April 22, 2024

『ブルックリンでオペラを』

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『ブルックリンでオペラを(原題:SHE CAME TO ME )』には見たいと思わせるフックがいくつかあった。まず映画の舞台がブルックリン。十数年前にブルックリンで一年ほど生活したので、懐かしい風景を見たい。そして記憶に残る女優が二人出ていた。マリサ・トメイとヨアンナ・クーリク。マリサは落ちぶれたストリッパー役を演じた『レスラー』が、ヨアンナは冷戦で引き裂かれた恋人同士を演じたポーランド映画『COLD WAR』が、映画もよかったけど二人が魅力的だった。もうひとつ加えればこの映画、ブルース・スプリングスティーンが主題歌を歌っている。

で、結果はといえば、いろんな要素を詰め込みすぎたきらいはあるけど、大人の恋愛映画として十分に楽しめました。

オペラ作曲家のスティーブン(ピーター・ディンクレイジ)は新作が書けずスランプ状態。妻の精神科医パトリシア(アン・ハサウェイ)に促され散歩に出る。二人の住まいはブラウンストーンの家が連なる高級住宅街ブルックリンハイツ。そこから南へ、レッドフックあたりまで歩いたらしい。レッドフックはイーストリバーに面した、かつての港湾・工場街。小生がいた十数年前は荒廃していた。そこのバーで、スティーブンは物資を輸送する曳舟の船長カトリーナ(マリサ・トメイ)に出会う。恋愛依存症だというカトリーナは、自らが暮らす船にスティーブンを誘いこむ。日本でもかつて『泥の河』のように船で暮らす生活があったけど、アメリカは今も港から港へ物資を運び船で暮らす人々がいるんだな。

カトリーナに刺激を受けたスティーブンは、彼女をモデルに新作オペラを完成させ評判をとる。カトリーナが偶然にパトリシアの診察を受けたことから、パアトリシアは夫とカトリーナの関係を知ってしまう。もともと潔癖症のパトリシアはそれを契機に精神を破綻させ、修道女となる。パトリシアの連れ子である息子の高校生(どうやら父親はインド系らしい)にはガールフレンドがいて、その母親がマグダレナ(ヨアンナ・クーリク)。マグダレナの夫は、娘(こちらもマグダレナの連れ子)が肌の色の異なるボーイフレンドとセックスしたのが許せず、警察沙汰にすると騒ぐ。親世代と子供世代、二組のカップルのどたばたが続いて、、、。

いかにもニューヨークらしい、いくつもの階層と民族と宗教がごっちゃになった物語。スティーブンとパトリシアは絵に描いたようなセレブ。一方、カトリーナは父親ゆずりの古い曳舟で生活している零細自営業者。東欧移民らしいマグダレナが結婚した男は裁判所の速記者で、一家は建売住宅のような家に住んでいる。マグダレナは家政婦(仕事先がパトリシアの家)をしているから裕福ではないのだろう。精神科医のパトリシアはユダヤ系だが少数派のカソリック。パトリシアと、彼女の家の家政婦であるマグダレナが共にカソリックであることを確認する会話がある。マグダレナの夫は、南軍の軍服を着て南北戦争の野外再現劇に加わるのが趣味。そんなセリフは出てこないが、たぶんトランプ支持者だろう。そんな多様というか、ごたまぜのあれこれが盛り込まれて、映画のスパイスになっている。

ビジュアルの見どころは現代的なオペラの舞台と、古びた曳舟が行き来するニューヨークの河口と、ブルックリンの風景。役者では『スリー・ビルボード』にも出ていた小人症のピーター・ディンクレイジの存在感が際立つ。ごひいきのマリサ・トメイも、キャップから髪をはみ出させ、化粧っ気のない労働着姿が素敵だ(原題はスティーブンが書くオペラのタイトルだが、SHEはアン・ハサウェイでなくマリサ・トメイのこと)。ヨアンナ・クーリクも働く母親役だから、こちらも化粧っ気ないひっつめ髪で登場するけど、悲し気な青い瞳と厚い唇の魅力は変わらない。原作・脚本・監督は小説家でもあるレベッカ・ミラー(父はアーサー・ミラー)。ラストはお約束どおりだけど、こういう映画はそうでなくちゃ。

