« April 2025 | Main | June 2025 »

May 30, 2025

『青春 春・苦・帰』

Seishun

上映が終わってしまったが、中国のドキュメンタリー『青春』3部作(ワン・ビン監督)はいつまでも記憶に残る映画だ。第1部「春」3時間35分、2部「苦」3時間46分、3部「帰」2時間32分、計10時間3分の大長編。僕は1部と2部しか見てないのだが、ストーリーのある映画ではないので、3部はいつか見るお楽しみにとっておこう。

長江デルタにある浙江省織里は「中国子供服の都」と呼ばれ、子供服の中国(というより世界)最大の生産地だ。街路に面して個人経営の小さな会社がひしめき、その工場へ各地の農村から出稼ぎにきている若者たちを記録したもの。

電動ミシンの並んだ部屋で、すさまじいスピードで子供服を縫っていく男女の若者たち。出来高払いだから、1着でも多く仕上げたい。カセットデッキから中国ポップスが鳴り、ジーッ、ジーッとミシンが音をたてる。それを操る若者たちの手の素早い動きと眼差し。繰り返し映される工場(といっても団地のような狭い部屋の一室)に満ちるエネルギーがこの映画の通奏低音だ。若い男女が閉じ込められているのだから、互いにちょっかい出したり、悪ふざけしたりもする。カップルも生まれる。

いろんな出来事が起こる。妊娠してしまい、親が迎えに来た女性。作業量を書いたノートを失くしてしまい、賃金をもらえない男の子。賃金が安すぎると連れ立って社長と交渉したり(社長より社長の奥さんがヒステリックに叫ぶ)。その社長が夜逃げしてしまったり。1階が社長のデスクと作業場、2階がミシンのある工場、3階から上が若者たちの共同の住まいなのだが、カメラは若者たちが暮らす狭いドミトリーにも入ってゆく。洗濯したり、テイクアウトの麺を食べたり、スマホの写真を見せ合ったり。暗くなると外をぶらついたり。

そんなふうにひたすら彼らを記録し、そこからどんなテーマも主張も取り出そうとしないのがワン・ビン流の映画作法だ。ワン・ビンを世界的に有名にした『鉄西区』でもそれは貫かれていた。もちろん映像の背後には低賃金労働や出稼ぎをめぐる都市と農村の問題が潜み、当局が喜ばないであろう中国社会の現実が描かれているが、それをどう受け取るかは見る側に任されている。妊娠した女性も、賃金交渉も、社長の失踪も、その結果がどうなったのかは画面に出てこない。10時間すべてが物語としては断片の集積。それでいて僕が見た7時間余、少しも退屈しない。見た後でいちばん印象に残るのは、登場した男の子や女の子の身振りや声や喜怒哀楽の表情。彼らがいとしくなる。第3部も機会があれば是非見たい。

 

| | Comments (0)

JAZZワンダーランド

Img_3292

わが家から歩いて5分ほどのカフェSHOJIで、「高橋浩明のJAZZワンダーランド」の催しに。テナーサックス奏者の高橋さんが毎回、色んなプレイヤーを取り上げて演奏と語り。今回はクインシー・ジョーンズ。マイケル・ジャクソンとの絡みなどを。2メートルほどの至近距離でテナーの音を浴びて至福でした。

| | Comments (0)

May 21, 2025

『新世紀ロマンティクス』

Sinnseiki

中国映画の最前線を走る二人の監督の新作『新世紀ロマンティクス(原題:風流一代)』(ジャ・ジャンクー監督)と『未完成の映画』(ロウ・イエ監督)が同時に公開されている(『未完成の映画』については当ブログで既に書いた)。奇しくも二本ともコロナ禍を素材とし、しかも自身の過去作品のフィルムを活用して過去と現在を対比させ、フィクションとドキュメンタリーの狭間で映画をつくる構造も似ている。二人の監督が偶然だろうけど過去に撮影されたフィルムを活用して同じような構造の映画をつくったのは、移動や映画製作を厳しく制限された環境下で、感染症によるパンデミックがいかに中国社会に深刻な影響を与えたかを物語るものかもしれない。

使われる過去作と、その時に撮影されたらしい町の風景は、改革開放下の地方都市・大同に生きる青春を描いた『青の稲妻』(2002)と、三峡ダム建設で水没する町・奉節に夫を探しに来た女を主人公にした『長江哀歌』(2006)。どちらの映画にも、『新世紀ロマンティクス』に主演する二人、チャオ・タオとリー・チュウビンが出演していた。そしてこの映画の「現在」は2022年、コロナ禍にある珠海と大同。過去の二作でチャオ・タオとリー・チュウビンが演じた役柄をひとりの女(チャオ)とひとりの男(ビン)として統合し、21世紀の20年間に出会い、別れ、再会する男女の物語が、三つの年代と三つの都市をつないで語られる。時の流れのなかで激変した町の風景、男と女の風貌、にもかかわらず変わらない二人の思いの深さに圧倒される。

