December 20, 2008

追悼・筑紫哲也さん

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(沖縄特派員時代の筑紫さん、1970年)

筑紫哲也さんのお別れ会(12月19日)に若いころの写真が掲げられていた。沖縄返還を控えて那覇特派員だったころの筑紫さんで、そうか、こんなに若かったのか。このときの沖縄体験が彼のジャーナリストとしての構えを決めることになったのは、「NEWS23」を見ていた方ならご存知だろう。

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(お別れ会で配られた冊子。写真は08年春のもの)

二十数年前、筑紫さんが雑誌の編集長をしていたころ、その下で記者・編集者をしていたことがある。

「タブーなし」が編集長の掲げる旗で、編集部員はみな好き勝手なことをし、筑紫さんはそれを見て、時に内外からクレームがつくのを楽しんでいた節がある。つくる側から言えば、雑誌が面白いかどうかはまず編集部が一体となってお祭りに参加しているかどうかにかかる。このときの「お祭り」は僕の記者・編集者生活で最大の、そして最後の体験となった。

雑誌は赤字だったけれど、筑紫さんはこう言っていた。「この雑誌は大きな儲けを期待されているわけではないが、黒字を目指そう。なぜなら、赤字を出さないことは言論の自由の基礎であり、社内的な言論の自由の基礎でもあるから」。「NEWS23」について、「生存視聴率」(番組を続けられる最低限の視聴率)と言っていたのと通ずる。「タブーなし」の一方で「赤字脱却」を掲げる。筑紫さんはそういうバランス感覚のあるジャーナリストでもあった。

毎週、最後の校正を終えると市ヶ谷の印刷所近くの居酒屋で、編集長以下、ときには外部筆者も参加して深夜の酒盛りになる。先々週、当時のメンバーが同じ店に10人近く集まった。店は代替わりしていたが、先代のおやじさん夫婦も駆けつけてくれて、一夜、筑紫さんを偲んだ。

数年前、編集者として筑紫さんへの恩返しのつもりで『旅の途中』という著書を出版したことがある。筑紫さんがジャーナリストとして接した内外の多くの政治家、音楽家、作家、スポーツ選手の肖像を描きながら同時に自伝にもなっているという本で、「僕の著書のなかでいちばんいいって、何人もの人に言われたよ」と喜んでくれたのが嬉しかった。

昨年の初夏、ニューヨークへ1年の滞在に出かける前に病院へ見舞いに行ったのが、筑紫さんに会った最後になった。「年とってから、もう一度貧乏生活をしてみる。ニューヨークはそれを楽しめる町だから面白いと思うよ」と言ってくれた。ニューヨークで、その言葉を何度も思い出した。合掌。


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November 07, 2008

オバマ勝利の報に

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パソコンがダウンしリカバリーしていたので遅れてしまったけど、オバマが勝ったのは、当然といえば当然だったね。

昨日の朝日新聞に、ニューヨークに住む青木冨貴子さんが書いていた。

「この秋から増えてきた『レント(貸店舗)』の表示や、もぬけの殻になった元金融関係事務所跡、中断された建設工事現場や目立つホームレスの姿などをあげるまでもなく、サブプライムローン問題にはじまった金融危機はとどまるところを知らない」

僕が日本に帰ってきたのは8月中旬だったので、株価暴落から金融危機に至るニューヨークを知らない。サブプライムローン問題は去年から深刻になっており、ローンが払えず持ち家を手放した人もいたはずだけど、誰の目にも見える形で表面化していたわけではなかった。むしろニューヨーク中がジェントリフィケーション(高級化)と呼ばれる建築ブームに湧いていた。

僕が住んでいたブルックリンはアフリカ系やヒスパニックなど有色人種が多く、かつては労働者の町、今もどちらかといえば中下層階級の町。そこにもジェントリフィケーションの波は押し寄せて、僕のアパートのまわりには4棟の高層コンドミニアムが建設・計画中だった。青木さんの報告のように、それらのコンドミニアムはひょっとして工事が中断していないだろうか。

ブルックリンのダウンタウンはアフリカ系住民向けの店が並ぶ繁華街で、「レント」の札がかかった空家も多かったけど、その札はいま、もっと増えているんだろうか。いつもアフリカ系の客でごったがえしていたスーパーのターゲットと隣の食品スーパーは今も繁盛してるんだろうか。

オバマはほんのいっときブルックリンに住んだことがあるらしく、ヒラリー・クリントンと民主党大統領候補の指名を争っているときも、ここはオバマ一色だった。

僕は数人と話しただけだから個人的印象だけど、オバマ支持の底にはイラク、アフガニスタン戦争への厭戦気分があったように思う。なにしろアメリカ人にとっても必ずしも理屈の立たない戦争で、どちらかといえば下層に属する数千人の兵士が死んでいる。

その後、金融危機があり、ブッシュ8年間の失敗のツケが劇的に人々を襲ったから、オバマがマケインに勝つのは当然だったけど、僕にはそれよりオバマがヒラリーに勝ったときのほうが驚きだった。

そのオバマの勝因は、戦争はもういいよ、というアメリカ人の心情が人種の壁より大きかったことによるんじゃないか。ヒラリーはイラク戦争に賛成したし、現実政治家だから大きな変化は期待できない。「変化」を期待するならオバマだ、という心情。それが底流としてあったところへ、今回は自分の生活を直に脅かす金融危機が重なった。

