March 15, 2021

『マ・レイニーズ・ブラックボトム』の尊厳

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ネットフリックスのドラマ『ハウス・オブ・カード』を見はじめたら、まだ終わらない。野心に満ちた上院議員夫妻が大統領を目指す長大な物語で、権謀術数の連続に殺人までからみシーズン5まである。だから、同じネットフリックスでも映画から遠ざかっていた。久しぶりに見たのが『マ・レイニーズ・ブラックボトム(原題:Ma Rainey's Black Bottom)』(ジョージ・C・ウルフ監督)で、「ブルースの母」と呼ばれるブルース・シンガー、マ・レイニーが主人公(タイトルは彼女が歌う曲の名)。

もともと評価の高い芝居を映画化したものだそうだ。だから場面転換の少ない設定やセリフ回しに演劇的な匂いが残っているけれど、映画としてもたっぷり楽しめる。映画ならではのリアリティーで再現されているのは、ひとつは1920年代アメリカ南部のアフリカ系コミュニティで開かれていた歌と踊りのテント・ショー。スポットライトを浴びたマ・レイニー(ビオラ・デイビス)が歌っていると、バンドの若いトランペット、レヴィ(チャドウィック・ボーズマン)がアドリブを始める。リーダーのマ・レイニーがそれを嫌ってスポットライトを自分に戻させる。マ・レイニーの自信に満ちた態度と、その音楽を古いと思っているレヴィの新しいジャズへの志向が一瞬にして示される。そしてもうひとつ見事に再現されているのは、南部アフリカ系住民が北へと移動した先のシカゴの、摩天楼と行きかう自動車の都会風景。レコーディング・スタジオでの録音風景も、テイクに失敗するとレコード原盤がゴミ箱行きになるとか興味深い。

当時、ブルースはまだ白人社会の外のもので、アフリカ系に向けた黒人音楽を専門に「レイス・レコード」というのがつくられていた。人気歌手のマ・レイニーが録音のため、バンドとともに南部ジョージアからシカゴのスタジオにやってくる。 録音現場でもスターで独裁者のマ・レイニーと、伴奏者でなくジャズっぽい自分の音楽を演奏しようとするレヴィの確執がある。さらにもうひとつ確執がある。マ・レイニーのマネジャーとレコード会社のオーナーは白人。白人マネジャーは、コーラが準備されてないとかわがままを言うマ・レイニーのご機嫌をとりつつ、マ・レイニーを金儲けの道具としか見ない白人オーナーとの間であたふたする。一方でレヴィは自分の曲のレコーディングを白人オーナーに売り込み、オーナーはレコードは出せないが曲を1曲5ドルなら買ってやると言う。ミュージシャンの世代的対立と、人種がからんだ構造的差別と、二つの確執が音楽と言葉によって物語られる。

若く反逆的なレヴィが白人オーナーの注文に対して、「イエス・サー」と答える。その従順な答えをバンド・メンバーにからかわれたレヴィは、自分がなぜ白人に対して「イエス・サー」と言ったのか、その理由を子供時代の差別体験から説明し、それは自分の戦略的な態度なんだと長セリフで説く。このあたり舞台劇の匂いが濃厚。

それと対照的にマ・レイニーは、バンドメンバーに対しても白人オーナーに対しても自分のやり方を断乎押しつける。それは時に厚かましくもあるけれど、 彼女の世代のアフリカ系にとっては自分が力をもつこと、その力をもって自分の意思を貫き通すことこそが自らの尊厳を保つやり方だったのだろう。

プロデューサーは俳優のデンゼル・ワシントン、音楽はブランチャード・マルサリスと、映画界とジャズ界の大御所。アフリカ系アーティストが中心になってつくられたメッセージ性の強い映画であるとともに、南部やシカゴでの、まだブルースとジャズが未分化で混沌としていた時代を映像で追体験できたのが楽しかった。レヴィを演ずるチャドウィック・ボーズマンは去年見たネトフリの『ダ・ 5ブラッズ』にも出ていたけれどガンで若死にし、『マ・レイニー…』が遺作になってしまった。劇作家でもあったらしいが、惜しい才能。

