February 07, 2014

我がブログの解析

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analysing this blog

「Days of Books, Films and Jazz」はniftyのブログを利用して書いている。記事を書いたり、コメントやトラックバックを張ったりする管理ページのなかに「アクセス解析」という項目があり、どの記事にどれだけのアクセスがあったか、どんな手がかりからその記事を訪れたか、などを分析してくれる。

その「アクセス解析」が今月から新しい方式に変更された。新しく加わった分析がある反面、なくなってしまう分析もある。リアルタイムの分析が強化された一方、過去のデータを積算するような項目がなくなってしまう。いまアクセスしている人の何%がパソコンからで何%がスマホからなんてリアルタイムのデータがさほど役に立つとも思えない。僕には今度の変更は、過去のデータの積算など金のかかることをやめるコスト削減策としか思えないが、それはさておき。

なくなってしまう項目のひとつに「訪問回数(リピート率)」というのがある。それを見ていると、当ブログがどんな性格なのかの手がかりになるので、見られなくなる前にメモしておきたい。

このブログは2004年7月に始めたので今年で10年目。途中、ニューヨークに滞在した1年間だけ中断して、「不良老年のNY独り暮らし」という別のブログを立ち上げた。「NY独り暮らし」は今も日に30前後のアクセスがある。1月31日まで、ふたつのブログのアクセス合計は717,750(この累計アクセス数も新方式では見られなくなる)。年平均78,000アクセス、1日平均210アクセスほどの、ささやかな発信だ。

「訪問回数(リピート率)」は当ブログを訪れた人が、ここを何回訪れているのかを表にしたもの。圧倒的に多いのは当然ながら1回だけの訪問で、94.2%。1回だけということは、googleをはじめとする検索サイトでキーワード検索し、それがヒットしたことで訪問してくれたんだろう。ちなみに、わがブログでキーワードによる訪問件数が多いのは、時々の新作映画の感想を別にすれば「浦和縄文地図」「ニューヨーク・トイレ地図」「山口百恵の『夜へ』」といったところ。

残りの5.8%の人が複数回このブログを訪れてくれている。複数回といっても数回なら、キーワード検索から偶然同じブログにたどりついたケースもあるだろうから、大雑把にいって10回以上訪れてくれている人が「Days of Books, Films and Jazz」を見ると認識した上で来てくれているのじゃないだろうか。10回以上訪問してくれているのは168人。そのうち20回以上は106人。50回以上になると63人。100回以上が37人。

いちばん多い訪問回数は788回だけど、これは過去のブログで何を書いたかを調べた自分自身の可能性が高い(年のせいで映画の題名や監督、役者名なんかを忘れてしまうので)。それを除くと最多訪問回数は506回。この方が仮に僕がブログを始めた当初からの訪問者とすると、週1回平均で訪れてくれていることになる。当ブログの更新は週1、2回の頻度だから、更新ごとに見てくれている熱心な訪問者ということになる。

10回や20回の訪問なら時々見ている程度だろうけど、50回以上訪問してくれている63人ほどが雑誌でいえば「定期読者」と考えていいかもしれない。「訪問回数」と同時に見られなくなる「訪問周期」によると、毎日訪問してくれる人が10人、2日に1回が17人、3日に1回が23人、4日に1回が19人で、合わせて69人。「定期読者」の数とほぼ重なる。「定期読者」は3、4日に1度は当ブログを訪問してくれていると考えてもいいかもしれない。それは当ブログが週に1、2回の更新頻度であることと見合っている。

僕自身はこのブログをミニコミと考え、「定期読者」を中心にした少数の方々に読んでいただきたいと思って書いている。「定期読者」のなかには、以前からの知り合いで顔も名前も知っている人がいる。ブログを通してはじめて知り合い、友人になった方も何人かいる。顔も名前も知らないけれど、ハンドル・ネーム(私なら「雄」)でコメントやトラックバックをやりとりし、映画の好みなんかを了解して旧知の感覚になっている人もいる。数年前からFecebookを始め、そちらを通してもこのブログを読めるようにしたから、Facebook経由で読んでくれている人もいる。

