October 10, 2020

『ダブル・サスペクツ』 地方都市の日常 

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『ダブル・サスペクツ(原題:Roubaix, une Lumière)』をDVDで見た。劇場未公開のフランス映画。wowowで『ルーベ、嘆きの光』のタイトル(このほうが原題に近い)で放映されたことがある。アルノー・デプレシャン監督の故郷である北フランス、ベルギー国境で人口10万足らずの小さな町ルーベを舞台にした作品。

町の警察署長ダウード(ロシュディ・ゼム)が車を運転しながら、路上で燃えている車を見つける場面から始まる。警察では、通報を受けてパトカーが出動している。バーの喧嘩。強盗。貧困地区のアパートで放火。娘の失踪。路上で炎上していた車の持ち主が、外国人にやられたと訴えにくる(保険金目当ての狂言)。

町にはイスラム教徒やアフリカ系移民が多い。ダウードもこの町で育ったアラブ系フランス人。一人暮らしで、家族は北アフリカ(アルジェリアだろう)へ帰った。刑事が少ないので、彼自身も現場に出かけ、当事者の話を聞く。仕事が終わるとホテルのバーで孤独に過ごす。賭けはしないが競馬が好きで、馬を買おうとしている。甥はイスラム過激派と関係したらしく収監されている。住民の多くと顔見知りである温厚な警察官ダウードの目を通して、ルーベの町が描かれる。

いくつもの出来事のなかから、放火事件に焦点がしぼられてくる。焼けたアパートから殺された老女が発見される。隣家に住む女性カップル、クロード(レア・セドゥ)とマリーが嘘の証言をしたことから、2人に疑いがかかる。映画の後半、署長のダウードを中心に2人の証言の矛盾をつきながら真相がわかってくる。といって、大きな謎や驚く事実があるわけではない。財布と日用品を盗み、はずみのように老女を殺してしまう。映画的な興奮はない。

淡々とした描写から浮かびあがるのは、移民が多く、貧困層も多い地方都市の日常。そんな町に起きる出来事を署長として日々処理するダウードは最後、馬を買うことを決め、その馬が走る姿を観客席から見つめる。デプレシャン監督は、特定の誰かでなく町そのものを描きたかったんだろう。そこに「une Lumière(光)」とタイトルをつけたあたりに、監督の目線がうかがえる。レア・セドゥが貧しいシングルマザーをすっぴんで演じているのが魅力的。

 

 

 

 

 

 

 

 

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August 23, 2020

『上海』 ヤヌス的映画

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前から気になっていた亀井文夫の記録映画『上海』のDVDを手に入れ、ようやく見ることができた。

『上海 支那事変後方記録』と題されたこの映画は1937年8月、日本軍が上海に上陸して国民党軍と戦闘になった「支那事変」の数カ月後の上海を記録したもの。上海の戦闘は終わり、日本軍は南京攻略めざして進軍していた(南京での虐殺は知られているが、この進軍の過程でも掠奪、捕虜・市民の殺害が起きている)。映画の中で軍の広報官が「無錫」「常州」の名を出しているから、撮影は11月下旬だろう。日本映画社の製作、陸海軍の全面的協力でつくられたこの映画は、日本軍の勝ち戦と、上海に平和が戻ったことを宣伝するために企画された。

典型的なプロパガンダ映画なのだが、内容はその一言では片づけられない。監督(クレジットは編集)の亀井文夫は、ソ連に留学して映画を学んだ日本のドキュメンタリストの草分け。この映画の後、武漢作戦を記録した『戦ふ兵隊』は厭戦的との理由で上映禁止になり、治安維持法違反で逮捕されてもいる。だから『上海』を「成功した宣伝映画」と言う人もいれば、逆に「反戦映画」と評価する人もいる。

映画を見て、ふたつのこと(ひとつは撮影された対象、ひとつは撮影スタイル)が印象に残った。 

まず、戦死者の墓標。街角に、路地に、陸戦隊本部のあるビルの屋上に、クリークの縁に、野原に建てられた、戦死した兵士の真新しい木の墓標が、これでもかというくらい執拗に撮影されている。通りかかった兵士や小学生が、頭を下げて通り過ぎてゆく。日本人兵士だけでなく、国民党軍と共に戦った中国人女子学生の墓標も撮影されている。どちら側という区別はない。そして墓標の映像が喚起するのは、言うまでもなく死。この映画に直接の戦闘場面は出てこないが、撮影される直前におびただしい死があったことを、否応なく思い出させる。この墓標のショットは冒頭から前半に集中する。これは間違いなく意図的に挿入されている。 

