴィンセント・ハーリング(as,ts)。ヴィンセントはリーダーとして何枚もCDを出している正統派のプレイヤーだ。

シダー・ウォルトンは昔から強烈な個性はないかわりに、しゃれた、とてもソフトなピアノを弾く。彼を聴くのは3年ぶりだけど、相変わらず年を感じさせないフレッシュな音。「ラヴァー・マン」や、「ラウンド・ミッドナイト」「ルビー・マイ・ディア(だったか)」などモンクの曲を3曲続けて、軽いタッチでさらりと聴かせる。

そんなピアノに対して、ずっと年下のヴィンセントのサックスが熱く、アグレッシブに絡んでいく。ピアノがさらりと受けると、サックスがさらにテンションを上げる。老ピアニストと脂の乗りきったサックス奏者の対照が心地よい。ベースのルイスも、自作の曲で見事なパフォーマンスを見せた。

曲のエンディングに、シダーがさりげなくクリスマス・ソングのメロディをすべりこませて客席がなごむ。

ヴィンセントのサックスという香辛料をちりばめたシダーのピアノに酔って、満員の客席は大満足でした。

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2007年12月19日 (水)

いちばん古いニューヨーク

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17世紀、オランダ西インド会社はマンハッタン島の先住民から24ドル相当の物品と引き換えに現在のロウアー・マンハッタンを手に入れた。そこから北へ北へと、マンハッタンは発展していく。

寒さが少し和らいだ日、ニューヨークのいちばん古い地域を散歩してみた。

1766年に建てられたセント・ポール礼拝堂は、マンハッタンで現役で使われている最も古い建物。1789年、初代大統領に就任したリンカーンは、ウォール街にあるフェデラル・ホールでの就任式の後、この礼拝堂まで歩いたという。

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ワールド・トレード・センターの隣に位置するこの礼拝堂は、9・11の後、救助隊員の休憩場所となり、また行方不明になった人々の情報を求める人々のメッセージで埋まった。その一部が今も展示されている。

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セント・ポール礼拝堂から南へ6ブロック。ウォール街から見たトリニティ教会。1697年に建てられたこの教会は、アメリカでいちばん古い歴史を持つ(現在の建物は19世紀のもの)。

ウォール街は、マンハッタンに入植したオランダ人が先住民を締め出すために東西に丸太の防壁(ウォール)を築いた場所。

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ウォール街のクリスマス・ツリー。

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ウォール街の南にあるボウリング・グリーンは、オランダ入植時代の遺構として唯一残る小さな公園。オランダ時代には、ここは市場として牛の売買などに使われ、先住民との交易の場ともなった。

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1811年、ニューヨーク港を守るために建設されたクリントン砦の門。マンハッタン最南端の公園、バッテリー・パークのなかにある。門の向こうはウォール街。

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クリントン砦近くの乗り場から、自由の女神があるリバティ島にフェリーが出てゆく。

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2007年12月17日 (月)

クーパー・ヒューイット・デザイン美術館

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アッパー・イースト・サイドのクーパー・ヒューイット・デザイン美術館を訪れた。ここはカーネギー・ホールで知られる鉄鋼王、カーネギーの元邸宅だったところで、展示だけでなく、どんな屋敷なのかにも興味があった。

近くにある、やはり鉄鋼で財をなしたフリック邸(フリック・コレクション)は総大理石の宮殿ふうのつくりだけど、カーネギー邸(1903)は石と赤レンガの外観が印象的な豪邸で、内装には廊下、天井、壁、階段と木材が多く使われている。

なかに入ると、階段の手すりや柱、壁の周囲には、びっしりと浮彫りの装飾がほどこされている。細部の装飾が日本人の、あるいは普通の人間の目からは時にグロテスクにも見えるけど、こういう気の遠くなるような金と人手のかかる装飾が、大富豪の邸宅には不可欠なんだろう。もっとも総大理石づくりのフリック邸にくらべると、カーネギー邸は木材の暖かい質感もあって全体としては落ち着いた雰囲気を持っている。

