April 15, 2009

『唐川びとへ』 山里の風景

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島根県出雲市に唐川(からかわ)という小さな山里がある。谷々に点在する54戸、人口は179人。唐川茶と呼ばれるお茶の生産地として知られる。

ここには韓竈(からかま)、斐代(ひしろ)という「風土記」以来の古い神社があり、この神社を中心に祭りや神楽や獅子舞が昔と変わらず営まれている。そんな「唐川びと」の暮らしを写真と文章で追ったのが『唐川びとへ』(写真・白谷達也、文・古澤陽子、ラトルズ刊、2400円+税)だ。

何軒もが共同で作業する新茶つみ。新茶まつりでは、小学生が自分で摘んだお茶をたてるテントの喫茶店が出る。大祭の神楽では、大人にまじって小学生や女の子までが舞う。お祭りや神事に使う道具は竹や榊などすべてを集落のなかで調達する。和紙もここで漉いたもの。獅子舞の笛も近くの竹を切ってつくる。

そんなふうに家族ぐるみで手づくりの生活が営まれているさまを見ていると、ここでは資本主義以前、貨幣経済以前の暮らしが奇跡的に残っているように感じられる。

もちろん都会に出てゆく子供世代がおり、農業でどう食ってゆくのか、唐川も今この国が抱える問題と無縁でありうるはずもない。けれど、神楽や獅子舞といった神事が親から子へ継承され、集落をあげての楽しみになっていることを核にして、共同体が共同体としてきちんと働いているように見える。

写真家の白谷と記者の古澤は10年以上の歳月をかけて「唐川びと」を追ってきた。きっかけはグラフ雑誌の取材だったようだけど、途中からは私的な訪問になったという。「取材というよりも休息を求めて通っていただけかもしれない」と彼らは書いているが、そんな息の長いつきあいがあって初めてこうした丹念な仕事が可能になったのだろう。


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November 18, 2008

『binran』の妖しい光

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1年間、日本にいなかったので、その間にどんな写真集が出たか知りたくて新宿の写真専門書店「蒼穹社」に出かけた。島尾伸三の中国ものを集大成した『中華幻紀』とか、何冊か気になる写真集があったけど、特に目を惹かれたのが瀬戸正人の最新刊『binran』(リトルモア)だ。

binranは漢字で書けば檳榔。台湾語で「ビンラン」、日本語だと「びんろう」になる。

15年ほど前、仕事と遊びの両方で頻繁に台湾に出かけた一時期がある。車で台北郊外の道路を走っていて、「檳榔」という看板の出た粗末な小屋をたくさん見かけた。檳榔の売店だった。

檳榔はヤシの一種で、果実の種にはある種の覚醒作用がある。まあ、噛みタバコみたいなものと思えばいい。口のなかでくちゃくちゃやったあと、ぺっと吐くと、真っ赤な血のような唾が路上に散る。当時、台北の町の近代化を進めていた市当局にとっては悩みの種だったらしい。

台湾人の友人に「一度、やってみたいな」と言ったら、「やめてください。台湾の恥です」と言われたことがある。

その檳榔の売店を50店近く撮影したのがこの写真集だ。

びっくりしたのは、僕が見た1990年代には掘っ建て小屋みたいだった売店が、最新のこの写真集では派手なネオンが彩るガラス張りに変わり、おまけにガラスの奥には必ずミニスカートの若い売り子が太ももを露わに座っていることだった。檳榔の売店が今でもしぶとく残っているばかりでなく、こんな姿になっているとは!

写真集のなかで闇に浮かぶ檳榔店は、まるで深海の底で照明を当てられた水槽か、夜の誘蛾灯みたいな妖しい光を放っている。誘蛾灯というのはこの場合比喩じゃなく、檳榔を買う客のほとんどは男だから、蛾ならぬ男を誘惑するための装置がこのネオンとガラス張りとミニスカートの女性というわけだ。

瀬戸正人はすべてを一定のスタイルで撮っている。必ず夜。「水槽」をやや角度をつけて画面の大部分に取り込み、周囲の建物や道路の様子もさりげなく写し込む。スナップではなく、ミニスカートの女性にポーズしてもらう。

中判カメラ(多分。最新のデジタル一眼レフは中判並みの描写をするけど、画面縦横の比率は35ミリでない)の細密な描写がそこにある細々としたものまで写しとり、見る者はまるで誘蛾灯に誘われるように(僕も男だし)それらに目をこらすことになる。

