September 21, 2018

『寝ても覚めても』 人間の分からなさ

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ヒロイン朝子(唐田えりか)がはじめて麦(東出昌大)と会うときも、亮平(東出の二役)と会うときも、写真が二人をつないでいる。それも同じ写真。同じ服を着た双子の少女が、手をつないで並んでいる。若くして亡くなった写真家・牛腸(ごちょう)茂雄の代表作として、知る人ぞ知る作品だ。

この写真が、麦と亮平という双子のように同じ顔をした二人の男に朝子が否応なく惹かれていくことの予兆の役割を果たしている。主に子供たちを撮った牛腸茂雄の作品群には、子供時代の無垢と、裏腹にどこか無気味な残酷さが感じとれる。この背中合わせの背理の感情は、『寝ても覚めても』の底を流れる通奏低音でもある。

麦と朝子の恋は稲妻のような一撃で始まり、稲妻のような一撃で消える。亮平と朝子の愛は時間をかけて、ゆっくり熟成されてゆく。でもどちらも、それが成就するのか、次の瞬間に何が起こるのかは本人たちにも分からない。その分からなさが、この映画の魅力だ。

大阪。朝子は麦と出会い、恋に落ちる。熱烈な恋だが、ある日、麦はいきなり姿を消す。5年後の東京。喫茶店で働く朝子は、コーヒーの出前先で、麦そっくりなサラリーマンの亮平と出会う。亮平は朝子に積極的で、やがて朝子も亮平の優しさに惹かれてゆく。一方、大阪時代の女友だちから、麦がモデルとして活躍していることを知らされる。

亮平と朝子は同居するようになり、亮平に大阪本社へ異動の内示があったのを機に結婚を考える。しかし新居探しに大阪へ出向いた先の空き家で、朝子は麦が自分の前に姿を現すことを予感する。予感は的中し、亮平と朝子の歓送会の席上、いきなり麦が朝子の前に現れる……。

三人の関係はさらに二転三転するけれど、それはストーリーが複雑に絡んでクライマックスに向かうということではない。朝子の決断は、観客が納得するようには描かれていない。いや、朝子本人にすら分からないのだと言うふうに描かれている。ラストシーン。ベランダで亮平が朝子に静かに言う。「僕は朝子を一生信じられないかもしれないな」。

濱口竜介監督の前作『ハッピーアワー』では、監督と演技未経験の出演者自身が行った映像ワークショップの一部がそのまま映画に取り込まれていた。『寝ても覚めても』でも唐田えりかはこれがデビュー作で、同じようなワークショップを重ねて撮影に臨んだらしい。ただ、出演者が自分の経験を延長すればよかった『ハッピーアワー』に比べて、『寝ても覚めても』の朝子役はきわめて複雑な感情の動きを表現しなければならない。演技初体験の唐田えりかには荷が重く、彼女のその時々の表情に、観客としては「ああ、これはこういうことなんだろうな」と助け船を出す気持ちで見ていた。

でも未経験者を使うことは、濱口監督の映画のスタイルと密接に結びついている。本来は男女三人の絡み合いでストーリー的にも「アヤ」(by笠原和夫)満載で盛り上がるべきものなのだろうが、そうは撮らない。そこにある役者や風景を淡々と撮る。説明もしない。そこからこの映画の今日性が生まれてくる。例えばこの映画、演技派の二人(オダギリジョーと蒼井優とか)が演ずればまったく別の映画になってしまうだろう。日本映画にも新しい世代が出てきたことをひしひしと感ずる。


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August 22, 2018

『ミッション・インポッシブル/フォールアウト』 55歳、どこまで突っ走る?

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Mission: Impossibule- Fallout(viewing film)

映画の撮影現場で監督が撮影開始を告げる「ヨーイ、ハイ!」は、英語なら「Action!」だ。クリント・イーストウッドが映画監督に扮した『ホワイトハンター、ブラックハート』で、最後のセリフは「Action!」だった。

アクションが映画の原型的な魅力であることは言うまでもない。無声映画時代、バスター・キートンのアクロバティックなアクションは超人的で、崖をころがり落ちたり走る列車の屋根を走ったり、アクション映画の原点みたいなものだった。1980年代にフランス映画社が連続公開したのを見たんだけど、そのころはまたジャッキー・チェンの全盛時代だった。小学生だった息子と見た『プロジェクトA』や『ポリス・ストーリー』は、竹竿ひとつでビルの上階から飛び降りたり、これまた身体を張ったアクションの連続で子供と一緒に興奮した。

『ミッション・インポッシブル』シリーズは、VFXによってどんなインポッシブルなアクションも可能になったデジタル時代に、あえて生身の身体を張ることを売りものにしてきた。それがかつての二枚目、55歳のトム・クルーズというのがおかしい。『フォールアウト』はその6作目。

物語にそってアクションするというより、アクションのためにストーリーがつくられている感がある。撮影中、トムがロンドンでビルから跳んでくるぶしを骨折、6週間休んだというおまけつき。wikipediaによるとその間、8000万ドル払って役者とスタッフを他の映画に取られないよう拘束したそうだ。もっともこの金は保険でまかなわれたそうだから、トムが事故に遭う可能性は織りこみ済みということか。