もっとも、94%というアクセスの圧倒的多数が1回だけの訪問ということは、ミニコミという角度からだけではこのブログの性格を考えられないということでもある。このミニコミ的極小ブログも、検索サイトを入口にして無数の情報が集積し世界大の百科事典(信頼度はともかく)になっているウェブ世界を構成する要素になっている。

そちらの側面はひとまず措いて、これからも少数の顔が思い浮かぶ読み手に向けて書いていきたいと思っている。もっとも、そんな発想そのものが活字世代である小生の限界であるかもしれない。


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April 26, 2010

快楽亭ブラックを聞く

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わが隣人のIさんは川柳をたしなむ粋人なのだが、大学時代は落研にいたから落語にも強い。そのIさんから、快楽亭ブラックって噺家がいましてね、普通の寄席には出ないんだが、名前の通りブラックな落語が面白い、なんて話を聞いた。調べたら浅草で「快楽亭ブラック毒演会」なるものがあったので、さっそく出かけてみた(4月24日、木馬亭)。

瀧川鯉朝、立川談之助の後に登場した快楽亭ブラック師匠。太い眉にギョロ目、前歯の抜けた風貌からして怪しい。枕で軽く笑わせてやおら始めたのは……、とても文字にはできません。文字通りブラックな下ネタでしたね。しかも師匠はディープな日本映画評論家でもあり、男の子と女の子が入れ替わる大林宣彦『転校生』をもじったシュールな展開で、うーむ。マスコミではタブーも多い、ネタになった業界の方々が聞いたらどんな顔をするか。

名前からして落語家らしくないけど、プロフィールを見たらちゃんとした経歴の人なんですね。1952年生まれで、立川談志門下に入門。92年、二代目快楽亭ブラックを襲名して真打ち昇進。00年には芸術祭優秀賞を受賞している。しかし「放送禁止用語を連発する過激なネタにファンも多いが敵も多く、出入り禁止になった寄席は数知れず。05年、多額の借金を理由に立川流を除名」っていうんだから、噺も生き方も破滅型なんでしょう。

今日のは新作だったけど、古典や古典をブラック流に改編した噺もやるらしい。こちらも聞いてみたいもんです。

「快楽亭ブラックの出直しブログ」http://kairakuteiblack.blog19.fc2.com/には、師匠の呑む打つ日々や日本映画三昧が記され、女友達(?)の影もちらほらし、なにより落語に打ち込む姿勢が半端じゃなくて面白い。この男の生きざまを見届けたいという思いにさせられる。

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December 20, 2008

追悼・筑紫哲也さん

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(沖縄特派員時代の筑紫さん、1970年)

筑紫哲也さんのお別れ会(12月19日)に若いころの写真が掲げられていた。沖縄返還を控えて那覇特派員だったころの筑紫さんで、そうか、こんなに若かったのか。このときの沖縄体験が彼のジャーナリストとしての構えを決めることになったのは、「NEWS23」を見ていた方ならご存知だろう。

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(お別れ会で配られた冊子。写真は08年春のもの)

二十数年前、筑紫さんが雑誌の編集長をしていたころ、その下で記者・編集者をしていたことがある。

「タブーなし」が編集長の掲げる旗で、編集部員はみな好き勝手なことをし、筑紫さんはそれを見て、時に内外からクレームがつくのを楽しんでいた節がある。つくる側から言えば、雑誌が面白いかどうかはまず編集部が一体となってお祭りに参加しているかどうかにかかる。このときの「お祭り」は僕の記者・編集者生活で最大の、そして最後の体験となった。

