December 20, 2008

追悼・筑紫哲也さん

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(沖縄特派員時代の筑紫さん、1970年)

筑紫哲也さんのお別れ会(12月19日)に若いころの写真が掲げられていた。沖縄返還を控えて那覇特派員だったころの筑紫さんで、そうか、こんなに若かったのか。このときの沖縄体験が彼のジャーナリストとしての構えを決めることになったのは、「NEWS23」を見ていた方ならご存知だろう。

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(お別れ会で配られた冊子。写真は08年春のもの)

二十数年前、筑紫さんが雑誌の編集長をしていたころ、その下で記者・編集者をしていたことがある。

「タブーなし」が編集長の掲げる旗で、編集部員はみな好き勝手なことをし、筑紫さんはそれを見て、時に内外からクレームがつくのを楽しんでいた節がある。つくる側から言えば、雑誌が面白いかどうかはまず編集部が一体となってお祭りに参加しているかどうかにかかる。このときの「お祭り」は僕の記者・編集者生活で最大の、そして最後の体験となった。

雑誌は赤字だったけれど、筑紫さんはこう言っていた。「この雑誌は大きな儲けを期待されているわけではないが、黒字を目指そう。なぜなら、赤字を出さないことは言論の自由の基礎であり、社内的な言論の自由の基礎でもあるから」。「NEWS23」について、「生存視聴率」(番組を続けられる最低限の視聴率)と言っていたのと通ずる。「タブーなし」の一方で「赤字脱却」を掲げる。筑紫さんはそういうバランス感覚のあるジャーナリストでもあった。

毎週、最後の校正を終えると市ヶ谷の印刷所近くの居酒屋で、編集長以下、ときには外部筆者も参加して深夜の酒盛りになる。先々週、当時のメンバーが同じ店に10人近く集まった。店は代替わりしていたが、先代のおやじさん夫婦も駆けつけてくれて、一夜、筑紫さんを偲んだ。

数年前、編集者として筑紫さんへの恩返しのつもりで『旅の途中』という著書を出版したことがある。筑紫さんがジャーナリストとして接した内外の多くの政治家、音楽家、作家、スポーツ選手の肖像を描きながら同時に自伝にもなっているという本で、「僕の著書のなかでいちばんいいって、何人もの人に言われたよ」と喜んでくれたのが嬉しかった。

昨年の初夏、ニューヨークへ1年の滞在に出かける前に病院へ見舞いに行ったのが、筑紫さんに会った最後になった。「年とってから、もう一度貧乏生活をしてみる。ニューヨークはそれを楽しめる町だから面白いと思うよ」と言ってくれた。ニューヨークで、その言葉を何度も思い出した。合掌。


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November 07, 2008

オバマ勝利の報に

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パソコンがダウンしリカバリーしていたので遅れてしまったけど、オバマが勝ったのは、当然といえば当然だったね。

昨日の朝日新聞に、ニューヨークに住む青木冨貴子さんが書いていた。

「この秋から増えてきた『レント(貸店舗)』の表示や、もぬけの殻になった元金融関係事務所跡、中断された建設工事現場や目立つホームレスの姿などをあげるまでもなく、サブプライムローン問題にはじまった金融危機はとどまるところを知らない」

僕が日本に帰ってきたのは8月中旬だったので、株価暴落から金融危機に至るニューヨークを知らない。サブプライムローン問題は去年から深刻になっており、ローンが払えず持ち家を手放した人もいたはずだけど、誰の目にも見える形で表面化していたわけではなかった。むしろニューヨーク中がジェントリフィケーション(高級化)と呼ばれる建築ブームに湧いていた。

僕が住んでいたブルックリンはアフリカ系やヒスパニックなど有色人種が多く、かつては労働者の町、今もどちらかといえば中下層階級の町。そこにもジェントリフィケーションの波は押し寄せて、僕のアパートのまわりには4棟の高層コンドミニアムが建設・計画中だった。青木さんの報告のように、それらのコンドミニアムはひょっとして工事が中断していないだろうか。

ブルックリンのダウンタウンはアフリカ系住民向けの店が並ぶ繁華街で、「レント」の札がかかった空家も多かったけど、その札はいま、もっと増えているんだろうか。いつもアフリカ系の客でごったがえしていたスーパーのターゲットと隣の食品スーパーは今も繁盛してるんだろうか。