20世紀初頭、全米の資産の85パーセントを4000人の富豪が独占していたと言われる。富の極端な偏在は今にいたるも変わらないアメリカの姿だが、その富を象徴するのが、当時はまだ郊外だった5番街に次々に建てられた富豪の邸宅だった。邸宅の周辺には、セントラル・パーク建設で追い出された人々の小屋が立ち並んでいたという。

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(ピラネージ「The Drawbridge」)

企画展は「デザイナーとしてのピラネージ」。

ピラネージは18世紀イタリアの版画家、建築家(空想建築家)。古代ローマの廃墟や幻想的な建築を描いたエッチングのシリーズは、いま見ても新鮮だ。

展示は、デザイナーとして制作した金属製の壺や机、柱などに焦点が当てられていた。どれも古代ローマのデザインを取り入れたデコラティブなものばかり。

「ローマの景観」「牢獄」など代表作のエッチングも数点、展示されている。僕は印刷物でしか見たことがなかったので、特に「牢獄」シリーズの暗い想像力に圧倒される(上の写真は、そのうちの1点)。

カフェでお茶を飲み、冬枯れの寂しいカーネギー邸庭園をながめていたら、ピラネージの廃墟図が重なってきた。

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夕暮れのセントラル・パークを散策。風が刺すように冷たい。

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2007年12月14日 (金)

『潜水服は蝶の夢を見る(Le Scaphandre et la Papillon)』

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最初は、ずいぶんトリッキーな映画だなあと思いながら見ていた。冒頭からカメラが主人公の目そのものになって、彼の目に見えている映像だけで物語が語られてゆく。

どうやら主人公は、何日も失っていた意識をようやく取り戻したところらしい。でも、自分がどういう状況にあるのかが飲み込めない。映画は観客にもそれ以上説明しないから、僕らも主人公とともに、彼が徐々に自分の置かれた状況を理解していくのにつきあうことになる。ミステリアスで、実験的で、いかにもフランスの若い監督がやりそうな手法だなあ(後記:これは誤りで、監督はアメリカ人。コメント参照)。

フランス『エル』誌の編集長として奔放に生きてきたジャン・ドゥ(マチュー・アマルリック)が脳梗塞で倒れ、左目以外はまったく自由がきかなくなる。意思の疎通は左目のまばたき--1回が「イエス」、2回が「ノー」--でしかできない。最初は絶望にうちひしがれ、でも妻のセリーヌ(エマニュエル・セイナー)や3人の子供たちに囲まれて生きる意欲を取り戻し、やがてまばたきによって自伝を書くことを決心する。

そのあたりから、カメラ=主人公の目に映るもの--太陽の光や木々のそよぎや青い海--がなんとも軽やかで美しいのに惹きつけられ、気がついたら映画にのめりこんでいた。やっぱり、カメラが主人公の目そのものになる必要があったんだと思った。

フランスでベストセラーになった実話をもとにしたこの映画、カメラ=主人公の目が見た映像のみずみずしさと官能性がすべてといっていい。彼の目に映る自然や、風にそよぐ妻の髪や、風にめくられて覗く太腿や、父親(マックス・フォン・シドー!)と過ごした記憶や、そういうものすべてが生きる喜びにあふれている。そんな映像に身をゆだねているのが心地よい。

繰り返しインサートされる、潜水鐘(Le Scaphandre)に入ったジャン・ドゥが海底に沈んでゆくイメージが、意識は完璧にありながら身体の自由がまったく利かない彼の姿を象徴してる。

トム・ウェイツやU2やルー・リードの音楽が素敵に使われてるのもいいな。

ジュリアン・シュナーベル監督はこの映画でカンヌ映画祭の監督賞を得た。日本でも近々、公開されるようだ。

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2007年12月12日 (水)

ヴィレッジのカフェ

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チャイナタウンと並んで、よく行くのがヴィレッジ。ここにも行きつけのカフェが2軒ほどある。

写真はそのうちの1軒で、ワシントン・スクエア近くのカフェ「パンとチョコレート(pane e cioccolato)」。店名になっているパンやチョコレートを頼んでいる人はあまり見たことないし、メニューを見てもそれが売りものとも思えない。ごく普通のイタリア系カフェ・レストラン。

