March 13, 2020

『Unsolved』 ネトフリ廃人への道

Unsolved

毎日、1時間ほどの散歩をする。家の近くを通る片側2車線の広い道路。歩道も自転車用と歩行者用に分けられているので7~8メートル幅がある。国道17号を横切り、数キロ先の17号バイパスへ抜ける予定だけど建設途中で、東北新幹線のガード下で途切れている。そこまで行って戻ってくる。車も人通りも少ない。建設途中の道なので両脇は新しい住宅やマンションが多く、均一な風景で歩く楽しみはない。でも、幅広い道の上に広がる空が大きいのが気持ちをゆるめてくれる。

当方、高齢者である上に病後の回復途上なので体力がなく、もしコロナウイルスに感染すれば「重症化」の条件を備えている。だから人混みはできるだけ避ける。いちばん悔しいのは、去年秋に寛解を告げられ、ようやく行けるようになった映画館に行けなくなったこと。仕方なく、またネットフリックスに逆戻りした。

いくつか見たなかで面白かったのがネットフリックス・オリジナルの『Unsolved』。10回のシリーズもののドラマだ。unsolved(未解決)のタイトル通り、実際に起こった未解決殺人事件を素材にしたもの。

1990年代、ヒップホップ全盛の時代。ロスの路上でラッパーのビギーが殺される。ビギーはニューヨーク出身。その前年にはラスベガスでロス出身のラッパー、トゥパックが殺されていた。ビギーとトゥパックは友達同士だったが、ある事件をきっかけに仲たがいし、ビギーが属するニューヨークの「バッド・ボーイ」、トゥパックが属するロスの「デス・ロウ」というレコード会社同士の「東西抗争」に発展していく。ドラマは三つのパートが同時進行する。ビギーとトゥパックの出会いから「東西抗争」までが、その一つ。

ビギーの殺人事件を捜査するのはロス市警のプール刑事(ジミー・シンプソン)。プールは、事件の背景に「東西抗争」があるのではと考える。「デス・ロウ」の警備にロス市警の警官がアルバイトしていることを掴み、警官が殺人事件に関与しているのではないかと疑いを持つ。プールとその相棒による捜査が二つ目のパート。プールは市警内部の腐敗を追及しようとし、遂には市警を追われることになる。

三つめのパートはその10年後。ロス市警が特別捜査班を組んで、未解決だったビギー事件を再調査することになる。その中心になるのがケイディング刑事(ジョシュ・デュアメル)。彼らは「バッド・ボーイ」「デス・ロウ」双方の周囲に巣食うギャングに目星をつけ、捜査を進めてゆく。

なにより90年代のヒップホップ・シーンと、それを生んだアフリカ系アメリカ人社会が再現されているのが面白い。二人のラッパーは実在の人物だが、トゥパックは子供のころからジェームズ・ボールドウィンを読む知的青年。ビギーは幼いころ父が蒸発して母親の手で育てられ、ドラッグの売人をしていた。二人とも母親思い。写真を見ると、二人の役者は共に実物そっくりだ。

三つのエピソードが複雑に入り組んで進行してゆくのだが、途中でやめられなくなり、つい次の回を見てしまう。エンドロールで「現在も未解決」と出るから、観るほうは結局事件は解決しないと分かっているんだけど、それでもやめられない。以前見ていた「コールドケース」とか「CSI」とかアメリカの1時間ものドラマの、早いテンポで見る者を飽きさせず、緊張を持続させるドラマづくりの進化はすさまじい。これももともとNBC系ケーブルテレビの作品で、ネットフリックスが海外配信の権利を買ったらしい。

もっとも作品としての評価となると、数カ月前に見た『マインドハンター』の完成度の高さには及ばないが。それでも3日間ほど「ネトフリ廃人」となってドラマを見続けたのでした。

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January 21, 2020

『マリッジ・ストーリー』 苦いけど最後は…

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先日、アカデミー賞のノミネート作品が発表になった。かつてはカンヌやベネツィアに比べてハリウッドの業界(商業)的色彩が濃厚だったけど、投票権をマイノリティに開放するなど改革が進んで、受賞作の傾向が多少変わってきたように思う(逆にカンヌやベネツィアが商業的になってきた)。

