2008年9月26日 (金)

引っ越しのお知らせ

昨年8月に、1年間限定でこの「不良老年のNY独り暮らし」を立ち上げました。それからちょうど1年、このほど無事に(?)日本に帰ってきました。

その間、皆さんからたくさんのコメントやTBをいただきました。それによって、ニューヨークで独り暮らしをしながら皆さんとつながっている実感があり、ブログを続ける大きな原動力になりました。皆さんに感謝、です。

このほど、元のブログ「Days of Books, Films and Jazz」を再開することにしました。もっとも、かつてと同じ本と映画と音楽のブログになるかどうか、まだ自分でもよく分かりません。NY生活で書き残したこともいくつかあるので、それらも追々書いていきたいと思います。

おつきあいいだだいた方々、ありがとうございました。もしご興味があれば、再開ブログも訪問していただければ幸いです。では。

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2008年8月30日 (土)

キー・ウェストの旅 2

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キー・ウェストと言えばヘミングウェイ。

ホワイトヘッド・ストリートにヘミングウェイの家がある。新進作家として名をなし、パリから戻った彼は1931年から1939年まで8年間、このスパニッシュ・コロニアル・スタイルの邸宅に住んだ。

その間に彼はこの家で、『武器よさらば』『誰がために鐘は鳴る』『キリマンジャロの雪』といった代表作を完成させている。

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客間兼居間。テーブルの上には、『敗れざる者』を思わせる闘牛の置物がある。

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書斎。ヘミングウェイが使っていたロイヤル社製タイプライターが、当時のままに置かれている。椅子はハバナの葉巻職人がつくったもの。棚には彼の蔵書や、彼が集めた品々が収められている。

ヘミングウェイの小説は『日はまた昇る』を例外として長編より短編のほうがいいと思うけど、僕の好きな『清潔で、とても明るいところ』や『世界の首都』はこの部屋で書かれた。

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ベランダ。

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バスルーム。当時は水が貴重だったので屋根に雨水を溜める水槽があり、 その水を使って風呂を焚いた。

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邸内には、ヘミングウェイが愛した猫たちの子孫が何十匹もいる。

高見浩「キー・ウェストのヘミングウェイ」(『ヘミングウェイ全短編 2』新潮文庫)によると、あご髭に葉巻、強い酒、釣りとハンティングを愛するタフな「パパ・ヘミングウェイ神話」は、キー・ウェスト時代にできあがったと言われる。実際、ヘミングウェイの日常はそんなライフ・スタイルに貫かれていた。

でも、彼がこの島で書いた『キリマンジャロの雪』や『フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯』を読むと、自ら「パパ神話」を演じながら、内面では深い虚無にさいなまれていたことが分かる。

8年後、この島を訪れた女性に恋したヘミングウェイは、2番目の妻と3人の子供を置いて島を出ていってしまい、やがて内戦下のスペイン人民戦線に参加することになる。

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ヘミングウェイの家から港のほうに10分ほど歩くと、スラッピー・ジョーズというバーがある。

ヘミングウェイはこの店のオーナーと親しくなり、毎晩のように通った。夜ごと店に現れては陽気に酔う人気作家ヘミングウェイの姿は、キー・ウェストの名物だったという。

今はキャプテン・トニーズ・サルーンという店になっている。

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キャプテン・トニーズ・サルーンの店内。

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2008年8月29日 (金)

キー・ウェストの旅 1

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マイアミ・ビーチからキー・ウェストへ、フロリダ半島を南下する。

マイアミの西南にはエバーグレース国立公園が広がっている。湿地帯から、やがて海水が混じってくるのだろうマングローブの林が道路の左右に見えてくる。

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マイアミのビスケーン湾から最西端のキー・ウェスト島まで、およそ50の珊瑚礁の島々が連なっている。フロリダ・キーズと呼ばれるそれらの島々を、43の橋(オーバーシーズ・ハイウェイ)が結んでいる。

海のなかを一直線にどこまでも走る橋を初めて見たのは映画『キー・ラーゴ』(1948)でだったと思う。

キー・ラーゴはフロリダ・キーズのなかでいちばん本土寄りの島。映画はこの島を舞台にしたギャングもので、ハンフリー・ボガートとローレン・バコールが主演する、素敵な作品だった。20年くらい前に見たきりだけど、オーバーシーズ・ハイウェイを疾走する1台の車を上空から撮影した長いカットがオープニングだったと記憶する。