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January 30, 2024

『哀れなるものたち』

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『哀れなるものたち』(原題:POOR THINGS)に主演し、プロデューサーでもあるエマ・ストーンを知ったのは『バードマン』や『ラ・ラ・ランド』だった。彼女の経歴を見ると子供のころから舞台に出たり、主にコメディ分野のTVドラマや日本未公開映画にたくさん出演している。そんなことを調べたのは、この映画のエマが並みのハリウッド女優と違うギミックな演技や激しい性描写で、どんなキャリアの女優か知りたいと思ったから。『女王陛下のお気に入り』で組んだヨルゴス・ランティモス監督と再びタッグを組み、19世紀ヨーロッパを舞台に夢幻的なダーク・ファンタジーになっている。

フランケンシュタインのような容貌の天才外科医ゴドウィン(ウィレム・デフォー)は、身体は大人で精神は幼児のベラ(エマ・ストーン)と、ロンドンのヴィクトリア様式の館で暮らしている。ゴドウィンは、ベラの発育を記録する医学生とベラを婚約させるが、それに飽き足らないベラは遊び人の弁護士ダンカン(マーク・ラファロ)と駆け落ちし、リスボン、アレキサンドリア、マルセイユ、パリと冒険の旅に出る。何人もの大人とつきあい、一方、虐げられた人々を見て、ベラはダンカンの庇護を離れ独り立ちしてゆく。パリでベラは自ら望んで娼館で娼婦として働く。やがてロンドンへ戻り……。

ゴドウィンの顔に醜い縫い痕があったり、ベラの精神と肉体が乖離している秘密。産業革命後のブルジョアジーや貴族の子弟が、大人になるイニシエーションとしてヨーロッパ各地を旅した「グランド・ツアー」。それらを軸にしたゴシック・ロマンふうな物語に、女性の自立や男権社会への風刺が重なってくるのが、いかにも今ふうだ。各都市の幻想的なセットも楽しい。昨年のヴェネツィア映画祭金獅子賞受賞作。

 

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January 21, 2024

『PERFECT DAYS』

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『PERFECT DAYS』の主人公・平山(役所広司)の質素な木造アパートには、古びた時代もののアイテムがいくつかある。ひとつはポータブルのテープデッキとたくさんのカセットテープ。テープはアニマルズ、オーティス・レディング、ローリング・ストーンズといった1960~70年代のロックやフォーク。それからコンパクトのフィルム・カメラ。フィルム・カメラで毎日撮るのは公園の木々と、そこに降り注ぐ光。映画のなかでたびたび、陽光と木々の揺らぎが織りなす木漏れ日のショットがモノクロームで挿入される。

公共トイレの清掃員として暮らす平山の部屋にそれ以外にあるのは、100円均一で買ったたくさんの文庫本と、道端に芽吹いた植物を採って植えた自家製の植木鉢。それ以外のモノはいっさい持たず、毎朝、道を掃く箒の音で眼ざめ、植木鉢に水をやり、ドアを開けてその日の空を眺め、缶コーヒーを飲んで仕事に出る。清掃会社のミニバンを運転し、カセット・テープを聞きながら渋谷区にあるらしい公園のトイレを回る。仕事が終われば、開いたばかりの銭湯につかり、浅草地下街の決まった店で飲み、夜は文庫本(フォークナーや幸田文)を読んで寝る。平山がその生活に喜びを感じていることは、便器の裏まできれいにする丹念な仕事ぶりや、毎朝、空を見上げる平山の喜びに満ちた表情からも分かる。

平山の、毎日判で押したような生活が繰り返し描かれることで、見る者は平山がある時、自分の人生を捨てた人間であることを感知する。いや、この映画に即して言えば人生を捨てたのでなく、ある時を境に、逆に生きる喜びに目覚めたと言うべきだろう。それまでの自分の生活こそ、捨てるべき人生と感じられたにちがいない。それは平山の持つアイテムからすると、たぶん1980年代、この国がバブルの絶頂に向かっていた時代。映画のなかで、平山がそれまでどんな生活をしていたかは語られない。でも、家出して彼のアパートにころがりこんだ姪を迎えに来た平山の妹が運転手つき高級車に乗っていることからして、裕福な暮らしをしていたのは分かる。

