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May 21, 2025

『新世紀ロマンティクス』

Sinnseiki

中国映画の最前線を走る二人の監督の新作『新世紀ロマンティクス(原題:風流一代)』(ジャ・ジャンクー監督)と『未完成の映画』(ロウ・イエ監督)が同時に公開されている(『未完成の映画』については当ブログで既に書いた)。奇しくも二本ともコロナ禍を素材とし、しかも自身の過去作品のフィルムを活用して過去と現在を対比させ、フィクションとドキュメンタリーの狭間で映画をつくる構造も似ている。二人の監督が偶然だろうけど過去に撮影されたフィルムを活用して同じような構造の映画をつくったのは、移動や映画製作を厳しく制限された環境下で、感染症によるパンデミックがいかに中国社会に深刻な影響を与えたかを物語るものかもしれない。

使われる過去作と、その時に撮影されたらしい町の風景は、改革開放下の地方都市・大同に生きる青春を描いた『青の稲妻』(2002)と、三峡ダム建設で水没する町・奉節に夫を探しに来た女を主人公にした『長江哀歌』(2006)。どちらの映画にも、『新世紀ロマンティクス』に主演する二人、チャオ・タオとリー・チュウビンが出演していた。そしてこの映画の「現在」は2022年、コロナ禍にある珠海と大同。過去の二作でチャオ・タオとリー・チュウビンが演じた役柄をひとりの女(チャオ)とひとりの男(ビン)として統合し、21世紀の20年間に出会い、別れ、再会する男女の物語が、三つの年代と三つの都市をつないで語られる。時の流れのなかで激変した町の風景、男と女の風貌、にもかかわらず変わらない二人の思いの深さに圧倒される。

ところで小生が初めて中国を訪れたのは1981年。まだ文化大革命の傷跡が生々しい時代だった。その後、鄧小平の手で改革開放による資本主義化へと舵が切られたが、この映画に出てくる2002年の地方都市・大同の町のたたずまいは 、小生が見た1980年代の町の風景とさして変わりない。それでも開放の風は地方都市にも吹いていて、モデルをやっているチャオは路上の仮舞台で、上海(だったか)から来た最新ファッションという露出の多い服を着て闊歩する。バイクの少年たちが、颯爽と歩くチャオにちょっかいを出す。新旧の混在する映像が、いかにもこの時代の空気だなあ。小生、この映画を事前の情報なしに見たのだが、彼女の服装を見たとたん、あ、これは昔見た『青の稲妻』だなと思い出した。チャオはビンの愛人らしいが、ビンは彼女に町を出ていくと告げる。

2本の過去作と当時撮った映像を使って新たな映画をつくるわけだから、第二の町、奉節の場面でもチャオ・タオとリー・チュウビンの短い映像をつなぎ、字幕も使って、ほんの短いショットで、ビンを探しにきたチャオとビンとの再会を物語る。やがて水中に没する斜面の建物群や、長江のほとりで出会う、その映像に何と力があることか。それがまた、会って再び別れる二人の切なさを際立たせる。

第三の町である珠海と、最後に戻る故郷の大同のエピソードはコロナ禍にあって、新しく撮影されたもの。何より、ビンを演ずるリー・チュウビンの老いよう、そのあまりの変わりように驚く。珠海へは奉節で知り合った男を頼って来たのだが、男は若い者にTikTokを使った商売をさせていて、ビンの居場所はない。故郷の大同に戻ったビンは、巨大なスーパーマーケットで、レジを打っているチャオと再会する。これもマスク姿の二人が互いに目と目を合わせる短いショット。ラストシーン、左手が麻痺し靴ひもを結べないビンに代わって、チャオが解けた靴ひもを黙って結んであげ、その後、決然と身をひるがえして夜のジョギング集団に身を投じていく。変わりゆく町と風景を背景に、20年にわたる男と女の思い、しかし二人がそれぞれの道をゆく姿が美しい。

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