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<title>Days of Books, Films &amp; Jazz</title>
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<description>編集者 日々のコラム</description>
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<item rdf:about="http://editorsnote.cocolog-nifty.com/days_of_books_films_jazz/2009/12/post-3312.html">
<title>『倫敦から来た男』　夢魔のような</title>
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<description>夜。霧が流れる港。カメラが海面からゆっくり上昇しながら、光と影にくっきり分かれた...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://editorsnote.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/12/17/the_man_from_london.jpg&quot; onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=200,height=286,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;The_man_from_london&quot; title=&quot;The_man_from_london&quot; src=&quot;http://editorsnote.cocolog-nifty.com/days_of_books_films_jazz/images/2009/12/17/the_man_from_london.jpg&quot; width=&quot;200&quot; height=&quot;286&quot; border=&quot;0&quot;  /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;夜。霧が流れる港。カメラが海面からゆっくり上昇しながら、光と影にくっきり分かれた船の船首をなめるように映し出す。カメラの前をアウトフォーカスになった窓枠らしきものの影が下方に横切るから、どうやらカメラは室内に、それもかなり高い位置に置かれているらしい。室内では男が後ろ姿を見せて窓の外を見ている。カメラは男の肩ごしにデッキに近づいて、船上でのある出来事を映しだす。上へと移動してきたカメラが今度は水平に移動すると、窓の外の桟橋に列車が横づけされ、発車を待っているのが見える。逆光で真っ黒になった男の歩き去る影が長く伸びている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;『倫敦から来た男（原題：The Man from London）』冒頭の十数分間、ゆっくり移動しながらの長回し。ここまで２カットだったか３カットだったか。音は不安げな弦楽の繰り返し。モノクロームの夢を見ているような感触に釘づけにされる。はて、これらの出来事を目撃している男が、そしてカメラが置かれている空間はどんなところだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それが明らかにされるのは、男がその空間から出てゆき、また戻ってきたとき。そこは港に隣接した鉄道駅の管制室だった（上のポスター）。夜と霧。港と船。鈍く光る線路と列車。湾の向こうに遠く光る町の灯り。闇に輝く管制室。ざわざわと見る者の胸を騒がせる夢魔のようなイメージ。タル・ベーラ監督はこれを撮りたかったんだろうな。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この外界から閉ざされた「ガラスの檻」は、この映画の核となる出来事が、その男マロワン（ミロスラヴ・クロボット）の孤独な心のなかで生起することの比喩とも言えそうだ。映画は、男の心理描写を一切しないけれど。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;初老の鉄道員マロワンが、ある夜、管制室から殺人を目撃する。彼は殺人の原因になった、大金の詰まったカバンを手に入れる。やがて、彼の周りにカネを探す殺人者や、殺人者を追う刑事が姿を現してマロワンを脅かす。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;片隅で実直に生きてきた男が、ふとしたはずみで犯罪に巻き込まれる。メグレ警視シリーズで有名な、いかにもジョルジュ・シムノンらしい物語。北西フランスの寂しい港町を舞台に、暗く重苦しい空気をタル・ベーラ監督は余分なものを一切省いて再現している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;原作がどうなっているのか知らないけど、結末はすとんと腑に落ちるようにはつくられていない。いろいろ忖度はできるけど、疑問は残る。それもシムノンの世界ということかな。寂しい港のロケ地はコルシカ島、そこに管制室はじめセットをつくったらしい。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>映画・テレビ</dc:subject>

<dc:creator>雄 </dc:creator>
<dc:date>2009-12-19T15:12:36+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://editorsnote.cocolog-nifty.com/days_of_books_films_jazz/2009/12/post-1363.html">
<title>庭園美術館のカフェ</title>
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<description>日暮れ時、目黒の東京都庭園美術館カフェでお茶を飲んでいたら、いきなり窓の外がライ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://editorsnote.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/12/18/0912171w.gif&quot; onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=640,height=480,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;0912171w&quot; title=&quot;0912171w&quot; src=&quot;http://editorsnote.cocolog-nifty.com/days_of_books_films_jazz/images/2009/12/18/0912171w.gif&quot; width=&quot;370&quot; height=&quot;277&quot; border=&quot;0&quot;  /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;日暮れ時、目黒の東京都庭園美術館カフェでお茶を飲んでいたら、いきなり窓の外がライトアップされた。今年は紅葉があまりきれいじゃなかったけど、小さなもみじの赤が印象的。写真では色がうまく出てないけど。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;庭園美術館の展示は「パリに咲いた古伊万里の華」。景徳鎮を模してヨーロッパに輸出された古伊万里のコレクション。もともとヨーロッパの宮殿に置かれたオリエンタル趣味の輸出品だから大型だし、日本家屋のなかで茶道具などに使われたものとはかなり美意識が違う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それでも柿右衛門はいかにも柿右衛門だなあ。空間恐怖症的に空白を埋めていく景徳鎮に対して、空白の「間」を美と感ずる柿右衛門はヨーロッパ人にどう感じられたんだろう。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>雄 </dc:creator>