「陸上選手さながらのビルジャンプ」「ヘリコプターにしがみつき、落下するアクション」「2000時間の飛行訓練を経たヘリコプター操縦」「高度7620mからのヘイロージャンプ」と売りものシーンがつづくなかで、いちばんすごいのは最後の断崖絶壁でのヘリコプター対決。まさかこれ全部実写じゃないよね。VFX使ってるよね。と思いながら、どこまで本当にやってるんだろうとはらはらしてしまう。設定はカシミールだが、ノルウェーの有名な絶壁で撮影したらしい。

パリ市街の狭い道路でのカーチェイスも、実際に撮ってるんだろうなあ。すごい。

イーサン(トム・クル―ズ)を中心に、メカ(と笑い)を担当するベンジー(サイモン・ペッグ)、ルーサー(ヴィング・レイムス)、美女のスパイ、イルサ(レベッカ・ファーガソン)とチームが固定されてきて、いかにもシリーズものらしくもなってきた。今回はシリーズ3作目に出てきた婚約者のジュリア(ミシェル・モナハン)も再登場する。レベッカ・ファーガソンとミシェル・モナハンが同じタイプでどことなくトムの元妻ニコール・キッドマンと雰囲気が似てるのは、トム(プロデューサーでもある)好みの美女ってことなんだろうか。

アクション映画にしては上映時間が長すぎて(切れなかったんだろう。148分)、ロンドンのシーン、ちょいと中だるみする。個人的には、ジェレミー・レナーが相手役になった『ゴースト・プロトコル』(レア・セドゥも女殺し屋で出てきたし)と『ローグネイション』のほうが好みかも。

とはいえ猛暑には、やはり何も考えないで楽しめるこういう映画もいい。監督は前作につづいてクリストファー・マッカリー。「フォールアウト」は公式HPでは「余波」と訳してたけど、プルトニウムの争奪戦だから「死の灰(fallout)」のことかな?


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August 19, 2018

『カメラを止めるな!』の社会現象

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One Cut of The Dead(viewing film)

日比谷の東京宝塚劇場地下にある旧スカラ座は、今どきの映画館に珍しく大スクリーンで座席数も多い、大きな映画館だった。今は隣にできたミッドタウン日比谷のシネコン、TOHOシネマズと地下通路でつながり、その一部になっている。東宝配給のいわゆる大作は近くの有楽町マリオンにかかってしまうせいか、旧スカラ座は映画館の大きさに見合う作品があまり上映されていなかったように思う。たまにスカラ座に行っても、ぱらぱらとしか客が入っていなかった記憶しかない。

その旧スカラ座に『カメラを止めるな!』を見にいったら、平日の午後で座席の7割以上が埋まっているのに驚いた。若いカップル、女性同士も多く、ざわざわと映画が始まる前の期待感や熱気すら感ずる。旧スカラ座のさらに昔、道路を隔てたところにあった元祖スカラ座の満員の映画館(有楽座だったか?)で、『アラビアのロレンス』はじめ数々の映画を見たときの興奮をちょっと思い出した。

『カメラを止めるな!』は、6月にミニシアター2館で公開され、2週目から満員立ち見が出るようになり、7館、そして100館と上映館が広がっていった。低予算のインディペンデント映画が口コミやSNSで評判になり、客が詰めかける例は過去にもあったけれど、これほど大規模なのは日本映画で初めてじゃないかな。ふだん映画を見ない層が映画館にわざわざ駆けつけたわけで、ともかくもめでたい。これがきっかけで映画ファン、映画館で映画を見る楽しさに目覚める若い人が少しでも増えるといい。

映画はその成り立ちの当初から産業でもあった。いまデジタル化の波のなかで旧来の映画産業だけでなくアマゾンやネットフリックスが製作に参入してネット配信のみの映画が生まれるなど、映画をつくる環境、見る環境が大きく変わりつつある。そういう時代に映画館にたくさんの人が詰めかけるのは、僕のように古い映画ファンにはぞくぞくするほど嬉しい。

これだけの客を呼べたのは、やはり『カメラを止めるな!』が楽しめる映画になっているからだろう。正直のところ作品の質は映画のなかのセリフを借りれば「そこそこ」だけど、映画をつくることについての映画という通好みの題材をコメディーに仕立てて、いろんなアイディアが詰めこまれているのが買える。笑って、ちょっと怖がって、でも楽しんで、最後にみんなでいい気持ちになれる。映画ファンでなくても面白がれる要素をそなえている。

冒頭の37分は、ゾンビもの。人里離れた廃工場でゾンビ映画を撮影中のクルー。カメラマンや助監督が次々に本物のゾンビになってしまい、主演の女優(秋山ゆずき)や男優(長屋和彰)に襲いかかる。モノクロームで、37分が手持ちカメラのワンショット。不自然な間やセリフがあって、自主製作映画ふうのチープなつくりになっている。