オバマはほんのいっときブルックリンに住んだことがあるらしく、ヒラリー・クリントンと民主党大統領候補の指名を争っているときも、ここはオバマ一色だった。

僕は数人と話しただけだから個人的印象だけど、オバマ支持の底にはイラク、アフガニスタン戦争への厭戦気分があったように思う。なにしろアメリカ人にとっても必ずしも理屈の立たない戦争で、どちらかといえば下層に属する数千人の兵士が死んでいる。

その後、金融危機があり、ブッシュ8年間の失敗のツケが劇的に人々を襲ったから、オバマがマケインに勝つのは当然だったけど、僕にはそれよりオバマがヒラリーに勝ったときのほうが驚きだった。

そのオバマの勝因は、戦争はもういいよ、というアメリカ人の心情が人種の壁より大きかったことによるんじゃないか。ヒラリーはイラク戦争に賛成したし、現実政治家だから大きな変化は期待できない。「変化」を期待するならオバマだ、という心情。それが底流としてあったところへ、今回は自分の生活を直に脅かす金融危機が重なった。

日本へ帰ってきた直後にロバート・B・ライシュ『暴走する資本主義』(東洋経済新報社)を読んだ。ライシュはオバマの経済部門のアドバイザーだという。一言でいえばカジノ資本主義を市民の立場、公正の観点から抑制しないと大変なことになる、という主張だったけど、いま、その通りのことが起こっているわけだ。

同時に彼は、ひとにぎりの富裕層だけでなく、大多数の人間が(年金ファンドなどで)投資しているのだから、大なり小なりアメリカ人誰にも責任があるという。

投資だけでなく、アメリカは全体として過剰消費というか、無駄も多い社会だ。車社会だからガソリンは言うに及ばず、紙ひとつとっても、デリでピザやサラダを買うと山ほどナプキンをくれるし、トイレへ行っても誰もハンカチを持ってない。家庭のガス台には元栓がなく、24時間、種火がついている。すべてが資源の大量消費を前提にできていて、誰もそれに疑問をもたない。

オバマ大統領になって、カジノと無駄と過剰消費で膨れ上がった社会が、少しはまともになるだろうか。

戦争に関しても、オバマはイラクから撤退するが、アフガンへは逆に兵力を増強すると言っている。対テロ戦争を間違いだと言ったら、彼は恐らく予備選の早い段階で負けてしまったろうが、アフガンもイラクも、いったん壊してしまった国家は元に戻らない。中東のパンドラの箱を開けてしまったことを、どうするんだろう。

まあ、少しでも世界がよくなることを期待するしかない。

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September 26, 2008

再引っ越しのお知らせ

去年の8月から今年の8月までの1年間、ニューヨークに滞在しました。そこで見聞きしたことは、期間限定で立ち上げたブログ「不良老年のNY独り暮らし」に記しましたが、このほど予定通り(要するに金を使い果たして)帰国しました。

その間、休んでいたこの「Days of Books, Films & Jazz」を再開いたします。元のように映画と本と音楽を中心としたブログになるのかどうか、自分でもよく分かりません。ニューヨークでの体験で書き残したこともあるので、そんな記事も多くなるかもしれません。よろしくおつきあい下さい。


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August 21, 2007

引っ越しのお知らせ

「Days of Books, Films & Jazz」を始めて3年になります。皆さんからいただいた、たくさんのコメントやトラックバックに背中を押されて、ここまで続けてきました。

このほど37年勤めた会社を辞めて、1年ほどニューヨークに遊びに行くことになりました。そこで、1年間限定で「不良老年のNY独り暮らし」というブログを立ち上げることにしました。英語もろくに話せない、身体のあちこちにガタがきたじじいがNYで独り、どんな生活を送ることになるのか。私自身まったく見当がつきません。

当ブログでは映画や本の感想めいたことを中心に書いてきましたが、新しいブログはもっと日々の雑感的なものになるだろうと思います。写真ももっとたくさん撮りたいと思います。これまで同様、ときどき覗いていただければ幸いです。