<dc:date>2009-12-18T11:52:47+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://editorsnote.cocolog-nifty.com/days_of_books_films_jazz/2009/12/post-79c8.html">
<title>神保町そぞろ歩き</title>
<link>http://editorsnote.cocolog-nifty.com/days_of_books_films_jazz/2009/12/post-79c8.html</link>
<description>（神保町で必ず寄る映画・演劇書の矢口書店。脇へ回ると、なかなか洒落た建物じゃない...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://editorsnote.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/12/16/0912161w.gif&quot; onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=640,height=480,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;0912161w&quot; title=&quot;0912161w&quot; src=&quot;http://editorsnote.cocolog-nifty.com/days_of_books_films_jazz/images/2009/12/16/0912161w.gif&quot; width=&quot;370&quot; height=&quot;277&quot; border=&quot;0&quot;  /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
（神保町で必ず寄る映画・演劇書の矢口書店。脇へ回ると、なかなか洒落た建物じゃないですか）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;映画の時間まで２時間ほど空いたので、神保町の古書店街をそぞろ歩き。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;最近は神保町交差点からすずらん通りや駿河台下に向かって歩くより、専修大学や水道橋方面に歩くことが多い。そのほうが僕が興味を持ってる分野の専門店が多いから。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;でもここはそぞろ歩きのつもりが、ついつい買ってしまうのが悩みの種なんですね。今日も３冊ほど買ってしまった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;菊地成孔・大谷能生『憂鬱と官能を教えた学校』。サブタイトルは「バークリー・メソッドによって俯瞰される20世紀商業音楽史」。小生、ジャズ・ピアノをちょっとかじったけど、限りなく専門書に近い本なので歯が立たないかも。レイモンド・チャンドラー『さよなら、愛しい人』。村上春樹の新訳。春樹訳『ロング・グッドバイ』も楽しめたので。もう１冊は雑誌、『散歩の達人』「浦和・与野・大宮」特集号。９年前の雑誌だから店はだいぶ変わってるけど、地元がどう見られてるか気になって。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;予算オーバーで、いかんなあ。おまけに、矢口書店で見つからなかった虫明亜呂無『女の足指と電話機』がほしくなり、帰ってからアマゾンで注文してしまった。でもこれで正月休みはたっぷり楽しめる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そうそう。小生が16年前に編集したムック『侯孝賢（ホウ・シャオシェン）』に2000円の値づけがされていた（定価1400円）。古書の値づけと中身に相関関係があるわけじゃないけど、定価より上がっているのは嬉しい。というより、自分のつくった本が定価より安く売られてるのを見るのは悲しいもんです。自分の買いたい本が安くなってると、やった！と思うのにね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;でも16年前、ムックに1400円の定価をつけていたんだなあ。今年、編集に加わったムックの定価は980円だった。定価は刷り部数との関係で決まるから一概には言えないけど、ムックや本の値段がこの十数年、ちっとも上がっていない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ていうか、今、ムックに1400円の定価はつけにくい。『侯孝賢』はマニアックな本だから部数を絞って定価を高くする方向で決めたけど、今こういう映画本をつくろうとしたら1200円以内に収めたいと考えるだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;このムック、小生の趣味でつくったに近い。カメラマン、ライターを含めスタッフ３人が台北に10日以上滞在したから、編集費もそれなりにかかっている（航空チケットもらうのと引き換えに、侯孝賢ロケ地ツアーのガイドをやったのも楽しい思い出）。結果、熱烈な侯孝賢ファンが買ってくれてそこそこ売れ、さすがに黒字にはならなかったけど、小さな赤字に収まった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>私の風景</dc:subject>

<dc:creator>雄 </dc:creator>
<dc:date>2009-12-16T23:13:06+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://editorsnote.cocolog-nifty.com/days_of_books_films_jazz/2009/12/44-0b8e.html">
<title>『チャイルド44』　旧ソ連の掟</title>
<link>http://editorsnote.cocolog-nifty.com/days_of_books_films_jazz/2009/12/44-0b8e.html</link>
<description>このところミステリーにご無沙汰していたら、なんだか無性に読みたくなってきた。以前...</description>
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&lt;p&gt;このところミステリーにご無沙汰していたら、なんだか無性に読みたくなってきた。以前はハードボイルドや警察ものをけっこう読んだんだけど、本家のアメリカでもハードボイルドが下火になって面白い小説が少なくなった。今も新作が出るとすぐ読むのはマイクル・コナリーくらい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;新幹線で大阪へ往復する仕事もあったので、車中で読もうと選んだのがトム・ロブ・スミス『チャイルド44』（上下、新潮文庫）。作者のデビュー作だけど、去年の「このミス」で１位になっている。ローレンス・ブロックの訳者・田口俊樹の訳だから、はずれないだろうとの読みもあった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;いちばん惹かれたのは、スターリン時代のソ連を舞台にしていることだ。旧ソ連を素材にしたミステリーといえば『ゴーリキー・パーク』や『レッド・フォックス』が記憶に残るけど、秘密警察と密告者の網が隅々まで張られた社会は、それだけでミステリーの要素をたっぷりはらんでる。作者がイギリス人というのも納得がいく。ナチス時代を舞台にしたフィリップ・カーの「ベルリン三部作」のように、近過去に材を取った歴史ミステリーの流れがある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こういう小説は「入り」が勝負だね。プロローグで、どう読者を小説の空気に引っ張り込むか。1933年のウクライナ。飢餓で全滅しそうな真冬の村。近所の飼い猫を捕らえて食べようと森に入った兄弟が、逆に「獲物」として狙われ、離れ離れになってしまう。寒くて、飢えて、全員が全員の敵である世界。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;物語は一転して20年後のモスクワになる。主人公レオは国家保安省の捜査官。スパイ摘発に失敗して田舎の民警に左遷され、少女惨殺事件に遭遇する。捜査するうち、広範囲で同じ手口の事件が数十件起きていることを知り、レオはそれが同一犯の犯行であることを確信する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;本文の合間に、ソ連社会に生きる掟や登場人物の独白が書体を変えて挿入されるのが効いている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「この社会には犯罪は存在しない」（犯罪は存在してはならない。理想社会なのだから）&lt;br /&gt;