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September 18, 2020

『ジ・エディ』 ヨーロッパ風味のジャズ

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ネットフリックスのドラマ『ジ・エディ(原題:The Eddy)』でヨーロッパ風味のジャズをたっぶり楽しんだ。全8話のうち2話を『セッション』『ラ・ラ・ランド』のデイミアン・チャゼルが監督している。

パリでジャズクラブ「ジ・エディ」を経営するエリオット(アンドレ・ホランド)は、かつてアメリカで嘱望されたアフリカ系のピアニストだったが今は演奏をやめ、ハウスバンドを売り出そうとしている。別れた白人の妻と暮らしていた娘のジュリー(アマンドラ・ステンバーグ)がニューヨークからやってくる。そんなとき、共同経営者でアラブ系のファリドが何者かに殺される。どうやらギャング組織とトラブルになっていたらしい……。

そんなストーリなのだが、毎回、ジャズの演奏をたっぷり聞かせてくれるのが嬉しい。エリオットが育てているハウスバンドがいろんな国からやってきた民族の混成グループで、アメリカのジャズとはテイストが異なる。よりワールド・ミュージックに近いというか。メンバー全員が役者でなくプロのミュージシャン。ピアノはアメリカのランディ・カーバー(彼は劇中の曲も提供している)。トランペットはアフリカ系フランス人。サックスはハイチ出身、ベースはキューバ出身、ドラムスの女性はクロアチア出身。そしてエリオットの恋人でヴォーカルのマヤを演ずるヨアンナ・クーリクはポーランドの女優・歌手。一昨年公開された『COLD WAR あの歌、2つの心』でもジャズを歌っていて、僕はその歌と、レア・セドゥに似た風貌にしびれてしまった。ちょっと挑戦的な目つきをすることがあって、それがたまらない。

毎回、主な出演者の誰かに焦点を当てる構成。パリ市内だけでなく、移民が多く住む郊外の団地が舞台になるのもリアリティがある。もっとも、ドラマとしては質の高い作品が多いネットフリックスのなかでは、いまひとつ。でもジャズ好きなら間違いなく楽しめます。僕はヨアンナ・クーリクの歌を聞いているだけで満足でした。

 

 

 

 

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August 20, 2020

『ザ・ライダー』 静謐に言葉少なく

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『ザ・ライダー(原題:The Rider)』はネットフリックス・オリジナルではないけれど、日本未公開の2017年作品。こんな素晴らしい、ミニシアターならとびつくような映画が、なぜ公開されなかったんだろう。役者も監督もまったくの無名だからだろうか。

アメリカ中西部、サウス・ダコタに暮らすロデオ・カウボーイ、ブレイディ(ブレイディ・ジャンドロー)。彼がロデオで頭に大怪我を負って手術し、愛馬の夢を見て目覚めるところから始まる。手術した側頭部には皮膚を縫いつけた十数個のホチキス針。医者からはもう馬に乗れない、と言われている。あきらめられないブレイディは少しずつ馬に触れはじめるが、後遺症で手の指が固まり手綱を放せなくなる。

そんな失意の日常が淡々と重ねられる。愛馬との交流、ロデオ仲間と会い、やはり大怪我して車椅子の兄貴分レインへの見舞い。父は調教師だが貧しく、妹は障害をもっている。生活のため、スーパーマーケットで働く。調教師でもあるブレイディは荒馬の調教を引き受ける。馬に乗って走るのは広大なプレイリーとバッドランドと呼ばれる岩山地帯。最後、ブレイディは父親の制止を振りきりロデオの会場へ向かうのだが……。

