July 03, 2007

ESCOLTAの初ライブ

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友人夫婦の息子、吉武大地君がメンバーに加わっているグループ「ESCOLTA」の初ライブに行く(7月2日、六本木・スイートベイジル)。

ESCOLTA(エスコルタ。英語のエスコート)は、クラシック、ミュージカル、R&Bなど異ジャンルの男性ボーカリスト4人で結成されたグループ。谷川俊太郎、阿木曜子、石田衣良といったこれまた異ジャンルの人たちが作詞し、五木田岳彦が作曲したオリジナル曲を中心にレパートリーを組んでいる。

大地君は画家と声楽家夫婦の息子だけど、高校までは絵画にも音楽にも興味を示さずテニスに熱中していた。ところが3大テノールの舞台を見たことから声楽を志し、音楽大学を出てイタリアに留学し、あっという間にオペラ歌手としてデビューした。僕は彼を4、5歳のころから知っているから、初めてのオペラで準主役をもらった「魔笛」の舞台を見たときは自分の子供のこと以上に嬉しくて涙が出た。

「ESCOLTA」はポップスとクラシックの要素、ソロをつないでいく部分とアンサンブルがうまく絡み合って独特のフィーリングを出している。ひとりだけバリトンの大地君はグループのアンサンブルを底のところで支えていた。イケメン4人組とあって、早くも若い女性ファンが詰めかけてる。


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February 08, 2006

セルタブの「エスニックR&B」

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アラブ・ポップスを聴いているのは前にも書いたことがある。(05年1月15日)。今度買ったのはアラブではないけど、同じイスラム圏トルコの歌手、セルタブの「No Boundaries」(SONY)。

タイトルが英語であることや、制作会社がソニーであることから分かるように、トルコ国内ではなく国際マーケット向けのアルバム。一昨年発売され、韓国映画『箪笥』のイメージ・ソングとしてCMにも使われたらしいけど、知らなかった。

セルタブ自身がこのアルバムの音を「エスニックR&B」と言ってるように、西洋音楽とトルコ民族音楽のチャンポン。曲によって、欧米のポップスふうなメロディーに民族楽器(サズ、ウード、ドラム等)の音とビートを乗せたものもあれば、民謡に近いメロディをやはり民族楽器でダンサブルなR&Bに仕立てたのもある。メローなバラードもある。

彼女自身の歌い方も、ポップスふうあり、こぶしをきかせたものあり、部分的にクラシックの発声をしてるのもある。時には堂々と歌いあげ、時にはひどく色っぽくと、トルコのディーヴァと言われるだけのことはある。

歌詞はすべて英語。曲づくりには、ブリトニー・スピアーズに曲を提供しているピーター・クヴィントはじめ、フランス、インドネシアなどいくつもの国のミュージシャンがかかわっている。だからトルコ・ポップスといっても、トルコ人以外にも聴きやすい味付けがされているんだろう。

もっとも、欧米人(日本人も)が「トルコ的」と感ずるエキゾチシズムを意図的に狙った「逆オリエンタリズム」の気配もあるかもしれない。そのあたりは、他にトルコ・ポップスを聴いてないのでよく分からない。

ま、そんな難しいことは考えなくても、歯切れ良く浮き浮きしてくるようなリズムは休日の朝、食事の支度をしたり、部屋の片づけをしたりしながら聴くのに最適。カミさんの家事専用BGMと化しているナワール・エル・ズグビー(レバノン・ポップス)とともに、最近の「元気モード」用の音楽はこれ。


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December 12, 2005

クルドのハルクを聴く

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クルド映画「亀も空を飛ぶ」を見て、冒頭とラストシーンに流れる哀切な歌が心に残った。過去に何本か見たクルド映画でも、民族楽器を使った音楽が流れていた。

アイヌールはトルコのクルド人歌手。「クルドの娘」(輸入元・Sambinha)はクルドのハルク(民謡ベースの音楽)を歌ったアルバムだ。

古典的な民謡に、曲によっては現代的なアレンジをほどこしているのだと思う。サズ(ギターのような弦楽器)、ネイ(葦笛)、ズルナ(オーボエの原型の笛)、ダウル(大太鼓)などイスラム圏の楽器に加え、シンセサイザーや打ち込みも使われている。

アイヌールの歌は透明感のある、優しさよりは強さを感じさせる声。こちらが彼女の歌にクルドの歴史を重ねてしまうからだろうか、「クルドの娘」「私はあなたが恋しい」「お墓へ」「母」など、悲しみや喜びが詰まった歌の数々。「亀も空を飛ぶ」を思い出させる絶唱も、陽気なリズムをもった歌もある。アラブ・ポップスなどと共通するメロディやリズムも聞こえる。エンヤみたいな気配の曲もある。