額縁みたいにガラス窓を飾る原色のネオン。そのなかにいるミニスカートの女性たちの、いかにも水商売ふうなチープな衣装。そばに置かれたブランドものバッグや化粧道具、鏡。飲みかけのペットボトル。ミッキーマウスのぬいぐるみ。金色の招き猫。檳榔を入れたプラスチック籠。ビニール貼りのピンクのイス。立てかけられたビニール傘。古ぼけた扇風機。入口に置かれた女戦士のフィギュア。錆びた鉄骨。

そんな台湾のマーメイドたちや町のたたずまいを、画面の隅々まで楽しんでいると、1枚の写真に4分も5分も滞留してしまう。見ることの快感を実に感じさせてくれる写真集だね。

なお「biinran」は写真集に先立って昨年、写真展が開かれ、瀬戸正人はそれによって日本写真協会賞を受賞している。

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February 12, 2007

『はこだて 記憶の街』とMoleの復活

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路上の人と風景を一瞬で切り取るスナップショットという写真の技法は、小型カメラ、特にライカの出現によって可能になったと言われる。

1925(大正14)年に発売されたライカA型は、小さなボディに高性能レンズをつけ、映画用の35ミリ・フィルムを使うことで、三脚を使わず、手持ちのまま素早く連続して何枚もの撮影ができるカメラだった。日本では1930(昭和5)年に木村伊兵衛がライカA型を手に入れ、東京の下町のスナップショットを撮って評判になっている。スナップショットは、カメラの小型軽量化という技術革新が新しい表現のスタイルを生み出したひとつの例といえるだろう。

ところで熊谷孝太郎の写真集『はこだて 記憶の街』(Mole刊・2940円)を見ていると、木村よりも一時代前に、地方都市のアマチュアがたくさんのスナップショットを試みていて、その質の高さにびっくりさせられる。

舞台は大正末から昭和初期の函館。撮影した熊谷は函館近郊に住む豊かな地主で、カメラに熱を上げるアマチュアだった。

春浅い季節だろうか。雪解けのぬかるんだ通りを、髷を結った着物姿の女性たちが歩いている。まだ寒いのだろう。みな肩にショールをかけ、すぼめたばかりの蛇の目傘を濡れないよう逆に持っている人もいる。髷に雪がかかったままの人もいる。カメラに向かって微笑んでいる美しい女性は知り合いなんだろうか。

当時の函館にはかなりの数の亡命ロシア人も住んでいて、毛皮のコートと帽子といういでたちの彼らも何人もスナップされている。大陸に向かって開けた港町には洋風の建物も多く、彼らもその風景のなかでまったく違和感がない。

そのうちの何枚かに、撮影する熊谷自身の影が写りこんでいる。頭をかがめ、胸の前に持ったカメラを上からのぞきこんでいる。むろんライカは発売されていない。残された原板はフィルムではなくガラス乾板だというから、小型の蛇腹カメラなんだろう。シャッターを一押しするごとに乾板を交換しなければならない。

ライカみたいな高性能のカメラではないから、速いシャッターは切れない。きっちりしたフレーミングもできない。いちいち乾板を交換するのも面倒だ。だからこのころ路上でスナップショットを撮るアマチュアはほとんどいなくて、絵画みたいに静かな風景を撮るのが大流行だった。

熊谷が当時の流行に背を向けて、なぜスナップショットを撮ろうと思ったのかはわからない。でも彼の写真を見ていると、スナップショットには不向きなカメラの技術的マイナスが、この場合、逆にいいほうに結果したんじゃないかと思えてくる。

この町で顔を知られていたにちがいない名士が、小さなカメラをもって路上に立っている。カメラが趣味であることを知っている人も多かったろう。写真館の技師や新聞社のカメラマンみたいな大げさな器械でもなく、機敏に動き回るわけでもなく、ゆったりとカメラを操作しては通りがかる人々を撮影している。裕福な旦那らしく、人の良さそうな笑顔(セルフポートレートによる)を浮かべた彼に、人々は思わず笑顔を向けてしまう。

そんなふうに熊谷孝太郎は、手にしたカメラとともにすんなりと町の空気に溶けこんでいるように見える。写す側の自然なふるまいは、写される側の自然さをも引き出す。だからこそ、80年前の町と人がこんなにも生き生きと感じられるんだろう。

