December 02, 2009

「聖地チベット」展  異形の仏像

0912011w

「聖地チベット」展(上野の森美術館)に行ってきた。「ポタラ宮と天空の至宝」というサブタイトルで、チベット仏教の仏像や曼荼羅図など124点が展示されている。

チベットの仏像は去年、ニューヨークのスタッテン島にある小さなチベット美術館でも見たけど、いちばん驚くのはやはり日本の仏像とチベットの仏像のあまりの差だよね。

10日前に興福寺で見た阿修羅や運慶の弥勒如来と、チベットの十一面千手千眼観音(上)やカーラチャクラ父母仏(下)とは、同じ仏像といっても表情も体の線も細部のつくりも、そもそも美意識がまったく違う。僕は日本人だから、どうしても日本の仏像を美しいと思ってしまうけど、(僕らからは)仏とも思えない俗な表情、女天の誘うような眼や肉感的な官能は何なんだろう。

平凡社大百科によると、どうも日本の仏像とチベットの仏像はまったく異なる経路をたどって生まれたみたいだ。

よく知られているように、インドで生まれた仏教ははじめ仏像を持っていなかったけど、西方へ広がりガンダーラでギリシャ文明・ペルシャ文明と出会って仏像が生まれた。仏像(仏教)は西アジアから中国、朝鮮を経て日本にやってきた。帰化人である止利仏師のつくった法隆寺の仏はまだ異国ふうな面差しをしてるけど、阿修羅になるともう日本の仏になっている。

一方、ガンダーラとは別に北インドのマトゥラーでも神像がつくられていた。こちらには仏教に限らず、ジャイナ教などインド土着の宗教のいろんな種類の神像がある。なかでも仏教・ジャイナ教に共通する豊饒・多産の女神ヤクシー(夜叉女)はほとんど全裸で「マトゥラー彫刻の官能的な一面を代表している」という。

マトゥラー様式の彫像はインド全土に広まり、その後、ヒンドゥー教が活発になるとさらに色んな神像がつくられた。そのなかには男女抱合像(ミトゥナ)もある。13世紀はじめ、インドで仏教が滅ぶと、インド仏教はネパール、チベット、東南アジアに伝えられた。チベット仏教は、インド仏教にチベットの民族宗教ボン教が習合してラマ教と呼ばれるようになった。

なるほど、チベット仏教の肉感的・官能的な仏像はインド・マトゥラー様式の伝統を引いた、こっちの系統なんだな。

0912013w

この「カーラチャクラ父母仏」はじめ、男天と女天が抱き合った「父母仏」もいくつも展示されている。男天が牛頭人身の父母仏なんか、牛の憤怒の相にぎょっとするような迫力があるし、男根までリアルに表現されている。

これらの仏は、チベット仏教がタントラ仏教とも呼ばれる密教であることと関係している。

密教っていうのは結局のところ何なのか、読めば読むほど分からなくなるところがある。要するに仏典を学ぶなど言葉で表現できる思惟によってではなく、何らかの神秘的な儀式や修行によって一気に悟りなり即身成仏を達成する、ということなんでしょうね。

タントラ仏教の場合、世界の女性原理を表わす般若波羅蜜を実在化した大印と性的に合一することによって悟りを得ようとする。…と大百科を書きうつしてもよく分からないけど、父母仏はこの「性的合一による悟り」を象徴しているんでしょう。大地母神を崇拝するインドの(というより世界各地に共通する)土俗信仰と原始仏教(小乗仏教)が混交したものなのかな。

チベット仏教は中国にも広がり、元や明の宮廷(後宮)に入り込んで、皇帝にまで影響力を持った。そのため中国仏教からは淫祠邪教のように見られたこともある。チベット仏教はその後、15世紀に教義から一切の性的実践を切り離した。

密教の一部は、真言密教として日本にももたらされた。男女抱合像といえば思い出すのは、後醍醐天皇が崇拝した大聖歓喜天像ですね。この像は象頭人身の男女天が抱き合っている。密教僧・文観に帰依した後醍醐天皇は、歓喜天像を前に自ら護摩をたいて幕府調伏の祈祷をした。文観の密教は立川流として、後々まで淫祠邪教とされた。

「こうした本尊を前に、密教の法服を身にまとい、護摩を焚いて祈祷する現職の天皇の姿は異様としかいいようがない。まさしく後醍醐は『異形』の天皇であった。極言すれば、後醍醐はここで人間の深奥の自然─セックスそのものの力を、自らの王権の力としようとしていた」(網野善彦『異形の王権』)