ふだん聴くにはちょっと重いけど、たまに聴きたくなりそうな歌。

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September 05, 2005

本牧でCKBを聴く

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「クレイジー・ケン・バンド・ショー ソウル・パンチ2005」に行ってきました(9月3日、横浜・本牧市民公園)。

会場でリストバンドと一緒に渡された「お楽しみ上の御注意」には、こんなことが書いてありましたね。「喧嘩は禁止。どうしても喧嘩をする場合には表に出て」「他のお客さんにガンを飛ばしてはいけません」「会場内での性行為は禁止」「CKBのSEXYなステージングに興奮しても全裸は禁止」だって。CKBは横浜市の「G30(ゴミ・ゼロ)」のテーマソングも歌ってるから、もちろん「G30にご協力を」、とも。

開場は午後3時。暑いから、どうしてもビールが必要になる。前座が始まったのが5時。たっぷり待たせて横山剣がナナハンに乗って登場したのが、6時すぎ。そこから2時間半、CKBサウンドの嵐また嵐。

なにせ会場が本牧だから、本牧の歌が目立つ。

♪本牧沖の上空 点滅する赤いランプ 棕櫚の葉影 横切るNight Flight あっちこっちに散らばった 夜光虫の夢の跡 爛れてる(「Midnight Cruiser」)

♪日曜日の夜は空っぽの街角 愛の行方はうつろ ふたりの間を繋ぎ止めるものは 悲しいけれど愛じゃない(本牧でつくった「空っぽの街角」)

横山剣が歌ってる最中に、暗くなった上空を、羽田を飛び立った航空機がほんとに赤いランプを点滅させながら行きすぎる。昔、米軍の住宅があったころの本牧はアメリカの空気が充満してた町だったらしいけど、今ではその面影もなく、夜は人気もなくて「空っぽの街角」。

現場で聴くと、「ヨコハマ・ヨコスカ・サウンド」CKBの歌のリアルが実感されます。横山剣ばかりじゃなく、ほかのメンバーもギターの小野瀬雅生、ベースの洞口信也、サックスの中西圭一と実力派ぞろいで素晴らしいグルーブ感。紅一点、菅原愛子ちゃんもリズム感のあるいい声です。

むろん喧嘩も性交も全裸もなしで、おやじに立ちっぱなしはきつかったけど、たっぷり楽しませたくれた3時間半。G30も、みんなマナーを守ってたみたい。「満漢全席」のライブでした。

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July 25, 2005

ハパ(HAPA)のライブにまったり

先日のブログ(22日)で、行きたいなと書いたハパ(HAPA)のライブ、なんとか都合つけて行ってきました(7月24日・三鷹市市民公会堂)。

メンバーが変わった(って、なんせ2人組の相方です)ので心配したんですが、短いチャントに続いて「ハレアカラ(Haleakala)」を2人が歌い始めた瞬間に、うん、やっぱりハパの音だ、と安心。

新メンバー、ハワイイ人のネイザン・アウェアウ(ギター&ヴォーカル)はソロ歌手としてアルバムを出し、賞も受けてるだけに、高音の美しさ、低音の艶やかさ、そしてギターのうまさ、以前のケリイ・カネアリイと甲乙つけがたい感じです。高音はハワイアン・ミュージックのキーですが、それぞれに素晴らしく、僕の印象ではケリイの声は甘く、ネイザンの声は優しい。

新メンバーの最新アルバムからの曲と旧メンバーのヒット曲、トラディショナルとカバー曲、たっぷり聴かせてくれました。

ネイザンの曲「マヒナヒナ(Mahinahina)」は英語の歌詞でメッセージ色の強いハワイアン・バラード(?)。2人に加えて、チャールズ・カウプの野太いハワイイ語のチャントが印象的でした。ネイザンはスラック・ベースも披露しましたが、ロック・ミュージシャンとしてもかなりの腕で、これからのハパは、そんな色が強くなるのかも。

カバー曲はボブ・マーリイの「救いの歌(Redemption Song)」とU2の「プライド(Pride)」。それにアンコールで「ここに幸あり」。戦後の歌謡曲が見事にハワイアン・ミュージックに変身してた。

それにしても初めて見たバリー・フラナガンのスラック・ギターは、CDで聴いていた以上の凄さでした。「超絶技巧」などと評されてますが、変幻自在の音を紡ぎだしてきます。

フラのダンサー2人も一緒に来ていて、素晴らしい踊りを披露してくれました。年上のほうのダンサー、マリア・アン・カワイラナマリー・ピーターセンの、腕と手と腰がいっときも休むことなくハワイイの海のように優しく波打つのに呆然と見とれてた。

