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2007年8月

2007年8月31日 (金)

ジェリ・アレンを聴く

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昨夜はイリディアムというジャズ・クラブへ出かけた。

ブロードウェイの劇場街にあり、先日行ったハーレムやブルックリンのクラブと違って、日本語のガイドブックにも載っている有名店。この夜はオリバー・レイク(as)、レジー・ワークマン(b)、アンドリュー・シリル(ds)の「TRIO3」に、ゲストとしてジェリ・アレン(p)の出演だった。

地下鉄の駅を降りて店を探すと、ミュージカル「マンマ・ミーア」をやっている劇場の隣。さほど混んでない。僕はバーを予約してたんだけど、テーブルに座りたいかと聞かれたのでイエスと答えたら、ステージ下のいちばんいい席に、もう1人の客(白人のいかにもマニアで、中平穂積のジャズ写真集を持っていた)と相席で座らせてくれた。

お目当てはジェリ・アレン。僕は彼女のピアノのファンなのだ。最初に聴いたのは20年近く前のアルバム。ラルフ・ピーターソン・トリオのピアニストとして、セロニアス・モンクの曲を火の出るような激しさで弾いていて、いっぺんで好きになった。その後、Mtフジ・ジャズ・フェスティバルや青山ブルーノートに来たとき、3度ほどライブを聴いている。

席に座ったとき、ステージではサックスを除いたリズム・セクション3人が音合わせをしていた。1分足らず音を出しただけだったけどびしっと決まっていて、うーん、期待が高まる。

ファースト・セットは8時から。まずはイントロという感じで、知らない曲(多分、レイクのオリジナル)を1曲。アドリブの途中で、レイクのアルト・サックスがフリーぽい音を出しはじめる。そうか、このグループはこういう感じなのか。それならジェリ・アレンがゲストなのもよく分かる。

3曲目にグループは全開した。レイクのサックスがひととおりテーマを吹いた後は、リズムもメロディも複雑に崩したフリー。サックスが「シーツ・オブ・サウンズ」を展開する。レジー・ワークマンが、ベースを弾くというより親指をたたきつけるように荒々しい音を出す。ドラムスもそれを煽る。ジェリ・アレンのピアノは、相変わらず音だけ聴いていると女性とは思えない力強いタッチで、ぽきぽきと1音1音がはっきりしている。

なんだか60年代のフリー・ジャズが再現されたみたいな気分になった。ジェリを除けば、3人とも60代後半から70代になるだろう。ベースのレジーなど、コルトレーンの初期のアルバムに参加しているから、もう80歳近いはず。腰も曲がりはじめた老人が、肩をゆすったり脚を曲げたりの大きなアクションで、年季の入ったベースを弾き、片手間にアフリカのリズム楽器を鳴らしながらフリーの演奏を楽しんでいるのを見ると、こっちも嬉しくなる。ジェリも、気持ちよさそうに彼らをサポートしている。

フリー・ジャズは純粋な音楽というよりパフォーマンス・アートみたいな部分があって、聴くより参加するものだと思う。だからオーディオで音だけのフリー・ジャズを聴いていると、なんだか蝉の抜け殻を見ているような味気なさを感ずることがある。演奏の場に客として参加してこそ、こっちの肉体が刺激され、身体の奥で何かがもぞもぞと蠢きはじめて、フリー・ジャズが楽しくなる。僕だけの意見かもしれないが。

このところそんな機会はなかったし、かつてフリーを演奏していたミュージシャンも、アーチー・シェップがバラードのアルバムを出したように変わってきている。久しぶりにフリージャズを「体験」して、これはこれの面白さがあることを再確認した。

チャージ30ドルとドリンク1杯に、税・チップをつけて50ドル。

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2007年8月30日 (木)

カフェを探して

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(ファミレス「アップルビーズ」)

アパートの近所で落ちついてコーヒーを飲める場所を探している。できれば個人がやっている店で、ガラス張りの店がいい。コーヒーを飲みながらメモをつけたり、雑誌を読んだり、外を通る人々をぼーっと眺めていることのできる、そんな店があればいい。日本の古い喫茶店か、パリのカフェみたいなところがね。

ところが、これがないんだな。ご近所商店街にジャマイカ・カフェがあるけど、ここはテイク・アウトの店に毛の生えたようなつくりで、テーブルはお義理においてある程度。とても長時間いられる雰囲気ではない。おまけに商店街から横道に入ったところにあり、人通りが少ないのでヒューマン・ウォッチングの楽しみがない。