今年のノミネートで驚いたのは、ネットフリックスのオリジナル映画が『アイリッシュマン』に『マリッジ・ストーリー(原題:Marriage Story)』と2本も作品賞に入っていること。さらに『マリッジ・ストーリー』の主演アダム・ドライバーとスカーレット・ヨハンソンがそれぞれ主演男優・女優賞に、監督のノア・バームバックは脚本賞にノミネートされている。『アイリッシュマン』もいくつもの部門でノミネートされているから、今年もネットフリックス映画が受賞する可能性は高い。製作や配信を含めデジタル化をめぐる業界再編にどこが主導権を握るか。映画の潮流がはっきりと変わってきた。

昔、『イタリア式離婚狂想曲』という映画があった。結婚と離婚はいつの時代、どの世界にもあるけど、特に離婚は民族や宗教や法体系、社会の仕組みによってずいぶん違ってくる。『マリッジ・ストーリー』はアメリカ式離婚狂想曲といった趣きの映画。僕たちの常識と違うのは、まずアメリカという国がユナイテッド・ステイツで、州によって法律が異なること。もうひつとは裁判で物事を決着させる訴訟社会であること。そのことで、本来は夫婦の間の話が複雑になってくる。

女優のニコール(スカーレット・ヨハンソン)はニューヨークでオフ・ブロードウェイ劇団の演出家チャーリー(アダム・ドライバー)と結婚して、小学生の息子がいる。結婚前はロスで映画女優だったニコールにドラマ出演の声がかかり、ニコールは撮影のあいだ息子を連れてロスの実家に戻ることを決める。チャーリーとの仲はうまくいってなく、離婚話が進行していて、ロスにやってきたチャーリーに弁護士を立てて離婚の書類を渡す。ニコールと息子がロス在住なのでカリフォルニア州での裁判となり、チャーリーはあわててロスで弁護士を探さざるをえなくなる。親権争いで不利にならないため自身もロスにアパートを借り、ちょうどブロードウェイ進出の声がかかっていたチャーリーはNYとロスを行ったり来たり。ニコールが立てた辣腕の女性弁護士に対抗するため、チャーリーも辣腕の弁護士を立て、二人の本来の気持ちとは裏腹に互いを傷つけあう展開になってゆくのだが……。

離婚を言い出したニコールのいちばんの不満は、結婚前は映画女優として未来が開けていたのに今は一劇団員にすぎないという、自分のキャリアが中断されたことにあるらしい。だからロスからドラマ出演の声がかかったことで、踏ん切りをつけた。といって、チャーリーへの愛が冷めたわけでもなさそうだ。映画の冒頭、調停の前段階(らしい)で互いの長所を書いた文章を読み上げるとき、ニコールがそれを拒否するのは、そのことで自分で気持ちが揺れるのを恐れたからだろう。一方のチャーリーは、調査員がやってくるので、がらんとしたアパートに鉢植えを持ち込み絵を飾り、料理をつくって息子と一緒に食べる姿を見せる。親権を取られまいと、いささか演出気味で、無理も感じさせる。

そんな夫婦を演ずるアダム・ドライバーとスカーレット・ヨハンソンがうまい。長髪のアダムはいかにも知的なニューヨーカーといった風情。スカーレットは、いつもの美女役よりスッピンに近い(たぶん)化粧。そんな彼女が目くじらを立てる表情が、ちょっと怖い。アカデミー賞にノミネートされたのは、ショートカットのスカーレットが従来の役どころと違う新しい顔を見せたからだろうか。

それにしてもアメリカの離婚裁判は金がかかりそうだ。女性弁護士が1時間の料金を確か400ドルとか言ってたから、ニューヨークのアパートしか財産がないらしいチャーリーは、ロスのアパートも維持しなければならず、いずれすっからかんになるんだろう。

『イタリア式離婚狂想曲』はマルチェロ・マストロヤンニ主演で、離婚が禁止されていた時代の艶笑コメディだったけど、こちらは苦い途中経過を経て最後は落ち着くべきところに落ち着く家庭劇。『イカとクジラ』や『ヤング・アダルト・ニューヨーク』といった都会の現代的ホームドラマをつくってきたバームバック監督らしい映画だ。

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December 02, 2019

『アイリッシュマン』 稲妻のような

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『アイリッシュマン(原題:The Irishman)』はロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシという豪華キャスト、マーティン・スコセッシが監督したことで話題のネットフリックス・オリジナル映画。劇場公開もされているが、先週からネットフリックスで配信が始まっている。3時間半の長尺だけど、一気に見た。『タクシー・ドライバー』や『グッド・フェローズ』といった初期のスコセッシ映画のテイストが蘇っているのが楽しい。