日曜の夜、ゆったりと流れる「ハワイの時間」にとっぷり浸った幸せな2時間でした。

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July 22, 2005

ケアリイ・レイシェルとハパ

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梅雨が明けると、朝聴く音楽も気分を変えたくなる。以前はボブ・マーリィのライブを大音量でかけると夏が来たなって感じになったけど、この歳になると悲しいかなボブ・マーリィに対抗するだけのエネルギーがこちらにない。ここ数年は、これも定番だけどハワイアンを聴くようになった。

ハワイアン・ミュージック、なかでも1990年代から大きなムーブメントになったハワイアン・コンテンポラリーを初めて聴いたのは、ケアリイ・レイシェル(Keali'i Reichel)が歌うトラディショナルの名曲「アカカ・フォールズ('Akaka Falls)」だった。スラック・ギターの弛んだ柔らかい音がゆったりしたリズムで入り、ケアリーの高く澄んだ声が美しいメロディーを歌い始めると、ハワイの心地よい風の記憶が五感を刺激して、蒸し暑い東京にいてもハワイ島(僕の場合)のホテルにいるような気分になる。

今年は『ケアラオカマイレ(Ke'alaokamaile)』(左)を聴いている。去年、久しぶりに出た新譜で、買おうかどうか迷っているうちに夏が終わってしまい、今年の6月に買って梅雨が明けるまで封を切らずにおいた。「ケアラオカマイレ」とは「マイレ(祖母の名)の薫りよ永遠に」といった意味らしく、祖母に捧げられている。

アルバムは潮騒の音とともに始まる。穏やかな声のケアリイの語り(英語)と祖母の家系を讃えるチャント(ハワイイ語。池澤夏樹に習ってHawaiiを発音通りに記す)。ケアリイが10代のころハワイイ文化に興味を持って言葉を習い、おばあちゃんに話しかけたら、それまで英語しか知らないと思っていたおばあちゃんがハワイイ語で答えたときの驚きが、ライナーノーツに紹介されている。

チャントが終わると自作の「カ・ノホナ・ピリ・カイ(Ka Nohona Pili Kai)」で、いつものケアリイの快い音楽がはじまる。続いてスティングの「フィールズ・オブ・ゴールド」のカバー(英語)。美しいラブソング。恋を語る「黄金色の小麦畑」が、ケアリイが歌うとハワイイの海の光る波のように感じられて素敵だ。5曲目の「ププ・アオ・エワ(Pupu A'o'ewa)」はトラディショナル(日本でもよく知られた曲)で、おばあちゃんに言われて人前で歌った曲だという。

そんなふうにコンテンポラリーとトラディショナルとカバー曲が入り交じっている。ケアリイの祖母と自らの青春をめぐるアルバムといった感じ。ゆったりと明るく心地よい音楽でありながら精神性を感じさせる。

ケアリイ・レイシェルとともに好きなのがハパ(HAPA)。ハワイイ人のケリイ・カネアリイと白人のバリー・フラナガンのデュオで、僕が持っているのはハワイイ編集のベスト盤『COLLECTION HAPA』。

バリーの見事なスラック・ギターと、ケリイの柔らかく甘い歌声の組み合わせがとてもいい。1曲目の「Lei Pikake」を聴くと、身も心も瞬時にハワイイに飛んでしまう。東京の時間ではなく、ハワイの時間に入り込んでしまう。これはバリーの曲。彼はアメリカ本土出身で、ハワイイ音楽に傾倒してハワイイに来た。白人なのにハワイアン・ミュージックの素晴らしい曲と詩をつくる。

今年もケアリイ・レイシェルとハパで、何とか熱い夏をやりすごそう。

と、ここまで書いてネットで調べたら、ケリイとバリーのハパは解散し、バリーと別のハワイイ人歌手が新しいハパを結成したらしい。なんと、いま来日していて、7月24日に三鷹市公会堂でコンサートがある。うーん、予定が入ってるんだけどな、行きたい。


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July 13, 2005

マレーシア・ポップスの2人

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コタ・キナバル最大のショッピング・センター「センター・ポイント」のミュージック・ショップで店員の若い女性に、「いま、いちばん人気ある歌手は?」と聞いたら、シティ・ヌールハリザ(Siti Nurhaliza)のCDを出してきてくれた。するともう一人が、違う、こっちよ、という感じで微笑みながらミーシャ・オマール(Misha Omar)のCDを指さした。

シティ・ヌールハリザの名前は知ってる。HMVやヴァージン・メガストアのアジア・ポップスのコーナーに行くと、「マレーシアの歌姫」というキャッチでシティのCDが必ず置いてある。いつか聴いてみようと思いながら、そのままになっていた。