もうひとつ気がついたのは、移動撮影が多いこと。水平に移動するカメラが、戦闘で破壊された街を、激戦のあったクリークの土手道を、日本軍が上陸に使った船艇の浮かぶ川を、行進する日本兵を見つめる人々を、ゆったりした速度でなめるように映してゆく。屋根が落ち壁だけになった家の残骸。土手道に機銃を据えるため数メートルおきに掘られた窪み。租界を行進する日本兵を日の丸で迎える日本人と、対照的に無表情に見つめる中国人。車上から撮ったのか、右から左へゆっくりと流れる長いワンショットは、見る者の感情を掻きたてるというより、逆に鎮める効果をもつ。勝利の興奮を呼び起こす映像ではない。この撮影スタイルも、明らかに意図されていると思う。

これを撮影したのはカメラマンの三木茂で、監督の亀井文夫は現場に行っていない(当時はそんなスタイルで撮影されることもあったようだ)。そのかわり事前に亀井が構成を考え、三木と打ち合わせたという。だから墓標のショットがたくさん挿入されているのも、移動撮影が多いのも亀井の構想だったのではないか。移動撮影の前後は、今となっては目新しいわけではないカットのつなぎで編集されている。でも例えば、墓標のショット、土にまみれたラッパのショット、野を舞う蝶のショット、とエンゼンシュテインばりのモンタージュもある。

映画の後半は、明らかに「やらせ」のシーンが多い。住民に日本兵が米を配ったり、日本兵が子供と遊んだり、フランス人牧師が日本軍に感謝の言葉を述べたり、中国人生徒に日本の歌を歌わせたり。日本軍の駐留で上海は平和が保たれています、というメッセージ。軍の協力によってできた映画だから、部分はともあれ、「やらせ」を後半に集中させることで全体をプロパガンダに回収した作品にはなっている。その意味では、戦争による破壊と死をメッセージ抜きに静かに写し撮った部分と、「やらせ」のプロパガンダと、ふたつの顔を持ったヤヌスのような映画とも言えそうだ。

現在の目で見るなら、テレビやネットで無数の映像に日々さらされて、見る者の映像リテラシーは戦前と比べものにならないほど高くなっているから、「やらせ」かそうでないかは比較的簡単にわかる。でも映画が大衆的メディアだったとはいえ、ニュース映像はまだまだ貴重で接する機会も少なかったから、観客は戦勝の映像に飢えていた。『上海』は翌38年2月に公開され、映画館は鈴なりの観客にあふれたという。亀井文夫が続けて『戦ふ兵隊』の監督に指名されたことからして、会社にとっても軍部にとっても『上海』は、まずは満足のいく作品だったに違いない。戦前の戦争の時代、戦後しばらく、教条左翼的評価が幅をきかせた時代、『上海』に対する評価は大きく揺れたが、どちらも遠くなった今となっては、亀井文夫・三木茂組が1937年の上海を冷静に見つめ映像に残してくれたことが、なによりの価値だろう。

 映画とは関係ないが、これらの映像が撮影されたと同時期に、何人かの気になる人物が上海にいる。写真家の木村伊兵衛と渡辺義雄は、外務省情報部の委託で上海と、陥落後の南京を撮影していた。映画『上海』が公開された翌月、銀座三越で「南京─上海報道写真展」が開かれている。この写真展については会場風景しか残されておらず、どんな作品が展示されたのかはネガが戦災で焼失したので残念ながら分かっていない。またこの時期の上海には映画監督の小津安二郎が陸軍の一兵士として従軍していた。小津と木村は知り合いだったので、ライカを下げた軍服姿の小津を撮った木村伊兵衛の写真が残されている。

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July 31, 2020

『13th ─憲法修正第13条』

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ネットフリックスのオリジナル作品は映画やドラマが充実しているが、ドキュメンタリーにも優れたものが多い。ブルース・スプリングスティーンやボブ・ディラン、マイルスやコルトレーンなど音楽関係を主に見ていたが、今日は評判の『13th─ 憲法修正第13条(原題:13th)』(エヴァ・デュヴァネイ監督)を。アメリカ合衆国でのアフリカ系の迫害の歴史をたどった2016年の作品で、いくつもの賞を受賞している。

