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December 31, 2024

2024年の映画10本

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ここ数年、見る映画の本数がぐんと減りました。映画好きが選ぶベスト10のような真似はできませんが、リストをつくるのが毎年の楽しみでもあったので、順不同でともかく10本選んでみました。

●『夜の外側』
1978年、イタリアのモーロ元首相が「赤い旅団」に拉致・殺害された事件の映画化。マルコ・ベロッキオ監督はこの事件を「赤い旅団」側から描いた『夜よ、こんにちは』を撮ってるけど、これは同事件をモーロ元首相自身、その家族、彼が属する政党の政治家など多視点で描いた5時間40分の大長編。ゆったりしたリズムの緊張がつづく人間ドラマで、「映画を見た」という満足感は最高。

●『枯れ葉』
孤独な男と女が出会う。それだけのシンプルな映画だけど、アキ・カウリスマキ監督はいつものように動きもセリフも表情も少なく、カメラも動かず、カットも少なく、まるで無声映画を見ているようなテイストで撮ってる。いつも質素な水色のコートを着ているアルマ・ポウスティが魅力的。ささやかな希望に満ちたショットに「枯葉」が流れると、つい涙腺がゆるむ。 

●『関心領域』
アウシュビッツ強制収容所の隣で家庭生活を営む収容所長一家の家族映画。ナチスは環境問題に力を入れたけど、この一家も美しい自然や花が咲き乱れる庭園のなかで平和な家庭生活を送っている。所長の転属の話に、ここを気に入っている妻は、動きたくない、と。塀の向こうは収容所。その内側は一切描かれないが、時折、銃声や叫び声が聞こえる。煙突から煙が出る。列車の音がする。美しい画面が不穏。

●『雨の中の慾情』 
つげ義春のマンガが原作。激しい雷雨のなか、雨宿りのバス停で落雷を恐れた男女がいきなり服を脱いでセックスにいたる導入から、つげワールド全開だ。つげ本人と思しき漫画家と自称小説家と、カフェの女、男2人と女1人の奇妙な道行。現実と妄想の区別もなくなる不思議世界。片山慎三監督は、台湾ロケの異国風景と、日中戦争の虐殺現場に主人公を立たせることで、映画的ふくらみを持たせた。

●『ホールドオーバーズ』
ポール・ジアマッティ(主演)とアレクサンダー・ペイン(監督)のコンビといえば、傑作『サイドウェイ』が思い浮かぶ。ボストンの名門私立校のクリスマス休暇。それぞれの事情で寮に残った教師と、生徒と、料理番のアフリカ系女性。偏屈な教師と、屈折した生徒と、子どもを失くした女性が雪に閉ざされた部屋でいがみあい、やがて心を開いてゆく。快い苦味を味わう。

●『クラウド』
黒沢清監督らしいサスペンスとアクションの映画。転売ヤーが主人公。彼に恨みを持つ、見知らぬ人間同士がネットを介して結びつき、転売ヤーを襲い、転売ヤーが反撃に転ずる。初期の黒沢映画に満ちていた不安な空気が充満。後半の無人の工場での銃撃戦も楽しませてくれた。登場人物の誰もがねじれている。怪しげな商売に従事し、ニヒリストで他人を一切信用しない主人公がいちばんまともに見えてくる。

 ●『哀れなるものたち』
ゴシック・ロマンふうのダークファンタジー。19世紀ヨーロッパを舞台に、フランケンシュタインみたいな容貌の天才外科医に養育されたヒロインは、精神は幼女で身体は大人。彼女がリスボン、アレキサンドリア、マルセイユ、パリと遍歴する冒険の旅に出る。各都市の幻想的なセットが楽しい。そこに女性の自立や男批判が絡んでくるのが今日的。あざといテイストは好みではないけど、面白い。

●『フォールガイ』
映画業界のスタントマンを主役にしたバックステージもの。高所から飛び降りたり、車を7回転させたり、飛行機にぶらさがったり、あらゆるスタントを撮影風景とともに見せてくれるのが楽しい。撮影現場での事件と恋も定番。監督もスタントマン出身で、VFX全盛のいま、ラストは合成用ブルーバックを突き破って車が疾走し、映画はやっぱり身体を張らなきゃ、という意気が嬉しい。

●『オッペンハイマー』
広島・長崎が描かれないことで日本では批判されたが、骨格は「赤狩り」の映画だった。身辺にアメリカ共産党員が何人もいたオッペンハイマーが公聴会で尋問される現在と、原爆開発に至る過去が交錯して描かれる。娯楽作にはなりそうにないテーマをクリストファー・ノーランの映像と語りでハリウッドの大作に仕上げた腕はさすが。

●『ブルックリンでオペラを』
大人の恋愛映画。仕事が不調のオペラ作曲家が、ブルックリン港の酒場で曳舟の女船長に出会う。都会のアーティストと、港から港へ海上暮らしの女。見どころは現代オペラの舞台と、運搬船が往来する港湾。個人的に、かつてブルックリンに1年暮らした懐しい風景に出会えたのと、マリサ・トメイ、ヨアンナ・クーリクとごひいき女優2人が出ていて、その飾り気のない佇まいに見惚れる。 

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December 27, 2024

『ザ・バイクライダーズ』

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『ザ・バイクライダーズ(原題・The Bikeriders)』は写真家ダニー・ライアンの同名の写真集(1968)に基づいてつくられた映画。僕がこの写真集をはじめて見たのは1970年代前半、写真雑誌の編集部に配属されたときだった。写真には素人だったが、アートシアターで見たアメリカのインディペンデント映画『アメリカの影』(ジョン・カサヴェテス監督)にも通じる、同時代の生々しい空気を感じた。ライアンは、シカゴの「アウトローズ」というバイク集団と数年にわたって行動を共にして彼らを写真に撮り、インタビューをおこなった。ジェフ・ニコルズ監督がそれをもとに脚本を書き、監督している。