彼女らがリコメンドしてくれた2枚、シティの「プラサスティ・スニ(Prasasti Seni)」(右)とミーシャの「アクサラ(Aksara)」を買った。ミーシャを買ったのは、ジャケットの彼女にくらくらきた気味もあることは否定できない。シティも清純派の美人で、アラブ・ポップスの歌手は超と言っていいくらいの美女揃いだけど、マレーシア・ポップスの歌手もそれに引けをとらない。

音を聴いての第一印象は、うーん、マレーシア・ポップスは奥が深いなあ、という感じ。日本のポップスはアジア・ポップスのなかでも欧米ポップスの影響が強い音楽だと思うけど、マレーシア・ポップスはそれとは明らかに別の音楽。

でもアジア・ポップス共通の要素はたくさんあって、「日本の歌謡曲みたい」(わがカミサンの感想)だったり、「広東語ポップスみたい」(香港に暮らしたことのある娘の感想)だったり、「いや、アラブ・ポップスの匂いもするぞ」(これはアラブ・ポップスにはまっている僕の感想)だったり、いろんな要素が微妙に入り交じっているように感ずる。そしてそれらを孕みつつ、ほかでもないマレーシア独自のポップスになっている。哀愁あるメロディー。スローな曲と、独特のリズムを持つダンサブルな曲と。

シティ・ヌールハリザのCDは何枚も輸入されているし、ファンも多い。サイト「MELAYU BEAT」などによると、シティはもともとアイドル歌手としてデビューしたが、マレーシア伝統歌謡のアルバム「チンダイ」を出して爆発的にヒットし、以後、ポップスと伝統歌謡と両方のアルバムを出している。

僕の買った「プラサスティ・スニ」(2004)はポップス・アルバムに分類されるているようだが、日本で言えばポップスというより歌謡曲に近い印象を受けた。1950年代の日本の歌謡曲のような懐かしさを感じさせる歌があるかと思えば、70年代フォークふうあり、かと思うとダンサブルな曲があるといった、おもちゃ箱をひっくり返したようなCD。

なかでも7曲目「Lagu rindu」で、アジア人好み(?)のマイナーなメロディーにコブシを利かせ、日本の「リズム歌謡」をもっとダンサブルにしたような曲から、一転して8曲目「Sakti」で竹笛とともにゆったりと東洋的なバラードを歌い上げるあたりに惹かれた。「Kemhalikan Indah」も、中島みゆきが歌ったらおじさんは泣いてしまいそう。

ミーシャ・オマールは、シティと同じように高く澄んだ声に特徴のある歌手だけど、アイドルらしく素直な声のシティよりドスがきいてて、喉を絞ってしゃがれ声を出してみたり、頻繁にコブシを回してみせる。それでいて、シティのCDが全体として歌謡曲といいたくなるのに対して、ミーシャの「アクサラ」(2005)はポップスのつくり。(日本の)ニューミュージックふうな曲と、体が自然に動き出すダンサブルな曲が組み合わされている。

「Riwayat Cinta」は、印象的なマイナーのフレーズが繰り返されるしっとりしたバラード。いい曲です。「Tak Ingin Lagi」はラップが入ったヒップホップ。声が艶っぽい。アラブ・ポップスの匂いを感ずるのは僕だけだろうか。「Hati Keliru」もダンサブルな心地よい曲(ダンドゥット?)で、意味は分からないけど「チャリチャリ」とオノマトペみたいな言葉が繰り返される。「Pulangkan」は男性歌手とのデュエットで、昔聴いた高橋真梨子と来生たかおの歌を思い出した。

伝統的なマレーシア歌謡は、多民族国家にふさわしく色んな民族の伝統的なメロディーとリズムが入り組んでいるようだ。もともとマレー半島に住んでいたマレー系民族だけでなく、華僑が多いから中国的な要素もあるし、インドネシアと共通するダンドゥット(ダンサブルな音楽。インドネシア・ポップスのCDを何枚か持っていて、一時期よく聴いた)もある。マレーシアはイスラム国家で、宗教儀式に音楽はつきものだから、かつてイスラム商人がアラブ音楽も持ってきたにちがいなく、僕がアラブ・ポップスの香りを感じたのもあながち間違いではない気もする。

そんな土壌の上に成り立ったマレーシア・ポップスは、日本の歌謡曲やポップスにくらべると、ずっとバラエティーに富んでいる。

シティとミーシャの、どっちをよく聴くことになるか。時間がたってみないと分からないけど、今のところミーシャを聴くことが多い。

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June 30, 2005

山口百恵の「夜へ…」

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山口百恵の「夜へ…」という歌が、ずっと気になっていた。

昔、相米慎二が日活ロマンポルノのためにつくった『ラブホテル』(好きな映画です)のなかで、とても効果的に使われていた。石井隆(脚本)の「名美」シリーズの一本で、名美(速見典子)が男から逃げて(だったか?)乗るタクシーのなかで流れていた。「♪夜へ…夜へ…」というリフレインが耳に残っている。