主な登場人物は3人で、いずれも実在の人物。トラック運転手のフランク(ロバート・デ・ニーロ)は輸送する牛肉を横流しして日銭を稼いでいる。ある日、路上でペンシルベニア北東部を仕切るマフィアのボス、ラッセル(ジョー・ペシ)と知りあい彼の手伝いをするようになる。やがて殺しにも手を染める。フランクはラッセルの紹介で、フランクも属する全米トラック組合の委員長ジミー(アル・パチーノ)のボディガードとしても働くようになる。

1950~60年代のアメリカ。国中の物流を押さえる全米トラック組合は強大な力をもった圧力団体で、委員長ジミー・ホッファ はそのトップに君臨していた。ジミーはマフィアとも関係していたと言われる。やがてジョン・F・ケネディが大統領に当選し、弟の司法長官ロバートがジミーとマフィアとの闇を追及しはじめる。それがこの映画の背景。

映画は、年老いて養老院に入ったフランクが過去を回想するスタイル。前半はニュース映像も交えながら3人が知り合い、家族ぐるみのつきあいをし、殺しを依頼したりもする互いの関係がテンポよく描かれる。『グッド・フェローズ』のような一代記の語り口を思い出した。

3人の関係にヒビが入る後半は、ドラマがぐっと盛り上がる。ジミーは有罪となって服役し、出所すると若い幹部が台頭している。マフィアのラッセルにとって、復権を目指すジミーは目障りな存在となりつつある。2人の狭間に立つフランク。このあたり『仁義なき戦い』のような、利害と友情が絡みあう展開。現実にはジミー・ホッファはある日、忽然と行方不明になり現在に至るまで真相は不明なのだが、映画ではラッセルの命でフランクがジミーを殺す。

その前後の描写がしびれる。フランク夫妻はデトロイトでジミーと会うためラッセル夫妻と旅していたが、途中ラッセルはフランクに、ジミーとは会うな、と伝える。ところがモーテルに泊まった翌朝、ラッセルは一転してフランクに、「ジミーに会うのを止めると君にやり返されそうだ。行ってやれ」と言って、自家用飛行機を手配する。デトロイトに用意された車にフランクが乗ると、グラブコンパートメントには拳銃が入っている。ラッセルの言葉を文字通り取れば、それでジミーを守ってやれということだが、ラッセルのやり方では、それでジミーを殺せという指示になる。そしてアジトでの、いきなりの発砲。並みの映画ならフランクの苦悩の表情を見せるところだけど、スコセッシはそんな内面描写を一切しない。その稲妻のような衝撃は、初期のスコセッシ映画に色濃くあったものだ。

これはデ・ニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシ、3人を見るための映画でもある。パチーノとペシの息詰まるような演技に、狂言回し役のデ・ニーロが時に激しく、時に緊張をほぐすように柔らかく対応する。3人の若い時代の姿は代役でも特殊メイクでもなく、CGでつくられている。メイキングの座談会を見ると3台のカメラを回し、そこから得られた角度の違う画像を操作して若い姿にしているようだ。 これからはこの手法が主流になるのかも。

 撮影のロドリゴ・プリエト、音楽のロビー・ロバートソン、そしてスコセッシと、スタッフもキャストに劣らず豪華。製作費は1億6000万ドル。ネットフリックスが今年、世界中でオリジナルな映画・連続ドラマ制作に投じた資金は150億ドルと言われる。1本1本の興行収入に依存するのでなく、1億6000万人会員の月ぎめ定額料金(サブスクリプション)を収入源とする動画配信産業だからこそできる映画づくりだろう。

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August 10, 2019

ブルースの語りと歌に酔う

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ネットフリックスのオリジナル作品『スプリングスティーン・オン・ブロードウェイ(原題:Springsteen on Broadway)』は、ブルース・スプリングスティーンが2018年にブロードウェイの劇場で開いたライブのドキュメント。これが素晴らしい。

シンプルな舞台にグランドピアノが1台。ブルースが登場し、アコースティック・ギターとハーモニカ、時にピアノを弾きながら歌と語りで自分の音楽人生を回顧する(1曲だけ、妻のパティがギターと歌で共演)。