エンドマークが出て、まさかこれで終わりじゃないよなと思っていると、次のパートが始まる。いわばゾンビ映画のメイキング。「早い、安い、そこそこ」と評判のテレビ番組の監督(濱津隆之)が、ゾンビ専門チャンネルの開局記念に、「ゾンビ映画をつくっていたクルーがゾンビに襲われる」番組を30分生中継、ワンカットでつくってくれと頼まれる。冒頭の37分が、その生中継の映像だったというわけ。

スポンサーやプロデューサーの意向にさからえない監督は、家庭でも元女優の妻(しゅはまはるみ)や演出家志望の娘(真魚)に頭が上がらない。情けない監督が、準備が進み、生中継の本番ではどんどん本気になってゆく(「カメラを止めるな!」の決めゼリフ)。主婦業の妻が現場でいきなり女優として出演し、のめりこんでゆく。娘がスタジオを仕切る。3人の、家庭と現場のあまりの差がおかしい。

冒頭のワンカット映画で不自然だった間やセリフも、ここで舞台裏が明かされる。30分ワンカットの最中にカメラマンが転んでしまい画像が止まったり、アル中の出演者が酒を飲んで泥酔状態になったり、機材がこわれてしまったり、そんなアクシデントをどうとりつくろって生中継をつづけるか。冒頭のワンカット映画とその舞台裏の落差が笑いになる。これらは脚本に書かれ演出された「アクシデント」だが、上田慎一郎監督のインタビューによると、ワンカットの撮影中にシナリオにない本当のアクシデントが起き、それもなんとかしながらの撮影だったそうだ。その必死さがまた笑いを呼ぶ。

映画のなかのカメラマンが撮影する画面。出演者であるカメラマンとカメラを撮っているカメラの画面。ワンカット映画がどうつくられたかを明かすメイキングの画面。三つのレベルの画面が入り組んで、映画をつくることについての映画になっているのは、この映画が監督・俳優養成学校であるENBUゼミナールのプロジェクトだからだろう。

上田監督はインタビューのなかで、ジョージ・A・ロメロとかトビー・フーパーとかゾンビ映画の古典をつくった監督の名前を挙げている。僕はゾンビ映画をほとんど見ないけど、ゾンビ映画のファンなら、ここはあの映画のあの場面、この映画のこの場面と、そんな楽しみもあるだろう。

ほとんど無名の役者たちだけど、監督役の濱津隆之がいい味出してる。面白いバイプレイヤーになるんじゃないかな。

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August 06, 2018

『ウィンド・リバー』 アメリカの「インビジブル・ピープル」

Windriver
Wind River(viewing film)

10年前、ニューメキシコ州サンタフェから先住民プエブロ族の保留地を車で走ったことがある。リオ・グランデ川の両岸に灌木の茂った荒野(砂漠)が延々とつづき、人家はほとんど見当たらない。そんな荒涼とした風景のなかに、いきなりカジノとホテルが出現する。先住民の保留地は自治権を持っているが、雇用と利益を生む産業(?)としてカジノが認められている。とはいえ鎌田遵『ドキュメント アメリカ先住民』(大月書店)によれば、カジノがうまくいっている保留地は少なく、大半の保留地では失業、アル―コール依存、ドラッグ依存、性暴力、ギャングなどの問題が蔓延している。

『ウィンド・リバー(原題:Wind River)』は、ワイオミング州にあるアラパホ族、ショショニ族の保留地。9000㎢の広大な地域にわずか26000人が住み、その80%が先住民だ(wikipedia)。そもそも保留地は、土地を追われた先住民を「人が住むべきでない地」(テイラー・シェリダン監督、公式HP)に強制的に押し込め、名目的な自治を与えたがドラッグ、暴力などさまざまな問題を生んだ「アメリカの最大の失敗」(同監督)と言われる場所だ。この映画は、そこを舞台にしている。

ワイオミングの映画といえば、心に残るのは雪の風景。『シェーン』で主人公シェーンは雪の山道を踏み越えてやってきたし、『ブロークバック・マウンテン』でも2人の男の背後にある山は雪に覆われていた。『ウィンド・リバー』の冒頭も夜の雪原。先住民の少女が、なにものかから逃げるように走っている。この映画でも、雪の風景が登場人物のさまざまな心象を映すイメージの鍵になっている。

先住民の妻と離婚した野生生物局のハンター、コリー(ジェレミー・レナー)が、保留地の雪原で狩りをしていて先住民の娘の死体を見つける。殺人事件なので部族警察でなくFBIが呼ばれ、新人捜査官のジェーン(エリザベス・オルセン)がやってくる。雪原での動き方すら知らないジェーンはコリーに助けを求め、部族警察のベンとともに捜査に当たることになる。死体があったのは人家から遠く離れた雪原だが、何キロも先にあるのは犯罪者やドラッグ中毒が集まる先住民の家と、石油掘削基地にある白人のトレーラー住宅だった。