「自分たちが信用する者たちこそ調べるべきだ」（スターリンの言葉）&lt;br /&gt;
「職員は鍛錬し、自らの心を無慈悲にしなければならない」（秘密警察の祖、ジェルジンスキーの言葉）&lt;br /&gt;
「きみの名前を覚えていれば、いずれきみを糾弾することができる」&lt;br /&gt;
「それが夜眠れるようにするためのあなたのやり方なの？　その日起きたことを記憶から消し去るというのが」（レオの妻でスパイ容疑をかけられたライーサが、妻を調査している夫の寝姿につぶやく言葉）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;友人や家族ですら、いつ告発しあうことになるか分からない社会の恐怖と緊張が小説を貫いている。ミステリーの探偵役はいつも単独行動だけど、この社会ではそれもご法度だ。「それ（単独行動）は国家が定めたシステムが機能しなかったことを意味し、場合によっては、国家にできなかったことを個人が成し遂げてしまうかもしれないからだ」。後半、逃亡して単独行動するレオを助ける村人たちが登場して、この暗い社会のなかにも一筋の灯りが灯っていたことを暗示するのも気持ちいい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;少年少女の大量惨殺事件は、1970～80年代に実際に旧ソ連であった事件を過去に移しかえている。そこに「カインとアベル」的な兄弟物語を重ね、身内の敵対者を倒すことでスパイ容疑と国家への忠誠が紙一重で逆転するどんでん返しが繰り返されて、これは面白いぞ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;続編も翻訳されてるみたいだけど、この結末は初めからそのつもりで書かれたんだろうか。妻をスパイと疑ったレオと、夫の権力を恐れて結婚したと告白したライーサの夫婦は、続編ではどういうコンビになっているんだろう。最初悪役として登場した田舎の民警署長ネステロフは、レオの相棒になりそうだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この小説、リドリー・スコット監督で映画化されるらしい。楽しみだな。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>書籍・雑誌</dc:subject>

<dc:creator>雄 </dc:creator>
<dc:date>2009-12-14T14:54:17+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://editorsnote.cocolog-nifty.com/days_of_books_films_jazz/2009/12/post-7df5.html">
<title>菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール</title>
<link>http://editorsnote.cocolog-nifty.com/days_of_books_films_jazz/2009/12/post-7df5.html</link>
<description>菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールを聴いた（12月４日、Bunkamura...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://editorsnote.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/12/05/0912041w.gif&quot; onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=225,height=300,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;0912041w&quot; title=&quot;0912041w&quot; src=&quot;http://editorsnote.cocolog-nifty.com/days_of_books_films_jazz/images/2009/12/05/0912041w.gif&quot; width=&quot;250&quot; height=&quot;333&quot; border=&quot;0&quot;  /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールを聴いた（12月４日、Bunkamuraオーチャード・ホール）。２日続きのコンサートの初日。２日目は菊地成孔ダブ・セクステットで、ジャズのこちらは秋に聴きに行った。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ペペ・トルメント・アスカラールの音楽を、何と表現したらいいんだろう。「伊達男（ペペ）・拷問（トルメント）・砂糖漬け（アスカラール）」ってバンド名から想像できることは、第一にスペイン語圏の音楽らしいこと、第二に互いに無関係なものを接合しているらしいこと。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;編成はハープ、ラテン・アフロ・パーカッション、弦楽四重奏、バンドネオン、ピアノ、ベースに、サックス＋ヴォーカルの菊地で11人。この日はゲストとしてクラシックからソプラノの林正子が加わった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://editorsnote.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/12/05/0912042w.gif&quot; onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=640,height=480,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;0912042w&quot; title=&quot;0912042w&quot; src=&quot;http://editorsnote.cocolog-nifty.com/days_of_books_films_jazz/images/2009/12/05/0912042w.gif&quot; width=&quot;370&quot; height=&quot;277&quot; border=&quot;0&quot;  /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
（会場に展示されてた菊地の楽譜）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;最初は現代音楽ぽく始まり、これで突っ走られたらつらいなあと思っていたら、次はバンドネオンをフィーチャーしてサルサかタンゴみたいになる。菊地がごりごり吹きはじめるとジャズになる。ソプラノサックスを吹くコルトレーンみたいにもなる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;このバンドの音、サルサとタンゴとジャズの三角形を基礎に、現代音楽やクラシックやガムランや雅楽や歌謡曲や色んな音楽の断片が出入りする感じ、と言ったらいいのかな。といって実験音楽というわけでもなく、ダンサブルなクラブ音楽を意識してるみたい（もっともポリリズムというのか変拍子というのか、普通のノリで踊れるわけじゃないけど）。なにより、菊地のサックスがよく唄ってる、その唄ごころが心地よい。鋭い高音、身体が共振するような低音、音色も素晴らしい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;アンコールで、スタンダードの「時さえ忘れて」をチェット・ベイカーばりに（チェットほどうまくないけど）ささやき声で歌ったのはご愛嬌。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今年は菊地成孔を山下洋輔トリオ、ダブ・セクステット、そしてこのペペ・トルメント・アスカラールと３度、別々のバンドで聴いたことになる。唄心があって、音色がよくて、しかも彼以外誰もやってない音楽をやってて。来年も追っかけることになるかな。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ジャズ</dc:subject>