平山という名が、小津安二郎『東京物語』で笠智衆が演じた男と同じものだと知れば、 もう少し違う見え方もしてくる。この映画はヴィム・ヴェンダースの、小津とはまた違った『東京物語』ではないか。平山が東京という都市を巡る物語。彼が日々を暮らすのは東京スカイツリーが見える押上や浅草。隅田川にかかる橋を歩いて、あるいは自転車で何度も渡る、川面と橋の風景。渋谷周辺の公園と一風変わった公共トイレ。ミニバンで走る首都高速道路。そこに60~70年代の音楽が重なって、ちょっと不思議な東京の映画になった。

そして映画に血と肉を与えているのは、なんといっても役所広司の仕草と表情、その存在だった。

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January 14, 2024

『VORTEX ヴォルテックス』

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老いる、という誰にも訪れる事態を、それにまつわる感情を排して冷静に、言葉を変えればこれだけ冷たく見つめた映画はめったにないなあ。それには、画面を左右2分割して同時にふたつのカメラで対象を見るという手法が深く関わっている。ギャスパー・ノエ監督は暴力やセックスのあざとい描写が話題になるけど、この映画では病んだ老夫婦の日常を、ほとんどアパルトマンの室内だけで追いかけている。複数の画面が同時進行することによって、見る者はどちらにも感情移入することができない。

1台のカメラが追いかけるのは妻(フランソワーズ・ルブラン)。元精神科医で、認知症が急激に進行し、室内や近所を徘徊している。医者なので自分で処方箋を書くことができ、自分も夫も薬漬けのようだ。もう1台のカメラが追いかけるのは夫(ダリル・アルジェント)。映画評論家で、重い心臓病を持ちつつ、映画と夢に関する本の執筆に没頭している。80代らしいが20年来の愛人がいて、彼女が最近つれないのを気にしている。

夫婦が同じベッドで寝たり、触れ合ったりする場面では、ふたつの画面が重なりながら、でもやはりそれぞれを追って分かれてゆく。そこから感じられるのは、同じ屋根の下に暮らしていても結局はひとりという、まぎれもない事実。やがて、夫婦の息子が孫を連れて現れる。カメラは夫と息子、あるいは妻と息子を追う。息子はドキュメンタリーをつくっているというが、実はドラッグの売人。母の認知症、父の心臓病を心配はするけれど、金をせびったりもする。老夫婦も息子も、家族として一応はなすべきことをしているけれど、互いに心が通っているようには見えない。

妻は夫の部屋を片付け、夫の原稿をそれと知らずに捨ててしまう。夫は映画関係の友人や愛人と会った夜、心臓発作を起こして苦し気に部屋を歩き回り、倒れる。もう1台のカメラは、妻が気づかず寝ている姿を映している。夫の死。やがて、妻の死。カメラはそこまでを映し、無人になったアパルトマンを映して終わる。2台のカメラというスタイルでノエ監督は、この家族を批判も共感もせず、ただ、こういうものだと提示しているように思える。

後期高齢者で癌サバイバーである身には、なんとも切実な映画だった。

 

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January 12, 2024

『枯れ葉』

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6年前、前作発表後に引退を表明したアキ・カウリスマキ監督の新作『枯れ葉』(原題:KOULLEET LEHDET)がやってきた。カウリスマキにどんな心境の変化があったのか分からない。でも今回の新作では、主人公の部屋のラジオから繰り返しロシアによるウクライナ侵攻のニュースが流れるから、ロシアと国境を接するフィンランドの映画監督として、それも関係しているかもしれない。といって、むろん政治的映画じゃない。カウリスマキの原点に戻るような、孤独な中年の男と女が出会い、惹かれあう。それだけのお話。