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43本の橋のなかでいちばん長いのがセブンマイルズ・ブリッジと呼ばれる、文字通り7マイル(11キロ)の橋だ。新旧2本の橋がかかっていて、こちらは昔、鉄道が走っていた古い橋で、途中まで歩くことができる。左が現在使われている橋。

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セブンマイルズ・ブリッジ。右がメキシコ湾、左が大西洋。海の上を突っ走る爽快感が応えられない。

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フロリダ・キーズの終点、キー・ウェストはアメリカ合衆国の最南端に位置する小さな島。さっそく港へ行ってみる。

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このトラックは港近くの土産物店のディスプレー。

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南の島だけに緑が色濃い。

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島にはたくさんのニワトリが放し飼いされており、道路を我がもの顔で歩いている。

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キー・ウェスト最大の「名物」は夕陽。この日はあいにく雲がかかって、きれいな夕陽は拝めなかった。「夕陽見物」の名所、マロリー・スクエアにはたくさんの観光客が集まり、大道芸人がいろんな芸を披露している。

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日没後、空が赤く染まった。

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夜のデュバル・ストリート。バーやレストランが集まり、遅くまで賑わっている。 

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2008年8月28日 (木)

マイアミの旅

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砂漠のサンタフェからフロリダのマイアミ・ビーチに移動すると、暑さは変わらないけれど湿度がぐっと高くなる。

ここでは出歩かず、ひたすらビーチでのんびりすることにした。

今週から始まる映画『トロピカル・サンダー』(南国に戦争映画のロケに行って本当の戦争に巻き込まれてしまう、面白そうなおバカ映画)の宣伝幕を引いた小型機が何度もやってくる。

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や、水平線が曲がってますね。無精して、寝そべったままシャッター 押したからなあ。

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今は雨季で、南のほうに雨雲が現れたと思ったら、20分後には激しいシャワーに見舞われた。ほぼ毎日、30分から1時間ほど、こんなスコールが来る。

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マイアミ・ビーチのメーン・ストリートは、新しく建てられるビルもアール・デコふうなデザインで統一されている。 右は古いリンカーン劇場。

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こちらは新しいアール・デコ。

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マイアミ・ビーチの日の出。

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2008年8月27日 (水)

サンタフェの旅 2

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サンタフェは画家のジョージア・オキーフが長いこと住み、この一帯の風景を描いたことで知られる。

彼女の2軒の家があったアビキュー(Abiquiu)とゴースト・ランチ(Ghost Ranch)は、サンタフェの北50キロほどのところに位置する。84号線をアビキューに向かって北上する。

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アビキューの丘の上にあるオキーフの家。彼女は1946年にニューヨークから移住し、1986年、98歳で亡くなるまでこの地に住んだ。毎年、冬から春にかけて、彼女はアビキューの家に住んだ。

団体で事前に申し込めば見せてくれるそうだが、個人客はだめで、外から眺めるだけ。

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アビキューの教会。

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教会の傍らにあった廃屋。

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やがてリオ・グランデになるリオ・チャマ。一面の砂漠のなかで、川の流域だけに緑があり、村が点在している。このあたり一帯は先住民の居留地になっている。

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上が平らになっている台地があちこちにあるのが、このあたりの風景の特徴。侵食された崖からは恐竜の骨が発見される。

映画のロケにもよく使われ、『インディ・ジョーンズ』の最新作にもここで撮影されたシーンがある。

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オキーフもモチーフにした岩山。

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ゴースト・ランチの入口。

90年代の映画『シティ・スリッカーズ』は、ここで多くのシーンが撮影され、ロケ用に建てられた小屋がまだ残っている。

ニュー・メキシコ州は映画産業の誘致に熱心で、この近くに撮影所が建設される予定になっているらしい。ハリウッドと同様、(撮影に不都合な)雨が少ないし、雄大な風景に富み、カリフォルニアに比べて人件費も安いから、将来は映画産業が盛んになるかもしれない。