こちらで最後に見た素晴らしい映画、『長江哀歌』(ジャ・ジャンクー監督)の感想を書けなかったのがちょっと残念。

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August 03, 2007

NY日記 6

もぐりの「ホテル」に滞在している間、朝食は近くのデリを利用していた。斜め向かいに1軒、3軒隣りに1軒と、2軒のデリがあり、その日の気分でどちらかに行く。

3軒隣りのデリはスペイン系の親子がやっている。狭いけれどよく繁盛していて、朝など近所の人や近くの工事現場の労働者、警官まで次々にやってきてサンドイッチを注文している。僕もハムサンドイッチやマカロニサラダをテイクアウトしたけど、まずまずの味。親子ともう1人、サンドイッチをつくる店員の3人が客と大声でやりとりしながら、てきぱき客をさばいている。ここは日用品も置いてあって、コンビニも兼ねている。

斜め向かいのデリは24時間営業で中東系の親子がやっている。だから普通のサンドイッチのメニューのほかに、ケバブーなども置いてある。僕は朝から肉を食べる気になれず、チーズオムレツ、ベークド・ポテトをテイクアウトした。スペイン系の店もそうだけど、量はたっぷりで朝に食べきれず、たいてい半分は昼に残す。空腹で「ホテル」に戻り、深夜にビーフシチューをカウンターで食べたこともあるが、独特の香料を使っているらしく、なにを頼んでもケバブーみたいな味がする。

この店にはテーブルが2つとカウンターがある。スペイン系の店ほどに客は多くなく、常連がたむろしている感じだ。2度ほどレジで十数枚の10ドル札をやりとりしているのに出くわしたから、なにかギャンブルの窓口になっているのかもしれない。深夜は隣のガソリン・スタンドに来たイエロー・キャブの運転手がやってくる。だからもう一軒のデリとは、時間帯と客層をきちんと棲み分けているようだ。

レジにいるここの息子の英語が早口で口のなかでごにょごにょ言っていて、まったく聞き取れない。奥でおやじにつくってもらったサンドイッチの値段を客が申告するんだけど、僕がよくわからないでいると、つっけんどんな顔で奥のおやじに聞いている。おやじは丸っこい顔の、ごついなりに愛嬌のある男で、痩せて突っ張ってる感じの息子との取り合わせがおかしい。

深夜、眠れずに窓の外をながめると、向かいのガソリン・スタンドとこのデリに灯りがともっていて、ああまだあのおやじか無愛想な息子がいるんだなと、少しだけ心がなごむ。

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August 02, 2007

NY日記 5

今回はプライベートな用事で来たのでどこも見るつもりはなかったけど、半日ほどあいたのでチェルシーのギャラリー街を回る。

夏休みの時期とあって閉まっているところも多い。客も地元のアート好きというより、地方からNY見物にきた一団や老夫婦が多いような印象を受けた。

10軒近く回って、ふーん、という感じ。絵画、立体、インスタレーション、さまざまだけど特に強い印象を受けたものはなかった。僕は写真に興味があるせいか、どうしても絵画より写真に目が行ってしまう。回ったなかで3軒が写真を扱っていた。

なかでチャイニーズ・スクエアというギャラリーでやっていた「陳家剛(チェン・ジァガン?)近作展」が面白かったな。

変貌著しい中国の雑踏や風景を大判カメラで、しかもデジタル処理でパノラマにしたり合成したりしながらつくりこんだ作品が、大きなパネルで展示されている。あるいは、古い町並みや鉄道など「失われた風景」のなかに女性モデルをおいた作品。

現実そのままではなく、デジタル処理やモデルをおくことで現実を再構成しているところが、スタイルを重視するニューヨーカーの好みに合うのかも。大判カメラが微細に写し出す風景や町のディテールの圧倒的な質感と、モデルや写っている人々のどこかキッチュな印象とのちぐはぐさが、今の中国をそのまま映しているような気がした。

日本の写真界はかつてのスポーツと同じでアマチュアリズム(?)が強く、大金が動くアメリカのアート・シーンに巻き込まれることをよしとしない空気があるみたいだけど、中国の写真家はどんどんNYに進出しているという。それを実感したギャラリーだった。

