February 02, 2017

銀座で二つの展覧会

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2 exhibitions in Ginza

銀座で展覧会を二つ、はしご。

寺崎百合子「図書館」(~2月24日、ギャラリー小柳)。ヨーロッパの古い図書館の蔵書と地球儀と、数百年の時間が降り積もった空間。この人の絵はいつも鉛筆画。モノクロームの写真のようでいて、指先で細密な描写を重ねることが生む肌触りは(大きなものは一年がかりだそうだ)、一瞬を切り取る写真とは別の厚みを持っている。すぐれた写真もそうだけど、ある種の精神性を感じさせる。

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青木美歌「あなたに続く森」(~2月26日、ポーラ美術館ANNEX)。この人の作品は初めてだけど、ガラスを素材に菌類やウイルス、細胞など目に見えない生命を形にしてきたとのこと。ガラスの森に迷い込んだような錯覚を覚える。

どちらも入場無料です。


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January 06, 2017

クラーナハ展へ

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Lucas Cranach exhibition

ようやく行ってきました、クラーナハ展(~1月15日、国立西洋美術館)。

クールなエロティシズムに参ります。宮廷画家にして企業家。時代(16世紀ドイツ)の先端を行く大量生産と、多色刷り版画や印刷など先端技術への関心。聖書や神話を素材に、それらが抑圧し排除してきたものを露出させてしまう背理。ポルノグラフィー製作者にして宗教改革のプロパガンダ画家。

ピカソやデュシャン、森村泰昌らクラーナハに刺激された現代美術家の作品も並んで、なんとも刺激的で面白い展覧会でした。


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October 25, 2016

「大久保喜一・須田剋太 師弟展」へ

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司馬遼太郎『街道をゆく』の挿画を描いた画家・須田剋太と、須田さんが画家になるきっかけをつくった大久保喜一の「師弟展」が故郷の鴻巣で開かれている(~10月29日、埼玉・鴻巣市吹上生涯学習センター)。

大久保喜一は須田さんが通った熊谷中学の美術の先生。東京美術学校(東京芸術大学)で黒田清輝らの指導を受けた。帝展に入選した「机上フラスコ」など10点が展示されている。外光が入る室内での静物や人物が多い。理科の実験室らしい教室で、机におかれたフラスコが窓からの光を受けて輝いている。大久保は学校外でも坂東洋画会を結成し、須田さんも参加した。

須田剋太の作品は46点。1970~80年代の油絵、グワッシュが多い。僕はこの時代の須田さんを知っているので、当時の絵はけっこう見ている。それ以外に戦前の若いころの作品が3点あって、これは初めて見た。

中学時代に描いた「道」。その後の須田さんを知っているせいか、すでに写実をはみだすものがあるような気がする。画家になる決心をし、吹上から浦和に移った時代の「ざくろ」。ごろんと放り出された果実に、写実にこだわらず須田さんの目にはこう見えているんだと納得させるものがある。浦和から奈良に移った時代の「鷲」(1940頃)になると強い生命力を感じさせる、まぎれもなく須田剋太の絵。

鴻巣には「須田剋太研究会」があり、須田さんの作品数百点が保存され、毎年のように展覧会が開かれている。須田さんも喜んでいるだろう。

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October 22, 2016

『陽光礼讃』展へ

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Tanikawa Koichi & Miyasako Chizuru exhibition

谷川晃一・宮迫千鶴「陽光礼讃」展へ(~2017年1月15日、神奈川県立近代美術館葉山)。

谷川さんの新作「雑木林」シリーズ(写真上)を見て驚いた。まるで亡くなった宮迫さんに感応したみたいな光に満ちた絵ではないか。

1988年に伊豆半島に移って以来、ふたりの絵はがらりと変わった。伊豆半島の植物や花や小動物が画面に表れてきた。宮迫さんの絵は明るい陽光のなかで花やサボテンが踊っていたけれど、谷川さんの絵は土色の、雑木林の闇のなかで小動物の気配を感じさせるものが多かったように思う。