日本へ帰ってきた直後にロバート・B・ライシュ『暴走する資本主義』(東洋経済新報社)を読んだ。ライシュはオバマの経済部門のアドバイザーだという。一言でいえばカジノ資本主義を市民の立場、公正の観点から抑制しないと大変なことになる、という主張だったけど、いま、その通りのことが起こっているわけだ。

同時に彼は、ひとにぎりの富裕層だけでなく、大多数の人間が(年金ファンドなどで)投資しているのだから、大なり小なりアメリカ人誰にも責任があるという。

投資だけでなく、アメリカは全体として過剰消費というか、無駄も多い社会だ。車社会だからガソリンは言うに及ばず、紙ひとつとっても、デリでピザやサラダを買うと山ほどナプキンをくれるし、トイレへ行っても誰もハンカチを持ってない。家庭のガス台には元栓がなく、24時間、種火がついている。すべてが資源の大量消費を前提にできていて、誰もそれに疑問をもたない。

オバマ大統領になって、カジノと無駄と過剰消費で膨れ上がった社会が、少しはまともになるだろうか。

戦争に関しても、オバマはイラクから撤退するが、アフガンへは逆に兵力を増強すると言っている。対テロ戦争を間違いだと言ったら、彼は恐らく予備選の早い段階で負けてしまったろうが、アフガンもイラクも、いったん壊してしまった国家は元に戻らない。中東のパンドラの箱を開けてしまったことを、どうするんだろう。

まあ、少しでも世界がよくなることを期待するしかない。

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September 26, 2008

再引っ越しのお知らせ

去年の8月から今年の8月までの1年間、ニューヨークに滞在しました。そこで見聞きしたことは、期間限定で立ち上げたブログ「不良老年のNY独り暮らし」に記しましたが、このほど予定通り(要するに金を使い果たして)帰国しました。

その間、休んでいたこの「Days of Books, Films & Jazz」を再開いたします。元のように映画と本と音楽を中心としたブログになるのかどうか、自分でもよく分かりません。ニューヨークでの体験で書き残したこともあるので、そんな記事も多くなるかもしれません。よろしくおつきあい下さい。


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August 21, 2007

引っ越しのお知らせ

「Days of Books, Films & Jazz」を始めて3年になります。皆さんからいただいた、たくさんのコメントやトラックバックに背中を押されて、ここまで続けてきました。

このほど37年勤めた会社を辞めて、1年ほどニューヨークに遊びに行くことになりました。そこで、1年間限定で「不良老年のNY独り暮らし」というブログを立ち上げることにしました。英語もろくに話せない、身体のあちこちにガタがきたじじいがNYで独り、どんな生活を送ることになるのか。私自身まったく見当がつきません。

当ブログでは映画や本の感想めいたことを中心に書いてきましたが、新しいブログはもっと日々の雑感的なものになるだろうと思います。写真ももっとたくさん撮りたいと思います。これまで同様、ときどき覗いていただければ幸いです。

こちらで最後に見た素晴らしい映画、『長江哀歌』(ジャ・ジャンクー監督)の感想を書けなかったのがちょっと残念。

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August 03, 2007

NY日記 6

もぐりの「ホテル」に滞在している間、朝食は近くのデリを利用していた。斜め向かいに1軒、3軒隣りに1軒と、2軒のデリがあり、その日の気分でどちらかに行く。

3軒隣りのデリはスペイン系の親子がやっている。狭いけれどよく繁盛していて、朝など近所の人や近くの工事現場の労働者、警官まで次々にやってきてサンドイッチを注文している。僕もハムサンドイッチやマカロニサラダをテイクアウトしたけど、まずまずの味。親子ともう1人、サンドイッチをつくる店員の3人が客と大声でやりとりしながら、てきぱき客をさばいている。ここは日用品も置いてあって、コンビニも兼ねている。

斜め向かいのデリは24時間営業で中東系の親子がやっている。だから普通のサンドイッチのメニューのほかに、ケバブーなども置いてある。僕は朝から肉を食べる気になれず、チーズオムレツ、ベークド・ポテトをテイクアウトした。スペイン系の店もそうだけど、量はたっぷりで朝に食べきれず、たいてい半分は昼に残す。空腹で「ホテル」に戻り、深夜にビーフシチューをカウンターで食べたこともあるが、独特の香料を使っているらしく、なにを頼んでもケバブーみたいな味がする。

この店にはテーブルが2つとカウンターがある。スペイン系の店ほどに客は多くなく、常連がたむろしている感じだ。2度ほどレジで十数枚の10ドル札をやりとりしているのに出くわしたから、なにかギャンブルの窓口になっているのかもしれない。深夜は隣のガソリン・スタンドに来たイエロー・キャブの運転手がやってくる。だからもう一軒のデリとは、時間帯と客層をきちんと棲み分けているようだ。

レジにいるここの息子の英語が早口で口のなかでごにょごにょ言っていて、まったく聞き取れない。奥でおやじにつくってもらったサンドイッチの値段を客が申告するんだけど、僕がよくわからないでいると、つっけんどんな顔で奥のおやじに聞いている。おやじは丸っこい顔の、ごついなりに愛嬌のある男で、痩せて突っ張ってる感じの息子との取り合わせがおかしい。