タイトルの憲法修正第13条とは、1865年に提案されたもので「奴隷制度の禁止」を謳っている。ただし「犯罪を犯した者」にはこの条項が適用されないという例外規定がある。この例外条項が抜け穴になってアフリカ系への制度的差別が現在まで続いているというのが、この映画の言わんとするところ。たくさんの記録映像と、何人ものアフリカ系・白人の運動家・学者(年取ったアンジェラ・デーヴィスが魅力的)の語りで、そのことが明かされる。

抜け穴は南北戦争直後から利用された。戦争後、南部の経済は疲弊した。解放され自由になったアフリカ系の多くが徘徊や放浪といった些細な罪で刑務所に送られ、労働力として鉄道建設などに従事させられた。その抜け穴が復活するのが、キング牧師らの公民権運動の結果、差別を容認するジム・クロウ法が廃止された1960年代以降。些細な罪で逮捕され、厳罰化や裁判抜きの司法取引で刑務所に送られるアフリカ系受刑者が激増した。80年代以降、増え続ける受刑者を収容するため刑務所が民営化される。刑務所の運営と、それに伴う警備、食事、衣服、受刑者の作業にかかわる刑務所ビジネスが巨大化する。その実態をこのドキュメンタリーではじめて知った。

「アフリカ系は犯罪者」という刷り込みがメディアを通して繰り返し国民に届けられる。映画もその片棒をかついだ。映画史上の名作とされる『国民の創生』でも、アフリカ系による白人少女への暴行未遂が描かれた。この映画に登場するKKKに刺激されて、実際のKKKの活動がさらに活発になる事態も起きた。映画でのマイノリティの描かれ方は今ではずいぶん変わってきたけれど、1960年代くらいまでは無意識にせよ差別的な描写がいくらもあった(先日も『風と共に去りぬ』の配信停止が話題になった)。

アフリカ系(とヒスパニック)が逮捕される率が白人より何倍も高いことはよく知られている。今年5月、ミネアポリスでジョージ・フロイドが警官によって窒息死させられた事件と同じようなことが、これまで繰り返し起こっていることも多くの映像で語られる。ニュースで見るBLMの表層だけでなく、それがどこから来ているか、歴史に根差した深い構造を知ることのできる作品だった。なおネットフリックスだけでなく、Youtubeでも見ることができる。

 

 

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July 27, 2020

『ダ・ファイブ・ブラッズ』S・リー版『地獄の黙示録』

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コロナ禍で家にいるあいだ、ネットフリックスではドラマばかり見ていた。タイムトラベル・ミステリー『ダーク』、人気の韓流『愛の不時着』、エリザベス女王を軸にした英国王室内幕史『ザ・クラウン』、コカイン密売組織メデジン・カルテルと米国麻薬取締局捜査官の攻防『ナルコス』。どれもはまって「ネトフリ廃人」になってしまったが、十数時間(数十時間)に及ぶ連続ドラマの面白さと映画の面白さとはまた別という気がする。久しぶりに映画を見たくなって選んだのがネットフリックス・オリジナルの『ダ・ファイブ・ブラッズ(原題:Da 5 Bloods)』。ニューヨークを拠点に活躍するアフリカ系スパイク・リーの作品だ。ひとことで言えばスパイク・リー版『地獄の黙示録』だった。

ベトナム戦争に従軍したアフリカ系の元兵士4人が45年後にベトナムにやってくる。目的は彼らのリーダーで戦死したノーマンの遺骨収集と、遺骨とともにある金塊探し。中心になるポール(デルロイ・リンドー)は、帰国後PTSDで悪夢に悩まされ、すぐに感情が激して切れる男。人生に失敗し、今ではトランプ支持者でMAGA(Make America Great Again)帽子をかぶっている。残りの3人は元衛生兵のオーティス(クラーク・ピーターズ)と、エディ、メルヴィン。ポールの息子のデヴィッドも父親を心配してやってくる。