主な登場人物が3人。バイク集団のボスであるジョニー(トム・ハーディ)。ジョニーは荒くれ者の集団を統率し、リーダーの座に挑戦してくる者に「拳か、ナイフか」と選ばせて闘い、叩きのめす。集団を抜ける者には、血でけじめをつける。リーダーのジョニーに憧れるのは、若くて血の気の多いベニー(オースティン・バトラー)。普通の女の子のキャシー(ジョディ・カマー)は、ふとしたことからベニーと出会い、結婚することになる。

映画は、写真家のダニーがニコンとテープレコーダーを手にキャシーにインタビューするスタイルで、彼女の市民的な視点からアウトロー集団の行く末を語る。1960年代風俗の懐かしさと、アメリカとアメリカ人の原型を見るような粗暴ともいえる荒々しさが同居した映画だった。トム・ハーディはイギリスの役者だけど、写真集からそのまま抜け出てきたような気配をまとっている。

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December 23, 2024

薄暮の日産スタジアム

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薄暮の横浜・日産スタジアム。ラグビー・リーグワンの開幕戦、東芝ブレイブルーパスvsキヤノン・イーグルス。寒いけどゲームは熱かった。

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December 17, 2024

『はじめての近現代短歌史』

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髙良真実『はじめての近現代短歌史』(草思社)の感想をブックナビにアップしました。

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December 12, 2024

「写真植字の百年」展

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「写真植字の百年」展(飯田橋・印刷博物館、~1月13日)へ。写真植字(写植)というのは、金属活字を使った活版印刷でなく、字母を写真光学的に印字して版下(製版用原稿)をつくる技術。日本では昭和初期に実用化された。漢字、仮名、片仮名がある日本語の活版印刷は、活字の大小も含め膨大な種類の金属活字を必要とするから、一つの字母からどんな大きさの版下もつくれる写植はデジタルの出現まで、とても便利な技術だった。

 僕が週刊誌記者になった1970年代、本文は活版印刷で印刷し、グラビアの文字は写植でつくっていた。できあがった版下に間違いが見つかると、間違った数ミリ四方の一文字をカッターで切り取り、正しく印字した字を同じ大きさに切りピンセットでつまんで糊付けする。そんな手作業が楽しかった。

 展示の前半は、写植機の変遷。日本語写植機は石井茂吉、森澤伸夫という2人の技術者によって開発され、それが現在までつづく写研、モリサワになっている。写真上は写研の昭和10年の写植機。下から光を出して文字盤に当て、レンズ(細い管が何本もある円盤部分)を通して上部にある印画紙に焼き付ける。この時代、モニターはもちろん、カメラのファインダーに相当する装置もないから、正しく印字しているかどうか目で確認できず、ほんとうに職人技だったろう。

後半は、さまざまな写植用書体の展示。基本的な明朝体、ゴシック体だけでなく、いろんな書体が開発されて広告やデザイン、雑誌に使われた。 活版印刷は活字を組むから、字を原稿用紙のように規則正しくしか配置できないが、写植だと自由に配置できるからグラフィックデザインは写植によって大きく発展した。写真下は大日本印刷の秀英明朝という美しく定評ある活版用活字を、写研が写植用に開発した製品の見本。

 

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December 10, 2024

『雨の中の慾情』

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『雨の中の慾情』の原作は、つげ義春の漫画。同名の短編だけでなく、「隣のおんな」「池袋百点会」「夏の思いで」なども取り込まれている。「ねじ式」みたいな夢幻世界をもとに、つげのモノクロ世界を総天然色に転換し、私小説的な物語だけでなく戦争なども取り込んで、どの時代、どの場所ともつかない世界の、不思議な、今までなかったテイストの映画になっている。それが面白い。

 いくつかの短編の主人公が合わさった、男2人と女1人。その性と愛が軸になる。売れない漫画家の義男(成田凌)、自称小説家の伊守(森田剛)、カフェに勤める福子(中村映里子)。ひょんなことから義男の狭い部屋に、伊守と恋人の福子がころがりこんでくる。義男は色っぽい福子に惹かれていく。その関係が、脈絡もなくいろんなストーリーのなかで展開していく。3人がタウン誌計画に失敗して債権者から逃げ回ったり、大家(竹中直人)の奇想天外な金儲け(恐怖する子供の脳天から液を抜いて売る)に巻き込まれたり。

 3人が住むのは日本家屋でなく中国風の民家、看板も漢字ばかりの、古い町。そもそもリアリズムでない非現実の世界だけど、それがいきなり戦争になる。義男と伊守は兵士。大家は軍医。福子は中国人娼婦。南京を連想させるように、日本軍が中国人の非戦闘員を殺戮している。そこで義男は片腕を失う。野戦病院で目覚めた義男は、福子との出会いは夢かと思うのだが、ここまでくると何が夢で何が現実かもよく分からない。「眠ってしまったら、この現実がなくなるかも」(正確に覚えてないが)というセリフは、すべては夢幻と言っているようでもある。最後にまた売れない漫画家の義男の世界に戻るが、義男の福子への愛だけは変わらない。

 台湾の嘉義でロケしたという古い路地裏や亜熱帯の濃い緑が、つげワールドにまた別の味わいを加えて楽しめた。ポン・ジュノ監督の助監督だったという片山慎三監督の映画は初めてだけど、ほかのも見てみたい。

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