驚くのは、主役のブレイディはじめ家族や仲間などほとんどの登場人物が役者でなく、実名で登場していることだ。だから馬との愛情の深さも荒馬の調教もほんもの。ブレイディの怪我も実際に負ったもの。障害をもつ妹も、車椅子の兄貴分も、現実そのまま。それでいて素人であることを少しも感じさせない。すべて素人を使った映画となると、どこかドキュメンタリーふうなテイストが出るものだけど、さらに驚くのは、それもなったくないこと。青春の挫折を言葉少なに語って、簡潔で、無駄のない劇映画として完成度がとても高い。

三たび驚くのは、脚本・監督のクロエ・ジャオは中国(北京)出身の女性で、これが第2作。アメリカへ来たのは高校時代で、ニューヨーク大学で映画製作を学んでいる。同じ大学出身でハリウッドで活躍している中国系の監督にアン・リーがいるけど、彼の『ブロークバック・マウンテン』を彷彿とさせる映画だった。この後、2本の新作をつくっているようで、なんとも楽しみ。

第53回全米映画批評家協会賞と第28回ゴッサム・インディペンデント映画賞の作品賞を受けている。なおネットフリックスだけでなく、アマゾン・プライムでも見られるようだ。映画好きなら見逃せない作品です。

 

 

 

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August 10, 2020

『トランスジェンダーとハリウッド』 米民主主義の底深さ

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『トランスジェンダーとハリウッド:過去、現在、そして(原題:Disclosure)』は今年のサンダンス映画祭で上映され、6月からネットフリックスで配信されたドキュメンタリー。ハリウッド映画やテレビでトランスジェンダーがどのように表象されてきたかを多くの映像で示し、それをトランスジェンダー自らがどう受けとめたかを語る。製作のラヴァーン・コックス、監督のサム・フェダーはじめ150人以上のトランスジェンダーが映画にかかわったという。『マトリックス』の製作者、リリー・ウォシャウスキも登場する(彼女がトランスジェンダーとは知らなかった)。

無声映画時代の『国民の創生』以来、異性装のトランスジェンダーはしばしばメディアに登場した。男性が女装し、女性が男装した(あるいは白人が顔を黒く塗った)姿は観客に、ある時は笑いを、ある時は恐怖を提供した。『トッツィー』みたいなコメディーでは、トランスジェンダーは笑いの対象となる。『サイコ』や『殺しのドレス』のようなスリラーではトランスジェンダーは殺人者となり、あたかも犯罪者であるかのように印象づけられる。トランス男性かトランス女性か、また人種によってもメディアでの露出とその表象のされかたは違ってくる。いずれにしても彼らは偏見に満ちたステレオタイプに押し込められる。あの映画、この映画で、僕たちは気づかないかたちでトランスジェンダーについての偏見を刷り込まれていた。

それらのステレオタイプをトランスジェンダーがどう感じたかは、人によってさまざまだ。恥ずかしさから、自らの性自認を隠して生きる人もいる。バカにされたと怒り、トランスジェンダーであることを公言して抗議しはじめる人もいる。それでも1980年代あたりからか、トランス女性やトランス男性が俳優やモデル、タレント、専門家として認知され、自らの性自認についてオープンに語りはじめたことによって、メディアも少しずつ変わってきている。

偏見を持った人の嘲笑や恐怖は今も続くが、それに対しトランスジェンダーも積極的に自らの存在を語り、それを支える人々もいる。そういう「対話」によって、少しずつではあれ世界が変わってゆく。こういうドキュメンタリーがトランスジェンダーによってつくられ、ネットフリックスで世界に配信されること自体、事態が動いていることの証左だろう。アメリカという国の民主主義の底深さを感ずる。これを見る以前と以後では映画の見方が変わってくる。そんな力を持ったドキュメンタリーだった。

 

 

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August 02, 2020

『オールド・ガード』 切れのいいアクション

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小生もそれなりの映画ファンのつもりだけど、小生よりたくさん映画を見ているNさんお勧めのアクション映画がネットフリックス・オリジナルの新作『オールド・ガード(原題:The Old Guard)』。シャーリーズ・セロンがなんとも魅力的!

