『遠い山なみの光』
『遠い山なみの光(原題:A Pale View of Hills)』は不思議な感触の映画だった。カズオ・イシグロの原作を石川慶が監督した日・英・ポーランド合作映画。セリフも映像も見慣れた日本映画のそれではないし、イギリスの堅実なリアリズム映画とも違う。ポーランドで映画を学んだ石川監督とポーランド出身のカメラ、ピオトル・ニエミイスキ(いくつもの印象的なショットがある)のチームが醸し出す色でありリズムなんだろうか。加えて、長崎とイギリスが舞台のこの映画で主人公の悦子(吉田羊)が娘のニキと英語でしゃべりはじめたとき、そうだ、原作は英語の小説なんだよな、と気づいた。日本語の小説や日本映画には、日本人には当然のこととされ語られない前提がいっぱいある。日本人の琴線を揺さぶるセリフや映像やリズムも、つくる側、見る側、ともにたっぷり蓄積されている。この映画にはそれがない。それが新鮮だった。
1980年代、イギリスの田舎に住む悦子のもとを、ロンドンに住む娘のニキが訪ねてくる。大学を中退し物書きを志すニキは、イギリス人の父と結婚して渡英した母・悦子の長崎時代の思い出を聞いて作品にしようとしている。
1950年代、長崎で結婚し妊娠していた悦子(広瀬すず)は、川原のあばら家に住む佐知子(二階堂ふみ)とその娘と知り合う。悦子も佐知子も原爆を体験しているが、背景として語られるだけでそこへ深入りはしない。佐知子はアメリカ兵と恋愛し、すぐにもアメリカに旅立つと悦子に語る。佐知子の娘は行きたくないとぐずっている。結婚し社会の常識に沿って生きている悦子と、周囲の目を構わず自分の意思を押し通そうとする佐知子。
若い悦子が妊娠していたのは、ニキの姉にあたる長女で、イギリスで音楽家になるはずだったのに自死していた。老いた悦子は、それが自分のせいではなかったかと自問している。悦子と娘、佐知子と娘。老いた悦子が語る佐知子と娘の記憶が、若い悦子と娘に重なってくる。
二組の相似た母娘について、映画は最後にある謎解きをしている。でも原作にそれはなく、謎は謎のまま宙吊りにされ多様な解釈を許す。謎解きは石川監督が映画化に当たっての原作の解釈。カズオ・イシグロはこの映画のプロデューサーとしてもクレジットされているから、原作の自由な解釈をむしろ楽しんでいるのだろう。
対象から距離を置いたショットが多く、色彩も抑えられ、そのクールな感じがカズオ・イシグロの淡い光の世界にぴったり。


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