<dc:creator>雄 </dc:creator>
<dc:date>2009-12-07T17:13:07+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://editorsnote.cocolog-nifty.com/days_of_books_films_jazz/2009/12/post-eaec.html">
<title>「聖地チベット」展 　異形の仏像</title>
<link>http://editorsnote.cocolog-nifty.com/days_of_books_films_jazz/2009/12/post-eaec.html</link>
<description>「聖地チベット」展（上野の森美術館）に行ってきた。「ポタラ宮と天空の至宝」という...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://editorsnote.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/12/02/0912011w.gif&quot; onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=217,height=300,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;0912011w&quot; title=&quot;0912011w&quot; src=&quot;http://editorsnote.cocolog-nifty.com/days_of_books_films_jazz/images/2009/12/02/0912011w.gif&quot; width=&quot;250&quot; height=&quot;345&quot; border=&quot;0&quot;  /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「聖地チベット」展（上野の森美術館）に行ってきた。「ポタラ宮と天空の至宝」というサブタイトルで、チベット仏教の仏像や曼荼羅図など124点が展示されている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;チベットの仏像は去年、ニューヨークのスタッテン島にある小さなチベット美術館でも見たけど、いちばん驚くのはやはり日本の仏像とチベットの仏像のあまりの差だよね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;10日前に興福寺で見た阿修羅や運慶の弥勒如来と、チベットの十一面千手千眼観音（上）やカーラチャクラ父母仏（下）とは、同じ仏像といっても表情も体の線も細部のつくりも、そもそも美意識がまったく違う。僕は日本人だから、どうしても日本の仏像を美しいと思ってしまうけど、（僕らからは）仏とも思えない俗な表情、女天の誘うような眼や肉感的な官能は何なんだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;平凡社大百科によると、どうも日本の仏像とチベットの仏像はまったく異なる経路をたどって生まれたみたいだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;よく知られているように、インドで生まれた仏教ははじめ仏像を持っていなかったけど、西方へ広がりガンダーラでギリシャ文明・ペルシャ文明と出会って仏像が生まれた。仏像（仏教）は西アジアから中国、朝鮮を経て日本にやってきた。帰化人である止利仏師のつくった法隆寺の仏はまだ異国ふうな面差しをしてるけど、阿修羅になるともう日本の仏になっている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;一方、ガンダーラとは別に北インドのマトゥラーでも神像がつくられていた。こちらには仏教に限らず、ジャイナ教などインド土着の宗教のいろんな種類の神像がある。なかでも仏教・ジャイナ教に共通する豊饒・多産の女神ヤクシー（夜叉女）はほとんど全裸で「マトゥラー彫刻の官能的な一面を代表している」という。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;マトゥラー様式の彫像はインド全土に広まり、その後、ヒンドゥー教が活発になるとさらに色んな神像がつくられた。そのなかには男女抱合像（ミトゥナ）もある。13世紀はじめ、インドで仏教が滅ぶと、インド仏教はネパール、チベット、東南アジアに伝えられた。チベット仏教は、インド仏教にチベットの民族宗教ボン教が習合してラマ教と呼ばれるようになった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;なるほど、チベット仏教の肉感的・官能的な仏像はインド・マトゥラー様式の伝統を引いた、こっちの系統なんだな。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://editorsnote.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/12/02/0912013w.gif&quot; onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=219,height=300,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;0912013w&quot; title=&quot;0912013w&quot; src=&quot;http://editorsnote.cocolog-nifty.com/days_of_books_films_jazz/images/2009/12/02/0912013w.gif&quot; width=&quot;200&quot; height=&quot;273&quot; border=&quot;0&quot;  /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この「カーラチャクラ父母仏」はじめ、男天と女天が抱き合った「父母仏」もいくつも展示されている。男天が牛頭人身の父母仏なんか、牛の憤怒の相にぎょっとするような迫力があるし、男根までリアルに表現されている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これらの仏は、チベット仏教がタントラ仏教とも呼ばれる密教であることと関係している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;密教っていうのは結局のところ何なのか、読めば読むほど分からなくなるところがある。要するに仏典を学ぶなど言葉で表現できる思惟によってではなく、何らかの神秘的な儀式や修行によって一気に悟りなり即身成仏を達成する、ということなんでしょうね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;タントラ仏教の場合、世界の女性原理を表わす般若波羅蜜を実在化した大印と性的に合一することによって悟りを得ようとする。…と大百科を書きうつしてもよく分からないけど、父母仏はこの「性的合一による悟り」を象徴しているんでしょう。大地母神を崇拝するインドの（というより世界各地に共通する）土俗信仰と原始仏教（小乗仏教）が混交したものなのかな。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;チベット仏教は中国にも広がり、元や明の宮廷（後宮）に入り込んで、皇帝にまで影響力を持った。