雑誌は赤字だったけれど、筑紫さんはこう言っていた。「この雑誌は大きな儲けを期待されているわけではないが、黒字を目指そう。なぜなら、赤字を出さないことは言論の自由の基礎であり、社内的な言論の自由の基礎でもあるから」。「NEWS23」について、「生存視聴率」(番組を続けられる最低限の視聴率)と言っていたのと通ずる。「タブーなし」の一方で「赤字脱却」を掲げる。筑紫さんはそういうバランス感覚のあるジャーナリストでもあった。

毎週、最後の校正を終えると市ヶ谷の印刷所近くの居酒屋で、編集長以下、ときには外部筆者も参加して深夜の酒盛りになる。先々週、当時のメンバーが同じ店に10人近く集まった。店は代替わりしていたが、先代のおやじさん夫婦も駆けつけてくれて、一夜、筑紫さんを偲んだ。

数年前、編集者として筑紫さんへの恩返しのつもりで『旅の途中』という著書を出版したことがある。筑紫さんがジャーナリストとして接した内外の多くの政治家、音楽家、作家、スポーツ選手の肖像を描きながら同時に自伝にもなっているという本で、「僕の著書のなかでいちばんいいって、何人もの人に言われたよ」と喜んでくれたのが嬉しかった。

昨年の初夏、ニューヨークへ1年の滞在に出かける前に病院へ見舞いに行ったのが、筑紫さんに会った最後になった。「年とってから、もう一度貧乏生活をしてみる。ニューヨークはそれを楽しめる町だから面白いと思うよ」と言ってくれた。ニューヨークで、その言葉を何度も思い出した。合掌。


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November 07, 2008

オバマ勝利の報に

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パソコンがダウンしリカバリーしていたので遅れてしまったけど、オバマが勝ったのは、当然といえば当然だったね。

昨日の朝日新聞に、ニューヨークに住む青木冨貴子さんが書いていた。

「この秋から増えてきた『レント(貸店舗)』の表示や、もぬけの殻になった元金融関係事務所跡、中断された建設工事現場や目立つホームレスの姿などをあげるまでもなく、サブプライムローン問題にはじまった金融危機はとどまるところを知らない」

僕が日本に帰ってきたのは8月中旬だったので、株価暴落から金融危機に至るニューヨークを知らない。サブプライムローン問題は去年から深刻になっており、ローンが払えず持ち家を手放した人もいたはずだけど、誰の目にも見える形で表面化していたわけではなかった。むしろニューヨーク中がジェントリフィケーション(高級化)と呼ばれる建築ブームに湧いていた。

僕が住んでいたブルックリンはアフリカ系やヒスパニックなど有色人種が多く、かつては労働者の町、今もどちらかといえば中下層階級の町。そこにもジェントリフィケーションの波は押し寄せて、僕のアパートのまわりには4棟の高層コンドミニアムが建設・計画中だった。青木さんの報告のように、それらのコンドミニアムはひょっとして工事が中断していないだろうか。

ブルックリンのダウンタウンはアフリカ系住民向けの店が並ぶ繁華街で、「レント」の札がかかった空家も多かったけど、その札はいま、もっと増えているんだろうか。いつもアフリカ系の客でごったがえしていたスーパーのターゲットと隣の食品スーパーは今も繁盛してるんだろうか。

オバマはほんのいっときブルックリンに住んだことがあるらしく、ヒラリー・クリントンと民主党大統領候補の指名を争っているときも、ここはオバマ一色だった。

僕は数人と話しただけだから個人的印象だけど、オバマ支持の底にはイラク、アフガニスタン戦争への厭戦気分があったように思う。なにしろアメリカ人にとっても必ずしも理屈の立たない戦争で、どちらかといえば下層に属する数千人の兵士が死んでいる。

その後、金融危機があり、ブッシュ8年間の失敗のツケが劇的に人々を襲ったから、オバマがマケインに勝つのは当然だったけど、僕にはそれよりオバマがヒラリーに勝ったときのほうが驚きだった。