深夜、眠れずに窓の外をながめると、向かいのガソリン・スタンドとこのデリに灯りがともっていて、ああまだあのおやじか無愛想な息子がいるんだなと、少しだけ心がなごむ。

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August 02, 2007

NY日記 5

今回はプライベートな用事で来たのでどこも見るつもりはなかったけど、半日ほどあいたのでチェルシーのギャラリー街を回る。

夏休みの時期とあって閉まっているところも多い。客も地元のアート好きというより、地方からNY見物にきた一団や老夫婦が多いような印象を受けた。

10軒近く回って、ふーん、という感じ。絵画、立体、インスタレーション、さまざまだけど特に強い印象を受けたものはなかった。僕は写真に興味があるせいか、どうしても絵画より写真に目が行ってしまう。回ったなかで3軒が写真を扱っていた。

なかでチャイニーズ・スクエアというギャラリーでやっていた「陳家剛(チェン・ジァガン?)近作展」が面白かったな。

変貌著しい中国の雑踏や風景を大判カメラで、しかもデジタル処理でパノラマにしたり合成したりしながらつくりこんだ作品が、大きなパネルで展示されている。あるいは、古い町並みや鉄道など「失われた風景」のなかに女性モデルをおいた作品。

現実そのままではなく、デジタル処理やモデルをおくことで現実を再構成しているところが、スタイルを重視するニューヨーカーの好みに合うのかも。大判カメラが微細に写し出す風景や町のディテールの圧倒的な質感と、モデルや写っている人々のどこかキッチュな印象とのちぐはぐさが、今の中国をそのまま映しているような気がした。

日本の写真界はかつてのスポーツと同じでアマチュアリズム(?)が強く、大金が動くアメリカのアート・シーンに巻き込まれることをよしとしない空気があるみたいだけど、中国の写真家はどんどんNYに進出しているという。それを実感したギャラリーだった。

あと、シルバースタインというギャラリーで有名写真家のコンタクト(と選ばれた作品)を展示していた。

ロバート・フランク、ダイアン・アーバス、ブルース・デビッドソン、エリオット・アーウィットらの代表作のコンタクトを見られたのは嬉しい。コンタクトを見ると、写真家が何を見、どう行動しているのかがよくわかる。印をつけて選ばれた作品の前後には、意外なものが映っていたりする。ロバート・ケネディ暗殺の瞬間を捉えた報道カメラマンのコンタクトにも見入ってしまった。

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NY日記 4

ニューヨークに26年住んでいる友人が、「日本から来ると食べ物がおいしくないでしょ」と言う。僕はグルメじゃないけど、たしかにこの街でおいしいものを食べた記憶は、二十数年前にコロンビア大学近くのレストランで食べたアフリカ料理くらいしかない。

今回も、2日目、3日目と「ホテル」近くのヘルズ・キッチンをぶらぶら歩きして入ったタイ料理と、しゃれたカフェのベジタリアン料理、どれもいまいちなんだな。で、やはりここはチャイナ・タウンで決めようと夕方から出かけた(午後6時半、地下鉄は東京のラッシュ時みたいに混んでて、体と体がくっつくくらい。昔、欧米人はこういうのを嫌うって読んだような気がするけど、背に腹はかえられないってことかな)。

ヨーロッパなどを旅行していると、どんな小さな町へ行ってもたいていは中華レストランが一軒はある。たっぷりのバターやオリーブ・オイルで食傷気味の胃には、中華レストランの看板を見ると暗夜の航海で灯台の光を見つけたような救われた気分になる。今回はまだそこまでいってないけど、うまいなあ、と満足するものが食いたい。

Canal St駅で降りてチャイナ・タウンのはずれにある利口福(GREAT NY NOODLETOWN)へ。ここはスープそばが旨いと聞いていたので、牛モツのそば。うーん、スープはだしがよく効いてコクがあって文句なし。細い麺にも腰がある。モツも臭みはまったくない(外国で食べると、ときどき匂いのうんときついのがあるでしょ)。

小ぶりな丼だったので胃にまだ余裕があり、追加して白身魚の粥を頼んだ。これも小ぶりの器で、コクといい塩味の加減といい、素晴らしくうまい。中華料理は一皿の量が多く、ひとり旅ではもてあますことが多いけど、ここなら問題なし。

ウィンドーには、つるつるの焦茶色に焼きあげられた鴨がいっぱいに吊るされていて、次はこれを試してみたいなあ。

やっぱり、困ったときにはチャイナ・タウン、だったのでした。

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NY日記 3

友人夫婦が住んでいるブルックリンのアパート周辺を案内されて散歩する。

僕はブルックリンをほとんど知らない。過去に来たとき、ブルックリン橋を歩いて渡り、橋周辺を歩いてお茶を飲んだくらい。

地下鉄R線DeKalb Av駅近くのウィロビー通りを歩きはじめてすぐ、なんだかマンハッタンとは違うなあという感触を肌に感じる。低層の商店の建物やたたずまいが都会というより、もう少し小さな町の雰囲気といったらいいか(実際には大都会の一角だけど)。