そのため中国仏教からは淫祠邪教のように見られたこともある。チベット仏教はその後、15世紀に教義から一切の性的実践を切り離した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;密教の一部は、真言密教として日本にももたらされた。男女抱合像といえば思い出すのは、後醍醐天皇が崇拝した大聖歓喜天像ですね。この像は象頭人身の男女天が抱き合っている。密教僧・文観に帰依した後醍醐天皇は、歓喜天像を前に自ら護摩をたいて幕府調伏の祈祷をした。文観の密教は立川流として、後々まで淫祠邪教とされた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「こうした本尊を前に、密教の法服を身にまとい、護摩を焚いて祈祷する現職の天皇の姿は異様としかいいようがない。まさしく後醍醐は『異形』の天皇であった。極言すれば、後醍醐はここで人間の深奥の自然─セックスそのものの力を、自らの王権の力としようとしていた」（網野善彦『異形の王権』）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;男女抱合の父母仏は、こんなふうに仏教が妖しい力を持ち、政治をかきみだした過去の記憶をもまとっているんだな。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>美術</dc:subject>

<dc:creator>雄 </dc:creator>
<dc:date>2009-12-02T17:41:34+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://editorsnote.cocolog-nifty.com/days_of_books_films_jazz/2009/11/post-e22e.html">
<title>『イングロリアス・バスターズ』のトリビア</title>
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<description>タランティーノの映画には、映画オタクだった彼が耽溺した映画（１本の映画のこともあ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://editorsnote.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/11/24/inglourious.jpg&quot; onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=200,height=296,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;Inglourious&quot; title=&quot;Inglourious&quot; src=&quot;http://editorsnote.cocolog-nifty.com/days_of_books_films_jazz/images/2009/11/24/inglourious.jpg&quot; width=&quot;200&quot; height=&quot;296&quot; border=&quot;0&quot;  /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;タランティーノの映画には、映画オタクだった彼が耽溺した映画（１本の映画のこともあるし、ハードボイルドとかヤクザ映画とかジャンル全体のこともあるけど）を元ネタに色んな仕掛けがちりばめられてて、今度は何だろうと想像するのがファンの楽しみにもなってる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;冒頭、一面の野原に『アラモ』の主題歌「遥かなるアラモ（The Green Leaves of Summer）」が流れたとき、おや、『キル・ビル２』に続いてまたしても西部劇かと思いましたね。後で『荒野の１ドル銀貨』の主題歌も流れてくるし、映画の感触としては出来の悪いハリウッド映画『アラモ』より遊び心たっぷりのマカロニ・ウェスタンに近いけど。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;連合軍のナチ狩り秘密部隊「イングロリアス・バスターズ（原題：Inglourious Basterds)」の面々を紹介するシーンはハリウッド製ながらマカロニの味がする『荒野の７人』ふうだし、リーダーのレイン中尉（ブラッド・ピット）は愛用のナイフ（西部劇の定番アイテム）を手に、ナチを捕まえたら頭皮を剥げと命令する。白人が善玉、インディアンが悪玉と決まっていた時代の西部劇の、偏見にみちみちたセリフですね。タランティーノはそういうセリフを、コミカルなタッチでブラピにしゃべらせてる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その上、今なら「ポリティカリー・インコレクト」と言われるに違いない皮剥ぎシーンを（ナチ相手とはいえ）実際に見せてしまうのは、「遥かなるアラモ」が流れてきた冒頭で、これはお遊びの映画なんですよと言っているからこそ許されるのかな。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ほかにも、田舎のバーでのカード・ゲームと銃撃シーンは西部劇そのものだし、家族をナチに殺されたショシャナ（メラニー・ロラン）が復讐に立ち上がるとき頬にインディアンふうな紅を差すのも、かつての西部劇でよく見た場面だった。オマージュであり、遊びであり、批評でもあるような引用。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そんなふうに西部劇をネタにしたシーンがそこここに現れるんだけど、見ているうちに、待てよ、これはそれ以上に『特攻大作戦』じゃないか、と思えてきた。米軍のはみだし集団がナチのど真ん中に潜入して、彼らをやっつける。設定そのものがロバート・アルドリッチ監督の快作『特攻大作戦（The Dirty Dozen）』をいただいてるじゃないか（と思ったら、タランティーノ自身がインタビューでこの作品に言及してた）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;リアリズムじゃなく荒唐無稽なお話であることも同じだから、タランティーノはこの作品というより、戦争アクションというジャンルそのものをそっくり頂戴してるんだな。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そういえば、『Inglorious Bastards』って、もともと1978年のイタリア映画『Quel Maledetto Treno Blindato』の英語題名なんですね。だからこれ、そのリメイク版なんだけど、僕は元の映画を見てない。プロットを読む限り、ナチ占領下のフランスを舞台にした戦争アクションという以外に共通点はなさそうだ。このタイトルは、だから先ほど言った戦争アクションってジャンルを拝借したって意味合いなんだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;と、ここまで書いてウィキペディア（英語）を見たら、面白いことが書いてあった。1978年版の英語題名は「inglorious  bastards」だけど、タランティーノ版は「inglourious basterds」と、2語ともわざと綴りを間違えている。タランティーノは、この綴りの違いは1978年版のリメイクではなくオリジナル作品という意味だ、と語っているそうだ。いかにも彼らしい仕掛け。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ところで、この映画を『特攻大作戦』との比較で見はじめると、『特攻大作戦』がいかによくできた映画だったかが改めてわかる。『特攻』でブラッド・ピットの役に当たるのはリー・マーヴィンで、彼が率いる12人の部下は全員が軍規に反した囚人兵士。