ブルースはニュージャージー州の小さな町で工場労働者の息子として生まれた。7歳で初めてギターを手にしたときのこと。地元のヒーローだったロックンロール・バンドへの憧れ。寡黙な労働者である父への尊敬と反発。父親が通うバーへ初めて足を踏み入れたときのこと。地元の仲間と組んだバンド。やがて詞を書き、曲をつくるようになる。題材は身近な家族、仲間、ストリート、工場、小さな町の風景。

それにしてもブルースの語りの見事さに驚く。周到に準備されたものと思うけど(エンドロールにwritten by Springsteenとあった)、それを感じさせない自然な語り口とユーモア。なにより彼が選ぶ言葉のセンスが見事だ。その間に挟まれる名曲の数々。ベトナム帰還兵に話を聞いてつくった「ボーン・イン・ザ・USA」は、聞きなれたEストリート・バンドのロックンロール・バージョンでなく、ブルースのシンプルなギターで聞くと、こんな悲しい曲だったのかと改めて気づく。

アメリカの健全な魂と民主主義への信頼。最後はやはりニュージャージーの思い出、故郷の伐採されてしまった大木の記憶と家族への思いで終わる。こういう歌い手を持っているアメリカという国は、やはり捨てたもんじゃない。

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June 14, 2019

『ザ・テキサス・レンジャーズ』 ボニーとクライドを殺した男

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ネットフリックス・オリジナル映画『ザ・テキサス・レンジャーズ(原題:The Highwaymen)』は、1930年代のアメリカで銀行強盗を繰り返し「義賊」めいた人気者になったボニーとクライドを、射殺したテキサス・レンジャーズの側から描いたもの。2人を主人公にした『俺たちに明日はない』は1970年代アメリカ・ニューシネマを代表する映画だったけど、『ザ・テキサス・レンジャーズ』は対照的に地道な作風で、2人を追うレンジャーズの追跡を事実に基づいて冷静に描いていく。原題のThe Highwaymen(man)は路上の追いはぎの意味で、車を駆ってテキサス各地に神出鬼没に出現したボニーとクライドをそう呼んだのだろう。

ついでに言えばテキサス・レンジャーズは1823年に設立されたテキサス州の警察・司法権を持った組織で、開拓時代からカウボーイのような格好で治安維持に当たっていた。が、20世紀に入って大恐慌時代に縮小され、女性州知事ミリアム・ファーガソンが1933年に廃止した。映画は、その数年後から始まる。

ボニーとクライドが銀行を荒らし回り、警官を殺し、彼らを追うハイウェイ・パトロールは翻弄されている。業を煮やした知事ファーガソン(キャシー・ベイツ)は解散したテキサス・レンジャーズの伝説的なレンジャー、フランク・ハマー(ケヴィン・コスナー)をいやいやながら呼び出して捜査に当たらせる。相棒は、かつてハマーの下で働いたアル中のゴールト(ウディ・ハレルソン)。

彼らは馬から車に乗りかえ、「鞍はこんな固くなかった。ケツが痛い」とぼやきながら車に寝泊まりしてボニーとクライドの足跡を追う。老いぼれ2人のやりとりは典型的なバディー・ムービーの設定とはいえ、にやりとさせる会話もなく、どこか悲しい。ハマーはかつて警告なしで数十人の違法労働者を殺した非情な捜査官だが、ゴールトはそんなハマーについていけない。そんなハマーの伝説を語るゴールトは、ハマーへの畏怖をもっているが、半面、自分の弱さを隠そうとしない。そんなゴールトの弱さを、ハマーは仕方のない相棒といった目で眺めている。

2人は地図を片手にボニーとクライドの故郷の町や州外の仲間の故郷を回り、彼らに遭遇しようとする。平坦なテキサスの田舎道が延々と映しだされる。2人の行く先々には、家を失って路上やキャンプで生活する大恐慌時代の人びとの姿がある。流行の30年代ファッションを身につけたボニーとクライドも、もとはといえば食えなくて盗みを働いたことから悪事に手をそめた。

この映画で、ボニーとクライドが出てくるシーンは背後から、あるいはフルショットで撮影されていて、殺されるラストシーン以外ほとんど顔がアップで映らない。ハマーとゴールトにとって彼らは「義賊」なんかでなく、ハマーが殺した違法労働者と同じ名無しにすぎない。ボニーとクライドの顔が映らないことは、そのことを象徴しているだろう。『俺たちに明日はない』はロードムービーの傑作と言われるけれど、そしてこの映画にもそこここに道は出てくるんだけど、この映画には無軌道な若者の人生とそこへの共感があるのでなく、淡々と義務を遂行した老いぼれ2人が走らせる車の砂ぼこりが舞っているだけだ。最後に2人が互いを信頼するショットがあって、やっと普通のバディ・ムービ―として終わる。