3日ほど探し回ったあげく、ダウンタウンの雰囲気を漂わせるこのあたりに適当な店はないという結論に達した。あるのはマクドナルドやバーガー・キングといったチェーン店。せめてスターバックスがあればいいんだけど、それもない。僕が考えているようなカフェは、15分ほど歩いてブルックリン・ハイツまで行かないと見つからない。

結局、満足にはほど遠いけど、近所でコーヒーが飲める店は2軒しかないことが分かった。

1軒は、アパートからマンハッタン橋に通ずる大通りを逆方向に歩いて数分のジュニアズというレストラン・バー。チーズケーキで有名な店らしいが、ウインドーに飾ってある巨大なケーキを見ると、それだけで注文する勇気が失せる。

店に入ったのは昼飯時で、飲み物だけと言ったらテーブルに案内された。周りを見まわすと僕以外のすべての客がランチを食べている(これも巨大)。テーブル席の向こうにカウンターがあり、飲み物の客はそこですませているみたいだ。ウェイターはていねいで親切だったけど、なんとなく居心地が悪くて早々に出てしまった。もう一度、昼飯時を避けて午前中か午後に入ってみよう。

もう1軒は大通りをはさんでジュニアズの向かいにある、アップルビーズというファミレスみたいな店。飲み物だけといったら、バーへどうぞと言われた。カウンターには3組の客がいたが、窓に近いところにテーブルが3つあったので、そこへ座る。コーヒーを頼むと、愛想のないウェイトレスが大きな音をたててカップをテーブルに置いた。

コーヒーを飲みながら、昨日持ってきた「ヴィレッジ・ヴォイス」を眺める。

アフリカ系の詩人ナット・ヘントフが、「歴史はわれわれを許さないだろう」というエッセイを書いている。辞書がないので、分らないところは飛ばし読み。

アメリカがイラク、アフガニスタン、グァンタナモ基地で、そしてCIAが秘密捕虜に対して行っている拷問が国際赤十字の報告などで明らかになったのに、そのことを知ってなお平均的アメリカ人はほとんど変わっていない、と彼は言う。

「もしわれわれ国民が、そうした戦争犯罪に対して沈黙を守ったことで世界から有罪を宣告されるなら、ヒトラーが何をやっていたかを知ろうとしなかったドイツ国民を思い起こさせる。ナチス時代のドイツ国民は、自国で何が起こっているか知りたいと主張する手段を持っていなかった。しかしわれわれは、拷問の実態やCIAがテロ対策の名のもとに行なっている蛮行の詳細を明らかにするよう、議会に対し主張する権利と力を持っているはずだ」(ちゃんとした訳じゃありません。念の為)

ヘントフのエッセイからは、平均的アメリカ人への失望と、にもかかわらず期待を失わない彼らしい前向きの姿勢を感じる。こういうエッセイが載っているところを見ると、フリーペーパーになっても「ヴィレッジ・ヴォイス」らしさは失われてないな、と思う。

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2007年8月29日 (水)

チャーリー・パーカー・フェスティバル

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今年はニューヨークのいろんな地域でチャーリー・パーカー・フェスティバル2007が行われているようだ。先週末には、アビー・リンカーン、チコ・ハミルトンといった大物が出る無料コンサートが開かれたのを後で知った。残念。

無料誌(になったんだね)「ヴィレッジ・ヴォイス」を読んでいたら、今日、イースト・ヴィレッジでチャーリー・パーカー・バースデイ・ブロック・パーティが開かれると書いてあったので出かけてみた。

東3丁目とCアヴェニューの角というから、イースト・リバーに近い、イースト・ヴィレッジの中心からかなりはずれた地域。地下鉄2ndアヴェニューで降りて東3丁目を歩いて行くと、古いアパート群の向こうから音楽が聞こえてくる。といってもパーカーやジャズではなく、サルサみたいなラテン系の陽気な音楽。道の両側にテントや出店が出ていて、近隣の人々が集まっている。子供たちがはしゃぎ、アフリカ系の老人が音楽に合わせてひとり踊っている。

テントを順にのぞいていったけど、チャーリー・パーカーなんかどこにもない。地域の健康センターのブースや大学のセツルメント、宗教的な集まり、カレッジや銀行の勧誘ブースばかり。

路上に出ている人はアフリカ系(ドミニカ料理のカフェがあったのでカリブ海系?)と中国系が多く、無料のホットドッグやランチをもらって(僕ももらいました)、思い思いの場所で楽しそうに食べ、おしゃべりしている。誰もパーカーの名前すら知らなそうな雰囲気だ(子供たちや中国系の老人が知るわけないよね)。