ヴィレッジを歩き疲れたときや、イースト・ヴィレッジの日系スーパーに買い出しに行くときなど、ここに寄ってカプチーノを飲む。周りにニューヨーク大学の校舎があるので、学生や教員ふうの客が多い。皆、長居しているので、こちらも気兼ねなく長時間いることができる。

広く開いた窓から、外を通る学生や、いかにもヴィレッジらしい人種を見ているといつまでいても飽きない。

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2007年12月11日 (火)

ブルックリンご近所探索・12

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連日、雪がちらつく天気が続いていたけど、今日は少し暖かいので、地下鉄で3駅ほどのところにあるプロスペクト・パークを散歩する。

マンハッタンのセントラル・パークには負けるけど、南北2.5キロ、東西1.5キロほどの広大な公園。南に大きな池があるから、昔は低湿地だったんだろう。

歩いてひとまわりすると、たっぷり1時間半はかかる。周回道路を皆、思い思いにジョギングしたり、自転車に乗ったり。落ち葉の積もった小道に馬を走らせている3人組もいる。草原ではアメフトやサッカーに興じているグループ。

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たそがれの7thアヴェニューを歩く。僕の住んでいるダウンタウンと違って、白人が多い。店やレストランも落ち着いた佇まいだ。

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2007年12月 9日 (日)

モルガン図書館&美術館

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マディソン・アヴェニューに、それと知らなければ見過ごしそうに建っているモルガン図書館&美術館。ここには20世紀初頭に世界一の財閥を築き、現在もアメリカと世界の政治経済に巨大な影響力を持つモルガン財閥の創始者J・P・モルガンの元邸宅と図書館がある。

写真左が褐色砂岩の邸宅(1906年)、右が大理石造の新館(1928年)、新館の奥にやはり大理石造の図書館(1906年)がある。中央で邸宅と新館・図書館をつないでいるのは、昨年完成したエントランス。レンゾ・ピアノの設計で、建築好きには有名な建物だ。

この図書館・美術館は、いろんな楽しみ方ができる。

まずは図書館と、その蔵書。グーテンベルクの3冊の聖書をはじめ、16~17世紀の革装の稀覯本が豪華な図書館の壁をいっぱいに埋めている。長く館長を務めた女性は、「ここのライバルは大英図書館とフランス国立図書館」と言ってのけたそうだ。

大量生産される以前の本は高価だったから、自宅に図書室を持ち、多くの本を持っているということは富の象徴だった。J・P・モルガンは世界一の金持ちとして世界一の個人図書館をつくろうとしたんだろうか。36丁目に面した正面玄関は堂々たる神殿ふうで、図書室は天井に飾りガラスや浮彫り、各種細工、絵画をあしらった豪華な宮殿そのもの。

僕がここを訪れたのは、アメリカの大金持ちがどんなところに住み、どんな趣味を持っていたかを見たかったからで、贅をつくしたこの宮殿のような図書室がいちばん興味深かった。図書室の向かいにあるモルガンの書斎は深紅の壁に囲まれ、深海にいるような閉鎖的空間で、中世の彫刻や宗教絵画が飾られている。

20世紀初頭の金持ちは、フリック邸もそうだったけど、財にまかせてヨーロッパの貴族趣味をそのままアメリカに再現しようとした。

この時代、邸宅の外はレキシントン・アヴェニューの雑踏。人と車と建ちはじめた摩天楼と、街を構成する金と欲望がむきだされた「もの」たちは彼自身がつくりだしたものだけど(なにせモルガン財閥はGE、GM、USスチール、AT&Tを支配していた)、一歩なかに入れば、典雅なヨーロッパにひたることができる。いわば金で「歴史」を買おうとしたんだろう。

この図書館&美術館のもうひとつの楽しみは、もちろん美術品。

もっとも、モルガンは大量の絵画や古代エジプトの美術品、宝石類をメトロポリタン美術館や自然史博物館に寄贈しているから、ここにあるのは主にエッチングやドローイング(ダ・ヴィンチやミケランジェロ)、作家(ディケンズら)の生原稿、音楽家(ベートーベンら)の直筆楽譜など。