あと、シルバースタインというギャラリーで有名写真家のコンタクト(と選ばれた作品)を展示していた。

ロバート・フランク、ダイアン・アーバス、ブルース・デビッドソン、エリオット・アーウィットらの代表作のコンタクトを見られたのは嬉しい。コンタクトを見ると、写真家が何を見、どう行動しているのかがよくわかる。印をつけて選ばれた作品の前後には、意外なものが映っていたりする。ロバート・ケネディ暗殺の瞬間を捉えた報道カメラマンのコンタクトにも見入ってしまった。

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NY日記 4

ニューヨークに26年住んでいる友人が、「日本から来ると食べ物がおいしくないでしょ」と言う。僕はグルメじゃないけど、たしかにこの街でおいしいものを食べた記憶は、二十数年前にコロンビア大学近くのレストランで食べたアフリカ料理くらいしかない。

今回も、2日目、3日目と「ホテル」近くのヘルズ・キッチンをぶらぶら歩きして入ったタイ料理と、しゃれたカフェのベジタリアン料理、どれもいまいちなんだな。で、やはりここはチャイナ・タウンで決めようと夕方から出かけた(午後6時半、地下鉄は東京のラッシュ時みたいに混んでて、体と体がくっつくくらい。昔、欧米人はこういうのを嫌うって読んだような気がするけど、背に腹はかえられないってことかな)。

ヨーロッパなどを旅行していると、どんな小さな町へ行ってもたいていは中華レストランが一軒はある。たっぷりのバターやオリーブ・オイルで食傷気味の胃には、中華レストランの看板を見ると暗夜の航海で灯台の光を見つけたような救われた気分になる。今回はまだそこまでいってないけど、うまいなあ、と満足するものが食いたい。

Canal St駅で降りてチャイナ・タウンのはずれにある利口福(GREAT NY NOODLETOWN)へ。ここはスープそばが旨いと聞いていたので、牛モツのそば。うーん、スープはだしがよく効いてコクがあって文句なし。細い麺にも腰がある。モツも臭みはまったくない(外国で食べると、ときどき匂いのうんときついのがあるでしょ)。

小ぶりな丼だったので胃にまだ余裕があり、追加して白身魚の粥を頼んだ。これも小ぶりの器で、コクといい塩味の加減といい、素晴らしくうまい。中華料理は一皿の量が多く、ひとり旅ではもてあますことが多いけど、ここなら問題なし。

ウィンドーには、つるつるの焦茶色に焼きあげられた鴨がいっぱいに吊るされていて、次はこれを試してみたいなあ。

やっぱり、困ったときにはチャイナ・タウン、だったのでした。

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NY日記 3

友人夫婦が住んでいるブルックリンのアパート周辺を案内されて散歩する。

僕はブルックリンをほとんど知らない。過去に来たとき、ブルックリン橋を歩いて渡り、橋周辺を歩いてお茶を飲んだくらい。

地下鉄R線DeKalb Av駅近くのウィロビー通りを歩きはじめてすぐ、なんだかマンハッタンとは違うなあという感触を肌に感じる。低層の商店の建物やたたずまいが都会というより、もう少し小さな町の雰囲気といったらいいか(実際には大都会の一角だけど)。

「マンハッタンといちばん違うのは?」と聞いたら、「アフリカ系が多い」という友人の答え。たしかに道行く人々にはアフリカ系が目立つ。デパートのMACY'Sで買い物をしたら、「ここはマンハッタンの店より狭いこともあるけど、品揃えがアフリカ系好み」だそうだ。

通りを一本へだてると、映画によく出てくるブルックリン・ハイツの住宅街。ブラウンストーンの建物と街路樹が落ち着いた空気を醸している。

通りを歩いていて、2人が友人に声をかけてきた。知り合いによく会うというのも、ここがマンハッタンより狭く、それだけ密なコミュニティがあるということなのかも。「エレベーターで知らない人と乗り合わせたとき、マンハッタンでは挨拶しないけど、ここだと笑顔で挨拶する」と友人。