ようやくパーカーを探しあてたのはトライブス(A Gathering of the Tribes)というグループのブース。後ろの壁に小さなパーカー・フェスティバルのポスターが1枚だけ貼ってあり、パーカーとビリー・ホリデイのCDを売っている。それだけ。

トライブスというのはロウアー・イースト・サイドやイースト・ヴィレッジに住むアーティストを支援するNPOで、同名の雑誌も出しているらしい。ブースにいた女性が、あっちの公園に行ってごらんと言うので、言われた場所に行くと若い白人女性がポエトリー・リーディングをしていた。10人ほどが詩の朗読を聞いている。彼女は2つほど自作の詩を読んだ後、今日は最後にチャーリー・パーカーについての詩を読みますと言って、即興で短い詩をノートを見ずに読んだ。

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この小さな公園は左右をアパートに囲まれており、アパートの公園に面した側のレンガがむき出しになっている。ということは、この公園にもかつて両側のアパートに密着してアパートがあり、それが取り壊されて空地になったんだろう。公園の入り口には、市のプログラムとNPOのボランティアによってここが緑化され、住民のための公園として維持されていると表示があった。

こちらへ来る前に読んだ高祖岩三郎『ニューヨーク烈伝』には、かつて犯罪も多発したそうした空地を地域住民がボランティアで勝手に緑化して公園にし、ついには市当局もそれを認めた経緯が書いてあった。ここも、そういうふうにしてできあがった公園に違いない。

この日は、たぶん地域のストリート・フェスティバルで、トライブスもそれに参加した1グループなんだろう。だからパーカーにはほとんど関係なかったけど、こういうことがなければ来ることもなかった場所に来て、ボランティアが活発に活動している様子に出会えたのは面白かった。

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帰りに、新しい店が増えているというロウアー・イースト・サイドを散歩した。住宅街のなかに、日本人の新進デザイナー(多分)のブティックがぽつんとあったりする。

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店ではない。普通の家の手づくり装飾

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これは何の店か? ユーモアがあるのがいいね

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2007年8月28日 (火)

ヴィレッジをうろつく

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グリニッチ・ヴィレッジをうろつく。パリへ行くとカルチェ・ラタンに足が向くように、この町に来るとどうしてもヴィレッジ周辺に引きよせられる。気分だけは若いつもりで、いろんな本や映画や写真で刷り込まれたヴィレッジの記憶がそうさせるのだろう。20年前、西13丁目の知人のアパートに10日ほどころがりこんだときも、毎日のようにこのあたりまで歩き、ヴィレッジ・ヴァンガードや今はないスイート・ベイジルに通った。

今日は、20年ぶりにNYにやってきた挨拶がわりみたいな気分。ヴィレッジ・ヴァンガード近くの駐車場にはフェンスいっぱいに「タイル・フォー・アメリカ」と書かれてタイルがびっしり飾られていた。「NOT WAR」と「GOD BLESS the USA」が並んでいるのが、ヴィレッジらしいところか。

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雑誌でNYナンバー1になったこともあるコーナー・ビストロのハンバーガー。上にカリカリ・ベーコンが乗っている。チーズに隠れているけど肉の厚さがすごい。

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2007年8月27日 (月)

ブルックリンのジャズ・クラブ

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(歌うHさんと、演奏するRさんの夫妻)

友人のHさんはジャズ・ヴォーカリスト、ご主人のRさんはジャズ・ギタリストというミュージシャン夫婦。夫妻で演奏するので来ないかと誘われて、ブルックリンのライブハウス「ジャズ・スポット」へ行く。

Rさんの愛車でアパートから東へ10分ほど。ベッドフォード・スタイブサントと呼ばれる一角にある。低層の古い家屋が並び、ときどき空地のある街並み。住民はアフリカ系とスパニッシュが多いそうだ。

「ジャズ・スポット」はテーブル席が6つにカウンターがあるだけの喫茶店ほどの小さな店で、アフリカ系の母娘が経営している。週2日だけライブをやり、月曜の今日はジャム・セッション。参加するミュージシャンも僕のような客も、5ドルを払う。キーボード、ベース、ドラムスのハウス・バンドがいて、そこに集まってきたミュージシャンが思い思いに参加する。ギターのRさんはここのセミ・レギュラーらしい。

ハウス・バンドのキーボードは若き日のコルトレーンみたいな端正な風貌の男性。ベースはアフリカ系の女性。ドラムスの白人男性はギターが専門で、ドラムスは趣味みたいなものだそうだ。

ハウス・バンドにギターのRさんが加わって演奏が始まる。1曲目は、たしかレスター・ヤングで聴いたことのあるバラード。途中でテナー・サックスの男性が、打ち合わせもなしに演奏に入ってくる。ここらあたりが、いかにもジャム・セッション。

