『ザ・ミスト(The Mist)』
こんな救いのない映画を見たの、いつ以来だろう? たいていの映画はどんなに重く、暗い作品でも、ちょっとしたセリフの一言やワンショットに救いを見つけることができるものだ。でも、この映画はそうじゃなかった。
スティーブン・キングの原作を僕は読んでないけど、小説の最後の部分に「希望」という言葉が使われているという。ところが映画では逆に、やるせないエンディングだなあと思わせるシーンから、さらに2度、主人公と観客を絶望の側に突き落とす。だから見終わった後の気分はきわめて良くない。いや、作品の出来が悪いんじゃなく、良くできているからこそ、そういう気分を味わわせられるんだけど。
アメリカの小さな町で、激しい雷の後に深い霧が立ちこめる。一寸先も見えない霧に、主人公の父子はじめ数十人がスーパーマーケットに閉じ込められる。霧のなかから叫び声が聞こえ、顔から血を流した男が駆けこんでくる。やがて、霧のなかのモンスターが姿を現し、スーパーを襲いはじめる……。
『ショーシャンクの空に』(記憶に残る映画でした)、『グリーンマイル』と、スティーブン・キングのホラーではない小説を映画化してきたフランク・ダラボン監督が、1980年代に映画化を構想して以来20年たって遂に実現した企画。それだけに力のこもった映画になっている。
構想から20年後に映画化するに当たって、ダラボン監督が原作につけ加えたのは「2007年のアメリカ社会」という寓意じゃないだろうか。
物語の舞台になるスーパーマーケットというものが、そもそもアメリカを象徴する場所であることは誰も異論ないだろう。霧に閉じ込められ孤立したスーパー=アメリカのなかで、得体のしれないモンスターに脅えた客たちは、いくつかのグループに分解してゆく。
霧のなかから逃げてきた男の警告を信じないグループが、まず店を出てゆく。やがて外へ出たグループのリーダーの腰に巻きつけたロープが動かなくなり、店内に残った主人公たちがロープを引くと、血まみれになった下半身だけが戻ってくる。
それを見た中年の女がバイブルを片手に、ハルマゲドン、この世の終わりが来た、この霧をはらすには犠牲が必要だ、と憑かれたように説教を始める。最初は賛同する者も少なかったのが、モンスターが姿を現し、スーパーを襲いはじめると、恐怖に駆られた客たちは徐々に女の言葉を信じはじめる。遂にはひとりの兵士(霧とモンスターは、軍の極秘プロジェクトの失敗によって生まれたらしい)をいけにえとして、スーパーの外に放り出す。
この女と彼女を信ずる客たちのグループが、アメリカ社会で影響力を増しているキリスト教ファンダメンタリズムを指しているのは明らかだろう。とすれば、孤立したスーパーマーケット=アメリカの周囲に立ちこめる霧と、そのなかの得体のしれないモンスターとは、さしずめ「テロの恐怖」という言葉に象徴されるものかもしれない。
ハルマゲドンを信ずる女のグループは、やがて正気を保っている主人公たち少数のグループにも牙をむいてくる……。
残念なのは、こういう寓意がいささかナマすぎてアメリカ社会批判という次元にとどまっていることじゃないかな。アメリカ人でない者にとっては身を切る痛さではないから、それ以上に人間存在の深いところまで映画が届いてこない。そこがもどかしい。
もうひとつ残念なのは、ホラー映画としての出来、特にモンスターの造形がいまひとつだったこと。僕はホラー映画が好きじゃないからほとんど見てないけど、その僕から見ても、1980年代の『エイリアン』や『遊星からの物体X』のレベルを超えてなかったように思う。
監督に言わせれば、本当に怖いのはモンスターじゃなく人間だ、ということかもしれないけど、モンスターが登場するホラー映画はそこが命だものね。巨大タコの脚みたいな生物も、巨大昆虫も、最後に出てくるモンスターも、その動きはどこか機械じかけの人形みたいな滑稽感を伴ってて、皮膚が粟立ちぞくぞくする気持ち悪さに欠ける。
(以下、ネタばれです)ラストシーン、アメリカの田舎町が、いきなり戦場のような風景になる。さらにエンドロールの間じゅう、ヘリコプターや軍用車両の音が背後に流れている。これを見たたいていのアメリカ人はイラクを連想するだろう。ここでも監督の意図は明らかだった。
よくできた映画だけに、つい不満ばかり並べてしまった。でも、冒頭から最後まで、一瞬たりとも目を離せない緊迫した映画であることは確かです。
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