企画展として、ゴッホのドローイングと手紙展をやっていた。ゴッホのドローイングは太い筆で円弧を描くような線描。ああ、あの糸杉のうねりはこういうふうに描いたんだなとよく分かる。アルルの麦畑など油絵も5、6点展示されている。ここでこんなにゴッホに出会えるとは思わなかった。

ここの3つ目の楽しみはレンゾ・ピアノ設計の最新のエントランス。僕には建築の知識はないけど、むきだしの鉄骨と、ふんだんに使われたガラスがいかにも今ふう。

ひととおり見学し、疲れてカフェでお茶を飲んでいると、3階まで吹き抜けのガラス窓・天井から外光がたっぷり入り、内部に樹木も植えられていて、建物の内部にいるようには感じられない。

屋外にいる気分で、でも暖かい室内からビル群と、ちらついてきた雪をながめていると、ちょっと贅沢をしている気分になる。J・P・モルガンには及びもつかないけどね。

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2007年12月 8日 (土)

チャイナタウンの喫茶店

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1週間ぶりにチャイナタウンを歩いていて、小腹がすいたので美麗華(メイラワァ)へ寄る。

ここは、まるで東京の昭和30年代(「3丁目」の時代ですね)みたいにレトロな喫茶店。古めかしいビニール張りの椅子とテーブルに、カウンターには懐かしいレジ機が置いてある。

この店のチャーシュー饅(手前)は大人気で、ひっきりなしに近所の人々が来てテイクアウトで買っていく。カウンターの内にはいつもお年寄りの2人組がいて、後ろの棚で熱くなっている饅頭を取り出して客の注文をさばいている。ときどき経営者の娘さんらしい女性(といっても、たぶん僕より年上)が顔をのぞかせる。

コーヒーを頼むと、ミルクをパックのまま持ってきてくれるのも泣かせる。あつあつのチャーシュー饅にコーヒーで1ドル45セントと、信じられない値段。ついふらふらとここに引き寄せられるわけだ。

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2007年12月 6日 (木)

『モーラーデ(Moolaadé)』

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「アフリカ映画の父」と呼ばれるウスマン・センベーヌ監督が6月に亡くなり、そのレトロスペクティブがソーホーのフィルム・フォーラムで開かれている。

作家で伝承の語り部でもあったセネガルのセンベーヌ監督は、1960年代にアフリカで初めてアフリカ人自身の手による映画をつくり始めた。映画の社会的影響力の大きさに着目したからだという。プロの俳優を使わず、セネガルなど西アフリカの社会の現実を素材にした作品が多い。

遺作となった『モーラーデ』(2005)を見た。僕は気づかなかったけど、この作品、岩波ホールでも公開されたらしい。

『モーラーデ』は、地域の慣習である割礼(女性器削除)を扱ったもの。昔ながらの慣習を守ろうとする男たちに対し、もうそんなことはやめようと立ち上がる女たちを描いている。

といっても、この映画、がちがちの社会派映画ではない。最後には男たちと女たちが対決してドラマチックに盛り上がるけど、それまでは小さな村の日常が淡々と描写されてゆく。そのゆったりしたリズムが心地よい。

子どもたち、女たちが水を汲み、薪を運んで食事の支度をしている。広場では、リヤカーに薬缶や服をぶらさげた雑貨屋が店を開いている。鶏が走りまわる。フランスに留学していた村長の息子が帰ってきて、若い彼の結婚話が進行する。

世界のどこにでもありそうな村の風景が、まるでホウ・シャオシエンみたいなタッチで、でもアフリカらしく強烈な色彩をともなって描かれる。イスラムを信仰する村のモスクが、土を固め、木の枝で装飾したユニークな建築で素晴らしい。

主人公の女性のもとに、割礼を嫌って逃げだした少女たちが庇護(モーラーデ)を求めて駆け込んでくる。そこから、映画が動きはじめる。

女性が家の入口にロープを張ると、そこが結界になって、誰も少女たちに手を出せなくなる。世界のいろんな場所で見られるアジールが今も生きているのが面白い(日本でもかつて駆け込み寺というアジールがあった)。割礼を守ろうとする男たちは、テレビやラジオといった西洋文明も拒否しようとする。

