July 10, 2018

『ゲッベルスと私』 103歳に刻まれた皺

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A German Life(viewing film)

ナチの宣伝大臣ゲッベルスの秘書を務めたブルンヒルデ・ポムゼル。撮影当時103歳の老女の顔、というより皮膚のすべてに刻まれた無数の深い皺を、カメラがあらゆる角度から撮影している。黒い背景のなか、椅子に座った彼女が語る。目元や口元のアップから上半身のバストショットまで、ほとんど変化のないモノクローム映像。時に皮膚の細部は人間のものとは思えない相貌を見せてぎょっとさせられる。その映像の力が、『ゲッベルスと私(原題:A German Life)』を支えている。

ブルンヒルデの語りの合間に、各国が製作したニュース・プロパガンダ用の記録映像が挿入される。彼女は30歳の1942年からナチスが敗北するまでの3年間、ゲッベルスの秘書として彼の近くにいた。でも「言われたことをタイプしていただけ」で「ホロコーストについては何も知らない」と言う。彼女が本当のことを語っているのかどうかはわからない。挿入される強制収容所や虐殺されたユダヤ人の映像。69年の沈黙を破った語りと記録映像。映画はそれを何のメッセージもなしに交互に観客に見せる。そこから何を受け取るかは観客に任されている。

ブルンヒルデの皮膚に刻まれた深い皺は、69年という時間を意味していよう。でも、ホロコーストを生んだ人種差別やナショナリズムの問題は何ひとつ解決していない。というより、21世紀になって人種や宗教上の対立や排外主義、ナチスと同様に大衆を動員するポピュリズムは世界のあらゆる場所で燃えさかり、世界は野蛮に向かっている。ブルンヒルデが仮に何も知らなかったとしても、知らなかったこと、知ろうとしなかったことが、ナチスを支えた。それは、この映画を見る私たちの問題でもある。

監督はクリスティアン・クレーネスら。クリスティアンが設立した映像プロダクション、ブラックボックス・フィルムの製作。撮影機材はソニーの高精細ビデオカメラHD-CAM。


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June 16, 2018

『万引き家族』 小津映画の末娘

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Shoplifters(viewing film)

是枝裕和監督の映画は日本でも外国でも小津安二郎監督の映画と比較される、あるいは小津映画の系譜を引くと言われることが多い。二人の主要な作品がともに家族を主題にしているからだろう。それはその通りだと思う。でも当然のことながら、個性が違い時代も違うから、二人の映画がそのまま重なるわけではない。『万引き家族』は、僕には小津映画とネガポジの関係にあると見えた。

小津映画の家族構成はいつもおよそ決まっている。明治生まれの父と母。『東京物語』なら笠智衆と東山千枝子になる。大正末から昭和初期生まれの息子と娘世代。年齢からして、息子は戦争に行くか植民地で仕事をしている。『東京物語』なら次男が戦死し、その未亡人である原節子がヒロインとして登場する。原節子は『東京物語』はじめ小津監督の「紀子3部作」で、紀子という役名で三度、明治生まれの父母の娘世代の役を演じている。

原節子はいつもしっかりした長姉といった立場で、その下に妹あるいは妹世代の女優がいる。『東京物語』なら香川京子、ほかの映画なら有馬稲子、岡田茉莉子、岩下志麻らが起用された。失敗作とされる『東京暮色』(僕は好きな映画だけど)では原節子と有馬稲子は姉妹役だ。原節子が、観客が期待する理想的な娘(嫁)の像を演じていたのに対し、末娘たちははねっかえりで、自己主張が強く、問題を抱えていることが多かった。

『万引き家族』の初枝(樹木希林)は、世代的には小津映画の末娘たちと重なるのではないだろうか。初枝は小津映画の香川京子や有馬稲子、岡田茉莉子、岩下志麻らの半世紀後の姿だと考えれば、小津映画と『万引き家族』がつながる。

初枝がどのように現在の暮らしになったのか映画のなかで語られないから、セリフの端々から想像するしかない。初枝は結婚したが離婚し、独りで働いて年金で細々と暮らしている。どんないきさつかわからないが、治(リリー・フランキー)と信代(安藤サクラ)のカップルと出会い、二人は初枝の家にころがりこんだ。独りで死んでゆく初枝が寂しさから二人を受け入れたのか(あるいは、治は初枝の実の息子で、幼い治を連れて家を出たのだろうか。よくわからない)。治は信代の夫(恋人?)を殺して罪に問われた過去をもつ。出所後は日雇いや万引きでその日暮らしをしている。

