『イン・ザ・ヴァリー・オブ・エラ(IN THE VALLEY OF ELAH)』
僕の語学力ではこの映画、歯が立たなかった。いい映画だったので、残念。
退役軍人(トミー・リー・ジョーンズ)の息子が、イラクの前線から帰ってきた後、基地から脱走して行方不明になる。トミー・リー・ジョーンズが地元警察の捜査官(シャーリーズ・セロン)と彼の行方を追うが、息子は無残な焼死体で発見される。
息子の携帯に残されたイラク前線の映像を手がかりに、ジョーンズとセロンは彼がなぜ殺されなければならなかったのかを探ってゆく。軍は2人に非協力的で何が起こったのかを隠そうとするが、徐々にイラク前線での生々しい事件と、父親が知らなかった息子の姿が明らかになってくる……。
トミー・リー・ジョーンズの息子がなぜ殺されたのか、その肝心の部分のセリフが僕にはよく理解できなかった。だから、映画の中身について語るのは、これ以上はやめにする。
ただ、映画のスタイルについて気づいたことがある。映画を見始めてすぐ、これはポール・ハギス監督の前作『クラッシュ』とはまったく違う映画だな、と思った。
『ミリオンダラ・ベビー』や『父親たちの星条旗』の脚本家、ポール・ハギスの監督としての処女作『クラッシュ』は、ひとつの交通事故をきっかけに、さまざまなエスニシティを持った人間が連鎖的につながり、傷つけあう、時制も入り組んだ複雑な群像劇だった。うまいなあ、とは思ったけど、そのトリッキーな構成ゆえに、彼が描こうとした人々の悲しみの連鎖が逆に軽くなってしまった印象も受けた。
『イン・ザ・ヴァリー・オブ・エラ』は、それとはまったく正反対の、きわめてオーソドックスな構成を持っている。
事件の鍵をにぎる、息子と同じ小隊の兵士3人の告白を、『クラッシュ』みたいにもっと複雑に入り組ませることもできたはずけど、ハギスはあえてそれをやらず、ストレートにトミー・リー・ジョーンズとシャリーズ・セロンが事件に肉薄してゆくさまを物語ってゆく。そんなスタイルを採用したのは、題材がイラク戦争という、アメリカにとって今いちばん生々しい問題だからだろうか。
もうひとつ、この映画では星条旗の扱いが重要な意味を持っている。ハギスが脚本を書いた『父親たちの星条旗』でも、国旗が印象的な使われ方をしていた。クリント・イーストウッド監督は注意深く、さりげなく、でもはっきりと星条旗への違和感を、一瞬の描写のなかで描いていた(これについては以前のブログで書いたことがある)。
それ以前に、スティーブン・スピルバーグ監督も『プライベート・ライアン』のなかで、逆光で色が反転した星条旗に批判的メッセージを込めたことがある(と僕は思う)。スピルバーグやイーストウッドみたいな、すべてに周到な配慮が求められる国民的監督と違って、ポール・ハギスの場合は大胆だ。
ネタばれになってしまうのでこれ以上は書けないけど、その描写に僕はアメリカの健全な批判精神を感じた。そして同時に、深い悲しみも。
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