男女抱合の父母仏は、こんなふうに仏教が妖しい力を持ち、政治をかきみだした過去の記憶をもまとっているんだな。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 28, 2007

吉武研司展

070628w

友人の画家・吉武研司さんの個展に行く(銀座・みゆき画廊、6月30日まで)。

吉武さんの絵には、いよいよカラフルな自然が氾濫するようになった。植物の緑と黄の時代がしばらく続いていたけど、今回は「お日さま」の赤とピンクが印象に残る。独特の細かいタッチで、生命あるものの豊饒がぎっしりとキャンバスに詰まっている。キャンバスだけでなく、陶板や銅版画も。

「お日さまの話」という版画が素晴らしく、思わず予約してしまった。アクリルのマグネット(手前)も、冷蔵庫の扉のメモ留め用に。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 03, 2007

4つの展覧会

この2週間ほどで美術展をたてつづけに4つ見たので、その覚えを短くメモしておこう。

「渋澤龍彦 幻想美術館」(埼玉県近代美術館)

 渋澤龍彦が惚れ込んだり、興味を持ち、著作のなかで言及しているアーチストの作品を一同に集めた、渋澤龍彦の「脳内美術館」。

 アルチンボルド、デューラー、ピラネージ、サド侯爵、マグリット、ダリ、バルテュス、ベルメール、ヘルムート・ニュートン、若冲、酒井抱一、伊藤晴雨、瀧口修造、土方巽、細江英公、川田喜久治、金子國義、合田佐和子、四谷シモンなどなど。

 近世から現代、ヨーロッパから日本まで、かつて「異端」と言われた100人近い画家、美術家、写真家、人形師…の300点の作品は壮観。僕も渋澤龍彦の本で初めて知った名前が何人もある。今はメジャーになった美術家も多いけど、それだけ彼の影響力が大きかったってことだろう。

 それにしてもこれだけの作品を国内で集められるんだから、この展覧会みたいにキュレーターの腕次第でいろんな面白い試みができるはず。

龍彦が渋澤栄一(埼玉出身)の血筋だとは知らなかった。彼は湘南というイメージが強いけど、その縁で埼玉近美が企画したらしい。

「若冲展」(京都・相国寺承天閣美術館)

 明治期、廃仏毀釈で危機に陥った相国寺が宮内庁に当時の金で1万円という大金で買い上げてもらった若冲の「動植綵画」30点が里帰りした展覧会。「動植綵画」とセットになっていたが、これだけは寺が手放さなかった「釈迦三尊像」を中央に、120年ぶりに完全な形で展示されている。

 以前に宮内庁三の丸尚蔵館で数点見たことはあるけど、全点そろうとさすがに壮観。熱心な仏教信者だった若冲が「山川草木悉皆成仏」(山川草木、あらゆる動植物が仏になりうる)という日本仏教固有の思想を具現するために描いたのがよく分かる。一連の鶏図はすごいの一言。

 同時に若冲が金閣寺に描いた障壁画も展示されている。2点ほど、床の間、脇壁、違い棚奥の壁などが一体になった作品が、部屋のまま立体的に展示されていて、なるほど実際にはこう見えるのかと納得。芭蕉や棕櫚が題材に選ばれているのは、当時の「南方憧憬」なんだろうか。

「レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の実像」(東京国立博物館・6月17日まで)

 目玉は「受胎告知」1点のみで、あとはお飾り。ほかの作品をデジタル高精細複写で再現したり、ダ・ヴィンチが書いた「手稿」をもとにいろんな装置を再現してるんだけど、まあおまけみたいなもの。「受胎告知」1点では「モナリザ」ほどの集客を見込めないからだろうけど、満足感は薄い。予想したほど並ばずに見られたのはよかったけど。

「須田剋太展」(うらわ美術館・6月24日まで)

 戦後、抽象画家として一家をなし、晩年に具象に転じて、司馬遼太郎「街道をゆく」シリーズの挿画でも知られる画家の生涯を見渡せる展覧会。

 須田の具象絵画には、ゴッホを思わせるような独特の視覚の歪みがある。彼が東京美術学校(東京芸術大学)の試験を4度も落ちたのは、「デッサンが正確でなかった」ためらしい。その「正確でない」ところが、そのまま彼の絵の個性になっているんだから面白い。彼には、確かにこういうふうに風景や人が見えたんだろうな。

 僕は生前の須田画伯のアトリエに一度だけ入ったことがあるけど、売れなかった抽象時代の作品が無造作に山のように積み重ねられていた。ドンゴロスに絵の具を盛り上げた、荒々しい質感をもった抽象の代表作を見られたのが嬉しい。

 

| | Comments (0) | TrackBack (1)

August 10, 2006

若冲を見たか?