さらに二人の同居人がいる。亜紀(松岡茉優)は、初枝と離婚した夫が再婚して生まれた娘らしい。でも家出して、義理のおばあちゃんの家に転がり込み、風俗でお金をかせいでいる。小学低学年くらいの祥太(城桧吏)は、治と信代がパチンコ店の駐車場で声をかけ、そのまま二人についてきてしまった。育児放棄されていたのだろうか。治は祥太に万引きのやり方を教えこみ、二人は組んで万引きを繰り返している。映画はそこから始まる。

万引きの帰り、治と祥太は他人のアパートの部屋で寂しそうにしている幼女のゆり(佐々木みゆ)に声をかける。両親が喧嘩する声が聞こえる。虐待されていたのか、ゆりは黙って治についてきて、「家族」がまたひとり増える。血のつながった人間でなく、他人が寄り集まった疑似家族。でもマンションに囲まれた古い木造家屋で、初枝の年金を頼りに貧しいながらそれなりに楽しく暮らしている。

この映画の名場面として語りつがれるであろうショットがたくさんある。

信代とゆりが一緒に風呂に入り、互いに腕の傷(自傷行為だろう)を見せあうシーン。祥太がゆりに万引きを教え、子供ふたりで駄菓子屋で万引きするシーン(店主の柄本明は万引きを見逃していたが、「妹にはさせるな」と祥太に言う)。治と信代の、雨音がする暗い室内での長いラブシーン(安藤サクラが色っぽい)。亜紀が初枝の膝に頭をのせ、人肌の温かさに静かに涙を流すシーン。家族そろって縁側から隅田川花火の音だけを見上げるシーン。

でも疑似家族の幸せは長くつづかない。ゆりの「誘拐」がテレビ報道される。ゆりの万引きが発覚しそうになり、それをかばって祥太が自ら万引きして追われ、ケガをして警察沙汰になる。家族のなかで祥太だけが、成長して社会的な目をもつようになっている。

物語が動くと、血のつながった家族の偽善的な顔があらわになる。「誘拐」されたゆりが戻った両親は、マスコミの前で良き父母を演ずる(ゆりは再び育児放棄される)。亜紀の両親は、線香を上げに(実は金をせびりに)訪れた初枝に、亜紀はオーストラリアに留学でと不在を取りつくろう。

家族と古い日本家屋という小津映画の枠を受け取ってはいるが、小津映画から現在までの時間のなかで家族は解体し、漂流し、日本家屋はマンション群に包囲されてしまった。そのなかで、解体した家族の破片が寄りそってつくる疑似家族がつましく楽しく暮らしている。その背後にある年金詐欺、育児放棄、虐待、孤独。戦後中流家庭の小さな波乱はあっても穏やかな日常を描いた小津映画とネガポジの関係と感じたのは、そんなあたりだ。

信代が警察に連れていかれてからの独白シーンの安藤サクラが素晴らしい(カンヌの審査委員長ケイト・ブランシェットがほめていた)。正面から固定カメラで長いバストショットで捉えられる。前作『三度目の殺人』でも似たショットがあったけれど、引きの場面が多い是枝映画に新しい力をつけ加えたように感らじられる。是枝監督の代表作と呼ばれるようになるのは間違いない。


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June 11, 2018

『軍中楽園』 亜熱帯の甘やかさ

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Paradise in Service(viewing film)

台湾映画『軍中楽園(原題:軍中樂園)』のタイトルを日本ふうに言えば軍慰安所ということになる。日本の軍慰安所は、日本軍が関与し部隊に同伴して設けた管理売春施設。日本人女性ばかりでなく、当時は大日本帝国の植民地だった朝鮮や台湾の女性を時に騙して慰安婦とした。そのことへの日本政府の謝罪と補償が十分でないため、現在まで鋭い人権問題、政治問題になっている。

軍慰安所は戦後の台湾にもあった。1950年代から1992年に廃止されるまで、金門島などに「軍中特約茶室」(通称・軍中楽園)として存在した国防部の正式機関。金門島は中国大陸と2キロ弱しか離れていないため、中台が対立する最前線だった。

徴兵されたバオタイ(イーサン・ルアン)は金門島の精鋭部隊に配置される。でも長距離を泳げないことから、特約茶室を管理する831部隊に配置換えされてしまう。バオタイは女たちの世話をするうち、他人と打ち解けず陰のあるニーニー(レジーナ・ワン)に親しみを覚える。バオタイの元上官で蒋介石とともに中国大陸からやってきたラオ(老)ジャン(チェン・ジェンビン)はアジャオ(アイビー・チェン)に惚れ、結婚しようと考えている。バオタイの友である同期兵は古参兵にいじめられ、女のひとりと逃げ、海を泳いで大陸へ亡命しようとする。