ホー・チ・ミン市で再会した4人がレストランに行くと、片足のないウェイターがいたり、元ベトコンがいたり、さっそく過去の記憶が蘇る。クラブへ踊りにいくと、スクリーンには「アポカリプス・ナウ(『地獄の黙示録』の原題)」の文字。デヴィッドは不発地雷処理のNGOの女性と仲良くなる。オーティスが元愛人の住まいに行くと、肌の色の濃い混血女性を「娘よ」と紹介されて驚く。元愛人は、オーティスが金塊をアンダーグラウンドで処理するためデローシュ(ジャン・レノ)を彼に引き合わせる。

こうして『地獄の黙示録』同様、4人はメコン川を遡ってジャングルに入ってゆく。コッポラの映画と同じくワーグナーが流れ、あからさまに似たショットが挟みこまれる。もっとも、メコン川を遡りジャングルで狂気に出会う大筋は似ていても、スタイルは違う。ワーグナーは一瞬で、後はモータウン・サウンドが流れる。スパイク・リー版に『黙示録』のような緊迫感はなく、どこか脱力してずっこけた感じ。サスペンスもなく、あっという間に金塊は見つかってしまうし、いきなり現場にNGOの女性が現れたりする。回想シーンも、戦死したノーマン以外の4人は45年後の老人の姿だ(実はVFXで処理するカネがなかったかららしい)。ジャン・レノ演ずる悪役を登場させて、ハリウッドのアクション映画ふうな味つけもある。ジャングルのなかでトラブルに遭遇し、激情家のポールが銃をもち主導権を握るようになる。

その一方、キング牧師暗殺(ベトナム戦の最中)からブラック・ライブズ・マターまで、アフリカ系の抵抗を記録したフィルムが頻繁に挿入されるのは、いかにもスパイク・リー。戦死したリーダーのノーマンは4人の兵士にアフリカ系の誇りと自覚を植えつけ、5人は兄弟(Da 5 Bloods。Daはtheを「ダ」と発音する黒人英語)になった。ポールが帰国後PTSDに陥ったのはノーマンの死と関係するのだが、『地獄の黙示録』はジャングルの奥で主人公が狂気を抱えたマーロン・ブランドに出会うのに対して、この映画では、ひとり金塊に執着するポールが皆と離れてジャングルの奥に入りこみ、最後はPTSDの基となった出来事に向き合って、自らの狂気を鎮めて死ぬ。

『地獄の黙示録』をベースに、宝探しのエンタテインメントと、ベトナム戦後45年のアメリカへの政治的メッセージをまぶした面白い映画でした。

 

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July 16, 2020

ピエール瀧の3本

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(『ロマンスドール』のピエール瀧)

この数カ月、たまたまピエール瀧が出演する映画とドラマ3本をDVDと配信で見て、改めていい役者だなあと思った。映画は『ロマンスドール』と『宮本から君へ』、ドラマはネットフリックスの『全裸監督』。

ピエール瀧が麻薬取締法違反で逮捕されたのが去年の3月。直後からNHK大河『いだてん』の代役撮り直し、出演番組・CMの打ち切りから、果ては過去出演作の放映中止、参加するバンド・電気グルーブのCD回収、配信停止にまで及んだ。『宮本から君へ』は、内定していた芸文振(文化庁管轄)の助成金を取り消されている。その過剰反応ぶりはその後、コロナ禍で同調圧力のもと自粛警察が出現するような空気を先取りしていたように思える。

先の3本は、有罪判決(執行猶予)確定後に撮り直しせず公開されたもの。『ロマンスドール』(タナダユキ監督)は下町のラブドール製造工場の社長。『宮本から君へ』(真利子哲也監督)は主人公が仕事で付きあう企業の部長。『全裸監督』(武正晴総監督)はレンタルビデオ店の店長。強面だったり、人情派だったり、いかにも怪しげだったり、いろんな顔を見せて、いずれも脇役だけど独特の存在感が光る。3本とも力のこもった作品で、2本の映画のヒロインは蒼井優。それぞれの監督の代表作とはならないだろうけど、十分に楽しめる。

違法薬物を使うのはもちろん犯罪だ。でも国連総会でも決議されたように、薬物依存に必要なのは懲罰ではなく治療や教育であるというのが最近の世界の流れ。ピエール瀧が依存症を克服しスクリーンに復帰する日が来るのを待ちたい。