アーネスト・ボーグナイン、チャールズ・ブロンソン、テリー・サバラス、ジョン・カサベテスといったこわもての面々で、アルドリッチ監督はごく短いエピソードやちょっとしたセリフのやりとりでそれぞれの個性を見事に描きわけている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;アルドリッチの、役者ひとりひとりに見せ場をつくり、彼らが米軍のお偉いさんの鼻を明かすエピソードを挿入して反骨監督の面目を見せつつ、ナチスが集まる古城に潜入していくストーリーをテンポよく進める職人技にくらべると、タランティーノの語りはもったり見えてしまうなあ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;『特攻』が12人を描きわけているのに対して、「イングロリアス・バスターズ」の面々は”ユダヤの熊”（イーライ・ロス）とヒューゴ（ティル・シュヴァイガー）の２人以外は、はしょられている。そのかわり、『キル・ビル』みたいな女性の復讐劇がもう片方の筋になっている。でもそれ以外にもうひとり、二重スパイの女優ブリジット（ダイアン・クルーガー）も重要な役どころで登場する。「バスターズ」のナチ追跡とショシャナの復讐という２つの筋が絡み合い、ましてもうひとりの女優が出てくるから、ラストへ向けての仕込みに時間がかかる。途中、やや退屈したのはそのせいかな。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;だからナチス指導者をまとめて吹っ飛ばすラストは、歴史を捏造する荒唐無稽な痛快さを狙ったんだろうけど、『特攻大作戦』みたいな爽快感はなかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;おまけに『国民の誇り』という劇中映画（映画監督でもあるイーライ・ロスが演出）をつくり、しかもその映画フィルムを燃やしてナチスをやっつけるという形で映画へのオマージュを捧げている。タランティーノ監督は欲張りすぎだよなあ。あれもこれもで、そんなトリビアを面白がってればこの映画、十分に楽しめるんだけど、作品としての完成度はいまひとつに感じられた。戦争アクションものの見本みたいなアルドリッチの職人技を煎じて飲ませたい。まあ、２人は狙っているものも立ち位置も違うと言えば、その通りですけどね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;タランティーノは大作を次々につくりながら、ハリウッド内抵抗派だったアルドリッチと異なり、ハリウッドに属してない。この映画でも、ナチス大佐を演ずるクリストフ・ヴァルツ（いいね）がドイツ語と英語をしゃべりわけ、ほかにもフランス語やイタリア語が飛び交って、言葉がストーリーの重要なカギをにぎっている。ハリウッド映画なら、すべて英語になっちゃう（『特攻大作戦』もそうだった）。そういうところが、タランティーノの映画をハリウッドの戦争アクションと語り口の巧拙だけで単純に比較できない理由なんだろうけど。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>映画・テレビ</dc:subject>

<dc:creator>雄 </dc:creator>
<dc:date>2009-11-25T15:55:20+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://editorsnote.cocolog-nifty.com/days_of_books_films_jazz/2009/11/post-9a6d.html">
<title>奈良に寄り道</title>
<link>http://editorsnote.cocolog-nifty.com/days_of_books_films_jazz/2009/11/post-9a6d.html</link>
<description>仕事で大阪へ行ったついでに奈良へまわり、興福寺の「お堂でみる阿修羅」展へ。 朝早...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://editorsnote.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/11/24/0911224w.gif&quot; onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=640,height=480,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;0911224w&quot; title=&quot;0911224w&quot; src=&quot;http://editorsnote.cocolog-nifty.com/days_of_books_films_jazz/images/2009/11/24/0911224w.gif&quot; width=&quot;370&quot; height=&quot;277&quot; border=&quot;0&quot;  /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;仕事で大阪へ行ったついでに奈良へまわり、興福寺の「お堂でみる阿修羅」展へ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;朝早い近鉄で行ったのに、チケットを買うだけで30分の行列。ようやく売り場まで来ると、会場の仮金堂へ入るのに更に２時間かかるという。行列ぎらいなので普通ならあきらめるけど、既に30分並び、このために奈良まで来たと思うと意地になる。博物館や美術館で見る仏像（ふだん阿修羅が展示されてる興福寺国宝館も含めて）には違和感を覚えるので、この機会に見ようと思っていた。この混雑、考えてみれば３連休だし、会期最終日の前日だから当然か。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;でも前に並んでいた地元の女性や、後ろの山梨から来たカップルと親しく話したり、互いに列を抜け出したり、「袖振り合うも他生の縁」を実感できたのが楽しかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;阿修羅はじめ八部衆像は以前にも何度か見たことがあるけど、同時公開していた北円堂の弥勒如来、無著・世親菩薩立像（いずれも運慶作、国宝）が素晴らしい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://editorsnote.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/11/24/0911222w.gif&quot; onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=640,height=489,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;0911222w&quot; title=&quot;0911222w&quot; src=&quot;http://editorsnote.cocolog-nifty.com/days_of_books_films_jazz/images/2009/11/24/0911222w.gif&quot; width=&quot;370&quot; height=&quot;282&quot; border=&quot;0&quot;  /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;五重塔の前で記念撮影する中国の若者たち。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;彼らを見ていて思い出したけど、「奈良を歩くのは唐の長安にいるのと同じだ。長安は奈良にある」と書いたのは司馬遼太郎だった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;仏像が日本に入ってきたとき、それを納める建造物としてつくった「寺」は、もともと中国の官庁建造物がモデルだったという。「寺」には本来「仏教寺院」の意味はなく、「建物としての役所」を意味していた。漢の時代、中国に仏教が入ってきたとき、とりあえず「寺」に仏像を安置して拝んだことから「仏教寺院」を意味するようになった。それらの建造物はいま西安になく、奈良に残っている。役所の建物としての雰囲気をよく伝えているのは唐招提寺の金堂や講堂らしい。なるほど。あの素気ないほど装飾のない直方体がそうなのか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;はしゃいでいる彼らは、古の長安にいることを気づいているのかな？&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://editorsnote.