原武史『「線」の思考』を読む
原武史『「線」の思考』(新潮社)の感想をブック・ナビにアップしました。
文芸誌を買うのは何年ぶりだろう。いや、十数年ぶりかもしれない。『文学界』の「JAZZ×文学」。150頁ほどの「総力特集」。ジャズ好き、あるいはジャズを演奏する作家と、小説やエッセイも書くジャズ・プレイヤー二十数人が登場している。
3つの対談が面白かった。山下洋輔vs菊地成孔。菊地が、ジャズと文学が交わった2大文化圏として「筒井康隆・山下洋輔文化圏」と「村上春樹文化圏」を挙げてるのは、両文化圏に惹きよせられた身として納得。奥泉光vs平野啓一郎。60代の奥泉も40代の平野も、マイルス~コルトレーンと王道からジャズに入ってるんだな。岸政彦vs山中千尋。ベーシストでもある岸が、若き才能・山中のピアノの秘密を聞き出してる。
小説は筒井康隆と山中千尋の短篇2つ。エッセイは岸政彦。巻頭は、スタン・ゲッツについて村上春樹のロング・インタビュー。これだけ分量のある特集は、さすがに読みごたえがある。特集以外では映画『スパイの妻』をめぐって黒沢清(監督)、濱口竜介(脚本)、蓮實重彦の鼎談がよかった。ああ、早く映画館やライブに行きたい!
ブック・デザイナーの坂川栄治さんが亡くなった。坂川さんとはフェイスブックでつながっていたから、別荘のある信州の風景や自ら設計した書庫や庭仕事や室内の風景など、写真家でもある坂川さんの撮るものを楽しんでいた。新宿荒木町の仕事場と別荘を行き来しているようで、人生の愉しみ方を知っている坂川さんらしいなあ、と思っていた。それがいきなりの訃報。庭仕事の途中で倒れたとのことだ。
坂川さんとは2冊の単行本と1冊のムックで一緒に仕事をしたことがある。なかでいちばん記憶に残るのは、最初に筑紫哲也『旅の途中』の装幀をお願いしたときのこと。筑紫さんは『朝日ジャーナル』時代の小生のボスで、朝日を離れ「筑紫哲也NEWS23」の時代にお目にかかり、数十年に及ぶ記者生活のなかで巡りあった人々について書いていただいた。本番前のTBSで打ち合わせしたとき、「僕の本はジャーナリスティックな内容のものが多いから、装幀もそんな感じなんだ。今度のは自伝的なところもある回想だから、装幀をがらっと変えたいな」というのが筑紫さんの希望。それであれこれ考えた末にお願いしたのが、坂川さんだった。
もちろん坂川さんの仕事は知っていた。同世代のたいていの人がそうであるように、名前を知ったのは『switch』のアート・ディレクターとして。最初にこの雑誌を読んだとき、アメリカの高級誌みたいに中身が濃くデザインのセンスもすごいなあ、といっぺんでファンになった。その後、単行本の装幀家としての仕事も知った。当時、こちらは写真雑誌の編集をやっていたので、神宮前に坂川さんが開いたバーソウ・フォト・ギャラリーに何度か出かけ、お目にかかってもいた。
坂川事務所は広尾の有栖川公園脇の坂道を上って左に小路を折れたところにある、瀟洒な洋館ふうの建物だった。通された応接室には部屋いっぱいに大きなデスクが置かれ、壁には坂川さんが集めたお気に入りのモノクロ写真がかかっている。バーソウで見たスティーブ・ガードナーの作品もあったと思う。最初の仕事だけど面識もあったので互いになんとなく分かっていて、筑紫さんの希望を伝えた後は、写真の話ばかりしていたように記憶している。その後、何度も事務所を訪ねることになるが、坂川さんの仕事を全面的に信頼していたので時間はかからず、たいていは写真や映画の話をしていた。
できあがった『旅の途中』の装幀は、若い日本画家の装画と文字使いが絶妙にマッチしていた。筑紫さんも喜んでくれた。亡くなってからご自宅を訪問したら、ご家族から、筑紫は自分の本では『旅の途中』がいちばん気にいっていました、と伝えられて嬉しかった。そのことを坂川さんに報告したら、うん、うんとあの笑顔で喜んでくれた。
昨年、小生は悪性リンパ腫を患い、治療の合間に過去に書いた原稿を集めて一冊の本を自費出版した。今年の春、それを坂川さんに送ったら、バーソウ・フォト・ギャラリーの写真絵葉書(坂川さんの作品)で返事をいただいた。「裏話面白いです。ガン、大変でしたね。いつ誰に訪れても不思議のない出来事ですよね。私も残りの人生、自分らしく生きようと思いました」とある。仕事も遊びも愉しんで自分らしく生きた坂川さん、病気をしたわが身より早く逝くなんて信じられない。今日もフェイスブックで信州の風景が送られてくるような気がしている。
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