そのオバマの勝因は、戦争はもういいよ、というアメリカ人の心情が人種の壁より大きかったことによるんじゃないか。ヒラリーはイラク戦争に賛成したし、現実政治家だから大きな変化は期待できない。「変化」を期待するならオバマだ、という心情。それが底流としてあったところへ、今回は自分の生活を直に脅かす金融危機が重なった。

日本へ帰ってきた直後にロバート・B・ライシュ『暴走する資本主義』(東洋経済新報社)を読んだ。ライシュはオバマの経済部門のアドバイザーだという。一言でいえばカジノ資本主義を市民の立場、公正の観点から抑制しないと大変なことになる、という主張だったけど、いま、その通りのことが起こっているわけだ。

同時に彼は、ひとにぎりの富裕層だけでなく、大多数の人間が(年金ファンドなどで)投資しているのだから、大なり小なりアメリカ人誰にも責任があるという。

投資だけでなく、アメリカは全体として過剰消費というか、無駄も多い社会だ。車社会だからガソリンは言うに及ばず、紙ひとつとっても、デリでピザやサラダを買うと山ほどナプキンをくれるし、トイレへ行っても誰もハンカチを持ってない。家庭のガス台には元栓がなく、24時間、種火がついている。すべてが資源の大量消費を前提にできていて、誰もそれに疑問をもたない。

オバマ大統領になって、カジノと無駄と過剰消費で膨れ上がった社会が、少しはまともになるだろうか。

戦争に関しても、オバマはイラクから撤退するが、アフガンへは逆に兵力を増強すると言っている。対テロ戦争を間違いだと言ったら、彼は恐らく予備選の早い段階で負けてしまったろうが、アフガンもイラクも、いったん壊してしまった国家は元に戻らない。中東のパンドラの箱を開けてしまったことを、どうするんだろう。

まあ、少しでも世界がよくなることを期待するしかない。

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September 26, 2008

再引っ越しのお知らせ

去年の8月から今年の8月までの1年間、ニューヨークに滞在しました。そこで見聞きしたことは、期間限定で立ち上げたブログ「不良老年のNY独り暮らし」に記しましたが、このほど予定通り(要するに金を使い果たして)帰国しました。

その間、休んでいたこの「Days of Books, Films & Jazz」を再開いたします。元のように映画と本と音楽を中心としたブログになるのかどうか、自分でもよく分かりません。ニューヨークでの体験で書き残したこともあるので、そんな記事も多くなるかもしれません。よろしくおつきあい下さい。


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August 21, 2007

引っ越しのお知らせ

「Days of Books, Films & Jazz」を始めて3年になります。皆さんからいただいた、たくさんのコメントやトラックバックに背中を押されて、ここまで続けてきました。

このほど37年勤めた会社を辞めて、1年ほどニューヨークに遊びに行くことになりました。そこで、1年間限定で「不良老年のNY独り暮らし」というブログを立ち上げることにしました。英語もろくに話せない、身体のあちこちにガタがきたじじいがNYで独り、どんな生活を送ることになるのか。私自身まったく見当がつきません。

当ブログでは映画や本の感想めいたことを中心に書いてきましたが、新しいブログはもっと日々の雑感的なものになるだろうと思います。写真ももっとたくさん撮りたいと思います。これまで同様、ときどき覗いていただければ幸いです。

こちらで最後に見た素晴らしい映画、『長江哀歌』(ジャ・ジャンクー監督)の感想を書けなかったのがちょっと残念。

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August 03, 2007

NY日記 6

もぐりの「ホテル」に滞在している間、朝食は近くのデリを利用していた。斜め向かいに1軒、3軒隣りに1軒と、2軒のデリがあり、その日の気分でどちらかに行く。

3軒隣りのデリはスペイン系の親子がやっている。狭いけれどよく繁盛していて、朝など近所の人や近くの工事現場の労働者、警官まで次々にやってきてサンドイッチを注文している。僕もハムサンドイッチやマカロニサラダをテイクアウトしたけど、まずまずの味。親子ともう1人、サンドイッチをつくる店員の3人が客と大声でやりとりしながら、てきぱき客をさばいている。ここは日用品も置いてあって、コンビニも兼ねている。