監督は『ルーキー』のジョン・リー・ハンコック。

 

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June 04, 2019

『ガン・シティ』 スペインの歴史ハードボイルド

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『ガン・シティ(原題:La Sombra de la Ley)』はスペインのネットフリックス・オリジナル作品。原題は「権力の闇」とでも訳すのだろうか。1921年のスペインを舞台にした政治ミステリー映画。

スペイン内戦が勃発する15年前に当たる。スペイン内戦はジョージ・オーウェルの『カタロニア賛歌』やヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』で有名だけど、その15年前のスペインの政治情勢なんて外国人にはとんと分からない。しかも、やがて内戦につながる勢力が入り乱れて複雑怪奇。

バルセロナで軍の列車が何者かに襲われ、大量の銃が奪われる。バルセロナ警察のレディウ警部(ビセンテ・ロメロ)が捜査をはじめると、マドリード警察からウリアルテ(ルイス・トサル)が派遣されてきて、ともに捜査に当たることになる。工場ではアナーキストが主導するストライキが行われている。リーダーのサルバドールは穏健派だが、その娘のサラ(ミシェル・ジェネール)と恋人のレオンは暴力によって革命を起こそうとする過激派。街ではキャバレーを経営する男爵が工場主の資本家とつるみ、裏世界ともつながって怪しげな商売をしているらしい。

レディウ警部と部下は武器強奪はアナーキストの仕業と見、容疑者を拷問の末に殺害してしまう。一方、ウリアルテはアナーキスト・グループとも男爵とも情報交換して真相を探ろうとする。ストライキの工場労働者が警官と衝突したとき、ウリアルテはサラを助けてサラの信頼を得る。ウリアルテは、リーダーのサルバドールが男爵の手下に命を狙われた際もサルバドールを助ける。レディウ警部は、マドリッドから来たウリアルテの狙いが何なのか疑問を抱く。映画を見る者にもその正体はわからない。

アナーキストが力を持ち、騒然とした政治情勢。アナーキストと警察の対立をあおる勢力もある。キャバレーの頽廃的なショー。魅力的な歌姫ロラもいる。建築途上のサグラダ・ファミリアがちらりと映ったりする(もちろんVFX)。1920年代の風俗、服装や車がノスタルジック。武器強奪は誰の仕業なのか、ウリアルテの正体は何なのか。二つの謎が徐々に明らかになってゆく。

当時のスペインは軍がクーデタを起こし、軍による独裁政権の下で左右の対立が激化していた。植民地のスペイン領モロッコで反乱が起こって戦争状態がつづき、ウリアルテの背中にはそこで負った火傷の跡がある。心身の傷を負い一人で行動するウリアルテは、ダシール・ハメットやチャンドラーの小説のヒーローに近い。やがて内戦へと至るスペインの時代状況を背景にした異色のハードボイルドを楽しみました。監督はダニ・デ・ラ・トレ。

 

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May 23, 2019

『シャドー・オブ・ナイト』 インドネシアの格闘技映画

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ネットフリックスのオリジナル作品はアメリカ映画が圧倒的に多いけど、ネット配信に進出した国々でそれぞれにオリジナル映画をつくったり配給権を買ったりしている。だから、日本ではあまり見る機会のない国の映画(主にエンタテインメント系)を見ることもできる。『シャドー・オブ・ナイト(原題:The Night Comes For Us)』はインドネシアのアクション映画。

インドネシアやマレーシア、ベトナムには「シラット(プンチャック)」と呼ばれる伝統武術がある。素人の見た目では、ブルース・リーの中国拳法に関節技を加えたような実践的格闘技。実際に、軍隊や警察に取り入れられているらしい。この映画の主な役者は、シラットの男女の武術家たち。彼らが映画の冒頭から終わりまで入れ替わり立ち替わり死闘を繰り広げる。血糊の海、首や指がちぎれ内臓が飛び出し、そのすさまじさと残虐さは半端じゃない。かつての香港カンフー映画を、うんとどぎつくした感じ。