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June 22, 2020

ようやく見た『鉄西区』

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アップリンク・クラウドにはアップリンク(最近、社長のパワハラが問題になってる。一人で立ち上げ急拡大したミニシアターにありがちなこと)だけでなく、他の会社の映画も配信されている。配給会社ムヴィオラの見放題パックに中国のワン・ビン監督のデビュー作『鉄西区』があった。9時間16分の長大なドキュメンタリー。これ以後の監督の作品はだいたい見てるけど、世界各国の映画祭で受賞したこの伝説的な映画だけは未見だった。

『鉄西区』(2003)は中国東北部の都市・瀋陽を舞台に1999~2003年にかけて撮影された3部作。「工場」(240分)、「街」(175分)、「鉄路」(130分)に分かれている。第1部「工場」は、貨物列車の上から撮影された線路と沿線風景が延々とつづく長い長いショットから始まる。雪のなかに延びる単線線路。両側にはレンガづくりの古びた工場。直前で踏切を横切る人や車。それが10分近くつづくんだけど、時折り機関車の汽笛が響くだけの単調な工場街の風景に惹きつけられる。列車に乗って車窓を流れてゆく風景に見入ってしまうのと同じ感覚。

やがてカメラは工場に入っていく。現場で働き、休憩所でだべったり将棋で遊んでいる労働者たち。ここは国営の瀋陽精錬所で、経営不振から労働者の解雇がつづく。工場の民営化や倒産も噂されている。カメラは彼らの後を追う。ナレーションが入らないので必ずしも理解できるわけではない会話の切れ端から、誰それは辞めるときいくらもらったとか、診断書を書いてもらって仕事をさぼるとか、上司の悪口とか、来年はもうだめだなとか、労働者の声が聞こえてくる。誰もカメラを意識しないのは、ワン監督との信頼関係が既にできあがっているからだろう。やがて銅や鉛の精錬工場が次々に操業を止め無人になってゆく。

おそらく戦前に建設されたままの古びた工場で働く労働者の姿を捉え、会話に聞き入る。その長いショットが一見無造作に積み重ねられ、印象としては断片の寄せ集め(実は周到に編集されているに違いないが)のなかから、彼らが置かれている状況がじわっと見えてくる。効率よくいいとこだけ編集して分かりやすく解説してくれるドキュメンタリーとは正反対の240分の画面から、目が離せなくなる。

「街」でもそれは変わらない。舞台は艶色街という、古びた労働者の住宅街。再開発のため取り壊しが決まっている。カメラが追うのは、街に住むティーンエイジャーたちと、その家族。若者はほとんど職がなく、日がなぶらぶらし雑貨屋に集まってはタバコをふかしてだべっている。その無為を、ただ黙って見ている。大人たちは、立ち退いても今より狭い住居しかもらえないと文句をたれている。それでも1軒、また1軒と引っ越し、取り壊されて、街は瓦礫になってゆく。

「鉄路」は1、2部とは肌合いが異なる。最初は工場群を結ぶ貨物鉄道網で働く労働者たちを1、2部と同じように追っているけれど、やがてカメラは一組の親子に焦点を絞ってゆく。老杜と17歳で無職の息子。老杜は文革世代で農村に下放され、瀋陽に戻っていっとき鉄道で働いていた。やがて職を失い、鉄道敷地内の壊れかけた家に(どうやら不法に)住み、かつての仲間がかすめてくる屑鉄を買う屑拾いで生計を立てているらしい。やがて老杜は鉄道警察によって拘留される。それまでカメラに向かって無表情で一言も言葉を発しなかった息子が、はじめて感情を露わに泣き始める。釈放された老杜と息子が食堂で酒を飲み、泥酔した息子は抑えていた感情を爆発させる。9時間16分のなかでただ一箇所、物語的なクライマックスが訪れる場面だ。立ちあがることもできない息子をおぶって老杜が家へ戻る姿に泣く。やがてこの長大な映画は、新年に老杜が新しい家で鉄道の仲間たちと酒を酌み交わすショットで終わる。

『鉄西区』以来、ワン・ビン監督は10本以上のドキュメンタリーと1本の劇映画をつくっているが、中国国内では1本も公開されていない。その映画にあからさまな政治的主張はないけれど、この20年間、経済発展する中国の影の部分を見据えてきたからだろう。1980年代の改革開放以後の中国をいろんな素材、いろんなスタイルで描いてきたジャ・ジャンクー監督の映画群と、このワン・ビン監督の映画群を併せ見ると、中国現代史をそのいちばん底から理解できるような気がする。