保留地は自治ということになっているが、広大な保留地に部族警察官は6人しかいない。無法地帯と変らない。捜査は命がけだ。札付きの先住民の家では銃撃戦になる。石油掘削基地でも従業員は武装し、はじめから喧嘩腰で互いに銃を向け合うことになる。

捜査のなかであぶりだされるのは先住民の置かれた環境だ。札付きの先住民の家にたむろしていた被害者の弟はドラッグ中毒。先住民の妻との間にできたコリーの娘も、かつて行方不明になり死体で発見された。夜、コリーの妻の実家を訪れたジェーンに、コリーはそう自分の家族のことを語る。コリーの娘と被害者は高校の同級生だった。

それがコリーがジェーンに協力する理由なのだが、だから最後にコリーが犯人を追い詰めたとき、(もともと警察権を持ってないし)法の執行でなく復讐の色合いを帯びることになる。傷ついたジェーンもそれに同意していた。

いくつもの短いショットが先住民の悲しみを伝える。防寒具を用意してこなかったジェーンがコリーの娘(殺されていたことが後に観客にわかる)のものを着て部屋から現れたとき、娘の祖母が見せる一瞬胸をつく表情。無力感にとらわれながら、淡々と自分のなすべきことをする部族警察のベン。これから収監されたドラッグ中毒の息子を迎えにいく、と静かにコリーに語る被害者の父。

保留地とそこに暮らす人々は、ケイト・ブランシェットが『万引き家族』を評した言葉を借りれば、アメリカ人にとっての「インビジブル・ピープル(見えない人々)」だろう。8年前に公開された『フローズン・リバー』もカナダ国境の保留地を舞台にしたクライム・ストーリーで、コートニー・ハント監督の長編第1作だった。『ボーダーライン』の脚本家テイラー・シェリダンが監督第1作に選んだこの映画も居留地と先住民が主題になっていて、アメリカ(ハリウッド)でも意欲的な新鋭がこういうテーマを積極的に選ぶことに頼もしさを感ずる。

シェリダン監督は、本作の前に劇場公開しないネットフリックス・オリジナル映画『最後の追跡(原題:Hell or High Water)』の脚本を書き、これも評判になった(ジェフ・ブリッジス主演。アカデミー賞にノミネート)。いま、ネットフリックス・オリジナルやアマゾン製作などで、次々に意欲作がつくられている。劇場未公開映画のノミネートをめぐって、カンヌ映画祭とネットフリックスが対立したことは記憶に新しい。映画をつくる、見る環境がどんどん変わってゆく。映画館の暗闇、という映画を見ることの魅惑は20世紀のものだったのかもしれない。


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July 10, 2018

『ゲッベルスと私』 103歳に刻まれた皺

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A German Life(viewing film)

ナチの宣伝大臣ゲッベルスの秘書を務めたブルンヒルデ・ポムゼル。撮影当時103歳の老女の顔、というより皮膚のすべてに刻まれた無数の深い皺を、カメラがあらゆる角度から撮影している。黒い背景のなか、椅子に座った彼女が語る。目元や口元のアップから上半身のバストショットまで、ほとんど変化のないモノクローム映像。時に皮膚の細部は人間のものとは思えない相貌を見せてぎょっとさせられる。その映像の力が、『ゲッベルスと私(原題:A German Life)』を支えている。

ブルンヒルデの語りの合間に、各国が製作したニュース・プロパガンダ用の記録映像が挿入される。彼女は30歳の1942年からナチスが敗北するまでの3年間、ゲッベルスの秘書として彼の近くにいた。でも「言われたことをタイプしていただけ」で「ホロコーストについては何も知らない」と言う。彼女が本当のことを語っているのかどうかはわからない。挿入される強制収容所や虐殺されたユダヤ人の映像。69年の沈黙を破った語りと記録映像。映画はそれを何のメッセージもなしに交互に観客に見せる。そこから何を受け取るかは観客に任されている。

ブルンヒルデの皮膚に刻まれた深い皺は、69年という時間を意味していよう。でも、ホロコーストを生んだ人種差別やナショナリズムの問題は何ひとつ解決していない。というより、21世紀になって人種や宗教上の対立や排外主義、ナチスと同様に大衆を動員するポピュリズムは世界のあらゆる場所で燃えさかり、世界は野蛮に向かっている。ブルンヒルデが仮に何も知らなかったとしても、知らなかったこと、知ろうとしなかったことが、ナチスを支えた。それは、この映画を見る私たちの問題でもある。

監督はクリスティアン・クレーネスら。クリスティアンが設立した映像プロダクション、ブラックボックス・フィルムの製作。撮影機材はソニーの高精細ビデオカメラHD-CAM。


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June 16, 2018

『万引き家族』 小津映画の末娘

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Shoplifters(viewing film)

是枝裕和監督の映画は日本でも外国でも小津安二郎監督の映画と比較される、あるいは小津映画の系譜を引くと言われることが多い。二人の主要な作品がともに家族を主題にしているからだろう。それはその通りだと思う。でも当然のことながら、個性が違い時代も違うから、二人の映画がそのまま重なるわけではない。『万引き家族』は、僕には小津映画とネガポジの関係にあると見えた。