順に見ていくと、谷川さんの絵に明るい原色が多くなるのは宮迫さんが亡くなって4、5年後からみたいだ。もともと宮迫さんの絵のなかには、谷川さんのエッセンンスがたくさん流れ込んでいたけれど、今度は逆に宮迫さんのエッセンスが徐々に谷川さんの絵のなかに浸透してきているように感ずる。だから谷川さんの新作を見ると、宮迫さんも感ずる。いい夫婦だったんだなあ、と思う。

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September 07, 2016

立川博章回顧展

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Tachikawa Hakusho Retrospective Exhibit

友人に誘われて鳥瞰図絵師・立川博章回顧展(~9月6日、飯田橋・日建設計ギャラリー)へ。

都市計画家として活躍した立川は、三点透視図法という手法で鳥瞰図を描く絵師でもあった。もともと都市計画や建築のプレゼンテーション用だったらしいが、やがて絵図として独立した価値をもつようになった。代表作の江戸鳥瞰図をはじめ、十数点が展示されている。地図と資料をもとに三次元に立ちあがった立体図はすごい迫力。

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「東京スカイツリー第三次設計案」。


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January 30, 2016

『ようこそ日本へ』展

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Visit Japan Tourism Promotion in the 1920s and 1930s

「1920-1930年代のツーリズムとデザイン」とサブタイトルを打たれた『ようこそ日本へ』展(竹橋・国立近代美術館、~2月28日)へ。

この時代、世界中に船舶・鉄道網が張り巡らされたことで成立した国際的なツーリズムの波のなかで、日本も国策として満洲・朝鮮半島・台湾を含む「日本」へと観光客を誘致しようとした。

その時代の満鉄、日本郵船など海運会社、ジャパン・ツーリスト・ビュロー(後の日本交通公社)、鉄道省国際観光局などが製作したポスター、パンフレットが集められている。第一線の画家、イラストレーター、写真家、デザイナーが動員された。

伊藤順三の満鉄ポスター(上の写真左は伊藤作)、実物を見るのは初めてだけど絵もデザイン感覚も見事なもの。他にも明治以来の美人画あり、カッサンドルふうなポスターあり、杉浦非水の風景画、吉田初三郎の鳥瞰図、竹久夢二のアメリカ航路ディナーメニューなどなど。小石清が大阪城を撮ったDISCOVER JAPANふうな国鉄ポスター、木村伊兵衛が原節子を撮り、原弘がデザインした雑誌『Travel in Japan』も展示されている。

遅れてきた帝国主義の一員として欧米の視線に同化した植民地へのオリエンタリズム、アールデコだったりモダンだったりするデザイン感覚、日本神話ふうな意匠、迫り来る戦争の予兆、いろんな要素が混在しているのが面白い。

こういうのがタダで見られる(65歳以上無料)のも嬉しい。

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November 21, 2015

フジタの戦争画

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東京国立近代美術館のMOMATコレクション展で藤田嗣治の戦争画14点が展示されている(~12月13日)。

2006年に同館で開かれた「藤田嗣治展」や神奈川県近美の展覧会などでフジタの戦争画が数点ずつ展示されたことはあるけれど、近美が所蔵(米国から永久貸与)する14点を同時に見られるのははじめて。うち6点は、これまで印刷でしか見たことがなかった。フジタの戦争画は大画面で、しかも全体が暗い茶褐色に塗り込められているのが多いから、小さな印刷図版では何が何だかわからない。

14点を見て印象的だったのは、卓越した技術の背後にあるフジタの冷めた眼差しだった。

戦意高揚のための絵画を注文されながら、絵筆を取るフジタ自身はまったく熱狂していない。戦争へと総動員された国民的熱狂から遠いところにいる。そのかわり、パリでの名声を嫉妬と無視で迎えた日本画壇を見返し、絵画史に名を残そうとする野心はひしひしと感じられる。

戦争初期に描かれた「南昌飛行場の焼打」「哈爾哈(ハルハ)河畔之戦闘」「武漢進撃」などは横長の大パノラマで、地平線や水平線が画面を横断し空が広く取られている。天地の広い空間に描かれた戦闘は、青空や草原など明るい色のなかでどこか牧歌的ですらある。見る者を興奮させる類のものではない。