もうひとつこの映画が画期的だったのは、小型デジタルカメラを使うことで、低予算、ごく少ない人数で映画をつくっていることだろう。画面には時折りカメラマンの影が映りこむが、いつも影はひとつ。ワン監督がたったひとりでカメラを回している。夜や老杜の家のなかは暗いけど、自然光で撮影でき、それがまたリアリティになってもいる。新しい機材が新しいスタイルを生み出したいい例だろう。

 

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June 05, 2020

『リアリティのダンス』

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2980円60本見放題のアップリンク・クラウドで『リアリティのダンス(原題:La Danza de la Realidad)』を見る。

チリの映画監督、アレハンドロ・ホドロフスキ監督の『エル・トポ』を見たのはもう40年近く前のことになる。西部劇スタイルでガンマンが荒野を放浪する話だけど、それがいつの間にか地下世界のフリークスが登場したり大虐殺が繰り広げられたり。南米の土俗的キリスト教の匂いのする、奇妙な、でも記憶に残る映画だった。以後、SF大作『DUNE』が挫折したり(デヴィッド・リンチが映画化した)、数本しか映画を撮ってない。『リアリティのダンス』(2013)は監督が23年ぶりにつくった作品。

1930年代、ホドロフスキ自身の少年時代が回想されている。といっても普通のリアリズムじゃない。奇妙奇天烈な登場人物やエピソードが脈絡なくつながってゆく。冒頭、監督自身が画面に登場して、子供時代の自分であるアレハンドロ少年(イェレミアス・ハーコヴィッツ)の心臓に手を当てながら独白する。「心の奥に住んでいる子供を感じる。その子の瞳は永遠の不在で満たされ、常によそ者と感じている」。このセリフが、映画の通奏低音となる。

続いて荒地に張られたサーカスのテント。ピエロが手品を演じ、観客はみな仮面をかぶっている。一転して、黒衣に黒傘の数百人の集団が荒野を行進する無気味なショット。後にこれがペストで隔離された病者の集団と分かるのだが、過酷な風景と極彩色の人工物。登場するフリークスたち。まぎれもなく『エル・トポ』につながる世界だ。

アレハンドロ少年は、ウクライナから亡命してきた両親とチリの港町で暮らしている。アレハンドロは、母サラ(パメラ・フローレンス)の手で長い金髪の鬘をつけさせられ、少女と見紛う美少年。サラは豊乳の大柄の女性で、敬虔なカソリック信者。洋品店(店にはスターリンの肖像画)を営む父ハイメ(ブロンティス・ホドロフスキ──監督の息子)はスターリンを崇拝する共産主義者。全体が少年の目から見た父と母の物語になっている。母はアレハンドロを過剰に愛し、父は軟弱なアレハンドロの鬘をはぎ、男として鍛えようとする。

母サラのセリフがすべてオペラのように歌になっている。最初は違和感があるけど、やがてそのゆったりしたテンポとメロディが快感になる。父ハイメの遍歴が語られる。独裁者を殺そうとして逆に独裁者に気に入られ、愛馬の世話をすることに。やがて記憶喪失。手が萎えたハイメは信心深い椅子職人と出会う(聖書にある話みたい)。ナチスを信奉する政権からの拷問。このあたり、1970~80年代のピノチェト政権が暗喩されてるのかもしれない。そんな遍歴の果てにハイメは家に戻る。サラの愛がハイメとアレハンドロを包み込む。サラを演ずるパメラ・フローレンスが圧倒的な存在感。

『フェリーニのアマルコルド』か寺山修司『田園に死す』か、というフィクショナルな自伝でした。フェリーニや寺山と同じく、いやそれ以上に個性的で面白いなあ。

 

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May 23, 2020

『ブラインド・マッサージ』 ロウ・イエの成熟

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「2980円、60本見放題」のアップリンク・クラウドで中国のロウ・イエ監督の映画を見ている。『ふたりの人魚』『パリ、ただよう花』につづいて今日は『ブラインド・マッサージ(原題:推掌)』を。これまで小さなパソコン画面で見ていたが、Nさんに教えてもらってHDMIケーブルでテレビにつなぎ、テレビ画面で見られるようになった。大きさはもちろん、色の深みがずいぶん違う。