原作はアメリカン・コミックス。なぜか不死身になってしまった戦士が世紀を超えて人々のために戦うという、いかにもアメコミらしい荒唐無稽な設定。ボスのアンドロマケ(アンディ。シャーリーズ・セロン)は紀元前に黒海周辺で活動したスキタイの女戦士。アンディに従う男3人は十字軍の生き残りなど。そこにアフガニスタンで殺され生き返った米海兵隊のアフリカ系女性隊員ナイル(キキ・レオン)が加わる。彼らの不死の理由を探ってひと儲けを企む製薬会社のCEOが元CIAを雇ってアンディたちを捕らえ、最後はお定まりの格闘、銃撃戦というお話。

ともかくシャーリーズが恰好いいのなんの。ブロンドを黒く染め、バッサリと短髪。黒ずくめのTシャツと細身のパンツにブーツ。サングラスをかけて歩く冒頭のショットは男の子みたい。シャーリーズは『エスクワイア』で「最もセクシーな女性」に選ばれたこともある女優だけど、身体も絞り(彼女は役づくりで体重を十数キロ増やしたり減らしたりする)、しゃべり方や仕草からも女っぽさをとことん消してる。こういう強い女のキャラクターは『エイリアン』のシガニー・ウィーバーが思いつくけど、シャーリーズがすごいのは、それに加えてアクション・シーンの切れのよさ。パンチにキック、そして敵を投げてと、44歳とは思えない格闘技を披露してくれる。シャーリーズはこの映画の製作者として出資もしているから、このヒロイン像は望まれたものでなく彼女自身が欲していると考えていいんだろう。

シャーリーズは小生にとっては『サイダーハウス・ルール』とか『あの日、欲望の大地で』とか文芸映画の印象が強かったけど、『マッドマックス 怒りのデスロード』で丸刈りに顔を黒く塗った女戦士に度肝を抜かれた。『オールド・ガード』はその延長上で、シャーリーズ自身が自分の魅力はここに(も)あると見定めたんじゃないか。監督も女性でジーナ・プリンス=バイスウッド。続編も動きだしてるらしい。

 

 

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March 13, 2020

『Unsolved』 ネトフリ廃人への道

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毎日、1時間ほどの散歩をする。家の近くを通る片側2車線の広い道路。歩道も自転車用と歩行者用に分けられているので7~8メートル幅がある。国道17号を横切り、数キロ先の17号バイパスへ抜ける予定だけど建設途中で、東北新幹線のガード下で途切れている。そこまで行って戻ってくる。車も人通りも少ない。建設途中の道なので両脇は新しい住宅やマンションが多く、均一な風景で歩く楽しみはない。でも、幅広い道の上に広がる空が大きいのが気持ちをゆるめてくれる。

当方、高齢者である上に病後の回復途上なので体力がなく、もしコロナウイルスに感染すれば「重症化」の条件を備えている。だから人混みはできるだけ避ける。いちばん悔しいのは、去年秋に寛解を告げられ、ようやく行けるようになった映画館に行けなくなったこと。仕方なく、またネットフリックスに逆戻りした。

いくつか見たなかで面白かったのがネットフリックス・オリジナルの『Unsolved』。10回のシリーズもののドラマだ。unsolved(未解決)のタイトル通り、実際に起こった未解決殺人事件を素材にしたもの。

1990年代、ヒップホップ全盛の時代。ロスの路上でラッパーのビギーが殺される。ビギーはニューヨーク出身。その前年にはラスベガスでロス出身のラッパー、トゥパックが殺されていた。ビギーとトゥパックは友達同士だったが、ある事件をきっかけに仲たがいし、ビギーが属するニューヨークの「バッド・ボーイ」、トゥパックが属するロスの「デス・ロウ」というレコード会社同士の「東西抗争」に発展していく。ドラマは三つのパートが同時進行する。ビギーとトゥパックの出会いから「東西抗争」までが、その一つ。

