October 29, 2009

『ユリイカ臨時増刊 ペ・ドゥナ』

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長いこと雑誌編集者をしていたのに、最近、雑誌に魅力を感じることが少なくなった。多いときは4冊ほど定期購読していたのに今ではゼロになったし、本屋へ行っても、雑誌売り場であれこれ覗いて面白そうなのを予算オーバーなのについ買ってしまう、そんなことが少なくなった。近頃の雑誌に魅力がなくなったのか、こちらのアンテナが錆びついたのかは分からないけど、中身が薄い、買って損した、とがっかりする経験が続いたことは確かだ。

久しぶりに、わくわくしながらレジへ雑誌を持っていったのが『ユリイカ臨時増刊 ペ・ドゥナ』。「『空気人形』を生きて」というサブタイトルがついて、1冊206ページがまるごとペ・ドゥナ特集に当てられている。

彼女が主演する『空気人形』公開に合わせての発売。24ページをカラーにして定価1300円ということは、1万5千から2万部くらい刷ったんだろうか。ペ・ドゥナはいわゆる韓流スターの人気者でははないけれど、コアなファンはそれなりにいる。僕も映画を見にいったし、そもそもペ・ドゥナのファンだから、まさしく『ユリイカ』の狙う読者ターゲットだったわけだ。それにしても現代詩の雑誌が女優をテーマにまるごと1冊特集するとは、それだけでもえらい。

ペ・ドゥナへのインタビュー、『空気人形』スチールと撮影現場でドゥナ自身が撮ったスナップ、『空気人形』の是枝裕和監督と『リンダ・リンダ・リンダ』でドゥナを使った山下敦弘監督の対談、そして野崎歓、宇野常寛ら12人の論者によるペ・ドゥナ論、フィルモグラフィーと、この手の別冊としてはまず王道をいく構成。

いちばん面白いのは是枝・山下両監督の対談だったな。2人はそもそも彼女の熱烈なファンなんだね。そこから出演の話が始まった。現場では2人とも「すげえなあ」「可愛いなあ」「キッとにらまれて、すごく怖かった(笑)」「もう完敗」と、めろめろ。そんなふうにヒロインを立てながら、「身体のコントロールが完全にできてる」「プロフェッショナル」とペ・ドゥナの凄さをきちんと見つめてる。

あとは野崎歓の、「なまめかしすぎるペ・ドゥナに、共感ではなく欲望を、友情ではなく恋情を覚えかねない自分を発見」するドゥナ論、彼女が出演した映画ばかりでなく韓国のテレビドラマまで丁寧に追った木村立哉、韓流ドラマのなかのドゥナの立ち位置と韓国の社会状況との関係を考えた田中秀臣のエッセイが読ませる。

不満もある。肝心のドゥナ・インタビューが短すぎることだ。公開前のプロモーションで来日したときのインタビューで、小生も経験があるけど、プロモーションは取材がびっしりつまっていて1時間くらいしか時間をもらえない。写真撮影もあるから、話をできるのはどんなに頑張っても40~50分。通訳が入ると、実質はもっと短くなる。新聞の短い記事や雑誌の1ページ程度ならなんとかなるけど、増刊の目玉としてはつらい。

ここは2~3時間、あるいはもっと長時間のロング・インタビューで、『空気人形』だけでなく他の作品や、女優としての道筋、バックグラウンドをじっくり語らせてほしいところだ。今は北海道や沖縄へ行くよりソウルへ行くほうがカネも時間もかからないんだから、段取りさえきちんとすれば可能だったと思うけど。『ユリイカ』なら、そのくらいの期待をしてしまう。

あと、『ユリイカ』らしく現代思想ぽい言葉遣いのエッセイが並んでいるけど、どれも同じような感触で、読んでいて飽きがきた。インタビュアーでもある宇野のエッセイ1本あればいい感じ。その代りに、例えば韓国の書き手を探してほしかったな。もうひとつ。映画のなかの重要なシーンで吉野弘の詩が引用される。詩の雑誌なんだから、そっちの視点もほしい。

などと、ないものねだりしたけど、久しぶりに雑誌の面白さを堪能しましたね。


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August 08, 2009

『虹色のトロツキー』再読

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田中克彦『ノモンハン戦争 モンゴルと満州国』(岩波新書)を読んだ。

詳しくは書評「ブック・ナビ」(LINKS参照)の9月分で書くつもりだけど、日ソだけでなく、ノモンハン戦争(「事件」ではなく「戦争」と田中は書く)のもう一方の当事者だったモンゴル人の視点からこの歴史的出来事を追った刺激的な本。読了後、安彦良和の『虹色のトロツキー』をもう一度読みたくなって本棚から引っぱり出した。

『ノモンハン戦争』を読んだ後で『虹色のトロツキー』を読むと、日本とモンゴルの混血青年ウムボルトを主人公にしたこの傑作マンガの背景が実によくわかる。20年近く前に書かれたこの作品がどれだけ綿密な調査に基づいていたか、そしてソ連崩壊、中国でのチベット、ウイグルの反乱という事件を経た後でも、その基本的な立ち位置がまったく色あせていないことに驚く。

『ノモンハン戦争』が明らかにしているのは、満州国のモンゴル人はブリヤート系で、その多くは革命ロシアから逃れてきた白系モンゴル人であることだった。彼らは古くからロシア文明に触れ、近代的な民族思想をもっているインテリも多かった。

ノモンハン戦争は表向きは満州国とモンゴル人民共和国の国境紛争だった。当時、満州国は日本の傀儡、モンゴル人民共和国はソ連の傀儡だったから、実質は日本軍(関東軍)とソ連軍の戦いになった。そのなかで満州国のモンゴル人は、戦争相手であるモンゴル人民共和国のモンゴル人とも連絡を取り、日本やソ連を利用もしながら反漢汎モンゴル独立運動を進めていた。

主人公ウムボルトは、関東軍将校で謀略活動に従事する日本人の父とモンゴル人の母の間に生まれたという設定になっている。「五族(日中朝満蒙)共和」を実現するために創設された建国大学に石原莞爾の手で送り込まれたウムボルトは、日本とモンゴルに引き裂かれたアイデンティティに苦しみ、ことあるごとに自分を「日本」から引きはがしモンゴルに同一化しようとする。

そんなウムボルト像の背後に田中克彦描くブリヤート知識人を置いてみれば、日本支配に反発しながらも満州国に反漢反ソ独立の夢を託そうとしたモンゴル系青年の濃密なリアリティに裏打ちされていることが分かる。満州国高官という地位を利用して独立を企てた実在のウルジン将軍も重要人物として登場する。

国家と民族が複雑に絡んだ当時の東アジア情勢や、「敵の敵は味方」という政治の論理からすれば、このマンガの壮大な設定──スターリンに粛清されたトロツキーを建国大学に招聘し、満州国の亡命ユダヤ人、シベリアのユダヤ人と結んで反乱を起こし、ソ連との戦争にもちこもうとする石原莞爾の陰謀──も、どれほどの現実性があったかはともかく、まったくの荒唐無稽とはいえない。

ウムボルトはその陰謀の駒として使われ、歴史の渦に翻弄されるわけだが、彼の恋人・麗花のバックグラウンドも複雑だ。中国名を名乗っているが、彼女は満州ツングース系シボ族の父とウイグル族の母から生まれた混血のコミュニスト(中国共産党でなくコミンテルン系)として設定されている。

ウイグル族の母という設定は、当時、トロツキーが新彊ウイグルと国境を接したアルマアタに流刑になっていた事実をストーリーに利用するためだろう。ウムボルトは、新彊ウイグルに行ってトロツキーに連絡するよう命令を受けたりもする。実際に物語はそうは運ばないが、もしウムボルトと麗花が新彊ウイグルに行ったらどんな展開になっていたのか、ものすごく興味があるところだ。

『虹色のトロツキー』はノモンハンの戦場でウムボルトが傷つき、突然のように終わってしまう。作中のトロツキー計画にも麗花との愛の行方もまだ決着がついていないように思えたから、読者の誰もが驚いた。作者もここで終わらせていいのか、迷いに迷ったようだ。

もしウムボルトがノモンハンの戦場で死なず、まだ物語がつづくとしたら、どういう展開が考えられるのか。楽しみつつ考えてみた。

(1)ウムボルトは最終巻で、たった一人戦場を離脱するようにして死んでいった。これは、モンゴル独立を夢見ながら関東軍の駒として働かざるをえず、日本とモンゴルに引き裂かれたままだった人格の死を意味する。生きかえったウムボルトは、麗花とともに満州国の反漢反日武装ゲリラのリーダーとして転生し、関東軍に復讐戦を挑む。

(2)満州国にいられなくなったウムボルトは、麗花とともに彼女の故郷、新彊ウイグルへ脱出する。麗花はそこでウイグル族独立運動のリーダーとなり、ウムボルトは麗花の影の参謀として生きる。

(3)ノモンハンを生き延びたウムボルトは満州国軍のモンゴル族部隊の長となる。1945年8月、ソ連軍が満州国に侵攻するさなか、高校時代の友人で麗花の元恋人でもあったコミンテルン系コミュニストのジャムツと、戦場で敵同士として再会する。ウムボルトとジャムツは互いに銃を向けあい……。

(4)満州国崩壊を生き延びたウムボルトと麗花は中華人民共和国の人民として、内モンゴル自治共和国で過去を隠しひっそり生きる。胸にモンゴル独立の火を抱えたまま、ラスト・エンペラーのように文革をも生き延びて往生する。ウムボルトと麗花の息子は、内モンゴル独立を志す反政府運動の闘士に成長する。

どのシナリオがいいだろうなあ。

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February 05, 2009

桐野夏生浸り・5

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(『out』ドイツ語版)

桐野夏生の小説にはしばしば「毀れる」「壊れる」といったキーワードが出てくることを書いた。

村野ミロ・シリーズの第2作『天使に見捨てられた夜』には、その言葉こそ出てこないけれど、彼女の小説の主人公が「毀れる」とはどういうことかを暗示するシーンが出てくる。

行方不明のアダルト・ビデオ女優探しを依頼されたミロは、ビデオ制作会社の社長で魅力的な肉体をもった矢代と出会う。ミロは矢代にレイプまがいの脅しを受け、彼が女優の行方不明に絡んでいるかもしれないのに、結局は男の魅力に負けて関係をもってしまう。

その展開は、主人公の探偵が女に設定された「逆ハードボイルド」だから、読んでいて、おやおやとは思うけれど、ハードボイルドというジャンルにとっては「お約束」のうちとも言える。探偵が調査を続けるうちに、魅力的な女に出会う。探偵と女はいい感じになり、時には寝てしまう。

斎藤美奈子サンが喝破したようにハードボイルドが「男のハーレクインロマンス」である以上、そのストーリはしばしば男の通俗的な夢をなぞることになる。だから、これはありうる展開だ。そしてそのエピソードは、男にとっては「一瞬の夢」とか「束の間のアバンチュール」にすぎず、女が実は事件の犯人だったりして、物語の終わりに探偵が噛みしめる苦さをいっそう増すための香辛料として処理される。

ところがこの小説では、ミロが調査対象の男と関係を持ってしまったことが「一瞬の夢」「束の間のアバンチュール」として処理されることはない。

ミロはその後、徹底した屈辱を受けることになる。その関係を刑事に知られ、「仲良しさん、か」「あんたら女はいいねえ。からだ張って調査できるもんね」と薄ら笑いを浮かべた軽蔑を受ける。それだけでなく、やはり調査探偵の父親や、彼女が思いを寄せるゲイの男友達にまで知られてしまう。主人公の颯爽とした格好よさは地に落ちる。

なぜ桐野夏生はミロをここまで屈辱にまみれさせるのか。これは明らかにハードボイルドの「お約束」をはみ出している。読者にしてみれば、「お約束」で成り立っているエンタテインメントに安心して身を委ねていたら、いきなりその快さをぶち壊されたようなものだ。実際、この部分は発表後にファンの間で議論になったらしい。

桐野夏生が「毀れる」「壊れる」という言葉を使うのは、小説によって明示されていることも暗示にとどまる場合もあるけれど、たいていこういうシチュエーション、あるいは体験を指している。

一言でいえば、社会とか世間というものの掟に違反してぶちのめされ、屈辱を受け、人格がどこか深いところで変わってしまうことを、「毀れる」「壊れる」と表現しているように思う。桐野の小説で「毀れる」のはたいてい女性であり、しかもそのシチュエーションには性が絡んでいることが多い。

『天使に見捨てられた夜』は全体としては「お約束」にのっとったハードボイルドだから、ミロは屈辱に耐えて調査を続け、事件を解決する(結末は、ロス・マクドナルド以来の「家族の秘密」ものを踏まえた鮮やかなもんです)。

ではハードボイルドの「お約束」から自由になった他の作品で、「壊れた」主人公たちはどうなっていくのか。

『グロテスク』の語り手である「わたし」は、コンプレックスを抱いている「美人の妹・ユリコ」、高級娼婦から街娼におちぶれて殺された妹に対して嫉妬と憎しみの言葉を全編にわたって吐きつづけている。社会的には区役所勤めの、どこにでもいる平凡な女である「わたし」は、でも最後の章に来ていきなりそんな内面の「毀れ」を行動に表わす。

妹の息子で盲目の美少年・百合雄とともに、街娼として渋谷の街角に立つことになるのだ(皮肉なことに百合雄にばかり客がつくのだが)。初めてラブホテルの門をくぐりながら、「わたし」は内心でこうつぶやく。

「これから起きることを想像して心臓は激しく打っていましたが、それを上回る感情と意志がわたしを支配していたのです。わたしを侮り始めた百合雄に対する憎しみとわたしも変わりたいという欲望でした。わたしは男の体重に喘ぎ、優しさなど微塵もない男の愛撫を受けながら、きっとこう思うでしょう。和恵(注・同級生。殺された街娼)は醜くなった自分を晒し、そんな自分を男に買わせることによって、自分に、そしてこの世に復讐していたのだと。今、わたしも同じ理由で身を売るのです」

「一度落下してしまえば、その後の道行は案外、楽しいのかもしれません。……だとしたら、憎しみも混乱もすべてを背負って、船出いたしましょう。わたしも怖れずに参ります。まあ、わたしの勇気を称えて、あちらで、ユリコと和恵が手を振っているではありませんか」

区役所勤めをしている女が街娼になる。妹のユリコや同級生の和恵(「東電OL殺人事件」の被害者をモデルにしている)と同じ道筋をたどって社会的な網からこぼれ落ちた「わたし」は、小説のなかで初めての解放感を味わっている(斎藤美奈子サンも文庫版解説で「爽快」「不思議な解放感」という言葉を使っていて、小生の感じ方もあながち間違いではなかったと嬉しくなった)。その解放感は、この件で使われる別の言葉でいえば「意志」的に実現した「変わりたいという欲望」から来ている、ということになるだろうか。

『out』のラストシーンはこうなっている。

ばらばら殺人事件の犯人と間違えられた男・佐竹は、死体処理を実行した雅子を追いつめる。佐竹には快楽殺人を犯した過去がある。「毀れて」いる雅子は、いつか佐竹に出会い、滅ぼされたいと願うようになる。2人は物語の最後で出会う。佐竹は雅子を拉致し、深夜の廃工場で乱暴するが、2人の間には愛とも憎しみともつかない奇妙な感情が生まれる。

「雅子は佐竹と自分の不思議さを思い、自分の中で動く佐竹にもっと強い意志的な憎しみを抱いた。……何とかこ男をこの刃で貫いてやりたい」

雅子は一瞬のすきを突いて佐竹の頬をえぐり、死にゆく佐竹とこんな会話を交わす。

「『死なないで』雅子は静かに言った。
『自由になろうぜ』佐竹がつぶやいた。
『うん』
佐竹が腕を伸ばし、雅子の頬にそっと触れた。その指の先は冷たかった」

佐竹が死んだ後、ラストシーンで雅子はこうつぶやく。

「佐竹とも、ヨシエや弥生(注・犯罪の仲間)とも違う、自分だけの自由がどこかに絶対にあるはずだった。背中でドアが閉まったのなら、新しいドアを見つけて開けるしかない」

ここでも「意志的」という言葉が使われている。雅子の行動は制御できない感情の結果でなく、あくまで「意志的」なものとして描かれている。また「自分だけの自由」という言葉が使われている。

『グロテスク』の「わたし」も、『out』の雅子も、物語の最後に来てすっくと立ち上がる。社会や世間の網の目からこぼれ落ち「壊れた」主人公たちが「自分だけの自由」を求めて「意志的に」立ち上がる。もっともそれは社会的に見れば、「わたし」は街娼になったということであり、雅子は殺人・死体損壊遺棄犯として逃亡するということである。

言葉にしてしまえば「意志」とか「自由」という単語になるけれど、それらの言葉を背後から支える感情の深さを、桐野はそこへ来るまでに、これでもかとばかりに描いている。だからこそ読者は主人公の最後のすっくとした立ち姿に解放を覚えるのに違いない。

主人公たちは売春や犯罪に加担するわけだけれど、主人公のなかにも、それを描く作者のなかにも、社会秩序をつくる法への意識が微塵もない。イデオロギー的な反体制というのではなく、法の規範意識や世間の「お約束」がきれいさっぱり消えうせているのだ。そこにひっかかると、もしかしたら主人公の解放感を共有できないのかもしれないが。

桐野夏生の読者に女性が多いのは、作者が女性だというばかりでなく、売春や犯罪とまではいかなくとも、女性が世間の掟にそむいて屈辱を受け「壊れる」体験が、大なり小なりこの社会のありふれた出来事だからだろう。だからこそ、屈辱の底から立ち上がる主人公に共感を覚えるのだろう。

最後に桐野夏生の想像力について。

彼女の小説は、何度も書いたように「東電OL殺人事件」とか少女誘拐・長期監禁事件とか、実際に起こった事件に素材を求めることが多い(『東京島』も戦争中に起こった事件をヒントにしている)。

でもそれはあくまで素材で、小説の中身は現実の事件とはかけ離れ、事実を追うのではなく妄想に妄想を重ねたものになる。それは作家の想像力なんて整除された言葉ではなく、桐野夏生は事件の当事者に憑依するのだ、とでも言いたくなる。まるで殺された女に憑き、その女になりかわって語りつづける巫女みたいに。

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February 01, 2009

桐野夏生浸り・4

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(『out』タイ語版)

桐野夏生の書くものは今ではミステリーでない小説のほうが多いけれど、ミステリーで賞を受け、ベストセラーになったから、ミステリー作家という印象が強い。実際、『out』と『柔らかな頬』は日本のミステリーからベストを選べば共に入ってきそうな傑作だ。でもそれ以前のハードボイルド小説を別にすれば、ミステリーらしいミステリーはこの2作しか書いてない。

そして改めて考えてみると、2作ともハラハラどきどきの連続であるにもかかわらず、普通に言われるミステリーの約束事というか、ルールにのっとっていないことに気づく。

ミステリーには定型があって、まず冒頭で何らかの事件が起こり、何らかの謎が提示され、最後にその謎が解かれ、犯人が名指されたり、何らかの解決を見ることによって終わる。その過程が読者を面白がらせ、カタルシスをもたらす。

ところが『out』も『柔らかな頬』も、事件は最後まで解決しない。

『柔らかな頬』は、北海道の別荘地で幼女が行方不明になることから始まる。幼女の家族と、もうひとつの家族がからみあってストーリーが展開し、読者は物語を追いながら誰が幼女をなぜ、どのように誘拐したのか、あれこれ想像をめぐらすことになる。

ところが最後の「謎とき」に当たる部分に来て、いきなり行方不明の幼女の告白が出てくる。そしてそれを読んでも、誰が幼女を誘拐した犯人なのかはっきりしない。事件の真相がはっきりしないまま、小説は終わる。そして読後感は、犯人が分からないままのほうが、いや分からないからこそ登場人物それぞれの切なさが心に残る。

『out』も同じようなものだ。主婦の弥生が夫を殺してしまい、仲間の雅子たちが協力して死体をばらばらにして処分する。読者は雅子たちの行動を追いながら、このバラバラ殺人事件が、どこで破たんするのかをはらはらしながら見守ることになる。

ところが前に書いたように、小説は途中から大きく方向転換してしまう。殺人犯の弥生は、犯人と間違えられた男に保険金を盗られるものの警察からは見逃されたままだし、死体損壊・遺棄犯の雅子はいろいろあった末に物語の最後で颯爽と旅立つ。つまり社会的に見れば、事件は解決しないまま小説は終わる。

しかも『out』も『柔らかな頬』も複数の人物の視点が登場し、その視点ごとに事実が異なっているために、読者は本当のところ何が起こったのかが分からない。事実が確定されないために、「真相」とか「真実」というものが意味をなさない(この手法が全編に効果的に用いられたのが『グロテスク』)。

2作ともミステリーの常套的なルールに従っていないわけで、これはむろん桐野が意図したことだ。

『out』『柔らかな頬』以前に桐野が書いたハードボイルド小説でも、ハードボイルドの「お約束」が彼女には不自由で、拘束されるものと感じられたに違いない、と書いたけれど、もっと広いミステリーの分野に進出しても事態は同じだったらしい。桐野がミステリーを2作しか書かず、しかもそれがミステリーの定型的な「お約束」を逸脱したものだったことが、それを示していないだろうか。

もうひとつ、彼女の小説を読んで感ずることがある。

ミステリーは、読者をハラハラどきどきさせることで満足感を与えるエンタテインメントだ。では僕らは何をめぐってハラハラどきどきするのか。読者がミステリーを読んで期待するのは、例えばある犯罪が主題とされたとき、その犯罪がどのような形で行われ、犯人が誰で、結局はそれがどのように露見あるいは解決するのか、ということだろう。

読者がなぜハラハラどきどきするのか。僕の考えでは、読者はストーリーを追いながら、それと明示されているわけではないが物語の奥に引かれた何らかのラインを巡って心が動揺するからだと思う。そのラインは、いろいろな形でありうる。例えば男と女の愛と憎しみのラインとか、社会的役割の責任と逸脱をめぐるラインとか。

でもミステリーでいちばん使われるのは、法の遵守と逸脱をめぐるラインじゃないだろうか。典型的なのは刑事を主役や重要な脇役に据えた小説で、何らかの事件が起こり、刑事がそれを調べるなかで犯人を見つけ、謎を解く。

読者はその過程でハラハラどきどきするわけだけど、そのときハラハラどきどきを生じさせるラインは何かといえば、読者の無意識に内面化された法というものだと思う。感情移入した主人公が法を犯しているなら、読者はそれがいつ露見するのかとはらはらする。そのとき、読者はそう思っていなくとも、意識下では法という規範が働いている。

ところが桐野夏生の小説では、ハラハラどきどきを生じさせるために読者の意識下の法を使うということをしない。『out』で主人公の雅子が逃げるのは、法の執行者である警察からではなく、彼女らに復讐しようとする殺人者からだった。

『柔らかな頬』でも、物語のハラハラどきどきは、行方不明になった幼女の母親と、彼女と不倫の関係にある男とその妻との心理的な葛藤から来ていた。小説の後半で元刑事が母親の娘探しに協力するかたちで登場するけれど、元刑事は病気で余命を宣告された身であり、もはや法を執行することに何の情熱も持っていない。

だいたい桐野夏生の小説は、ハードボイルド、ミステリー、あるいは「東電OL殺人事件」や少女誘拐・長期監禁事件といった犯罪を素材にした小説でも、警察官が主要な登場人物として描かれることがほとんどない。どんな事件や犯罪も、法の執行者がそれを調べ暴くという展開にはならず、法というものをほとんど意識させずに物語られてゆく。

そういえば、正月の新聞で桐野と分子生物学者の福岡伸一が対談していたとき、彼女はこんなことを言っていた。

「法律とは感情を整理する道具でありシステムだそうですね。でも……法律の網目から落ちていくものをどうするか、どう折り合いをつけるかというのが、小説の本質かもしれません。……是非を問うのではなく、こぼれ落ちる側の世界をただ提示していくことが面白いし、大事だと思います」(朝日新聞、1月5日付)

「是非を問うのではなく、こぼれ落ちる側の世界をただ提示していく」。そう言う彼女の立ち姿は明快で、颯爽としている。

桐野夏生の小説はハードボイルドの「お約束」を逸脱し、ミステリーの「お約束」を逸脱し、作者や読者の心のうちにある法という「お約束」も逸脱して物語られてゆく。彼女のジャンルからジャンルへの移り行きは、そういう逸脱の繰り返し、束縛からの逃走として読めるのだと思う。

そしてそういう桐野のありようは、当然のことながら彼女が描く小説の主人公たちにも投影されている。と、ここまできて、彼女の小説が不安や嫉妬や憎しみに満ちているのになぜ読後に解放感があるのか、がようやく分かってくるような気がする。

(付記:このエントリー、『out』も『柔らかな頬』も手元になく、1カ月以上前に読んだ記憶で書いたので、間違いがあればご容赦を)

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January 31, 2009

桐野夏生浸り・3

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(『out』ノルウェー語版)

それまでジュニア小説を書いていた桐野夏生が初めてミステリーを書いて江戸川乱歩賞に応募し、見事に賞を獲得したのが『顔に降りかかる雨』(1993)だった。主人公は女探偵の村野ミロで、以後、桐野はミロ・シリーズの続編やミロの父親を主人公に据えた作品で「女流ハードボイルドの旗手」と呼ばれる存在になる。

そんな評判にもかかわらず、彼女はハードボイルドの世界に長くはとどまらず、もっと広い場所へ出てゆく(ずっと後にミロ・シリーズが書き継がれるが)。そこで生まれたのが『out』(1997)、『柔らかな頬』(1999)といった傑作ミステリーだった。

日本のミステリーとして初めてエドガー賞にノミネートされ(『out』)、直木賞を受賞し(『柔らかな頬』)、高い評価とたくさんの読者を得たにもかかわらず、しかし桐野の小説はさらに変貌をとげて、もはやミステリーとも呼べないような作品へと変わってゆく。それは『玉蘭』(2001)を経由して、『グロテスク』(2003)で花開くことになる。『グロテスク』は見方によってはミステリーとも言えるし、そうでないとも取れる境界線上の作品かもしれない。

前のエントリーで、桐野夏生の小説が不安や嫉妬や憎悪に満ちているのに、読後にある種の解放感があるのはなぜかを考えてみたいと書いたけど、そこへ至る回り道として、彼女の書く作品がジャンルからジャンルへと移り行く、その経過を見てみる。

ハードボイルドはミステリーの一ジャンルだけど、ひとことで言えば「お約束」の世界である。

主人公は私立探偵か警官。事件が起き、主人公が調査に乗り出す。謎がある。ファム・ファタールを思わせる魅力的な女性が登場する。疑似恋愛。やがて謎が解かれ、真相が明らかになり、意外な犯人が判明する。残るのは、主人公の苦い思い。

ざっとこんなところが基本的な「お約束」だろうか。物語が主人公の一人称で語られることも多い。しゃれた会話と、舞台装置として都会的なファッションやジャズ。どの作家も、こういう「お約束」をベースに、そのなかでなんとか新味を出そうと知恵をしぼる。

時に「お約束」を裏切ったり、パロディにしたりするのも、あくまで「お約束」の掌のうちにある。読者も「お約束」を承知しているからこそ安心して、快く小説に身をゆだねることができる。

桐野夏生の『顔に降りかかる雨』や『天使に見捨てられた夜』『水の眠り 灰の夢』も、こういう「お約束」の上に成り立っている。彼女の場合、書き手も主人公も女性で、「お約束」の男女の役割がひっくり返されるのが新鮮だった(アメリカではたくさんあるけど)。読者にも女性が多かったらしい。

僕が読んだ3作はどれもよくできた、楽しめる小説に仕上がっている。主人公の村上ミロが魅力的だし、事件も1990年代の社会風俗をうまく取り入れている。『水の眠り』では資料を調べて1963年の東京、オリンピックと高度経済成長を目前にした東京(とりわけ銀座)の雰囲気が鮮やかに再現されている。いま読んでも上等のエンタテインメントだね。

ところで、ハードボイルドの「お約束」の上に成り立つ快さの正体をずばっと指摘した人が、僕の知るかぎり二人いる。

一人は『要塞都市LA』(青土社)を書いたマイク・デイヴィス。この本はロサンゼルスという都市を生成史、建築、都市社会学、セキュリティ論、文学、映画といった多角的な視点から論じた刺激的な一冊だ(読みにくいけど)。このなかでハードボイルドとノワールがロサンゼルスの都市文学として読み解かれている。

彼は言う。ハードボイルド作家が描く「彼らのプチブル・アンチヒーローは、まさに自伝的感情の表現であり」、「チャンドラーのマーロウも同じように、ギャング、悪徳警官、働かずにぶらぶらしている金持ちとの闘いに閉じこめられたちっぽけな自営業店主を象徴している――スタジオの大物や三流ライターと作家との関係の、ロマンチックなシミュラクラである」。要するにハリウッドに雇われたインテリ(作家)の嘆きと反抗のポーズ、つまりプチブル・アンチヒーローにすぎないと、さんざんな言われようだ。

もう一人は斎藤美奈子サンで、彼女はもっと分かりやすく簡潔だ。曰く、ハードボイルドは男のハーレクインロマンスだ、と。

うーん。苦笑しながらうなずくしかないね。

実は小生、ハードボイルド大好きである。もっとも読むのはアメリカの小説ばかりで、だから桐野夏生も発表時には読んでない。ハメット、チャンドラーの古典からジェームズ・クラムリー、ローレンス・ブロックといった70~80年代のネオ・ハードボイルド、ジェームズ・エルロイやマイクル・コナリーなどノワールふうな90年代以降の小説まで、けっこう追いかけてきた。

ハードボイルドの始祖であるハメットもチャンドラーも、1930年代にロサンゼルスにやってきて、ハリウッド映画の原案作者や脚色家として生計を立てながら、パルプ・マガジンと呼ばれる大衆的な雑誌に小説を発表していた(今の日本でいえば『アサヒ芸能』か『日刊ゲンダイ』という感じか)。

彼らの関係する映画(その多くはノワールと呼ばれるギャングもの)も小説も多くの人に見たり読んだりしてもらわなければ成り立たない大衆的商品だから、かつての東映やくざ映画や寅さんがそうだったようにパターン化し、「お約束」の世界になってゆく。

作家としての意欲や矜持と「お約束」の間にねじれが起こり、そのねじれが作品に反映して、ハードボイルドやノワールの陰影という隠し味になる。デイヴィスが「アンチヒーロー」と言うのは、小説家が「お約束」にのっとってヒーローを描こうとして、そのねじれが否応なく単純な「正義の味方」でないアンチ・ヒーローを生みだしてしまったのだと僕は解する。