発売元のMoleは、かつて東京・四谷にギャラリーを持ち、意欲的な写真展と出版を手がけていた。函館に拠を構えての復活を喜びたい(函館市豊川町9-23)。


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November 10, 2006

篠山紀信と宮本隆司

天下のシノヤマと廃墟建築の写真で知られる宮本隆司を並べたのは、別に2人の写真家に共通点があるとか、比べてみようというわけじゃない。ここ数年、アート・ギャラリーが次々にオープンしている六本木は芋洗坂へギャラリー巡りに行ったら、たまたま2人の写真展がごく近くで開かれていたから。

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(写真展DM)

篠山のは「TIME DIFFERENCE」(T&G ARTS、11月11日まで)。

女優・高岡早紀の12年前(モノクローム)と現在(カラー)とを組み合わせて展示している。石田えりや水沢アキでやった女優の「過去と現在」シリーズのひとつ。ちょっと高級なアイドル写真集として出版された最新刊のなかからエッセンスを抜き出し、2つの時をシンクロさせることでアートとして再構成してみせた趣がある。

そのうちの何点かは、同じポーズをした過去と現在の写真が、ひとつのフレームのなかに並べられている。モノクロとカラー。ヌードと着衣。1994年の鮮烈な肉体と、2006年の女優としての成熟と。

女性の微妙な表情(顔と肉体の)を引き出す篠山のうまさには今更ながら感嘆するのみ。

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(写真展ポスター)

宮本隆司のは「forgotton 忘れていた」(TARO NASU GALLERY、11月25日まで)。

宮本が、解体された建築物を撮った『建築の黙示録』で1989年の木村伊兵衛賞を受ける以前の作品が展示されていた。

80年代だろうか、カナダのヒッピー・コミューン。ネガに黴が生えた愛猫らしき写真。東南アジアの植民地様式の洋館。草むらに放置された無人の館は、その後の彼の仕事を予感させる。香港とおぼしき都市の夜の屋台やフェリー。へえ、こんなスナップショットも撮っていたのか。伐採され横たえられた大木。その物質感は後の宮本の写真に通ずるものがある。

国際的に評価の高い、むしろ海外での活動が目立つ宮本の、若き日の「忘れていた」写真たちが微笑ましいね。

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February 22, 2006

『picnic』に流れる感情

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仕事で、ある女優さんの若い頃の写真を見る機会があった。深い海の色をした地中海が背景に見える南仏で、彼女は美術館の石積みの壁に上体をもたせかけて撮影者を見つめている。頬近くに寄せた右手の指をかすかに折って壁の石を撫で、ちょっと上目遣いにカメラを見ている彼女のエキゾチックな微笑はなんとも親密なもので、こんな個人的な親しさを感じさせる瞬間を捉えるとは、「女性専科」と呼ばれているとおり、かの写真家はすご腕だなと思った。

それからしばらくして、この写真家と女優は写真が撮られた時期、恋人同士だったらしいことを知った。やっぱりね、あの表情はただのモデルが見せるものじゃないよな、と納得したものだった。

写真はカメラという機械が撮るものなのに、びっくりするほど人間的感情を写しこんでしまう。撮影者と被写体の間に流れている感情、あるいは被写体となった人たちの間に流れている感情。さまざまに彩られたそれらを読み解くのは、写真を見る楽しみのひとつだ。

瀬戸正人の『picnic』(発行:PLACE M、発売:月曜社)は、そんな快楽を存分に味わうことのできる写真集だった。代々木公園はじめ、東京の公園や河原で声をかけて撮った58組のカップルの肖像。

それぞれのカップルは、木陰の草むらやシートの上で抱き合ったり、膝枕をしたり、寝そべったり、思い思いのポーズを決めている。動きの少ない静止したポーズを取っているのは、おそらく瀬戸正人が意識的にそうしているからだろう。東京に住む若者や外国人を彼らの居間で撮影した、かつての『Living Room, Tokyo』と同じスタイル。おそらく中判カメラを使っているため、瞬間的なスナップショットではなく記念写真のような雰囲気が感じられることも共通している。

写真家とカップルは知り合いではなく、初対面での撮影。だから撮影者と被写体のあいだに個人的感情は流れていない。公園の緑という背景も、真ん中にカップルを置く構図も、カメラの位置も、写真のスタイルはすべて同じ。だから、撮影者と被写体との関係はどの写真も一定で、しかも写真家の存在は限りなく透明に近い。そこで浮かび上がってくるのは、緑のなかで戯れているカップルの、男と女のあいだにどんな感情が流れているのかということだ。