小津映画の家族構成はいつもおよそ決まっている。明治生まれの父と母。『東京物語』なら笠智衆と東山千枝子になる。大正末から昭和初期生まれの息子と娘世代。年齢からして、息子は戦争に行くか植民地で仕事をしている。『東京物語』なら次男が戦死し、その未亡人である原節子がヒロインとして登場する。原節子は『東京物語』はじめ小津監督の「紀子3部作」で、紀子という役名で三度、明治生まれの父母の娘世代の役を演じている。

原節子はいつもしっかりした長姉といった立場で、その下に妹あるいは妹世代の女優がいる。『東京物語』なら香川京子、ほかの映画なら有馬稲子、岡田茉莉子、岩下志麻らが起用された。失敗作とされる『東京暮色』(僕は好きな映画だけど)では原節子と有馬稲子は姉妹役だ。原節子が、観客が期待する理想的な娘(嫁)の像を演じていたのに対し、末娘たちははねっかえりで、自己主張が強く、問題を抱えていることが多かった。

『万引き家族』の初枝(樹木希林)は、世代的には小津映画の末娘たちと重なるのではないだろうか。初枝は小津映画の香川京子や有馬稲子、岡田茉莉子、岩下志麻らの半世紀後の姿だと考えれば、小津映画と『万引き家族』がつながる。

初枝がどのように現在の暮らしになったのか映画のなかで語られないから、セリフの端々から想像するしかない。初枝は結婚したが離婚し、独りで働いて年金で細々と暮らしている。どんないきさつかわからないが、治(リリー・フランキー)と信代(安藤サクラ)のカップルと出会い、二人は初枝の家にころがりこんだ。独りで死んでゆく初枝が寂しさから二人を受け入れたのか(あるいは、治は初枝の実の息子で、幼い治を連れて家を出たのだろうか。よくわからない)。治は信代の夫(恋人?)を殺して罪に問われた過去をもつ。出所後は日雇いや万引きでその日暮らしをしている。

さらに二人の同居人がいる。亜紀(松岡茉優)は、初枝と離婚した夫が再婚して生まれた娘らしい。でも家出して、義理のおばあちゃんの家に転がり込み、風俗でお金をかせいでいる。小学低学年くらいの祥太(城桧吏)は、治と信代がパチンコ店の駐車場で声をかけ、そのまま二人についてきてしまった。育児放棄されていたのだろうか。治は祥太に万引きのやり方を教えこみ、二人は組んで万引きを繰り返している。映画はそこから始まる。

万引きの帰り、治と祥太は他人のアパートの部屋で寂しそうにしている幼女のゆり(佐々木みゆ)に声をかける。両親が喧嘩する声が聞こえる。虐待されていたのか、ゆりは黙って治についてきて、「家族」がまたひとり増える。血のつながった人間でなく、他人が寄り集まった疑似家族。でもマンションに囲まれた古い木造家屋で、初枝の年金を頼りに貧しいながらそれなりに楽しく暮らしている。

この映画の名場面として語りつがれるであろうショットがたくさんある。

信代とゆりが一緒に風呂に入り、互いに腕の傷(自傷行為だろう)を見せあうシーン。祥太がゆりに万引きを教え、子供ふたりで駄菓子屋で万引きするシーン(店主の柄本明は万引きを見逃していたが、「妹にはさせるな」と祥太に言う)。治と信代の、雨音がする暗い室内での長いラブシーン(安藤サクラが色っぽい)。亜紀が初枝の膝に頭をのせ、人肌の温かさに静かに涙を流すシーン。家族そろって縁側から隅田川花火の音だけを見上げるシーン。

でも疑似家族の幸せは長くつづかない。ゆりの「誘拐」がテレビ報道される。ゆりの万引きが発覚しそうになり、それをかばって祥太が自ら万引きして追われ、ケガをして警察沙汰になる。家族のなかで祥太だけが、成長して社会的な目をもつようになっている。

物語が動くと、血のつながった家族の偽善的な顔があらわになる。「誘拐」されたゆりが戻った両親は、マスコミの前で良き父母を演ずる(ゆりは再び育児放棄される)。亜紀の両親は、線香を上げに(実は金をせびりに)訪れた初枝に、亜紀はオーストラリアに留学でと不在を取りつくろう。

家族と古い日本家屋という小津映画の枠を受け取ってはいるが、小津映画から現在までの時間のなかで家族は解体し、漂流し、日本家屋はマンション群に包囲されてしまった。そのなかで、解体した家族の破片が寄りそってつくる疑似家族がつましく楽しく暮らしている。その背後にある年金詐欺、育児放棄、虐待、孤独。戦後中流家庭の小さな波乱はあっても穏やかな日常を描いた小津映画とネガポジの関係と感じたのは、そんなあたりだ。