しかし一方でそのヒーローはあくまで大衆(ほとんどが男)に受け入れられるものでなければならないから、男の通俗的な夢をなぞった「ハーレクインロマンス」ともなる(ここからイデオロギー的な「フェミニズム批評」というやつなら、女性が男の差別的視線を倒錯的に内面化したものとしてミロ・シリーズを批判するかも)。

デイヴィスが言うようにハードボイルドはロサンゼルスの都市小説(もう少し一般化すればアメリカの都市小説)とも読める特殊なものだから、それを日本に移し替えようとすると色んな困難がある。そもそもアメリカのような私立探偵はいないわけだし。

大藪春彦や生島治郎の先駆的な小説の後、五木寛之や船戸与一、佐々木譲、逢坂剛あたりを読んだ1970~80年代に、日本のハードボイルドもこの国の風土に合わせて成熟したなあと思った記憶がある。

僕はその後、日本のミステリーをあまり読んでないけれど、今度読んだ桐野夏生の小説も明らかにそういう流れの上に成り立っている。

ハードボイルドの「お約束」をちゃんと踏まえ、それが日本の現実のなかで不自然さを感じさせないように消化されている。ハードボイルド小説の魅力のひとつは風俗小説としての面白さだと思うけど、死体愛好や異装といった倒錯世界やアダルト・ヴィデオ業界、ネオ・ナチなんかをからませるのもうまい。主人公・村上ミロ(この名前はクラムリーの主人公・ミロドラゴビッチから取ったもの)の服装や音楽の趣味もいい。

それにしても桐野夏生は、はじめっから文章がうまかったんだなあ。その艶っぽさと、イメージの鮮やかさにはうなる。いちばん印象に残ったのは『顔に降りかかる雨』、ミロが雨の鎌倉の邸宅で、裏世界の顔役が首を吊っているのを発見するくだり。

「一瞬、白いものが目に留まった。雨によって新緑の緑が冴え、だから白いものが目にとまったのだろう。何か布が風に煽られて揺れたかのようだった。
 私は濡れ縁に出て、ガラス戸越しに庭を眺めた。またちらっと白いものが見える。あれは着物のような、と思った瞬間、ぞっとするものが背筋を走った。……
 私は顔に雨を受けながら、庭石づたいにその白いもののそばに近づいていった。椿の木の裏。その横の大きな馬酔木の陰。青桐のすべすべした木の枝に何かがぶら下がっている。毛のない真っ白な脛がいきなり目に入った。ひらひらと白麻の着物の裾がはためいている」

 雨中の緑と白の対照。風に揺られる着物の動き。読む者にも感じられる、顔に受ける雨の冷たさ。椿、馬酔木、青桐と映画のカメラのように移動してゆく視線。その先に現れる白い脚の不気味な感触。とてもミステリー作家としてのデビュー作とは思えない。

ミロ・シリーズは好評だったし、新しいハードボイルド・ヒロインの誕生として期待された。でもシリーズは、長編としてはひとまず2作で終わってしまう。どんなにうまく処理されていても、「お約束」が桐野にとっては不自由に、拘束として感じられたのだと思う。想像するに、「お約束」の上に成り立つ世界では自分の書きたいことが十分に展開できない、と考えたんじゃないかな(しばらくしてミロ・シリーズの続編が書かれたのは、もっと広い小説世界を確立し、「お約束」を楽しむ余裕ができたからだろう)。

船戸、佐々木、逢坂といった小説家がハードボイルドだけを書いたのではないように、日本の風土でアメリカ生まれの「お約束」の上に小説世界を展開するのはどこかで無理が生ずる。

桐野夏生は、ひとまずハードボイルドを離れ、もっと広いミステリーの世界へと転進してゆく。

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January 30, 2009

桐野夏生浸り・2

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(『out』中国語版)

桐野夏生の小説を何冊か読んでいると、どの作品にも共通するキーワードがいくつか出てくるのに気づく。そのひとつが「壊れる」、あるいは「毀れる」という言葉だ。

「壊れる」あるいは「毀れる」という言葉が発された瞬間に、桐野の小説世界はいちだん深い場所へと入ってゆく。そう感じられる。

たとえば『魂萌え!』の主人公。世間知らずの専業主婦だった敏子は、夫の死後、息子や娘との相続争い、夫の愛人との対面、自身の不倫などを経て、ひとりで生きていこうとする自分自身の胸に問いかける。

「壊れるのか、それとも新しい何かが生まれるのか」

あるいは『玉蘭』の医師・松村。彼は元恋人で娼婦まがいの生活を送っている有子と再会し、砂を噛むような思いで有子を抱きながら、こう考える。

「もっと感じてほしい。その願いは、有子にもっと壊れてくれ、と言っていることと同じだった。さっきはあれほど大事に壊れ物を扱うように抱いていたのに。有子はとっくに壊れていたのだ。松村は激しく上下に動きながら、有子に囁いていた。二人でどこまでも壊れよう」

この「壊れる」あるいは「毀れる」という言葉がとりわけ印象的な、それだけに凄まじいシチュエーションで使われているのが『out』だろう。

『out』はベストセラーになったから、今さらここで解説するまでもないけど、ちょっと詳しく見てみようか。いま読むと、こんな危ない小説がよくベストセラーになったね。

主人公は東京郊外に住む40代の主婦・雅子。彼女は自宅近くのコンビニ弁当工場で夜勤の期間労働者として働いている。彼女には工場でラインを組む3人の仲間がいるが、そのうちの1人・弥生がふとしたはずみで夫を殺してしまう。弥生に相談された雅子は、死んだ夫を行方不明に見せかけるために死体をばらばらにして処理することを提案する。

とここまで書いてきて分かるように、常識的に考えれば主人公・雅子の提案に説得力はない。弥生とそれほど深いつきあいがあるわけでもないのに、進んで死体損壊・遺棄という重大な犯罪に加担しようというんだから。しかも、そう決心した雅子の心のうちはなんにも説明されない。

「『どうして。じゃ、どうしてここまでしてくれるの』
弥生は健司(注・死んだ夫)の脇の下に膝を差し入れながら、雅子に訊ねた。
『後で考える』」

「後で考える」ってセリフがすごいね。雅子たち4人が弥生の死んだ夫をばらばらにして捨てる、その成り行きを読者に納得させるのは、彼女らの内面や心理描写ではなく、彼女たちが働いているベルトコンベアの弁当工場を描く、その描写のすごさにある。主人公の内面を描かず、その外面を描いて内面を暗喩させるハードボイルドの手法の応用とも見える。

自動車工場やアパートや一戸建てや空地が混在する大都市近郊。弁当工場に深夜に出勤してゆくのは、彼女らのような主婦や日系ブラジル人労働者だ。その風景描写と、工場内でフォード・システムでコンビニ弁当をつくる描写がなんともリアルなんだなあ。

読んでいくうちに、このコンビニ弁当工場が現在の日本社会の比喩であることがだんだん実感されてくる。ちなみにこれは桐野夏生がしばしば使う手で、『グロテスク』で主人公たちが通う有名女子高の同質性と異分子排除の世界もこの社会の縮図だったし、無人島に漂着した日本人男女がミニ社会をつくる『東京島』はタイトルからして東京=日本を意味していた。

この都市近郊と弁当工場の生々しいリアリティが、4人の仲間による死体バラバラ処理という荒唐無稽なシチュエーションを読者に納得させてしまう。

「いつの間にかラインの向こう側で『肉均し』に就いた弥生がこちらを見ている。
『何? どうしたの』
『こうなっちゃえばわかんないね』
弥生は何度も肉に目を落として言った。その目に狂躁とでもいえる光があった」

その後、死体処理の細密描写が桐野独特の濃密な文章で延々と続くのもすごいけど、物語は途中から大きく思わぬほうへ方向転換してゆく。

『out』は最初、社会派ミステリーのような顔をしている。主人公たちによる殺人と死体バラバラ処理。バラバラ殺人の部分だけ取り出せば、現実に起こっている事件(最近も)であり、その意味で読者はリアルな思いを持つに違いない。

その上で、読む者は、主人公たちの行為はきっと失敗するに違いない、でもどこでどんなふうに暴かれてゆくんだろうとハラハラ(期待)しながら読み進むことになる。僕も途中まではそういうミステリーとして、宮部みゆきを生々しくしたような小説だなと思いながら読んでいた。

ところが、健司殺しの犯人と間違えられ警察に追及される男・佐竹が登場するあたりから、小説はがらりと様相を変える。男は犯人と間違えられた復讐をするために、雅子を追う。男にはかつて快楽殺人とも言える犯罪を犯した過去がある。追う男と追いつめられる雅子、そのあたりからまだ会わぬ2人の妄想の恋愛(官能)小説とでも呼べそうな展開になってくる(一方、日系ブラジル人労働者を脇役に配することで、この国の現実に錘を垂らすことも忘れていない)。

男の殺人の記憶。

「佐竹は自分で刺した女の腹に指を入れてみた。指はずぶずぶと付け根まで入った。だが女は何も感じない様子で、口をぱくぱく開いては囁くように『びょういん』と言い続けている。佐竹の指が手首まで鮮血に塗れた。佐竹はその血を女の頬で拭いた。自分の血で赤く頬を染めた女はこの世のものと思われないほど綺麗だった」

一方、追いつめられ、男の影を感ずる雅子の見る悪夢。

「締めつける指の温かさが、首筋にかかる男の荒い息が、次第に雅子を暗い衝動に突き動かしていく。そのまま強い力に身を委ね、縊り殺されてしまいたいという衝動に。その瞬間、雅子の恐怖が無重力状態に入ったかのようにかき消えた。代わりに、信じ難い恍惚が雅子を襲い、雅子は驚きと愉悦の声を漏らした」

追う男の記憶と追われる女の悪夢が遠く離れて感応し、雅子は男を恐れ、逃げ回りながら、男との出会いを心の底で期待するようになる。彼女は男への激しい憎しみに燃えながら、男に殺されることを願っている。

「毀れる」という言葉は、物語の終わり近く、弁当工場の隣にある廃工場で深夜、遂に2人が顔を合わせたところで登場する。男が雅子を拉致し、暴行した後の会話。

「『あんたは毀れてる!』雅子はまた叫んだ。
『そうだよ。おまえも毀れてるんだ。俺は最初に見たときからわかってた』
自分の毀れは、そんな佐竹に惹かれていることだ」

この暗闇の廃工場で繰り広げられる、2人の現実とも妄想ともつかないくだりはこの本の最高の場面であると同時に、桐野夏生の全作品(まだ全部読んでないけど)のなかでも屈指の美しい場面だね。しかも雅子の視点からと男の視点からと、細部が微妙に異なる同じシーンが2度繰り返され、どこまでが現実でどこまでが妄想なのか読者にも(あるいは作者にも)判断がつかないのがすごい。

小説の冒頭で、夫を殺した弥生に対し、雅子がなぜ犯罪に加担すると申し出たのか。その理由を問われた雅子は「後で考える」と言っただけで、作者は何も説明していない。それは最後まで説明されないけれど、ここまでくると分かってくる。

家庭の主婦であり、弁当工場で期間労働者として働いている(つまり一見ごく普通の市民である)雅子は、この小説が始まった時点でもう「毀れていた」のだ。だから理由なんてどうでもよかったのだ。それを読む者におかしいと感じさせず、風景や人物のリアルな描写で納得させてしまうところが桐野夏生の力なんだと思う。

もしかしたら雅子は、「壊れるのか」と自問した『魂萌え!』の主人公・敏子の、その後の姿(年齢は違うけど)なのかもしれない。そう思うと、ホームドラマに終始する『魂萌え!』が実はとんでもなく怖い小説にも見えてくる。

桐野夏生はこんなふうに、この現実のなかに生きて否応なく「壊れる」(「毀れる」)ほかに途がない女を描きつづけている。その世界は不安と孤独と憎しみと性的妄想に満ちている。でも、彼女の小説を読んだ後には、そんな暗い世界を経由した果てなのに、ある種の解放感を感ずることが多い。

5年前に『グロテスク』の書評で、こう書いたことがある。

「これは現実の事件に沿った小説ではなく、あくまで『処女の姉(注・語り手のわたし)と娼婦の妹』が主人公なのだ。そこには最後のどんでん返しが用意されているが、それを明かしてはルール違反になる。でもそこで読者は、これは『転落』の物語ではなく『解放』の物語だったのだと、改めて気づくことになるだろう」

ここで「転落」という言葉は、名門女子高を卒業した登場人物たちが一流企業に就職したりモデルになったりした末に娼婦になったことが、通常社会的にはそう受けとめられる、という意味で使っている。一方、「解放」という言葉についてはまったく説明しなかった。

『out』もそうだけれど、彼女の小説を読み終わって『グロテスク』の解放感に近いものを感ずることがしばしばあるのに気づいた。そのことについて考えてみたい。

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January 29, 2009

桐野夏生浸り・1

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(『out』英語版)

年末から桐野夏生を読み耽っている。

デビュー作といっていい『頬に降りかかる雨』に始まり、『水の眠り 灰の夢』、直木賞を受けた『柔らかな頬』、さらに『玉蘭』『out』『残虐記』『魂萌え』『東京島』と来て、最新作『女神記』と、『錆びる心』『ジオラマ』などの短編集。これは読んだ作品を刊行された時系列で並べたんだけど、実際には目についたものから手当たり次第に読みつづけ、そして飽きることがない。

彼女を読むのは初めてではなく、何年か前、『グロテスク』を読んで感想めいたものを書いたことがある(書評book-navi、LINKS参照)。そのときから、いつかちゃんと読んでみようと思っていた。

『グロテスク』も発表当初から話題になった小説で、ぐいぐい引き込まれるストーリー・テリングと濃密な描写に圧倒されたけど、彼女の主な長編をまとめて読んでみるとその印象はいよいよ強まる。だけでなく、『グロテスク』でも予感されたけれど、爽やか草食系が多い今のエンタテインメント系の作家には珍しく黒々とした地下水脈を湛えた、スケールのでかい小説家だなあと思った。

「東電OL殺人事件」や少女誘拐・長期監禁事件といった現実の出来事に触発された作品もあるから、桐野夏生の小説は社会派みたいな顔をしていて、それはその通りだし、この国の現実とその中に放り出された女性の姿に深い関心を持っていることは間違いないけれど、彼女の小説のすごいところはそんな社会性を突き抜けた<反社会>性にあるというのが、僕の今のところの感想だ。

彼女の小説を読んでいて連想するのは、大正期の谷崎潤一郎の妖しい世界か。あるいは桐野夏生のヒロインは、夫を戦争に取られまいとその脚を鉈で切り落とした増村保造映画のミューズ、若尾文子の化身なのか。

桐野夏生の小説群は大雑把に言って3つの時期に分けられる。

『頬に降りかかる雨』で江戸川乱歩賞を受賞して一躍その名を知られ、女流ハードボイルドの旗手と言われた時代。ハードボイルドからもっと広いミステリーに進出し、同時に多くの読者も獲得した『柔らかな頬』や『out』の時代。そしてそれ以後の、もはやミステリーとも呼べずただ小説としか言えないさまざまな作品を発表している、現在にいたる時代。

まだ途中経過だけど、桐野夏生の小説を読んで感じたことをメモしておこうと思う。

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December 05, 2008

昭和天皇の母子関係

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(貞明皇后。原武史『昭和天皇』-岩波新書-から)

原武史の天皇論は、いつも従来の政治権力論的な見方では見過ごされがちなところにスポットを当ててみせる。

『大正天皇』(朝日選書)は、存在そのものが希薄だった大正天皇の、帝国議会の開院式で証書を丸めて覗いたみたいなレベルでしか知られていなかった実像を追って、天皇として初めて一夫一婦制を取るなど意外に近代人だったり、地方へ出かけたとき気軽に外を出歩くなど昭和期に神格化される以前の天皇の知られざる側面を描いていた。

今年の司馬遼太郎賞を受けた『昭和天皇』(岩波新書)でなんてったって面白いのは、大正天皇の妻であり昭和天皇の母である貞明皇后と昭和天皇の母子関係について書かれた部分だね。なにせ大日本帝国の最高権力者のことだから、母子の葛藤は単に家庭内の問題ではすまず、帝国の運命にまで絡んでくる。

大正天皇の病が重くなるにつれて、妻の貞明皇后は「神(かむ)ながらの道」という新興神道にのめりこみ、夫の死後、息子が即位した昭和期に入るといよいよ神がかりの傾向を強めたという。

一方、息子の昭和天皇は、皇太子時代にヨーロッパ訪問をしたこともあってゴルフを楽しんだり生物学に熱中したり、イギリス王室を手本に皇室の近代化をめざして大奥のような女官制度を改革したりしている。

天皇は、新嘗祭など月に何度もの宮中祭祀をこなさなければならない(祭祀の多くは古いものでなく明治になって新たに定められた「創られた伝統」だった)。ところが明治天皇も大正天皇も必ずしも宮中祭祀に熱心でなく、それは昭和天皇も変わらなかった。そのことが、神がかりの貞明皇后(皇太后)には大いに不満だったらしい。

昭和天皇の宮中祭祀への態度について貞明皇太后は、「御正坐御出来ならざる(正坐もできない)」とか「形式的ノ敬神ニテハ不可ナリ、真実神ヲ敬セザレバ必ズ神罰アルベシ」と、なんとも強い言葉で批判している。「神罰があるぞ」と告げる母親は、息子にとってかなり支配的・抑圧的な存在だったにちがいない。しかも時代は「現人神」として天皇の神格化が着々と進んでいたから、母に異を唱えるわけにもいかない。

一方、昭和天皇と2人の弟、秩父宮、高松宮との兄弟関係も微妙だった。秩父宮は2・26事件を起こした陸軍皇道派と近く、「秩父宮様帝位簒奪」との噂も立った。事件後の青年将校への処罰について、温情を期待された昭和天皇が冷たかったのは、秩父宮との関係も影響していたらしい。もうひとりの弟、高松宮は近衛文麿ら宮中グループと近く、敗色が濃くなった太平洋戦争末期に戦争継続を考える昭和天皇を批判し、以来、2人の間には溝ができた。

貞明皇太后は秩父宮と高松宮を「秩父さん」「高松さん」と呼んで可愛がった。家族のなかで孤立し、帝国が太平洋戦争へ突き進むなかで、独り言が目立つようになった昭和天皇はかつてとは様変わりして宮中祭祀に熱心になってゆく。月に何度もある祭祀をこなし、「神の御加護」を求め、伊勢神宮に戦勝を祈願した。

戦局の悪化に反比例して貞明皇太后の神がかりはいよいよ強くなった。敗戦の2カ月前、天皇は皇太后に会いに行く。恐らくは勝利の見通しが立たないことを母に説明した後、息子は嘔吐して2日間寝込んだという。

貞明皇太后の神がかりは、戦後、皇太后が亡くなってからも、「魔女」と呼ばれた皇太后側近のひとりの女官に引き継がれた。1970年、昭和天皇が遂に「魔女」の罷免を決意したとき、「言ふことをきかなければやめちまえ」ときわめて激しい口調で侍従長に告げている。「やめちまえ」という感情をあらわにした言葉からも、貞明皇太后の影が「魔女」を通して死後もいかに大きく昭和天皇にのしかかっていたかを推測できる。

想像をたくましくすれば、敗戦は昭和天皇にとって皇太后の告げる「神罰」が下りたと受けとめられたかもしれない。

昭和天皇は戦後も宮中祭祀に熱心だった。その理由について原は、「天皇は少なくとも『神』に対しては戦中期の過ちを自覚するがゆえに、戦後も一貫して宮中祭祀に努めてきた」「天皇が責任を痛感していたのは第一に皇祖皇宗に対してであり、国民に対する責任観念を意味するはずの『戦争責任』という言葉には、にわかに反応できなかったのではないか」と言っている。

宮中祭祀という視点から見るかぎり、戦前も戦後もそのありようはほとんど変わっていない。昭和天皇にとって敗戦時の最大の関心は「万世一系」の天皇家の維持だった。マッカーサーの政治的決断でそれが果たされ、戦後も亡くなるまで皇祖に祈りつづけた昭和天皇の姿を見ていると、天皇が統治者であり主権者でもあった大日本帝国から国民主権の日本国への大転換は、彼にとってさほどの意味を持たなかったのではないかと思えてくる。

原武史はさまざまな資料を当たり、側近や侍従の日記・手記を読みときながら、昭和天皇の宮中祭祀と家族関係という、天皇家の外からはうかがいしれない部分に光を当てた。

最近の新書は岩波も含めて内容が薄く失望することが多かったけど、久しぶりに充実した新書を読んで本を読む喜びを味わったな。


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January 26, 2007

色川武大エッセイズ

この1年ほど、風呂に入るとぬるめの湯に30分近くつかっている。その間、手持ちぶさたなので本を読む。むずかしい本は読めないから軽いやつ。しかも浴槽から手を出して本を支えなきゃいけないので、内容だけでなく物理的にも軽いのがいい。ときどき眠くなってカクンとなり、本を濡らして、あっ、しまった! なんてこともあるから、その点でも単行本ではなく安価な文庫本がいい。

お気に入りなのが、筑摩文庫のエッセイ・シリーズ。「田中小実昌エッセイ・コレクション(6巻)」「吉行淳之介エッセイ・コレクション(4巻)」と湯のなかで読破してきて、「色川武大・阿佐田哲也エッセイズ(3巻)」にはまっている。書棚には次の「風呂本」として「野坂昭如エッセイ・コレクション(3巻)」も用意してある。

4人のシリーズどれもテーマごとに既刊本から再編集されているから、どの巻を手にしてもたいてい3分の1から半分近くは読んだ記憶がある。でも読んでないのもあるし、彼らのエッセイは何度も噛みしめられる含蓄があり、読んで楽しいからついつい買ってしまう。筑摩さんの商売もうまい。

いま読んでるのは『色川・阿佐田エッセイズ』2巻の「芸能」。色川の戦後体験を軽くおさらいした「戦後史グラフィティ」を巻頭に、「芸人たち」「唄」「映画」と3つの章が立てられてる。

僕は戦後生まれだから、この本で取り上げられた戦中・戦後の芸人たち、志ん生や金語楼やエノケンや左ト全の姿には、子ども時代から10代のころ、それこそ「ALWAYS」みたいなテレビで見た彼らの記憶が重なる。

左ト全といえば、東映大泉撮影所でバイトしていた学生時代、網走刑務所を模した門の脇の池で昼飯を食べていたら、そばで弁当を広げていたト全老から、「おめえ、これ食いな」とウィンナー・ソーセージをもらったことがある。そうだ、そんなこともあったなあと思い出すほんわかした気分が、風呂の読書にちょうどいいね。

でもうっかり油断していると、色川武大のエッセイが隠しもっている鋭い刃が時にぎらりと光って、うーむとうなることもある。「故国喪失の個性──ピーター・ローレ」では、映画『絹の靴下』での不器用なローレのダンスを観ながら、色川少年が涙ぐむ場面がある。

「ダンスひとつ、人と肩を並べて踊れないような、実に独特の格好で、長いことよく生きてきたね、と私はスクリーンの彼にささやきかけた。私もパラノイア的気質で、子供のころからどうしても人々の列からはみだしてしまう。それでひっこみ思案だけれども、内心は頑固で、おくればせに列のあとからついていくということをしない。ピーター・ローレの不思議なダンスは象徴的でなにをやっても自己流の不細工な形にこだわってしまう」

これなど、何度読んでも慄然とする『怪しい来客簿』にそのままつながる世界じゃないか。

ほかにも、映画『逢いびき』に触れて、「生きる姿勢が、センチメンタルではあっても、ロマンチックではない」なんて文章もある。え? 「ロマンチックではあっても、センチメンタルではない」じゃなくて? 「センチメンタルではあってもロマンチックではない」姿勢をよしとするって、どういうこと? なんて考えだすと、長湯がいよいよ長湯になってしまうのだ。  

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January 13, 2007

正月は黒澤明の本と映画

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正月休みには黒澤明の『天国と地獄』を見て、田草川弘『黒澤明 vs. ハリウッド』(文藝春秋)を読んだ。

『天国と地獄』を見るのは40年ぶり。冒頭数十分、主人公が住む丘上の邸宅を一歩も出ない室内シーンから一転して特急こだまでの身代金受け渡しに転換するダイナミックな演出には、高校時代にはじめて見たときもそうだったけど、映画的興奮ってこういうものだよね! と叫びたくなる迫力がある。

三船敏郎、仲代達也、志村喬、山崎努と勢揃いした「黒澤組」主役級はもちろん、たったひとつのシーン、ひとつのセリフのために個性的な脇役を惜しげもなく使うぜいたくにも感嘆する。高度成長以前の都市風景(横浜)が見られるのも嬉しい。いかにも黒沢らしいヒューマニズムと家父長的なセリフに良くも悪くも時代とのズレを感ずるけど、超重量級のエンタテインメント。ハリウッドが黒澤を買いにくるのも当然だね。

一方、去年の大佛次郎賞を受賞した『黒澤明 vs. ハリウッド』は、黒澤がハリウッド・メジャーの20世紀フォックスと組んで、撮影を始めた直後に「解任」された『トラ・トラ・トラ!』事件の内幕を、主にアメリカ側の資料から発掘したノンフィクション。読みだしたら面白くてやめられず、風呂に持ち込み、明け方までかかって読んでしまった。

著者は若き日、『トラ・トラ・トラ!』の黒澤脚本の英訳とフォックス側脚本の日本語訳を担当した。当時の黒澤に密着していたわけで、だから黒澤に愛情をもちつつ、でも日米の資料を突きあわせて製作現場で何が起こったかを冷静に追跡している。

悲劇のいちばん大きな原因は、たぶんそうだろうなと予想されるように、ハリウッド流映画づくりと日本流(というより黒澤流)映画づくりの違いを、主に黒澤側が理解していなかった点にある。1960年代、まだ日本企業が本格的に海外進出して欧米流のビジネスになじむ以前の話だから無理もない。黒澤プロ社長の黒澤明は、どうやら契約書すら読んでいなかった(読まされなかった)ようだ。

契約書によると、フォックスは真珠湾攻撃を日米双方の視点から描く『トラ・トラ・トラ!』の日本部分を黒澤プロダクションに下請けに出した。黒澤が責任を持つのは日本部分だけで、しかも最終的な編集権はフォックスにある。でも当時の発表では、フォックスと黒澤プロが共同製作し、黒澤は総監督的な立場にあると説明されている。黒澤は脚本段階でアメリカ側の脚本と全体構想にたくさんの注文をつけたし、アメリカ部分の撮影に立ち会うつもりでもいた。

フォックス社長の大物プロデューサー、ダリル・F・ザナックと、日本部分の製作を担当したエルモ・ウィリアムス(アカデミー編集賞受賞者)は、黒澤のそんな作家的意欲と「わがまま」を最大限尊重し、好意をいだいている(むろん、冷酷な契約書の範囲内でのことだが)。

ザナックと黒澤のあいだには、最後まで信頼関係があったことをうかがわせる手紙のやりとりがあった。だからもし黒澤が「解任」されずに映画が完成していれば、黒澤が意図した山本五十六をシェークスピア悲劇の主人公になぞらえる構想は、かなりの程度実現したかもしれない。

それなのに撮影をはじめて1カ月目に、なぜ黒澤は「解任」されたのか。この本を読むかぎり、根本に日米の誤解があったことは確かだとしても、直接の原因は「黒澤vs.ハリウッド」というより「黒澤 vs. 日本映画界」であり、また黒澤自身にあった。

ひとつは、日本側プロデューサーの未熟と背任。黒澤プロのマネージャー、青柳哲郎はアメリカの小さな映画プロダクションで働いていた青年。ハリウッド・メジャーの映画製作を経験したことはないが、英語ができることから黒澤プロから声がかかり、フォックスとの交渉は彼が一手に引き受けた。

青柳は黒澤に契約の細部を伝えなかったようだ。それは好意的に考えれば、黒澤にプロダクションの経営者ではなく作家として思うままに仕事してもらうための配慮だったかもしれない。だから黒澤は、例えば『天国と地獄』を東宝と黒澤プロが共同製作したケースと同様に考え、フォックスは金が出すが口は出さないものと捉えていたかもしれない。

黒澤は日本部分のみの「下請け」だとは思っていないから、特にアメリカ側監督が「格下」のリチャード・フライシャーと決まってからは「総監督」(契約のどこにも書いてない)としてふるまってもいた。

青柳は契約だけでなく金の流れもひとりで仕切り、結果としてフォックスから黒澤プロに支払われた金の一部が行方不明になっている。

もうひとつの原因は黒澤の東宝への不信。当時、黒澤プロは東宝に莫大な借金をかかえていた。黒澤プロと東宝の契約では儲けも赤字も両者に分配されることになっていたから、黒澤が時間と金をかけて大作をつくればつくるほど、興行的に失敗した場合(実際、『隠し砦の三悪人』で失敗した)の黒澤プロの借金がかさむ。そうしたことから黒澤は東宝を離れ、「黒澤組」のいる東宝砧撮影所ではなく東映京都撮影所での撮影を選んだ。

当時、東映は時代劇から任侠路線に転換し、任侠ものの多くは東京撮影所で撮られていたから、京都撮影所は戦前からの本流の誇りをもちつつも、貸しスタジオ的な使われ方もしていた。

だから外部の、しかも巨匠と呼ばれる監督に対しては、冷ややかな空気があったようだ(東映東撮の深作欣二もはじめて京都で『仁義なき戦い』を撮ったとき、やりにくかったと語っている。僕は当時京都で撮影中の深作に仕事でインタビューしたことがあるので、そのへんの空気はよくわかる)。

そんな雰囲気のなかでクランクインした黒澤はあくまで「天皇」の態度を貫き、しかもスタッフに対し素人の出演者がスタジオに入るとき一同海軍式敬礼で迎えるといった奇妙なやり方を強いた。「天皇」の「無理難題」や「奇行」に、スタッフは就労拒否してストライキの挙に出る。このあたり、全国の大学にバリケードが築かれていた1960年代後半の時代的空気も黒澤にマイナスした。

そしてこの本を読んで感じた「解任」のいちばん深い原因であり謎でもあるのが、山本五十六はじめ主要な役のほとんどに役者としてはまったくの素人である、元海軍将校の「ほんもの」を充てたことだ。

なるほど、集められた素人(多くは企業経営者)は「ほんもの」の元海軍軍人であるに違いない。でも黒澤はこの映画でシェークスピア悲劇を撮ると言っていた。膨大なセリフがあり、それ以上に悲劇の提督や参謀を身体全体で演技しなければならない。素人を使ってドキュメンタリー的なリアリズムの傑作をつくりあげたネオ・リアリズモなどの場合とは違って、しっかりした演技とセリフが要求される。現実世界の「ほんもの」からスクリーン上の虚構の「ほんもの」を引き出すことに、黒澤にはそれなりの計算があったのだろうか。

