『BLACK BOX DIARIES』
『BLACK BOX DIARIES』は、公開前から伊藤詩織さんの元弁護士が記者会見を開いて映像や音声の無断使用を指摘するなどニュースになっていた。その後、伊藤さんもコメントを出し、別の関係者からも意見が出て、いくらかの修正を経て公開されたようだが、まずは映画を見なければと劇場へ。映画として、よく出来たドキュメンタリーだと思った。
伊藤さんが元TBS記者を訴えた民事裁判の進行を軸に、そもそもの「事件」の経緯、そして裁判を抱えた伊藤さんの日常が「日記」として入れ子のように描かれている。裁判所の内外で、彼女は多くの支援者に囲まれている。メディアを避け友人の家に泊まる伊藤さんは、よく笑い、そして泣く。発端となった、泥酔した伊藤さんを記者がホテルへ連れ込む映像は、たぶん裁判でも最大の鍵になり、映画もこの映像なくしては成り立たなかったろう(その無断使用が問題とされ、日本版はCG加工して公開)。捜査途中で異動になり、内部情報を伊藤さんに漏らす同情的な捜査官。当日夜に二人を乗せたタクシー運転手とホテルのドアマンの証言。これだけの声をよく集めたと思う。そしてこれが性暴力事件以上の広がりを持ったのは、元記者が当時の安倍晋三首相と親しかったことから、一度出た逮捕状が握りつぶされたのではという政治の「ブラック・ボックス」を開けてしまったこと。
このドキュメンタリーを優れたものにしているのは、闘う被害者の私的な「日記」でもなく、といって政治の闇に切り込む社会派的なものでもなく、両方の要素を持ちながらそれが渾然一体になった作品として成立しているからだろう。
この映画への批判のいくつかが、伊藤さんを支えた弁護士はじめ、伊藤さんを支援してきた人たちからも出たことは、何を意味しているだろう。関連した発言を読んでいちばん納得したのはドキュメンタリー映画監督・森達也のものだった。彼は、自分だったら問題となった映像と音は「全て使う」とした上で、「自分のエゴを常に最優先して、社会規範や組織のルール、誰かの良識などに従属しないことだ」と言う。法の秩序を求める弁護士には弁護士の、MeToo運動を進める側には運動の論理があるのは当然だけど、この映画はそこからも独立している。一映画ファンとして、置かれた状況はまったく違うけれど、法を破り、国のタブーを破り、そのため投獄されたり、映画製作禁止を言い渡されたり、国外に亡命せざるをえなかった監督たちの、すぐれたトルコ(クルド)映画、中国映画、イラン映画、ソ連映画などを見てきた。それらの映画がこの国の映画ファンにまで届いたのは、やはり映画そのものに力があったからだろう。
一人の映画監督の誕生を喜びたい。











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