イトゥ(ジョー・タスリム)は、東南アジアに広がる麻薬組織トライアッドの殺人部隊の幹部。ある村で村人を虐殺したとき、レイナという少女を助けたことから、逆にトライアッドから命を狙われることになる。イトゥを殺すために、イトゥの昔の仲間で、やはりトライアッドの構成員としてマカオにいたアリアン(イコ・ウワイス)が呼び戻される。アリアンを筆頭に、腕に覚えのある何十人もの団員が次々にイトゥの命を狙う。イトゥはレイナを守りながら、3人の仲間とそれに立ち向かう……。

もともとシラットによる格闘を見せる映画だから、リアリズムじゃない。昭和の時代劇でヒーローが何十人もの敵をばったばったと斬って捨てたように、次々に襲いかかる相手を血みどろになりながらも叩き伏せる。そういう「お約束」の世界。インドネシアの観客はそれを楽しんでるんだろう。女対女の格闘を見せるために、レイナを守る仲間たちが危なくなると、どこからともなく黒づくめの謎の美女が現れてイトゥの仲間に加勢し、敵の女格闘家との戦いになる。謎の女の正体は、遂に明かされない。物語の整合性なんかどうでもよく、そんな説明をしている暇があればシラットの格闘を少しでも多く詰めこもうという姿勢が、いさぎよいといえばいさぎよい。

格闘の背後に写るのは、近代化しつつあるインドネシアの都市風景。高速道路や港や倉庫、イトゥが住む、ちょっと古びた感じのビルのアパート。そして海や自然風景。そういった点景が、いいアクセントになっている。

最後はお約束通り、かつての仲間であるイトゥとアリアンの対決になる。カッターの刃が口中から皮膚を破って外へ突き出たり、これまたすさまじい格闘になって、けりがついたと思ったら、さらにまた次がある。僕はカンフー(シラット)映画のファンではないし残虐趣味もないので、そのサービス精神に辟易しつつも、中国(香港)映画やハリウッドがワイア・アクションからVFXへの道をたどったのに、インドネシアのシラット映画が肉体と肉体のぶつかりあいにとことんこだわっているのに(経済的事情もあるだろうが)好感を抱いたりもした。

僕は見ていないけど、シラットをふんだんに盛り込んだアクション映画『ザ・レイド』(2011)が世界の映画祭で評判になった。ジョー・タスリムとイコ・ウワイスは、この映画でも主演を務めていたシラット格闘家。それ以来、シラット映画は盛り上がり、日本でも何本か公開されたようだ。

監督はティモ・ジャント。若い監督だけど、深みのある映像と切れのいい演出に才能を感ずる。

 

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May 13, 2019

『セレニティ 平穏の海』 青い海の非現実

Serenity

マシュー・マコノヒー、アン・ハサウェイ、ダイアン・レインと魅力的な役者がそろっているのに、『セレニティ 平穏の海(原題:Serenity)』はアメリカ国内では興行的にこけてしまったようだ。ネットフリックスが海外配信権を手に入れたのは、そのことと関係があるのかどうか。

こけた理由は映画を見ればすぐに分かる。ミステリーといっても、特に謎があるわけではない。クライマックスにいたるサスペンスも、普通のエンタメならじわりじわり盛り上げるところを、ほんの一瞬の描写であっけなく通りすぎてしまう。確かに、肩透かしをくらった感は否めない。でも、だからといってつまらない映画ではなかった。

映画全体が、これが現実なのか非現実なのか、よく分からないつくりになっている。怪しげな登場人物が、「これはゲームの一部なんだ」というセリフを繰り返す。その人物が、バグが生じたようにいきなり画面から消えてしまったりする。その奇妙なテイストが捨てがたい。

ディル(マシュー・マコノヒー)はフロリダ沖の島(架空)で釣船の船長として、何かから隠れるように暮らしている。彼は巨大マグロを何度か釣りかけたが失敗し、「ジャスティス(正義)」と名づけたそのマグロを釣ることに情熱を燃やしている。ある日、元妻のカレン(アン・ハサウェイ)がディルの前に現れる。元妻はディルとの間に生まれた子供を連れて裕福な男と再婚したが、夫の暴力に耐えられない、釣りが趣味の夫を釣船に乗せ、沖で事故に見せかけ殺してほしいとディルに頼みこむ。ディルは新しい父親に心を開かない息子のために、その依頼を承諾する。