もともとブルックリンはニューヨークとは別の独立した市だった歴史をもっているけど、川1本へだてただけで、やはり空気はちがうんだなと実感する。

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August 01, 2007

NY日記 2

年をとると時差ボケがきつい。若いころから機内では眠れず、軽い時差ボケになっていたけれど、ジジイになると基礎体力が低下しているので、それがいっそうこたえる。

幸いというか、今回は観光が目的ではないので余裕あるスケジュールを組んでおり、今日はオフ。

昨夜は知人夫婦のパーティに顔を出した。着いて早々なのでためらったけど、世話になる人に到着した日に挨拶しておくのが礼儀だろうと思い、ちょっと無理をした。知人は、今日は来ないと思っていたよ、と。

グリニッジ・ビレッジのイタリア料理店。知人の元同僚がリタイアしたのを祝って8人ほどが集まっている。僕もリタイアしたばかりだと知人が紹介すると、「Happy Retirement!」と弾けるような笑顔で乾杯してくれた。

パーティといってもレストランの普通のテーブルで、ハウスワイン、トマトにモッツァレラ・チーズのサラダにそれぞれが好みの一品、という質素なもの。2時間ほどいて、10時すぎに失礼した。土曜の夜、ビレッジはここだけ別世界のように人でいっぱい。

今日は一日、部屋でごろごろしている。近くのデリで野菜とチリ・ビーンズを買ってきて朝食を取り、ベッドで一日、うつらうつら。昨日と同じように蒸し暑く、空には重い雲が立ち込めている。

しばらく眠っては起きる浅い眠りから覚めると、雨が降っている。窓のガラスをすっと下ってゆく雨滴の向こうに、何かの工場だろうか飾り気もなく人の気配もない2棟のビルがいっそう薄汚れて見える。45丁目のこのあたりは、午後というのに人通りが少ない。閉めきった窓を通して、ときおり車の騒音、パトカーの鋭いサイレンが聞こえる。

そんな淋しい風景をぼーっとした頭で小1時間ほども眺めていた。いままでの旅行なら時差ボケなど無視してどんどん動いていたけど、無為に過ごすこういう時間も悪くないかも。

いつのまにかまた眠っていて、目がさめたら午後6時だった。

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July 31, 2007

NY日記 1

ニューヨークに来ている。

この街に来たのはほぼ20年ぶり。20年前の1980年代は、ニューヨークの治安がいちばん悪い時期だった。当時なら観光客が足を踏みいれるのをためらった地域、タイムズスクエアから西へ向かいハドソン川に突き当る手前の短期滞在アパートに泊っている。

最初、知らされた住所を訪ねたら、その番地にはなんの看板もなく、住民表示にも宿の名前はなくて、ただ日本人らしき姓が書かれているだけ。おまけに約束の時間を20分すぎても、アパートの玄関に誰も現れない。だんだん不安になってきて、ひょっとしたらニセHPの前金詐欺にやられたかと青ざめた。

約束の時間を30分すぎ、これはニューヨークに住んでいる友人に連絡を取って助けを求めるのがいいかと覚悟を決めたとき、「○さんですか?」と若い女性が現れた。正直、ほっとした。事情を聞いてみると、僕が空港へ着いたとき電話するのを忘れたせいで連絡が遅れ、おまけに彼女自身もなにかの都合で遅れたらしい。

彼女に案内されたのは、3ベッドルームの個人アパートを改装してそれぞれ独立させた「ホテル」。キッチンとバスは共用になる。住民表示は日本人の姓になっているから、普通の個人住宅という体裁で、たぶんもぐりの営業なんだろう。

部屋の窓からは、眼下に煉瓦づくりの古い低層ビルと空地と無機質のオフィスビルの向こうにハドソン川が見える。南には再開発された高層ビルがいくつも建っている。すぐ目の前はガソリンスタンドで、早朝から深夜までイエローキャブがひっきりなしに出入りしている。夜になると、無人の44丁目通りにびっしりとイエローキャブが止まって休憩する。キャブから降りた運転手の影がひとつ、ゆっくりと動いている。

午前3時、時差ボケで眠れずにガソリンスタンドを眺めていたら、深夜の孤独な人々を描いたホッパーの絵が動きだしたような気分になった。

カメラを取り出して写真を撮ったのだけど(むろんホッパーのようにはいきません)、パソコンに接続するケーブルを忘れてきたのでアップできないのが残念。

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