戦況の悪化とともに、フジタの戦争画も変わってくる。宗教画に近くなってくる。

これはよく指摘されることだけど、フジタの戦争画は日本絵画に伝統のないヨーロッパの戦争画や宗教画を下敷きにし、これを日本に移しかえようとしている。「ソロモン海域に於ける米兵の末路」や「サイパン島同胞臣節を全うす」は、画面からヨーロッパの絵画が透けて見える。「ソロモン」はアメリカの戦争絵画と言われても納得してしまいそうだし、「サイパン」の兵士や女性の顔やしぐさはどう見ても日本人じゃない。

戦争末期の絵は、近景に敵味方の兵士(どちらが日本兵でどちらが米兵かも判然としない)が銃剣で殺し合う肉弾戦、遠景に風景を描いたものが多い。「○○部隊の死闘─ニューギニア戦線」「血戦ガダルカナル」などだけど、やはり「アッツ島玉砕」の迫力は何度見ても圧倒される。ただそこで引き起こされる感情は戦意高揚ではなく、死者への鎮魂だ。これはやっぱり傑作だなあと再確認。

いつも思うことだけど国立近美は所蔵する150点の戦争絵画を中心に各地にあるものも集め、大規模な展覧会を企画して戦争絵画の問題を考えてほしい。


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January 20, 2015

奈良原「王国」とフジタの戦争画

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元同僚と昼食を食べて、竹橋・近代美術館の奈良原一高「王国」展へ行く。写真史に残る名作。写真集では何度も見ているが、プリントで全体像を見るのははじめて。さすがにすごい完成度。

同時に開かれている所蔵作品展「MOMATコレクション」にはデビュー作「人間の土地」や「ブロードウェイ」も展示されていた。川田喜久治「地図」も。

「MOMATコレクション」で嬉しかったのは藤田嗣治「哈爾哈(ハルハ)河畔之戦闘」を見られたこと。近美が以前やった「藤田嗣治展」には出品されていなかった。

ノモンハン事件を題材にした戦争画。横長の大きなカンバスいっぱいに大草原と青空。動けなくなったソ連の戦車に日本軍の歩兵が襲いかかる図。藤田の戦争画の代表作「アッツ島玉砕」や「サイパン島同胞臣節を全うす」(今回も出品されている)が暗い画面に鎮魂の気配が満ち満ちているのに比べると、戦闘場面にもかかわらず牧歌的な感じさえ漂っている。

ノモンハンの戦闘は、この絵とはまったく違う惨憺たるものだった。「戦車ではなくオモチャ」(司馬遼太郎)のような日本の戦車はソ連の戦車にまったく歯が立たなかった。日本軍は歩兵が火炎瓶を戦車の下に投げ込んで炎上させる捨て身の戦術を取ったが、「何千という死体、死馬の山、無数の砲、自動車」(『ジューコフ元帥回想録』)を残して撤退した。藤田の絵は、この捨て身の作戦を勝利として描いたものだろう。

解説によると、藤田にはこれとは別にもう一枚のノモンハンを描いた作品があったとの証言がある。そちらは、この絵とは逆に死体累々だったという。今回の展示が表ノモンハンだとすれば、失われた裏ノモンハンを見てみたかった。藤田の戦争画には、考える種がたくさんある。

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October 18, 2014

「種村季弘の眼」展へ

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Eyes of Tanemura Suehiro exhibition

一カ月ほど忙しい日々がつづいて家と近所を歩くだけの生活だった。当然、映画も見られず、展覧会にも行けない。さすがに煮詰まってきて、今日は一日、出歩くことにした。

まずは昼前にさいたま新都心のシネコンへ。『ジャージー・ボーイズ』を見てクリント・イーストウッドの映画職人ぶりと60年代アメリカン・ポップスに酔いしれる。

午後は板橋区立美術館の「種村季弘の眼 迷宮の美術家たち」展へ。明日が最終日だけど、どうしても見ておきたかった。西高島平駅を降りると、今道子撮影になる種村のポートレートをあしらったポスターが貼ってある。開発から半世紀近くたって、新開地のまま古びてきた街並みを眺めながら首都高速の下を10分ほど歩くと美術館がある。最終日前日とあってか、けっこう混んでいた。