ところで小生が初めて中国を訪れたのは1981年。まだ文化大革命の傷跡が生々しい時代だった。その後、鄧小平の手で改革開放による資本主義化へと舵が切られたが、この映画に出てくる2002年の地方都市・大同の町のたたずまいは 、小生が見た1980年代の町の風景とさして変わりない。それでも開放の風は地方都市にも吹いていて、モデルをやっているチャオは路上の仮舞台で、上海(だったか)から来た最新ファッションという露出の多い服を着て闊歩する。バイクの少年たちが、颯爽と歩くチャオにちょっかいを出す。新旧の混在する映像が、いかにもこの時代の空気だなあ。小生、この映画を事前の情報なしに見たのだが、彼女の服装を見たとたん、あ、これは昔見た『青の稲妻』だなと思い出した。チャオはビンの愛人らしいが、ビンは彼女に町を出ていくと告げる。

2本の過去作と当時撮った映像を使って新たな映画をつくるわけだから、第二の町、奉節の場面でもチャオ・タオとリー・チュウビンの短い映像をつなぎ、字幕も使って、ほんの短いショットで、ビンを探しにきたチャオとビンとの再会を物語る。やがて水中に没する斜面の建物群や、長江のほとりで出会う、その映像に何と力があることか。それがまた、会って再び別れる二人の切なさを際立たせる。

第三の町である珠海と、最後に戻る故郷の大同のエピソードはコロナ禍にあって、新しく撮影されたもの。何より、ビンを演ずるリー・チュウビンの老いよう、そのあまりの変わりように驚く。珠海へは奉節で知り合った男を頼って来たのだが、男は若い者にTikTokを使った商売をさせていて、ビンの居場所はない。故郷の大同に戻ったビンは、巨大なスーパーマーケットで、レジを打っているチャオと再会する。これもマスク姿の二人が互いに目と目を合わせる短いショット。ラストシーン、左手が麻痺し靴ひもを結べないビンに代わって、チャオが解けた靴ひもを黙って結んであげ、その後、決然と身をひるがえして夜のジョギング集団に身を投じていく。変わりゆく町と風景を背景に、20年にわたる男と女の思い、しかし二人がそれぞれの道をゆく姿が美しい。

| | Comments (0)

May 20, 2025

鶴見太郎『ユダヤ人の歴史』

Yudaya_turumi


鶴見太郎『ユダヤ人の歴史』(中公新書)の感想をブック・ナビにアップしました。

| | Comments (0)

May 10, 2025

『未完成の映画』

160

 

何の予備知識もなくこの映画を見たら、撮影中の映画がコロナ禍で中断されるに至ったドキュメンタリーと思うだろうな。製作中のスタッフが泊まるホテルの部屋や廊下を手持ちカメラが追いかける。スタッフや役者や監督が撮るスマホ映像もたくさん出てくる。そのなかに、実際にコロナでロックダウンされた武漢を撮った本物のスマホ映像も交じり込んでいる。ロウ・イエ監督の『未完成の映画』は、フィクションとノンフィクションが入り混じった、どちらでもありどちらでもないような作品。その緊迫感から、未曽有の事態に直面した人々の不安と混乱が伝わってくる。

監督(マオ・シャオルイ)やスタッフが10年前に中断した映画の映像を発掘し、これを完成させようと主演したジャン(チン・ハオ)に連絡を取る。ジャンは、ゲイをテーマにしたこの映画は完成しても検閲を通らないと反対するが、結局は納得し、武漢近くの町で撮影が始まる。やがて武漢でコロナが発生し、スタッフにも感染者が出る。ホテルも封鎖され、ジャンや監督、スタッフはホテルに缶詰めされ身動きが取れなくなる。ジャンは、北京にいる子どもを産んだばかりの妻(チー・シー)の不安をなだめようと、スマホで連絡を取る。自身も、子どもの写真に慰められる。閉じ込められたスタッフは、スマホで飲み会をしたり、我慢できなくなって廊下に集まって踊り、警備員に制止されたり。やがて封鎖は解かれるが、映画は完成しなかった。

発掘された10年前の映像として映されるのは、ロウ・イエ監督の『スプリング・フィーバー』の未使用映像。これもチン・ハオが主演していた。スタッフも、監督以外は実際のスタッフが実名で登場している。彼らの動きを、まるでメイキングでもつくるみたいにドキュメンタリータッチで撮影している。パソコン画面のように、スマホの複数の分割映像が映される。最初にコロナを公表し当局からデマと断罪された武漢の医師・李文亮が死んだというスマホ画面も登場する。ロウ・イエはどの映画でも実験的なことをやっているけど、その精神がここでは特にはまった。

この作品、中国で公開予定はないという。声高に当局を批判しているわけでないが、そのとき何が起こったかを黙って再現するだけで伝わるものは伝わってくる。

| | Comments (0)

« April 2025 | Main | June 2025 »