ホームレスに賞味期限切れのパンを渡し、自分もバッグに入れたのを咎められ失職したスーパー店員のアンサ(アルマ・ポウスティ)。アルコール依存で仕事していたが、それがバレてやはり失職する溶接工ホラッパ(ユッシ・ヴァタネン)。二人はカラオケで出会い、言葉は交わさないまま惹かれあう。友人を介して知り合い、映画を見たり食事したり。でもアンサはホラッパの飲酒癖を許せない。やがて断酒したホラッパはアンサに電話し、アンサは「すぐ来て」と応えるのだが……。

すべてがシンプルで、余分なものが削ぎ落とされている。いつものカウリスマキだけど、セリフは少なく、役者の動作や表情もぶっきらぼう(それだけに、アルマのかすかな微笑みがいい)。そこから生まれるユーモア。画面は固定カメラで、カット数も少ない。カウリスマキ独特のこのスタイルは、無声映画を見ている感じと言ったらいいか。ただ、画面に流れるたくさんの音楽が感情をつなぎ留め編集する役を果たしている。これも、無声映画に音楽の伴奏がついたと想定すればいいのか。いきなり「竹田の子守歌」が流れ(カウリスマキは日本の歌も好きで、どの作品だったが、いきなりクレイジーケンバンドが流れたのに驚いた)、フィンランドのポップス、シューベルトのセレナーデ、シャンソンの「枯葉」まで。

いつも質素な水色のコートを着ているアルマ・ポウスティが魅力的だなあ。彼女を見ているだけで心なごむ。ラストがこれまたカウリスマキで、ささやかな希望に満ちたショットに「枯葉」が流れると、つい涙腺がゆるむ。

 

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December 29, 2023

2023年の映画10本

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病気をして以来、映画を見る本数がガクンと減りました。以前は年末に遊びでベスト10をつくっていたのですが、それほどの本数を見ていないので順位なしで面白かった映画を10本、挙げてみます。年末に風邪をひいてしまい、『枯れ葉』を見られなかったのが残念。

●『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』
石油ブームに沸く先住民居留地で、石油の権利を持つ先住民が次々に殺された”アメリカ史の闇”。ロバート・デ・ニーロの善人面した悪党と、先住民系の女優リリー・グラッドストーンの品位あるたたずまいが素晴らしかった。

●『カード・カウンター』
イラク戦争のトラウマを持つ元兵士のプロ・ギャンブラーが、相棒を破滅させた元上官に、彼に教えられた拷問で復讐する。今年見たノワール映画では一番。オスカー・アイザックの暗い瞳が印象に残る。

●『レッド・ロケット』
落ちぶれて故郷へ戻ったポルノ男優が、バイト先の女子高生を口説き二人でポルノ業界復帰を夢みる。”Make America Great Again”の看板の下、懲りない男が繰り広げる楽天的でエロチックで悲しい物語。

●『ベネデッタ』
ペストの時代、奇蹟を自作自演して出世した修道院長が、若い修道女と同性愛の関係になる。主役ヴィルジニー・エフィラもいいが、裏を知りつつ表情ひとつ変えない前修道院長シャーロット・ランプリングも凄い。

●『TAR/ター』
女性初のベルリン・フィル主席指揮者となったターの栄光と挫折。ケイト・ブランシェットに宛て書きした脚本・演出。ケイトは作品によってがらりと印象が変わるが、このケイトは美しい闇のよう。

 ●『アフターサン』
11歳の娘が父親と異国の海辺で過ごした夏休みを、父親と同じ年齢になって当時のヴィデオを再生して振り返り、あの頃わからなかった父の悲しみを知る。映像も音も切ない。

 ●『それでも私は生きていく』
レア・セドゥが子持ちの母親役を演ずるのを見るのは初めて。彼女もそんな歳になったんだなあ。子育て、親の介護、新しい恋と、定番の映画だけど、彼女を見ているだけで気持ちよい。

●『サタデー・フィクション』 
真珠湾攻撃7日前の上海、日仏中の諜報員が入り乱れてのスパイ戦。モノクロ長回しで、アクションとはいえ、ひと味もふた味も違う。コン・リー、オダギリジョー、マーク・チャオの絡み合いが見もの。

●『福田村事件』
関東大震災直後、旅の行商人が朝鮮人と間違われ惨殺された事件の映画化。ドキュメンタリスト森達也の初の劇映画。加害者である村人の生活と性を描き込んだことで作品の奥行きが増した。