これはこの本の枠を超える話になるけど、想像するに黒澤には三船敏郎に対する不満があったのかもしれない。当時の黒澤=三船コンビの世界的名声のなかで、黒澤が山本五十六を主役に映画を撮るとなれば、誰が考えても山本役は三船であり、フォックスもそれを期待し、三船自身もそれを望んでいた。にもかかわらず黒澤は三船でなく素人を選んだ。

黒澤はシェークスピアの「マクベス」を翻案した『蜘蛛の巣城』で、三船をマクベス役で起用している。三船はまるで能役者のような表情と身体でシェークスピア劇を演じ、それは狂気をはらんだ男が破滅への道を突っ走るもの狂いにあふれていた(余談だけど僕はこの映画を最初に小学生のころ黒澤映画と知らずに見て、なんだか訳がわからないままそのあまりの暗さ、異様さにびっくりしたことを鮮明に覚えている)。

でも『天国と地獄』から『赤ひげ』あたりになると、三船の演技はかつての野性的な身体の爆発と、時に自分の身体を持てあましているような愛嬌がなくなって一本調子になり、『羅生門』や『七人の侍』で世界的評価をえた三船敏郎という役者の「格」を自ら模倣しているような気配がただよってくる。黒澤はそこを嫌ったのか、あるいは2人のあいだに他人からは伺いしれないなにかがあったのか(これをきっかけに、2人は袂を分かった)。

撮影現場で、多数の素人役者をコントロールできず、スタッフも離反し、黒澤は日ごとに「狂って」ゆく。孤立し、深酒で倒れる黒澤に、プロダクションは右往左往し、果ては内紛を起こす。現場で黒澤を支えるスタッフもいない。撮影開始から「解任」までの1カ月を、アメリカ人スタッフが記した報告書をもとに再現していく「破滅への秒読み」の章は圧巻。

シェークスピア悲劇をつくろうとした黒澤明自身がシェークスピア劇を演じてしまった「事件」のいきさつが、40年後に発掘された資料をもとに明らかにされた。以後、黒澤のフィルモグラフィーには長いブランクができ、復帰した以降の黒澤の映画からかつての輝きを感ずることはなかった。

ちなみに僕の黒澤映画ベスト3は『酔いどれ天使』『野良犬』『用心棒』。最初の2本は黒澤のヒューマニズムとダイナミックなアクションと戦後という時代の混沌が激しく結びついた作品として、『用心棒』は最良のエンタテインメントとして、いずれも傑作だと思う。

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August 29, 2006

「銀座 酒と酒場のものがたり」

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今和次郎・吉田謙吉「銀座のカフェーWaitress服装採集」(1926、本書から)

面白い本を手に入れた。銀座社交料飲協会というところが刊行した『銀座社交料飲協会八十年史 銀座 酒と酒場のものがたり』(2005、非売品)。

銀座社交飲料協会というのは、名前からも想像がつくように銀座のバー、クラブ、キャバレー、喫茶店に、一部のレストランや鮨屋も加わった団体。関東大震災から2年後の1925(大正14)年に37店で発足し、2005年で80年になるのを記念して編集された、B5変型4色刷り240ページの豪華な「夜の銀座」史だ。

年毎のトピックを集めた編年体になっているんだけど、なによりも収録された資料が素晴らしい。写真、ポスター、イラストレーション、マンガ、広告、マッチのラベル、映画のスチール、カフェのメニュー、地図といった図版類。テキストも、雑誌の特集、コラム、座談会、作家や文化人のエッセー、流行歌の歌詞、そして詳細な年表と、「夜の銀座」に関するありとあらゆる資料が丹念に集められている。

とくに興味深かったのは、戦前のカフェーがどういうものか、どんな店構えで、どんな女給がいて、どんなメニューで、どんなサービスをしていたのかがよくわかったこと。

関東大震災前後に登場した銀座のカフェーは、日本のモダン文化の象徴だった。夜ごと有名人が顔を見せた老舗の「ライオン」とか、美人女給をそろえ永井荷風や菊池寛が通った「タイガー」とか、戦前の作家のエッセーによく出てくるんだけど、その実態がどういうものかは、いまひとつ腑に落ちなかった。それをヴィジュアルを含めた多彩な資料で色んな角度から明らかにしてくれる。

たとえば、雑誌の特集「カフェー女給さんの24時間」。「カフェ・ライオン鼻つまみ番付」(前頭・廣津和郎「店のことを小説にかくから」、同・尾崎士郎「宇野千代に飲代を貰ってくるから」)。今和次郎他「銀座のカフェー服装採集」。

小島政二郎「カフェー断片」。谷崎潤一郎「カフェー対お茶屋・女給対芸者」。「銀座行進曲」歌詞。アサヒビールのポスター(カフェの女給)。「カフェ外観写真集」。クロネコのメニュー。濱谷浩の写真「カフェ銀座パレス」。山名文夫の「カフエ・バア・喫茶店広告図案集」、などなど。

「カフエーは、ちゃちながらも、現代建築の小模倣があり、光度、照明、座作にも、相当時代的な快適がともなふであらう。ジヤズの騒音と、葉巻の紫煙の中でしきりと琥珀色の液体を胃腑に注ぎ込む。思ひきって魅惑的な、或は貞操からすらも解放された気に見える、小鳥のように自由な、年若な女性と華やかに接触する。……現代人欲望の中心たる酒精と女性はここで完全に包合する」(千葉亀雄「カフエーの社会的意義」『経済往来』1928年)

大正末から流行り、「モボ・モガ」の流行語を生み、「エロ」で売り、日中戦争勃発後、急速に規制され消えていったカフェーは、今でいえばキャバクラみたいなもんだろうか(行ったことないけど)。

いずれにしても、「夜の銀座」についてなにか調べようとしたら、今後は必ず参照しなければならない貴重本。非売品だから手に入れにくいけど、国会図書館、都立中央図書館、中央区図書館あたりには入ってるんじゃないかな。


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August 27, 2006

『ハリウッド・バビロン』のブラック・ダリア

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ジェームズ・エルロイのノワール小説『ブラック・ダリア』が映画化され、10月に公開される。映画への愛にあふれたブログ「ツボヤキ日記」に詳しい情報が紹介されてるけど、ブライアン・デ・パルマ監督、主演がジョシュ・ハートネット、アーロン・エッカート、いまいちばんの美女、スカーレット・ヨハンソンにヒラリー・スワンクというスタッフ、キャストだから楽しみ。

この映画の素材になったブラック・ダリア事件のことを初めて知ったのはケネス・アンガーの『ハリウッド・バビロンⅡ』(1991、リブロポート)だった。その後、エルロイの『ブラック・ダリア』が翻訳され、エルロイ・ブームが起きて、ノワール、ハードボイルド好きのあいだではよく知られるようになった。

ケネス・アンガーの本によると、事件はなんともスキャンダラスで、その後、全米を揺るがすことになるいくつもの猟奇殺人の原型のようなもの。

1947年1月、ロスの町なかの草むらで、登校途中の少女が若い女の全裸死体を発見した。死体は上半身と下半身に切断され、体じゅうに残虐な拷問の痕があった。口は両端を真一文字に切り裂かれ、乳房には無数の切り傷と煙草の焦げあと。全身が血抜きされて洗浄され、髪はきちんとシャンプーされ染料で赤く染められていた。

「奇妙だったのは、太股の、三角形に深くえぐりとられたあと。そこには、もともとバラの花の刺青が施されていた。解剖の結果、刺青のある肉片は、からだの奥深くに押しこまれていたことがわかった。細い手首とミルクのように白い足首に残っていたロープのあとは、3日は続いたと思われる拷問のあいだ、彼女が固く縛りつけられていたことを物語っていた」

この本には切断された「ブラック・ダリア」(被害者がいつも黒髪をアップにし黒い服を身につけていたことから、こう呼ばれた)の現場写真が添えられているけど、とてもここで紹介する気になれない。エルロイは、ついに真犯人が逮捕されなかったこの事件をもとに小説家の想像力をふくらませ、1940年代LAの闇を見事に描ききった。

エルロイもすごいが、アンダーグラウンド映画作家のケネス・アンガーが書いた2冊の『ハリウッド・バビロン』(Ⅰの翻訳は1978、クイック・フォックス社)も、なんとも面白いハリウッド裏面史。

ヴァレンチノ、クララ・ボウ、チャップリン、ディートリッヒから資本家ケネディ(大統領の父)、ヒッチコック、ジェーン・マンスフィールド、モンローまで、ハリウッド・スターの情事や自殺や事故や発砲事件や麻薬騒動や乱痴気騒ぎ、認知裁判、ありとあらゆるスキャンダルが集められている。

当時のタブロイド紙やゴシップ雑誌に載った記事や写真が満載だから、映画ファンにとっては下世話な覗き趣味としても面白いし、一方で「欲望」をキーワードにして編んだハリウッド史(ひいてはアメリカ史)でもある。アメリカの雑誌や小説を読んでいたり、映画を見ていると、ああこれは『ハリウッド・バビロン』に出ていたあの事件だな、と気づくことが時々ある。そのたびに、この本を読みかえす。

「ブラック・ダリア」の映画化を知って、またまた本棚から引っぱりだした。この本やエルロイの小説をぱらぱらながめていると、いやでも期待が高まる。同じエルロイ原作でカーティス・ハンソン(監督・脚本)、ブライアン・ヘルゲランド(脚本)の強力スタッフで映画化した『LAコンフィデンシャル』が素晴らしかっただけに、デ・パルマさん、頼むよ。

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March 23, 2006

金子光晴の放浪3部作メモ(3)

ブリュッセルで知り合いのベルギー人の世話になる「品行方正なくらしのくたびれが出て」、金子光晴の放浪の心が再び頭をもたげてくる。金が尽きたのを幸い、光晴は先に帰って妻・三千代の旅費を用立てると言って、ひとりでさっさと船に乗ってしまう。しかも神戸ではなく、シンガポールまでの切符しか買わないで。

シンガポールへ着いた光晴は、往きの旅で心引かれたバトパハにとるものもとりあえず駆けつける。そこでの、やっと心落ち着ける場所へたどり着いた安堵が伺われる描写。ここでも匂いが光晴を導く。

「マライ南部の気候は、おどろくほど変りやすい。太陽の照っている日なかは、町の軒廊(カキ・ルマ)しかあるけない。うす日になったかとおもうと、まず芭蕉の葉がさわぎだして、塵が立ち、その塵がおさまるかとおもうと一日一回は必ず来る驟雨(スコール)の襲来である。……光が盤石の重たさで頭からのりかかってきて、土地の体臭とでも言うべき、人間以外のものまでみないっしょくたになった、なんとも名状できない奬液の臭気に、この身をくさらせ、ただらせようとかかるのであった。『ああ。この臭い』と、気がついただけで、三年間忘れていた南洋のいっさいが戻ってくるのであった」(『西ひがし』。以下同じ)

「奬液の臭気」につつまれて、光晴はまるで自分のすみかへ帰ったみたいに生き生きしている。いや、生活苦や妻の愛人との葛藤、詩人としての苦悩とは無縁なだけ、日本にいる以上に旅の身軽さで気持ちが解放されていたにちがいない。

旅費を稼ぐと言いながら、それは当地で世話になっている日本人や自分への言い訳で、光晴はバトパハから川を遡ったり、マラッカやマレー半島の東海岸へ足を伸ばしたり、あるいはシンガポールに滞在して遊び歩いている。妻の三千代が不在で、しかも彼女の生活を心配しないですむ分、女の影もちらつく。

バトパハの関帝廟で出会った華僑のバツイチ娘。光晴が「白蛇の精」と呼ぶ女とは、彼女の部屋にかくまわれ、駆け落ちする「夢」を見るのだが、どこまでが現実でどこまでが夢なのか読んでいて判然としない。

人なつこいぽん引きのマレー人に見せられた英中混血女の裸の写真に、光晴はころりと参ってしまい、ラッフルズ・ホテルで逢い引きすることになる。女が身につけているものを脱ぐのを見ながら、光晴はベッドで横になっている。光晴は、ふと眠くなる。

「意識がなにかに吸い込まれてゆく瞬間、固い木質と金属がぶつかって立てるような、かん高い音がして、もやもやした睡気がけしとんでしまった。彼女が自分で左腕の根元から、義手を外して、卓のうえに置いた音であった。義手をとった左腕の痕跡は、巾着の紐をしめたように盛りあがった肉の中心だけがふかくくびれ込み、周りの肉のふくらみが、指でさわるとぶよぶよと柔かかった。なにか毒のあるものに咬まれて医師が切断したものらしかった。毛布の下でもぞもぞやっているので、--また、片足も義足で、股のつけ根からぬけて、寝台のしたにころがり落ちるのでなないかと、心労するより先に、さもあれかしと秘かに望んでいるのであった。眼球もそのどっちかを、彼女じしんの指でほじくりだしてみせて欲しかった」

どうよ、この光晴が幻視する残酷と官能の入り交じったイメージ。テーブルに金属がぶつかったこつんという音とともに作動する光晴のこういう想像力は、パリの冷たい石畳のうえでは決して働かない。熱帯の色濃い緑と湿気、そこに住む「同糞同臭」の人間たちのなかでこそ、光晴の五感は自由になる。

混血女に入れ込んで旅費を減らした光晴は、人なつこいぽん引きに案内されて、性懲りもなく今度は「シャム女」の売春窟へ出かける。

「それは、そこにいる人たちの体臭と、生活から放散する臭気で、熱気に蒸れたその臭気は野生の狸や、それに類する小動物の塒(ねぐら)から発するような異様なものであって、その生物どもにとっては、なつかしい同類同族のにおいに外ならない。……自分にはそんな環境の臭気など身につけていないつもりの人たちにとっても、それは、排泄物の悪臭よりも激しく、人種のちがった人たちには、それ一つで鑑別できるものである。だが、そこらの空気にまじって淀んでいる熱っぽい大気は、なまやさしいものではない。嘔吐をもよおさせると言うよりも、生きているのがいやになるようなにおいである。頭脳の半分が、すでに饐えくされて、青黴のはえた柑橘になったような収拾のつかなさであった」

言うまでもなく、光晴はこういう臭気を楽しんでいる。神戸行きの船の切符を予約しながら、「からだに根が生えてしまって、それがまた、まんざらわるい気持ちではなかった」光晴は金もないのに2度もキャンセルして、ひとりでマレーの土地に迷い込む。

「夕方ちかくには驟雨があり、落日の壮麗さは、なにものとも換えがたいし、そこに生育するものは植物、動物にかぎらず、われらの常識の框を外して、測りしれず氾濫し、調和できないもの同士を奇抜な方法で一つにし、世界のゆきつく果てまでつきあたった熱気の悒愁でどこでも、いつでもどんよりとさせている」そのような迷路のなかで、光晴はこう記す。

「十年近く離れていた詩が、突然かえってきた」。

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March 13, 2006

金子光晴の放浪3部作メモ(2)

上海や東南アジアでは、生きていくために町の底を這いずりまわりながら土地と人々に生理的一体感を覚えた金子光晴だったけれど、ヨーロッパの地ではそうはいかない。

パリは「黄金万能の鉄則」という「この街の底辺の寒気(そうけ)立つようなものの考えかた」に貫かれた、冷たい塊のような個人と個人がぶつかりあう場所だった。中国人女子学生に「同糞同臭」を感じる光晴の五感は、ヨーロッパの人間に対しては拒否的に働くことになる。

「パリの人たちは、いつになっても、コーヒーで黒いうんこをしながら、すこし汚れのういた大きな鉢のなかの金魚のようにひらひら生きているふしぎな生き物である。……頭を冷やしてながめれば、この土地は、どっちをむいても、むごい計算ずくめなのだ。リベルテも、エガリテも、みんなくわせもの」(『ねむれ巴里』。以下同じ)

ここでも光晴はうんこの話で、どんどんクサくなってくけどなあ。

「パリには、時にはグロテスクで、時には、無限にもののあわれを誘う人間獣と、翼が石に化った連中がどうしようもなくうようよしていたものだ。老娼の手くだに捕われて、ゆくもかえるもできないで、ひたすらパリの土となり、融け込んでゆくことを最後ののぞみにして酔生夢死するエトランジェの生きる体臭でむしむししているところであった」

そんな体臭を発しながら騙し騙されるパリの男たち女たちを、光晴は何人もスケッチしている。彼が滞在したホテルの家主、「年増盛りで色気たっぷりの」独り者のペルシャ女は芝居やオペラに通う優雅な生活を送っていたが、ジゴロに騙されて姿を消す。次の持ち主になった女も「別のジゴロに引っかかって、あえなく尻の毛までぬかれてペルシャ女とおなじ運命を辿った」。

光晴がつるんで歩く、ゆすりたかりをしてまわる肺病病みの日本画家・出島春光の、尊大でありながら脆さを感じさせる風貌。その出島を第2のフジタにしようともくろみ、上流夫人に彼の絵を詐欺まがいに売りつける伯爵夫人と称するモニチの飾り立てた醜悪な姿は、『ねむれ巴里』の白眉だろう。

「慢性の肥厚性鼻炎でなんの臭気も感じない僕も、モニチの強烈な腋臭には我慢がならなかった。裸の太い腕は紅く、上気して火照って、それはそれで別個の体臭を発していた。僕は舌打ちをした。が、それは、じぶんにむかってしたつもりであった。この女とホテルにゆくことだけは、助けてもらいたかった」

なんの臭気も感じないといっているくせに、光晴は嗅覚によってものの本質をずばりと探りあてる。当時、日本のインテリはアナーキズムからボルシェヴィズムへとなだれつつあったけれど、光晴が信頼するのはそのような認識方法ではなく、彼自身の五感と第六感(直感)なのだった。

アジアの植民地では、辺地に暮らす日本人が「まれびと」を迎えるもてなしで光晴の拙い絵に金を払ってくれたけれど、パリでは日本人にも、ましてやフランス人にもそんな押し売りは通用しない。明日の生活費にも事欠く日々のなかで、光晴は自分も妻や友人知人を傷つけながら、個と個がぶつかりあい、互いに傷つけあってしか生きられないヨーロッパと西洋人の姿をえぐりだしている。

「首や、手の先は日にやけても、肌着のシャツをぬげば、西洋人たちは、男、女によらず、アート紙のように照りのある、純白のつるつるした肌をもっている。眸子(ひとみ)のすぐり、赤い鷲鼻、枯芝のような体毛、尿壷の甘さよりも、百倍むかむかする腋臭の異臭、汗のしめりで、赤く腫れあがったうす肌、過剰な栄養がつくりあげた厖大な西洋人の幻は、彼らの歴史が完成させた物質世界の征服で、まことに彼らにふさわしい精力的な文明都市を天も狭くなるばかりに組みあげた」

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March 08, 2006

金子光晴の放浪3部作メモ(1)

10日間ほど臨時に入ってきた仕事にしばられていた。待ち時間が長く、夜も遅く、デスクを離れることができないから、映画にも行けないしブログの更新もできない。仕方ないので以前から気になっていた金子光晴の自伝的放浪3部作『どくろ杯』『ねむれ巴里』『西ひがし』(いずれも中公文庫)を読むことにした。

1928年、詩人の金子光晴は妻の三千代とともに上海を経由してパリを目指した。三千代にアナーキストの若い恋人ができたことから、金子の元を去った妻を男から引き離し、同時に貧困にあえぐ生活を建て直そうとしてのこと。とはいえ、パリまでの旅費はおろか上海までの旅費すらなく、とりあえず知人のいる大阪で旅費を調達しようという、なんとも無謀な企てだった。

『どくろ杯』は詩の好きな女学生だった三千代との出会いにはじまって、大阪、上海への旅のいきさつまでが、『ねむれ巴里』は三千代を先にパリに旅立たせた光晴がシンガポールやマレー半島を放浪してヨーロッパにたどりつき、パリとブリュッセルに暮らす日々が、そして『西ひがし』では妻をブリュッセルに残して再び一人で東南アジアを放浪する旅が回想されている。

何より驚くのは、この3部作が書き始められたのが1971年、実際の体験から40年以上たっているのにまるで昨日のことのように鮮やかなイメージで、読む者に旅の日々を伝えてくることだ。それは金子光晴がこの放浪の旅を頭ではなく五感でもって咀嚼し、反芻し、記憶していたからであるように見える。五感、なかでも匂いという嗅覚によって、旅の生々しい風景が蘇る。

例えば上海。

「大陸特有の、編み糸の目を針のようにくぐって肌に突刺さるきびしいつめたさの、氷雨がふりはじめていた。そんなときは、世の終りのような気がして、やりかけのことも欲得もなく放棄して、胴ぶるいの止まらないからだを、温い湯気の渦巻く片隅にうずくまって、熱い湯麺の椀にでも顔を埋めたくなる。楊樹浦クリークのくさいにおいが鼻を穿つ。うらぶれた家屋が庇をよせあったなかのうすぐらいところに、うようよと人がむらがっている。/そこは、女の肉の切り売の袋小路……上海の土地でも名うての腐肉捨て場で、紫色にふくれた、注射針のあとだらけなくずれた肉に烏の群のように男たちがたかってくる」(『どくろ杯』)

氷雨のなかの湯麺の匂い、クリークのどぶのような匂い、売春窟のすえた肉の匂い。そんな匂いのなかを、金子は水彩画を描いて日本人に押し売りしたり、エロ小説を書いたりしながら、明日を生きつぐ金を求めて彷徨っている。

上海からシンガポール、マレー半島と旅費をかせいでまわり、ようやくフランスに向かう船に乗った金子は、中国人留学生4人組と同室になる。そこで彼は一人の女子学生と出会い、互いにそこはかとない好意を感ずるようになる。深夜、金子が船室でひとり眼を覚まし、ベッドから下りての描写。

「僕の寝ている下の藁布団のベッドで譚嬢は、しずかに眠っていた。……僕は、からだをかがみこむようにして、彼女の寝顔をしばらく眺めていたが、腹の割れ目から手を入れて、彼女のからだをさわった。じっとりとからだが汗ばんでいた。腹のほうから、背のほうをさぐってゆくと、小高くふくれあがった肛門らしいものをさぐりあてた。その手を引き抜いて、指を鼻にかざすと、日本人と少しも変らない、強い糞臭がした」(『ねむれ巴里』)

後で金子は、あのとき譚嬢は自分の行為に気がついていたのではないか、と書いている。当時、すでに日中間は緊張し、上海でも東南アジアでも排日の動きが高まっていた。

でも金子の中国人(中国系華僑)への接し方は、この本のあちこちでスケッチされる植民者が被植民者に対するものではなく、かといって左翼インテリのそれでもない。植民地支配被支配の関係を軽々と超えて、金子の言葉を使えば「同糞同臭」のアジア人として、人間と風土(米食だからこその「同糞同臭」)への生理的一体感をもっているように思える。なんとも官能的な、先の引用の続き。

「同糞同臭だとおもうと、『お手々つなげば、世界は一つ』というフランスの詩王ポール・フォールの小唄の一節がおもいだされて、可笑しかった」


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February 10, 2006

中井久夫の『関与と観察』

精神科医である中井久夫の専門的な著作には歯が立たないけど、一般向けの本(『分裂病と人類』や阪神大震災関連)とエッセイ集はたいてい読んできた。そうして彼の書くテキストと阪神大震災での現場の医師としての実践などから、いまこの国に存在する最高の知性のひとりだと思ってきた(それについては「book navi 」で「時のしずく」に関連して書いたことがある)。

『関与と観察』(みすず書房)は中井の5冊目のエッセイ集。彼には珍しく「9.11以後」や「イラク戦争」など、生々しい現実に触れた文章が多く収録されている。

中井久夫を読むスリルは、あるテーマが思いもかけない角度から光が当てられる瞬間にある。医学者として、あるいは詩人として(現代ギリシャ詩の訳者でもある)、ある事実や直感を核にして、独特のやり方でテーマににじりよっていく。そのユニークな発想と論理展開がそのまま彼の個性になっている。

たとえば「精神医学および犯罪学から見た戦争と平和」と題された講演原稿では、「発砲率」ということから戦争が考えられている。「発砲率」とは、敵に対峙したとき何パーセントの兵士が実際に敵に向かって銃を撃つか、という数字。米軍では南北戦争から第二次世界大戦までの100年近いあいだ、おおよそ15%から20%だったそうだ。

中井は、米軍兵士のこの発砲率が「日本軍の玉砕攻撃に立ち向かう時でも同じ」で、「つまり80パーセントから85パーセントの兵士は、自分の命が危ない時でも、敵をねらって発砲しない」で「最後のヒューマニティを守っている」として、次のように言う。「調べていくにつれて、意外に人間には希望が持てる面があることに気づきました。人間はそうそう人を殺せないのです」。

第二次大戦後、米軍は、これではならじと兵士教育を徹底させ、朝鮮戦争では55%、ベトナム戦争では95%の発砲率を達成した。ところが「『心の底のブレーキ』を外して、発砲率を飛躍的に向上させた」「悪魔の心理学」を採用した代償として、兵役が終わっても市民生活にうまく戻れない元兵士が大量に生まれた。彼らにはPTSD(外傷性ストレス)という病名がつけられたが、「その概念はベトナム復員兵を対象として70年代に成立した」。

いま、ベトナムで懲りた米軍は「悪魔の心理学」を捨て、イラク戦争での米軍の発砲率は24%に戻っているそうだ、と中井はつけ加えている(兵士としての訓練が十分でない州兵が多いことも関係しているにちがいない)。

そこから話は兵士の戦闘意欲、白兵戦がいかに兵士の心理を消耗させるかというところから、指導者の心理へと展開し、最後は「銃後」の民衆に至る。「今は戦争の実際の経験者が引退しつつある時であることを見ると、どうも危ないという気がします。戦争への心理的バリヤーが低くなっています」と言いつつ、一般民衆(つまり僕たち)に対するこんな危惧で話を結んでいる。

「たとえばミサイルが日本に飛んできた時に、飛んできたもととおぼしい国の人であって、長く日本におられるというような方に危害を加えるようなことが今後の日本人にあるかどうか、それは日本の国民の究極の品位を国際的に問われることであると言いたいと思います」

あるいはまた、次のような感想も戦争を知っている世代だからこそと言えるだろう。

「『北』の話を聞くと60年前のわが国がしきりに思い出される。国民が飢えているのに軍事大国で、謀略を『国のために』躊躇せず行い、麻薬を近隣国に売っていた日本である。『北』が古い日本を遺伝している可能性はないだろうか」

本文とは別に、単行本化に際してつけられた注がまた面白い。戦前の日本海軍で艦船の爆沈が多かったという事実に触れながら、「日本の艦はよく爆沈するが、少なくともその半数は制裁のひどさに対する水兵の道連れ自殺という噂が絶えない」なんてことが、さらりと紹介されている。


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January 22, 2006

『王道の狗』の陰影

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安彦良和の「近代史もの」の男たちは、いつでも危うい場所にいる。傑作『虹色のトロツキー』の主人公、日蒙混血の青年ウムボルトは傀儡満州国のスローガン「五族(日朝中満蒙)協和」を本気で信じ、そのために満州の野に果てなければならなかった。

『王道の狗』(白泉社、全4巻)の主人公2人、加納と風間は明治の自由民権運動に身を投じ、獄につながれた。彼らは北海道で道路開削のため過酷な労働を強いられるが、脱走してアイヌに助けられる。名を変えて生きることを選んだ2人は、やがて相容れない立場で対面することになる。

風間は、大陸に進出し清に戦争を仕掛けようとする外務大臣・陸奥宗光の「帝国の狗」として。加納は、日朝中が連携して列強に対抗しようとする金玉均、宮崎滔天、孫文らの「王道の狗」として。

物語の上では加納がひとまずヒーローになっているけれど、「王道の狗」という呼び方はどうみても正義派のものじゃない。「狗」というのはスパイ、回し者の意味だし、儒家の理想政治を意味する「王道」は後に「王道楽土」という言葉で、「五族協和」とともに満州国傀儡政権の上辺を飾るスローガンになった。もちろん安彦良和は、「王道の狗」というタイトルが呼び起こすそんなニュアンスを百も承知のうえで使っている。

だからウムボルトがそうだったように、彼らはどこかに複雑な陰をかかえている。最後には孫文らの隊列に身を投じる加納の額に常に巻かれているアイヌの布が、そのことを示しているだろう。正義が文字通りには信じられていない。

安彦良和の主人公が僕らの心をとらえるのは、マンガの主人公として正義派のヒーローという衣をまとっているけれど、いつの時代でも何が正義か結局のところ分からない状況のなかでひたむきに生きようとする男たち女たちが美しいからだろう。

安彦のストーリー・テリングの巧みさ、絵のうまさ、カットとカットのつなぎの映画的快感には本当に酔わせられる。アイヌの娘、タキの艶っぽさもひときわ。

ただ惜しむらくは、掲載誌(『ミスターマガジン』)の廃刊が決まったために終盤がばたばたになり、じっくり描き込む安彦のスタイルが生かされなかったこと。単行本化に当たって100枚ほど加筆したらしいけど、ファンとしてはまだまだ物足りない。

特に「帝国の狗」風間の生き方がはしょられているので、最後の2人の対決がウムボルトの死のようには胸に迫ってこないのが残念。「王道の狗」加納ではなく「帝国の狗」風間を選んだアイヌの娘タキも、描き込めばさらに陰影を増したろう。

などと無理な注文をつけたけど、つまりもっと読みたいということ。構想は現在の全4巻の倍くらいのスケールで考えられたんじゃないだろうか。

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January 08, 2006

『暗く聖なる夜』の敵役

9.11以後のアメリカで、といっても現実の世界じゃなくハードボイルドや刑事もの小説の話だけど、新しい敵役が生まれている。

マイケル・コナリー『暗く聖なる夜』(講談社文庫)にはREACTなる組織が登場する。「緊急強制執行およびテロ対策部隊」の頭文字で、NSA(国家安全保障局)、CIA、FBIなどからなる連邦政府直属機関。なにしろテロの容疑者、関係者とみれば法なんか無視して引っくくり、時には「行方不明」にしてしまう。

この小説の主人公、元ロス市警刑事で私立探偵のハリー・ボッシュもREACTの取調室に連れ込まれ、「おまえも行方不明になりたいか」と脅される。これ、もちろん今アメリカで起こっていることの誇張された反映だけど、主人公のような民間人だけでなく、REACTはロス市警やFBIの現場捜査官の前にも立ちふさがって物語が進んでいく。なにしろ超法規的存在という意味ではテロリストやマフィアと同じだから、敵役としての存在感は十分。