「マンハッタンといちばん違うのは?」と聞いたら、「アフリカ系が多い」という友人の答え。たしかに道行く人々にはアフリカ系が目立つ。デパートのMACY'Sで買い物をしたら、「ここはマンハッタンの店より狭いこともあるけど、品揃えがアフリカ系好み」だそうだ。

通りを一本へだてると、映画によく出てくるブルックリン・ハイツの住宅街。ブラウンストーンの建物と街路樹が落ち着いた空気を醸している。

通りを歩いていて、2人が友人に声をかけてきた。知り合いによく会うというのも、ここがマンハッタンより狭く、それだけ密なコミュニティがあるということなのかも。「エレベーターで知らない人と乗り合わせたとき、マンハッタンでは挨拶しないけど、ここだと笑顔で挨拶する」と友人。

もともとブルックリンはニューヨークとは別の独立した市だった歴史をもっているけど、川1本へだてただけで、やはり空気はちがうんだなと実感する。

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August 01, 2007

NY日記 2

年をとると時差ボケがきつい。若いころから機内では眠れず、軽い時差ボケになっていたけれど、ジジイになると基礎体力が低下しているので、それがいっそうこたえる。

幸いというか、今回は観光が目的ではないので余裕あるスケジュールを組んでおり、今日はオフ。

昨夜は知人夫婦のパーティに顔を出した。着いて早々なのでためらったけど、世話になる人に到着した日に挨拶しておくのが礼儀だろうと思い、ちょっと無理をした。知人は、今日は来ないと思っていたよ、と。

グリニッジ・ビレッジのイタリア料理店。知人の元同僚がリタイアしたのを祝って8人ほどが集まっている。僕もリタイアしたばかりだと知人が紹介すると、「Happy Retirement!」と弾けるような笑顔で乾杯してくれた。

パーティといってもレストランの普通のテーブルで、ハウスワイン、トマトにモッツァレラ・チーズのサラダにそれぞれが好みの一品、という質素なもの。2時間ほどいて、10時すぎに失礼した。土曜の夜、ビレッジはここだけ別世界のように人でいっぱい。

今日は一日、部屋でごろごろしている。近くのデリで野菜とチリ・ビーンズを買ってきて朝食を取り、ベッドで一日、うつらうつら。昨日と同じように蒸し暑く、空には重い雲が立ち込めている。

しばらく眠っては起きる浅い眠りから覚めると、雨が降っている。窓のガラスをすっと下ってゆく雨滴の向こうに、何かの工場だろうか飾り気もなく人の気配もない2棟のビルがいっそう薄汚れて見える。45丁目のこのあたりは、午後というのに人通りが少ない。閉めきった窓を通して、ときおり車の騒音、パトカーの鋭いサイレンが聞こえる。

そんな淋しい風景をぼーっとした頭で小1時間ほども眺めていた。いままでの旅行なら時差ボケなど無視してどんどん動いていたけど、無為に過ごすこういう時間も悪くないかも。

いつのまにかまた眠っていて、目がさめたら午後6時だった。

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July 31, 2007

NY日記 1

ニューヨークに来ている。

この街に来たのはほぼ20年ぶり。20年前の1980年代は、ニューヨークの治安がいちばん悪い時期だった。当時なら観光客が足を踏みいれるのをためらった地域、タイムズスクエアから西へ向かいハドソン川に突き当る手前の短期滞在アパートに泊っている。

最初、知らされた住所を訪ねたら、その番地にはなんの看板もなく、住民表示にも宿の名前はなくて、ただ日本人らしき姓が書かれているだけ。おまけに約束の時間を20分すぎても、アパートの玄関に誰も現れない。だんだん不安になってきて、ひょっとしたらニセHPの前金詐欺にやられたかと青ざめた。

約束の時間を30分すぎ、これはニューヨークに住んでいる友人に連絡を取って助けを求めるのがいいかと覚悟を決めたとき、「○さんですか?」と若い女性が現れた。正直、ほっとした。事情を聞いてみると、僕が空港へ着いたとき電話するのを忘れたせいで連絡が遅れ、おまけに彼女自身もなにかの都合で遅れたらしい。

彼女に案内されたのは、3ベッドルームの個人アパートを改装してそれぞれ独立させた「ホテル」。キッチンとバスは共用になる。住民表示は日本人の姓になっているから、普通の個人住宅という体裁で、たぶんもぐりの営業なんだろう。

部屋の窓からは、眼下に煉瓦づくりの古い低層ビルと空地と無機質のオフィスビルの向こうにハドソン川が見える。南には再開発された高層ビルがいくつも建っている。すぐ目の前はガソリンスタンドで、早朝から深夜までイエローキャブがひっきりなしに出入りしている。夜になると、無人の44丁目通りにびっしりとイエローキャブが止まって休憩する。キャブから降りた運転手の影がひとつ、ゆっくりと動いている。

午前3時、時差ボケで眠れずにガソリンスタンドを眺めていたら、深夜の孤独な人々を描いたホッパーの絵が動きだしたような気分になった。

カメラを取り出して写真を撮ったのだけど(むろんホッパーのようにはいきません)、パソコンに接続するケーブルを忘れてきたのでアップできないのが残念。

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December 31, 2006

今年のベスト1

Days of Books, Films & Jazz と名づけたブログのわりには、今年は映画に片寄ってしまったような気がします。大晦日のエントリに、今年いちばん印象に残ったものを(新作に限って)思いつくまま上げてみることにしました。