2曲ほど演奏すると、ドラムスが交代した。誰かと思ったら、セッションが始まる前にドラムをセットしていたアフリカ系老人。彼は手伝っていたのではなく、ミュージシャンだったのだ! 老人は1曲だけ演奏すると、自分のシンバルを袋に入れて胸に抱え、じゃあまたな、という感じで店を出て行った。うーん、いいなあ。

次はHさんで、彼女は「朝日のようにさわやかに」「ラヴァー・マン」の2曲を歌って大きな拍手を受ける。しばらく休憩したあとセカンド・セット。ギターがRさんから若い白人男性に代わる。流麗なRさんと違って、ちょっと素人ぽい演奏。彼は1曲だけでRさんに交代し、一緒に来ていたガールフレンドと店を出て行った。

そんなふうに集まったミュージシャンがかわるがわる参加し、なかにはポエトリー・リーディングするアフリカ系男性もいて(最後にはバックで音をつけていたベースの女性が、いいかげんにしてよ、みたいに苦笑してた)、緊張感というより仲間同士がゆるい感じで楽しむアット・ホームな雰囲気のセッションがつづいた。

日本のライブ・ハウスでは、僕が知っている限りこういうジャム・セッションはなかなか見られない。

記憶をたどると、30年近く昔、山下洋輔トリオと高木元輝トリオに、若くして自死した阿部薫が加わり大晦日に新宿ピット・インでオールナイト・セッションをやったとき、深夜も3時、4持を過ぎるとさすがにみな疲れて次々に交代し、ジャム・セッションとはこういうものかと初めての経験をしたことがある。

もっともこの時の空気はアット・ホームなんてものじゃなく、阿部薫と山下トリオの中村誠一が2時間近く壮絶なサックス・バトルを繰り広げた。明け方になっても2人ともステージを降りようとせず、元旦の陽が昇ってもなお止めようとしない阿部薫に、中村誠一がいらだつように強引にセッションを止めたのを思い出す。

Rさんは、しばらくこのジャム・セッションのセミ・レギュラーになっていたけれど、「レベルがあまり高くないので退屈して」、最近はたまにしか顔を出さないらしい。Hさんは、「だから練習になっていいのよ」と言う。この日は若いギタリストがそうだったらしいが、ネットを見てどんなミュージシャンがやってきてもちゃんと迎え入れる雰囲気は、初めての僕に気を使ってくれた経営者の母娘とともに、とてもいい印象を持った。

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生活用品一式の値段

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(窓から。遠く、ヴェラザノ・ナロウズ橋の橋脚が夕陽に輝いている)

着いて1週間、折を見て近所でこまごました買い物をしていた。カウチ・ベッドなどの大物家具は僕が来る前に友人のHさん夫妻が中古を買い求めてくれたから(ほんとに世話になりました)、日々生活するための道具はだいたい揃ったような気がする。まだまだ足らないものは出てくるだろうけど……。

でも一段落ついたので、食品を除いた生活用品をひととおり揃えるのにいくらかかったかリストアップしてみよう。日本から持ってきたものは衣料品と、箸や湯呑、常用の薬程度のもの。前の住民が部屋に残していったのは冷蔵庫だけだった(それもかなり古い)。

部屋はスタジオと呼ばれるワンルーム。といっても日本のそれよりかなり広く、10畳程度のリビングに4畳ほどのキッチン、バス・トイレもゆったりしていて、2畳強の収納空間もあり、1人なら十分すぎるくらい。ちなみに家賃は月1200ドル。玄関には24時間、ドアマンがいて、安全は問題ない。

カウチ・ベッド(中古)           100ドル

テーブル・椅子(中古)            35ドル

コーヒー・テーブル(中古)          35ドル

ブラインド                 150ドル

エアコン(前の住民が持って行ってしまった) 300ドル

寝具・タオルセット・食器          250ドル

照明器具                   42ドル

電話                     20ドル

テレビ(中古)                30ドル

炊飯器(中古・自炊に必須)          30ドル

電子レンジ(中古・自炊に必須)        20ドル

魚焼き器(自炊に必須)            70ドル

薬缶・鍋セット                51ドル

キッチン用品                  104ドル

ごみ箱(キッチンとリビング)         30ドル

99セント・ショップ、特売店での買い物      35ドル

計                        1302ドル

こうしてみると、エアコンの300ドルが大きいね。もし部屋にエアコンがあれば、1000ドルで最低限の生活用品ひとそろいが揃ったはず。寝具・タオルセット・食器などはメイシーズのバーゲンで、それなりのものを買った。20歳の若者じゃないから、全部が全部安物では生活を楽しめない。ある程度の快適さ、心地よさが必要だと思ったから。

