『メガロポリス』
フランシス・フォード・コッポラ監督の『メガロポリス(原題:Megalopolis)』、作品としての出来は正直言って良くないけど、それでも見てよかった。たぶんコッポラ最後の映画になるだろうけど、同時代に見てきたハリウッドの最も大きな存在だったコッポラが、最後になにをつくりたかったか、どこへ回帰したかを見られた、という意味で。
ニューヨークを古代ローマに見立てた未来都市の叙事詩。21世紀、アメリカのニューローマという架空の都市にローマ帝国が重ねられ、無声映画以来のハリウッドの「ローマもの」が重ねられ、現実の都市や20世紀の政治が重ねられる、いかにもコッポラらしい大作。
アールデコ様式で名高いクライスラービルや、古代ローマの神殿のようなウォール街の証券取引所ビルが出てくるから、ニューローマはニューヨークを模した都市。享楽に耽る富裕層と貧困層の対立のもと、富裕なクラッスス一族の天才建築家カエサル(アダム・ドライバー)が、発明した新素材で理想の未来都市をつくろうとする。市長のキケロはそれに反対しカジノ建設を目論む。キケロの娘がカエサルといい仲になる。クラッスス家の跡目をめぐる争いもある。カエサルを貶めようとフェイク画像も飛び出す。富裕層が浸る享楽のシーンでは、無声映画『月世界旅行』のように作り物の三日月に座る薄物をまとった女性や、『ベン・ハー』のような戦車競走も出てくる。カエサルやキケロ、クラッススという名前もそうだが、メイクや衣装も過去の「古代ローマもの」映画のような雰囲気。かと思うと、いきなりヒトラーの記録映像が挿入され、9.11のグラウンド・ゼロのような風景や、ポピュリストの政治家が登場したりもする。そんなふうに色んなものが詰め込まれている。
映像のひとつひとつを見ているぶんには、さすがコッポラというヴィジュアルがあって飽きないのだが、それがニューローマという都市の叙事詩として見る者に届かない。未来都市の風景はどこかで見たような「未来」だし、カエサルと彼をめぐる人間模様も、恋にしても敵との対立にしても物語的な展開を排除しているから焦点を結ばないし、過去のハリウッドへのオマージュもVFXが時にチープに見える。
僕がコッポラをよく見たのは1980年代までで、以後は『ゴッドファーザー PARTⅢ』以外見ていない。この映画は構想40年(何度も挫折し、私財も投じた)というから、コッポラがどうしても撮りたかった映画だろう。コッポラ自身とアメリカとハリウッド映画、その過去・現在・未来を壮大な叙事詩に謳いあげる。でも意図はともかく、カエサルが信じた理想都市と人類への希望は、『地獄の黙示録』のカーツ大佐が呟いた「恐怖だ」の一言に負けた、と感じた。


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