●映画(洋画)
『父親たちの星条旗』(クリント・イーストウッド監督)
『硫黄島からの手紙』と合わせた2部作は映画史に残る作品だと思う。イーストウッドを同時代に見ることができる幸せを感ずる。他に好きだったのは『百年恋歌』(ホウ・シャオシエン)、『うつせみ』(キム・ギドク)。

●映画(邦画)
『ゆれる』(西川美和監督)
今年はあれこれ迷うほど見てないな。評判の『フラガール』は、よくできた映画、程度の印象しか受けなかった。『ゆれる』は破綻もあるけど、たいへんな可能性を秘めてる監督だと思った。

●小説
莫言『四十一砲』
いま、読んでいていちばん面白いのは中国の莫言。前作『白檀の刑』ほどではないけど、文学的な実験とストーリー・テリングのうまさを高いレベルで結合させる技は抜群。

●ミステリー
マイクル・コナリー『天使と罪の街』
ハードボイルド、サスペンス系で新作が出るごとに読んでいた小説家が何人かいたけど、みな新作が出なくなったり、つまらなくなったりで、最後に残ったひとり。相変わらず興奮させてくれました。

●ノンフィクション
船橋洋一『ザ・ペニンシュラ・クエスチョン』
北朝鮮の核問題をめぐる6者協議を各国政府高官に直接取材した同時進行のノンフィクション。ボブ・ウッドワードの仕事に匹敵する世界レベルの仕事です。

●ジャズ
嶋津健一「This Could Be a Start of Something Big」
日本人のジャズがたくさん出てるけど、今年はこれにとどめを刺す。アップテンポの曲に興奮し、バラードに酔う。アメリカのジャズはいい新作に当たらず。

●ポップス
マリーザ・モンチ「私のまわりの宇宙」
サンバ。今年の夏はこれを毎日聞いて、暑さをやりすごした。

●j-ポップ
井上陽水「LOVE COMPLEX」
若いころは好きじゃなかったけど、陽水は年を取るほどに過激に素晴らしくなってくる。同世代としては敬服あるのみ。

●写真
江成常夫『生と死のとき』
戦争花嫁や旧満州国など第二次大戦の日本人にこだわってきた江成が、病に倒れて身の回りを見つめた写真集。これを見た後だと、彼の過去の写真がまた違って見えてくる。

●展覧会
「藤田嗣治展」
藤田嗣治の戦争絵画を初めて見て衝撃を受けた。間違いなくフジタの最高傑作。これをどう受け止めたらいいのか整理できず、何度かブログに書こうと思ってまだ書いてない。

と、ここまできて気がついたけど、フジタどころか映画以外はまったくブログに書いてない。いかんなあ。反省しなきゃ。

てなわけで、みなさん、よいお年を。

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June 01, 2006

トラックバック・スパム

このところトラックバック・スパム攻撃に見舞われています。気がついたら削除していますが、手作業で対処できない規模になったら、何か対策を考えなければなりません。トラックバック・スパムのほとんどが英文ですので、そちらはクリックしないようお願いします。

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December 28, 2005

雑賀陽平の年賀状

友人のマンガ家、雑賀陽平(さいが・ようへい)が今年4月のJR福知山線脱線事故で亡くなったことは、事故の直後のブログに書いた(05年4月26日)。年賀状を整理していたら、ここ10年ほどの彼からの年賀状が何枚か出てきた。

雑賀陽平の年賀状は友人たちに評判のもので、「美人の奥さん」(と、いつも言ってた)と結婚し、2人の子供が生まれ、子供たちが大きくなり、やがて独立していくのが毎年、ほほえましいタッチで描かれていた。ときに自虐的なナンセンスの笑いが特徴的な彼の普段のマンガとは違う、温かさの感じられる年賀状だった。

アップしたのは1996年以後のものだけど、それ以前のものもどこかにあるはず。これだけでも、息子たちが年ごとにたくましく、大人になっていくのが分かる。下の息子はパンクバンド「オシリペンペンズ」のヴォーカル、モタコというミュージシャンで、若い人には人気があるらしい。今年の賀状で、彼はギターを持っている。

「美人の奥さん」から、もう絵入りの年賀状を出せなくなりました、という喪中の挨拶をいただいた。雑賀陽平という名前と彼のマンガを、ひとりでも多くの人が記憶に留めておいてもらえればと思う。改めて冥福を祈りたい。

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(1996年)

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(1997年)

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(1998年)

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(1999年)

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(2002年)

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(2004年)

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(2005年)

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November 20, 2005

「江戸料理を楽しむ会」

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「江戸料理を楽しむ会」に行った。

この会は江戸料理研究家の原田信男さんと大塚の料理屋・なべ家が協力してやっているいる会で、今回が2回目。江戸時代に多数出版された料理本のレシピをもとに料理を再現している。懐石のように洗練されていない、中層の武士・町人が食べたものらしい。

写真は左下から時計回りに、
「吸物 べた汁(具は細切りのゆず)」
「膾(なます) 赤貝うに和え」
「焼物 雉子焼(カジキマグロを雉子ふうに味付けて焼いたもの)」
「猪口 蟹・栗・銀杏」