信代が警察に連れていかれてからの独白シーンの安藤サクラが素晴らしい(カンヌの審査委員長ケイト・ブランシェットがほめていた)。正面から固定カメラで長いバストショットで捉えられる。前作『三度目の殺人』でも似たショットがあったけれど、引きの場面が多い是枝映画に新しい力をつけ加えたように感らじられる。是枝監督の代表作と呼ばれるようになるのは間違いない。


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June 11, 2018

『軍中楽園』 亜熱帯の甘やかさ

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Paradise in Service(viewing film)

台湾映画『軍中楽園(原題:軍中樂園)』のタイトルを日本ふうに言えば軍慰安所ということになる。日本の軍慰安所は、日本軍が関与し部隊に同伴して設けた管理売春施設。日本人女性ばかりでなく、当時は大日本帝国の植民地だった朝鮮や台湾の女性を時に騙して慰安婦とした。そのことへの日本政府の謝罪と補償が十分でないため、現在まで鋭い人権問題、政治問題になっている。

軍慰安所は戦後の台湾にもあった。1950年代から1992年に廃止されるまで、金門島などに「軍中特約茶室」(通称・軍中楽園)として存在した国防部の正式機関。金門島は中国大陸と2キロ弱しか離れていないため、中台が対立する最前線だった。

徴兵されたバオタイ(イーサン・ルアン)は金門島の精鋭部隊に配置される。でも長距離を泳げないことから、特約茶室を管理する831部隊に配置換えされてしまう。バオタイは女たちの世話をするうち、他人と打ち解けず陰のあるニーニー(レジーナ・ワン)に親しみを覚える。バオタイの元上官で蒋介石とともに中国大陸からやってきたラオ(老)ジャン(チェン・ジェンビン)はアジャオ(アイビー・チェン)に惚れ、結婚しようと考えている。バオタイの友である同期兵は古参兵にいじめられ、女のひとりと逃げ、海を泳いで大陸へ亡命しようとする。

まだ女を知らず純情なバオタイと、大陸に家族を残したラオジャンの望郷の念を軸に、特約茶室の日常が描かれる。バオタイたちは女たちの身の回りを世話し、脱いだ下着を「洗っといて」とばかりに渡されたりする。女たちをトラックに乗せ外出して美容室や買い物に行くとき、囚人であるニーニー(夫を殺し、刑期を短くして早く子供に会いたいため茶室に志願した)には手錠がかけられる。女たちの喧嘩。妊娠。

亜熱帯の濃い緑と花に囲まれた「楽園」の古い建物。金門島の繁華街はセットだろうか。大陸からは決まった曜日の決まった時間に儀礼のような砲撃があり、そのたびに人々は地下に逃げ込む。最前線ではあるが、本当の意味での緊張はない。特約茶室の享楽的な空間も、明日の命も知れない戦時の切羽詰まった空気とは違う。どこかのんびりしている。

特約茶室にやってくる、いろんな事情を抱えた女たち。兵隊もひとりひとりそれぞれの思いを抱えている。そこでいろんなことを目撃し、体験し、バオタイは大人になってゆく。ニーニーが特赦を受けて茶屋を去る最後の夜、互いの気持ちを確認しながら、バオタイはニーニーの心を傷つける言動をしてしまう。

この映画にはホウ・シャオシエンが編集協力している。ホウ監督ふうな風景ショットが挿入されたりもする。監督のニウ・チェンザーは、少年のころ俳優としてホウ・シャオシエンの『風櫃の少年』に主演していた。そのホウ監督の『恋恋風塵』では、主人公のワンは兵役について金門島に配属されていた。それを考えあわせると『軍中楽園』は、実はワンの『恋恋風塵』で描かれなかった隠されたエピソードと考えるのも面白いかもしれない。バオタイもワンも内気な少年というあたり似ているし、ワンの幼馴染みホンへの一途な思いを考えると最後の行動も納得がいく。

1992年に廃止された後、特約茶室のことは台湾でも誰も触れたがらなかったという。それをこんなふうに、いわばイデオロギー抜きで映画にしたのがいかにも台湾らしい。この映画では、例えば日韓の慰安婦問題のような歴史認識をめぐる問題はない。でも現在、国際的に関心を集める慰安婦問題は歴史認識というより人権問題である側面がある。いくら国家や民族間の葛藤がないといっても、男の視線から見たこの映画の女性の描き方は、フェミニストから見れば問題ありといわれかねない。そのあたりがおおらかというか、ゆるいというか。だからこそ、青春映画ぽい甘やかな香りがするのだけれど。

エンドロールで、別の選択があればありえたかもしれない写真が3枚、挿入される。バオタイとニーニーと彼女の子供の三人が一緒に笑って写っているショット。ラオジャンと彼が逆上して殺してしまったアジャオと、ラオジャンの夢だった餃子屋を二人で営んでいるショット。大陸へ逃げようとし、たぶん溺れて死んだ同期兵と女が、天安門広場で笑っている記念写真。映画としての完成度はいまひとつながら、それぞれの生と死が悲しい。

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May 31, 2018

『ファントム・スレッド』 ねじれた恋愛映画

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Phantom Thread(viewing film)