相手を信頼しきって、まったく無防備に背中を男の体に預けている女がいる。仰向けに寝た男の腹に肘を立ててにこやかに笑っている女がいる。女の膝に頭をのせて男が寝そべっているカップルは、2人とも照れたような硬い表情をしている。幼い高校生のカップルは女の子が顔を隠している。

白人男性とアジア系らしい女性のカップルは屈託なく抱き合っている。かと思うと遠慮がちに距離を保ったカップルもいる。ホームレスみたいなカートを持ち、缶ビールでドーナツを食べる手を休め、憮然とした顔でカメラに写されている中年のカップルはどういう2人なんだろうか。

1点1点をじっくり見ていると、そこから無限の物語が紡ぎだされてくる。そんな楽しみに身をゆだねることになってはじめて、この写真集が同じスタイルの写真を60点近く重ねている理由が見えてくる。

「不幸はそれぞれ別の顔をしているが、幸福はみな同じ顔をしている」といった意味のことを言ったのはトルストイだったか。でもここに集められた写真を見ていると、幸福なカップルもそこに流れている感情と関係は均一ではなく、微細に見ればそれぞれに違うことが納得できる。60点を通しての同じスタイルは、そのわずかな差を浮かび上がらせるためにこそ必要だった。

瀬戸正人は巻末でこの作品について「恋愛のはじまりの瞬間」という言葉を使い、「消えそうに淡く、そして危ういその瞬間こそが写真かもしれません」と書いている。

ここに写された58組のカップルも、次に写されるときはもう2人のあいだに流れる感情は微妙に、あるいは大きく変わっているにちがいない。男と女のあいだに生まれる恋愛という不可思議な感情と、それを写しとることのできるカメラという機械の精妙な不思議さとが二重写しに見えてくるところに、この写真集の面白さがあると感じた。


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November 07, 2005

「ドイツ写真の現在」展

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写真展「ドイツ写真の現在」(東京国立近代美術館、12月28日まで)を見た。いろいろ感じることがあったけど、腱鞘炎なのでメモだけ。

今のドイツ写真の源であるベッヒャー夫妻の作品を大量に直に見ることができた。プリントが美しい。その後の若い写真家の仕事が、ベッヒャー夫妻の対象とのクールな距離感を引き継いでいるのがよく分かる。

ティルマンズなど既に知られている写真家は別として、初めて見てうなったのはロレッタ・ルックスの子どものポートレート(写真)。彼女の撮るポートレートは、どの子どもも無垢と空虚がないまぜになったような無表情をしている。デジタル操作をして顔と体のプロポーションを微妙に変えていることも、そんな感じを強調している。東ドイツ出身という彼女の子供時代が想像できるような作品群。

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September 28, 2005

新宿で写真展2つ

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荒木経惟「飛雲閣ものがたり」(エプサイト)

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迫川尚子「ダンボール村 96.1.24-98.2.14」(BERG)

新宿で写真展を2つ回った。

西口・三井ビルのエプサイトでは荒木経惟「飛雲閣ものがたり」(~11月3日)。

飛雲閣は京都の西本願寺境内にある楼閣。普段は一般公開されていないので、僕も塀越にながめたことしかない。金閣・銀閣と並ぶ京の三名閣のひとつで、聚楽第から移築されたと伝えられる。秀吉の聚楽第といえば金ぴか趣味という先入観があるけれど、もし本当とすれば、三層で左右非対称の木造建築は洗練された品の良さを感じさせて、聚楽第に対する興味がつのる。アラーキーの写真は、この建築をモノとしてではなく風景として撮影している。

エプサイトはエプソンがやっているギャラリーで、プリントはいつもデジタル出力(撮影はフィルム・カメラのことも多い)。このプリントを見ていると、すでに銀塩のプリントを超えているな、と思う。

迫川尚子「ダンボール村 96.1.24-98.2.14」(~9月30日)をやっているBERGは、東口駅ビルの地下、改札を出てすぐのところにあるカフェ。食材の質と味にこだわりの店で、僕はここでいつもコーヒーやギネスを飲み、小腹がすいているときはランチを取る。狭い店内の壁を使って、時々、写真展が開かれている。