メニューは他に、
「座付 江ノ嶋最中(先付け。まず最中やあんころもちなど甘いものでお腹をふくらませてから料理を食べた。江戸の人は、みんな腹を空かせていたんですね)」
写真の4品の後、
「刺身 掻鯛(芥子をつけ、醤油でなく梅と酒を煮詰めたたれで食べる)」
「煮物 箏羹(乾し筍、寒天などの煮物)」
「鍋 寄せなべ(具は鯛、蒲鉾、クワイ、三つ葉。最後に雑炊)」
「菓子 玲朧豆腐」

器もすべて江戸時代のもの。なべ家のある大塚三業地は、今でもその風情の残る一角。

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August 26, 2005

「郵政民営化」論の背後

ニュースサイト「日刊ベリタ」に、毎日新聞が没にした平野貞男前参院議員の原稿が掲載されている。このサイトは有料だから引用は控えるけど(けっこう面白いニュースが掲載されてます)、一言で言えば、小泉首相の郵政民営化論は「私憤や利権」から発しているという内容。

若き小泉純一郎が仕えた福田赳夫と田中角栄とで佐藤栄作後継を争った「角福戦争」で福田が負けた背景には、角栄が特定郵便局を倍増したことがある、と平野は指摘している。また「郵貯・簡保改革」の背景についても言及している。

この原稿をなぜ毎日新聞が没にしたのか、平野氏に理由の説明はなかったというけれど、きれいごとの背後の的を突いていたからかもしれないな。

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May 08, 2005

アクセスの嵐、来たりて去る

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「アクセス解析」の数字を見て、あれ、表示が間違えてるぞ、と思った。何しろ1時間ごとのアクセス数が1万件を超えている。僕のブログは趣味のかたよった本や映画や音楽のことを書いていて、しかも更新頻度は週にせいぜい2、3回だから、訪れる人は日に100人から200人。その数でさえ、マイナーな話題にもかかわらずこれだけの人が読んでくれるのかと、ありがたく思っていた。

でも間違いではなく、この日(5月6日)のアクセス数は70,659件。ブログを始めて10カ月、これまでの累計が30,000件を超したばかりだから、1日でその倍以上の人が訪問してくれたことになる。ありがたい、というより、怖ろしくなった。

あれだな、と、すぐに分かった。友人のマンガ家、雑賀陽平が尼崎のJR脱線事故で亡くなり、4月26日に追悼の短文を書いた。検索エンジンやTBをたどって、アクセスが日に200~500件ほどあったから、それに違いない。にしても、ケタが違う。

「リンク元」を調べると、9割近くが「Yahoo!ニュース」から来ている。見ると、「エンターテインメントトピックス」のヘッドラインに雑賀陽平の死が取り上げられ、このサイトへのリンクが張られていた。

翌日(7日)にも3万を超えるアクセスがあり、2日間で10万を超えた。今日(8日)はヘッドラインが別の話題に変わって落ち着いたが、その数と集中のすさまじさは、いきなり竜巻が来て、あっという間に去っていった感じ。

今までブログは「1対多」の、どちらかというとミニコミ的なコミュニケーションの空間と思い、自分でもそのように書いていたけれど、この数はミニコミというよりマスコミに近い。自分の経験からいえば、単行本や月刊誌の仕事ではなく、週刊誌の仕事をしていたときの感覚。

真っ先に思ったのは、自分の記事に間違いはないだろうか、ということ。これは編集者としての性だろうか。仕事をするときには事実確認なしに原稿は書けないが、ブログはそこまで厳密には考えず、記憶で書くことも多い(事実確認には時間もかかる)。実際、このエントリでも雑賀陽平が『COM』の新人賞を受けたと書いて、後にそれが「入選」だったと分かり、追記で訂正していた。

もしこの間違いに気づいていなかったら、雑賀陽平の若き日の受賞歴が誤って広がっていたかもしれない。それ自体は小さなことだろう。が、ブログの「ニュース」(にしては遅い)によって、このようなことが日々、誰かのブログで起きているかぎり、同じようなことが、より重大な問題で起きる可能性は常にある。あるいは、この過程に誰かの悪意がまぎれこんだら、その結果は一層深刻になるだろう。

もうひとつ気がついたのは、10万を超えるアクセスがありながら、コメントとTBが1件もなかったこと(2件のTBは、それ以前のもの)。

ふだん、1日に100~200程度のアクセスがあって、週に数本から10本近いコメントやTBをいただく。僕のほうからも、できるだけコメントやTBを返す。そうしたつきあいによって、ネット上の知り合いもできている。今回のアクセスの嵐は、そうしたコミュニケーションとは別の一過性のものだった。

無論これは、どちらがいい悪いという問題ではない。同じネット空間の中に、いろんな位相のコミュニケーションが併存している。仲間だけで閉じたミニコミ空間もあれば、瞬時に世界中にニュースが伝わるマスコミ的空間もある。その中間に、いろんな位相の空間があって、普段はそれぞれが交わることは少ないけれど、同じ空間にあるのだから何かあれば色んな交差が生まれる。いわば同人誌と自費出版の単行本と週刊誌と新聞とテレビが同じ空間にあるということだろう。その面白さと怖さがネット空間なのかもしれない、などと考えた。