この曲が入った「A Face in a Vision」をレコード店で見かけて、ふっと買ってしまった。シングル・カットされた曲としては「美・サイレント」が入っている。

作詞・阿木耀子、作曲・宇崎竜童、編曲・萩田光雄の黄金トリオ。「♪修羅 修羅 阿修羅」「♪落花 落花 快楽」と、全編に阿木耀子らしい言葉が重ねられている。ジャズふうなピアノとウッドベースに伴われて、百恵の声が深い夜の底へと降りてゆく。いま聴いても、やっぱり魅力的。

僕にとっての山口百恵のベスト1は「イミテイション・ゴールド」(ドーナツ盤を持っているのが、ささやかな自慢)だけど、「夜へ…」もベスト5を選べば入ってきそうだ。

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May 26, 2005

カエターノ・ヴェローゾの「さすらう心」

憂いに満ちたチェロのイントロのなかに、カエターノ・ヴェローゾの低くつぶやくような歌が入ってくる。初期のヒット曲「コラソン・ヴァカボンド(さすらう心)」。数ある彼の歌のなかで、僕はこの曲がいちばん好き。

 子どものようなぼくの心
 それは、微笑んだ女の
 まぼろしのような記憶だけじゃない
 夢から滑り落ちて さよならも云わないまま
 ぼくの目に とめどなく涙を流させた
 
 ぼくのさすらう心
 世界を手にしたいんだ ぼくのなかに(杉田敦訳)

チェロとカエターノの抑えた対話のようなデュオにつづいて、バンド全員がテンションを上げる(アコースティックとエレキのギター2本、ベース、ドラムス、パーカッション)。CDで聴くこの曲の、クールなボサノバ調とは別の高揚。別の憂愁。

「ククルクク・パロマ」でも同じ興奮を味わった。映画『トーク・トゥー・ハー』ではカエターノがアコースティック・ギターの弾き語りで歌っていたが、震えるようなチェロ(ジャキス・モレレンバウム)をバックにカエターノが小鳥のさえずりのような裏声で歌う。照明が切り替わると、バンド全員が一気に情感を解放させてカタルシスに達する。カエターノの歌も裏声から表に返って「♪ククルクク」の絶唱。拍手がいつまでも鳴りやまない。

カエターノ・ヴェローゾのコンサートに行ってきた(5月24日、東京国際フォーラム)。僕はブラジル音楽の熱心なファンではないけれど、それでもカエターノの歌は折に触れ耳にしてきた。最近ではアルモドバルの映画。「ククルクク・パロマ」が心に残った。去年、ジョアン・ジルベルトのコンサートに、いわばボサノバの神話をこの目で確かめるつもりで出かけたけれど(大満足)、カエターノの場合も、この機会を逃したら生涯、彼を生で聴けないかもしれないという思いから。

カエターノは、「トロピカリスモ」という1960~70年代ブラジル音楽の革新運動の担い手とされる。といっても、そのあたりをきちんと聴いていない僕にはよく分からない。都会的に洗練されたボサノバとは別の、バイーア(カエターノの出身地で民族音楽の宝庫)の伝統に根ざした新しいサンバ、とでも理解しておけばいいのか。そこにつけられる言葉は、日本の常識でいえば歌の詞というより現代詩に近く、ブラジルが独裁政権だった時代にも重なっているから、政治的なプロテスト・ソングでもある。

でも結局のところ、カエターノ・ヴェローゾの歌はカエターノ・ヴェローゾの歌だ、としか言いようがない。ラテンのスタンダードを歌っても、ビートルズやマイケル・ジャクソンを歌っても、ジャズを歌っても、ジャズの歌い手(例えばサラ・ヴォーン)が原曲のメロディを自在に変化させて自分だけの曲にしてしまうように、「カエターノの歌」にしてしまう説得力は圧倒的。それが彼の個性というものか、その声からは、どこか虚無の香りが漂ってくる。

だからチェロとの組み合わせはぴったり。サンバのリズムも、リオのカーニバルやなにかで耳にするものとはひと味違って、陽気なリズムというより、深い情感がたゆたう。チェロのモレレンバウムを中心とするバックバンドは、その微妙なグルーヴ感を叩き出して、聴かせる。

この夜の舞台では、アメリカのポップスから「ダイアナ」と「ラブ・ミー・テンダー」(他にもあったけど、曲名が分からない)。ジャズのスタンダードから、アカペラで「ラブ・フォー・セイル」と「クライ・ミー・ア・リバー」。ボサノバの名曲「カーニバルの朝」。そして彼自身の曲。語るように歌った「ハイチ」。甘く艶っぽい「オ・シウーミ(嫉妬)」。アンコール前の最後は、レゲエ・リズムの「エストランジェイロ」で最高に盛り上がる。