『ファントム・スレッド(原題:Phantom Thread)』は「幻の糸」とでも訳したらいいだろうか。「糸」の単語には、主人公が服飾デザイナーであることが掛けられているんだろう。ポール・トーマス・アンダーソン監督は、ヒッチコックの『レベッカ』のようなゴシック・ロマンスをつくりたかったと語っている(『エンタテインメント』のインタビュー

『レベッカ』は英国貴族と、彼と結婚した成り上がりの娘が主人公。館には、謎の死を遂げた先妻レベッカに仕えた老メイドがいて、家を差配している。貴族と新妻と老メイドの心理的な駆け引きがサスペンスを生んでいた。その人間関係が『ファントム・スレッド』に引き継がれている。

1950年代ロンドン。ヨーロッパの王族や上流階級を得意先にもつデザイナーのレイノルズ(ダニエル・デイ=ルイス)は、別荘近くで働くウェイトレスのアルマ(ヴィッキー・クリープス)を見初め食事に誘う。レイノルズが「完璧な体形だ」とアルマに言って、別荘で初めて採寸する場面はなんともエロチック。そこにレイノルズの姉シリル(レスリー・マンヴィル)が現れて採寸のノートを取る。

アルマはレイノルズと一緒に住むようになるが、職住一致の工房を差配しているのは姉のシリル。レイノルズは寝ても起きてもデザインのことを考え、自分の思うように生きている男。朝食を食べながらスケッチし、アルマが立てるフォークの音やカップを置く音(音響が誇張されている)に苛立つ。一緒にテーブルを囲むシリルは、アルマに「食事は別にしたほうがよさそうね」と冷たい顔で告げる。姉のシリルは仕事でも私生活でもレイノルズのことをすべて分かっていて、アルマの入りこむ余地はない。

3人の心理劇と並行して、1950年代上流階級のファッションと、オートクチュールの内側が描かれる。僕はこういう世界に興味も憧れもないけど、関心があればP.T.アンダーソンのめくるめく映像(デジタルでなくフィルム)に陶然となるだろう。なるほど注文服はこうしてできるのかと初めて知った。身体のちょっとした凹凸の細かな採寸。お針子はお婆さんばかり(若い娘が服を縫うと結婚できないとの言い伝えがあるそうだ)。デザイナーの密かなメッセージが芯に縫い込まれる。レイノルズは自分用の服には母親の髪を縫い込む(これがタイトルの由来か)。鋭い針と縫い糸が布から顔を出すクローズアップにはっとする。

アルマは黙って夫と義姉に従いながら思い切った行動に出る。別荘で採った毒キノコを粉にしてレイノルズのお茶に入れるのだ。仕事中に倒れたレイノルズをアルマは寝室に連れてゆく。シリルが医者を呼んでもアルマは夫を診せようとせず、シリルに仕事に戻るよう言われてもレイノルズのそばを離れない。レイノルズははじめてアルマに身も心も委ねる。そこから3人の関係が変わりはじめる……。

レスリー・マンヴィルは、田舎娘が上流階級の世界に入りこみレイノルズのミューズとなってやがて男を操るまでを演じて見事。この映画で引退すると伝えられるダニエル・デイ=ルイスは1年間、オートクチュールで服づくりを学んだそうで、相変らず完璧になりきっている。老練なレスリー・マンヴィルと3人で繰り広げられるねじれた恋愛映画を楽しんだ。

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May 25, 2018

『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』 パープルカラーの貧困

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The Florida Project(viewing film)

ディズニー・ワールドはアメリカ南部フロリダにあるけれど、周辺の風景もディズニー世界の延長みたいだ。かに道楽みたいなディズニー・キャラクターのあるギフト・ショップ。大きなオレンジを半分に切ったようなオレンジ・ワールドなるショップ。ソフトクリーム形のアイスクリーム店。はりぼてのロケットを看板にしたイン。建物全体をパープルに塗ったモーテル「マジック・キャッスル」は主人公たちが住んでいるところだ。それらの背後に亜熱帯の空。驟雨と虹。

そんなおもちゃの世界のような色彩が、『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法(原題:The Florida Project)』の一方の主役だろう。その色彩はデジタルではなくフィルムで撮影され、パステルカラーをフィルム独特の質感と深みで捉えている。

ディズニー・ワールド近くの安モーテルに暮らすシングルマザーのヘイリー(ブリア・ビネイト)と6歳になる娘のムーニー(ブルックリン・キンバリー・プリンス)。ヘイリーは観光客に香水を売りつけたり売春をしたりで生活費をかせいでいる。ムーニーはモーテルに住む同年代の男の子、女の子と遊んだり、悪さをしたりしている。悪ガキどもを時に怒りながら見守るのは、モーテルの管理人ボビー(ウィレム・デフォー)。

ヘイリーと子供たちの日々が描かれる。ダイナーでウェイトレスをしている男の子の母親に裏口から食べ物をもらって、母娘は食事をする。子どもたちは空き家に入りこんで火遊びし、火事を起こしてしまう。ヘイリーがモーテルの部屋へ客を引きこんで売春しているあいだ、ムーニーは風呂に入って遊んでいる。ヘイリーは客からディズニー・ワールドの入場券代わりのマジックバンドを盗み、観光客に売りつける。