そんな時代状況をスパイスとして散りばめながら、本筋は正統派のハードボイルド。市警を退職したボッシュが未解決のまま心に引っかかっている殺人事件の再調査をはじめると、映画ロケ現場での200万ドル強奪事件に結びつき、さらに別の殺人も絡んでくる。銃撃されて負傷し全身不随の元同僚の警官、FBIの捜査官からラスベガスのギャンブラーに転身した元妻……、主人公は否応なく複雑な糸がからみあった過去に引きずりこまれてゆく。

原題(「LOST LIGHT」)の通り、全編を被っている闇の感覚。

「ハリウッドはいつの場合も、夜の光景がもっともうつくしい。近寄りがたい神秘性を保てるのは暗闇のなかでだけなのだ。陽が照って、カーテンがあがると、そのヴェールが消えてしまい、危険が潜んでいる感覚に置き換えられる。そこは奪う者と使う者の場所、壊れた歩道と壊れた夢の場所だった……マルホランド・ドライブの出口をおり、フリーウェイを横断すると」

外の闇と内の闇がないまぜになったような文章がいい。ボッシュはベトナム戦争で地下トンネルを破壊する工作兵だった過去をもっているから、闇は恐怖であるとと同時にそこに帰りたい場所でもある。70年代から80年代にかけて全盛をほこったネオ・ハードボイルドの生き残りのような主人公の造形。

ボッシュ・シリーズを読むのは『ナイト・ホークス』(扶桑社ミステリー、1992)以来久しぶりだけど、ストーリー・テリングのうまさは相変わらず。プロットを変に複雑にせず、一気に最後まで読ませる快調なテンポ。ラストにどんでん返しあり、銃撃戦あり、男と女の場面ありの盛りだくさんで、ボッシュをとりまく元同僚やFBI捜査官や元妻との裏切りや友情、愛情も型通りだけど泣かせる。

去年の「このミス」第2位。上下巻2冊、正月休みをたっぷり楽しんだ。

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December 04, 2005

『嗤う日本の「ナショナリズム」』のカギカッコ

気鋭の社会学者、北田暁大の『嗤う日本の「ナショナリズム」』(NHKブックス)のタイトルにある「ナショナリズム」には、カギカッコがついている。そのカッコの意味を、北田は糸井重里やテレビのバラエティーを取り上げながら説明している。

90年代のテレビ番組を覆っていたのは、80年代の糸井重里的アイロニーが形骸化した結果としてのシニシズム、斜に構えて他人を「嗤う」感覚だった。そのような「嗤う」シニシズムがテレビ番組(バラエティ)の方法論として一般化したことに、ネタとしては不滅の「感動」がくっついて、例えば「猿岩石ヒッチハイク」のような「感動」ものがせり出してきた。アイロニーが制度化することによってベタな感動が呼び起こされる逆説的な事態が生じた。

こういう「構造化されたアイロニズムと『感動』指向の共存、世界をネタとした『ツッこみ』=嗤いと『感動をありがとう』的感覚との共棲」を純化させたものが、2ちゃんねるとそこを舞台にした「電車男」だというのが北田の見立て。

「偽悪を装う2ちゃんねらーたちは、身も蓋もない本音を語るリアリストというよりは、『建前に隠された本音を語る』というロマン的な自己像を求めてやまないイデアリストであるように思われる。だからこそ、かれらは時に信じがたいほどの正義感ぶりを発揮するし、アイロニーとは程遠い浪花節的な物語に涙したりもするのだ」

そのようなシニシズムの果てのロマン主義の対象として「ナショナリズム」や「反市民主義」や「反マスコミ」が呼び出されている。

「ロマン主義的シニシストたちにとっては、行為が接続されるという事実性(引用者注・そのような主張によって内輪の共同体で繋がりあっているという感覚を保持できること)こそがリアルなのであって、接続可能性を高めるための仕掛け(注・「ナショナリズム」「反市民主義」「反マスコミ」)は本質的には何であってもかまわない。ナショナリズムに括弧がついているのもそのためだ」

北田はまた、「『無批判に日の丸君が代で盛り上がるW杯の若者』など、香山リカが『社会の漠然とした右傾化傾向』の徴候として挙げる事例を『ナショナリズムの風化の証』にすぎないとする、浅羽通明の議論は正しい」とも書いている。これも、おなじことを別の言葉で言っているのだろう。

社会のなかに新しく現れてきた現象の分析としては、北田の言うとおりなんだと思う。サッカー場やTシャツのゲバラのアイコンに、若い世代がゲバラの主義や生き方から切れたリアリティーを感じているように、サッカー場の日の丸君が代にも、旧世代が感ずる戦前の負の遺産としての日の丸君が代とは別の肯定的なリアリティーを感じているようだ。それがこの社会に新しく生まれた「ナショナリズム」のかたちなんだろう。

でもそのカッコつきの「ナショナリズム」は、社会の一部に現れた現象にすぎないこともまた押さえておく必要がある。若い学者が新しい現象に敏感になのは当然だけど、それをもって日本のナショナリズムが変質したと全体を推し量ることもできない。北田自身も、もちろんそういうことはしていない。

自民党の憲法草案や、小泉の「ナショナリズム」的言説がポスト小泉を狙う面々のカッコ抜きのナショナリズム言説の誘い水になっている事態を見ても、社会全体を見わたすとカギカッコ抜きの伝統的なナショナリズムに回帰しようとする動きもまた強く、大きい。

ナショナリズムと「ナショナリズム」を区別しないで性急にひとくくりにすると、結果として「ナショナリズム」を本当のナショナリズムの側に追いやってしまうことにもなりかねない。だからそのあたりは注意深く扱っていくことが必要だし、そのためにどうしたらいいかを考える材料として、この本はとても役に立つ。

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November 06, 2005

『at』と島バナナと芭蕉布

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『at(あっと)』(太田出版)という季刊誌が創刊された。

1号の特集は「バナナから見える世界」。鶴見良行の名著『バナナと日本人』から20年、その後のアジアと日本のつながりを、もう一度バナナを通して考えようという企画。バナナの「国産産直事業」をつづけてきた市民事業「オルタード・トレード・ジャパン」リーダーへのインタビューと、石川清の新連載「バナナの世界地図」。

「バナナの世界地図」第1回は沖縄のバナナをレポートしている。沖縄で栽培されている「島バナナ」と古くからバナナ(芭蕉)の繊維で織られた芭蕉布。たまたま銀座の沖縄物産店「わした」を覗いたら島バナナがあったので買ってきた。普通のバナナより濃厚で酸味があり、うまい。バナナの下は芭蕉布の敷物。時間と空間を自在に旅した鶴見に比べると文章も用語もまだ硬いけど、楽しみな連載。

ほかに連載は柄谷行人「革命と反復」、上野千鶴子「ケアの社会学」と、吉岡忍・吉田司の対談。2人の連載対談(放談)は面白い。

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November 01, 2005

『冷血』の深い闇

「寝食を忘れて(読む)」なんて言い方が死語に近くなったのは、言葉の問題もあるけれど、それ以上に、熱くなって何かをやることが少なくなったクールな時代の空気とも関係あるのかもしれない。加えてこちとら、老眼が進んで長時間の読書に耐えられない。

でもこの本は「寝食を忘れて」読んでしまった。いや、もちろんご飯は食べたし、寝もしましたけど、気分としてはそんな感じ。それほどに引き込まれ、おもしろかった。

新しく訳されたトルーマン・カポーティのノンフィクション・ノベル『冷血』(佐々田雅子訳、新潮社)。瀧口直太郎の旧訳は30年間も本棚の片隅にあり、いつか読もうと思いながらそのままになっていた。奥付を見ると1972年12月発行の11刷(初版は1967年)とある。江藤淳、石原慎太郎、大宅壮一が推薦文を書いているのが時代を感じさせる。

新訳は、これが1965年に書かれた40年前の作品だとは全く感じさせなかった。1959年の出来事を半世紀後の今、2005年に小説化したのだと言われてもまったく分からなかったろう。

「わたしはいつだって霊感を試してみるんだ。今日までわたしが生き延びてきたのもそのおかげさ」(瀧口訳)

「おれはいつも勘を働かせてきたんだ。今、生きているのもそのせいだ」(佐々田訳)

同じせりふを拾い出しただけだから厳密な比較ではないけど、1人称が「わたし」から「おれ」に変わり、言葉のテンポとリズムが速く強くなっている。それが新しく訳し直したことの意味なのだろう。

古さを感じなかったのは、もちろん訳だけの問題じゃない。なにより1950年代のアメリカ社会の断層を通して明らかになる人間の心の闇が、別の時代、別の地域に生きている僕たちにも深く突き刺さってくるカポーティーの作品そのものの力によっている。

殺されたのは、アメリカ中西部カンザス州で農場を営む、敬虔なプロテスタントとして人望のある一家。大金を目当てに邸宅に侵入し、結果として50ドルのために一家4人を惨殺したのは刑務所で知り合った若者2人。1人はプア・ホワイトの息子で、1人はアイルランド人の父と先住民チェロキー族の母の間に生まれた混血。混血青年は、父母とともにアメリカ中西部や西部、アラスカを転々としてきた、いわば「流れ者」だ。

中西部は「バイブル・ベルト」とも呼ばれるけれど、プロテスタントの信仰篤い人々は、ブッシュ再選の原動力になったことからも伺えるように、建国以来、社会の基盤をなしてアメリカの「健全」と「正義」を体現してきた。

一方、移民国家であるアメリカは、貧しい人々が国に入ってくることによって常に下層階級が更新されている。彼らのある者は広大な大陸をさまよい歩いて流れ者となる。

定住者と流れ者が出会うことで起きる出来事は小説や映画でおなじみの、いわばアメリカのドラマの原型のようなもの。西部劇の流れ者(「シェーン」)や、大陸横断鉄道時代のホーボー(「北国の帝王」)、ケルアックの『路上』の主人公のようなビートニクたち、60年代のヒッピーもそんな流れを引いているにちがいない(「イージーライダー」)。

僕は『冷血』を読んで、この小説が発表された数年後から「俺たちに明日はない」「明日に向かって撃て」「ゲッタウェイ」など、移動しながら犯罪を繰り返すロードムービーがニューシネマと呼ばれて流行した背後にはこの小説の出現があるのではないかと、ふと思った。そういえば、「イージーライダー」のラストシーンも、殺す者と殺される者が『冷血』をそっくり逆転させた構図になっている。

そんなことを思ったのも、『冷血』を読みすすむにつれて、これが必ずしも中立客観的なノンフィクションではなく、作者の思い入れが殺人者の、なかでも流れ者の混血青年にあることがはっきりしてくるからだ。

カポーティは、この殺人を貧しさや社会の矛盾によって説明しているわけではない。強盗の動機はたしかにカネだけれど、作者自身も説明しきれない心の闇のなかにこの殺人があることにこそ『冷血』の凄みがある。

強盗を計画したのは、2人のうちプア・ホワイトの青年のほうだった。混血青年はプア・ホワイト青年に誘われ、いわば従犯として農場に侵入する。侵入する直前には、いったんは犯罪から降りようともしている。

ギターと歌がうまくてミュージシャンになることを夢見、文章を書くことが好きな混血青年は、一家を縛り上げてからも、プア・ホワイト青年が娘をレイプしようとするのを止め、農場主が床にころがされるのは冷たかろうとマットレスの箱を敷き、ベッドに寝かされた農場主の妻にはベッドカバーをたくしあげる思いやりを示している。

家族を皆殺しにするのはプア・ホワイト青年の計画で、混血青年は最後まで一家を殺すことを考えていなかったのだが、実際に農場主の喉をナイフで掻き切り、散弾銃を撃ったのは、臆したプア・ホワイト青年ではなく混血青年のほうだった。

その間の事情をカポーティは2人の告白と、犯罪心理学の論文を援用して記述してゆくのだが、それによっても混血青年がナイフと散弾銃に手をかけた瞬間が納得できるようには描かれていない。その瞬間を作者が説明しきれないだけでなく、当のプア・ホワイト青年や混血青年自身にも自分たちの行った行為がよく分からないのだ。カポーティの叙述は、そんな言葉にならない部分をも想像させるに十分な深さを湛えている。その語りえない領域にひそむ人の心の不可思議な恐ろしさによって、このノンフィクション・ノベルは今でも読む者を震撼させる。

印象に残った挿話。ひとつは混血青年の夢。「国境の南」メキシコへ行って金を掘り、ユカタン半島沖合の島で王侯貴族のように暮らすこと。「おれは金を掘ることなら裏も表も知り尽くしてる。本物の山師だったおやじから教え込まれたからな。だから、おれたち二人、荷馬を二頭買って、シエラマドレで運試ししてみるっていうのはどうだ?」。これはハンフリー・ボガートの映画(『黄金』)だね。

もうひとつは、混血青年が語る父の肖像。「父親は“本物の男”だった。木を望むとおりの位置に切り倒すことができた。熊の皮を剥ぎ、時計を修理し、家を建て、ケーキを焼き、靴下をつくろうことができた。曲がったピンと糸があれば、鱒を釣ることもできた。かつて、アラスカの荒野で独り、冬を乗り越えたこともあった」。

こんな男たちが50年代にはまだ生きていたんだな、アメリカという国には。


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October 17, 2005

『戦後日本のジャズ文化』―奇妙な読書体験

自分が身をもって体験した時代のことが、同時代に体験していない若い世代や外国人の手によって分析され論じられている本を読むのは、けっこう奇妙な読書経験なのだ。

例えば『<民主>と<愛国>』を書いた1962年生まれの小熊英二は、僕らの世代が熱中した丸山真男や吉本隆明といった1950年代、60年代の思想を、まるで昆虫採集好きの少年が蝶やクワガタを虫ピンで止めるような手つきで分析してみせた。

そのあまりの冷静さに腹立たしい思いをもちながら、渦中にいた僕たちには思いもよらない視点を提出されて、なるほど自分たちがやっていたことはこういうことだったのかと教えられもした(サイト「book navi」に書評を書いたことがあるので、興味のある方はどうぞ)。

マイク・モラスキーの『戦後日本のジャズ文化―映画・文学・アングラ』(青土社)も、似たような読書体験をさせてくれる。もっとも、こっちは外国人の著書なのに小熊よりも親身に時代に寄り添い、あの時代の熱い思いを追体験させながら視点をずらすことによって僕たちの体験に別の角度から光を当ててくれる。

著者は1956年セントルイス生まれで、十数年間、日本に滞在した現代日本文学の研究者。同時にジャズ・ピアニストとしてライブ活動も行っている。内容は、敗戦から1970年代にいたる「戦後」の時代に、ジャズがいかにこの国の文化に大きな影響を与えたかを、黒澤明や若松孝二、五木寛之や村上春樹なんかを取り上げながら論じたもの。

「日本語で書かれたジャズ関連の作品を見渡すと、ジャズがどれだけ日本の現代文学に浸透してきたか垣間見ることができよう。いや、1960年代以降に限って言えば、アメリカの文学界よりも日本の文学界にとってのほうが、ジャズの存在は大きいといえるかもしれない」

ここでは例えば五木寛之の『さらばモスクワ愚連隊』や『青年は荒野をめざす』といった「ジャズ小説」が戦争と占領体験の影のもとにある作品として読み解かれている。当時、僕らは五木の小説をそのような「戦後派」的感性から切れた新しい青春小説として読んでいたように思う。

著者は、『さらば…』や『青年…』の主人公がロシアやアメリカの青年とジャズ・ライブでバトルを繰り広げ、彼らを打ち負かすシーンを取り上げて、こう言っている。「この一連のジャズ小説で見られるのは、日本人の主人公の(元)占領者たちに対する一種の<逆転>および<復讐>のファンタジーといえるのではないか」。

「ジャズ小説を書いていた初期の五木寛之は、若者向けの<同時代の作家>というイメージが強かったにもかかわらず、その作品群には<過去の影>が微妙ながら色濃く反映されている。やはり、著者自身の敗戦後のソ・米による二重の被占領体験や、引揚者として(母を亡くして)『母国』に帰る、という複雑極まりない個人体験が、作品中に<記憶>として浮上することがある……この<過去の影>こそ、五木文学が読者に与える余韻の源泉ではないだろうか……この<過去の記憶>が<音>と化することもある――錆びたリヤカーのきしむような、永遠に響きつづけるブルースの音である」

そして著者は五木の「ジャズ小説」を評価して、五木はジャズの本質がライブ演奏による<生きた音楽>であること、即興の一回性にあることをわかっていると言う。それは他の作家たち、例えば中上健次や村上春樹がレコードを聴くことによる鑑賞音楽としてのジャズ(「消えていくはずの音を凍結し、永遠に反復して聴くこと」)に影響を受けたのとは違っていると述べている。

このあたり、「即興がジャズの生命であり、即興されない音楽はジャズではない」というミュージシャンでもある著者ならではの視点だろう。

これは「占領文学としてのジャズ小説」という章に書かれていることだけど、他にも「ジャズ喫茶解剖学―儀式とフェティッシュの特異空間」とか、若松孝二・足立正生映画のジャズを論じた「破壊から想像への模索」とか、音楽や小説だけでなく映画、現代詩、左翼の革命論、メディアなど文化全般にわたってジャズとの関係を論じている。

著者の目から見ると、戦後日本がジャズを受け入れた仕方には奇妙な歪みもあるけれど(それはジャズに限らず、欧米文化一般を受け入れる際の問題でもある)、滞日体験が長い著者は、一方でその歪みを愛してもいる。そんなアンビバレンツな感情がいちばん表れているのが、ジャズ喫茶を論じた章だろう。

ここでもまた、30年以上前にジャズ喫茶に入り浸った日々を思い出しつつ、ジャズ喫茶を<学校>と<寺>として捉えるモラスキーの視点に納得してしまった。


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October 02, 2005

港に佇む鶴見良行

鶴見良行が亡くなって9年。彼の仕事の全貌はようやく『鶴見良行著作集』(全12巻、みすず書房)として集大成された。

鶴見は自分を「学者ではない」と言っているけれど、彼がアジアを歩いて記録した「ナマコの眼」や「バナナと日本人」「マングローブの沼地で」など一連の著作は、現場の眼と文献探索と歴史観とを併せもった、並みの学者にはとても太刀打ちできない希有の仕事だった。今年の6月に出た鶴見良行対話集『歩きながら考える』(太田出版)は、著作集から12の対話を選んで編集したもの。

鶴見良行はこの本で、「歴史を縦ではなく横に読む」ことを語っている。歴史を横に読むとは、例えば東南アジアには山で焼き畑農業を営んで移動を繰り返している人々や、手漕ぎの船でささやかに家族が暮らせるだけの魚を捕っている漁民がたくさんいるけれど、彼らを歴史的に遅れた民(アジア的停滞)としてではなく、同時代に生きている者として、彼らを含んだ同時代史をどう考えてゆくか、ということだろう。

歴史を「縦に読む」と、どうしても中国とかヨーロッパとか強大な文明と権力を持った国々を軸にせざるをえない。近代であれば、ヨーロッパの国民国家の枠組みと、その植民地主義の展開という形で世界を考える。それらに対抗する思想もアンチ国民国家、アンチ国家権力といった形で、結果として軸そのものは疑われずに、もうひとつの権力をつくりあげた。鶴見はそうではなく、「縦」の軸そのものを、島々を歩きながら無化していこうとした。

「東南アジアでは、たとえばフィリピンでもインドネシアでも、民衆の一人一人は自分がフィリピン人であるとかインドネシア人であるということをあまり意識しないで、村という社会単位のなかで生きていればいいわけです。偉大な人間を生む社会は、ある意味で苦しみの中から生まれてくる。ネールや魯迅が出てくる社会というのは、民衆にとっては苦しみの社会、専制国家なんですね。どちらかと言えば、定着農耕の社会です」

「それに対して、偉大な人間を生まない社会は、村だけの村長さんがいやだったら隣の村にくっついちゃえばいい社会です。そこからは偉大な思想家というのは生まれなかったし、生まれなくてよかった。このような社会が非常に遅れていると考えられたら困るんです。……ぼくがひっくりかえしたいという感じをもっているのはそういうことなんです」

12の対話は1970年代から90年代にかけてのもので、それこそ「歴史の縦軸」にとらわれた対話者とのものもある。なかでは山口文憲との単行本1冊分の対話「越境する東南アジア」と、インドネシアのスラウェシ海域を帆船で航海した仲間での座談会「チャハヤ号航海記」が面白かった。

返還前の香港に住んだことのある山口文憲は、なぜ香港に住んだかを「田舎はうざったいからだ」と言っている。「地方の中都市に18歳までいて、もうコリゴリ」だし、「人間の自由というか、さしあたりぼく自身の自由は、都市的な中でしか保障されないだろう」と考えている。

「ですから、タイやフィリピンの農村崩壊というか、都市への人口流入にもきわめて『同情的』でして(笑)」と鶴見とは対極的な実感をベースにしながら、2人はアジアについて、香港について、日本について、モノと人に即して縦横に語って一気に読ませる(2人ともベ平連の組織者)。

「チャハヤ号航海記」は、当時、「エビと日本人」を調査していた村井吉敬、新妻昭夫、鶴見らのグループがスラウェシ島、アンボン島、アル諸島など、かつて香料をめぐって植民地戦争の舞台になった地域を航海しての座談会。島々でそれぞれに違う農業や漁業のあり方や、自給自足的経済を残しながらも貨幣経済が入ってきて世界市場に組み込まれつつある島の姿が語られている。

この本を読み終えて著者の姿をイメージすると、アジアの小さな島の港、水揚げされたわずかな小魚を商っているおばあさんの傍らで、乗り合いの船を待ちながら太陽を反射した波がたぷりたぷりと寄せているのをじっとながめている鶴見良行の像が思い浮かぶ。

鶴見良行の本には、そんな旅の記憶と記録がぎっしり詰まっている。「いまの日本の時流というものに対して全然アイデンティティーもってないし、日本にも違和感を感じてるし、インドネシア人、フィリピン人にもなりきれずに、南シナ海のどっかにポツネンと立っていると自覚があります」。

鶴見良行の仕事は、時を経るごとにますます輝きを増していると思う。


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September 08, 2005

「開発」が貧困をつくりだす

ジェレミー・シーブルック『世界の貧困 1日1ドルで暮らす人びと』(青土社)には、世界の富と貧困の対比が色んな数字や具体例で示されている。頭では分かっていても、こんなふうに突きつけられると、改めてその偏りのすさまじさを実感する。

●ビル・ゲイツ、ブルネイ国王、ウォルトン家(ウォルマート)の3家族の財産を合わせると1350億ドルになる。これは、世界の最貧国で生活する6億人の年収の合計に等しい。
●世界で最も裕福な200人の資産は、世界人口の総年収の41パーセント以上にのぼる。
●世界人口の最富裕層20パーセントは、最貧層20パーセントの150倍の富を得ている。
●世界で12億の人々が、1日1ドル未満で生活している。世界の人口の半分が1日2ドル未満で生活している。

最近は日本でもEU諸国以上に貧富の差が激しくなっているけど(8日の朝日新聞朝刊にデータが出てた)、平均的な日本人なら「世界人口の最富裕層20パーセント」に入っているはず。世界レベルで考えれば、まだまだ日本人は豊かなのだ。

過去50年に世界経済の規模は拡大し、1人当たりの所得は2.5倍に、商品生産量は8倍に増えたのに、貧困はなくなっていない。なぜか、とシーブルックは問う。著者はアジアを中心に発展途上国を歩いているイギリスのジャーナリスト・作家。彼が出会った人々の姿と数字と彼の考え方とが、ほどよくミックスされて読みやすい。

国連やIMF(国際通貨基金)やWTO(世界貿易機関)が貧困をなくすための計画を進めているが、その処方箋は共通している。「開発」=「経済成長」ということだ。それこそが問題なのだ、というのが著者の答え。

「開発」は、人々を世界市場に統合する。人々が「開発」に参加する、あるいは「開発」に追い立てられて農村から都市へと移動せざるをえなくなる。それまで地縁・血縁ネットワークのなかで市場に全面的には依存せず自給自足的な生活を送っていた人々のライフ・スタイルが、それによって生活必需品のすべてを金で買わざるをえないように変わってくる。

グローバル規模で進められている民営化は、いまや生活必需品にまで及んでいる。「世界銀行とIMFの支援を受けて、一握りの多国籍企業が、世界の給水と排水システムをカルテル化しようとしている。すでにフランスのヴィヴェンディ社とスエズ社は150カ国で2億人以上の人々に私営の水サービスを行っている」。うーん、郵政の次は水道民営化かもしれないぞ。

だから「開発」が貧困をつくりだしているのだ、と著者は言う。それは「参加型開発」であろうと「持続可能な開発」であろうと変わらない。もともと「開発」という考え方自体が、第二次大戦後、社会主義圏に対抗して「豊かさ」をアピールするために考え出されたイデオロギーなのだ。

欧米諸国や日本など「北」の国々が「開発」=「経済成長」に成功したのは、富を絞りだす植民地を持っていたから。でも、植民地を持たない「南」の諸国が「開発」を推進しようとすれば、自国の国民や環境にすさまじい圧力をかけなければならない。

著者が強調しているのは、豊かさは収入によってではなく「安心」と「満足」の度合いによって計られるのがよい、ということ。国連開発計画の調査では、世界の国々で「自分は幸せに暮らしている」と答えた人が最も多かったのは「後発発展途上国」バングラデシュだそうだ。

さて、「世界の最富裕層」に属する僕たちは「幸せに暮らしている」のか。世界から貧困をなくすために何をしたらいいのか。すでに骨の髄まで世界市場に組み込まれている僕らは、そこから身をはがすことができるのか。

色んなことを考えさせられる本だった。翻訳が、いまひとつこなれていないのが残念。


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August 31, 2005

深沢七郎の今日性

先日(8月8日)のエントリにも書いたけど、深沢七郎にはまっている。「楢山節考」をはじめとする代表作は若い頃読んだ記憶があるけれど、現代ものはあまり読んでいない。『深沢七郎集』第2巻(筑摩書房)の現代もの「東京のプリンスたち」と「絢爛の椅子」が面白かった。

「東京のプリンスたち」(1959)は、エルビス・プレスリーにいかれている東京の不良高校生たちが喫茶店にたむろしてレコードを聴いたり他愛ない冗談を言ったり女の子と連れ込みにしけこんだりする日常を、高校生の一人ひとりに次々に視点を移しながら描いた中編。その行動からは「不良」と見えても、たとえば(キタネエ奴等だ)といったようにカッコ内で示される主人公たちの内側の声をたどっていくと、いつの時代にも、どこにでもいる、自分をもてあましている青春の姿が浮かび上がってくる。その「ぬるさ」が、とてもいい。

もうひとつの「絢爛の椅子」(1959)は、「小松川女子高校生殺し」を素材にした異色の中編。深沢七郎が現実の事件に取材した小説を書いていたとは知らなかった。雑誌『婦人公論』に「事件小説」シリーズの一本として掲載されたらしい。

当時、「小松川女子高校生殺し」は、その後の「宮崎勤事件」や「酒鬼薔薇事件」に匹敵するような衝撃的な出来事だったし、事件についての論評や本もずいぶん出た。そのいくつかを読んだ記憶があるけれど、犯人の青年がドストエフスキーを愛読していたことから、「罪と罰」ふうな観念的解釈をほどこした、いわば実存的な事件として扱われることが多かったように思う。

「絢爛の椅子」は、そこのところが全然違う。父親が小さな窃盗で何度も警察にしょっぴかれ、その度に頑張れずに自白してしまう。差し入れに行った主人公は、そんな父の姿が悔しくてならない。

「父が自白してしまったのはどう考えても口惜しかった。それから、図書館で自分が盗んだ時のことも思い出して口惜しくなってきた。そう考えているうちに敬夫は頭がカーッとなった。(そうだ)と思った。(絶対にバレないことをしてやるんだ)と思った。証拠さえなければ調べられても堂々と相手をやっつけることができるのだ。(そうだ、やればいいのだ)を思った。(よし、きっとやるぞ)と決心した」

深沢はこれだけしか説明せず、次の段落になると、いきなり殺人の場面になってしまう。観念的な、あるいは内面的な葛藤など、まったく書きこまれていない。「東京のプリンスたち」の高校生が、(あいつを殴ってやろう)と考えるのとまったく同じ、ごく日常的な思いのなかで「完全犯罪」が決意されている。

この小説、想像するに発表当時の評判はあまり高くなかったんじゃないだろうか。殺人へと至る主人公の描き方があまりにもあっさりしていて、いわば「動機なき殺人」に近い。きっと「主人公の内面に迫っていない」みたいな言い方がされたんじゃないかな。なしにろ「実存」の季節だったからね。自分もそんな時代の空気のなかにいたからよく分かる。

でも今になって読んでみると、殺人という行為へと至る唐突さが小説として逆に新鮮に映る。内面の葛藤などとは無縁の犯罪が、むしろ今日的な感覚を孕んでいるからだろうか。

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August 24, 2005

「ドキュメンタリー」というスタイル

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今橋映子『パリ・貧困と街路の詩学--1930年代 外国人芸術家たち』(都市出版)は、1930年代のパリで活動した外国人芸術家というキーワードで、従来なら一緒にされることのなかった人たちやジャンルが横断的に論じられていて面白い。

登場するのは、思想家のヴァルター・ベンヤミン(ユダヤ系ドイツ人)、写真のアンドレ・ケルテス(ハンガリー)、ブラッサイ(ハンガリー)、画家の佐伯祐三、作家のヘンリー・ミラー(アメリカ)、ジョージ・オーウェル(イギリス)、ヨーゼフ・ロート(東方ユダヤ人)、詩人の金子光晴といった綺羅星のような人たち。個性豊かな登場人物がパリの街路で繰り広げるドラマは多彩な問題を孕み、読み物としても一級品に仕上がっている。

1930年代を特徴づけるのは、大恐慌の後遺症とナチスが権力を握った時代ということ。そのためヨーロッパではユダヤ人をはじめ多くの人の移動が生じ、また思想・文学・芸術を貫いて「ファシズム対反ファシズム」という強力な対抗軸が存在した。この政治的な対抗軸があまりに強かったために、30年代の芸術には見るべきものが少ないというのがジョージ・オーウェルの見解。

それはともかく、本筋とは別に「ドキュメンタリー」あるいは「ルポルタージュ」を巡る議論に興味を惹かれた。

今橋によると、「ドキュメンタリー」という用語は新しいもので、1937年に初めて造語されて広まった。「ルポルタージュ」も同様で、日本では伊奈信男が30年代半ばに「フォト・ルポルタージュ」という言葉に「報道写真」の訳語を与えている。