満ち足りた気持ちで会場を出た。

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May 22, 2005

クレイジー・ケン・バンド賛江

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クレイジー・ケン・バンド(CKB)の「タイガー&ドラゴン」は3年前の曲だけど、テレビドラマのテーマソングになったせいだろう、チャート入りしている(オリコン・シングルランキング17位、5月23日)。R&B歌謡というか、明らかに和田アキ子を意識した曲。演歌にR&Bのフレイバーを利かせた典型的な60年代和製ポップスのつくりで、「一歩間違えばとんでもなくダサい曲になる寸前で、ちゃんとカッコ良くまとまっている」(近田春夫)。

 横須賀で、男がかつて恋人か仲間だったらしい人間を呼びだしている。「♪トンネル抜ければ 海が見えるから そのままドン突きの 三笠公園で」、「ダサいスカジャン」着て、そいつを待っている。なにやら秘密の話があるらしい。スカジャンの背には、虎と龍が描かれているのだろう。「♪ドス黒く淀んだ 横須賀の海に 浮かぶ月みたいな 電気くらげよ」というイメージがすごい。

近田春夫は『週刊文春』のコラム(5月26日号)で、「これをずーっと男同士の話だと思っていた」と書いている。でもよく歌詞を読むと、男とも女とも判断がつかない、とも。僕は逆にずーっと男と女の話だと思っていた。「貸した金」もからんで別れたが、男は女に「本当のこと」を話さなければ、自分の気持ちに決着をつけられない。その待っている男の苦い思いが歌のテーマ、と思う。クドカンのドラマは見ていないけど、歌詞と関係あるんだろうか?

CKBを初めて聴いたのはアキ・カウリスマキの『過去のない男』だった。フィンランド映画にいきなり日本語の歌謡曲が流れてきて、ブッとんだ。

彼らの歌は「昭和歌謡」を再生させたと言われるけど、僕らみたいなジジイは、ガキの頃から耳になじんだ歌謡曲や和製ポップス、欧米のポップス、ソウル、ロック、ジャズ、さらにはラップなんかの音がミックスされて、どの歌にもデジャヴを感じる。その懐かしさと、ある種の批評性(時にパロディになるという意味で)が絶妙にブレンドされているのがCKB の面白さだろう。

僕の愛聴するCKBベスト5は--。

「長者町ブルース」
CKBファンなら異論ない名曲。「伊勢佐木町ブルース」のすぐ隣、横浜伊勢佐木町より格段に妖しい歓楽街のご当地ソング。国籍不明のダンサーが身をくねらせる。片言で「タンシヌン・サランヘ」とつぶやく。雑居ビルが「宇宙ステーション」のようにに見える、「♪ダークサイド・ヨコハマ 地獄にいちばん近いヘヴン」。アップビートのサックスと、重い歌詞を軽ーく歌う横山剣の歌いっぷりがたまらない。

「夜のヴィブラート」
同棲していた男が、行きつけの安スナックのママに惚れて家に帰らない。捨てられた女が男を探して雨に濡れ、スナックのドアの前で漏れてくる男のカラオケを聞いているという設定の曲。横山剣が捨てられた女のパートを、バンドの紅一点、菅原愛子がスナック・ママのパートを歌い、男のパートはスモーキー・テツニのラップ(追記・これは誤り。コメント欄参照)という変形デュエット。3人の主観が交互に入れ替わる複雑精妙なリズム歌謡。「♪あなたは気づかないのね あたしの心の渇きなんて」「♪うっせー切っとこダサい着めろ オレぁ行っちゃうよ今夜は」「街が溶けて腐ってゆくわ 崩れてしまえ 消えてしまえ この酸性の雨に溶けてしまえ」。笑えて、泣ける。

「葉山ツイスト」
イントロは007のテーマソング。「ツイスト・パーティー」とか「バイタリス」「ボウリング」「エレキ」と、もろ60年代のアイテムが頻出し、「♪昭和にワープ」と決めゼリフ。ノーテンキに明るい歌だけど、「♪慶応ボーイのインパラなんかにゃ 負けはしないぜ」と、お坊ちゃんの湘南とは一線を画すのがCKB。

「7時77分」
CKBの歌には淋しさを感じさせる曲も多い。これもその1曲。「♪ロンリネス 君のいない サマー・ホリデー」と入って、「♪蝉しぐれ ひこうき雲 街角に人気はなく」と続く。なんだか高校生の頃の自分を思いだしてしまう青春歌謡。