そこから見えてくるのは、カラフルなお伽の国のかたわらにある貧困だ。かつて観光客のために建てられた「マジック・キャッスル」は、貧困層が暮らす場所になっている。月1000ドルのモーテル代(決して安くない)を払えないと、荷物を預けて誰かの部屋に泊めてもらう。

子どもたちは皆素人だけど、誰もが自然でのびのびしていて素晴しい。彼らを温かく見守るウィレム・デフォーもアカデミー賞は取れなかったけど、オーナーに逆らえずルールを守りながらも優しい管理人は過去に辛い体験をしてきたんだろうなと感じさせる。

ヘイリーの売春がばれ、児童家庭局の係官が来てムーニーは母親と別れさせられる。別れを告げにいったムーニーと友達の女の子は、まだ行ったことのないディズニー・ワールドに向かって走りだす。その瞬間、カメラはフィルム撮影からiPhone撮影の子供の目に切りかわる。ディズニー・ワールドの許可を得ないゲリラ撮影だったらしい。ショーン・ベイカー監督の前作『タンジェリン』(未見)は全編iPhoneで撮影されて話題になった。子供たちの「フロリダ・プロジェクト」に思わず涙する。

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May 13, 2018

『タクシー運転手』 カーチェイスもある光州事件

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A Taxi Driver(viewing film)

光州事件が起こったとき、同時進行ではほとんどなにも伝えられていなかった。ソウルでの戒厳令解除を求める学生デモや金大中の逮捕は大きく報じられたけれど、事件が起こって数日たってから、どうやら光州が大変な事態になっているらしい、という報道を読んだように記憶する。記者が直に光州に入っての報道ではないから、映像はなかった。この映画の主人公、ドイツ通信社の記者が撮影した映像を見たのは、だいぶたってからだったように思う。

全羅南道にある光州の学生市民が立ちあがったのは、同じ全羅南道出身の政治家、金大中が逮捕されたことが大きかった。全羅道は、なにかといえば慶尚道出身者が多い朴正熙政権に差別されてきた歴史があるわけだし。

立ちあがった学生・市民に対し軍が発砲・鎮圧し200人以上の死者・行方不明者を出したという事件の全貌が明らかになったのは、盧泰愚政権によって不十分ながらも民主化が進められた後だった。『タクシー運転手 約束は海を越えて(原題:택시운전사)』は、そんな韓国現代史の重大事件を、事実に基づきながら笑いと涙、おまけにカーチェイス(!)まである王道のエンタテインメントに仕立てあげた。そこが面白い。

ドイツ通信社の日本特派員ピーター(トーマス・クレッチマン)は光州でなにかが起こっていると聞き、宣教師と身分を偽って韓国へ入る。ピーターを乗せたソウルのタクシー運転手マンソプ(ソン・ガンホ)は、小学生の娘をアパートに残したまま、なにもわからずタクシーを走らせる。光州では軍がデモ隊に発砲するなか、2人はタクシー運転手のテスル(ユ・ヘジン)や学生のジェシク(リュ・ジュンヨル)と行動を共にすることになる……。

親一人子一人で暮らすマンソプは家賃も払えず、壊れたサイドミラーを直すのも値切ったり、金のために仲間を出しぬいて客のピーターを奪ったり。そんな情けない男をやらせればソン・ガンホの独壇場。ピーターが事件を追う緊迫と、マンソプの人情喜劇ふうな笑いが並行して描かれる。互いにどこまで信用していいかわからないピーターとマンソプの掛けあいも、定型どおりだけどガンホの大げさな身振りとクレッチマンの無表情が対照的。ソウルでは学生デモに顔をしかめていたマンソプも、光州の惨状を見てピーターのことを放っておけなくなる。人情に厚く人のいい光州人をユ・ヘジンが、音楽好きな大学生をリュ・ジュンヨルが演じ、これも「寅さん」映画に出てくる面々みたい。

マンソプはアパートに残した娘が心配で一人ソウルへ引き返すが、途中でタクシーをUターンさせ光州へ戻る。ここでのソン・ガンホは感情を抑えた演技。画面は光州での弾圧のすさまじさをたっぷり見せる一方、軍警察とマンソプたちの追っかけもある。光州からの脱出では、テスルたち光州のタクシーが2人を助けてカーチェイス(もちろんフィクション)をたっぷり見せる。はらはらドキドキのうちに、観客は光州でなにがあったのかを知る。

チャン・フン監督はキム・ギドクの助監督を務め、デビュー作の『映画は映画だ』は映画俳優とヤクザの友情を絡めた映画づくりの話だった。『高地戦』は朝鮮戦争休戦時刻ぎりぎりの南北の戦闘を描いて、いい映画だった。『タクシー運転手』もそうだけど、立場の違う男たちの葛藤と友情というテーマが通底しているように思う。韓国映画で目を離せない監督の一人だ。


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