写真の世界で30年代に「ドキュメンタリー」や「ルポルタージュ」が注目された背景には、無論、グラフ・ジャーナリズムの勃興がある。ライカという小型カメラが生まれ、大量高速の印刷技術が高度化し、写真と文字を効果的に配するデザインの技法が洗練されて、まずドイツでグラフ・ジャーナリズムが発達した。ナチスが台頭すると、その担い手はフランスへ、イギリスへ、アメリカへと散り、アメリカなら『LIFE』といった具合に、各国それぞれのグラフ・ジャーナリズムが生まれた。

今橋は、「(30年代の)フォト・ルポルタージュは一つのスタイル(形式)であって、真実ではない」というキム・シシェルの言葉を引きながらこう言っている。

「夜のパリや夜のロンドンを撮ったブラッサイや(ビル・)ブラントが、しばしば『劇的演出』を行ってきたことも、指摘した通りである。つまり、<ドキュメンタリー>の成立期にあっては、記述や映像は<事実(ファクト)>と<虚構(フィクション)>のあわいに位置していたのであって、その技法こそが、<貧困>という主題、政治的意図の有無などと共に、このジャンルの重要な要素であったことに、改めて注目すべきであろう」

現在では、いわゆる「やらせ」はジャーナリズムの精神に反するものとして厳しく指弾される。でもこの時代、「事実」と「虚構」は分離・対立するものではなく、未分化なままに「一つのスタイル」として成立していた。また、現在ではジャーナリズムは「客観」「中立」を旨としているけれども、この時代には貧困とかナチスといった「絶対悪」が存在し、読者がそれらに対して行動を起こすきっかけをつくることが、むしろジャーナリズムに要請されてもいた。

そんな30年代のグラフ・ジャーナリズム成立期から逆に現代を照らしてみると、現在のジャーナリズムに要請されている「客観報道」「価値中立」「(歴史に参加しない)純粋観客」といったことが決して普遍的なものではなく、その時代のなかにいる者には意識されることのないイデオロギーなのかもしれないと思えてくる。


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August 13, 2005

『声をなくして』に励まされる

これがどんなに苦しいことなのか、想像することすらできない。

「誰かにぐいぐいと両手で締めつけられるような首の痛み、その下の、鎖骨あたりのきしむ音の聞こえるような鈍い痛み。両手両足の先端に走る痺れ。そして、なんともいえない、喉の乾きとは別の、実に不快な呼吸の苦しさ。三年前まで、私は、呼吸なんていうのは自然にする行為、いや、その行為自体すら意識していなかった。しかし、今の私にとって呼吸とは、何よりも意識を伴う重大な行為なのだ。生きる為の」

彼も書いているように、健康な人間が自分の呼吸を意識することが日に何度あるだろうか。駅の階段を駆け下りて電車に飛び乗ったとき。気持ちを落ち着かせるために深呼吸を必要とするとき。あるいは、かすかな木槿の香りに嗅覚を研ぎ澄ませようとするとき。いずれにしてもそんなに多くはない。それが、目覚めているかぎり、鼻ではなく喉に開けられた穴でおこなう一呼吸ごとに苦しさがあり、しかも首や鎖骨の痛みさえ伴っている。

彼の場合、咽頭ガンばかりではない。子どものときから時折、襲ってくる鬱。高血圧。糖尿。奥さんから「よっ、病気のデパート!」と明るく励まされ、毎朝、大量の薬を焼酎で流し込む。

『声をなくして』(晶文社)は彼、永沢光雄が下咽頭ガンの手術をして声を失った日々を記録した日記と言おうか、エッセーと言おうか。

永沢光雄といえばすぐに思い浮かぶのは素晴らしいインタビュー集『AV女優』(1996年・ビレッジセンター出版局)だろう。42人のAV女優に身の上話を聞きながら、虚実とりまざっているだろう彼女らの話をそのまま構成することで、20代の女性たちの夢の形とでもいったものを鮮やかに浮き彫りにして見せた。

僕も多少のインタビュー経験があるので分かるけど、永沢光雄は相手が困惑する鋭い質問を次々に投げかける攻撃的なインタビュアーではない。相手がしゃべらなければ、こっちも黙ってタバコを吸ったりコーヒー(彼の場合アルコールらしい)を飲んでいるような、受け身の、でも沈黙を耐えることのできる強靱なインタビュアーである。それが彼の人柄なのだろう、やがて彼女たちはなぜ自分がアダルト・ビデオに出演するようになったかを自ら語り始める。その瞬間の感触が、とてもうまく再現されていた。

『声をなくして』でも、その強靱な受け身の姿勢は変わらない。

彼は病気とまなじりを決して闘おうとはしていない。でも病を受け入れながらそれに屈することなく、奥さんや友人や医師や、そして死んでしまった友人たちの記憶に支えられて、1日1日を「生きる力」を自分のなかに探している。だからだろう、想像を絶する苦痛を耐えながら、その自分の姿がまるで他人を眺めているようにユーモラスに記録されている。それを読んでいると、ガンの永沢光雄に僕たちが逆に励まされているのを発見する。

この本は、ひとりの編集者への「ラブレター」として書かれている。その編集者がいなければ、この本が書かれることはなかった。これも給料のうちとでもいった義務的な、あるいは売ることばかりに目の行った、編集者の仕事が感じられない本が蔓延しているなかで、あふれるような編集者の愛があったからこそ、それへの応答としてこの「ラブレター」は書かれたのだろう。

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August 08, 2005

深沢七郎で「ひまつぶし」

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新刊書の棚に深沢七郎の名を見つけて懐かしくなり、しかも「未発表作品集」とあるのでは買わずにいられない。『生きているのはひまつぶし』(光文社)。黒とショッキング・ピンクの派手な装幀。帯には、深沢が傍らの女性の服をはだけて胸を見せている写真と、「戦争でエネルギーを使うくらいなら、セックスで消耗する方がよっぽど気がきいているよ」のキャッチ・コピー。

カバーを取ると、カバー裏にまた写真がたくさんコラージュされていて、サービス満点。深沢がラブミー牧場で鶏にエサをやっていたり、今川焼の夢屋で仕事していたり、女優に囲まれたり、ギターを弾いていたりする。表紙には帯と同じ写真が拡大されていて、表はおっぱい、裏は深沢の笑顔のアップ。小口(本文の天地と腹側)もショッキング・ピンクの色がつけられていて、一歩間違えれば下品になりかねないけど、深沢七郎の悦楽的な部分を強調したデザインだね。

内容は深沢が、「死んだら」「土とたわむれ」「男と女と」「旅する」などのテーマでしゃべった語りと「発掘エッセイ」2本。タイトルの「未発表」がこの本全体を指すのか、「発掘エッセイ」だけなのかよく分からないところは、ちょっと編集者に文句をつけたいけど、深沢節を堪能できる。

「死ぬことは大いにいいことだね。/ゴミ屋がゴミを持っていってくれるのと同じで、人間が死んで、この世から片づいていくのは清掃事業の一つだね。/死んだ人間は土塊だからね。魂なんか残ってやしないよ」

「涅槃って言うでしょ、忘れるということね。酒で酔っぱらうということも、女とアレをやって、その瞬間に恍惚の境に入るというのも、ひとつの涅槃だね。麻薬やタバコで、スウッとするのも涅槃だよね。それが全然なくて涅槃できるっていうのが、心のもちかただね。なにもなくて涅槃するのが一番いいけどね。涅槃っていうのは、生きながらにして、死んだと同じ心になることだから。喜びも悲しみも欲望もなくなっちゃう……」

「嫌なことは忘れて、楽しい瞬間をなるべく多く作ることだね。そのために稼いだり、乗り物に乗って移動したりするんだから。稼ぐのはめんどうだけど、楽しい時間を作るための仕度だからね。とにかく、生きているうちは暇つぶしがいい。ギターを弾いたり野菜を作ったりするのも暇つぶしだね。/……/人生とは、何をしに生まれてきたのかなんてわからなくていい」

もちろん深沢七郎は「暇つぶし」のなかで『楢山節考』や『笛吹川』や『庶民列伝』をものしたわけで、「暇つぶし」はすべて文学につながっていた。だからわれら凡人に真似できるわけじゃないけど、いつも暗黒を覗いているような、それでいて飄々とした姿勢には憧れてしまう。

「稼ぐのはめんどうだけど、楽しい時間をつくるための仕度」という言葉にも頷く。もっともっと「楽しい瞬間」をつくらなきゃね。

ところで、いま深沢七郎の本は文庫以外では手に入らない。僕の書棚にも、昔の、もはや読むのが苦痛な小さな活字の文庫しかない。いつか買おうと思ってたけど、こういう気分になったのが買い時と思って、「日本の古本屋」サイトで『深沢七郎集』(全10巻、筑摩書房)を27,000円はたいて買ってしまった。

さっそく京都へ往復する新幹線、急ぐ旅ではなかったので「のぞみ」でなく「ひかり」にして、車中で『庶民列伝』を読んだ。若いときは今ひとつピンとこなかったけど、「お燈明の姉妹」「サロメの十字架」など、ムチャクチャであり、つましくもある女たちの生き方を描いて傑作ぞろいの短編集。しばらく深沢七郎びたりが続きそうだ。


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August 02, 2005

『FRONT』の大艦巨砲主義

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多川精一といえば、岩波写真文庫や『月刊 太陽』『季刊 銀花』など戦後を代表するグラフィックな出版物や雑誌のデザインで知られている。彼の著書『焼跡のグラフィズム 「FRONT」から「週刊サンニュース」へ』(平凡社新書)を読んでいたら、以前から疑問に思っていたことの一部に触れた記述があった。

第二次世界大戦中に、対外国家宣伝のために『FRONT』という雑誌が発行されていた。スポンサーは陸軍参謀本部。デザインに原弘、写真に木村伊兵衛、編集に林達夫、中島健蔵といった最高の技術者と知性が集まり、大判のA3判グラビア1~2色刷り、オフセット4色刷りを使い、15カ国語版(敵国の言語と大東亜共栄圏の言語)をつくるといった、戦争下では考えられない贅沢な雑誌だった。内容的にもデザイン的にも、当時ビジュアル雑誌の最先端を行っていた『USSR in Constraction』や『LIFE』を研究して、世界水準のものをつくっている。

僕が疑問に思っていたのは、15カ国語版の『FRONT』をつくったのなら、それをどのように配布し、どれだけの影響力があったのか、ということ。そのことについて、『FRONT』を扱ったどの本を見ても触れられていない。

『FRONT』の発行元である東方社が設立されたのは開戦の年、1941年の春(開戦は12月)。最初の『海軍号』が発行されたのは開戦後の1942年。だから戦争前に企画され、発行は戦争が始まってからのことになる。『海軍号』は、凸版印刷の最新鋭機、ドイツ製グラビア輪転印刷機を使って十数万部を刷ったという。

『FRONT』のデザイナー原弘の弟子で東方社の社員だった多川精一も、自分がかかわった雑誌がどう配布されたかについて知らされていない。ただ、その間の事情をこう推測している。

「戦争が始まれば『FRONT』のような重くかさばる宣伝物は、運搬も配布もままならない、おそらく膨大な量の『FRONT』が輸送途中にアメリカの潜水艦の攻撃で、船もろとも海底の藻屑と消えたのであろう。/またたとえそれが目的者に届いたとしても、現実の敗戦状況下ではかえって逆効果になった。宣伝も広告も、その実状を知らされない者にだけ効力が発揮できる。ミッドウェイ海戦の敗北で『FRONT』の大半の宣伝効果は失われていたのだ」

「重くかさばる用紙」については、こんなエピソードも記されている。日本の『FRONT』と同じようにに、アメリカ政府がタイム社に委嘱してつくった対外宣伝雑誌『VICTORY』を入手したときのことだ。

「『いや、参った。負けたな……』/『VICTORY』を社内で回覧していた時、木村伊兵衛写真部長が編集室で皆の前で大声で叫んだ。その遠慮のない大胆な発言は、何も言えないでいる全員の心の中の思いであった。編集や製作技術ではアメリカに負けない自信はあった。しかし、宣伝物としての配布や効果といった総合力の点で、さらにそれを支える国力の大きさで、みじめな程劣っていることを、そこに使われている用紙がすべてを象徴していたのである」

それは、その後『LIFE』などで使われるようになった軽量コート紙で、船ではなく航空機で運ぶことを前提に開発された新しい紙だった。

編集制作に時間のかかる『FRONT』は、その後も戦争の進展の速さ(日本軍の敗北に次ぐ敗北)に追いつかず、もっと短時間でできるパンフレット『戦線』を同時発行するのだが、敗戦の1945年まで、『FRONT』も『戦線』も当事者にすらどう配布されるのか知らされないままに発行されつづけた。その理由について、多川はこう記している。

「東方社のスタッフはそれを軍の仕事として続けることで、組織の生き残りを図ったのである。だから最後は戦争に勝つためでも、軍に協力するためでも無く、東方社自身のために『FRONT』を始め対占領地宣伝の存続が必要になっていいた。/そんな効果のない宣伝物を作り続けることを、最後まで参謀本部が認めてきたのはなぜか。それが可能だったのは、今考えると陸軍そして参謀本部という組織も、本質的には官僚主義の機構だったからではなかろうか」

これには若干の注釈がいる。東方社には、満鉄調査部がそうだったように、特高から狙われている左翼がかなりの数、社員としてもぐりこんでいた。東方社の最高責任者(総裁)は建川美次退役陸軍中将で、2.26事件の黒幕とも言われ、陸軍主流からは目障りな存在だったようだ(彼も知り合いの元共産党員、元中国共産党員を社員に入れている)。

そのような会社である以上、警察も手を出せない。参謀本部も、いったん認めたものは、前例主義でつぶさない。だから、東方社にとって『FRONT』の発行は、それによって実際に対外宣伝にどれだけ効果があったかではなく、発行それ自体が目的だったのだ。

結局、『FRONT』は、戦争にはほとんど役に立たなかった大艦巨砲「大和」「武蔵」と同じだった、と多川は結論づけている。

中島健蔵は「東方社の最大の功績は技術の伝承であった」と書いている。『FRONT』のスタッフは、やはり対外宣伝誌『NIPPON』に拠った名取洋之助、亀倉雄策、土門拳らとともに、戦後の出版、デザイン、写真、広告の世界のリーダーになってゆく。

日本光学製の「武蔵」の巨大測距儀技術が戦後の名機ニコンを生んだように、技術と戦争との関係は、単に戦争を「悪」と断罪するだけでは解決がつかない。また戦争期の技術者(あるいは知識人)の生き方についても、戦争に協力したことを追及するだけではすまない複雑な問題が絡み合っている。「戦争責任」をどう考えるかも含め、そこを解きほぐしていく作業は戦後半世紀以上たってもまだ十分でないと思う。
 

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July 08, 2005

鶴見良行が歩いたボルネオ

ボルネオに行くことになったとき、短い観光旅行なのだけど、多少なりともその土地のことを知りたいと思った。で、いろいろ本を探したけど、適当なのが見つからない。結局、むかし読んだ鶴見良行『マングローブの沼地で 東南アジア島嶼文化論への誘い』(朝日選書)を引っぱり出した。鶴見良行はこの本で、フィリピンのミンダナオ島、スルー諸島、ボルネオ島のマレーシア領であるサバ州とサラワク州を歩いている。

今回の旅で行ったコタ・キナバルのあるサバ州が第2次大戦前までイギリスの植民地だったことは知ってたけど、この本を読んで改めて驚いたのは、イギリス国家直轄の植民地ではなく、香港のイギリス商人デント商会(アヘン商売をしていた)が租借し、イギリス政府が「勅許」した、いわば会社領の植民地だったこと。ついでに言うと隣のサラワク州は、ブルックなる植民地のイギリス人流れ者がブルネイ王国から割譲させ、自らラジャになった「白人王国」だった(2代目の息子は母国イギリスの近代化を嫌い、住民の伝統的生活様式を守ったなかなかの「名君」だったらしい)。

こんな怪しげな個人や会社が植民地を所有できたのも、この地域がイギリス、スペイン、オランダ3国による植民地争奪戦の谷間にあったのと、3国から見て、この土地が収奪するに足る魅力ある産品が乏しかったという理由による。

第2次大戦後、イギリス直轄の植民地だったマレー半島とサバ、サラワクが一緒になってマレーシア連邦として独立したけど、植民地の成り立ちの違いから、サバとサラワクは半島から半ば独立した自治領のようになっている。その上、サバ州は列強による植民地分割以前から経済的にも民族的にもフィリピンのスルー諸島と一体だったから、半島のクアラルンプールからは分離的傾向があると見られているらしい(スルー諸島はイスラム反政府ゲリラ、モロ民族解放戦線の根拠地であり、マラッカ海峡に出没する海賊の根拠地でもある)。

そういえば、コタ・キナバル空港からクアラルンプールへ飛ぶとき、国内の移動なのに入管カウンターでパスポートのチェックがあった。僕ら「外国人」だけでなく、マレーシア人もチェックされていたと思う。クアラルンプールからすれば、サバは警戒を要する地域であり、住民たちということなのだろうか。

鶴見良行がサバを歩いたのは1980年代のこと。彼のいつもの流儀で、1人でバスや渡し船を乗り継ぎながら移動している。そのころ、内陸の民は焼き畑農業で、マングローブの沼地に住む海の民は漁業、エビの養殖、そしてどうやら海賊で生計を立てていた。

彼はスルー諸島で漂海民パジャウ族の水上集落を訪れたことを書いているが、僕らがカランブナイ(滞在したホテルがある)近くの川を「マングローブ・クルーズ」していくと、鶴見が描写したのとそっくりなパジャウの水上集落があった。川のなかに杭を打ち、その上にトタン屋根の木造家屋(「先進国」的感覚で言ってしまうとバラック)を建てて暮らしている。漁業と牡蛎の養殖をしているという。家も、小さな漁船(というよりモーターを積んだ小舟)も、鶴見が歩いた頃と変わらない生活様式が残っている。

陸上は空港-コタ・キナバル-カランブナイの幹線を移動しただけなので、焼け畑も普通の畑や水田も見かけなかった。道路沿いには、粗末な木造家屋の集落、高床式の木造家屋、コンクリート造の団地、別荘ふうな高級分譲住宅など、新旧さまざまな家が見える。コンクリート造の団地には月給600リンギット(約2万円)程度の中クラスのサラリーマンが住むというが、畑で野菜をつくるなどせず、すべてをお金で買おうとすると生活は苦しいという。

開発がさかんで、工事中の土地も多い。最近は盛んにリゾートがつくられているから、鶴見が歩いた当時と変わらない生活様式に観光産業が接ぎ木され、それがサバの経済を支えているのかもしれない。観光資源としては、今回は行けなかったけど、東南アジア最高峰のキナバル山や熱帯雨林のオランウータン生息地など、「エコ・ツアー」の宝庫でもある。

短期の観光客としては、マングローブと熱帯雨林のほんの一端に触れただけで、それ以上のものを見ることはできなかった。いつか、鶴見良行がやったように、ひとりで、ゆっくりと、この土地を歩いてみたいものだ。

旅のなかから、「近代国家を形成しなくても、分散・移動しながら人々が平穏に暮らしてゆけるならそれで十分だ」という「マングローブ文化圏の思想」を取り出したこの本の魅力を、改めて確認した。


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June 28, 2005

復刻された『クルドの星』

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四捨五入すれば60になるこの歳になって電車のなかでマンガを読んでいると、ふととがめるような、あきれるような目つきで見られていることがある。無理もない。自分でも他人に対してそうした経験がある。でも、このマンガ、夢中になって途中で止められなかった。

安彦良和『クルドの星(上下)』(チクマ秀版社)が復刻された。

40代以下の世代にとって安彦良和といえば、なんといってもアニメ「機動戦士ガンダム」だろうけど、僕にとってはマンガ『虹色のトロツキー』の作者として鮮烈な印象が残っている。

『虹色のトロツキー』は1990~96年にかけて発表された。大日本帝国がでっちあげた満州国を舞台に、建国大学の学生、日蒙混血のウムボルトを主人公にした叙事マンガ。「五族協和」という偽イデオロギーに殉じようとするウムボルトと、クラブで歌う満州娘(実は共産党系八路軍と通じている)麗花の恋を軸に、満州「建国」、ノモンハン事件から第二次世界大戦へと激動する歴史に翻弄される2人の姿、その夢と挫折が描かれる。

史実が丹念に調べられていて、石原莞爾、辻政信、甘粕正彦ら昭和史の重要な脇役から出口王仁三郎、レオン・トロツキーまでが登場する、色んな意味で「危険な物語」。魅力的な物語がまだまだ続くと思われたのに、安彦はウムボルトに突然の死を与えた。その死は、僕のマンガ体験のなかで大げさにいえば真っ白になった明日のジョーの死以来の衝撃だった。

『クルドの星』(1985~87)は「ガンダム」で圧倒的な人気を誇っていた安彦がマンガを描きはじめての第2作。どちらかといえば神話的物語に題材を取ることが多い安彦が、神話から歴史へと世界を広げることになった最初の作品で、その意味では『虹色のトロツキー』の原型といえる。

『クルドの星』が発表されたのはイラン・イラク戦争が戦われていた最中。今でこそクルドはイラク情勢の鍵をにぎる民族として知られるようになったが、80年代のこの国ではまだほんの一部でしか知られていなかった。僕も、獄中にいたトルコのクルド人監督ユルマズ・ギュネイの映画『路』で、辛うじてクルドの名を知っていた程度。そんな時期に、少年マンガ誌にこの作品を連載した安彦の意気込みがうかがえる。

主人公は『虹色』と同じように、日本人とクルドの混血である少年ジロー。行方の知れない両親を尋ねて、イスタンブールからクルドの地へと足を踏み入れてゆく。その過程でジローはトルコ軍とクルドの反政府ゲリラの戦い、さらにはトルコとソ連の国際政治の裏のドラマに巻き込まれてゆく。更に、クルドやアルメニア人にとっての聖なる山、「ノアの方舟」伝説が残るアララト山と、ネアンデルタール人の絶滅をめぐる古代史の秘密がからむ。もちろん恋もあって、イスタンブールの暴走族の美少女に、母の面影を宿すクルドの娘と、ジローはもてもて。

少年誌に描かれたものだから、からっと明るい冒険マンガ。でも、安彦の大河ロマンをたっぷり楽しめる。政治的な筋もきちっと押さえられていて、いま読んでも(ソ連がなくなっていることを除けば)おかしなところはない。構想があまりに大きすぎて、いろんなことが解決されずに終わってしまうけれど、本業のアニメで死ぬほど忙しいさなかに、これだけの物語を描いた安彦のマンガへの熱い思いが沸々と感じられる。巻末にカラーのイラストレーションがたくさん入っているのも、安彦ファンにはお宝だろう。

このマンガは「レジェンド・アーカイブ」の一冊として刊行された。今後、今は読むことのできない名作を復刻してゆく(とりあえずコミック)という。楽しみだ。水木しげるの貸本版『悪魔くん世紀末大戦』も出ている。

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June 16, 2005

藤原保信の「自由主義の再検討」

刊行が始まった『藤原保信著作集』(新評論)の第9巻「自由主義の再検討」を読んでみる気になった。藤原保信は50代で惜しまれて亡くなった政治思想史の研究者。巻頭に収められた「自由主義の再検討」(1993)は遺作で、岩波新書のために書かれた。

1993年といえば、ソ連が崩壊した直後。社会主義に対する「自由主義の勝利」が声高に叫ばていた時代だ。そんな空気のなかで、序章に「自由主義は勝利したか」と疑問形のタイトルがつけられているところに、著者の立ち位置が暗示されている。といって藤原は研究者らしく、自らの立場を性急に主張することはしない。専門である西欧の政治思想史をさかのぼることによって、自由主義(具体的には私有財産と市場、つまり資本主義)が歴史的にどんなふうに正当化されたのかを政治思想の視角から跡づけている。

僕なりに(いい加減に、ということですが)要約すると、自由主義は次のような前提に立っている。

・自由主義の人間観は、人は生まれながらに自由で平等である、というものだ。言いかえれば、個人は自然な状態のなかではばらばらに切り離されていて、善悪正邪の基準を自分の内部に探さなければならない。それを誰にも邪魔されないのが、人間の自由というものだ。こういう人間観は、それが生まれた当時には支配的だった中世的な身分秩序や世界観に対してラディカルな批判として機能し、近代を切り拓くことになった。

・個人が働いて得たものは、各人が所有してよい。また平等な個人が自分の意思で結んだ契約は、それによってどんな結果がもたらされようと正しい。市場でのそのような自由な交換と自由な交易は社会の富を全体として増大させるし、人々はその恩恵に浴することができる。

・ギリシャ=ローマ時代や中世には、知恵や勇気や節制といった徳で人間の欲望を抑えることが価値ある生とされたが、近代はそのような価値を転倒し、人間の欲求、欲望を解放することが善とされた。快楽を最大にし、苦痛を最小にすることこそが人間の幸福だ。

・民主主義は政治体制として必ずしも高い評価をされていなかった。議会制民主主義は最善の政治形態ではなく、政権交代が可能であることによって最悪の政府の出現を防げることに意味があるとされた。

こんな考え方が17世紀から19世紀のヨーロッパで成立した。むろん歴史は理念どおりに進んだわけではなく、貧富の差が拡大し、持つ者と持たない者の階級対立が激しくなった。それに対して、資本主義を原理的に批判したのがマルクスで、私有財産と市場を前提に富の再分配を考えたのがケインズだったのはよく知られている。でも今、「マルクス主義」を看板にしたソ連圏は崩壊し、ケインズ的「大きな政府」論は社会の活力を奪うとされて元気がない。

藤原保信は自由主義に懐疑的だけど、それを批判する立場はマルクスでもケインズでもなく、人間の基本的価値としての「善」に拠って立つ。その姿勢はプラトン、アリストテレス以来の系譜を引いた理想主義というか、見方によってはひどく時代錯誤的な印象も受ける。

藤原自身、「死語になったとすら思われる」と言いながら「徳ないし有徳」「善悪、正邪についての判断基準を提供しうるものとしての道徳的空間」の回復を説いている。藤原の主張の背後には、政治思想の世界で、ポスト・モダニズムがからんだ「価値」をめぐる論争があるらしいのだけど、僕にはよく分からない。

ただ藤原に「徳」の回復という、やや唐突(という感じ方こそが、僕らがいかに欲望に支配されているかの証拠かもしれない)な言葉を持ち出させた動機が、同時代に生きる者としての世界と人間への危機感だったのは、その文章から感受できる。

藤原が亡くなって10年たつけれど、彼が感じた危機はいっそう深まっている。今、世界で進行している「グローバル化」と、それを支える「新自由主義」というやつが、世界市場での19世紀的な「むきだしの資本主義」への回帰と、国内的な階級対立から国際的な南北対立へと姿を変えた貧富の格差拡大をもたらしつつあること、19世紀にはなかった新しい問題として地球規模の環境破壊が進行していることは、誰の目にもはっきりしている(と思う)。

それに対して、どう歯止めをかけるか。自分の生活という日常レベルで何ができるか。僕は研究者ではないから、藤原保信が書いていることをそういうレベルに置き直して考えてしまうけれど、そうなると、うーん、うーんと立ち止まってしまう自分がいる。


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May 15, 2005

『失敗の本質』と日本軍のDNA

前から読みたいと思っていた戸部良一他『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(ダイヤモンド社、1984年)をネット古書店で手に入れた。

防衛大学校のスタッフ(当時)が中心になった集団研究なのだが、保守イデオロギーにもとづいた本でもノスタルジックな軍国日本の賛美でもなく、第二次大戦(本書では「大東亜戦争」)の節目になった6つの作戦を取り上げ、日本軍がなぜ負けたのかを「組織論」の立場から追及し、さらに日本の組織全体がかかえる問題として一般化しようとしたもの。

バブル時代前半に刊行された本だが、背後には高度成長期には日本的経営の成功と持ち上げられ、バブル崩壊後は日本的特殊性として否定された、この国独特の株式会社や組織のあり方への問いを含んでいる。刊行から20年以上たっているから問題意識や方法論に時代的制約(当時流行した経営論の変種ということね)が目につくにしても、その姿勢に情緒的なところはなく、きわめて冷静な日本軍の研究・分析として今でも読みごたえがある。

取り上げられている6つの作戦と、それに付されたタイトルは、「ノモンハン事件─失敗の序曲」「ミッドウェー作戦─海戦のターニング・ポイント」「ガダルカナル作戦─陸戦のターニング・ポイント」「インパール作戦─賭の失敗」「レイテ海戦─自己認識の失敗」「沖縄戦─終局段階での失敗」。

6つの作戦で何度か共通して出てくる記述がある。例えば「作戦目的が明確ではない」。言いかえれば、優先順位がはっきりしていないということ。例えば「レイテ海戦」では、連合艦隊はレイテ湾内に突入して上陸した米軍や輸送船団を「撃滅」するとともに、米軍の主力部隊に「乾坤一擲の決戦」を挑むことが決められた。これは海軍が輸送船攻撃より「主力艦隊決戦」にこだわったからだが、結局、本来の目的であるレイテの米軍を目前にしながら幻の米主力艦隊を求めて反転するという失敗を生んだ。

あるいは「沖縄戦」では、当初、大本営は米軍の沖縄上陸をとらえて航空部隊で最後の決戦を挑むという作戦を立てていた。これには沖縄本島中部の嘉手納飛行場が確保されていることが前提となる。ところが現地軍は、日本の航空戦力にそれだけの力量はないと考え(それは確かだが)、嘉手納飛行場を放棄して南部に立て籠もり、「長期持久戦」を挑む態勢をとった(玉砕覚悟の作戦で、これが住民の大きな犠牲を生む)。

日本軍には終始こうした優先順位のあいまいさがつきまとった。それには中央指導部と現地軍の意志疎通のなさや、よく言われる陸軍と海軍の対立、あるいは命令があいまいだったり両論併記だったりして明快でなかったこと、ラインではなくスタッフである作戦参謀が過激な言動で主導権を握って独走することが多かった、などなどの要素が絡んでいる。

もうひとつ共通して出てくる言葉がある。「奇襲」「夜襲」「鵯越(ひよどりごえ)」。奇襲による先制攻撃(それも夜間)で一気に勝敗を決しようという、ノモンハンでもガダルカナルでもインパールでも、またレイテの海戦でも繰り返された、日本軍の「得意」とする戦法だ。

ガダルカナルでは、ジャングルを迂回しての「夜間奇襲攻撃」が失敗した後、まったく同じ攻撃を繰り返して、全滅に近い惨憺たる結果を招いた。インパールでは、ジャングルの山脈を越えての奇襲という、内部でも疑問視された無謀な計画を実行して、大きな犠牲(戦闘による死者以上に病気・飢えによる死者が多かった)を出した。