「大電気菩薩峠」
インストルメンタル。CKBは歌だけでなくバンドとしてもすごい。昭和歌謡でもR&Bでもロックでも、時にはジャズでも、ジャンル特有の微妙なノリをぴたっと決める。この曲はトランス系(?)とでもいうのかな、スローなロック。僕は一時、極楽温泉というグループが好きでライブに通ったけど(現在は活動休止)、長く糸を引くギターの音色に聴き入っていると、ぬるい温泉に長時間浸かっているような気持ちよさが共通している。

CKBは横浜-横須賀の湘南ラインから出てきたグループだが、同じ湘南でもサザンとはテイストがずいぶん違う。サザンの歌がアメリカ西海岸ふうな、おしゃれな湘南だとすると、CKBの歌はもっと猥雑でいかがわしく、やばい。

短絡的に言ってしまえば、CKBの湘南があぶり出すのは、西海岸ふうな湘南イメージを突き抜けたアメリカ、つまり在日米軍の存在ではないか。神奈川県は横須賀、横浜、座間、相模原、藤沢、逗子など、沖縄が返還される以前は本土で飛び抜けて米軍基地・施設の集中した地域だった。昭和20年代、基地の周辺には歓楽街が出来、「風俗問題」が起きた。

横須賀の「ドブ板通り」が消えたように、やがて米軍基地の存在が相対的に薄くなり、目に見えない形になるにつれて、おしゃれな湘南イメージが現れてくる。そこに戦前からの中産階級の住宅地という歴史が重ねられて、「太陽族」が出現し、「狂った果実」のような映画がつくられた。

サザンの歌は、そういう湘南イメージの上に立っているように感じられる。おしゃれな「湘南イメージ」は在日米軍(アメリカ)の存在なしには成り立たなかったが、しかし軍隊とそれが醸し出す危うい空気が残っていては成り立たない。それは消され、太平洋をはさんで西海岸やノースショアと直接つながっているイメージに生まれかわらなければならない。

CKBの湘南、横浜-横須賀は、その猥雑な風景を通して、消えてほしいアメリカ、在日米軍の影を呼び出してしまったのではないか。深読みであることは分かっているけど、CKBの歌を聴くたびにそんなふうに思う。


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January 19, 2005

アラブ・ポップスにハマる

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ヨーロッパの街を歩いていると、いきなりアラブ歌謡が家のなかから流れてきて驚かされることがある。去年、パリの移民街、メニルモンタンを歩いているときもそうだったし、何年か前、リスボンの旧市街、アルファマをさ迷っているときも同じ体験をした。それ以来、アラブ歌謡がなんとなく気になってた。

去年の暮れ、不見転で2枚のCDを買った。ナワール・エル・ズグビーの『エイネイク・カダビン』(写真右)とアンガーム『あなたと生きる』(写真左。ともに輸入元はOffice Sambinha)。ナワールはレバノンの、アンガームはエジプトの人気歌手だそうだ。

これが2人ともいいんですね。ノリのいいリズム。オリエンタルなメロディー。アラブ楽器独特の音色。こぶしの利いた艶っぽい歌。陽気で、パワフルで、そのくせ甘い感傷があって、すっかり気に入ってしまった。

2人ともアル・ジールと呼ばれるアラブ・ポップスの歌い手らしい。古いアラブ歌謡に比べて、欧米ポップスの影響がいちだんと濃いんだって。日本でいえば、演歌に対するJポップといったところか。もっとも、無国籍のJポップより演歌っぽさ(アラブっぽさ)はずっと強い。喩えれば坂本冬美がクレイジー・ケン・バンドの歌を歌ってる感じ?(関係ないけど、彼女のレゲエを聴いたことがある。実によかった)

だから楽器もウード(ギターの祖)、ナイ(笛)、ダルブッカ(太鼓)といったアラブ楽器やアラブの旋律を紡ぎだすバイオリン。それに加えて、ベースやドラムス、シンセサイザーも使われる。打ち込みやリミックスもある。ブラスやラテン風味のギターが入ったりもする。

リズムは単調で、ドドン・ド・ドンと日本の太鼓みたいなのもある。ひゅるひゅると笛が入ると、すっかりお祭り気分。親しみやすいメロディーを少しずつ変化させながら、独特のこぶし回しで歌われる。バック・コーラスとのコール&レスポンスがあって盛り上がる。

ナワール・エル・ズグビーは歌といいルックスといい、なんとも濃くて、官能的。聴く者を音の渦に巻きこむオーラを発してる。「アラブ音楽入門」というサイトによると、「ビデオ・クリップは必見。ナワルのお色気パワーには女性でもくらくら」だそうだ(僕は残念ながら見てない)。ジャケットからも、それは想像できる。

アンガームはナワールに比べると透明な歌声。こぶし回しも繊細で、歌の表情は豊か。父親はアラブ古典音楽の声楽家で、彼女自身も古典を歌っていたらしいから、アラブ音楽の伝統をしっかり身につけてるんだろう。その一方、欧米ポップスふうのバラードを歌っても、しっとり聴かせる。