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オキーフの家は山を回り込んだところにあり、残念ながら見学できない。彼女は夏から秋にかけてここに暮らした。毎日、このあたりを散歩し、彼女が描いた木が今も残っている。

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古い家に残されていた牛の骨はオキーフの絵そのまま。 

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サンタフェのジョージア・オキーフ美術館では、オキーフの友人で、やはりこの地の風景を素材にした写真家、アンセル・アダムスとオキーフの、似たモチーフの作品を並べた企画展が開かれていた。

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2008年8月26日 (火)

サンタフェの旅 1

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ニューメキシコ州サンタフェの町は、すべての建物がプエブロ・インディアン・スタイルで統一されている。この家はその原点となるもので、1646年に建てられた「アメリカ合衆国最古の建物」。

日干し煉瓦でつくられ、梁が外壁から飛び出しているのが特徴だ。

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建物の内部。

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新しい家もすべてこのスタイル。

もともとプエブロ・インディアンが暮らしていたサンタフェは、その後、スペインやメキシコに侵略された。その結果、3種の文化が混交してサンタフェ独特の雰囲気をつくりあげている。町を歩いていて、なにより白人の匂いがしないのが面白い。

もっとも現在は町なかに住む先住民は少なく、白人の観光客(しかもシニア世代)が多い。

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いたるところ花がいっぱい。

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こちらはホテルのベランダ。

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ホテルの部屋。カーテン越しの柔らかい光で目が覚めた。

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サンタフェ最古の教会であるサン・ミゲル教会。

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教会の内部。

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たそがれ時のメイン・ストリート。

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町の中央にある広場ではサルサ・バンドが演奏し、人々が楽しそうに踊っていた。小さな女の子がサルサのリズムに合わせてくるくる舞っている。

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2008年8月24日 (日)

ロサンゼルスの旅

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小生、西海岸ははじめてなので、サンフランシスコもロスも観光気分。ホテルの窓から、遠く「HOLLYWOOD」の看板が見えたので(写真右上)単純に嬉しくなってしまった。

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最近はさびれ気味と言われるハリウッド大通りだけど、ハリウッド&ハイランドと呼ばれるエンタテインメント・ゾーンができて人々が戻ってきた。その中心には、アメリカ映画の古典『イントレランス』のバビロンの巨大セットを模した広場がある。

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この日も映画スターが来るらしく、ファンが集まっていた。

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たそがれのハリウッド大通り。

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ビバリー・ヒルズ近くにある元石油富豪の邸宅。現在は市所有の公園になっていて、映画のロケがしょっちゅう行われている。ハリウッドといえども、けっこう手近なところで間に合わせているんだな。

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サンタモニカの海岸へ行ったら、砂浜にイラク、アフガニスタンでの米軍兵士の死者の数だけ十字架が建てられていた。

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アフガニスタンでの今週の米軍兵士の死者3名。

アフガニスタン人とイラク人の死者の数も(数字だけだが)記してある。ベテランズ・フォー・ピースという団体が行っているもの。

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サンタモニカの路上。

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こういう風景がやはりロスのイメージかな?

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夜明け前のハリウッド大通り。

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2008年8月23日 (土)

サンフランシスコの旅

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サンフランシスコは坂の町というのは有名だし、数えきれないほどの映画で坂を舞台にしたカーチェイスを記憶しているけれど、実際に歩いてみて、アップダウンがこんなにきついとは思わなかった。

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なにしろこの傾斜ですよ。画面で見ると大したことなさそうだけど、海までつづく急坂を車で下ったらすごく怖そうだ。

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ビクトリアン・スタイルの邸宅が並ぶ高級住宅地、ノブ・ヒルから海をながめる。

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急坂を上り下りしているとケーブルカーが必要なのがよく分かる。

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たとえ座席がすいていても、みんな立ち乗り(ライディング・ボード)を好む。

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ケーブルカーの終点にあるターンテーブルで電車の向きを変える。

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こちらはノブヒルとは対照的なヘイト・アシュベリーの交差点。1960年代のヒッピー・ムーブメントはこの地区から生まれた。

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僕自身はヒッピーとは無縁で、どちらかといえば硬派の学生だったけれど、長髪にジーンズといったファッションや音楽、映画など、西海岸のカウンター・カルチャーから受けた影響はやっぱり大きい。