照明器具、キッチン用品、ごみ箱をハードウェア・ショップで買ったのは痛かった。あとで特売の店にいったら、かなり安いものがある。ああ、こっちに先に来ればよかったと後悔したけど、照明などは好みの問題があるから、と自分を納得させた。

最大の失敗は、品質のいいものを選ぶべきだった包丁やはさみを99セント・ショップで買い、1年もてばいいタッパウェアをハードウェア・ショップで買ってしまったこと。

包丁やはさみの切れの悪さにはまいるし(玉ねぎが薄く切れない!)、逆にタッパウェアは1年どころか20年でももちそうな頑丈な品で、しかも自炊するから冷凍・冷蔵用に大小とりまぜて求め、びっくりするほど高かった。

まあ、初めての場所で初めての経験にはよくあるミス、そんな間違いを楽しむくらいの気持ちじゃないとね、と自分を慰めるしかない(後記。1週間後、あまりの使いにくさに、メイシーズのバーゲンで包丁とはさみを買った。今度のは怖いほどよく切れる)。

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2007年8月26日 (日)

自炊第1日

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今日から自炊することにした。

ニューヨークに滞在するにあたって考えたことのひとつは、食事をどうするかってこと。60年も生きていれば身体のあちこちにガタが来て、健康診断を受ければいろんな数値に赤信号とまでいかないまでも黄信号がついている。こっちで肉や脂肪分たっぷりの食事やジャンク・フードばかり食べていれば、たちまち数値が跳ね上がることは、そんな失敗を繰り返した今までの経験で分かっている。

若ければ無茶もできるけど、慣れない町で痛風の発作を起こして痛む足をひきずりながら医者を探すなんてことはしたくない。

そこでいろいろ考えた末、日本と同じ食生活を心がけようと決めた。インスタント食品もできるだけ使わない。心配するカミさんも、そうすることで納得してくれた。

僕は朝はご飯、味噌汁、お新香党なので、それをそのまま持ち込むことにして、なんとヌカを2袋、日本から機内手荷物で持ってきたのだ。たいていのものはこちらで手に入るだろうけど、ヌカはないかもしれないと思った。

昨日は友人Hさんのご主人Rさんの運転で、ニュージャージーの大きな日系スーパー(元ヤオハン)に連れていってもらった。ここなら、たいていのものは揃う。玄米、味噌、醤油、調味料、それに魚焼き器(室内で煙を出せないので)などを買いこんだ。でも、見たところヌカはなかったから、苦労して持ってきたのは正解だったかも。今どきヌカ漬けをしている家なんて、そうはないものね。

で、今日の朝食は記念すべき自炊第1日。玄米ご飯。油揚げとタマネギの味噌汁。めかぶ。ブロッコリーとサラダ菜、赤ピーマンのサラダ。きゅうりの漬物(一夜漬けの素)。玄米ご飯は思ったより柔らかく、おいしく炊けていた。

まあ、毎日、それも朝晩というわけにはいかないけど、朝はできるだけ、夜は週の半分は自炊したい……。……と、思わず打ってしまったところに、我ながら自信のなさが表れてるけど。

午後は、ヌカ床つくりに時間を費やした。家でヌカをかきまわすことはあっても、床をつくったことはない。さて、うまくいくかどうか。

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2007年8月25日 (土)

ご近所散歩

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(ご近所商店街)

土曜日なので、近所を探索がてら散歩することにした。地図を見ると、西北へ30分ほど歩けばイースト・リバーに行きつくはずだ。

アパートの場所は、大雑把に言ってマンハッタンとブルックリンを結ぶマンハッタン橋の、ブルックリン側のたもとに近いところにある。アパートを出ると、すぐにマンハッタン橋に向かう広いフラット・ブッシュ・アベニユーが走っていて、昼も夜も車の流れが絶えない。右手遠くには高い鋼鉄製の橋脚が見えている。

フラット・ブッシュ・アベニューを渡ると商店街がはじまる。低層の小さな建物が連なっている、ご近所商店街といった感じだ。デリ、グロッサリー、ベーカリー、何軒もあるピザ・ハウス、魚屋、家具店、ランドリー、アフリカ系のヘアサロン、99セント(100円)ショップ、特売の店(その名も「バーゲン・ハンターズ」)、ジャマイカ系のカフェ、中華料理店などなど。

