『VORTEX ヴォルテックス』
老いる、という誰にも訪れる事態を、それにまつわる感情を排して冷静に、言葉を変えればこれだけ冷たく見つめた映画はめったにないなあ。それには、画面を左右2分割して同時にふたつのカメラで対象を見るという手法が深く関わっている。ギャスパー・ノエ監督は暴力やセックスのあざとい描写が話題になるけど、この映画では病んだ老夫婦の日常を、ほとんどアパルトマンの室内だけで追いかけている。複数の画面が同時進行することによって、見る者はどちらにも感情移入することができない。
1台のカメラが追いかけるのは妻(フランソワーズ・ルブラン)。元精神科医で、認知症が急激に進行し、室内や近所を徘徊している。医者なので自分で処方箋を書くことができ、自分も夫も薬漬けのようだ。もう1台のカメラが追いかけるのは夫(ダリル・アルジェント)。映画評論家で、重い心臓病を持ちつつ、映画と夢に関する本の執筆に没頭している。80代らしいが20年来の愛人がいて、彼女が最近つれないのを気にしている。
夫婦が同じベッドで寝たり、触れ合ったりする場面では、ふたつの画面が重なりながら、でもやはりそれぞれを追って分かれてゆく。そこから感じられるのは、同じ屋根の下に暮らしていても結局はひとりという、まぎれもない事実。やがて、夫婦の息子が孫を連れて現れる。カメラは夫と息子、あるいは妻と息子を追う。息子はドキュメンタリーをつくっているというが、実はドラッグの売人。母の認知症、父の心臓病を心配はするけれど、金をせびったりもする。老夫婦も息子も、家族として一応はなすべきことをしているけれど、互いに心が通っているようには見えない。
妻は夫の部屋を片付け、夫の原稿をそれと知らずに捨ててしまう。夫は映画関係の友人や愛人と会った夜、心臓発作を起こして苦し気に部屋を歩き回り、倒れる。もう1台のカメラは、妻が気づかず寝ている姿を映している。夫の死。やがて、妻の死。カメラはそこまでを映し、無人になったアパルトマンを映して終わる。2台のカメラというスタイルでノエ監督は、この家族を批判も共感もせず、ただ、こういうものだと提示しているように思える。
後期高齢者で癌サバイバーである身には、なんとも切実な映画だった。
Comments