まだ女を知らず純情なバオタイと、大陸に家族を残したラオジャンの望郷の念を軸に、特約茶室の日常が描かれる。バオタイたちは女たちの身の回りを世話し、脱いだ下着を「洗っといて」とばかりに渡されたりする。女たちをトラックに乗せ外出して美容室や買い物に行くとき、囚人であるニーニー(夫を殺し、刑期を短くして早く子供に会いたいため茶室に志願した)には手錠がかけられる。女たちの喧嘩。妊娠。

亜熱帯の濃い緑と花に囲まれた「楽園」の古い建物。金門島の繁華街はセットだろうか。大陸からは決まった曜日の決まった時間に儀礼のような砲撃があり、そのたびに人々は地下に逃げ込む。最前線ではあるが、本当の意味での緊張はない。特約茶室の享楽的な空間も、明日の命も知れない戦時の切羽詰まった空気とは違う。どこかのんびりしている。

特約茶室にやってくる、いろんな事情を抱えた女たち。兵隊もひとりひとりそれぞれの思いを抱えている。そこでいろんなことを目撃し、体験し、バオタイは大人になってゆく。ニーニーが特赦を受けて茶屋を去る最後の夜、互いの気持ちを確認しながら、バオタイはニーニーの心を傷つける言動をしてしまう。

この映画にはホウ・シャオシエンが編集協力している。ホウ監督ふうな風景ショットが挿入されたりもする。監督のニウ・チェンザーは、少年のころ俳優としてホウ・シャオシエンの『風櫃の少年』に主演していた。そのホウ監督の『恋恋風塵』では、主人公のワンは兵役について金門島に配属されていた。それを考えあわせると『軍中楽園』は、実はワンの『恋恋風塵』で描かれなかった隠されたエピソードと考えるのも面白いかもしれない。バオタイもワンも内気な少年というあたり似ているし、ワンの幼馴染みホンへの一途な思いを考えると最後の行動も納得がいく。

1992年に廃止された後、特約茶室のことは台湾でも誰も触れたがらなかったという。それをこんなふうに、いわばイデオロギー抜きで映画にしたのがいかにも台湾らしい。この映画では、例えば日韓の慰安婦問題のような歴史認識をめぐる問題はない。でも現在、国際的に関心を集める慰安婦問題は歴史認識というより人権問題である側面がある。いくら国家や民族間の葛藤がないといっても、男の視線から見たこの映画の女性の描き方は、フェミニストから見れば問題ありといわれかねない。そのあたりがおおらかというか、ゆるいというか。だからこそ、青春映画ぽい甘やかな香りがするのだけれど。

エンドロールで、別の選択があればありえたかもしれない写真が3枚、挿入される。バオタイとニーニーと彼女の子供の三人が一緒に笑って写っているショット。ラオジャンと彼が逆上して殺してしまったアジャオと、ラオジャンの夢だった餃子屋を二人で営んでいるショット。大陸へ逃げようとし、たぶん溺れて死んだ同期兵と女が、天安門広場で笑っている記念写真。映画としての完成度はいまひとつながら、それぞれの生と死が悲しい。

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May 31, 2018

『ファントム・スレッド』 ねじれた恋愛映画

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Phantom Thread(viewing film)

『ファントム・スレッド(原題:Phantom Thread)』は「幻の糸」とでも訳したらいいだろうか。「糸」の単語には、主人公が服飾デザイナーであることが掛けられているんだろう。ポール・トーマス・アンダーソン監督は、ヒッチコックの『レベッカ』のようなゴシック・ロマンスをつくりたかったと語っている(『エンタテインメント』のインタビュー

『レベッカ』は英国貴族と、彼と結婚した成り上がりの娘が主人公。館には、謎の死を遂げた先妻レベッカに仕えた老メイドがいて、家を差配している。貴族と新妻と老メイドの心理的な駆け引きがサスペンスを生んでいた。その人間関係が『ファントム・スレッド』に引き継がれている。

1950年代ロンドン。ヨーロッパの王族や上流階級を得意先にもつデザイナーのレイノルズ(ダニエル・デイ=ルイス)は、別荘近くで働くウェイトレスのアルマ(ヴィッキー・クリープス)を見初め食事に誘う。レイノルズが「完璧な体形だ」とアルマに言って、別荘で初めて採寸する場面はなんともエロチック。そこにレイノルズの姉シリル(レスリー・マンヴィル)が現れて採寸のノートを取る。