ビギーの殺人事件を捜査するのはロス市警のプール刑事(ジミー・シンプソン)。プールは、事件の背景に「東西抗争」があるのではと考える。「デス・ロウ」の警備にロス市警の警官がアルバイトしていることを掴み、警官が殺人事件に関与しているのではないかと疑いを持つ。プールとその相棒による捜査が二つ目のパート。プールは市警内部の腐敗を追及しようとし、遂には市警を追われることになる。

三つめのパートはその10年後。ロス市警が特別捜査班を組んで、未解決だったビギー事件を再調査することになる。その中心になるのがケイディング刑事(ジョシュ・デュアメル)。彼らは「バッド・ボーイ」「デス・ロウ」双方の周囲に巣食うギャングに目星をつけ、捜査を進めてゆく。

なにより90年代のヒップホップ・シーンと、それを生んだアフリカ系アメリカ人社会が再現されているのが面白い。二人のラッパーは実在の人物だが、トゥパックは子供のころからジェームズ・ボールドウィンを読む知的青年。ビギーは幼いころ父が蒸発して母親の手で育てられ、ドラッグの売人をしていた。二人とも母親思い。写真を見ると、二人の役者は共に実物そっくりだ。

三つのエピソードが複雑に入り組んで進行してゆくのだが、途中でやめられなくなり、つい次の回を見てしまう。エンドロールで「現在も未解決」と出るから、観るほうは結局事件は解決しないと分かっているんだけど、それでもやめられない。以前見ていた「コールドケース」とか「CSI」とかアメリカの1時間ものドラマの、早いテンポで見る者を飽きさせず、緊張を持続させるドラマづくりの進化はすさまじい。これももともとNBC系ケーブルテレビの作品で、ネットフリックスが海外配信の権利を買ったらしい。

もっとも作品としての評価となると、数カ月前に見た『マインドハンター』の完成度の高さには及ばないが。それでも3日間ほど「ネトフリ廃人」となってドラマを見続けたのでした。

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January 21, 2020

『マリッジ・ストーリー』 苦いけど最後は…

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先日、アカデミー賞のノミネート作品が発表になった。かつてはカンヌやベネツィアに比べてハリウッドの業界(商業)的色彩が濃厚だったけど、投票権をマイノリティに開放するなど改革が進んで、受賞作の傾向が多少変わってきたように思う(逆にカンヌやベネツィアが商業的になってきた)。

今年のノミネートで驚いたのは、ネットフリックスのオリジナル映画が『アイリッシュマン』に『マリッジ・ストーリー(原題:Marriage Story)』と2本も作品賞に入っていること。さらに『マリッジ・ストーリー』の主演アダム・ドライバーとスカーレット・ヨハンソンがそれぞれ主演男優・女優賞に、監督のノア・バームバックは脚本賞にノミネートされている。『アイリッシュマン』もいくつもの部門でノミネートされているから、今年もネットフリックス映画が受賞する可能性は高い。製作や配信を含めデジタル化をめぐる業界再編にどこが主導権を握るか。映画の潮流がはっきりと変わってきた。

昔、『イタリア式離婚狂想曲』という映画があった。結婚と離婚はいつの時代、どの世界にもあるけど、特に離婚は民族や宗教や法体系、社会の仕組みによってずいぶん違ってくる。『マリッジ・ストーリー』はアメリカ式離婚狂想曲といった趣きの映画。僕たちの常識と違うのは、まずアメリカという国がユナイテッド・ステイツで、州によって法律が異なること。もうひつとは裁判で物事を決着させる訴訟社会であること。そのことで、本来は夫婦の間の話が複雑になってくる。

女優のニコール(スカーレット・ヨハンソン)はニューヨークでオフ・ブロードウェイ劇団の演出家チャーリー(アダム・ドライバー)と結婚して、小学生の息子がいる。結婚前はロスで映画女優だったニコールにドラマ出演の声がかかり、ニコールは撮影のあいだ息子を連れてロスの実家に戻ることを決める。チャーリーとの仲はうまくいってなく、離婚話が進行していて、ロスにやってきたチャーリーに弁護士を立てて離婚の書類を渡す。ニコールと息子がロス在住なのでカリフォルニア州での裁判となり、チャーリーはあわててロスで弁護士を探さざるをえなくなる。親権争いで不利にならないため自身もロスにアパートを借り、ちょうどブロードウェイ進出の声がかかっていたチャーリーはNYとロスを行ったり来たり。ニコールが立てた辣腕の女性弁護士に対抗するため、チャーリーも辣腕の弁護士を立て、二人の本来の気持ちとは裏腹に互いを傷つけあう展開になってゆくのだが……。