斜め向かいのデリは24時間営業で中東系の親子がやっている。だから普通のサンドイッチのメニューのほかに、ケバブーなども置いてある。僕は朝から肉を食べる気になれず、チーズオムレツ、ベークド・ポテトをテイクアウトした。スペイン系の店もそうだけど、量はたっぷりで朝に食べきれず、たいてい半分は昼に残す。空腹で「ホテル」に戻り、深夜にビーフシチューをカウンターで食べたこともあるが、独特の香料を使っているらしく、なにを頼んでもケバブーみたいな味がする。

この店にはテーブルが2つとカウンターがある。スペイン系の店ほどに客は多くなく、常連がたむろしている感じだ。2度ほどレジで十数枚の10ドル札をやりとりしているのに出くわしたから、なにかギャンブルの窓口になっているのかもしれない。深夜は隣のガソリン・スタンドに来たイエロー・キャブの運転手がやってくる。だからもう一軒のデリとは、時間帯と客層をきちんと棲み分けているようだ。

レジにいるここの息子の英語が早口で口のなかでごにょごにょ言っていて、まったく聞き取れない。奥でおやじにつくってもらったサンドイッチの値段を客が申告するんだけど、僕がよくわからないでいると、つっけんどんな顔で奥のおやじに聞いている。おやじは丸っこい顔の、ごついなりに愛嬌のある男で、痩せて突っ張ってる感じの息子との取り合わせがおかしい。

深夜、眠れずに窓の外をながめると、向かいのガソリン・スタンドとこのデリに灯りがともっていて、ああまだあのおやじか無愛想な息子がいるんだなと、少しだけ心がなごむ。

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August 02, 2007

NY日記 5

今回はプライベートな用事で来たのでどこも見るつもりはなかったけど、半日ほどあいたのでチェルシーのギャラリー街を回る。

夏休みの時期とあって閉まっているところも多い。客も地元のアート好きというより、地方からNY見物にきた一団や老夫婦が多いような印象を受けた。

10軒近く回って、ふーん、という感じ。絵画、立体、インスタレーション、さまざまだけど特に強い印象を受けたものはなかった。僕は写真に興味があるせいか、どうしても絵画より写真に目が行ってしまう。回ったなかで3軒が写真を扱っていた。

なかでチャイニーズ・スクエアというギャラリーでやっていた「陳家剛(チェン・ジァガン?)近作展」が面白かったな。

変貌著しい中国の雑踏や風景を大判カメラで、しかもデジタル処理でパノラマにしたり合成したりしながらつくりこんだ作品が、大きなパネルで展示されている。あるいは、古い町並みや鉄道など「失われた風景」のなかに女性モデルをおいた作品。

現実そのままではなく、デジタル処理やモデルをおくことで現実を再構成しているところが、スタイルを重視するニューヨーカーの好みに合うのかも。大判カメラが微細に写し出す風景や町のディテールの圧倒的な質感と、モデルや写っている人々のどこかキッチュな印象とのちぐはぐさが、今の中国をそのまま映しているような気がした。

日本の写真界はかつてのスポーツと同じでアマチュアリズム(?)が強く、大金が動くアメリカのアート・シーンに巻き込まれることをよしとしない空気があるみたいだけど、中国の写真家はどんどんNYに進出しているという。それを実感したギャラリーだった。

あと、シルバースタインというギャラリーで有名写真家のコンタクト(と選ばれた作品)を展示していた。

ロバート・フランク、ダイアン・アーバス、ブルース・デビッドソン、エリオット・アーウィットらの代表作のコンタクトを見られたのは嬉しい。コンタクトを見ると、写真家が何を見、どう行動しているのかがよくわかる。印をつけて選ばれた作品の前後には、意外なものが映っていたりする。ロバート・ケネディ暗殺の瞬間を捉えた報道カメラマンのコンタクトにも見入ってしまった。