アルマはレイノルズと一緒に住むようになるが、職住一致の工房を差配しているのは姉のシリル。レイノルズは寝ても起きてもデザインのことを考え、自分の思うように生きている男。朝食を食べながらスケッチし、アルマが立てるフォークの音やカップを置く音(音響が誇張されている)に苛立つ。一緒にテーブルを囲むシリルは、アルマに「食事は別にしたほうがよさそうね」と冷たい顔で告げる。姉のシリルは仕事でも私生活でもレイノルズのことをすべて分かっていて、アルマの入りこむ余地はない。

3人の心理劇と並行して、1950年代上流階級のファッションと、オートクチュールの内側が描かれる。僕はこういう世界に興味も憧れもないけど、関心があればP.T.アンダーソンのめくるめく映像(デジタルでなくフィルム)に陶然となるだろう。なるほど注文服はこうしてできるのかと初めて知った。身体のちょっとした凹凸の細かな採寸。お針子はお婆さんばかり(若い娘が服を縫うと結婚できないとの言い伝えがあるそうだ)。デザイナーの密かなメッセージが芯に縫い込まれる。レイノルズは自分用の服には母親の髪を縫い込む(これがタイトルの由来か)。鋭い針と縫い糸が布から顔を出すクローズアップにはっとする。

アルマは黙って夫と義姉に従いながら思い切った行動に出る。別荘で採った毒キノコを粉にしてレイノルズのお茶に入れるのだ。仕事中に倒れたレイノルズをアルマは寝室に連れてゆく。シリルが医者を呼んでもアルマは夫を診せようとせず、シリルに仕事に戻るよう言われてもレイノルズのそばを離れない。レイノルズははじめてアルマに身も心も委ねる。そこから3人の関係が変わりはじめる……。

レスリー・マンヴィルは、田舎娘が上流階級の世界に入りこみレイノルズのミューズとなってやがて男を操るまでを演じて見事。この映画で引退すると伝えられるダニエル・デイ=ルイスは1年間、オートクチュールで服づくりを学んだそうで、相変らず完璧になりきっている。老練なレスリー・マンヴィルと3人で繰り広げられるねじれた恋愛映画を楽しんだ。

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May 25, 2018

『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』 パープルカラーの貧困

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The Florida Project(viewing film)

ディズニー・ワールドはアメリカ南部フロリダにあるけれど、周辺の風景もディズニー世界の延長みたいだ。かに道楽みたいなディズニー・キャラクターのあるギフト・ショップ。大きなオレンジを半分に切ったようなオレンジ・ワールドなるショップ。ソフトクリーム形のアイスクリーム店。はりぼてのロケットを看板にしたイン。建物全体をパープルに塗ったモーテル「マジック・キャッスル」は主人公たちが住んでいるところだ。それらの背後に亜熱帯の空。驟雨と虹。

そんなおもちゃの世界のような色彩が、『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法(原題:The Florida Project)』の一方の主役だろう。その色彩はデジタルではなくフィルムで撮影され、パステルカラーをフィルム独特の質感と深みで捉えている。

ディズニー・ワールド近くの安モーテルに暮らすシングルマザーのヘイリー(ブリア・ビネイト)と6歳になる娘のムーニー(ブルックリン・キンバリー・プリンス)。ヘイリーは観光客に香水を売りつけたり売春をしたりで生活費をかせいでいる。ムーニーはモーテルに住む同年代の男の子、女の子と遊んだり、悪さをしたりしている。悪ガキどもを時に怒りながら見守るのは、モーテルの管理人ボビー(ウィレム・デフォー)。

ヘイリーと子供たちの日々が描かれる。ダイナーでウェイトレスをしている男の子の母親に裏口から食べ物をもらって、母娘は食事をする。子どもたちは空き家に入りこんで火遊びし、火事を起こしてしまう。ヘイリーがモーテルの部屋へ客を引きこんで売春しているあいだ、ムーニーは風呂に入って遊んでいる。ヘイリーは客からディズニー・ワールドの入場券代わりのマジックバンドを盗み、観光客に売りつける。

そこから見えてくるのは、カラフルなお伽の国のかたわらにある貧困だ。かつて観光客のために建てられた「マジック・キャッスル」は、貧困層が暮らす場所になっている。月1000ドルのモーテル代(決して安くない)を払えないと、荷物を預けて誰かの部屋に泊めてもらう。

子どもたちは皆素人だけど、誰もが自然でのびのびしていて素晴しい。彼らを温かく見守るウィレム・デフォーもアカデミー賞は取れなかったけど、オーナーに逆らえずルールを守りながらも優しい管理人は過去に辛い体験をしてきたんだろうなと感じさせる。

