『マ・レイニーズ・ブラックボトム』の尊厳
ネットフリックスのドラマ『ハウス・オブ・カード』を見はじめたら、まだ終わらない。野心に満ちた上院議員夫妻が大統領を目指す長大な物語で、権謀術数の連続に殺人までからみシーズン5まである。だから、同じネットフリックスでも映画から遠ざかっていた。久しぶりに見たのが『マ・レイニーズ・ブラックボトム(原題:Ma Rainey's Black Bottom)』(ジョージ・C・ウルフ監督)で、「ブルースの母」と呼ばれるブルース・シンガー、マ・レイニーが主人公(タイトルは彼女が歌う曲の名)。
もともと評価の高い芝居を映画化したものだそうだ。だから場面転換の少ない設定やセリフ回しに演劇的な匂いが残っているけれど、映画としてもたっぷり楽しめる。映画ならではのリアリティーで再現されているのは、ひとつは1920年代アメリカ南部のアフリカ系コミュニティで開かれていた歌と踊りのテント・ショー。スポットライトを浴びたマ・レイニー(ビオラ・デイビス)が歌っていると、バンドの若いトランペット、レヴィ(チャドウィック・ボーズマン)がアドリブを始める。リーダーのマ・レイニーがそれを嫌ってスポットライトを自分に戻させる。マ・レイニーの自信に満ちた態度と、その音楽を古いと思っているレヴィの新しいジャズへの志向が一瞬にして示される。そしてもうひとつ見事に再現されているのは、南部アフリカ系住民が北へと移動した先のシカゴの、摩天楼と行きかう自動車の都会風景。レコーディング・スタジオでの録音風景も、テイクに失敗するとレコード原盤がゴミ箱行きになるとか興味深い。
当時、ブルースはまだ白人社会の外のもので、アフリカ系に向けた黒人音楽を専門に「レイス・レコード」というのがつくられていた。人気歌手のマ・レイニーが録音のため、バンドとともに南部ジョージアからシカゴのスタジオにやってくる。 録音現場でもスターで独裁者のマ・レイニーと、伴奏者でなくジャズっぽい自分の音楽を演奏しようとするレヴィの確執がある。さらにもうひとつ確執がある。マ・レイニーのマネジャーとレコード会社のオーナーは白人。白人マネジャーは、コーラが準備されてないとかわがままを言うマ・レイニーのご機嫌をとりつつ、マ・レイニーを金儲けの道具としか見ない白人オーナーとの間であたふたする。一方でレヴィは自分の曲のレコーディングを白人オーナーに売り込み、オーナーはレコードは出せないが曲を1曲5ドルなら買ってやると言う。ミュージシャンの世代的対立と、人種がからんだ構造的差別と、二つの確執が音楽と言葉によって物語られる。
若く反逆的なレヴィが白人オーナーの注文に対して、「イエス・サー」と答える。その従順な答えをバンド・メンバーにからかわれたレヴィは、自分がなぜ白人に対して「イエス・サー」と言ったのか、その理由を子供時代の差別体験から説明し、それは自分の戦略的な態度なんだと長セリフで説く。このあたり舞台劇の匂いが濃厚。
それと対照的にマ・レイニーは、バンドメンバーに対しても白人オーナーに対しても自分のやり方を断乎押しつける。それは時に厚かましくもあるけれど、 彼女の世代のアフリカ系にとっては自分が力をもつこと、その力をもって自分の意思を貫き通すことこそが自らの尊厳を保つやり方だったのだろう。
プロデューサーは俳優のデンゼル・ワシントン、音楽はブランチャード・マルサリスと、映画界とジャズ界の大御所。アフリカ系アーティストが中心になってつくられたメッセージ性の強い映画であるとともに、南部やシカゴでの、まだブルースとジャズが未分化で混沌としていた時代を映像で追体験できたのが楽しかった。レヴィを演ずるチャドウィック・ボーズマンは去年見たネトフリの『ダ・ 5ブラッズ』にも出ていたけれどガンで若死にし、『マ・レイニー…』が遺作になってしまった。劇作家でもあったらしいが、惜しい才能。
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