離婚を言い出したニコールのいちばんの不満は、結婚前は映画女優として未来が開けていたのに今は一劇団員にすぎないという、自分のキャリアが中断されたことにあるらしい。だからロスからドラマ出演の声がかかったことで、踏ん切りをつけた。といって、チャーリーへの愛が冷めたわけでもなさそうだ。映画の冒頭、調停の前段階(らしい)で互いの長所を書いた文章を読み上げるとき、ニコールがそれを拒否するのは、そのことで自分で気持ちが揺れるのを恐れたからだろう。一方のチャーリーは、調査員がやってくるので、がらんとしたアパートに鉢植えを持ち込み絵を飾り、料理をつくって息子と一緒に食べる姿を見せる。親権を取られまいと、いささか演出気味で、無理も感じさせる。

そんな夫婦を演ずるアダム・ドライバーとスカーレット・ヨハンソンがうまい。長髪のアダムはいかにも知的なニューヨーカーといった風情。スカーレットは、いつもの美女役よりスッピンに近い(たぶん)化粧。そんな彼女が目くじらを立てる表情が、ちょっと怖い。アカデミー賞にノミネートされたのは、ショートカットのスカーレットが従来の役どころと違う新しい顔を見せたからだろうか。

それにしてもアメリカの離婚裁判は金がかかりそうだ。女性弁護士が1時間の料金を確か400ドルとか言ってたから、ニューヨークのアパートしか財産がないらしいチャーリーは、ロスのアパートも維持しなければならず、いずれすっからかんになるんだろう。

『イタリア式離婚狂想曲』はマルチェロ・マストロヤンニ主演で、離婚が禁止されていた時代の艶笑コメディだったけど、こちらは苦い途中経過を経て最後は落ち着くべきところに落ち着く家庭劇。『イカとクジラ』や『ヤング・アダルト・ニューヨーク』といった都会の現代的ホームドラマをつくってきたバームバック監督らしい映画だ。

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December 02, 2019

『アイリッシュマン』 稲妻のような

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『アイリッシュマン(原題:The Irishman)』はロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシという豪華キャスト、マーティン・スコセッシが監督したことで話題のネットフリックス・オリジナル映画。劇場公開もされているが、先週からネットフリックスで配信が始まっている。3時間半の長尺だけど、一気に見た。『タクシー・ドライバー』や『グッド・フェローズ』といった初期のスコセッシ映画のテイストが蘇っているのが楽しい。

主な登場人物は3人で、いずれも実在の人物。トラック運転手のフランク(ロバート・デ・ニーロ)は輸送する牛肉を横流しして日銭を稼いでいる。ある日、路上でペンシルベニア北東部を仕切るマフィアのボス、ラッセル(ジョー・ペシ)と知りあい彼の手伝いをするようになる。やがて殺しにも手を染める。フランクはラッセルの紹介で、フランクも属する全米トラック組合の委員長ジミー(アル・パチーノ)のボディガードとしても働くようになる。

1950~60年代のアメリカ。国中の物流を押さえる全米トラック組合は強大な力をもった圧力団体で、委員長ジミー・ホッファ はそのトップに君臨していた。ジミーはマフィアとも関係していたと言われる。やがてジョン・F・ケネディが大統領に当選し、弟の司法長官ロバートがジミーとマフィアとの闇を追及しはじめる。それがこの映画の背景。

映画は、年老いて養老院に入ったフランクが過去を回想するスタイル。前半はニュース映像も交えながら3人が知り合い、家族ぐるみのつきあいをし、殺しを依頼したりもする互いの関係がテンポよく描かれる。『グッド・フェローズ』のような一代記の語り口を思い出した。