一方でディルが巨大マグロを「ジャスティス」と名づけたり、釣船の名が「セレニティ(平穏)」だったりする非現実感に対して、バハマ諸島あたりをイメージしているのかアフリカ系住民が住む色彩豊かな港町のストリートのリアル感がとてもいい。港に一軒だけのバー兼レストランの、いかにもそれらしいオーナー。バーの定席にいつも座っているアフリカ系の老人。港が見える家に住む、ディルの愛人コンスタンス(ダイアン・レイン)との束の間の情事。コンテナを改装したような、ディルの殺風景な家。ひとりだけスーツにネクタイで、ディルにつきまとう釣具会社の謎めいたセールスマン。

元妻の夫を殺すことを心に決めたディルが、島の地図を取り出して広げる。島の周囲の海域にはバハマ諸島があるはずだが、地図にはただ海が広がっているだけ。ふっと入りこむ非現実。

監督のスティーブン・ナイトは脚本家として知られ、クローネンバーグの『イースタン・プロミセズ』も彼の手になる。そうと知って、このテイストも納得。現実と非現実のからくりは最後に明らかになるけれど、青い海と、脳内の妄想がうまく絡みあって、サスペンスとは別の味わいの映画でした。

マシュー・マコノヒーがいいな。

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April 23, 2019

『鋼鉄の雨』 韓国の政治エンタテインメント

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Steel Rain(viewing film)

南北分断を逆手にとって政治・アクション・友情の物語をエンタテインメント映画に仕立てるのは、いまや韓国映画の得意技。ネットフリックス・オリジナル(韓国で公開された後、ネットフリックスがグローバル版権を獲得)『鋼鉄の雨(原題:강철비)』もそんな一本だった。数年前の北による核実験とミサイル発射、アメリカによる先制攻撃論、韓国の大統領選挙・政権交代といった政治情勢をうまく取り入れ劇画っぽく誇張しながら、男と男の友情物語になっているのが面白い。

主人公は北朝鮮偵察総局の工作員オム(チョン・ウソン)と韓国の大統領府外交安保首席クァク(クァク・ドウォン)。

オムは上司の偵察総局長から、軍にクーデターの計画があると知らされ首謀者を殺すよう命じられる。北の党委員長「一号」は核ミサイルを開発したがそれを使おうとせず、米国との交渉の道具にしていることに軍の強硬派が反発しているらしい。

「一号」が出席する開城工業団地の式典で、オムが軍幹部を暗殺しようとしていると何者かによるヘリ攻撃があり、「一号」は重傷を負う。オムは歓迎に動員された少女二人と「一号」を助け、混乱に乗じて韓国国境内に逃げ込む。オムは近くの町の産婦人科に押し入り、居合わせた女医に「一号」を治療するよう脅す。女医はクァクの元妻である医者の友人で、やがて元妻とクァクも産婦人科でオムと顔を合わせることになる。

やり手の工作員らしく切れのいい格闘アクションを見せるオムと、仕える大統領からいまひとつ信頼されず、小太りでつい愚痴が出るクァクと、「バディ・ムービー」の定番ともいえる対照的な二人のやりとりが分かってはいるけど楽しめる。クァクの娘も、北で密かに聞いているオムの娘もG-DRAGONの歌が好きで、車のなかに流れる音楽が対立し喧嘩していた二人の感情を和らげる役目を果たす。

任期末の韓国大統領は、この際、北をつぶしてしまおうという強硬派。新しく選ばれた大統領は南北融和派。現大統領は米国に攻撃を要請し、米国は核搭載機を発進させる。搭載機が北に達するまで猶予は十数時間。クァクは新大統領と協力しながら、「一号」を治療してオムとともに北に戻そうと試みる。北の軍強硬派の工作員が、「一号」を暗殺しようと攻撃してくる。オムの上司である偵察総局長が事態を収拾に地下トンネルで韓国にやってくるが、これが実は……と、どんでん返しもあり。

この映画は文在寅政権下の2017年に公開されているから、当然のことながら全体として南北融和という大筋のなかで物語が進行していく。でも部分的には、北の軍強硬派が核ミサイルをぶっ放し自衛隊のイージス艦が日本海上でこれを迎撃、核爆発が起こるとか 刺激的な描写もある。最後に「かくして韓国も核武装しましたとさ」という結末になるのは、(日本の一部にそういう勢力があるように)韓国の一部にもそうした願望があることの表れだろうか。監督はヤン・ウソク。