かつて日本もそうだったけど、テレビが多くの家庭に入り込むまでは映画が娯楽の王者だった。そういうところでは映画は人々に大きな影響力を持っているから、社会的あるいは啓蒙的映画がたくさんつくられる。

この作品しか見てないから断定的なことは言えないけど、センベーヌ監督の映画は現在のそうした映画の最良の部分なんだと思う。監督の最大のヒット作で、セネガルのポスト・コロニアル状況を描いているという『Xala』(1974)が終わってしまい、見られなかったのが残念だ。

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2007年12月 5日 (水)

クリムト展

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ノイエ・ギャラリー(NEUE GALERIE)でクリムト展をやっている。

メトロポリタン美術館近くにあるこのギャラリーは、20世紀ドイツ・オーストリア美術が専門で、今回の展示はギャラリーの2人のオーナーが所蔵する作品。個人コレクションといっても、クリムトの油絵8点に120点以上のドローイング(展示されていたのは40点ほど)と、そんじょそこらの美術館では及びもつかない。「オーストリア以外では最大のコレクション」と豪語するのもうなずける。

金をちりばめた「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像」(上の写真がその部分)は去年、史上最高値の155億円で購入したものだという。この作品を中心に、女性の肖像や風景画にドローイング。加えて、クリムトの女性が身につけている20世紀初頭ウィーンの装飾的なネックレス、ブローチ、腕輪なども展示されている。

それらが、クリムトが実際に所蔵していたインテリアを使って彼のスタジオを再現するという趣向の部屋に飾られる贅沢さ。このギャラリーの富と力を否応なく見せつけられる。

油絵では、森の樹木や、花が咲き乱れる民家の壁と庭を描いた作品など、これまで見たことのない初期の風景画が興味深かった。柔らかな緑や花の描写は印象派ふうな筆づかい。遠近法を使わない平面的な画面が、後の装飾的な作品に通じているように思った。

代表作のひとつ、金をふんだんに使った「アデーレの肖像」は琳派の絵画みたい。装飾的でありながら、なんというか、精神性を感じさせるのがいいね。

このギャラリーは、1914年に建てられた建築も見もの。内装は凝っているし、吹き抜けの天井はアールヌーボーふうなデザインの擦りガラスで、ガラス越しの柔らかな光が空間を満たしている。1階の、ウィーンのサロンを模したカフェ・ザバルスキーは客が並んでいたので、地下のカフェでひと休み。

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2007年12月 4日 (火)

フリーマーケット

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西39丁目のフリーマーケットに出かけた。再開発の進む古い街区の一画、思ったよりは少ない数だったけど、陽だまりに思い思いに店を広げている。古着、靴、アンティーク、古レコードなどなど。フリーマーケットというよりは、がらくた市みたいな感じ。おしゃれなカップルが男性の帽子をあれこれ試していた。金属製の小皿を1ドルで買う。

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地下鉄59丁目駅で演奏していたストリート・ミュージシャン。トランペットが、けっこう聴かせる。女の子がお母さんに写真を撮ってもらっていた。

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2007年12月 3日 (月)

初雪が降った

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10日前から、「明日は雪かも」という予報が2度出ていた。そのときは降らなかったけど、昨日、3度目の予報が出て、午後から夕方にかけて猛烈に冷え込んだ。今朝起きてみると、はじめての雪。

アパートの窓から外を見ると、うっすらと積もっている。窓の直下は風情のある景色ではないけど、こうして白い風景になってみると、いつもと違って見えるから不思議。

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近くのフォート・グリーン公園では親子がソリで遊んでいた。いよいよ冬も本番だね。

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2007年12月 1日 (土)

深夜のヴィレッジ

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深夜のグリニッチ・ヴィレッジでジャズを聞き、窓の外をながめると、西4丁目駅に向かって人々が急いでいる。外のテーブルでは、冬の寒さだというのにさっきまでカップルが座って顔をマフラーでつつみ、コートの襟を立ててビールを飲み、キスをしていた。

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