『PERFECT DAYS』
『PERFECT DAYS』の主人公・平山(役所広司)の質素な木造アパートには、古びた時代もののアイテムがいくつかある。ひとつはポータブルのテープデッキとたくさんのカセットテープ。テープはアニマルズ、オーティス・レディング、ローリング・ストーンズといった1960~70年代のロックやフォーク。それからコンパクトのフィルム・カメラ。フィルム・カメラで毎日撮るのは公園の木々と、そこに降り注ぐ光。映画のなかでたびたび、陽光と木々の揺らぎが織りなす木漏れ日のショットがモノクロームで挿入される。
公共トイレの清掃員として暮らす平山の部屋にそれ以外にあるのは、100円均一で買ったたくさんの文庫本と、道端に芽吹いた植物を採って植えた自家製の植木鉢。それ以外のモノはいっさい持たず、毎朝、道を掃く箒の音で眼ざめ、植木鉢に水をやり、ドアを開けてその日の空を眺め、缶コーヒーを飲んで仕事に出る。清掃会社のミニバンを運転し、カセット・テープを聞きながら渋谷区にあるらしい公園のトイレを回る。仕事が終われば、開いたばかりの銭湯につかり、浅草地下街の決まった店で飲み、夜は文庫本(フォークナーや幸田文)を読んで寝る。平山がその生活に喜びを感じていることは、便器の裏まできれいにする丹念な仕事ぶりや、毎朝、空を見上げる平山の喜びに満ちた表情からも分かる。
平山の、毎日判で押したような生活が繰り返し描かれることで、見る者は平山がある時、自分の人生を捨てた人間であることを感知する。いや、この映画に即して言えば人生を捨てたのでなく、ある時を境に、逆に生きる喜びに目覚めたと言うべきだろう。それまでの自分の生活こそ、捨てるべき人生と感じられたにちがいない。それは平山の持つアイテムからすると、たぶん1980年代、この国がバブルの絶頂に向かっていた時代。映画のなかで、平山がそれまでどんな生活をしていたかは語られない。でも、家出して彼のアパートにころがりこんだ姪を迎えに来た平山の妹が運転手つき高級車に乗っていることからして、裕福な暮らしをしていたのは分かる。
平山という名が、小津安二郎『東京物語』で笠智衆が演じた男と同じものだと知れば、 もう少し違う見え方もしてくる。この映画はヴィム・ヴェンダースの、小津とはまた違った『東京物語』ではないか。平山が東京という都市を巡る物語。彼が日々を暮らすのは東京スカイツリーが見える押上や浅草。隅田川にかかる橋を歩いて、あるいは自転車で何度も渡る、川面と橋の風景。渋谷周辺の公園と一風変わった公共トイレ。ミニバンで走る首都高速道路。そこに60~70年代の音楽が重なって、ちょっと不思議な東京の映画になった。
そして映画に血と肉を与えているのは、なんといっても役所広司の仕草と表情、その存在だった。
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