これは日本軍が歩兵による一斉突撃に最大の価値を認めていたからだが、結果として火力(銃砲、戦車)の軽視や、防御力の無視(裸同然の戦車や戦闘機)、補給の無視(食糧は敵から奪う)といった非合理を生んだし、また銃剣のみの一斉突撃作戦しか取れないのは、こうしたことを軽視した結果でもあった。

これら6つの作戦を分析して、著者たちは日本軍の「戦略原型」が「白兵銃剣主義」(陸軍)と「艦隊決戦主義」(海軍)にあると言う。それは日露戦争の203高地と日本海海戦で勝利したときの戦略であり、その成功体験が神格化されて、環境の変化(第一次大戦で登場した近代戦)に応じて組織が自己革新する契機を失ってしまった。

例えば米軍は、真珠湾で日本の機動部隊によって大損害を受けた失敗から学んで空母中心の部隊をつくり、空母を他の艦船が囲むという「輪型陣」をつくりあげたが、戦艦中心主義の日本は空母の防御に力を注がず(「大和」や「武蔵」に空母の護衛などさせられない)、空母が単独で攻撃にさらされる結果になって大きな損害を出した。

また米軍のガダルカナル上陸は、陸海空の戦力を統合して運用するためにつくられた海兵隊の初めての実戦だったが、日本はこの米軍の新しい試みを分析できず、最後まで陸軍は陸軍、海軍は海軍として戦い、統合した作戦計画が立てられることはなかった。

結論として日本軍は「失敗の蓄積・伝播を組織的に行うリーダーシップもシステムも欠如していた」し、「成功の蓄積も不徹底だった」。「母艦航空部隊中心戦法など日本海軍が成功させておきながら、その後の一貫した集中的運用が不徹底であった」。「最後まで、日本軍は自らの行動の結果得た知識を組織的に蓄積しない組織であった」。

「日本軍の失敗を現代に生かす」というこの本の狙いを刊行から20年後に敷衍するなら、「第2の敗戦」といわれたバブル崩壊は、高度成長期の成功体験を神格化したために生じた日本的組織の硬直がもたらしたものであり、日本軍のDNAは今も生きている、と言えるかもしれない。僕も組織に属する一員として、こういうこと、今でもよくあるよな、と頷くことが多かった。

もうひとつ。ここでの分析は良くも悪くも「組織論」「経営論」の立場から書かれており、兵士ひとりひとりへの視線はない。それはまた別の課題というべきだろう。

この本は一時、中公文庫に入っていたが、今は品切れ(という名の絶版)で入手できないようだ。古書店でしか手に入らないのは惜しい。

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May 07, 2005

『きもの草子』の楽しみ方

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田中優子『きもの草子』(淡交社)は、いろいろな楽しみ方のできる本だ。

この本は、江戸・アジア学の研究者である田中優子が、自らの「着物生活」について、季節感を織り込みながら12カ月にわたって雑誌連載したもの。まず何よりも、複雑な隠し味の利いた着物エッセイとして面白く、美しい。

例えば1月は、父親の形見である仙台平(せんだいひら)の袴を仕立て直した帯から語りはじめ、「着物……とは単なる『もの』ではない。それを身にまとった人の魂(言葉を変えれば共有した時間、想い、記憶)がそこには移り住んでいる」ことを記す。

あるいは10月。20代で着ていた艶やかな山吹色の色無地の着物が30代で着られなくなり、焦げ茶色の蝶を全体に染めぬいた(表紙)。が、50代になってこれも着られなくなり、次には山吹色の地色を海老茶色に染め、「濃茶色の蝶が闇を舞うようにすることだろう」。「その次には、全体をこの蝶と同じ色に染め上げ」「蝶は闇の中に融けて消えゆく」ことになるだろうと、着物の「生まれ変わり」と老いについて語っている。

あるいは11月。カンボジアとインドネシアの絹布で仕立てた羽織の縞(しま)柄が江戸時代の縞と共通であるところから、「私たちが現在、タイ、ミャンマー、カンボジア、ラオス、ブータン、インドネシアなどで江戸時代と同じ縞物に出会うのは、かつて日本も東南アジアと縞を共有していたからである」と、江戸の布と文様が東南アジアやインド、更にはヨーロッパと交流していたことを指摘する。

毎月、主題となる着物がカラーで紹介されている(撮影=小林庸浩)。「ビジネス・スーツのような」江戸小紋や、逆光に透ける鼠色の縮(ちぢみ)、「琉球の風のにおいがする」苧麻(ちょま)と木綿の縞などが、さっぱりと渋い江戸の「粋」を好む著者の、豪華絢爛とは別の着物の美しさを伝えてくれる。造本(菊地信義)もいい。

さらにまた、「私の着物術」という12本のコラムは、着物とつきあうハウツー本としても役に立つ。「私は楽にゆったりと着ることを目標としているが、それはともすると『だらしなさ』と紙一重になる。そこで……」と言った具合に、田中優子流着物術のノウハウが伝授される。着物を着る習慣のない僕はこれもエッセイとして楽しむしかないけれど、着物ビギナーの女性には参考になるにちがいない。

この本は、一方では横浜で茶屋のおかみをしていたという祖母や、父親の形見、母親から譲り受けたものなど、田中優子の個人史にかかわる着物が取り上げられている。また、彼女がアジア各地を歩いて手に入れた布で仕立てられた着物も取り上げられている。

他方では、江戸時代から今日にいたるまで、着物がどんなふうにアジアの経済と文化の交易・流行のなかに位置するか、江戸文学と近世アジア比較文化の研究者としての知見が、さりげなく散りばめられてもいる。

だからこのエッセイ集では、著者が家族から伝えられ身にまとった着物=魂を素材にするという身体性と、江戸・琉球・アジア・ヨーロッパを貫通する広い視野をもった学問の方法とが綯いまぜになり、鮮やかな花を咲かせている。こういう言い方が適当かどうか分からないが、爽やかなエロティシズムすら感じさせる。

読んで面白く、見て美しく、役に立ち、同時に知的興奮も味わわせてくれた本だった。

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April 09, 2005

『ユリイカ』の「ブログ作法」

雑誌『ユリイカ』(4月号)が「ブログ作法」という特集を組んでいる。「激突! はてな頂上作戦」とタイトルされた座談会を中心に、内田樹、上野俊哉、北田暁大ら10人のエッセー、それに「ブログ・ガイド100@2005」という構成。

大学教師の立場を生かして学生に運営を任せ、ひたすらテキストを書きつづける「日本最弱のブロガー」内田樹(でもそこから本が生まれた)。4年半にわたってウェブページとブログをやって300万ヒットを記録し、「ひたすらウケるネタを考え、生活を犠牲にしてページの更新を繰り返した。一日休めば客が半分に減ってしまうのではないかと怯える芸人のようだった。……やがて力尽きた」というスズキトモユ。これらは体験系エッセー。

ネット空間に行きかう「わたし」の意味を、主体と環境の双方向からスケッチしてみせる上野俊哉+泉政文。2ちゃんねるや「炎上」から「ブログ作法」について論ずる北田暁大。こちらは論考系エッセー。

ブログをいろんな角度から考えていて、それぞれに面白い。でも、いちばん楽しめ、同時にヒントをもらえたのは、仲俣暁生、鈴木謙介、吉田アミ、栗原裕一郎による座談会だった。

「はてな頂上作戦」という題からもわかるように、4人とも「はてなダイアリー」でブログを運営しているから、話題は自然に「はてな」内部のものが多くなる(この特集全体が「はてな」に寄っている)。「はてなアンテナ」を使ってはいるが、ブログ自体は「ココログ」にいる僕には、よくわからない話題もある。4人のなかでは、仲俣暁生のブログは頻繁に訪問する。文学系の話題が豊富だし、「I LOVE TOKYO」キャンペーンのいかがわしさについてのエントリーなど、刺激的で読ませるテーマが多い。鈴木謙介のブログを覗いたことはないが、東浩紀のメルマガ座談会での発言は読んでいる。

そんな4人のディープなブロガーの話をエンタテインメントとして楽しんだけど、初心者オヤジ・ブロガーである僕には、文章作法についての部分が参考になった。というのは、ブログを始めて9カ月、書けば書くほど自分の文章がどうしようもなく活字文化のなかにあって、ネット空間になじまないと感じているからだ。

文章をどう入力するかという話で、4人のうち3人は下書きなしで「はてな」の入力フォームに直接書いている。

吉田 そのまま書くと消えちゃったりするじゃないですか。
鈴木 間違えてバックスペースとか押しちゃって、慌てて戻すんだけど「ああ! 中身ねえ!」って(笑)

そうなのだ! 僕もかなり長い文章を書いて、さあアップしようというところで操作を間違えて消してしまったことが2度あり、それからは短い文章以外はワープロで下書きするようになった。でも3人は同じような体験をしながら、下書きなしで書いている。

栗原 エディタで書けばいいじゃないですか(笑)
仲俣 ……エディダで書くと、なんだか仕事用の原稿を書くのと同じ姿勢になっちゃって、丁寧に推敲しはじめたりしちゃうでしょ。……むしろ、しゃべってるのに近いかもしれないね。
吉田 ……まあ、そこがオモシロイところでもあるし、危険なところでもありますが。私はその迂闊さがセクシーだと思っているのでバカを晒すためにもバンバン書いて、書くハードルを低く見積もっていく傾向にあります。
鈴木 ……入力フォームに思考する順番のままに書いていく、という感覚が重要なんじゃないかと。

なるほどね。それが彼らの文章や、これがブログの文体なんだなと感ずるいくつかのサイトの、なんというかライブ感を生んでいるのだと思う。

まあ、30年以上も雑誌や単行本にかかわってきたから、自分の書く文章が活字世界に属しているのは当然といえば当然の話。でも、自分の書く文章の匂いにはいいかげん嫌気がさしていたし、飽きもきていた。どうせブログをやるなら、自分のスタイル(そんなものがあるとして)を変えてみたいという密かな望みはあった。でも、書けば書くほど、それは無理なことだと認識せざるをえない今日このごろ。

吉田 だいたいみんな最初、自意識過剰になるんだけど、紆余曲折あって最終的に、自分の好きなようにやればいいじゃないか、というところに落ち着いて、そして更新は続く、という(笑)。

「好きなようにやればいいじゃないか」という場所に行きつくまで、もう少しじたばたしてみよう。


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April 03, 2005

堀江敏幸の河岸

このところ堀江敏幸の小説は日本を舞台にしたものが多かったけれど、長編『河岸忘日抄』(新潮社)は久しぶりにフランスの風景のなかで物語(ともいえない物語)が展開される。作品の評価などというレベルでなく、きわめて個人的な興味として、主人公の設定がわが身と引きくらべて応えるものがあった。

主人公は、かつてパリ市内と思しい公園で倒れているところを助けて知り合った老人に向かって言う。「少し働きすぎた、ような気がするので、しばらく、ぼんやり、するために、時間をつくって、また、やってきたんです」。

同じことが、後に地の文ではこう述べられている。「高等遊民なんてもう死語だけれど、下等ではあれ遊民の権利を得るために、彼はこの何年か人並み以上に根をつめて働いてきた。いや、そうではない。『少し』根をつめすぎたがゆえに、遊民の身分にみずからを擬して不要物を洗い流そうと思いはじめたのだ」。

主人公の職業は明らかにされていない。でも、主人公を作者の分身と考えると(こういう短絡的な読みは、より客観的・公共的な場では許されないけど、ブログでならまあいいだろう)、芥川賞はじめ文学賞を立てつづけに取った作者が殺到する原稿依頼に応えた結果として疲れはて、フランスでしばしの「休養」を企てたという事実をなにがしか反映しているように思えてしまう。

その心持ちは、才能の問題を別にすれば自分にも重なる部分がある。なにせこちらも、30年以上にわたって、それなりに「根をつめて」働いてきたような気がするからだ。「しばらく、ぼんやり」したい、「遊民の身分にみずからを擬して不要物を洗い流」したいと思う主人公の気持ちは、自分にとっても切実なものがある。

主人公が老人にそんなことを述べると、ワイン樽の運搬で財をなした老人は、彼が所有し、セーヌらしき河岸に係留してある船を住居として主人公に提供しようと申し出る。「二、三人ならじゅうぶん快適に暮らせる設備の整った」船での主人公の日々がはじまる。その日常のうつろいが、この小説のすべてと言ってもいい。

河岸に係留されている動かない船、という設定が絶妙な舞台を提供している。川はひとときも留まることなく上流から下流へと流れている。船はその川に浮かびながら、流れに乗って、あるいは流れに抗して動くようにつくられた本来の目的からはずれ、エンジンをかけられることなく岸に固定されている。それは主人公が立っている場所とほとんど相似形をなしている。

「動かないこと、とどまること、そして、待つこと。五分より十分、三十分より一時間、半日より一日という時間の長短が問題なのではない。むしろ心の状態、精神のありかたをこの猫(注・ある小説に登場する黄色い猫)は伝えているのだ、目のまえに生起している事象をいかに立ち止まって味わいうるか、その強さを言っているのだ、と彼は愚考する。行く川の流れは絶えずして、なにもかも運ばれていく。時間も、人間も、そこではあまりにはかない。けれどもその流れのさなかで足を止め、とどまるものを摘出しようとする試みは、まぎれもなくいまを生きる者だけの特権ではないか」

主人公の船での生活がはじまる。毎朝、対岸でアフリカ系の男がたたく太鼓の音に耳をすます。近くのマーケットで買ってきた豆を挽いて珈琲を入れ、郵便を配達にきた男にふるまって、彼と知り合いになる。やはり船上に暮らしている、ロマ族らしき女の子が船を訪れる。病身である船主の老人や、ファクスでつながった日本の友人と、ぽつりぽつりと対話が試みられる。

係留された船には主人公以前にも女性が暮らしていたらしいこと、老人の係累らしき少女の姿が見え隠れすることといった、かすかな謎がある。でもそうした謎が物語を引っ張ってゆくことはなく、やがてさりげなく訳が明かされてしまう。この作者にはめずらしく、アメリカがイラクにしかけた戦争のことも間接的に触れられるけれど、それも遠雷のように響いてくるにすぎない。水の上の物語にふさわしく一夜の暴風雨がクライマックスらしくないクライマックスをつくるが、それもすぐに普段と変わりない日常に回収されてしまう。

とどまる、立ち止まる、ためらう、という行為の意味が探られる。それらは、ある目的地へ着くための途中経過や無駄な時間ではなく、それ自体が「命の芯」をなしているのだという認識。すると、文中に繰り返し記述されるその日の天候が、自然現象の記録であるとともに精神の「彼の天気図」でもあることが自然に納得されてくる。

「気温九度、湿度四〇パーセント、気圧一〇一八ミリバール。西よりの微風が吹いている。木々にほとんど揺れはなく、水面は穏やかだ。風力一、と彼は判定する。下流に船の気配がある。船影でも発動機の音でもなく、見えない下流から伝わってくる船の気配が」

いつもながら読み終えるのが惜しい、なんとも贅沢な読書の時間。

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March 18, 2005

リスボン 白い街

いままで訪れたことのある外国の都市で、しばらく住んでみたいところはどこかと聞かれたら、ためらいなくリスボンと答える。

旅行者として、リスボンには3度、行ったことがある。3度とも街から受けた印象は変わらない。住んでみたいと思わせる親近感を感じさせる街、といったらいいか。

ヨーロッパの都市に身をおくと、アジアの片隅に暮らす民としては街全体から拒否されているように感じることがある(それは都市の問題というよりこちらの心の問題だし、だからこそ刺激が大きいのだが)。でもリスボンは初めて訪れたときからこの身を柔らかな空気でふわりと包み込んでくれるような気がして、街全体から刺すような気配を感ずることがなかった。

それは、繁栄から取り残されたかつての世界帝国の落魄とか、数世紀にわたってイスラムに支配され、街にどことなくアジアの空気が漂っていることとも関係しているかもしれない。

最後にリスボンに行ったのは1998年。それ以前に行った年から数えて十数年ぶりで、その間にポルトガルはECに加盟していた。街には流行の尖端をゆくショップも増えていたけれど、灰色の建物と鮭色の屋根、くすんだ石畳という街の基本をなす色彩と、その優しい表情は変わっていなかった。

杉田敦『白い街へ――リスボン、路の果てるところ』(彩流社)を読んで、ここに僕などよりはるかに深くリスボンの魅力にとらわれた人間がいると思った。それだけでなくヨーロッパや南米の人間のなかにも、リスボンに否応なく引き寄せられた何人もの作家や音楽家や映画監督がいることを知った。

杉田は毎年リスボンを訪れ、ひと月ほど、中心街を見下ろすなじみのペンサオンに滞在するらしい。そこから出かけるリスボンの街の印象、名所旧跡ではなく、いかにもこの著者らしくテージョ河の対岸からリスボンを遠望するレストランといった無名の場所の印象や、カフェで出会った人たちとの会話を一方の軸に、リスボンに魅せられた作家やアーティストをめぐるテーマ群をもう一方の軸にした思索的紀行、あるいは紀行的思索といった趣をこの本はもっている。

そこに登場するのは、ポルトガル人では国民詩人のフェルナンド・ペソア、室内楽にファドをのせたマドレデウス、建築家のアルヴァロ・シザら。外国人では映画監督のヴィム・ベンダース、アラン・タネール、イタリアの作家アントニオ・タブッキ、ブラジルの歌手カエターノ・ヴェローゾ、デヴィッド・バーン、そしてナチスから逃れてリスボンを目指す途中、ピレネー山中で自死したヴァルター・ベンヤミンといった人々。

杉田がリスボンに惹きつけられるきっかけになったというアラン・タネールの『白い町で』(本のタイトルもここから)は、僕にとっても記憶に残る映画だった。リスボンに上陸した船員が、アジアやアフリカの匂いのする旧市街アルファマをさ迷い歩き、家々の壁すれすれにすり抜けていく路面電車に乗り、酒場で女と知り合い、次第に街の魔力にとらわれてゆく。

『白い町で』という題名は、この町で主人公が過去を捨てて「真っ白な状態」になることと、リスボンの街の白さとを重ね合わせているのだが、杉田はここからさらに、ポルトガルやリスボンがヨーロッパ人にとって「現代社会の逃走地」といった性格をもっていることを指摘してゆく。

たとえばリスボンを舞台にしたタブッキの小説『レクイエム』を取り上げて、タブッキの小説は「自分自身を真っ白な状態にリセットしようと」していると記す。またヴェンダースの映画『リスボン物語』に触れて、「西欧近代外部としてのポルトガル」という言い方がされたり、「ポルトガルという国が、人間主義を掲げながらもその内部を空洞化してきた先進諸国からある種の希望と映る」とも書かれている。

人間くさいと言ってしまってはあまりに陳腐だけれど、パリからリスボンへ入っても、マドリッドからリスボンへ入っても、街へ足を踏み入れた瞬間に、冷たい合理や鎧に身を固めた孤立から解き放たれたような安心感を感ずる。ヨーロッパでありながらヨーロッパでないというそのポジションが、この時代、ヨーロッパ的な価値をゆさぶり、新らしいものを生みだす可能性を秘めているのかもしれない。

「逃走地」とか「外部」といった言葉遣いからはいかにも観念的な本のようだけれど、そんなことはない。杉田の紀行的な文章には醒めた抒情といった雰囲気がある。たとえばこんな描写。

「眼の前をエレクトリコ(注・路面電車)がすり抜けていく。振り返ると、降車扉の近くに、帽子を被ったペソアの後姿のようなシルエットが浮かんでいた。振り払うように横道に入る。大きくなりながら遠ざかる人影が路地の壁に浮かび上がる。いつのまにか空は紺色に変わり、ナトリウムランプも灯りはじめている」

まるで映画の1シーン。この本全体に、定住者になりえない旅人の寄る辺なさや不安と、そんな根無しゆえの快感とがちりばめられている。著者が撮った写真も挿入されているが、これがまたクールな文章にぴったりと寄り添っている。読みおえたら、このところCDラックに収まったままになっていたマドレデウスを聴きたくなった。


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February 25, 2005

江藤淳の予見

江藤淳の『成熟と喪失――"母"の崩壊』(講談社文芸文庫)が刊行されたのは1967年。「右」と「左」のイデオロギー対立が激しい時代だった。江藤は保守派の文芸評論家と言われたけれども、この本は、そんなイデオロギー対立の時代を超えて21世紀までも生き残ることになった。しかも、「父」たりえない戦後の男たちへの批判から明治的な「父」=国家の再興を志したらしい江藤の意図とは逆に、上野千鶴子-大塚英志といったフェミニズムや「女子供」をフィールドとする側からの読みによって。

上野は、この本をこう評している。「江藤は、七〇年代以降あらわになった日本の女の変貌とフェミニズムの存在理由を、その芽のうちから的確に読み取っていた」。

そこに関係しそうな部分をメモしておく。

「『海辺の光景』の母親のうたう歌にこめられているのは、成長して自分を離れて行く息子に対する恨み--あるいは『成熟』そのものに対する呪詛である。母親は息子が自分とはちがった存在になって行くことに耐えられず、彼が……母親の延長にすぎなかった頃の幸福をなつかしむ。この息子が『他人』になることに脅える感情は、あるいは母と子のあいだを超えて、一般にわれわれの現実認識の型を支配しているかも知れない」

「学校教育を受けて近代社会の『フロンティア』に『出発』させられたのちでも、彼の意識の奥底に潜むoutcastの不安や『他人』に対する恐怖が深ければ深いほど、彼は『母』に密着していることができた幼児期を『楽園』と想い描くようになり、この『楽園』を回復しようとする願望を結婚に託して、……妻を『母』と同じかたちに切りとろうとする。彼に崩壊して行く農耕社会で過された幼児期の安息をとり戻そうとする願望があるかぎり、彼は決して『家』から、つまり『母』の影である妻のいる場所から、『出発しよう』とはしない」

「この二つの世代の女性(注・『海辺の光景』の明治生まれらしい母親と、『抱擁家族』の昭和世代らしい妻)のあいだに、ある本質的な価値転換が行われていることは疑う余地がない。つまりここでは女が発狂するための条件が逆転している。それはとりもなおさず、女が『幸福』と考えるもののイメイジが決定的に逆転したからである」

「もし女であり、『母』であるが故に『置き去りにされる』なら、自己のなかの『自然』=『母』は自らの手で破壊されなければならない。しかも産業化の速度がはやければはやいほど、この女性の自己破壊は徹底的なものでなければならない」

「成人男性」をモデルとする近代の産業社会のなかで、従来、女性は「家」のなかで産業戦士を産み、育て、夫を支える補助的な座しか与えられてこなかった。しかし産業化の進展とともに女性も「成人男性」と同じ役割を期待されるようになり、その社会に適応しようとする女性たちは、適応のじゃまになる自らの内なる自然=「母」を嫌悪し、破壊しようとする。

それは社会現象としては、女性の社会進出とか非婚・晩婚、離婚の増大、少子化といった事態として現れてくるだろう。男女関係に言い換えれば、恋愛はいくらでもオッケーだけど制度的な妻=「母」になるのはごめん、ということになるだろうか。あるいは、制度的な妻という保障はほしいけど恋愛の自由は別の場所に確保しておきたい、ということか。

江藤の指摘が正しいとすると、「母の崩壊」は、産業社会から高度情報化社会へとさらに成熟をつづける世界のなかで、今もなお進行中ということになる。

去年話題になった「負け犬」論争も、酒井順子の巧妙なネーミングに惑わされたメディアも多いけれど、制度的な結婚に魅力を感じないまま自分の欲望に忠実に生きている女性たちが「自分は楽しいんだから、ほっといてよ。負け犬って呼んでもいいからさ」という、勝ち犬=制度的な妻=「母」になりたくないシングルのしたたかな戦略だったことは、あの本を読めばはっきりしている。

1960年代、小説のなかにまず先鋭的に現れた「母の崩壊」は、今では非婚・少子化というかたちで、国の未来を脅かす危機(日本国の女性が子を産みたくないなら、移民を積極的に受け入れればいいと僕は思うけど、保守政治家はそうは思わないらしい)といわれるまでの広がりを見せている。

話は変わって、最近、広場や電車のなかでカップルを見かけると、男のほうが女の肩にもたれかかったり、女の胸に顔をうずめているケースが圧倒的に多い。それを見るたびに、ああ、ここでも江藤淳の予見は正確だったと思ってしまう。以前なら「男らしさ」の規範にじゃまされてできなかった愛情表現を、今では誰はばかることなくその本音をあらわにすることができる。この国では、「母」との楽園を求める男の幼児的な夢は永劫につづくのかもしれない。


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February 05, 2005

『シンセミア』は未完のクロニクル

何年か前に阿部和重の『インディヴィジュアル・プロジェクション』(新潮社)を読んだことがあって、当時、J-POPにあやかってネーミングされたJ文学なるものの一種だと思っていた。でも、しばらく読んでいなかった間に、蛹が妖しくも美しい蛾に変態するように、阿部和重は見事に変貌していた。『シンセミア』(上・下巻、朝日新聞社、各1700円+税)はぞくぞくするような傑作だった。

上下巻で800ページに及ぶこの大長編を読みながら連想した何本かの小説や映画がある。最初に思い浮かんだのは北杜夫の『楡家の人びと』。しばらく読み進んでから浮かんだのが中上健次『千年の愉楽』。最後に思い浮かべたのは深作欣二の『仁義なき戦い』だった。

最初の『楡家の人びと』が、他人に納得してもらえる連想でないのは自分でも分かる。なにしろ、一方は東京の山の手を舞台に静謐な空気が全編をおおう端正な小説だし、他方は、出てくる話といえば暴力や盗撮にSMまがい、恐喝にロリコンに不倫なんかで、語り口もメール文体が入ってきたり、「阿部和重」なる小説家が登場したり、今ふうな趣向がこらされている。でも、小説の骨組みのところで両者は共通している。一言でいえば「クロニクル=年代記」ということ。

『楡家の人びと』が北杜夫自身の家をモデルに、3代にわたる家族が生きてゆく様とその没落をまるごと掬いとろうとしたように、『シンセミア』も山形県東根市神町(じんまち)という実在の町をモデルに、その歴史をいくつもの光源を用いて多面的に浮かび上がらせようとしている。

戦後、米軍が進駐して「パンパン町」と蔑まれた町で、闇の力も利用して町を支配した2家族の3代にわたる物語。「神町クロニクル」とでも名づけたらいいだろうか。歴史とまともに向きあおうとするその姿勢は、J文学がいつでも「永遠の現在」を扱っているように見えるのと鋭い対照をなしている。

中上健次の『千年の愉楽』を思い浮かべたのには2つの理由がある。ひとつは、土地。中上健次が紀州という地域性と、その路地に一貫してこだわったように、『シンセミア』も阿部和重の生まれ在所である東根市神町と、その土地の方言に徹底してこだわっている。

実際、50ページほど読みすすんだところで、いきなりこの地方の方言が洪水のようにあふれ出てきたのに圧倒された。「おら家(え)の爺さん、急に居ねぐなって、どこさ行ったが判らなぐなったんだ!」といったしゃべり言葉が採用されなければ、この小説の世界は成り立たなかったろう。

ふたつ目は、『千年の愉楽』と同様に、これが(中上の用語を使えば)若衆の物語であること。小さな町に閉じこめられ、それ故に過剰なエネルギーをすべて内に向かって爆発させ傷つけあうしかない若衆の血のたぎりが、この小説を前へ前へと進める原動力となっている。

『仁義なき戦い』を連想したのは、破滅へ向けて突っ走る速度に深作欣二の映画と同質のものを感じたから。ラストへ向けて激しく加速する疾走感は、読んでいて、なぜか小説というより映画のものという気がした。阿部和重は映画についての著書もあるほどの映画好きだから、その意味で不思議はない。

小説のなかの「現在」は20世紀終わり近い年の7月と8月。真夏の強烈な光のなかで、1つの殺人と1つの事故と1つの行方不明を発端に物語は進行する。小説の半ばをすぎて、主人公の1人である男とその妻が渋谷へ出てきて、偶然にダンプカーの暴走事故に遭遇する。その夏、神町は台風に襲われ、竜巻が吹き荒れ、洪水が起こる。

そこに原因と結果といった近代小説の因果関係はない。でもそんな偶然や自然の猛威に触発されるかのようにして、若衆たちは破滅への道行きを加速させてゆく。神がかりの男女が巨大な赤瑪瑙の岩を発見して、神体として掘り出そうとする。小説が一気に不穏な空気に包まれる。

『千年の愉楽』ではオリュウノオバという不死の生命をもった産婆の目を通すことによって若衆たちが神話的存在となったように、『シンセミア』でも登場人物たちが荒れ狂う自然に抱かれ、巨大な赤瑪瑙の光に照らされることによって、ひとりひとりが「近代的」な意志や精神をもった存在ではなく、古代の叙事詩のなかの荒ぶる登場人物のようにも感じられてくる。

物語の最後では、『シンセミア(高純度のマリファナ)』が「神町クロニクル」のなかのほんの一部にすぎないことが暗示される。今回の芥川賞を取った『グランド・フィナーレ』は「神町クロニクル外伝」とでもいうべきもの(これについては近々、book naviで取り上げる予定。LINKS参照)。全体像が見えるのは、さらに先になりそうだ。楽しみが増えた。

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January 26, 2005

スーザン・ソンタグの2冊

去年の暮れにスーザン・ソンタグが亡くなったとき、友人のブログ「Radical Imagination」(04年12月29日)が、彼女の素晴らしい言葉を紹介していた。

その「若い読者へのアドバイス…」が入った『良心の領界』(NTT出版、2200円+税)と、それと対をなす『この時代に想う テロへの眼差し』(同、1900円+税)の2冊はアメリカで出た本の翻訳ではなく、日本で独自編集されている。

『この時代に想う』には9.11直後に書かれた3本のエッセーや、内戦下のサラエヴォで芝居を上演した体験、そして大江健三郎との往復書簡などが、『良心の領界』には浅田彰、磯崎新らとのシンポジウムや『シュピーゲル』によるインタビュー、講演などが収録されている。

9.11以後のアメリカを「手に手をとって、全員一緒に愚者になることはない」と痛烈に批判し、そのために大きなバッシングも受けた彼女のエッセイが本国では出版されなかったところに、アメリカの出版界の置かれた状況と、それを取りまく社会の空気を感じることができる。

ソンタグはこれらのエッセーをアメリカで出版することは不可能だった。その一方でソンタグは、「公の事態」に対する「良心の表現」であり「道義的な範疇」に属するこれらのエッセーを本にすることに対して「居心地の悪さ」をも表明している。「これらの私自身が書いたものの言わんとするところに立脚しながらも、モラリストになることに内在する(作家にとっての)堕落の問題が気にかかる」と。