種村季弘が愛し、書きつづった奇想・異端の美術家たちの作品、絵画、彫刻、立体、写真、ポスター、書籍など百数十点が「迷宮」「夢の覗き箱」「エロス」「魔術的身体」「転倒」「奇想」といった種村ワールドのキーワードに沿って集められている。

種村季弘の文章を初めて読んだのは高校時代、雑誌『映画芸術』でだった。小川徹編集長のこの雑誌には斎藤龍鳳、虫明亜呂無はじめユニークな面々が寄稿していて、どちらかというと社会派映画好みだった高校生には目からウロコの世界が繰り広げられていた。種村季弘の文章は欧米のエンタテインメント映画を取り上げながら、いつの間にかギリシャ神話やら怪奇文学やら錬金術なんかの世界に入り込んでゆく。こういう世界があることを初めて知った。そのころのエッセイを集めた『怪物のユートピア』は今でもときどき拾い読みすることがある。

会場に入ったら奥の正面に中村宏の絵がかかっている。セーラー服の女学生をモチーフにしたシュールでエロチックな絵も種村季弘の文章で知った。印刷ではずいぶん見たけど、実物を見るのは初めて。赤瀬川原平の贋千円札も現物をはじめて見た。この展覧会でやはり初めて知ったのは、昭和にワープしたヒエロニムス・ボッシュみたいなトーナス・カボチャラダムス。「にこにこ元気町」「バオバブが生えたかぼちゃの箱舟」は奇怪でノスタルジックで批評的な細密画で、細部まで見入ってしまう。お、懐かしの上々颱風まで描きこまれてるぞ。

種村さんには一度だけお目にかかったことがある。週刊誌の書評欄を担当していたころ、『山師カリオストロの大冒険』が新刊で出て著者インタビューをお願いした。書くものに似合わず、穏やかで粋な雰囲気が印象的な方だった。

日常からかけ離れた世界に遊んで、久しぶりに心が浮き浮きした1日。


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July 25, 2014

「戦後日本住宅伝説」展

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Legendary Houses in Postwar Japan exhibition

わが家から歩いて5分の埼玉県立近代美術館で「戦後日本住宅伝説」展を見た(~8月31日)。観客は建築を学んでいるらしい学生が多く、メモを取りながら。

戦後を代表する建築家16人が設計した16の個人住宅が写真、動画、設計図、模型などで展示されている。丹下健三、清家清、東孝光、白井晟一、原広司、石山修武らのは自宅。建築家がキャリアの初期に自宅を設計することが多いのは、顧客への実物見本ということか、それとも日本では個人住宅を設計依頼されることがまだ少ないということか。代々木体育館や東京都庁など国家的建造物を手がけた戦後の代表的な建築家、丹下健三の自邸が木造なのは意外だった。1970年代までの設計で構成された今回の展示では、コンクリートや鉄を使った家が多い。

都会の個人住宅となると、狭いスペースをどう使い、自然(光や樹木)をどう取り入れ、また個人空間をどう確保して共用空間とバランスさせるかに誰もが苦心しているのが分かる。そこをどう処理するかが「戦後・住宅」のキモなんだろう。

ところで僕は築86年の和風住宅に住んでいる。畳と襖(障子)の、ぶちぬけば一つの空間になってしまう典型的な和風の間取りに、子供用の個室を2部屋増築してある。そこに不自由なく暮らしている身として、ここに展示されている家にお前は住みたいかと問われたら、住みたくないと答えるだろう。短期間ならともかく、10年、20年を生活する空間はなじみと安心がいちばんだと思うから。

展覧会のサブタイトルのように「挑発する家・内省する家」には住みたくない。トイレや風呂に入るのに外へ出なくてはならない安藤忠雄の「住吉の長屋」や、どこへいくにも階段を上下しなければならない東孝光「塔の家」に住めと言われたら、1週間で逃げ出してしまいそうだ。白井晟一の「虚白庵」は見事な空間だけど、ネーミングからして日常生活を前提としたものなのかどうか。

依頼主の「食べること・寝ること・排泄することが滑らかに行えること」を唯一の条件に設計された増沢洵「コアのあるH氏の住まい」が、外光がたっぷりはいる木造平屋住宅にさりげなく個性が主張されていて、この家なら住んでもいいと思った。

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