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NY日記 4

ニューヨークに26年住んでいる友人が、「日本から来ると食べ物がおいしくないでしょ」と言う。僕はグルメじゃないけど、たしかにこの街でおいしいものを食べた記憶は、二十数年前にコロンビア大学近くのレストランで食べたアフリカ料理くらいしかない。

今回も、2日目、3日目と「ホテル」近くのヘルズ・キッチンをぶらぶら歩きして入ったタイ料理と、しゃれたカフェのベジタリアン料理、どれもいまいちなんだな。で、やはりここはチャイナ・タウンで決めようと夕方から出かけた(午後6時半、地下鉄は東京のラッシュ時みたいに混んでて、体と体がくっつくくらい。昔、欧米人はこういうのを嫌うって読んだような気がするけど、背に腹はかえられないってことかな)。

ヨーロッパなどを旅行していると、どんな小さな町へ行ってもたいていは中華レストランが一軒はある。たっぷりのバターやオリーブ・オイルで食傷気味の胃には、中華レストランの看板を見ると暗夜の航海で灯台の光を見つけたような救われた気分になる。今回はまだそこまでいってないけど、うまいなあ、と満足するものが食いたい。

Canal St駅で降りてチャイナ・タウンのはずれにある利口福(GREAT NY NOODLETOWN)へ。ここはスープそばが旨いと聞いていたので、牛モツのそば。うーん、スープはだしがよく効いてコクがあって文句なし。細い麺にも腰がある。モツも臭みはまったくない(外国で食べると、ときどき匂いのうんときついのがあるでしょ)。

小ぶりな丼だったので胃にまだ余裕があり、追加して白身魚の粥を頼んだ。これも小ぶりの器で、コクといい塩味の加減といい、素晴らしくうまい。中華料理は一皿の量が多く、ひとり旅ではもてあますことが多いけど、ここなら問題なし。

ウィンドーには、つるつるの焦茶色に焼きあげられた鴨がいっぱいに吊るされていて、次はこれを試してみたいなあ。

やっぱり、困ったときにはチャイナ・タウン、だったのでした。

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NY日記 3

友人夫婦が住んでいるブルックリンのアパート周辺を案内されて散歩する。

僕はブルックリンをほとんど知らない。過去に来たとき、ブルックリン橋を歩いて渡り、橋周辺を歩いてお茶を飲んだくらい。

地下鉄R線DeKalb Av駅近くのウィロビー通りを歩きはじめてすぐ、なんだかマンハッタンとは違うなあという感触を肌に感じる。低層の商店の建物やたたずまいが都会というより、もう少し小さな町の雰囲気といったらいいか(実際には大都会の一角だけど)。

「マンハッタンといちばん違うのは?」と聞いたら、「アフリカ系が多い」という友人の答え。たしかに道行く人々にはアフリカ系が目立つ。デパートのMACY'Sで買い物をしたら、「ここはマンハッタンの店より狭いこともあるけど、品揃えがアフリカ系好み」だそうだ。

通りを一本へだてると、映画によく出てくるブルックリン・ハイツの住宅街。ブラウンストーンの建物と街路樹が落ち着いた空気を醸している。

通りを歩いていて、2人が友人に声をかけてきた。知り合いによく会うというのも、ここがマンハッタンより狭く、それだけ密なコミュニティがあるということなのかも。「エレベーターで知らない人と乗り合わせたとき、マンハッタンでは挨拶しないけど、ここだと笑顔で挨拶する」と友人。

もともとブルックリンはニューヨークとは別の独立した市だった歴史をもっているけど、川1本へだてただけで、やはり空気はちがうんだなと実感する。

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