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/11/24/0911223w.gif&quot; onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=640,height=480,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;0911223w&quot; title=&quot;0911223w&quot; src=&quot;http://editorsnote.cocolog-nifty.com/days_of_books_films_jazz/images/2009/11/24/0911223w.gif&quot; width=&quot;370&quot; height=&quot;277&quot; border=&quot;0&quot;  /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;近鉄特急の車窓から見えた平城宮跡。以前は何もない野原だったけど、遷都１３００年祭のために朱雀門が復元されている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>雄 </dc:creator>
<dc:date>2009-11-24T14:38:01+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://editorsnote.cocolog-nifty.com/days_of_books_films_jazz/2009/11/post-a7d8.html">
<title>近藤史人『藤田嗣治　「異邦人」の生涯』</title>
<link>http://editorsnote.cocolog-nifty.com/days_of_books_films_jazz/2009/11/post-a7d8.html</link>
<description>「アッツ島玉砕」（『藤田嗣治展』図録から） 近代日本の...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://editorsnote.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/11/19/0911201w.gif&quot; onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=640,height=480,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;0911201w&quot; title=&quot;0911201w&quot; src=&quot;http://editorsnote.cocolog-nifty.com/days_of_books_films_jazz/images/2009/11/19/0911201w.gif&quot; width=&quot;370&quot; height=&quot;277&quot; border=&quot;0&quot;  /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
「アッツ島玉砕」（『藤田嗣治展』図録&lt;2006、NHKなど刊&gt;から）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;近代日本の洋画というやつに心を動かされたことがない。高校時代にブリジストン美術館で初めて見た青木繁「海の幸」とか画集で知った岸田劉生「切通しの写生」とか記憶に残ってるものもあるし、その後熱心に日本人の洋画を見たわけでもないので他人に同意を求めるつもりはないけど、個人的経験としてはそうだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そのほとんど唯一の例外が藤田嗣治「アッツ島玉砕」と「サイパン島同胞臣節を全うす」。３年前の藤田嗣治展（国立近代美術館）で見て、その異様な迫力に、立ちどまったまましばらく足を動かすことができなかった。ともに２メートル×３メートル近い大作。悪名高い戦争絵画である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それ以来、藤田の戦争絵画が気になっていたけど、だからといってなにか調べたわけでもない。４日ほど前、散歩の途中に寄った古書店で近藤史人『藤田嗣治　「異邦人」の生涯』（講談社文庫）を見つけて買った。著者はNHKのディレクターで、「空白の自伝・藤田嗣治」などの番組をつくった人。この本で大宅壮一ノンフィクション賞を受けている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;戦後、「日本に捨てられ」（藤田の言葉）、フランス国籍を取って日本を捨てた藤田は、亡くなってからも日本で大規模な展覧会が開かれたり画集が出版されることはなかった。それらを拒みつづけた未亡人と、著者は15年ものあいだ接触して番組をつくり、それが僕が見た回顧展開催につながった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この本は残された藤田の日記や未亡人の談話、未発表の自伝などをふんだんに使って、彼の生涯を追っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;パリで名声を得た藤田が２度と帰らないと誓った日本に戻ったのは1933年、2.26事件の年だった。南京虐殺があった翌年の1938年、軍部は美術家の戦争協力を求め、戦意高揚を目的とした戦争絵画の制作がはじまる。藤田もこれに応じた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;藤田がノモンハン事件に取材して1941年の「聖戦美術展」に発表した「ハルハ河畔戦闘図」は、「日本に油絵が入って以来の最大なる作品」と絶賛され、藤田は「聖戦美術の巨匠」と呼ばれるようになる。生涯で初めて日本画壇に受け入れられた藤田は、戦争画に傾斜していく。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;僕が見た「アッツ島玉砕」は、藤田の戦争画の代表作。近藤が「ただ『死』だけが画面を支配する地獄絵」と描写するように、日本兵とも米兵とも定かでない戦士が銃剣をかざして殺し合い、死体が重なりあっている。異様に暗い画面の背後には、雪を抱いた山々がそびえている。少なくとも、この画を見て「戦意高揚」する人間は誰一人いないだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;藤田は、青森の巡回展で見た光景について記している。年老いた男女がこの絵の前に「膝をついて祈り拝んでいる」、また「御賽銭を画前になげて画中の人に供養を捧げて瞑目していた」と。絵画愛好者でもなんでもない、でも家族や友人を戦場に送った普通の人々に訴えるものを、この絵はもっていた。しかもお賽銭をあげ、祈り拝むという宗教的な所作を引き起こすなにものかを。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;戦後、藤田は戦争画を描いた代表として責任を負うよう、画壇のなかで追及される。GHQが画家の戦争責任を追及することはなかったが、再び裏切られた（というのは、パリで名声を得たとき、画壇の反応は異国趣味を売り物にした宣伝屋だと冷ややかだった）と感じた藤田は日本を捨て、カソリックに改宗してフランスに永住することになる。老年の藤田は、少女の絵とともに宗教画に熱中した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そんな藤田の生き方や、絵を前にした人々の反応からして、「アッツ島玉砕」は戦争画というより宗教画、鎮魂の図だったんだろうな。いずれにしても、作者の行為の是非や正義不正義の20世紀的問題設定が無意味になるかもしれない遠い将来、この絵は近代日本の絵画を代表する作品になるような気がする。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;とはいえ、藤田が戦争に協力した事実は残るし、藤田を含めた画家（だけでなく芸術家）の戦争責任の問題は、戦後半世紀以上たつのにまだきちんと議論されていない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;十数枚ある藤田の戦争画のうち藤田展に出品されたのは５点だけだし、米軍が集め、後に日本に「永久貸与」された藤田、藤島武二、中村研一、川端龍子、橋本関雪、宮本三郎、小磯良平、向井潤吉らの戦争画が国立近代美術館に大量に眠っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ぜひ「戦争美術展」をやってほしい。大部分は作品として見るに耐えないものかもしれないけど、戦争期にこういうものがあったときちんと公開するのは公的施設の義務のはずだ。関係者のほとんどが亡くなった今、感情的な、あるいはイデオロギー的な反応から離れて、絵そのものにきちんと向き合えるはずだから。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>書籍・雑誌</dc:subject>