ヘイリーの売春がばれ、児童家庭局の係官が来てムーニーは母親と別れさせられる。別れを告げにいったムーニーと友達の女の子は、まだ行ったことのないディズニー・ワールドに向かって走りだす。その瞬間、カメラはフィルム撮影からiPhone撮影の子供の目に切りかわる。ディズニー・ワールドの許可を得ないゲリラ撮影だったらしい。ショーン・ベイカー監督の前作『タンジェリン』(未見)は全編iPhoneで撮影されて話題になった。子供たちの「フロリダ・プロジェクト」に思わず涙する。

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May 13, 2018

『タクシー運転手』 カーチェイスもある光州事件

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A Taxi Driver(viewing film)

光州事件が起こったとき、同時進行ではほとんどなにも伝えられていなかった。ソウルでの戒厳令解除を求める学生デモや金大中の逮捕は大きく報じられたけれど、事件が起こって数日たってから、どうやら光州が大変な事態になっているらしい、という報道を読んだように記憶する。記者が直に光州に入っての報道ではないから、映像はなかった。この映画の主人公、ドイツ通信社の記者が撮影した映像を見たのは、だいぶたってからだったように思う。

全羅南道にある光州の学生市民が立ちあがったのは、同じ全羅南道出身の政治家、金大中が逮捕されたことが大きかった。全羅道は、なにかといえば慶尚道出身者が多い朴正熙政権に差別されてきた歴史があるわけだし。

立ちあがった学生・市民に対し軍が発砲・鎮圧し200人以上の死者・行方不明者を出したという事件の全貌が明らかになったのは、盧泰愚政権によって不十分ながらも民主化が進められた後だった。『タクシー運転手 約束は海を越えて(原題:택시운전사)』は、そんな韓国現代史の重大事件を、事実に基づきながら笑いと涙、おまけにカーチェイス(!)まである王道のエンタテインメントに仕立てあげた。そこが面白い。

ドイツ通信社の日本特派員ピーター(トーマス・クレッチマン)は光州でなにかが起こっていると聞き、宣教師と身分を偽って韓国へ入る。ピーターを乗せたソウルのタクシー運転手マンソプ(ソン・ガンホ)は、小学生の娘をアパートに残したまま、なにもわからずタクシーを走らせる。光州では軍がデモ隊に発砲するなか、2人はタクシー運転手のテスル(ユ・ヘジン)や学生のジェシク(リュ・ジュンヨル)と行動を共にすることになる……。

親一人子一人で暮らすマンソプは家賃も払えず、壊れたサイドミラーを直すのも値切ったり、金のために仲間を出しぬいて客のピーターを奪ったり。そんな情けない男をやらせればソン・ガンホの独壇場。ピーターが事件を追う緊迫と、マンソプの人情喜劇ふうな笑いが並行して描かれる。互いにどこまで信用していいかわからないピーターとマンソプの掛けあいも、定型どおりだけどガンホの大げさな身振りとクレッチマンの無表情が対照的。ソウルでは学生デモに顔をしかめていたマンソプも、光州の惨状を見てピーターのことを放っておけなくなる。人情に厚く人のいい光州人をユ・ヘジンが、音楽好きな大学生をリュ・ジュンヨルが演じ、これも「寅さん」映画に出てくる面々みたい。

マンソプはアパートに残した娘が心配で一人ソウルへ引き返すが、途中でタクシーをUターンさせ光州へ戻る。ここでのソン・ガンホは感情を抑えた演技。画面は光州での弾圧のすさまじさをたっぷり見せる一方、軍警察とマンソプたちの追っかけもある。光州からの脱出では、テスルたち光州のタクシーが2人を助けてカーチェイス(もちろんフィクション)をたっぷり見せる。はらはらドキドキのうちに、観客は光州でなにがあったのかを知る。

チャン・フン監督はキム・ギドクの助監督を務め、デビュー作の『映画は映画だ』は映画俳優とヤクザの友情を絡めた映画づくりの話だった。『高地戦』は朝鮮戦争休戦時刻ぎりぎりの南北の戦闘を描いて、いい映画だった。『タクシー運転手』もそうだけど、立場の違う男たちの葛藤と友情というテーマが通底しているように思う。韓国映画で目を離せない監督の一人だ。


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May 01, 2018

『女は二度決断する』 憎悪の連鎖

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In The Fade(viewing film)

僕はドイツ語を知らないので『女は二度決断する(原題:Aus dem Nichts)』の原題をどう訳したらいいのか分からないけれど、英語タイトルのIn The Fadeは「虚無のなかで」といった意味になるだろうか。