原題の推掌とは、マッサージのこと。南京で視覚障碍者が集まって営むマッサージ院を舞台にした群像劇だ。群像劇といっても、同性や異性の愛をずっと描いてきたロウ・イエ監督のことだから、何組かのカップル(カップル未満)が中心になっている。院長のシャー(チン・ハオ)は健常者の女性と見合いして断られたばかり。院生で美人と評判のドゥ(メイ・ティン)にご執心だ。自らの美しさを知る由もないドゥは、美人と言われることに苛立っている。マッサージ学校で院長の同級生だったワン(グオ・シャオドン)が恋人のコン(障碍者であるチャン・レイが演じている)と深圳からやってくる。若いシャオマー(ホアン・シュエン)がコンに執着する。みかねた仲間がシャオマーを風俗に連れていき、シャオマーは風俗嬢と愛しあうようになる。


ロウ・イエ監督はいつもの手持ちカメラでぐらぐら動く映像に加えて、周辺をぼかしたり、被写界深度を極端に浅くしたり、光がほとんどない暗い視界になったりする。またマッサージを受ける人の肌を舐めるように撮る触感や、音に敏感になるなど五感を総動員して視覚障碍者の世界を伝えようとする。といってこの映画、障碍者を特別な存在として見ているわけでもない。僕たちの側にいる、ごくふつうの隣人として描いている。


映画には視覚障碍者もたくさん出ている。役者たちは、目に不透明のコンタクトレンズを入れて演じたそうだ。撮影現場は大変だったろう。その甲斐あって誇張やわざとらしさがなく、ごく自然な感じ。見ているうちに、障害者の世界だということを忘れてしまう。ラスト、南京の古びたアパートで健常者と障碍者の一組のカップルが誕生することを祝福したくなる。実験的なスタイルが中身と調和して、ロウ・イエ監督の成熟を感ずる。


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May 10, 2020

『ふたりの人魚』 アップリンク・クラウド

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ミニシアターのアップリンクが「アップリンク・クラウド」として60本の映画を2980円で3カ月見放題というサービスを始めた。アレハンドロ・ホドロフスキ、ロウ・イエ、想田和弘といった監督の映画(旧作)も含まれている。彼らの映画は見てないものが多い。苦境にあるミニシアターを応援する意味もこめて申し込んだ。パソコン画面で映画を見るのは抵抗があるけど、まあ仕方ない。最初に見たのはロウ・イエ監督の2000年作品『ふたりの人魚(原題:蘇州河)』。

冒頭から川の水面と、川岸にびっしり建つ古びた建築物が延々と映しだされる。川は上海の下町を流れる蘇州河(呉淞江)。ぐらぐら揺れる手持ちカメラが、やがて主人公の目である一人称カメラになっていることが分かる。主人公の独白がかぶさって、「ふたりの人魚」を巡るふたつの恋物語が語られる。

 

 ひと組はビデオ撮影を生業にしている主人公(最後まで顔は映らない。手だけ)と、カフェバーの水槽で人魚の恰好で泳ぐメイメイ(ジョウ・シュン)。もう一組はバイクの運び屋マーダー(ジア・ホンシャン)と、母親が荷物でなく娘を運ぶことを頼んだことから恋人同士になったムーダン(ジョウ・シュンの二役)。マーダーがムーダンを犯罪に利用したことから、ムーダンは川へ身を投げる。服役から戻ったマーダーはムーダンを探し求め、メイメイをムーダンと信じて近づこうとする。

マーダーがムーダンを探して上海の下町をさまよい歩く。右に左に揺れる手持ちカメラがそれを追う。それがこの映画のすべてと言っていいくらい。その不安定な映像から、マーダーの悔恨と孤独が滲みでてくる。その切迫した息づかいはいま見ても新鮮で、2000年の中国映画としてはびっくりするくらい斬新なスタイルだったろう。 

 ロウ・イエはこの後、天安門事件を扱った『天安門、恋人たち』を撮って国内上映禁止になり、5年間新作をつくれない罰をくらって話題になったが、映画としてはこっちのほうが上。記憶に残る青春映画になっている。秋に公開予定だったコン・リー&オダギリジョー共演の新作『サタデー・フィクション』が公開延期になってしまった。いつになったら見られるだろうか。