迫川はこの店の副店長で、新宿のストリート・スナップを集めた写真集も出している写真家。今回のは、かつて西口地下にあった「ダンボール村」を記録したものだ。迫川は2年間、毎日、この「村」に通ってホームレスたちとつきあった。彼らの肖像や、ダンボール・ハウスに描かれた絵を撮影したプリントが壁いっぱいに貼られている。

彼女は「これは自分に向けて言うのですが、ホームレスが現実の問題である限り、ダンボール村を個人の感傷的な思い出にしたくはありません」と書いている。

迫川の文章は店が発行している「BERG通信」に載っているのだけど、この充実したミニコミ紙を読むのも、店へ行く楽しみのひとつ。

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September 14, 2005

ブラッサイの「夜のパリ」

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『夜のパリ』(みすず書房)

フランスの写真家ブラッサイの、国内で初めての回顧展が開かれている(「ブラッサイ ポンピドゥーセンター・コレクション展」東京都写真美術館、9月25日まで)。

ブラッサイといえば、何よりまず1930年代の<パリ写真>が思い浮かぶ。『夜のパリ』(1932)と『未知のパリ、深夜のパリ』(1976)は、2つの世界大戦間のパリの、夜の都市の美しさと退廃と犯罪といった濃密で危険な魅力を余すところなく描きだした写真集だった。日本語版(みすず書房、『夜のパリ』は1987年の再版)も、フランス語版と同時に現地で印刷された素晴らしい仕上がりで、この20年、何度本棚から取り出しては繰り返し眺めたことか。

そのオリジナル・プリント、ヴィンテージ・プリントが見られるというだけで興奮する。「カフェの恋人たち」「霧の中のポン=ヌフ」「<スージーの館>にて」「宝石の女」といった代表作がずらりと並んでいる。もっとも、そのプリントは割合にコントラストが低く、写真集のようには暗部の黒が潰れていなくて逆に中間の階調が豊かに描写されている(戦後、MoMAのために焼いたプリント群だけは写真集と同じようにコントラストが強い)。写真集の黒っぽい印刷を見慣れた目には、ちょっと意外な感じがした。

ブラッサイはプリントの淡いコントラストと写真集の強いコントラストの、どちらを好んだのか。それは分からない。ただ、作家が自らつくったプリントのほうが、大量印刷された印刷物より作家の意思に忠実だし価値があるはずだという、ベンヤミンの複製芸術論を逆さにした常識論はひとまず疑ってもいいかもしれない。特に『夜のパリ』はエリオグラヴェールという写真版画の手法で手工芸的に印刷されている。ブラッサイが、当時のプリントでは出せない深々とした黒の描写を、印刷でもって再現しようとした可能性はないだろうか。

そんなことを考えたのも、先日、ある写真家から、かつてプリントでは出ない調子を印刷で再現しようとしたことがある、という話を聞いたから。……などともっともらしいことを書いたけど、これは写真集の調子に長年親しんできた僕の「ひが目」かもしれない。あるいは、MoMAのプリントからも伺えるように、戦前と戦後という時代によって異なる好みの差なのかもしれない。

この写真展の見どころは、実は「夜のパリ」シリーズ以外のところにある。今まできちんとした形で見る機会が少なかった「昼のパリ」「落書き」「ヌード」のシリーズ、さらには写真以外の彫塑や素描が展示されている。特に「落書き」シリーズは、パリの壁に彫り込まれた落書きが示す時間の厚みと無名の人々の想像力が、ブラッサイの深みのあるプリントに定着されていて圧巻。

家へ帰って、さっそくブラッサイの2冊の写真集を取り出し、久しぶりにじっくりと眺めた。

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July 28, 2005

森山大道のブエノスアイレス

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『DAIDO MORIYAMA BUENOS AIRES』(講談社)と印字された表紙をめくると、見返しに旅客機の機内を写した写真が現れる。次にページをめくると、上空から眺められた夜の都市。闇に浮かんだ光の波のような光景がぐぐっと高度を落としながら近づいてくる。さらにページをめくると、着陸して席を立ち始めた乗客と、今しがたタラップを降りてきた航空機を振り返るショットが続き、再び「BUENOS AIRES」と記された扉が現れて、写真集が始まる。