ところで、この映画のポスターは日本はじめどの国もほぼ共通して、上の図柄(ドイツ語版)が使われている。このショットは、ファティ・アキン監督が写真家に「『タクシードライバー』みたいなのを」と注文して撮影したものだそうだ(どこかのサイトでそう語る監督のインタビューを読んだのだが、検索できない)。監督は、この映画の主人公のカティヤ(ダイアン・クルーガー)にどこかしら『タクシドライバー』のトラビス(ロバート・デ・ニーロ)を重ねているのかもしれない。

ファティ・アキン監督はハンブルク生まれのトルコ移民二世。これまでもトルコ系ドイツ人としてドイツとトルコという二つの国家と民族にまつわる映画をつくってきた。『女は二度決断する』はその最新作。

カティヤはクルド系トルコ人ヌーリ(ヌーマン・アチャル)と結婚し、男の子がいる。ヌーリはハンブルクのトルコ人街で会社を営み、幸せな家庭生活を送っている。ある日、事務所の前に爆弾が仕掛けられ、ヌーリと息子が犠牲になる。犯人はネオナチのカップルだったが、裁判でギリシャ人極右が二人にアリバイがあると証言し、カップルは無罪になる。カティヤは怒り、絶望して……。

映画は三つのパートに分かれ、サスペンスのスタイルで語られる。最初のパートは事件。カティヤと夫と息子との生活が突然に破壊される。警察はテロよりトルコ移民社会内部の政治や麻薬のトラブルを疑う。ヌーリには麻薬がらみで服役した過去がある。また警部がカティヤに「ヌーリはクルドか?」と聞くのは、トルコではクルド人が徹底的に弾圧され、両者が対立している現実があるからだろう。事件が起こり、白人であるカティヤの両親とクルド系のヌーリの両親がカティヤの家で顔を合わせると、互いに不信感がつのる。事件をきっかけに、カティヤの周囲がきしみはじめる。

次のパートは裁判。ギリシャの極右が、爆発があった日、カップルはギリシャにいたと証言する。夫と息子を失ったカティヤが麻薬で悲しみをまぎらわせていたことから、犯人の一人を見たというカティヤの証言の信ぴょう性が疑われる。犯人の男の父親が、息子はネオナチで爆弾の材料を持っていたと証言するが、弁護士はその証言の小さな穴を衝く。

最後のパートは復讐。カティヤは一人で、無罪放免されギリシャに逃げたカップルを追う。最初のパートでのハンブルク路上のリアルさ、次の緊迫した法廷ドラマから一転、地中海の青い海へという転換が効いている。カティヤはカップルのトレイラーに爆弾を仕掛け、しかし逡巡し、いったんは爆弾を回収するのだが……。

最後、地中海をバックに爆弾が破裂する場面で『気狂いピエロ』を思い出した。自分の顔にペンキを塗り、自ら爆弾に火をつけたジャン・ポール・ベルモンド。もっとも、ふとした気まぐれが生んだ偶然のような結末の軽みは、この映画のダイアン・クルーガーにはない。カティヤの怒りと悲しみのあまりの行動。

その思いの深さは十分に描かれているし、理解できるにしても、この結末は憎悪と報復の連鎖をまたひとつ積み重ねただけのように思える。そのことに対するアキン監督の視線が、例えばトラビスに対し感情移入すると同時にそこから身をはがすマーティン・スコセッシ監督の複雑な視線のようには感じられないのが気になった。


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April 30, 2018

『ワンダーストラック』 無声映画のスタイル

Wonderstruck2
Wonderstruck(viewing film)

トッド・ヘインズ監督の映画でいつも感心するのは、その時代の空気が見事に再現されていること。『エデンより彼方に』は1950年代東部の都市に住む裕福な白人住宅街が舞台になっていた。「豊かなアメリカ」の風景の中で白人主婦と黒人庭師の恋がメロドラマのタッチで描かれる。ボブ・ディランを複数の役者が演じた『アイム・ノット・ゼア』では、女優ケイト・ブランシェットがボブ・ディランそっくりの扮装で1970年代の空気を生きていた。『キャロル』では1950年代のニューヨークの街が再現され、ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラーの女性同士の愛を彩っていた。

『ワンダーストラック(原題:Wonderstruck)』では二つの時代が舞台になっている。1927年と1977年の、ともにニューヨーク。二つの時代の少年と少女の物語が並行し、遂には一つになる。そのときの驚き(ワンダーストラック)は、こういう瞬間が映画を見る快楽だなと感じさせる。