歩いているのはアフリカ系が3、4割といったところか。あとは雑多な人種が入り乱れている。黒い帽子をかぶったユダヤ教徒も目立つ。僕ももちろん怪しげな東洋人のひとり。

ご近所商店街の隣の通りは小ぎれいなショッピング・モールになっていて、こちらにはデパートのメイシーズもある。宝石店と金のアクセサリー・ショップがやたら目立つのは、このあたりにもともとこの手の店が多かったのか、それともアフリカ系が上客だからだろうか。スニーカーとスポーツ・ウェアの店が多いのは、アフリカ系の住民が多いからだろう。

ご近所商店街を抜けると、ブルックリン区役所とコロンバス公園に出た。右手奥には教会みたいな尖塔をもった古い建物(郵便局)と、その先にブルックリン橋が見える。何人もの人が向こうから歩いてくるのは、橋の遊歩道をマンハッタン側から歩いて渡ってきたのかもしれない。

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公園ではテントを張って露天が賑わっていた。野菜、果物、花、鉢植えなどを売っている。傍らのベンチでは老人が本を読んだり、若い母親が赤ん坊をあやしたり、上半身裸のアフリカ系の男が所在なげにあたりを見回したりしている。いかにも休日の風景。

官庁街の先からは、高級住宅街のブルックリン・ハイツがはじまる。ブラウン・ストーンの古い建物に並木が美しく、両側にカフェやレストランが並んでいる。高級食材のスーパーもある。

以前は僕の住むアパートの近くにスーパーがあったらしいのだが、再開発のため取り壊され、まとまった買い物は十数分歩いてここまで来なくてはならない。アパートの住民は、荷物を持った帰りは地下鉄に乗ったり、マンハッタン(チャイナタウンやビレッジまで地下鉄で30分足らず)に出るついでに買い物をしているようだ。

ブルックリン・ハイツを抜けると見事な風景が待っていた! イースト・リバー添いの公園で、川の向こうにウォール街の超高層ビル群、右手に石造の美しい橋脚をもつブルックリン橋。僕らの世代の記憶なら、この橋の下でウッディ・アレンとダイアン・キートンが愛を語った(『アニー・ホール』)、映画や写真でおなじみの風景だけど、本物を見るとやはり視界いっぱいに迫ってくる圧倒的な量感に圧倒される(この日は霞がかかって写真が撮れませんでした。って、絵葉書や映画みたいに撮れるわけないから、想像にお任せします)。

ベンチはカップルや家族づれ、ひとりで食事している中年女性や本を読んでいる老人でいっぱい。犬を連れた親子やジョギングの人々もいる。僕もしばらくベンチに座って風景にひたった。

帰りはアパートの住民に教わったようにスーパーで買い物し、地下鉄で帰る。休日は地下鉄の本数が少なく、R線が来るまでずいぶん待たされた。

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2007年8月24日 (金)

小切手帳

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(朝。窓からの眺め)

今日は銀行で小切手口座をつくった。電話や光熱費を払うためなんだけど、いままで個人で小切手を切ったことなんてないから、小切手帳をもらっただけで、どうってことないんだけど嬉しくなる。

こちらで銀行口座を開くにはソーシャル・セキュリティ・ナンバーというものが必要らしい。僕はそんなもの持ってないから、その代わりに学校から銀行宛に身分を保障する手紙があればよいと言われていた。

今度の滞在は1年の予定で、そのためには3カ月しか滞在できない旅行者ではなく、ちゃんとしたビザがいる。だから語学学校に籍を置いて学生ビザを取ることにしたのだ。それに「旅行者英語」程度の実力なので、せっかく1年いるなら「日常英語」程度はモノにしたいしね。

というわけで、日本にいるときからメールでやりとりしてたけど、さっそくペン・ステーション近くの学校に顔を出した。「入国したら必ず30日以内に学校に報告するよう」言われていたのは、学生ビザで入国してそのまま不法就労してしまう、そうせざるをえない人間が世界にはたくさんいるからだろう。

担当の東洋系の女性と話をし、登録も終わったので、最後に銀行宛に手紙を書いてくれるよう頼んだら、「それはできない。あなたの身分が有効になるのは9月1日からです。授業が始まったらまた来てください」顔の表情をぴくりとも変えず、にべもない。「でも授業料も払ったし、今日、学生番号もついたじゃないですか」「それとこれとは別問題です」。

しばらく押し問答したんだけど、らちがあかない。相手の言い分も理屈が通らないわけじゃないけど、日本なら頼みこめばなんとかなることも多い。彼女はこっちを無視するように、順番を待っていた次の学生に話しかけてしまい、結局、あきらめざるをえなかった。