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April 10, 2019

『アウトサイダー』 J・レトの花田秀次郎

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The Outsider(viewing film)

1950年代大阪を舞台にした米国製ヤクザ映画。主演は『ダラス・バイヤーズクラブ』でアカデミー助演男優賞を得たジャレッド・レト、監督は『ヒトラーの忘れもの』が話題になったデンマーク出身のマーチン・サントフリートとくれば、どんな映画か見たくなるってもの。ネットフリックスが『アウトサイダー(The Outsider)』の世界独占配給権を買ったのも、その異色の組み合わせにあったかもしれない。

見ていて、過去のいろんな映画の断片や記憶が呼び起こされた。『ブレードランナー』『ブラック・レイン』『仁義なき戦い』『キル・ビル』『アウトレイジ』、そして『昭和残侠伝』などなど。

『ブレードランナー』はリドリー・スコットらしい美学的なオリエント趣味の映画という意味で。『ブラック・レイン』を経由して、『アウトサイダー』もその延長上にある。『ブラック・レイン』とこの映画は大阪が舞台ということで共通しているが、映像的にも影響を受けているんじゃないかな。『ブラック・レイン』は冒頭、機上からながめる阪神工業地帯の工場群と煙突の煙が印象的だったけど、この映画でも似たショットが繰り返し出てくる。

元米兵で日本で犯罪を犯し服役中のニック(ジャレッド・レト)は、囚人仲間に殺されそうになった清(浅野忠信)を助けたことから、大阪のヤクザ白松組組員である清の引きで客分となる。白松組は年老いた親分(田中泯)をオロチ(椎名桔平)が補佐しているが、大阪に進出してきた神戸のヤクザに押され、小競り合いがつづいている。ニックは白松組の先兵となり、親分の信頼を得て杯をもらう。

対立するヤクザ組織の抗争という設定は、言うまでもなく『仁義なき戦い』や『アウトレイジ』を下敷きにしてる。椎名桔平など、『アウトレイジ』からそのままこの映画に移ってきたみたい。設定だけでなく、指を詰めるシーンも共通。『仁義』では指を詰めるシーンにはコミカルな味があったが、こちらはまるで羊羹でも切るようにスッと指を切り落とす。

ニックは清の妹(忽那汐里)と愛し合うようになるが、オロチも妹に執心している。オロチは白松組を見限り、神戸の組織と手を結ぶ。親分が命を狙われ、清も命を落とす。ニックは、妹を守るためにと清から手渡された日本刀を手に、、、。

『仁義』や『アウトレイジ』は熱気あふれる映画だったが、この映画は登場人物も声高に叫ばず、全体に静かな印象がある。それはニックが口数少なく、無表情でいることと関係しているだろう。この主人公の人物造形のモデルは、僕の見るところ『昭和残侠伝』の高倉健ではないか。ジャレッド・レトは役になりきることで有名な役者だけど、でも文化的な基盤を僕らと共有しているわけではない。高倉健の無口と無表情に、僕らは憤怒や悔恨といったいろんな感情が満ちあふれているのを理解するけど、ジャレッド・レトからは無口と無表情以上のものを感じられない。

だから作り手の思いとしては高倉健の花田秀次郎でも、ジャレッド・レトのニックの生きざまにすっと一本筋が通っているように見る者に受け取れない。最後の殴り込みも、花田秀次郎はがんじがらめの日本的しがらみをぶった切ることで見る者にカタルシスを与えたが、ニックのそれはオロチの裏切りによって清が死んだことへの個人的怨恨を晴らすためのように見えてしまう。ラストでニックが妹と抱き合うのも、その印象を強くする。カタルシスは来ない。

いまひとつ残念だったのは、そういうものから切れた『ブラック・レイン』から30年もたつのに、観光客レベルのオリエンタル趣味(大衆演劇ふうの心中劇や相撲、刺青、日本刀──これは『昭和残侠伝』というより『キル・ビル』)が出てくること。逆に驚いたのは、1954年の大阪という設定を不自然に感じさせないロケをしていること。実際に大阪で撮影したようだけど、路面電車の走る市街などはどこだろう。夜、山の麓の市街を電車が光をあふれさせて走る、神戸らしきショットも印象的だ。

あれこれ言ったけど、ともあれ楽しめる映画ではありました。

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