●『花腐し』
同じ女を愛したと知らない中年二人が知り合い、酒を飲み、淡い友情を感ずる。現在はモノクロ、過去はカラー。窓の外は、いつも雨。新宿ゴールデン街や書棚のゴダールなど1970~80年代の香り充満。

<番外>

●『ゴジラ -1.0』
ゴジラ登場場面は楽しめたが、力を入れたらしいドラマ部分は??? ラストで「戦後」的にひっくり返してみせるとはいえ、通底する純愛+特攻の取り合わせが気色悪い。

 

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November 16, 2023

『サタデー・フィクション』

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コン・リーを初めて見たのはデビュー作『紅いコーリャン』だったから、もう三十数年前のことになる。その後の映画も主なものは見ている。代表作『さらば、わが愛/覇王別姫』はむろん、『紅夢』や『花の影』が記憶に残っている。シンガポール人と結婚し国籍を変えてアメリカ映画にも出るようになったが、やはり中国映画の彼女が生き生きしている。57歳になった今も変わらずに美しい。

彼女がロウ・イエ監督と組むのは初めて。『サタデー・フィクション』(原題:蘭心大劇院)は歴史ものスパイ映画の仕立てになっている。といってもロウ・イエのことだから活劇のジャンル映画ではなく、全編モノクロで手持ちカメラの撮影、長回しもある。劇中劇と現実がつながっていたりもする。コン・リーも女優という役どころとはいえ華やかな衣装でなく、化粧っ気もない。

日本軍の真珠湾攻撃7日前の上海。英仏租界は周囲を日本軍に囲まれ孤島のようになっていた。英仏日に重慶(蒋介石政権)、南京(親日の汪兆銘政権)の諜報員が入り乱れている。人気女優ユー・ジン(コン・リー)が、かつての恋人タン・ナー(マーク・チャオ)が演出する舞台(横光利一の「上海」)に出るため上海にやってくる。同じころ、古谷海軍少佐(オダギリジョー)が新しい暗号書を携えてやってくる。孤児でフランスの諜報員に育てられスパイの訓練を受けた彼女の真の目的は、古谷少佐から日本軍の攻撃がどこに向かうかを探りだすことだった、、、。

 モノクロ画面が時代を感じさせる。今もバンドに残る当時の建物、キャセイホテル(和平飯店)や蘭心大劇院での撮影、ホテルの窓からは黄浦江が見える。劇中劇としてジャズにダンスという当時の退廃的な空気も再現される。でもそれ以外は映画音楽もなく、現実音だけのリアルな展開。エンタメふうなサスペンスの盛り上げはなく、最後にコン・リーが銃撃戦に絡むおまけはあるが、徐々にこの映画が女優と演出家の愛の物語であることが見えてくる。

 ロウ・イエの映画は、政治的事件を素材にした『天安門、恋人たち』でも、フランスで撮った『スプリング・フィーバー』でも、犯罪映画の前作『シャドウプレイ』でも、男女だったり同性であったりの愛が主題になっていることが多い。その主題をいろんな素材、いろんなスタイルで撮っているということなんだろう。コン・リー、オダギリジョー、台湾のマーク・チャオがそれぞれによく、楽しめる映画でした。

 

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November 11, 2023

『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』

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大作『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』を見て最初に気になったのは、製作費と興行収入の対比。というのは、かつてこの映画と同様に、アメリカ人が見たくないであろうアメリカ史の暗部を主題にした大作『天国の門』が大コケし(製作費4400万ドル、興行収入350万ドル)、製作したユナイト社の経営が傾いてMGMに買収された過去があったから。英語版wikipediaによると、『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』は製作費2億ドルに対して興行収入1.2億ドル。まだ各国で公開中で興行収入は増えるだろうから、『天国の門』のようにはならないだろう。にしても、かなりの赤字が出そうだ。

『天国の門』は西部開拓史でアングロサクソン系移民による東欧系移民の虐殺がテーマだったが、『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』は石油ブーム時代の白人による先住民の連続殺人をテーマにしている。『天国の門』は役者は地味だし作品の出来もよくなかったが、今回はディカプリオ、デ・ニーロの共演にマーティン・スコセッシ監督と3枚看板。3時間超をまったく飽きさせず、作品の出来もいい。