そうした二面性、多義性がソンタグの書くものを分かりにくくし、同時に陰影濃くもしているのだろう。時事的な短文やインタビュー、シンポジウム、講演、公開書簡を中心に構成されたこの2冊は、いわば「軽い本」(と彼女は言っていないが)だからこそ、逆に彼女の生な思考の経路や、その発想の根を知ることができる。

『この時代』でいちばん興味深いのは、ソンタグが旧ユーゴスラビア内戦の際にNATOによるセルビア爆撃を支持し、大江健三郎がそれにいぶかしげな反応をしているところだろう。あのときは僕も、へえー、ソンタグは爆撃を支持しているのかと思った記憶がある。

興味深いのは、ソンタグが爆撃を支持したことではなく(それが「正しかった」のか「間違っていた」のか、僕には判断できない)、彼女がそうした決断をするに至ったその発想の根っこ。そこにかかわりそうな記述を抜いてみる。

「私がすいぶん前に自分に課したことがあります。自分がそれまで知らなかったり、この目で見たことがなかったりする事柄については、決してどんな立場もとってはならないと。ヴェトナムでの戦争については六七年と七三年にそこへ行っているので語ることができます。サラエヴォでもほぼ三年にわたり相当の時間を過ごしました」(『この時代』)

「苦悩と多くの疑いを抱きながら、たしかに私は北大西洋条約機構(NATO)によるセルビア爆撃を支持しました。かつてユーゴスラヴィアだった地を、スロボダン・ミロシェヴィッチが破壊し続けるのをくい止めるには、軍事介入しかないと考えたからです。ミロシェヴィッチが一九九一年に戦争を始めたそのとき、もし軍事介入が行われていたら、多くの、じつに数多くの生命が失われずにすんだことでしょう」(『この時代』)

「何らかの原則にのっとって考え、何が可能かを問い続けなければならないのだと思います。戦争をめぐって私が困惑することを申し上げますと、まず、私は平和主義者ではありません。……状況を解決する試みとしてほかにいかなる可能な方法もないという、もっとも極端な場合にかぎって、戦争に訴えることを認める、というのが私の立場です」(『良心』)

「ある種のナイーヴなというか理想主義的な観点と、政治的現実主義やドイツ語でいう『レアルポリティーク』とを二項対立的に考えることは、私にとって居心地がよくありません。私たちは歴史のなかに生きており、諸国民やもろもろの共同社会のあいだには現実の対立が存在します。しかも世界は正義の原理に準拠して構成されているわけではありません。たいていの場合は、かなり悪いことと、とんでもなくひどいこと、そのあいだの選択をどうするかが問題になっているのがせいぜいではないでしょうか」(『良心』)

こういう発想を、僕たちはなかなか取れない。具体的に語ること。自分が体験したり、あるいは十分に知っていると思えることのみを語る態度。そしてまた、理想主義(原理主義)と、その裏返しの現実主義を共に排して、「原則」と現実のあいだを常に行き来して、ものごとを考えること。

たとえば戦争と平和について、僕たちの思考はつい理想主義(原理主義)的にか、あるいは逆に力が支配している世界を追認する現実主義的な方向へと傾きがちだ。それはどちらも安易で怠惰だと彼女は考えている。スーザン・ソンタグから受け取るべきものは、こういう異質の発想、思考のダイナミクスなのだろう。

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January 08, 2005

『「彼女たち」の連合赤軍』をやっと読む

1996年に出版された大塚英志『「彼女たち」の連合赤軍』(文藝春秋)を読んだ。この本については、以前に上野千鶴子が大塚への大きな評価といささかの批判と世代的なためらいとが入り交じった複雑な書評を書いていて、それを読んで以来、ずっと気にかかっていた。

そこで上野は、こんなふうにこの本を評している。

「大塚の仕事は、その分析のあざやかさと目配りの周到さで、他を圧している。全共闘世代に属するわたしとしては、このような仕事が、ポスト全共闘世代の大塚によってなされたことに、複雑な感慨を持たないわけにはいかない。連合赤軍事件とは、わたしを含む全共闘世代のひとびとにとって、見たくない過去、できれば忘れてしまいたい歴史の汚点に属する。……大塚の分析の新しさは、視点を連合赤軍内部の『女のディスコース』に向けている点である。そして、『女のディスコース』と『革命の論理』との齟齬をあつかうことによって、戦後反体制運動の限界をいっきょにつきぬけ、ポストモダンな『女の時代』にまで、戦後史を串刺しにしてみせた」(『上野千鶴子が文学を社会学する』朝日文庫)

この本を気になりながらも読まずにいたのは、「見たくない過去」という上野のためらいと同じものを、彼女と同世代の自分もやはり感じていたからだろう。いま刊行から10年近くたって読んだあとに、上野の見事な評につけ加える言葉を思いつかない。大塚の論点だけメモしておくことにする。

大塚は、事件とその後の報道から2つのことに注目している。ひとつは、サブ・リーダーの永田洋子が事件後、獄中で「乙女ちっく」なイラストを描くようになったこと。いまひとつは、殺された女性兵士がリーダーの森恒夫について、自分が批判されているさなかにもかかわらず「(森の)目が可愛い」と発言したこと。

この事件が起こったのは1972年だが、「乙女ちっく」なイラストも、「かわいい」という言葉の使い方も、その後の80年代の「かわいいカルチャー」を象徴するイメージであり用語であることは言うまでもない。彼らの「総括」のきっかけになったのが女性兵士の指輪や化粧やロングヘアなど「女性的なもの」への批判であったことは、事件に興味をもつ者なら誰でも知っているだろう。そのこともふまえて、大塚は事件の見取り図をこう描いてみせる。

「連合赤軍事件で殺された女性たちに共通なのは80年代消費社会へと通底していくサブカルチャー的感受性である。したがって12人が殺された山岳ベースで対立していたのは2種類の革命路線ではなく、意味を失う運命にあった男たちの『新左翼』のことばと、時代の変容に忠実に反応しつつあった女たちの消費社会的なことばであり、少なくとも4人の女性の『総括』はそのような『闘争』の結果生じたものだったのではないか。……彼女(永田)は革命思想と『かわいい』の間で逡巡し、最終的には前者の側に立つのだ」

大塚はさらに、他の男性兵士が当時はごく当たり前の「家父長的」「抑圧的」男だったのに対し、森恒夫にそのような「男性的」姿勢が希薄であることから(むろん「総括」を命じたのは彼にちがいないが)、後の「おたく」や「新人類」につながる心性を見ている。

大塚は1958年生まれだから、事件のとき中学生。「可愛い」という一言を80年代に結びつけるのにちょっと性急なところはあるけれど、同世代、あるいは同時代に事件を体験した者には思いもつかない角度から光が当てられている。これも最近読んだアメリカの若い社会学者、パトリシア・スタインホフの『死へのイデオロギー 日本赤軍派』(岩波現代文庫)のときも感じたけれど、同世代だからこそ、あるいは同時代に生きているからこそ見えないものがあるんだな、と痛切に思う。

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December 26, 2004

『ランティエ。』は和風味

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創刊された『ランティエ。』(角川春樹事務所)のコンセプトは「和」らしい。『LEON』『GQ』『日経大人のOFF』『一個人』などがひしめく「大人の男性誌」市場へ割り込むために、隙間を探したらそこへ行き着いたということか。

表紙が桜、扉は注連縄(しめなわ)に朝陽、目次には鳥居や石灯籠の写真とともに「魂(にっぽん)の風物詩」「日本人論」の文字が踊る。ただ、誌名が横文字だったり(ご丁寧に「。」つき)、外国人の写真家をメーンに起用していることからも察せられるように純粋の「和」ではない。いわばヨーロッパのブランド・スーツに身を固めた男の「和」礼賛。

「総合プロデューサー」角川春樹は「退屈でない人生を求める男たちへ高等遊民(ランティエ--19世紀末パリの隠居的生活者)という新たな価値を提案するとともに、精神の無頼性、何ものにも束縛されない自由な遊び心で一生不良であり続けたい読者へメッセージを発信します」と宣言している。

つまり、金と心にゆとりのある中年男よ、日本の伝統を再発見して人生楽しもうぜ、ってことらしい。各地のお供えの写真を構成した「魂の風物詩」を巻頭に、凧や絵馬など正月習俗を写真とテキストで見せる「日本の習俗を言祝(ことほ)ぐ」、若狭三寺の千手観音を紹介した「古佛礼拝」、江戸以来の名店を紹介する「老舗総覧百五十軒 江戸~東京編」など、「和」テイストの記事が並ぶ。

写真は「古佛礼拝」など見応えがある。デザインもヴィジュアルの処理、テキストの組み、ともに悪くない。でも何かが欠けている。写真はいいけれど、ただ並んでいるだけ。テキストは味も素っ気もなく、「無頼」とか「遊び」というわりには教科書風。

そこで欠けているのは編集者の仕事だと思った。料理でいえば包丁さばきや出汁や味付けに当たる仕掛けが希薄なので、記事にコクがない。それなりの素材を、素材のままに見栄えのする盛りつけで並べただけ、という感じがしてしまう。 同じことはアンケート調査「いま『素敵な女性』『美人』『いい女』は誰だ?」にも言える。

推測するに、編集長、デスククラスに雑誌経験者を配しても、現場には経験者が少ない、あるいは外部の編集プロダクションにまかせたということかも。雑誌に大切なのは、その雑誌にしかない匂いだと僕は思っているが、読者と共有できるそんな匂いを醸しだすのが、実はいちばん難しい。創刊号にそれを求めるのは、ないものねだりかもしれないが、店構えも値段も素材も一流店の顔をしてるのに、味に決め手がない店のようだ。

ほかに気がついたことがいくつか。女性誌とちがって男性誌が「和」というと、すぐに「にっぽん」とか「日本人」とか『SAPIO』風ナショナリズムになびいてしまいがち。創刊号の「日本人論」では天下国家については避けているけれども、そこに一定の読者層がいることは確かなので、苦しくなったときに「硬派」に行く危険はあるかも。

「和」を標榜してるのにファッション・ページだけはモデルが西洋人なのが、なんとも奇妙だ。別の雑誌に紛れこんだみたいな違和感がある。若い世代向けの男性誌では日本人モデルはたくさんいるのに、50代以上ではまだ「こうなりたい」と読者に思わせるモデルがいないのか(せいぜいPAPAS止まり?)。競合誌『LEON』のモデルもみな西洋人なのを評して斎藤美奈子が言ったように、「日本のオヤジはまだ黎明期なのである」(『男性誌探訪』)。

福田和也「怪物列伝」(第1回は北大路魯山人)、荒俣宏「朱引のうちそと 江戸東京境界めぐり」の連載は読ませるけれど、コラムが物足りない。福田恒存、森茉莉の過去の名作コラムを載せていて、それは「名作」には違いないが、コラムにはやはり同時代の風が吹いてないとね。先ほど言った雑誌のコクや匂いを出す上でコラムの果たす役割は重要なのだ。

創刊号にしては広告がやや寂しいのも気がかり。この定価(680円)では、部数と広告がある程度の数字を出さないと苦しいだろう。次号を買う気は起こらないけど、1年後にどうなっているか、もういちど見てみることにしよう。


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December 14, 2004

映画『変身』の滑稽味

『父、帰る』もそうだったけれど、久しく沈滞していたロシア映画が面白くなってきた。この映画、もとは舞台で上演された芝居だったらしいが、舞台にしろ映画にしろ、カフカの『変身』を劇化しようという発想からして「買い」だ。しかも、虫になってしまった主人公ザムザを役者が素のまま演じるという。いったい、どうやって?

興味は、その一瞬に集中する。「ある朝、グレゴール・ザムザがなにか気懸かりな夢から眼をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な毒虫に変っているのを発見した」(高橋義孝訳)。映画でも、小説の冒頭のこの一節がナレーションによって語られる。

と同時に、それまで普通の男だったザムザ(エヴゲーニイ・ミローノフ)が虫になる。といっても、特殊メークしたりCGが使われるわけではない。前夜、ベッドにもぐりこんだパジャマのまま、手が左右に開き、脚は後ろに跳ね返り、関節がヒトではなく虫のようにしか動かなくなる。手脚の指先が「ワヤワヤと」うごめく。顔も昆虫が口をもそもそ動かしているみたいになり、発せられる言葉は意味をなさなくなる。

そんな状態で以後の90分、スクリーンを這い回るエヴゲーニイ・ミローノフは快演というのか怪演というのか。動きと言葉という武器を奪われて、しかも虫であることを演じて見る者を納得させるのは、並みの役者じゃない。

変身の瞬間、思わず笑ってしまった。「不条理文学」に笑いはふさわしくないかもしれないが、ミローノフの動作や表情になんともいえないおかしみを感じてしまったのだ。

その笑いを自己分析してみると、強者が自分とは無関係の弱者の滑稽さを笑ったのではないと自分では思った。ザムザの滑稽さを笑うことのなかに、自分を笑うという要素が少し含まれているように感じた。それは、冒頭の短いプロローグのなかで、すでに自分がザムザに共感してなにがしか自己を投影して見るようになっており、だからザムザの変身がいくぶんか自分のこととして感じられたからだと思える。

小説にはない、このプロローグが素晴らしい。『父、帰る』と同じようにタルコフスキーのDNAを感じさせる激しい雨のなか、長い旅に出ていたセールスマンのザムザが帰ってくる。雨滴のつたう窓ごしに、アパートの居間のテーブルで談笑する父と母、妹が見える。カメラはそのまま室内に移動して、帰ってきたザムザを迎える家族の団らんを映しだす。ザムザと妹の近親相姦の気配もある親密さ。雨音のなかで床に入ったザムザは「気懸かりな夢」を見て……。

ザムザが虫に変身した後、映画は小説の筋をわりあい忠実にたどってゆく。虫になったザムザを役者が素のまま演ずるという一点だけを除けば、映画はオーソドックスにつくられている。プラハにロケしたらしい町や墓地をザムザがひとり歩いたり、妹を自転車に乗せて走る回想シーンが美しく、ザムザが失ってしまったものへのノスタルジーがひしひしと迫ってくる。虫であるザムザは会社の上司やお手伝いばかりでなく、家族からも疎まれてゆく。ザムザが孤立すればするほど、その滑稽さは悲しみへと変わってゆく。

映画を見たのを機会に、前から気になっていた池内紀の新訳で『変身』(『カフカ小説全集』白水社、2001年)を読みなおしてみた。

新訳だから地の文やしゃべりの言葉遣いが今の口語に近くなっているのは当然として、僕が映画から感じた滑稽味は、この新訳からも感じられた。意識は昨日と変わらない自分でありながら体は虫になってしまったザムザの滑稽さを、どこか突き放して見ている気配があり、そうすることで余計に彼の悲しみが際だつようになっている。知的な諧謔小説ふうな味もあると思った。

30年以上前に読んだ記憶では、もっと不気味さと切迫した不安に満ちた小説だと思っていた。それは高橋義孝の文語的な翻訳(名訳)によるものというより、「不条理文学の傑作」という通説から読む側が勝手にそう思いこんだのにちがいない。またこちらも若かったから、不気味さや不安に過剰に反応したということもある。

池内訳から感じた滑稽さと、それゆえの悲しみが原作の味を正確に映しだしているとすると、この映画の監督であり舞台の演出家でもあるワレーリイ・フォーキンは、原作のもつ空気をそのまま舞台や映画に移したことになる。であれば、やはりザムザは特殊メークやCGではなく、素顔のまま虫に変身しなければならなかったのだ。

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December 04, 2004

山崎ナオコーラはいい

今年の文藝賞受賞作、山崎ナオコーラの『人のセックスを笑うな』(河出書房新社)に、こんな描写があった。

「空は透度が高い。/吸い込まれそうだ。/ブラジャーの中の乳首のように、オレを引っ張る」

「オレ」は絵を勉強している19歳の専門学校生。女の子が自分を「オレ」と呼んでるわけではないし、男の子がブラジャーをつけて女装しているわけでもない。ごく当たり前の男の子が電車の窓から空を見上げている場面。

文章を1行ごとに改行しているから、センテhttp://www.blacklab-morphee.com/blog/tt_tb.cgi/121ンスを際立たせたいという意図があるのだろう。そこで山崎ナオコーラは、「ブラジャーの中の乳首」という女の子にしか分からない感覚でもって男の子の気持ちを語っている。普通はこういうことしないよね。

最近の小説はゲイと女の子とか、ゲイ同士とか、ピアス・フリークとか特異なカップルがいろいろ登場するけど、描写に関しては、ゲイならゲイの心と行動に沿って、フリークならフリークの心と行動に沿って、特異は特異なりに、普通は普通なりにそれぞれのコードに従って記述される。ところが山崎ナオコーラは確信犯的に、しかも軽々と誰も破らなかったそのコードを侵してしまっている。そこが面白い。

そういえば山崎ナオコーラというペンネーム(日に500mlのコーラを1、2本飲むコーラ好きらしい)も、『人のセックスを笑うな』というタイトルも、かなりヘンだ。だけどヘンであることを挑戦的に主張しているわけでもない。「ブラジャーの中の乳首」みたいな描写がたくさん出てくるわけでもない。当たり前のような顔をして、でもしれっとヘンなことをしている。

内容は19歳の「オレ」と、美術の先生である39歳の「ユリ」との恋物語。20代半ばの作者が、19歳の「オレ」と39歳の「ユリ」になりきって不自然さを感じさせない。素直に読む者を納得させる。

「恋してみると、形に好みなどないことがわかる。好きになると、その形に心が食い込む。そういうことだ。オレのファンタジーにぴったりな形がある訳ではない。そこにある形に、オレの心が食い込むのだ。/あのゆがみ具合がたまらない。忘れられない/三日と置かず、会いたくなった」

思わずうなずいてしまう洞察力。綿谷りさのような正統派ではないし、金原ひとみみたいに個性がほとばしるタイプでもないけれど、さらさらと流れる透明な水のような文章が気持ちよい。楽しみな作家がまた現れた。

関係ないけど、作者はどうやら僕と同じJR駅を使っているらしい。会社務めということだから、駅のホームですれちがっているかもしれない。

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November 23, 2004

『脳と仮想』のクオリア

茂木健一郎『脳と仮想』(新潮社)は、「物質である脳になぜ心が宿るのか」という古典的な問いに、現在の脳科学の立場から答えようとしている。

もっとも、漱石や樋口一葉やワグナーがたびたび引き合いに出されることからも分かるように、これは科学者の科学論ではなく、脳科学を応用して文学・芸術(あるいは文学・芸術を生みださざるをえない人間)を論じたエッセーというほうが正確かもしれない。その意味では、解剖学を応用してこの世間を斬ってみせた『バカの壁』と似ているところがある。

茂木は、脳科学の「クオリア(感覚質)」という考え方を紹介している。クオリアとは「赤い色の感覚」とか「水の冷たさの感じ」とか「そこはかとない不安」といった、私たちの心のなかの数量化できない経験を指す。

クオリアではない数量化できる経験をどう認知するかを、近代は科学として発達させてきた。クオリアも数量化できる経験も、人間のすべての主観的体験は脳内にある1000億のニューロン(神経細胞)の活動によって生みだされている。だからクオリアも何らかの精密な自然現象の結果であることは確かなのだが、その「科学的」な因果関係はまだ解明されていない。

私たちが北極で乱舞するオーロラを見上げているとする。私たちはオーロラを認知し、その美しさに打たれる。そうしたクオリア体験は、すべて脳内現象ということができる。私たちの身体の向こうに広がっている外部からの刺激にもとづいて1000億のニューロンが活動して、脳のなかで身体の外の宇宙を体験することができる。

でも人間の脳は、外界から何の入力がなくても、ニューロンが常に自発的に活動しているという性質をもっている。だから、いまこの瞬間にオーロラが存在していなくても、脳のニューロンが何らかの形式で活動すれば、人間は脳のなかでオーロラを体験することができる。つまり仮想(ヴァーチャル・リアリティー)を立ち上げることができる。その特徴は、1リットルの質量しかない脳に閉じこめられない無限の仮想空間を持っていることだ。

生まれたばかりの新生児の脳は、未分化で原始的な形ではあるが「自己」「外界」「他者」「快」「不快」といったカテゴリーの仮想を生んでいくらしい。そうした仮想が次第に複雑になり多様化していき、身体の外の現実とそれらの仮想をマッチングさせることによって現実を認識することができるようになる。

仮想を豊かにすればするほど、私たちは現実を豊かに把握することができるようになる。その一方、身体の外の現実がなくても、私たちは無限の仮想空間に遊ぶことができる。

さまざまなクオリアに満ちた仮想について、文学や音楽を引いて繰り返し語る茂木は、「人間にとって切実なものは仮想に属する」と言う。映画や小説やジャズに、時に「現実」以上に切実なものを感じる人間にとっては当たり前の言葉でも、科学者としてこう断言するのは勇気のいることなのだろう。養老「唯脳論」にならえば「唯仮想論」とでも言うか。


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November 16, 2004

『ペンギンの憂鬱』の背後

売れない中年の短篇小説家がペンギンと暮らしている。動物園からもらってきたペンギンは憂鬱症で、ときどき鏡に写る自分の姿を黙ってながめている。1人と1匹が「孤独をふたつ補いあって」日々を過ごしている。ある日、小説家に、未来の死者のための追悼記事を書いてほしいという依頼が新聞社から舞い込む。

ウクライナの作家、アンドレイ・クルコフの『ペンギンの憂鬱』(新潮クレストブックス)は、そんな魅力的な導入から始まる。その設定はロアルド・ダールふうな「奇妙な味の小説」を思わせるし、メランコリーとユーモアが程よくブレンドされた心地よい描写は村上春樹を感じさせる。実際、クルコフは村上春樹が好きだそうで、誤解を恐れずに言えばこれはウクライナ版『羊をめぐる冒険』なのである。

と言えば、展開は想像がつくだろう。行きがかり上預かることになった少女のソーニャと、同居人になってしまった恋人(?)ニーナとの、3人と1匹の「家族ごっこ」が、小説家にひとときの穏やかな日々をもたらす。が、やがて身辺に不可解な出来事が……。

村上春樹の『羊をめぐる冒険』は高度成長下の安定した社会を舞台にした、いわば観念的な「悪」と「戦争」の物語だった(20年以上前に読んだきりなので間違っているかも)と記憶しているけれど、今日のウクライナを舞台にしたこの物語ではしばしば銃と銃声が登場して、この閉じられた寓話的な物語に現実の側から亀裂を入れる。

銃声は冒頭の2ページ目で早くも主人公の耳に聞こえてくる。アパートのなか、「蝋燭を探しあてて火をつけ、マヨネーズの入っていた瓶に立ててテーブルに置いた。炎がゆらゆら揺れる……外で銃声が鳴りひびいた。びくっとして窓に飛び寄ったが、何も見えないので、テーブルに戻る」。

この銃声は直接に小説家の身にふりかかる出来事ではなく、小説家がどんな環境に取りまかれているかを読者に知らせる役割をはたしている。でも、首都キエフに住む小説家が、追悼記事を取材するためにウクライナ第2の都市ハリコフに出張すると、銃と銃声はさっそく小説家の身近なものになる。取材をセットしてくれるはずだった新聞社の支局員が死体で発見される。

ハリコフという地名を聞いて、僕は何の脈絡もなく『ケース・ヒストリー(CASE HISTORY)』(SCALO)という写真集を思い出した。この写真集は、ハリコフ生まれの写真家、ボリス・ミハイロフの手になるもの。ミハイロフが暮らすハリコフの荒廃した街と人々の絶望的な表情の数々が500ページ近い本に収められている。ヨーロッパやアメリカで話題になり、MOMAなどで写真展が開かれた。

写真集の巻頭には傷つき病んだ老人や女性10人ほどの、服を脱いだ痛ましいポートレートが置かれている。ミハイロフは「レクイエム」と題した短文のなかで、「彼らのうち3人は撮影して2カ月以内に死んだ。彼らの意志に従ってこれを公表する」と書いていた。

アスファルトに穴があき、ごみが散らかり放題の街路、閉鎖された工場や商店。ホームレスなのだろうか、路上に倒れている人。シンナーかなにかを手にしたストリート・チルドレン。娼婦らしき女の貧しい裸体。希望のない目をした老人たち。そんな写真が延々とつづいている。

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『ペンギンの憂鬱』は1996年に出版されているから、1999年に出版された『ケース・ヒストリー』の撮影時期とちょうど重なっている。旧ソ連崩壊後、ウクライナも独立したけれど、それによって人々の生活が豊かで安全になったようには思えない。この写真集を見ていると、貧しさと混乱は一層ひどくなっているようだ。

『ペンギンの憂鬱』の背後にこんな目をそむけたくなるような現実があることを想像すると、その不条理なメルヘンじみた世界が、不眠に悩むペンギンの姿とともに急に別の貌をもったものにも思えてくる。それは『羊をめぐる冒険』の背後に1980年代のこの国の「豊かな」社会があったのと鋭い対照をなしている。

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October 26, 2004

リニューアルした『散歩の達人』

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『散歩の達人』(交通新聞社)が割と好きだ。その『サンタツ』がリニューアルして、「新装しました。」と表紙に刷り込まれている(11月号)。リニューアルというのは数字が低迷しているときにやるものと、業界では決まっている。

で、何が変わったかというと、まず本文にいい紙を使っている。さすがに色の出方は、ぐんと良くなった。1色(黒インクだけの)ページもなくしたから、貧乏くささもなくなった。レイアウトも、ひと昔前の雑誌のような野暮ったさ(意図的にそうしているのかと思っていた)を捨てた。要するに普通の雑誌になった。

特集は「銀座」「築地」の2本立てと、これまた普通の雑誌になった。ちなみに今年の1月号からの特集を並べてみると、「市川・本八幡」「下北沢・駒場」「池袋・目白」「調布・府中」「東急世田谷線」「江古田・練馬」「高円寺・阿佐ヶ谷」「向島・曳舟」「浦安・葛西」ときて、リニューアル直前の10月号は「川口・蕨」。「川口・蕨」なんて、どう考えても『サンタツ』以外、見向きもされない街だよね(馬鹿にしているのではありません。小生、川口育ちなもので、これは裏返しの愛情表現)。

リニューアル号に台北に住む読者からの投稿が載っていた。「海外在住者にとって散達は凶器です。駐在員は接待で高級和食を食べる機会が日本にいるときより多いのですが、食べたい! 飲みたい! のはコロッケであり、カレーうどんであり、ソースにたっぷりひたした串かつであり、ホッピーであり……」。

「銀座」「築地」に「サンタツ精神」は貫かれているか? 頑張ってはいる。頑張ってはいるけれど、『サライ』や『東京人』その他もろもろの雑誌の「定番」や「高級店」も取り上げてしまうところが中途半端というか。

例えば鮨屋。「数寄屋橋次郎」こそないけれど、予算は「1万円」「1万5千円」「2万円」「3万5千円」が並ぶ(「1万円」の店には小生も行ったことがある。その予算では収まらなかった。うまかったけれど、あまりの勘定の高さに、その後、足を踏み入れていない)。全体に「裏路地の銀座」ではなく、「1ランク下の銀座」といった特集になっているような気がする。

リニューアルした意図はなんだろう。ローカルな街の特集はひとめぐりしてしまった。それはあるだろう(川口までやるんだから)。より上品で、おしゃれな雑誌にしたい。リニューアル誌面は明らかにその方向を向いている。でも、「サンタツ精神」を求める読者には不満が残り、一方、「上品」「おしゃれ」「高級」方面では並みいる他誌に太刀打ちできない。「銀座」「築地」で読者を広げられるだろうか。

と文句を言いつつ他のページを見ると、これが面白い。連載「旧道File」の「墨田区八広の煙突ロード」では下町のヘンな煙突を見つけては、☆1つとか1つ半とか採点して遊んでいる。「中古民家主義」は、東京の木造建築の「基礎知識」を手際よくまとめてくれる。連載「THE 軍事遺跡」は「神奈川県三浦市の砲弾海岸」。新連載「お墓で逢いましょう」は、西多摩霊園の松田優作の墓。「散歩者インタビュー」は吉本隆明に銀座や月島の話を聞いている。

うーん、こっちのほうがやっぱり『サンタツ』に相応しい。『サンタツ』の誌面には、うちは予算がありません、その代わり、徹底的に足で歩いて編集者やライターの好みで書かせていただきます、という匂いが漂っている。雑誌の初心を思い起こさせるそんな匂いを失って、普通の雑誌になってほしくないなあ。

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October 10, 2004

ケータイと監視カメラの未来

斉藤貴男『安心のファシズム--支配されたがる人びと』(岩波新書)を読んでいたら、ケータイと監視カメラの未来がこんなふうに描かれていた。

ケータイは、アメリカの軍事衛星を使って持ち主の位置を特定するGPS(Global Positioning System)が現在もう実用化されており、徘徊老人や外回りの営業・運転手の「管理」に使われている。

このGPSと顧客情報データベースを組み合わせれば、持ち主が「いま、どこにいて、なにをしたいか」に応じて、近くの好みのレストランとか、その時々の情報がケータイに届けられる。それと似たシステムとして、小田急では自動改札機とケータイを組み合わせ、定期券で駅を出た利用者のケータイにショップ広告なんかを流すことを計画している。

いま政府が計画している「ユニバーサル社会創造法案」では、道路や電柱、住居表示板にICチップを埋め込むことによって、GPSよりもずっと精密にケータイ所有者の位置を特定できるようになる。それによって高齢者や障害者のケータイに目的地までの経路や情報を届け、バリアフリー社会をつくるというのだが、もちろんこれは犯罪捜査に転用すれば大きな威力を発揮することになる。

一方、ソニーとNTTドコモ、JR東日本が出資した会社では、1台にプリペイドカード、定期券・航空券、クレジットカード、キャッシュカード、会員カード、クーポンサービス、社員証、マンションキーなど多機能を盛り込んだケータイを開発している。

ここまで来ると、ケータイは家を出たら絶対に手放せない、命の次に大事なものになるだろう。と同時に、ケータイを持っているかぎり、いま持ち主がどこにいるのかをシステム管理者に常に把握されることになる。

もちろん斉藤貴男は、こんなに便利になりますよと言っているのではなく、一人ひとりが巨大システムに管理され、個人情報のデータベースがビジネスに利用されることに警告を発しているわけだ。

監視カメラには将来、顔認証システムが組み込まれるだろう。生涯変わることのない顔面の特徴を顔貌データベースとして登録し、監視カメラの映像と照合する。例えばテロリストとされたデータと一致する人がカメラに映ると、警告音が鳴り響く。変装も役に立たない。英米ではすでに実用化されている。