1927年。ニュージャージー州ホーボーケン(ハドソン川をはさんでニューヨークの対岸)に住む少女ローズは耳が聞こえない聴覚障害者。裕福な家庭だが母は離婚して不在、無声映画で女優リリアン・メイヒューを見るのが唯一の楽しみ。孤独なローズは、リリアンに会いたい一心でフェリーに乗り、ニューヨーク自然史博物館に勤める兄を頼ってニューヨークに出る。

1977年。ミネソタ州に住む少年ベンは、父は行方不明、母は事故死。引き取られた叔母の家で落雷のため聴覚を失う。母の遺品で、父から母宛てに「愛してる」と書かれたニューヨークの書店の栞を見つけ、父を探そうとニューヨークに旅立つ。

1927年のパートはモノクロ、1977年のパートはカラーと描きわけられる。主人公の少年少女はともに耳が聞こえない設定。だから沈黙や、言葉でなく身振りや表情や手話でものごとを伝える場面が多くなる。ということは、ローズが見ている無声映画の世界に近くなる。実際、モノクロのパートは意図的に無声映画の手法が使われる。場面と場面をつなぐのは音楽。カメラも移動やズームはなしで、固定カメラで撮った短いカットが積み重ねられる。

動かないカメラが1977年になると動きだし、カラーになり、街路を歩くベンを追う。70年代のニューヨークはベトナム戦後で景気が悪化した時代。アフリカ系の住民はアフロヘアに原色の服装で闊歩しているが、街の空気はすさみはじめているようにも感じられる。このパートはネガのカラーフィルムで撮影されており、いかにもこの時代の猥雑な雰囲気が懐かしい。

ローズもベンも、時代は違うが自然史博物館に引き寄せられる。自然史博物館は『イカとクジラ』でも重要な役割を果たしていたけど、ここの有名なジオラマが二人を結ぶ鍵になる。時代を超えて、二人が同じ隕石にそっと触れるショットがいい。

二人が出会い、その関係が明かされるのはクイーンズ美術館にあるニューヨークの細密なパノラマ模型の前で。1977年のローズ(ジュリアン・ムーア)はベンに、ジオラマ製作者だったベンの父親のことを語る。映画の冒頭、ベンがオオカミの夢を見ているショットがつながってくる。

原作は『ヒューゴの不思議な世界』と同じブライアン・セルズニックの小説。どちらの映画も少年少女の目から見たこの世界の驚異を見事に映像化してみせた。トッド監督は人種差別や同性愛、障害者といったテーマをメロドラマや少年少女小説に巧みに溶かし込んで、さりげなく浮かび上がらせている。


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April 22, 2018

『さよなら、僕のマンハッタン』 父と息子の物語

Theonlylivingboyinny
The Only Living Boy in New York

マーク・ウェブ監督はミュージック・ビデオの出身らしい。『さよなら、僕のマンハッタン(原題:The Only Living Boy in New York)』には、1960~70年代の音楽がいっぱい散りばめられている。というより、その時代の音楽にインスパイアされた映画といってもいいくらい。

そもそもThe Only Living Boy in New Yorkというタイトルからして、サイモンとガーファンクルの曲から取られている。この曲の歌詞は「トム」という男に呼びかける形になっているが、トムはこの映画の主人公トーマスの愛称だ。NYでひとりぽっちの少年。それからルー・リードの「パーフェクト・デイ」。ジェフ・ブリッジス(僕と同年代)の姿にこの曲がかぶさると、1970年代の空気が蘇る。さらにボブ・ディランの「ジョハンナの幻」。映画のなかで主人公が憧れる年上の女もジョハンナだ。懐かしいプロコル・ハルムの「青い影」、ジャズのデイブ・ブルーベックやビル・エヴァンスも流れている。

みんな「あの時代」の音。それにひたり、甘酸っぱい物語に身を委ねていれば、ま、たまにこういう映画もいいか、という気分。

トーマス(カラム・ターナー)は、上品なアッパー・ウェストサイドで育ったコロンビア大学の学生。家を出て、雑多な人種が住むロウワー・イーストサイドのアパートで暮らしている。ガールフレンドのような友だちのようなミミ(カーシー・クレモンズ)は、トーマスと別れて外国に行こうか迷っている。トーマスの隣の部屋に初老のW.F.(ジェフ・ブリッジス)が引っ越してくる。ある日、トーマスは出版社を経営する父イーサン(ピアース・ブロスナン)が女性と親密にしているのを見てしまう。その女性、ジョハンナ(ケイト・ベッキンセール)の後をつけ、知り合いになったトーマスは年上の彼女に惹かれていく……。