そのことをニューヨーク滞在20年以上になるHさんに話したら、「こちらの人は、自分がどうしてもやらなきゃいけない仕事以外はやらず、できるだけ楽をしようとするのよ」「相手の事情を考えてくれる、なんてことはない?」「こちらではそういうことはいっさい期待しないようにね」。

来週にはテレビ・電話・ネットを契約するために小切手が必要なので、手紙がないまま銀行に行った。学校の手紙が必要と言われたのと同じ銀行だけど別の支店。

ロシア系名前の担当者に口座を開きたいといったら、パスポートともうひとつ身分証明があればよいという。あいにくNYで運転するつもりはないので免許証は持ってきていない。たまたま日本の銀行で発行してもらった残高証明を持っていたので、それでいいかと聞いたら、「パーフェクト」の答え。10分ほどして、手紙なしであっけなく小切手帳が手に入ったのだった。

それをまたHさんに言ったら、「同じ窓口で同じ仕事をしていても、こちらでは担当者によって言うことが変わるから気をつけて」。

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2007年8月23日 (木)

99セント・ショップで買い物

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ニューヨークに住むにあたっては、友人のHさんと、アメリカ人のご主人、Rさん夫妻にすっかり世話になった。そもそも16階建てのこのアパートを紹介してくれたのはHさんだし、Rさんは一、二度しか会ったことのない僕のために保証人になってくれた。ほかにもアメリカ人の入居希望者がいたのに外国人の僕がこのアパートに入れたのは、そのことが大きかったと思う。

それだけでなく、1年しかいないのだから新しい家具を買うのはもったいないと、ネットで中古のカウチ・ベッド、テーブル、テレビなどを探して買い、僕がこちらに来る前に車で部屋まで運びこんでいただいた。感謝の言葉もない。

前日、アパートの管理室に行き、写真を撮って玄関のキーになるIDカードをつくってもらったとき、一緒にいたRさんに、

「これで僕もこのアパートに住民になれたね」と言ったら、

「そしてニューヨークの住民にもなれたわけだ。おめでとう」

と握手を求められた。

だから寝泊まりするための、最低限の大物家具は揃っている。といって、日常生活を送るにはこまごまとしたものが、リストアップするとあれもこれも思いのほかたくさん必要になってくる。近くに99セントショップ(100円ショップ)があるというので、買い物に出かけた。

99セント・シティ」というその店は、日本のドン・キホーテほどびっしりではなく、やや大雑把に天井までいっぱいに商品がぶらさがっていて、店員はみなインド人だった。客はエスニックが混在しているブルックリンらしくアフリカ系を中心に、インド系、中国系、たまに白人とさまざまで、彼らにまじって商品を選んでいると、僕も東洋の端からやってきた新移民みたいな気分になってきた。スリッパやらハンガーやらコップやフォークや洗剤を手に持てるだけ買って15ドル足らず。

99セントショップから遠くないところにハードウェア・ショップ(東急ハンズみたいな店)があったので、いったん部屋に帰って買ったものを置き、リビングの照明を買いに出かける。デザインに凝った高価なものはなく、安いものが2種類だけ置いてある。そのひとつを30ドルで買い、部屋に戻って組み立てた。灯りをつけると、日本のわが家にはない間接照明のライトが部屋をぼーっと照らしだし、その柔らかい光につつまれていると、ニューヨークに来たんだなと実感が湧いてきた。

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近所のジェイ・ストリート。午後8時

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2007年8月22日 (水)

ハーレムへ

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夜、友人のHさんに誘われてハーレムのジャズ・クラブ「バタフライ・ブルー」へ。滞在2日目でハーレムに行くとは思っていなかったから、Hさんの誘いに喜んで乗った。

地下鉄A線(Take the A Trainだね)の145丁目駅から歩いて7、8分。演奏が始まる午後7時半はまだ窓の外は明るく、ハーレムの街路を人々がゆったり散歩しているなかでジャズを聴くのが、夜の密室的雰囲気の東京のライブハウスとは別の趣があって新鮮だった。

メルヴィン・ヴィニース・カルテットと、彼の奥方であるモリ・ケイさんのボーカル。メルヴィンのトランペットとコルネットが、音数の多くない、すがれたトーンで聴かせる。若いキーボードの男の子もエキサイティングな演奏だった。一緒に行ったHさんもジャズ・ヴォーカリストで、客席から引っ張りだされて1曲歌う。

この店はミュージック・チャージを取らず、食事代だけ。カウンターに座って食事を取らなければ飲み物代だけですむ。

「有名な店だけじゃなく、チャージなしでこんなジャズが聴けるところがたくさんあるよ。でもミュージシャンにはそんなに払われないから、ミュージシャンは苦しいけどね。需要と供給の関係で、NYにはどんなに安くても演奏できればというミュージシャンが世界中から集まってきているから」