<dc:creator>雄 </dc:creator>
<dc:date>2009-11-19T14:50:43+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://editorsnote.cocolog-nifty.com/days_of_books_films_jazz/2009/11/post-c886.html">
<title>『脳内ニューヨーク』の生と死</title>
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<description>『脳内ニューヨーク』の原題は「Synecdoche, New York」って、見...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://editorsnote.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/11/17/new_york.jpg&quot; onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=200,height=294,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;New_york&quot; title=&quot;New_york&quot; src=&quot;http://editorsnote.cocolog-nifty.com/days_of_books_films_jazz/images/2009/11/17/new_york.jpg&quot; width=&quot;200&quot; height=&quot;294&quot; border=&quot;0&quot;  /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;『脳内ニューヨーク』の原題は「Synecdoche, New York」って、見たこともない単語だなあ。synecdoche（シネキドク）を辞書で引くと「提喩」とある。「部分で全体を、全体で部分を表わす修辞法」なんだって。例として、breadでfoodを表わし、sailでshipを表わす、というのが挙げられてる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;莫大な賞金を手にした劇作家ケイデン（フィリップ・シーモア・ホフマン）が、ニューヨークの巨大倉庫のなかにニューヨークの町並みの巨大セットをつくりあげ、この町に生きる自らの生をそのまま芝居にしようとしている。一方、ケイデンと別れた元妻の画家アデル（キャスリーン・キーナー）は、高倍率の拡大鏡を使わなければ見えない小さなミニチュア画のなかに自分やケイデンの肖像を描いている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ニューヨークに生きる彼らの現実と、現実の「部分」を切り取った芝居やミニチュア画。芝居のセットやミニチュア画のキャンバスに閉じこめられた「部分」が、ニューヨークという都市とそこに生きる人々の「全体」を表わす。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;セットのビル群の背後には、吹き抜け天井の骨組が見えている（ポスター）。ミニチュア画の肖像で顔の部分には、何も描かれていない欠落がある。そんな極大あるいは極小のフレームに閉じこめられた「部分」のほうが、実は「全体」の隠された姿を露わにしているのかもしれない。原題には、そんな意味合いが込められているような気がする。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;『脳内ニューヨーク』って邦題は悪くないし、よく考えたと思うけど、ちょっとニュアンスが異なるようだ。日本の公式サイトやポスターに使われているイメージ──シーモア・ホフマンの頭蓋にニューヨークの町と人が詰まっている──も邦題に合わせてつくられたみたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「脳内」って言葉は、この映画の監督チャーリー・カウフマンが脚本を書いた『エターナル・サンシャイン』や脳科学ブームからの発想だろうけど、映画はカウフマン流のユーモアはあるものの全体に沈鬱で、青空にシーモア・ホフマンの頭蓋が浮かぶ宣伝や「驚嘆と感動のライフ・エンタテインメント」というキャッチとは差がある（製作費2000万ドルに対し現在までの興行収入313万ドルと、興行的には失敗作みたいだから、配給会社が明るいイメージで売りたいのは分かるけど）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;アメリカの公式サイト入口のイメージは、死体らしきものが累々と重なる彼方にニューヨークの巨大セットが見えるというもので、いやでも9･11を連想させる。この映画に描かれた生と死、絶望と希望は、アメリカ人、なかでもニューヨーカーには9･11を下敷きにしていると感じられんじゃないだろうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そう考えると、ケイデンの恋人ヘイゼル（太めのサマンサ・モートン）が買おうとするのが燃えている家という現実にはありえない設定で、ケイデンはそれが気に入り、炎のなかに住んでいるというのも、意味深に思えてくる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そんなふうに現実と虚構を行き来し、主人公たちは、彼らの役を演ずる劇中の主人公たちとドッペルゲンガーみたいに重なりあい、劇作家の日常を主題とした芝居は17年たっても始まらず、始まらないんだから永遠に終わらず、ケイデンの死で断ち切られるしかない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;なんとも不思議な映画だった『マルコヴィッチの穴』の脚本家チャーリー・カウフマンの初監督作品（無論、脚本も）。『マルコヴィッチ』『エターナル』の脚本家らしく現実と非現実が入り混じり、ひねりの効いた構成だけど、そんな仕掛けを別にすれば、作品の感触はロバート・アルトマンの群像劇のテイストとウッディ・アレンの心情告白をミックスした感じ。アルトマン亡く、アレンがアメリカを去ったいま、こんなふうに笑いや悲しみ織り交ぜてニューヨークを語ってくれる作り手が出現したのが嬉しい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ニューヨークの巨大セットの１シーンで、僕が住んでいたアパートの近く、ブルックリンのDUMBO（ダンボ）がロケに使われていた（と思う）。元は港だった地域の、古い建物が立ち並ぶ倉庫街。石畳の道路に、かつての路面電車の線路が残る。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』でロケに使われた場所といえば、分かってもらえるか。ニューヨーカーが「ありうべき（あるいはかつてあった）ニューヨーク」を想像するとき、レンガ積みと鉄骨と石畳のこういう風景になるんだな。&lt;/p&gt;

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<dc:subject>映画・テレビ</dc:subject>

<dc:creator>雄 </dc:creator>
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