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ジャニス・ジョプリン(ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニー)のアルバム「チープ・スリル」の名を冠した60年代ふう雑貨・土産物店。

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店内には、おお、懐かしのポスターが。

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こちらはジョン・レノンの「パワー・トゥー・ザ・ピープル」から店名をいただいたカフェ。

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真ん中の家は、ジャニス・ジョプリンが住んでいたアパート。ライオン・ストリート3番地。

ふと思い出したけど映画『ミッドナイト・エクスプレス』の最初のセリフは、「ジャニスが死んだ」だった。1970年10月4日没。27歳。

彼女の「サマータイム」や「ムーヴ・オーヴァー」を聞くと、今でもぞくぞくっと来る。

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近くの公園からダウンタウンの高層ビル群を眺める。

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サンフランシスコ近代美術館(SF MoMA)。なんと、フィラデルフィアで見逃したフリーダ・カーロ展をやっていたので、さっそく入る。

彼女の、うっすらと髭をはやし、両眉がつながった何枚もの自画像が圧巻だ。土俗とモダン、リアルとシュール、アメリカへの愛と嫌悪が入り混じった作品群。愛人と噂された、メキシコ亡命中のレオン・トロツキーと一緒の写真も展示されている。

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2008年7月29日 (火)

旅行に出ます

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明後日にはアパートを引き払わなければならないので、部屋の整理をしている。植木鉢を近くのフォート・グリーン・パークへ持っていって、勝手に「記念植樹」。

こちらへ来てすぐ3ドルで買ったものだけど、1年間、ともに暮らしたただひとつの「生きもの」だから愛着がわく。このまま育ってくれるといいけれど。

2週間ほどサンタフェ、キーウェストなどアメリカ国内を旅行して、そのまま日本へ帰ります。パソコンを持っていかないので、その間、更新は休ませていただきます。8月下旬には旅の写真をアップできると思います。

それでは皆さん、楽しい夏を!

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2008年7月27日 (日)

ヴィクター・ルイスを聴く

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ヴィレッジ・ヴァンガードへヴィクター・ルイスを聴きにいく。

僕がヴィクター・ルイスを初めて聴いたのは、マンハッタン・ジャズ・クインテット(MJQ)のメンバーとしてだった。初代ドラマーのスティーブ・ガッドにつづく2代目。1990年代に来日したときのシャープなドラムが印象に残っている。晩年のスタン・ゲッツのアルバムにも参加していたと思う。

ニューヨーク滞在も残り少なくなり、日本からやってきたかみさんの「ジャズらしいジャズを聴きたい」って希望で選んだ。

MJQと同じクインテット編成で、メンバーはシーマス・ブレーク(ts)、シーン・ジョーンズ(tp)、ブルース・バース(p)、エド・ハワード(b)。最初にハービー・ハンコックの曲をやった以外、すべてルイスのオリジナル曲を演奏した。

「デクス・マクス」というのはデクスター・ゴードンにちなんだマイナー・ブルース。ブルースといってもこてこてではなく、今ふうな演奏なのがMJQと似てる。全体として現代的なハードバップという感じ。

MJQは腕っこきの職人的ミュージシャンのグループだから、アンサンブルは見事だし、ソロも聞きごたえ十分で、聞き手を心地よく乗せてくれるけど冒険には乏しい。その点、今日のグループはリーダー以外は若く、腕にばらつきがあるけど、そのぶん個性を押し出そうと力いっぱいにプレイするのが気持ちいい。特にセンスのいいピアノと、パワフルなアフリカ系の若いトランペットがいい。

「クロイスター」は、そのトランペットをフィーチャーして、ベースと、ルイスのドラムによるトリオ。トランペットが吼えまくる。

ルイス以外、名前を知らないミュージシャンだったけど、やっぱりこの町にはすごいプレイヤーがごろごろしてる。

ルイスはリーダーといっても、俺が俺がというタイプでなく、若いメンバーに存分にやらせている。切れのいいドラミングで彼らをサポートし、煽りたて、ここぞというときにガツンと決める。曲も印象的なテーマが多く、作曲家としてもいい腕だね。

ウェス・モンゴメリーやウィントン・ケリーのようにスイングするジャズが好みのかみさんも満足しておりました。

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