1910年代、オクラホマの居留地に押し込められた先住民オセージ族の土地に石油が出て掘削ブームが起きた。各地から企業家や流れ者が押しかけ、一部のオセージ族は裕福になる。第一次大戦を兵士として戦ったアーネスト(レオナルド・ディカプリオ)が、オクラホマで成功している叔父ウィリアム(ロバート・デ・ニーロ)を頼ってやってきて運転手として働くことになる。アーネストは裕福なオセージ族女性モリー(リリー・グラッドストーン)を送り迎えするうち恋仲になり、叔父の勧めもあって結婚する。モリー一族は石油の収入で財産家だが、相続権を持つモリーの姉弟が次々に殺され、モリー自身も病気のため衰弱していく。他にも豊かなオセージ族の不審な死が相次ぎ、連邦捜査官がやってくるのだが、、、。

デ・ニーロの善人面、慈善家面した悪党がなんともいい。ディカプリオはその悪だくみに気づきつつ、妻への愛は持ちつづけるといった役どころ。モリー役のリリー・グラッドストーンは先住民系の女優で、落ち着いた品のいい演技が素晴らしい。

現実にあった事件を素材にし、オセージ族の協力を得て現地で撮影している。冒頭、荒野に広がる無数の木製掘削井戸の俯瞰は圧巻。実際につくったんだろう。CGではこのリアリティは出てこない。アメリカ史の闇というべきテーマを金のかかった大作としてつくる。ハリウッド、ひいてはアメリカという国の活力なんだろう。ディカプリオとデ・ニーロがプロデューサーとして関わり、アップルも出資している。

 

 

 

 

 

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September 08, 2023

『福田村事件』

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『福田村事件』を見た。1923年、関東大震災の5日後、千葉県福田村で行商人9人が朝鮮人と間違われ自警団に殺された事件を映画化したもの。ドキュメンタリー映画をつくってきた森達也監督が初めてつくった劇映画。題材も森監督らしく挑戦的だが、社会派というよりもっと多面的な群像劇で、緑豊かな農村を舞台にした艶っぽい画面に惹きこまれた。

映画はまず地震が起きる前の村の様相をたっぷり描く。植民地の朝鮮で教師をしていた澤田(井浦新)が妻の静子(田中麗奈)と村に帰ってくる。インテリの澤田とモダンな洋装の静子は村では異分子。同時にシベリア出兵で死んだ兵士の遺骨も帰ってくるが、兵士の妻(コムアイ)と船頭の倉蔵(東出昌大)は恋仲になっている。年老いた貞次(柄本明)は息子が軍隊に行っている間に息子の嫁との間に子供をつくった(らしい)。植民地での体験から不能になった澤田に見せつけるように、渡し舟に乗った静子は脚を開いて倉蔵を誘惑する。閉ざされた村のエロスが生々しい(脚本の一人、荒井晴彦の仕事だろう)。名主の家柄である村長(豊原功補)は大正デモクラシーの信奉者だが、宴会では在郷軍人会の長谷川(水道橋博士)ら愛国主義の勢いがいい。そして地震が起きる。

戒厳令が敷かれ、「朝鮮人が襲ってくるらしい」と流言が飛ぶ。在郷軍人を中心に自警団が組織される。村人が不安と猜疑にとらわれるなか、新助(永山瑛太)率いる薬の行商の一団がやってくる。彼らは讃岐から来た被差別部落の住民で、村人は讃岐弁の行商団を朝鮮人かと疑い、詰めよる。村長や澤田、倉蔵は村人を落ち着かせようとするが、興奮した村人を前に無力だ。東京へ出かけた夫が帰ってこず不安を募らせた嫁が、いきなり鎌を新助の頭に突き立てる。行商団が逃げ出すのをきっかけに、殺戮が始まる。といっても、クローズアップや細かいカット割りでドラマチックに描かれるわけではない。カメラは引き気味で、竹槍を持つ村人もへっぴり腰、尻もちをついたりする。広い川原で行商団が殺されてゆく画面がリアル。