この「旅」の写真の一点一点、その隅々から言いようのない幸福感が漂ってくるのを感じた。この感覚はどこかで記憶がある、と頭のなかを検索したら、引っかかってきたのは森山大道がかつて『アサヒカメラ』に連載した「何かへの旅」(1971)だった。

「何かへの旅」は、同誌を発表の場にした「アクシデント」(1969)と「地上」(1973)の間にはさまれた、森山の初期の代表作ともいえる3部作の2作目。直後の1972年には、「自身と写真との肉離れ」の感覚から方法的な疑問に突き当たり、何が写っているのかも分からないネガの切れはしや雑誌・テレビの複写で構成した、当時も今もなかなか理解しにくい写真集『写真よさようなら』(写真評論社)を出している。

そこから森山大道の痛苦に満ちた長い道行きが始まるのだけれど、「何かへの旅」は、「写真よさようなら」と告げる直前の一瞬の幸福感というか、自身の意識と方法論と写される現実とが幸せに出会っているという感覚を見る者に与える。

「アクシデント」には方法的な実験があり、また「地上」が「さようなら」を告げた後の試行錯誤に満ちているのに対し、「何かへの旅」では森山の抒情的な資質と「ブレ・ボケ」と言われた大胆な表現とが「旅」という空間移動のなかで葛藤なく出会い、ある種の安定した表現を生みだしている(実はその安定こそが、これでいいのかという方法的な懐疑を生じさせたのかもしれない)。

ぶっちゃけて言えば、「名作」がたくさんあるのだ。三沢の犬。北海道の馬と、地平線。光に溶けるポプラ。海峡の連絡船。好みだけで言えば、僕は3部作のなかで「何かへの旅」をいちばん好む(主な作品は中央公論社の「映像の現代」シリーズ10『狩人』に収録)。

『BUENOS AIRES』は、三十数年の長い長い迂回をへて、ふたたび「何かへの旅」へと回帰した作品のように僕には思えた。90年代以降の森山は以前にも増して活発に作品を発表し、その表現はいよいよ深みと完成度を増して若い世代の読者を獲得したけれど、「何かへの旅」に通ずるこんな幸福感を感ずることは少なかったように思う。

ブエノスアイレスは、まるで彼が訪れるのを待ちかねていたように、森山が感応する被写体を次から次へと彼の目の前に差し出してくる。荒んだ街路をうろつく犬。エロティックな看板。逆光に光る線路とプラットフォームの影。港の貨物船と、黒々とした鉄橋。回るメリーゴーラウンド。石畳を走る少年。座り込む少女。腰まで届く金髪の女の髪。クラブで、路上で、タンゴを踊る男と女。その裾の割れ目から覗く黒い網タイツ。

写真はまぎれもなくブエノスアイレスの現実を記録している。それでいながら、森山大道の目を経由し、光と影という魔術的な皮膜一枚をかぶせられることによって、現実のブエノスアイレスは想念のなかの街へと姿を変えている。その快感と官能。

30代前半の森山だったら、その出会いの幸福にかえって不安と疑問を感じたのかもしれない。でも30年後、ブエノスアイレスで森山が出会いを楽しみながらシャッターを押しているのがとてもよく分かる。そのリズムが伝わってくる。トップランナーとして40年を走りきった、そして今も走っている年季と自信と余裕だろうか。

7月31日まで新宿のエプサイト(西口・三井ビル)で、8月6日まで茅場町のギャラリーTIGで、それぞれ展覧会も開かれている。森山フリークは必見です。


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March 13, 2005

松江泰治 見下ろされた都市

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松江泰治の『CC』(大和ラジエーター製作所)は、見下ろされた都市の写真集である。

どの写真も、おそらく百数十メートル前後の高さから一定の視野、一定の角度で都市が見下ろされている。写っているのはビルと屋根と窓と、散在する緑。空中写真ではない。航空機からの視覚にくらべれば、ぐっと低い。すべて太陽が真上にある時間にシャッターを切った、陰影のない都市のランドスケープ。

いわば六本木ヒルズの展望台から見た真昼の東京。でも、人間が肉眼で見る風景と違うのは、そこに眼球の精度とは比較にならないくらい先鋭な大型カメラのレンズが据えられていることだ。そのレンズの精度と陰影を排除することによって、むきだしにされたような都市風景が展開されている。