と書いてきて気づいたけど、これはサイモンとガーファンクルの名曲がフィーチャーされた『卒業』のヴァリエーションだなあ。もちろん、それをなぞるわけでなく、こちらは「父と息子」の話。トーマスは作家志望だが、書いたものへの父の評価は「よくある話」。でも、作家であることがわかったW.F.は、トーマスの書いたものに才能があると評する。さらにはトーマスの両親とも古い知り合いであることがわかってくる。

両親とW.F.の過去にはちょっと無理があるけど、ま、リアリティを求めるのも野暮というもの。アッパー・ウェストサイドの典雅な褐色砂岩の住宅街。ロウワー・イーストサイドの、下層階級や移民や貧乏アーティストが暮らすアパートメント。ダウンタウンの、チャイナタウンなどの街並み。ニューヨークという魅力的な都市を舞台にした苦く甘い青春物語を楽しめばいいんだろう。僕も10年前に住んだニューヨークを懐かしみながら、気分だけは若くなっていた。それ以上の、またそれ以下の映画ではないけれど。


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April 20, 2018

『レッド・スパロー』 大人になったジェニファー

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Red Sparrow(viewing film)

ジェニファー・ローレンス、シャーロット・ランプリング、ジェレミー・アイアンズと気になる3人の役者が出ているとあっては、見ないわけにいかないなあ。しかも好みのスパイ・ミステリーものだし。

ジェニファー・ローレンスを最初に見たのは『あの日、欲望の大地で』。シャーリーズ・セロンの子供時代を演じて、魅力的な少女だった。次の『ウィンターズ・ボーン』では、貧しい白人の村に生きる健気な少女。大人になりかけた意思的な表情が素晴らしかった。『ハンガー・ゲーム』は見てないけど、アカデミー主演女優賞を取った『世界にひとつのプレイブック』でブレイクし、『アメリカン・ハッスル』では、え、こんな色っぽい女優になったの? と驚いた。少女時代とこんなに印象が違うなんて。

『レッド・スパロー』のジェニファーは、セックスと心理操作で敵を絡めとるロシアの女スパイ、ドミニカ。バレエ団のスターだったがケガでバレエを断念し、情報機関で働く叔父(プーチンそっくりなのが笑わせる)によってスパイ養成学校に送り込まれる。与えられた任務は、米のCIA要員ネイト(ジョエル・エドガートン)に接触し、ネイトに内通するロシア高官の名前を掴むこと。

ドミニカがネイトを誘惑し、でも2人は愛しあうようになったように見え、ドミニカは国を裏切ったのか、あるいはスパイとして仕事に忠実なのか、見ていてわからないところからサスペンスが生まれる。といって、あまり内面の葛藤みたいな描写はない。演技派というより、存在が醸しだす魅力で見せる女優かな。ジェニファーを少女時代から見ている身としては、こんな大胆なシーンもやるようになったんだと複雑な気持になる。

シャーロット・ランプリングはスパイ養成学校の校長。グレーのツーピースに身を包み、生徒にハニートラップの仕掛け方を冷たい表情で指導する。似合いの役柄。1960年代の『地獄に堕ちた勇者ども』から見てるけど、50代になって『まぼろし』や『スイミング・プール』あたりから若い頃とは別の年齢を重ねた魅力を発するようになった。見ているだけで満足する女優。

ジェレミー・アイアンズはロシア軍の将軍。出番は少ないけど複雑な役どころを演ずる。『戦慄の絆』以来、いい役者だなあと思って見ている。役者としての格を考えると、内通者は誰か想像がついてしまうけれど……。でも、終盤でもうひとひねりあって、ドミニカは自分をスパイに送り込んだ叔父に復讐する。

最後に飛行場で互いの人質を交換するシーンは、米ソが対立していた時代のスパイ映画の雰囲気。『寒い国から帰ったスパイ』を思い出してしまった。スパイものスリラーとして特に際だった映画じゃないけど、東西冷戦時代のスパイものの雰囲気を出しているのが面白かった。

そういえば、ソ連が崩壊しロシアになってからの話なのに、なんで「レッド・スパロー(赤いスズメ)」なんだろう。「レッド」は共産主義を意味しソ連国旗も赤なのに対し、ロシア国旗は赤・青・白の三色旗。原作(未読)のタイトル通りだけど、ソ連もロシアも体質として同じということか。映画でも小説でもエンタテインメントでは強力で魅力的な敵役が必要で、クリミア半島を強奪したロシアはソ連を引き継いでその資格十分というところ。

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