映画は殺戮した村人たちを断罪する視点で撮られている訳ではない。ただ、普段は善良な村人たちが憑かれたように行商団を殺してしまう過程を映し出す。集団に同調しない船頭の倉蔵。デモクラシーを口にしながら村人たちを抑えられない村長。朝鮮人に同情を寄せながら加害者になった植民地体験のトラウマで、結局は黙ってしまう澤田。被差別部落の解放運動に目覚めて結束する行商団。いろんな視点からこの事件を見ているのがいかにも森監督らしい。ただ、事件を書こうとする新聞記者のセリフがあまりに立派なのが、かつて新聞社にいた身には少々気恥ずかしかったが。

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July 05, 2023

『カード・カウンター』

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こんなにエンドロールに見入った映画はない。刑務所。面会室のアクリル板を介して、受刑者の男の人差し指に面会人の女の人差し指が重なる。アップにされたその画面が、じっと動かない。数分に及ぶだろう、そこにスタッフ、キャストの名前が流れる。ふつうなら、これはストップモーションにするところ。でもよおく見ていると、指や掌がかすかに動く。カメラはずっと、指と指を重ねて動かない二つの手を撮りつづける。男と女の思いが痛いくらい伝わってくる。

男は、イラク戦争後にアルグレイブ刑務所でイラク兵を拷問し、その写真が流出して(実際、そういう事件があった)罪に問われ服役したウィリアム・テル(オスカー・アイザック)。テル(むろん偽名だ)は獄中でカードゲームに精通し、出所してプロのギャンブラーとしてカジノを渡り歩いている。小さく賭けて小さく稼ぐ。決して目立たないことが彼の信条。ホテルでなくモーテルに泊まり、壁の絵をはずし机やスタンドをすべて白いシーツで覆う。刑務所の部屋を再現するような強迫的な行動は、彼がいまだ罪の意識にさいなまれていること、世界と和解できていないことを意味してるんだろう。あるカジノのホテルで、テルは彼に拷問の仕方を教えた上官で、今はセキュリティ会社を経営しているゴード(ウィレム・デフォー)を見かける。

前後してテルは二人の人間と出会う。一人はブローカーでアフリカ系のラ・リンダ。テルの腕を見込んだ彼女は、スポンサーを探すから高額賞金のポーカー大会に出ないかと誘う。もう一人は、テルと同様にアルグレイブで拷問に従事した元兵士の息子、カーク。帰還した元兵士は破滅し、カークは拷問の責任者・ゴードに復讐しようと機会を狙っている。カークはテルと旅することになるが、大きな借金を抱えたカークのために、テルはラ・リンダの申し出を受けてポーカー大会に出ることになる。

 テルは勝ち進み、テルとラ・リンダの間に男と女の感情が流れ、カークも絶縁した母親と和解する気になり、すべてはうまく運びそうだったのだが……。

 親子ほど歳の差がある二人の男が金ぴかのカジノとうらぶれたモーテルを舞台に、都市から都市へ流れるロード・ムーヴィであり、ブラック・ジャックやポーカーの勝敗を競うサスペンスでもある。ポーカーでテルに立ちはだかる敵は、星条旗模様のタンクトップを着て、勝つと「USA!USA!」と雄たけびを上げる男。それを無言で見つめるテルとの対比が鮮やかだ。

 イラク戦争のトラウマに捕らわれたテルは、カークに人生をやり直させることで自分も世界と和解しようとしている。それが失敗しカークが殺されたとき、テルは復讐のため再び拷問技術を使うことになる。

最近、こういう暗い情熱に貫かれた映画を見ることが少なくなった。この映画でどうしても思い出すのは『タクシー・ドライバー』。『カード・カウンター』の脚本・監督ポール・シュレイダーと製作マーティン・スコセッシは、『タクシー・ドライバー』の脚本(シュレイダー)、監督(スコセッシ)チームでもあったから。ベトナム戦争を背景にした1970年代の傑作の精神を半世紀後に今日の問題としてたどり直した、静かで暗い輝きに満ちた映画だった。

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