(追記)「ZAKZAK」というサイトに、雑賀陽平は「漫画専門誌『COM』の昭和46年10月号で『月例新人賞』を獲得、プロデビューした」とあるのを見つけた。「新人賞」か「入選」か、おそらく同じ事実を別の言葉で言っているだけなのだろうが、正確にはどちらなのか。ここは原点に戻って、『COM』昭和46年10月号に当たるしかない。が、その余裕がないので、とりあえず疑問のままにしておく。ネット上の情報の信頼性をどう捉えたらいいか(自分のブログも含めて)についても、いずれきちんと考えてみたい。(5月11日)

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April 26, 2005

追悼・雑賀陽平

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尼崎のJR脱線事故で知人2人が電車に乗っていた。1人は幸い9針縫っただけの軽傷ですんだが、もうひとりは還らぬ人となった。

30年ほど前、互いに20代だった時代に一緒に仕事をしていたことがある。そのころ彼は雑賀陽平というペンネームでマンガを描いていた。軽やかな線にナンセンスな笑いと関西ふうのユーモアが同居していて、雑誌『COM』の新人賞をもらった。雑誌の仕事で、こちらは文章を、雑賀陽平は1コママンガを同じテーマで描くのだが、やられた、と思ったことが何度もある。

その後、彼は故郷へ帰って、この20年間は年賀状だけのやりとりだった。毎年の賀状に、「美人の奥さん」(と、いつも言っていた)と、2人の息子が年ごとに大きくなっていく姿が描きこまれていた。

さまざまな記憶を共有している友人が、突然、いなくなる。それにどう対処したらいいのか分からない。ただ冥福を祈る。

(追記)神戸新聞で雑賀陽平のことが報じられて、このブログへのアクセスが急増した。その後、Googleで調べたり思い出したりした彼の経歴について、メモしておきたい。

サイト「西岸良平まんが館」(彼は西岸良平と同一人物ではないかと、当時から間違われていた)には、雑誌『COM』で「雑賀陽平は『我らの時代』で入選し、その後も単純な線と毒のある笑いを含んだ作品を発表していた」とある。僕は新人賞をもらったと記憶していたが、記憶違いかもしれない。

彼は1980年代にマンガ雑誌『漫金超』(第1号~第5号)にいしいひさいち、ひさうちみちお、川崎ゆきお、高野文子、蛭子能収らとともに作品を発表している。思い出した。押し入れを探せば『漫金超』が何冊かあるはずだ。雑賀陽平は、いしいひさいち、川崎ゆきおらを中心とする関西のマンガ家グループの一員だった。

神戸新聞によると、雑賀陽平は1980年代に同紙に4コママンガを連載していたという。これについては、どんなものだったのか僕は知らない。どなたかご存じの方がいたら教えてください。

雑賀陽平の名前と作品が、ひとりでも多くの人たちの記憶に残ることを願う。(4月28日)

(追・追記)年賀状に書かれていた下の息子さん(ギターを持ってる)は、「オシリペンペンズ」というバンドでボーカルやっているモタコさんというミュージシャン。全然知らなかったけど、グーグッてみると、町田康が「今いちばんパンク」と評していたり、面白そうなバンドです。雑賀陽平の風狂の血を継いでいるんだろうな。(4月29日)

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January 01, 2005

あけましておめでとうございます

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あけましておめでとうございます

わが家の庭から見た元日の空です。昨日の雪とうって変わった青空。

ここ数年、大晦日にひとりでふらりと都心に出てぶらぶらするのが習慣になりました。昨日は銀座に出て、コーヒーを飲みながら雪のなかをゆきかう人々を1時間ほど眺め、映画(『マイ・ボディガード』)を見て帰ってきました。この映画の感想が、このご挨拶につづく「ブログ始め」になりそうです。

去年7月から、なかば自分のメモとして始めたブログですが、思いのほかたくさんの方々に見ていただいて感謝しています。また皆さんのブログからもたくさんの刺激を受けています。勝手なことばかり書いているブログですが、今年もよろしくお願いします。

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December 08, 2004

白川勝彦さん、職質を受ける

元自民党の国会議員で国家公安委員長も務めた白川勝彦さん(現在は弁護士)が、渋谷の道玄坂で4人の警察官に取りかこまれ、執拗な職務質問を受けた体験を細かにHPに記している。その日、風邪で寝ていた白川さんは「むさい格好」をしていたというが、4人(渋谷署の警察官)が数十分にわたって白川さんを取り囲んで逃げられないようにし、ポケットの中を見せろと、ズボンの上から白川さんを触った。

これはむろん違法で、白川さんは最後には渋谷署まで行き、身分が判明したのち元国家公安委員長として(?)こんな職務質問を行ってはならないと説諭するのだが、その経緯から「このような職務質問が一般的かつ日常的に行われていることの証拠」と結論づけている。「忍び寄る警察国家の影」と題されたこの長文のレポート、読み物としても、またこういう場合どう対処したらいいかという「実用」としても、そして「熱烈な自由主義者」白川勝彦の考えを知る上でも興味深い。白川さんも心配するように、今のこの国はかなりやばいところまで来ている。一読をお勧めします。