3人の関係にヒビが入る後半は、ドラマがぐっと盛り上がる。ジミーは有罪となって服役し、出所すると若い幹部が台頭している。マフィアのラッセルにとって、復権を目指すジミーは目障りな存在となりつつある。2人の狭間に立つフランク。このあたり『仁義なき戦い』のような、利害と友情が絡みあう展開。現実にはジミー・ホッファはある日、忽然と行方不明になり現在に至るまで真相は不明なのだが、映画ではラッセルの命でフランクがジミーを殺す。

その前後の描写がしびれる。フランク夫妻はデトロイトでジミーと会うためラッセル夫妻と旅していたが、途中ラッセルはフランクに、ジミーとは会うな、と伝える。ところがモーテルに泊まった翌朝、ラッセルは一転してフランクに、「ジミーに会うのを止めると君にやり返されそうだ。行ってやれ」と言って、自家用飛行機を手配する。デトロイトに用意された車にフランクが乗ると、グラブコンパートメントには拳銃が入っている。ラッセルの言葉を文字通り取れば、それでジミーを守ってやれということだが、ラッセルのやり方では、それでジミーを殺せという指示になる。そしてアジトでの、いきなりの発砲。並みの映画ならフランクの苦悩の表情を見せるところだけど、スコセッシはそんな内面描写を一切しない。その稲妻のような衝撃は、初期のスコセッシ映画に色濃くあったものだ。

これはデ・ニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシ、3人を見るための映画でもある。パチーノとペシの息詰まるような演技に、狂言回し役のデ・ニーロが時に激しく、時に緊張をほぐすように柔らかく対応する。3人の若い時代の姿は代役でも特殊メイクでもなく、CGでつくられている。メイキングの座談会を見ると3台のカメラを回し、そこから得られた角度の違う画像を操作して若い姿にしているようだ。 これからはこの手法が主流になるのかも。

 撮影のロドリゴ・プリエト、音楽のロビー・ロバートソン、そしてスコセッシと、スタッフもキャストに劣らず豪華。製作費は1億6000万ドル。ネットフリックスが今年、世界中でオリジナルな映画・連続ドラマ制作に投じた資金は150億ドルと言われる。1本1本の興行収入に依存するのでなく、1億6000万人会員の月ぎめ定額料金(サブスクリプション)を収入源とする動画配信産業だからこそできる映画づくりだろう。

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August 10, 2019

ブルースの語りと歌に酔う

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ネットフリックスのオリジナル作品『スプリングスティーン・オン・ブロードウェイ(原題:Springsteen on Broadway)』は、ブルース・スプリングスティーンが2018年にブロードウェイの劇場で開いたライブのドキュメント。これが素晴らしい。

シンプルな舞台にグランドピアノが1台。ブルースが登場し、アコースティック・ギターとハーモニカ、時にピアノを弾きながら歌と語りで自分の音楽人生を回顧する(1曲だけ、妻のパティがギターと歌で共演)。

ブルースはニュージャージー州の小さな町で工場労働者の息子として生まれた。7歳で初めてギターを手にしたときのこと。地元のヒーローだったロックンロール・バンドへの憧れ。寡黙な労働者である父への尊敬と反発。父親が通うバーへ初めて足を踏み入れたときのこと。地元の仲間と組んだバンド。やがて詞を書き、曲をつくるようになる。題材は身近な家族、仲間、ストリート、工場、小さな町の風景。

それにしてもブルースの語りの見事さに驚く。周到に準備されたものと思うけど(エンドロールにwritten by Springsteenとあった)、それを感じさせない自然な語り口とユーモア。なにより彼が選ぶ言葉のセンスが見事だ。その間に挟まれる名曲の数々。ベトナム帰還兵に話を聞いてつくった「ボーン・イン・ザ・USA」は、聞きなれたEストリート・バンドのロックンロール・バージョンでなく、ブルースのシンプルなギターで聞くと、こんな悲しい曲だったのかと改めて気づく。