と、自分も歌手であるHさん。今日がこの店での最後の演奏というケイさんのために募金箱が回ってきたので、数ドルを入れる。

ハーレムに住んでいるケイさんの話では、このあたりも再開発で次々にコンドミニアムが建ち、それを買うのはほとんどが白人だそうだ。アフリカ系はいまやハーレムに住めなくなってきているとか。かつてアフリカ系住民がダウンタウンの再開発で追われ、郊外の高級住宅街だったハーレムに移り住んだように、いつか彼らがハーレムに住めなくなる日が来るんだろうか。

確かに夜の145丁目駅はアフリカ系ばかりでなく、白人や東洋人も多い。コロンビア大学やジュリアード音楽院も近いから、日本の学生もけっこういるようだ。

今日はHさんのアフリカ系の友人・Gさんが一緒だったこともあり、夜のハーレムを心配なく歩くことができた。ハーレムやニューヨーク全体が安全になるのは喜ばしいし歓迎すべきことだけど、背後ではそんな事態が進行していることを知っておきたいね。

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2007年8月21日 (火)

寒い!

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午後4時、ニューアーク空港(ニュージャージー)に降りたら、寒い! 霧雨も降っていて、日本でいえば10月下旬の気候かな。機内で着ていたカーディガンを脱げなくなってしまった。ニューヨーク、ペン・ステーション行きのニュージャージー・トランジットに乗ると、窓からは暗い雨雲の下にマンハッタンの遠景が霞んでいる。3週間前にアパートの契約に来たときは真夏だったのにもう秋かと、NY第1日から心も重くなる。

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ペン・ステーションから地下鉄を乗り継いでブルックリンのアパートに落ち着く。深夜、時差ボケで眠れず14階の部屋から外をながめると、マンハッタンと反対方向の南側にあいた窓からは、遠くにヴェラザノ・ナロウズ橋がライトアップされているのが見える。

ブルックリンとスタッテン島を結ぶこの橋については、だいぶ前、ゲイ・タリーズのノンフィクション『ブリッジ』で読んだ記憶がある。ニューヨークでいちばん美しいブルックリン橋と同じ構造の吊り橋で、橋の建設現場から現場へ流れ者のように移動しながら、命がけで鋼鉄線を張る仕事に一生を賭ける橋梁労働者と、橋の建設で立ち退きを迫られる住民の双方の視点から大都市が開発されてゆくさまを描いて印象的だった。

眠れないまま、闇に光る緑色のヴェラザノ・ナロウズ橋を30分ほど眺める。

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ご挨拶

「不良老年のNY独り暮らし」は1年の期間限定のブログです。これまで「Days of Books, Films & Jazz」というブログで主に映画や本やジャズについて書いてきましたが、37年勤めた会社におさらばしたのを機に1年間、ニューヨークに遊びにいくことにしたからです。

「不良老年」という言葉は、お気づきの方もいらっしゃるでしょうが嵐山光三郎氏のパクリです。氏には『「不良中年」は楽しい』『不良定年』という、とても面白い著書があり、それをそのままいただくのはあんまりなので、少しだけ変えてタイトルにしてみました。

「不良」とは、いま巷で流行の「ちょい悪」とは似て非なるものです(しかもこちらは「オヤジ」ではなく「ジジイ」です)ので、お間違えなきよう。

嵐山の兄貴は「不良」の先達として色川武大、永井荷風、谷崎潤一郎の名を挙げています。畏れ多くも、こちとら足元にも及ばない大文豪ばかりですが、「50歳になったら何をやってもいい」と喝破した武大、老年の日々を散歩と食道楽とストリップ見物にいそしんだ荷風、『細雪』の名声を得たのち老いて若年の変態性に先祖帰りした潤一郎、彼らのふてぶてしい「不良」の精神だけは見習いたいものです。

嵐山兄貴は『不良定年』のなかで、不良定年100のルールを挙げています。そのうちいくつかは、私もそのままいただきたいのですね。

・ヒューマニズムよりニヒリズム

・淋しさを食って生きる

・テーマをもたない

・何者にも忠誠しない

・ゆっくりと急ぐ

・説明はしない

などとお題目を並べましたが、英語もろくにできず、身体のあちこちにガタがきた60歳がニューヨークでどんな暮らしをすることになるのか。私にもよく分かりません。私が私自身に興味津々といったところです。

このエントリはまだ日本で書いています。8月末にはネット環境を整えて、NYから発信したいと思います。おつきあいください。

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