増えつづける犯罪への不安、テロへの不安から、人々は「安心」を求め、そのために巨大システムに「管理」され「監視」されることが苦痛でなく、むしろ心地よく感じられる……そんな社会が来ようとしている、と斉藤は言う。

「国民にはあたかも一般的な犯罪防止を目的とする技術だと思い込ませつつ、実際にはテロ対策という名の政治・公安警察イデオロギーばかりが突っ走っていく」

もちろん、そんな社会は願い下げだ。でも、「監視」と「管理」の社会を招きよせないためにどうしたらいいのか。「監視カメラ反対」、それはまだ理解を得ることはできる(既に賛成派が多数だろうけど)。でも、「ケータイ反対」とは誰も言えないだろう。

東浩紀は「<監視社会>と<自由>」というシンポジウムでのデイヴィッド・ライアンの発言に触れて、こんなふうに言っている。

「国家によるSF的監視と市民的自由を対立させるこのような図式は、あまりに単純すぎて、9.11以前に書かれた『監視社会』の射程を濁らせてしまうものでもある。ライアンは『監視社会』では、監視技術の危険性を抉り出すとともに、それが私たちの日常生活にとって不可欠なものになりつつあることも指摘しています。したがって、ライアンの議論は、本来であれば、『監視カメラ反対』『住基ネット反対』といった総論にはなじまない」(hirokiazuma.com/blog)

監視カメラはともかく、ケータイはすでに社会に深くビルト・インされていて、「日常生活にとって不可欠」なツールになりつつある。「監視カメラやケータイは管理の道具だ」というだけでは、議論が新しい技術を否定する方向に流れやすい。

たとえそれが「悪魔の発明」であろうとも、技術の発展を倫理や善悪で否定することは、政治的・一時的にはともかく、本質的にはできない。だから新しい技術とどう向き合うかは、いつも僕たちにむずかしい選択を強いてくる。

『「退歩的文化人」のススメ』を書いた嵐山光三郎のように、パソコンもケータイも持たないという考え方は、個人の生き方としてもちろんありうる。隠遁者への願望は、リタイアが数年後に迫った年まわりには、けっこう魅力的な誘惑なんだなあ。

でも、僕は今のところ、新しい技術にできるだけつきあってやろうと思っている。パソコンもケータイも若者に独占させておくだけではもったいない。高年者にとっての利用価値だっていろいろある(僕も徘徊老人にならないとは限らないしね)。このブログをやっているのも、会社や仕事とはまた別のコミュニケーションや人間関係がありうるかもしれない、と考えてのこと。まあ、そんな大上段に振りかぶらなくても、たんに楽しいだけなのだが。

新しい技術には新しい可能性が生まれる。でも、もう一度繰り返すけど、どこで何をしていても誰かに常に「監視」されるような社会はごめんだ。

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September 20, 2004

『快楽通りの悪魔』の2人

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デイヴィッド・フルマー『快楽通りの悪魔』(新潮文庫)は20世紀初頭のニューオリンズを舞台にしたハードボイルドだけど、興味深い実在の人物が2人登場する。というより、この2人の人物をヒントにして書かれたと言ったほうが正確なのだと思う。

ひとりはジャズ草創期の伝説的コルネット奏者バディ・ボールデン。この小説は、ニューオリンズの赤線地帯ストーリーヴィルに起こった連続娼婦殺人事件を、フランス系とアフリカ系の混血であるクレオール探偵が追うというストーリーなのだが、ジャズは100年前にこの町の、とりわけストーリーヴィルの娼館や酒場で生まれた。ボールデンはクレオール探偵の幼なじみという設定で、事件に重要な役割を果たす。

もちろん小説のなかの話だけれど、実在のバディ・ボールデンはニューオリンズの路上で行進しながら演奏するブラスバンドのコルネット吹きとして抜群の人気を誇っていた。ラングストン・ヒューズは『ジャズの本』(晶文社)でこう書いている。

「当時、リンカーン公園でダンスがあるんだということをひとびとに知らせようと思うと、偉大な管楽器吹奏者のひとり、バディ・ボールデンが音楽堂に立ってかれのかがやくトランペットで一発ラグふうのブルースをぶっぱなしたものでした。みんなかれの演奏をとおくはなれた街角からきくことができましたので、ダンスに出かけようとしたものです」

ボールデンの録音はなく、その音を聞くことができないのが残念。

もうひとりは、ストーリーヴィルの娼婦のポートレートで知られる写真家アーネスト・J・ベロック。1970年にMoMAから『Storyville Portraits』という有名な写真集が出ている。小説のなかでも「そこには被写体の目の奥にある空虚が映しだされていた」と描写されているけれど、盛装していたり、下着姿やヌードの娼婦たちのポートレートは、笑っている女からもレンズをまっすぐに見ている女からも、魂を抜き取られたような虚ろな印象を受ける。

この小説が面白いのは、「あとがき」に参考文献が挙げられていることからも分かるように、きちんと考証されているらしいことだ。

作者が描写するベロックは、「フランス人の血を引き、透き通るような青白い肌をしていて、身長は5フィートそこそこだが、頭はカボチャのように丸く、大きい。医学用語で言うなら、水頭症だ。小さな身体は歪み、脚は曲がっていて、歩き方はアヒルのよう」な男だった。娼婦街を大型カメラと3脚をかついで歩く異形の小男のイメージは、それが本当かどうかはひとまず措くとしても、いかにもという感じがする。

作品としては、型通りながらまずまず楽しめた。それ以上に、主人公の探偵の目を通して描かれるニューオリンズの社会が興味深い。

当時のニューオリンズは4つの社会階層からなっていたという。いちばん上が、アングロサクソンとフランス系移民の子孫。次にフランス人とスペイン人の混血。その下に彼らとアフリカ系の混血であるクレオール。肌の色がどんなに白くても、アフリカ系の血が1滴でも入っていればクレオールとされた。クレオールも混血の度合いによって更に細かく、オクトルーン(8分の1混血)とかクワルドルーン、ムラートなどに分けられる。最下層にアフリカ系。

ストーリーヴィルの娼館もオクトルーンだけの店とかがあり、逆に白人娼婦の娼館にはクレオールやアフリカ系は入れなかった。当時の娼婦一覧には名前の後に略号がついており、「W」は白人、「J」はユダヤ人、「C」はカラード、「O」はオクトルーンを表している(「どれも単純明快だが、"フレンチ"だけは例外で、それはヨーロッパのとある国から来た女をさすわけではない」)。

まあ、こんなこと知っても何の役にも立たないけど。でも弱者がほんのわずかな差異をタテに、さらに弱者を差別することによって差別の体系ができあがっていることがよく分かる。

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September 17, 2004

『VS.』vs.『Number』

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月刊『VS.(バーサス)』(光文社)の創刊号が出た。スポーツ雑誌というと、どうしても『Number』と比べてみたくなる。僕の感想を一言で言えば、似て非なる雑誌。スポーツを素材にした「男の生き方雑誌」という印象だ。

巻頭特集は大リーグの日本人プレイヤーを中心にした「頑固と言われようと、自分のスタイルを貫く男たち」。創刊号巻頭のタイトルに、雑誌が目指すものが込められている。松井(秀)、野茂、長谷川、高津にインタビューした長いエッセーと写真。オーソドックスな切り口と文章で、それぞれの「流儀」を浮き上がらせようとする。

『Number』最新号も、珍しく野球特集。こちらは日本プロ野球の1リーグ制問題を中心に、「野球は誰のものなのか」「江夏豊インタビュー」「藤井寺物語」「猛牛たちの伝説」など盛りだくさん。江夏の主張に、そう、そうなんだよなあと頷き、猛牛伝説に過去の栄光を偲ぶ、老舗らしいファン心理を心得た記事が並ぶ。『VS.』の特集が130キロ台のストレートなのに対して、こちらはストレート変化球と多彩な球種を駆使。

『VS.』の第2特集はアテネ・オリンピック。バレーボールの吉原、レスリングの吉田ら女性アスリートを女性ライターがレポートしている。一方、隔週刊の『Number』ではオリンピックは既に過去の話題で、コラムでしか扱われていない。月刊誌である『VS.』がオリンピックやワールドカップを取りあげようとすれば、その問題は常についてまわる。時間的不利をカバーする誌面がつくれるかどうかの勝負だけれど、この特集はちとぬるい。

コラムは、率直に言って『Number』の切れ味に遠く及ばない。特集にしてもコラムにしても、スポーツ愛好者の心情や批評心のツボをどう刺激するか、『Number』が培ってきたノウハウに改めて感心する。その代わり、『VS.』はスポーツをからめたファッションや道具(モノ)や食で「男のライフスタイル」誌を志向する。

単発では、悲運の競歩ランナー・板倉美紀の闘いを追った織田淳太郎「遥かなる五輪ロード」が、なじみの薄いスポーツを素材に読ませた。連載に金子達仁、東野圭吾、吉田修一と小説を3本揃えているのも、最近の創刊誌では異色。

本文に『Number』と同じく11級の小さめな文字を使い、しかも余白や行間を広く取っているのに、『Number』より読みにくく感ずるのはなぜだろう。選んだ明朝の書体が肉薄なこと、字詰めが多いこと(35字詰めの2段組みもある)、墨(黒)以外のインクも使っていること、写真のなかに文字を抜いていること、などによるものか。

総じて、光文社の雑誌には珍しく可読性よりデザインを重視しているように見える。老眼が来ている身には、電車で30分読んだら目が痛くなってきた(そんな世代は相手にしてないよと言われれば、その通り)。

広告はスポーツ関係だけでなく、ブランド、車、化粧品から痩身法、アデランスまで雑多。創刊号にはおつきあいするクライアントも多いから、今後どのような広告が増える(減る)かも雑誌の方向性と関係するだろう。

「似て非なる」雑誌だから同じフィールドでは論じられないけれど、どっちを選ぶかと聞かれれば、やっぱり『Number』を買うだろうなあ。

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September 08, 2004

「退歩的生活」のほうへ

「退歩しつつも至福の価値を見つける」
「『退歩的文化人』は人生の下り坂を満喫する」
「欲情すれど執着せず」

……と、嵐山光三郎『「退歩的文化人」のススメ』(新講社)の目次を書き写してみれば、嵐山の兄貴が言おうとしていることの、少なくとも気分は伝わってくるよね。

兄貴がそこから退歩しようというのは、ふた昔前の「進歩的」左翼ではなく、IT技術の発展によって日々「進歩」している、今日ただ今、僕たちの目の前にある社会のことを指している。

でも、降りるといってもそう簡単なことじゃないぞと、兄貴は言う。「どうやって人生後半の坂を降りていったらよいのか。これはそう容易なことではなく、降りる技術は登る技術にも増して熟練がいる。退歩していく自分を受容しつつ文化的であること。これは、年をとってからではもう遅く、四十歳ぐらいから練習しておいたほうがよい」。

というわけで、これは38歳で会社を辞めて以来、還暦を過ぎた現在にいたるまで「退歩的生活」にいそしんでいる兄貴が、自身の体験から得た「降りる技術」を伝授してくれるハウツー本なのだった。

嵐山的「退歩の日々」とは--。俳句をひねる。ローカル線で温泉を巡る。ママチャリで「奥の細道ツアー」をする。古本を漁る。地方競馬に凝る。それらに加えて挙げる「退歩の条件」は、友情、飲酒、隠居、散歩、朝寝などなど。

もちろん兄貴の場合、これらをネタにエッセーを書き(『快楽温泉201』にはお世話になってます)、求めた古本から明治文学についていくつもの著作をものし、それによって収入を得るという循環があったからこそできた「退歩」なわけだが……。

兄貴も「まず金が重要である」と言っている。これは、それぞれの才覚でなんとかするしかない。でも大切なのは「悟ってはいけない。迷いつづけて不良なる精神を持ちつづける」こと。兄貴は以前『「不良中年」は楽しい』(講談社)という本を書いていて、これには学ぶところが多かった。この本でもわれわれが「不良中年」から「不良老年」に移行するに際して、お金と体力と精神の、それぞれどこに留意すべきなのかをていねいに指南してくれる。

なかでも徳富蘆花、武者小路実篤、谷崎潤一郎、北原白秋、宇野浩二ら文学者の晩年の生き方を扱ったエッセーは読みものとしても面白く、教訓の書としても色んなことを考えされられた。

蛇足。僕は兄貴のようにIT社会のすべてに背を向けるつもりはなく、このブログも「60歳以後」へのトレーニングのひとつだと思っている。


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September 02, 2004

『芸術新潮』の円空特集

『芸術新潮』9月号が円空の特集をしている。

『芸新』の特集は題材も編集もオーソドックスだけれど丁寧なつくりで、いつも安心して読める。今月号もその例に漏れない。

数十ページにわたる撮り下ろしの円空仏、梅原猛の長編エッセー、全国の円空仏マップ。必要にして十分な素材だけで65ページ。ムック(あるいは新潮社の「とんぼの本」)1冊分の内容はありそうな「保存版」だ。

梅原のエッセーは、彫刻家としての円空だけでなく、行基ー泰澄の流れで円空の仏教思想を重視しているのが面白い。円空を木地師とみる通説に異を唱えているのも彼らしい。

ほかに、平野甲賀の手書きタイポグラフィーを扱った小特集。平野はひらがな、片仮名、数字、アルファベットの4種で自作のフォントをつくってしまった。そのフォントで組まれた見開きページを(実用はともかく)ついつい読んでしまう。今後、常用漢字を中心に2000字の自作漢字フォントに挑戦するらしい。この特集では漢字は既成のゴチック系フォントが使われているが、全部自作のフォントになったら「読むことを拒否する本」ができるかも。

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August 21, 2004

戦争の「思想」

先日のサッカー、アジアカップで、中国人サポーターによる日本チームへのブーイングが話題になった。特に重慶会場がひどく、その背景には日中戦争での日本軍による重慶爆撃があると言われた。ほかにいくつもの要因があるにしても、そのような歴史があり、若い重慶サポーターの意識のなかに、親や祖父母から受け継いだ爆撃の記憶があったかもしれないことは押さえておくほうがいい。

その重慶爆撃についてきちんと調べた唯一の日本語の本が、前田哲男『戦略爆撃の思想 ゲルニカ-重慶-広島への軌跡』(朝日新聞社)。この本はいま書店では入手不可能なので、要点だけ紹介してみよう。

前田がいう「戦略爆撃」とは、航空機による都市への無差別大量爆撃を指す。第一次世界大戦で軍隊に組み入れられた航空機は、すぐにその軍事的価値を認められた。けれども航空機が陸海軍の補助的役割から脱して、陸海軍が展開できない場所への「戦略爆撃」の具として、「空軍」として独立するためにはいくつかの飛躍が必要だった。

ひとつは当然のことながら技術的な問題で、大量の爆弾を抱えて長距離を飛べる航空機の開発。もうひとつが「思想」の問題だった。

戦闘員は殺してもいいが非戦闘員を殺してはならないという戦争の「思想」から、「交戦員と非交戦員の概念は時代遅れである。今日戦争をするのは軍隊ではなく、全国民である。すべての民間人が交戦者なのだ」(伊・ドゥーエ少将)という「思想」への転換。

この「思想」が初めて実戦のかたちで表れたのがナチスによるゲルニカ空爆だった。ゲルニカ空爆は1日限りの小規模なものだったが(重慶に比べればの話。この空爆で市民1600人が死に、ピカソの「ゲルニカ」が生まれた)、戦略爆撃の手法を開発し、つくりあげたのが、3年間200回に及ぶ日本軍による蒋介石政権の首都・重慶への爆撃だった。

作戦の意図は、「政治、経済、産業等の中枢機関を破壊し、又は直接その住民を空襲し敵国民に多大の恐怖を与えて、その戦争意志を挫折する」(陸軍航空本部)というもの。政治経済体制の破壊とともに、国民の「戦闘意欲」を萎えさせるのが最大の目的とされた。

1939年から3年に及ぶ爆撃の被害は次のようなものだった。
 空襲回数  218回
 来襲機数 9,513機
 投弾   21,593発(爆弾より焼夷弾が多い)
 焼失家屋 17,608棟
 死者   11,889人
 負傷者  14,100人

この「戦略爆撃の思想」をすぐさま英米軍も採用し、英軍のベルリン爆撃、ドイツのロンドン爆撃から、英米軍のハンブルク、ドレスデン爆撃へと次々に規模を拡大し、さらには東京から広島、長崎へと続くことは言うまでもない。日本にとって東京大空襲や広島・長崎の原爆は、自らが開発した「戦略爆撃」の手法が、より大規模になって自らに返ってくるという歴史の皮肉でもあった。

 この本は日米中の資料を徹底的に調査し、重慶で被害者数十人にインタビューした労作だけれど、印象に残るエピソードがいくつも記されている。

ひとつは重慶への「戦略爆撃」を推進したのが海軍の、とりわけ井上成美(支那方面艦隊司令長官)だったこと。井上は対米戦争に反対した海軍のハト派として評価が高いが、重慶市民から見れば「地獄の使者」にほかならなかった。

また、英米軍が「戦略爆撃」という名の無差別殺戮作戦を採用するに当たって、どちらかというと英国(チャーチル)のほうが積極的で、アメリカは「軍事目標への高高度精密爆撃」を主張して消極的だったというのも(そのような爆撃機を開発していたという技術的理由もあるにせよ)、朝鮮戦争からベトナムへと至るその後の歴史を考えれば意外な気がする。

もっとも、アメリカは日本本土への爆撃に際しては、そのような議論なしに無差別爆撃に踏みきるという、アングロサクソンに対した時と東洋人に対した時の「ダブルスタンダード」を示し、一方、日本も重慶の米英権益に対しては国際法を遵守して爆撃対象からはずすと言いつつ(実際には不可能だが)、中国に対しては無差別爆撃を行うという、こちらもアングロサクソンと東洋人に対する「ダブルスタンダード」を示している。

この本の中国側の主役は蒋介石だけれど、もう一人の主役が周恩来。重慶での「表」の顔は蒋介石指揮下の八路軍首都駐在代表で、「裏」の顔は共産党南方局書記。蒋の共産党弾圧に耐えつつ、発行する新聞が検閲されると、その空白に即興で詩を書いて抵抗する姿など、そのふるまいは鮮烈な印象を残す。

現在にいたるまで、重慶爆撃は歴史のなかにきちんと位置づけられていない。「重慶後」の進展があまりにも速く大きかったこともあるが、負けた日本は沈黙し、新中国にとっては蒋政権下の出来事として重視されず、重慶で爆撃を体験したアメリカの外交官たちはマッカーシズムのもと沈黙を余儀なくされた。

この労作がいま、図書館で読むか古書店で探すかしかないのは、自分も業界の片隅にいるひとりとして、歯がゆい思いだ。

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August 07, 2004

『コヨーテ』と新井敏記

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新しく創刊された隔月刊誌『コヨーテ』を買った(スイッチ・パブリッシング)。編集長は『SWITCH』の名編集者として知られた新井敏記。

僕は『SWITCH』の割といい読者だったと思う。創刊間もない頃から愛読していて、「スポーツ・ライター特集」「サム・シェパード特集」なんか強く印象に残っている。

本を読んで、その著者が好きだなあ、会ってみたいなあ、と思う。そういう読者の気持ちのままに、つてもなく未知のジョージ・プリンプトン(確かそうだった)やサム・シェパードに連絡を取り、会いに行き、その熱意で彼らの協力を得て、1冊まるごとの大特集をつくってしまう。

その姿勢にアマチュアリズムというか、雑誌の初原のかたちが感じられて新鮮だった。「ジョン・カサベテス特集」なんか、今も大事に保存している(僕は自分がかかわった雑誌も捨ててしまうけど)。

その後、沢木耕太郎、池澤夏樹、星野道夫、藤原新也、荒木経惟、坂本龍一らが登場するようになり、文学と写真と音楽の接点での特集がふえた。彼らビックネームが寄稿するようになったのも、1冊の雑誌を生み、見事に育てた編集者としての新井敏記への信頼があったからこそだろう。

雑誌がぐっと若くなったと感じたのは数年前からだろうか。メジャー、マイナーを問わず、ミュージシャンが登場することが多くなった。雑誌が大きくなって部数が伸びたこと、若いスタッフがふえたことが理由なのだろうな、と想像していた。編集長の個性で売ってきた雑誌だけれど、吉田美和やミスチルが新井の好みとも思えなかった。

やがて、新井敏記が編集長を降りるという告知が誌面に載った。雑誌は編集長のものだけれども、同時につくり手を離れて独自の生命を持ってしまうものでもある。新井はおそらく最近の『SWITCH』に、自分との折り合いの悪さを感じていたのではないか。

だから『コヨーテ』は、新井がもう一度、初めからやってみたいと思って創刊した雑誌だな、と感じた。表紙に「magazine for new travelers」とあるように、テーマは「旅」。コヨーテというタイトルが、その精神を表している。

雑誌は創刊間もないころの『SWITCH』に似て、1冊まるごとの大特集というつくりになっている。巻頭に谷川俊太郎の詩、沢木耕太郎と藤原新也のコラム、荒木経惟の連載。特集以外のページはこれだけ。つくりはシンプルだが、筆者は豪華メンバーだ(創刊号に新しい書き手がいないのは寂しいが)。

特集は森山大道。いままで 『SWITCH』が森山を取り上げないのを不思議に思っていたけれど、新井はこの創刊号のために、企画をずっと暖めていたのかもしれない。

メインは大竹昭子が森山に密着したロング・ドキュメント。パリ、松江、池袋と3部構成になっていて、1年以上かけて準備され、取材されたものであることが分かる。森山の過去と現在をていねいに交錯させたドキュメントで、おそらく90年代以降の森山しか知らない若い読者は、彼の年期の入った「放浪」に圧倒されるだろう。パリで森山がウィリアム・クラインに再会する場面が感動的だ。

もちろん森山自身が撮影したパリと宇和島(大竹伸朗とのコラボレーション)、東京(阿部和重とのコラボレーション)があり、写真とはまた別の魅力をもつ文章も寄せている。

ほかにホンマタカシによるインタビュー、森山の愛読書紹介、パリでの展覧会の反響などあって、盛りだくさん。60年代から現在まで一貫して路上を撮りつづけ、しかも時代時代の空気に敏感に感応してしぶとく生きてきた森山大道の現在を、たっぷり楽しめる。なかで森山の写真を大竹伸朗が「貼り付け」た「宇和島」が、意表をつく組み合わせで楽しめた。

さすがに創刊号だけあって、力の入ったつくり。雑誌としての新鮮さや刺激はないけれど、上質の誌面づくりが快い。次号の特集は星野道夫。『SWITCH』で繰り返し特集し、やりつくした感もある星野道夫をどう料理するか。そこに『コヨーテ』の今後がかかっているように思う。期待しよう。

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July 28, 2004

堀江敏幸の兆し

なにごとも起こらないおだやかな日常のなかに、ほんのわずかな亀裂が走る。その一瞬のかすかな兆しに目をこらすことで、堀江敏幸の作品は成り立っている。

パリで、あるいは東京で、見慣れた風景やモノ、人々や、言葉や、音たちのなかに、その兆しはひそんでいる。堀江敏幸がそれらの兆候に耳を澄まし、その割れ目の先に潜んでいるらしい異界のぼんやりした輪郭を私たちに伝えようとしているのが、彼の文章なのだと思う。

最新のエッセー集『一階でも二階でもない夜 回送電車Ⅱ』(中央公論新社)でも、その姿勢は変わらない。

例えば、「すいようえき」という5ページほどのエッセー。

「すいようえき、という言葉が隣の席から聞こえてきたので思わず耳をそばだてた」という書き出しで、その一編ははじまる。病院の向かいの喫茶店での会話。堀江は瞬間的にそれを「水溶液」と解するのだけれど、やがて混乱してくる。「水溶液」では話の意味が通じないのだ。

家へ帰って調べると、「すいようえき」は「水様液」だった。眼球の、光彩と水晶体の間を満たしている液。そこから堀江は、「眼とは 溢れ出る泉」というフランスの詩人の詩を思い出し、「もうひとつの世界」へと私たちを誘ってゆく。

「眼には水が溢れている。それは果てしなく遠く、果てしなく低いどこか未知の、自分のなかのもうひとつの世界から湧きあがってくる。…眼球の内側に閉ざされた『すいようえき』はそんなまぼろしの徴であり、消息なのだ」

さらに、「すいようえき」が「水曜駅」であるかもしれないという連想に飛んで、こんな一文でエッセーは唐突に終わる。「水曜駅はもうひとつの世界と私とをむすぶ窓口である」。

なんの説明もなしに、いきなり放り出される言葉の魔力にひたるのも、堀江の文章の魅力のひとつだ。この本いえば、「ないものの存在」とか「自由の拘束」といった言葉がそう。そしてそれらの言葉が、堀江の文脈をたどっていれば説明抜きに自然と納得できてしまうのも不思議だ。

ほかに「なつやかた」「跨線橋のある駅舎」「鉛筆の木」など、粒ぞろいの一冊。堀江敏幸は芥川賞を取ってしまったので、世間では小説家と思われているかもしれないが、僕には、いま、この国でいちばん上質な散文を書く書き手に思える。彼自身も参加している装幀も素晴らしい。

それにしても、彼の『いつか王子駅で』という作品が、ビル・エヴァンスの名演「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム(いつか王子様が)」を聴きながら咄嗟につけられたタイトルだとは思わなかった。

<後記>以前、サイト「ブック・ナビ」に、『雪沼とその周辺』『魔法の石板』の書評を書きました。興味のある方はそちらもどうぞ。


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July 08, 2004

『決定的瞬間』の呪縛

大学病院へ何回か通うことになった。朝一番に出かけて、診てもらえたのは夕方、それも5分なんて話を聞くから、覚悟して、前から気になっていた今橋映子『<パリ写真>の世紀』(白水社)を持ってでかけた。本文、注など合わせて600ページを超す大著。

1回目は診察まで4時間待ち。2回目は5時間待ち。順番が気になったり、隣の病気自慢に思わず耳をそばだててしまったりするけれど、他にすることもないから、読書空間として悪くはない。行き帰りの電車も含めて、3分の2ほどを読んでしまった。

アジェにはじまり、ケルテス、ブラッサイ、ドアノー、エルスケン、カルティエ=ブレッソンなどの<パリ写真>の系譜を、仲間であり、写真集の共作者でもあったジャック・プレヴェールら文学者とのかかわりで読み解いた意欲的な本。

本筋について触れる余裕も力もないが、カルティエ=ブレッソンの有名な写真集『決定的瞬間』のタイトルをめぐる考察が面白かった。

『決定的瞬間(The Decisive Moment)』という言葉は、もともとフランス語原版ではなく、英語版のタイトルだった。フランス語のタイトル“Images a la Sauvette”は英語版タイトルとはニュアンスが違うという指摘はこれまでにもあったけれど、著者は新たな解釈を示して、これは『不意に勝ち取られたイマージュ』という意味だという。

『決定的瞬間』というタイトルは、(詳しい説明は省くが)フランス語原題のラディカリズムや曖昧さを覆い隠し、「空前絶後のシャッター・チャンス」という分かりやすい一方向へと読者を誘導してしまう。そしてそれは英語版の監修者が意図的にやったものだった。

確かに、「決定的瞬間」という言葉があまりにも有名になってしまった結果、僕たちはカルティエ=ブレッソンの写真を、作品そのものを見る以前にその言葉にしばられ、「決定的瞬間」という方法の成果として見てしまう。いまの感覚からすれば、ちょっとできすぎじゃないの、などと思ったりする。

もう一度、カルティエ=ブレッソンの写真を、「決定的瞬間」という言葉から離れて見直してみよう。

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July 05, 2004

懐かしい誤植

松山巌『建築は ほほえむ』(西田書店)を読んでいて、珍しい誤植をみつけた。20世紀を代表する建築家、ル・コルビュジエの言葉を引用して、「『住宅は住むための機械』だと語った」という部分の「語」の字が、90度横倒しになっていたんですね。僕は懐かしくて、ついにっこりしてしまった。

かつて、ほとんどの文字が活版で印刷されていた時代には、ある文字が横倒しになったり引っくり返ったりするのは、植字工が1文字1文字、活字を拾って組み込む作業のなかで生まれる、ごくありふれた誤植だった。

その後、活版は姿を消し、電算写植やDTPの時代になったが、いまのシステムでは、ある文字を90度横倒しにするのは、意図的にそうする以外にはまずありえない。だから、文字が横倒しになったり、逆さまになったりする誤植はほとんどなくなった。その代わり、知らないうちに別の文字や記号に化けている別種の誤植は増えたが。

ということは、この本はどうやら活版で組まれているらしい、のですね。大手の印刷会社はもとより、美しい活版活字で有名な印刷会社も何年か前に電算写植に転換したという話を聞いているから、どこかの町工場のような印刷所にわずかに残っている活版で印刷したのかもしれない。

そう思ってみればこの本は、本文の書体ばかりでなく、装幀、造本、紙など細部にわたって、色んな工夫が凝らされている。そのあたり、内容ともども、いずれbook-naviのサイト(LINKS参照)で書評してみようかな。

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July 02, 2004

アダルト・ピアノ、えっ?

『アダルト・ピアノ』(PHP新書)を読んだ。思わせぶりなタイトルだけど、サブタイトルは「おじさん、ジャズにいどむ」。『霊柩車の誕生』ほかユニークな風俗史研究で知られる井上章一が、40歳にしてジャズ・ピアノに挑んだ体験記。

著者はピアノに挑んだ動機が不純であることを隠さない。どころか、女性にもてたい! ホステスさんのアイドルになりたい! 鍵盤からフェロモンを発散させたい! と、最初から最後まで叫んでる。その正直さ(?)が、いかにもこの人らしい。

実は僕も、ほんの少しだけジャズ・ピアノを弾く。著者よりもっと上の歳になって初めて鍵盤を触ったのだから、その腕は推して知るべし。だから、何か参考になるかと思って買ってしまったのだ。その点では期待はずれだったが、なるほどと思ったのは、実践体験の積み重ね方。

北新地のナイトクラブで頼みこんで弾く。知り合いのパーティーでBGM代わりに弾く。教え子の結婚式で、教師の特権を行使して半ば押しつけで弾く。そんなふうに経験を積んできたらしい。

失敗もしたらしいけど、この強引さが必要なんだな。僕も、たまに他人の前で弾くけれど、いまだに指がふるえることがある。

仕事をリタイアした暁に、いつか酒場の片隅で目立たぬようジャズを弾いている、というのが僕の子供じみた夢だけど(カッコつけた言い方で、その心は井上章一と同じ)、このままではそれもおぼつかない。著者を見習わねば。

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