パソコン画面などに向き合っている文明人の眼球の精度は悪いけれど、アフリカの狩猟民やアボリジニーは地平線の彼方にぽつりと現れた人間の頭を識別できるという。松江泰治の写真は、喩えていえば狩猟民が六本木ヒルズ展望台から東京を見下ろしているようなものかもしれない。

写真は、どの都市を撮っているのかが、ちょっと見にはわからない。東京なら東京都庁、ニューヨークならクライスラー・ビル(つい数年前までなら世界貿易センタービル)といった、誰にでもわかるランドマークは避けられている。ヒントは「CHI」「PAR」といった、空港につけられるような略号のみ。だから、ここはどこだろう、何が写っているんだろうと、写真の細部に目を凝らすことになる。

例えば「CHI 0254」(おそらくシカゴ)とタイトルされた作品(写真下)は、画面いっぱいに多数の高層ビル群が写っている。いちばん目立つのは直線のみで構成された直方体の、1950年代から70年代に建てられただろう合理主義一辺倒の高層ビルだが、それらに埋もれるように頭部に尖塔や、円柱とドーム屋根の装飾をほどこされた1920~30年代の高層ビルが見える。さらに、直方体をさまざまに崩したポスト・モダンな80年代以降の新しい高層ビルも見える。

大型カメラのレンズの焦点深度は深い。だから、画面いっぱいに写りこんだそれらのビル群のいちばん手前からいちばん奥まで、すべてにきっちりとピントが合っている。どこか1ヶ所にしかピントが合わない肉眼とは見え方がちがう。だからそこに捉えられたビル群は遠近感と立体感を失い、2次元の空間に面と面がひしめきあう奇妙にリアルな風景となって見る者の目に飛びこんでくる。

そんなふうに写真を読んでいくと、1枚1枚につい立ち止まってしまう。

「PAR 0354」はパリだろう。パリ市内に高い建物はないから、こちらは6、7階建てのアパルトマンが画面いっぱいに広がっている。ここでいちばん目立つのは、最上階の屋根裏部屋とその出窓だ。その連なりは、まるで都市のなかを高架の列車が走っているようにも見える。建物ごとに工夫をこらした、しかし基本的な構造は変わらない屋根裏部屋と出窓の並び具合やその屈曲が、画面には見えない街路のありかを示している。

「PEN 0219」は、たぶん東南アジアの都市のチャイナ・タウン。香港島の古い商店街と同型の家がずらりと並んでいる。表通り側には漢字と英文表記の商店の看板。裏通り側にはアジアの都市らしく洗濯物と鉢植えの植物。

そして細部にさらに目をこらしていくと、写真のそこここに通行人が写っている。身長1.5ミリから2ミリほど。レンズは、彼らが大またで歩いたり、立ち止まって2人で立ち話をしているさまを鮮明に捉えている。50階建ての高層ビルの全景と、その下の歩道をさまざまな姿勢で歩く通行人のひとりひとりが、ともに1枚の写真のなかにかっちり描写されているのだから驚く。

そして松江泰治は、ビルや建築物とともに、ひとりひとりの人間をくっきり捉えるためにこそこの高度を選んだのかもしれない、と深読みをしてみたくなる。これより高度を上げた航空機からの空中写真では、人間はおそらくただの点になり、さらに高度を上げると、ついには消失してしまうだろう。

人間がその輪郭を失ってただの点になり、あるいは消失してしまう空中からの視線とは、短絡を承知で言えば重慶ードレスデンー東京ー広島とつづく「戦略爆撃の思想」につながる視線にほかならない。高高度から爆弾を投下する「戦略爆撃の思想」においては、ひとりひとりの人間が意識されることはない。人間を点や数字に還元しなければ、非戦闘員への無差別爆撃など発想されるはずもないからだ。

松江泰治が選んだ地上の高地点は、都市の人工的風景のなかで、人間のひとりひとりが固有の輪郭を持っていることを認識できる、ぎりぎりの境界点といえるだろう。

『CC』は、そんなことを考えさせる豊かな情報と刺激にあふれ、見るだけでなく、写真を読む楽しさの詰まった写真集だった。

これまで松江泰治は、高地点に大型カメラを据えるという方法で、都市ではなく、世界の乾燥地帯の風景を撮ってきた。その成果で、写真界の芥川賞といわれる木村伊兵衛賞を受賞している。今回の『CC』をメインに、それ以前の乾燥地帯の風景も交えた写真展「CC gazetteer」が表参道のNADIFFで開かれている(4月17日まで)。


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