いまのところ、この2枚を繰り返し聴いているけど、ハマッてしまいそう。

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August 03, 2004

セザリア・エヴォラの「哀しみ」

先日、パリから成田への長旅のあいだ、眠れないので機内サービスのアフリカ・ポップスをずっと聴いていた。知らない曲ばかりだったけれど、次々に耳に入ってくるアフリカのリズムが快く、身動きできない身体を音の洪水にゆだねていた。

突然、それまでの強烈なリズムとはまったく異質の、メロディアスで耳慣れた曲が耳に飛び込んできた。セザリア・エヴォラの「Beijo Roubado」だった。ああ、これはやっぱりアフリカではなくファドなんだなと思った。

セザリア・エヴォラをよく聴く。大地に根ざしたような太く、優しい声。ファドに似て哀しみにあふれたメロディー。それでいて、ファドより軽快なリズム。こんなにも心に染みこんでくる歌を、久しぶりに聴いた。

僕はファドが好きだけど、アマリア・ロドリゲス、フェルナンダ・マリア以降、惚れ込むほどの歌い手になかなか出会わない。近頃はファドもワールド・ミュージック化して、若い歌手やグループのCDもずいぶん出ているし、コンサートにも出かけたが、しばらく聴くと彼らのCDはいつの間にかラックに収まったままになっている。

セザリア・エヴォラはかつてポルトガルの植民地だったカヴォ・ヴェルデの出身。若い頃はリスボンで歌っていたらしいから、ファドの影が色濃いのは当然かもしれない。ファドの精神といわれる「サウダージ」(郷愁とでも訳したらいいか)の感情を、本国の若いファドの歌手以上にたっぷり湛えていると僕は思う。

その意味では、ファド代わりにセザリアを聴くのも、あながち見当はずれではないのだろう。「サウダージ」の深さと透明さにおいて、アマリアが新作ファドばかりを歌った『COM QUE VOZ』(永遠の愛聴盤です)に近いといえば誉めすぎだろうか。

カヴォ・ヴェルデはセネガルの沖(といっても500キロ以上離れたところ)にある島。おそらく、大航海時代に喜望峰を目指すポルトガル船によって「発見」されたのだろう。アフリカ系の奴隷を南アメリカに「輸出」する中継地として栄えた。

だから「モルナ」と呼ばれるカヴォ・ヴェルデの音楽は、三大陸の要素が混交したクレオール音楽だった。ポルトガルのメロディー。アフリカ西海岸のリズム。ブラジルのサンバやショーロで使われる小型の4弦ギター、カバキーニョ。商業的な「ワールド・ミュージック」の遙か以前から、過酷な運命に条件づけられたワールド・ミュージックだったわけだ。

そのような音楽が僕たちの耳に届くようになったのも、皮肉なことに近年の「先進」諸国のワールド・ミュージック・ブームのおかげなんだよね。

「Beijo Roubado」(名曲です)の入った『VOZ D'AMOR』(BLUEBIRD、日本盤も出ているはず)は、グラミー賞のワールド・ミュージック部門受賞作。前作『遙かなるサン・ヴィセンテ』(SONY)ではカエターノ・ヴェローゾはじめ、ブラジル、キューバ、スペイン、アメリカのミュージシャンと共演しているし、『VOZ』ではバックにピアノ、エレクトリック・ベース、サックス、ヴァイオリンが入っている。

僕はワールド・ミュージックとして録音された2枚を聴いただけで、それ以前のカヴォ・ヴェルデ音楽としてのセザリアを知らない。でも、おそらく本質的な差はないだろうと思っている。

そもそも本来の「モルナ」が三大陸の要素が混血したクレオール音楽なのだし、「ワールド・ミュージック」としてつくられた最新の2枚も、そのような混淆の上に、サンバやフォルクローレやキューバ音楽の音とリズムをとてもうまく乗せているように思えるからだ。

それをソフィスティケートされたと呼ぶか、非アフリカ化されたと呼ぶかは、聞き手の価値観にもよる。でもファドから入った僕には、価値判断以前に、なにより耳に心地よい。

ただ、あまりにもファドのメロディー的要素が強すぎ、機内で聴いたアフリカン・ポップスが、アメリカ的要素をアフリカのリズムが食い破ったなという印象なのに比べると、音全体としてヨーロッパ-南米的な哀愁に回収されてしまっているような気もする。セザリアの歌が「サウダージ」を体現した素晴らしいものであるだけに、よけいにそういう印象を与えるのだろう。

セザリアの声に聴きほれながら、「植民地の哀しみ」という言葉がふっと頭をかすめたりもするのだ。

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