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August 07, 2004

ブログの可能性

ブログを始めて1カ月になる。アクセスは多くて日に50件だけれど、8月5日の木曜日、いきなり165に跳ね上がった。

どうしたのかと思って、「アクセス解析」で「検索ワード」を調べたら、ほとんどが「カルティエ=ブレッソン」「決定的瞬間」だったんですね。この日の夕刊に、ブレッソンの死が報じられている。

「『決定的瞬間』の呪縛」と題した僕の記事は、今橋映子『<パリ写真>の世紀』について、本文の記述から、ブレッソンの有名な写真集のタイトルがフランス語の原題とはニュアンスが違うという部分を紹介して、自分の感想を記したものだった。

さらに細かく時間ごとのアクセスを調べると、2つの山があった。ひとつは午前中で、まだテレビや新聞で彼の死が報道されていない時間帯に当たる。もうひとつの山は夕方以降で、これは夕刊が配達された後の時間に当たる。

まだ報道されていない時間帯の山は、誰が検索したのだろうか。おそらくブレッソンが亡くなったという一報を受けたメディアの人間が、記事を書くための参考に引いたに違いない。それは編集者として僕自身がよくやることだから、よく分かる。最近では平凡社の大百科(CD-ROMを常備)を引く前に、まずGoogleで引いてみることが多い。

さらに数日して新聞のコラムで、『決定的瞬間』というタイトルの「意訳」について触れた文章を目にした。このタイトルの件は写真関係者には知られているし、そもそも僕のブログが他人の本を紹介したものだから、その本を読んだ人なら誰でも知っている。だからコラムの筆者が僕のブログを読んだ可能性は小さい。

でも、ブレッソンの死にいろんな意味で興味を持った人が、信頼度は低いが無数の項目の立つ百科事典の代わりにインターネットを使ったことで、僕のブログへのアクセスが一時的に跳ね上がったことは確かだろう。

話は変わるけど、ブログにはホームページとはまた別の可能性を感ずることがある。なにより専門知識を必要とせず、僕のようにワープロとメールとインターネットがあれば十分というレベルの人間でも運営できるのがいい。僕はまだ十分に使いこなせていないけれど、コメントによってホームページよりずっと互いの意思を伝えやすいし、トラックバックを張ることで簡単にネットワーキングもできる。

僕の友人はブログでそんな可能性を指摘しているし、実際に教えている大学でブログを使って授業を試みてもいる(サイト「Radical Imagination」[Links参照]の「ブログと2ちゃんねる」)。

友人はそこで「一人総合雑誌」とでも言えるブログを紹介しているが、これも興味深い。コメントやトラックバックをうまく使えば、「一人雑誌」や「一人新聞」といったネット上の新しいジャーナリズムのかたちだって見えてくるかもしれない。

僕はサイト「ブック・ナビ」で書評を書いているが、『サラーム・パックス』という本を取り上げたことがある。イラク戦争のとき、米軍爆撃下のバクダッドから同時中継的に書かれていたブログを翻訳したものだ。次々にトラックバックが張られることで世界に広がり、多くの人が彼のブログを見た。これなど湾岸戦争時のCNNに匹敵するジャーナリズム性を持ったんじゃないだろうか。

ジャーナリズムは情報が命で、その収集には膨大なカネと人手が必要だから、メディアは必然的に企業化するというのがこれまでの常識だった。でも、「サラーム・パックス」がバクダッド発だったことで意味をもったように、誰でもなんらかのオリジナルな立場や主張をもっている。そのオリジナルによって、「一人新聞」や「一人雑誌」は成立する。

そんな「一人新聞」や「一人雑誌」がテーマに応じてネットワークを組むことで、時にはマス・メディア以上の力を発揮することができるかもしれない。情報流通のスピードに関しては、ネットは十分にテレビに対抗できる同時性を持っていると思う。

またそれぞれのブログが独自のスタンスを取ることで、多様な視点も期待できる。別の友人が、プロ野球の1リーグ制騒動で「読売不買のすすめ」を書いたら、やはりアクセスとトラックバックが急増したと書いている(ブログ「ブック・ナビ」[Links参照])。主張のはっきりした「一人新聞」「一人雑誌」がゆるやかにネットワークを組むことで、「客観報道」ではない個性あるジャーナリズムをつくれるかもしれない。

ただ、これも先の友人が指摘していることだが、ブログはアメリカでは実名が基本だという(友人も実名でブログを運営している)。そのことによって情報の信頼性を確保しているわけだ。この国では「2ちゃんねる」に代表される匿名の悪意がネット上を吹き荒れているけれど、これからのネット文化がどういう方向に進むのか(進めていくのか)は大きな問題だろう。

僕もいくつかの理由から実名を出さずにこのブログを運営しているが、いずれは実名でやりたいと思っている。

以上、ブログ初心者が見当違いのことを言ってるのかもしれないけど、友人のブログを最初に見たとき、これは面白いって直感したので、いささか大げさなことを考えてみた次第。

http://oak.way-nifty.com/radical_imagination/

http://saya.txt-nifty.com/booknavi/


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July 15, 2004

10日ほど休みます

明日から10日ほど、旅に出ます。

ブログを始めたばかりなのに、せっかく訪れてくださった方々、ごめんなさい。ノートパソコンも携帯も持っていかないので、更新できません。

28日には再開できると思います。

管理人敬白

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