 

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January 17, 2020

『マザーレス・ブルックリン』 NY開発の光と影

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12年前、ニューヨークに1年滞在したとき、ブルックリンのフォート・グリーンという地域にアパートを借りた。『マザーレス・ブルックリン(原題:Motherless Brooklyn)』の舞台がここで(設定は1950年代だが)、フォート・グリーン地域の高速道路建設とアフリカ系住民立ち退きに伴う犯罪がテーマ。実際に、僕が住んだアパートから5分ほど歩くとブルックリンとクイーンズを結ぶ高速道路が走っていた。その脇には、50年代に建設された「ザ・プロジェクト」と呼ばれる低所得層向け高層団地が建っている。ここがこの映画の「現場」。これは見にいかねば。

映画は、今では懐かしさを感じさせるほど古典的なハードボイルドだった。もちろん現代ふうな味つけはされているけど、そのミックス具合が心地よい。

ハードボイルド映画だから、主人公はもちろん私立探偵。探偵のフランク(ブルース・ウィリス)が事件を調査中に殺される。そのフランクに孤児院から救い出され、事務所のスタッフになっていたライオネル(エドワード・ノートン)が、フランクが殺された理由を調べ始める。ライオネルの前には、立ち退きを迫られる住民を支援するアフリカ系のローラ(ググ・バサ=ロー)や謎めいた男ポール(ウィレム・デフォー)、そして市の都市計画を推進するモーゼス(アレック・ボールドウィン)が現れる……。

古典的なハードボイルド映画を代表する役者はハンフリー・ボガートだけど、ボガートのキャラクターを引き継ぐのは冒頭に特別出演ふうに出てくるブルース・ウィリス。彼をボスと慕うエドワード・ノートンの探偵はチック症状に悩まされ、自分に自信を持てない男。そのかわり記憶力は抜群。でもチック症状に伴って、相手が嘘をついたりすると内心の声が自分の意思と関係なく声になってしまう。それが映画のピリッとした辛みになり、情けないあたりは今ふうでもあるところ。主人公が悩みや弱さを抱えているのは1970~80年代、ベトナム戦争後に生まれたネオ・ハードボイルドに似てる。

ハードボイルドにもうひとつ欠かせないのは男をたぶらかす魅力的なファム・ファタール。古典的なハードボイルド小説・映画では、主人公がいっとき惚れるファム・ファタールが犯人であることが多い。でもこの映画ではその定型を踏まない。ローラがアフリカ系でありながら肌の色が薄いところが謎解きの鍵になってくるのだが、探偵ライオネルとローラの道行きよりもニューヨーク再開発の光と影という社会的要素が前面に出てくる。

モーゼス(名前)のモデルになっているのは1920~70年代の長期にわたってニューヨーク州と市にさまざまな役職で大きな権力を持ち、橋や高速道路、公園などの都市インフラを整備したロバート・モーゼス(姓)。 マンハッタンとブルックリンやスタッテンアイランドを結ぶいくつもの橋を架け、高速道路網を整備して、都市で働き郊外に住むというアメリカ中産階級の生活スタイルの基盤を築いた男だ。その陰ではスラムや低所得者層が住む地域が取り壊され、アフリカ系住民は周辺へ、周辺へと追いやられた。

またモーゼスは「プロジェクト」と呼ばれる低所得者向け高層住宅を市内にいくつもつくったが、これが暗褐色レンガ造の陰気な建物。従来そこにあったコミュニティは破壊され、街が荒廃した1980年代には犯罪の温床となった。僕が暮らしていたときも、フォート・グリーンの「プロジェクト」の敷地を横切るときは周りに注意しながら歩いた。

映画では、こうした計画の住民立ち退きを巡る汚職が殺人を引き起こす。 アフリカ系住民の側に立ったライオネルは最後にモーゼスと対面する。現実のモーゼスは今にいたるまで評価の分かれる人物だが、ここでは全くの悪玉として描かれているわけではない。

もうひとつ、楽しんだこと。途中で、ハーレムのジャズ・クラブが何度か出てくる。トランペッターのグループが演奏しているのだが、これが素晴らしい音。調べたらウィントン・マルサリスが参加しているので納得。
『バードマン』が印象に残るエドワード・ノートンは製作、脚本、監督、主演を兼務。なかなかの才能だ。

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