アメリカの健全な魂と民主主義への信頼。最後はやはりニュージャージーの思い出、故郷の伐採されてしまった大木の記憶と家族への思いで終わる。こういう歌い手を持っているアメリカという国は、やはり捨てたもんじゃない。

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June 14, 2019

『ザ・テキサス・レンジャーズ』 ボニーとクライドを殺した男

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ネットフリックス・オリジナル映画『ザ・テキサス・レンジャーズ(原題:The Highwaymen)』は、1930年代のアメリカで銀行強盗を繰り返し「義賊」めいた人気者になったボニーとクライドを、射殺したテキサス・レンジャーズの側から描いたもの。2人を主人公にした『俺たちに明日はない』は1970年代アメリカ・ニューシネマを代表する映画だったけど、『ザ・テキサス・レンジャーズ』は対照的に地道な作風で、2人を追うレンジャーズの追跡を事実に基づいて冷静に描いていく。原題のThe Highwaymen(man)は路上の追いはぎの意味で、車を駆ってテキサス各地に神出鬼没に出現したボニーとクライドをそう呼んだのだろう。

ついでに言えばテキサス・レンジャーズは1823年に設立されたテキサス州の警察・司法権を持った組織で、開拓時代からカウボーイのような格好で治安維持に当たっていた。が、20世紀に入って大恐慌時代に縮小され、女性州知事ミリアム・ファーガソンが1933年に廃止した。映画は、その数年後から始まる。

ボニーとクライドが銀行を荒らし回り、警官を殺し、彼らを追うハイウェイ・パトロールは翻弄されている。業を煮やした知事ファーガソン(キャシー・ベイツ)は解散したテキサス・レンジャーズの伝説的なレンジャー、フランク・ハマー(ケヴィン・コスナー)をいやいやながら呼び出して捜査に当たらせる。相棒は、かつてハマーの下で働いたアル中のゴールト(ウディ・ハレルソン)。

彼らは馬から車に乗りかえ、「鞍はこんな固くなかった。ケツが痛い」とぼやきながら車に寝泊まりしてボニーとクライドの足跡を追う。老いぼれ2人のやりとりは典型的なバディー・ムービーの設定とはいえ、にやりとさせる会話もなく、どこか悲しい。ハマーはかつて警告なしで数十人の違法労働者を殺した非情な捜査官だが、ゴールトはそんなハマーについていけない。そんなハマーの伝説を語るゴールトは、ハマーへの畏怖をもっているが、半面、自分の弱さを隠そうとしない。そんなゴールトの弱さを、ハマーは仕方のない相棒といった目で眺めている。

2人は地図を片手にボニーとクライドの故郷の町や州外の仲間の故郷を回り、彼らに遭遇しようとする。平坦なテキサスの田舎道が延々と映しだされる。2人の行く先々には、家を失って路上やキャンプで生活する大恐慌時代の人びとの姿がある。流行の30年代ファッションを身につけたボニーとクライドも、もとはといえば食えなくて盗みを働いたことから悪事に手をそめた。

この映画で、ボニーとクライドが出てくるシーンは背後から、あるいはフルショットで撮影されていて、殺されるラストシーン以外ほとんど顔がアップで映らない。ハマーとゴールトにとって彼らは「義賊」なんかでなく、ハマーが殺した違法労働者と同じ名無しにすぎない。ボニーとクライドの顔が映らないことは、そのことを象徴しているだろう。『俺たちに明日はない』はロードムービーの傑作と言われるけれど、そしてこの映画にもそこここに道は出てくるんだけど、この映画には無軌道な若者の人生とそこへの共感があるのでなく、淡々と義務を遂行した老いぼれ2人が走らせる車の砂ぼこりが舞っているだけだ。最後に2人が互いを信頼するショットがあって、やっと普通のバディ・ムービ―として終わる。

監督は『ルーキー』のジョン・リー・ハンコック。

 

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