060809w
(『BRUTUS』の「若冲を見たか?」。左に出ているのは観音開きの「動物花木図屏風」の一部)

六曲一双の屏風が細かく升目に区切られている。1辺1センチほどの正方形の升目が一曲に約14,000個。一双では86,000個にもなる。平面に広げた巨大なルービック・キューブのような、あるいはモスクの細密なタイル画のような、その升目のひとつひとつに描かれた線や色が集合すると、象や虎や猿などの動植物が満ち満ちている極彩色の絵が現れる。

江戸のデジタル画像とでもいえそうなこの屏風のヴィジョンを、伊藤若冲はどこから得たんだろう? 一説には李朝(韓国)のモザイク画からヒントを得たともいわれるが、本当のところはわからない。この「鳥獣花木図屏風」ひとつを見るだけでも、同時代から抜きんでた若冲の天才がひしひしと伝わってくる。

ここに描かれた象や虎や獅子やラクダを、若冲はたぶん見たことがない(対になるもう一双には想像上の生きもの、鳳凰が描かれている)。だからこの絵は、徹底した写生から生まれた何枚もの有名な鶏図とは性質が異なる。

この屏風を見たとき、涅槃の風景だなと思った。厚い仏教信者だった若冲は何点かの涅槃図を描いているけれど、深い青空と白雲をバックに、象が野を歩き、鳳凰が羽を広げ、鳥が空を飛び、猿が樹上に遊ぶこの絵もまた、画面の中心に死にゆく釈迦が不在ではあるものの、若冲の想念がつくりだした美しい涅槃の光景だと思えた。釈迦のかわりに画面の真ん中にいる白象は、普賢菩薩の乗り物でもある。

「若冲と江戸絵画」展(東京国立博物館。8月27日まで)は見応えたっぷり。若冲を17点も見られるなんて、「動植綵絵」30点を所蔵している三の丸尚蔵館を除けば、このプライス・コレクション以外にない。

会場は、若冲、曽我簫白ら「エキセントリック」を中心に、「正統派絵画(狩野派)」「京の画家(円山応挙ら)」「江戸の画家(師宣ら)」「江戸琳派」に別れている。

若冲だけを見るのではなく、若冲を当時の狩野派や応挙、江戸琳派などのなかに置いてみて気がつくことがある。若冲の絵は屹立しているけれども、かならずしも孤立した異端ではなく、当時の絵画の流れのなかにきちんと収まっていること。当時の絵画の環境のなかから生まれた絵師であることがよくわかる。

ただ、若冲が若冲であるのは、そこに誰にも真似のできない天才のエッセンスが1滴加わっていることで、そのことによって、現代人が「奇想」とか「エキセントリック」とか「シュール」と呼びたくなる絵が出現しているのだ。

この展覧会で面白かったのはもうひとつ、「江戸琳派」のセクションが作品の前に保護のガラスをはめず、光量と色、光源の角度を調整して、朝の光、昼の白っぽい光、夕方の赤い光、夜の暗がりなど刻々と変わる照明のもとで作品を見せていること。

掛け軸にしろ屏風にしろ、家屋のなかでは部屋を飾る調度品として見られるのが普通。だから、当時の住まいの条件に近づけて見せることによって、江戸の人々がこれらの絵を実際にどのように見ていたのかを知ることができる。特に夕方から夜にかけての、赤く暗い光に照らされた酒井抱一や鈴木其一の色っぽさといったらない。

このところ出版界も若冲ブームで何冊もの画集や豪華本が刊行されているけど、雑誌『BRUTUS』の特集「若冲を見たか?」が充実している。コレクションのオーナー、プライス氏へのインタビューや2つの両観音開き(しかもダブルの観音開き)で「鳥獣花木図屏風」と「動植綵絵」を見せているのは保存版としての価値も十分。

| | Comments (0) | TrackBack (1)