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January 30, 2024

『哀れなるものたち』

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『哀れなるものたち』(原題:POOR THINGS)に主演し、プロデューサーでもあるエマ・ストーンを知ったのは『バードマン』や『ラ・ラ・ランド』だった。彼女の経歴を見ると子供のころから舞台に出たり、主にコメディ分野のTVドラマや日本未公開映画にたくさん出演している。そんなことを調べたのは、この映画のエマが並みのハリウッド女優と違うギミックな演技や激しい性描写で、どんなキャリアの女優か知りたいと思ったから。『女王陛下のお気に入り』で組んだヨルゴス・ランティモス監督と再びタッグを組み、19世紀ヨーロッパを舞台に夢幻的なダーク・ファンタジーになっている。

フランケンシュタインのような容貌の天才外科医ゴドウィン(ウィレム・デフォー)は、身体は大人で精神は幼児のベラ(エマ・ストーン)と、ロンドンのヴィクトリア様式の館で暮らしている。ゴドウィンは、ベラの発育を記録する医学生とベラを婚約させるが、それに飽き足らないベラは遊び人の弁護士ダンカン(マーク・ラファロ)と駆け落ちし、リスボン、アレキサンドリア、マルセイユ、パリと冒険の旅に出る。何人もの大人とつきあい、一方、虐げられた人々を見て、ベラはダンカンの庇護を離れ独り立ちしてゆく。パリでベラは自ら望んで娼館で娼婦として働く。やがてロンドンへ戻り……。

ゴドウィンの顔に醜い縫い痕があったり、ベラの精神と肉体が乖離している秘密。産業革命後のブルジョアジーや貴族の子弟が、大人になるイニシエーションとしてヨーロッパ各地を旅した「グランド・ツアー」。それらを軸にしたゴシック・ロマンふうな物語に、女性の自立や男権社会への風刺が重なってくるのが、いかにも今ふうだ。各都市の幻想的なセットも楽しい。昨年のヴェネツィア映画祭金獅子賞受賞作。

 

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January 21, 2024

『PERFECT DAYS』

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『PERFECT DAYS』の主人公・平山(役所広司)の質素な木造アパートには、古びた時代もののアイテムがいくつかある。ひとつはポータブルのテープデッキとたくさんのカセットテープ。テープはアニマルズ、オーティス・レディング、ローリング・ストーンズといった1960~70年代のロックやフォーク。それからコンパクトのフィルム・カメラ。フィルム・カメラで毎日撮るのは公園の木々と、そこに降り注ぐ光。映画のなかでたびたび、陽光と木々の揺らぎが織りなす木漏れ日のショットがモノクロームで挿入される。

公共トイレの清掃員として暮らす平山の部屋にそれ以外にあるのは、100円均一で買ったたくさんの文庫本と、道端に芽吹いた植物を採って植えた自家製の植木鉢。それ以外のモノはいっさい持たず、毎朝、道を掃く箒の音で眼ざめ、植木鉢に水をやり、ドアを開けてその日の空を眺め、缶コーヒーを飲んで仕事に出る。清掃会社のミニバンを運転し、カセット・テープを聞きながら渋谷区にあるらしい公園のトイレを回る。仕事が終われば、開いたばかりの銭湯につかり、浅草地下街の決まった店で飲み、夜は文庫本(フォークナーや幸田文)を読んで寝る。平山がその生活に喜びを感じていることは、便器の裏まできれいにする丹念な仕事ぶりや、毎朝、空を見上げる平山の喜びに満ちた表情からも分かる。

平山の、毎日判で押したような生活が繰り返し描かれることで、見る者は平山がある時、自分の人生を捨てた人間であることを感知する。いや、この映画に即して言えば人生を捨てたのでなく、ある時を境に、逆に生きる喜びに目覚めたと言うべきだろう。それまでの自分の生活こそ、捨てるべき人生と感じられたにちがいない。それは平山の持つアイテムからすると、たぶん1980年代、この国がバブルの絶頂に向かっていた時代。映画のなかで、平山がそれまでどんな生活をしていたかは語られない。でも、家出して彼のアパートにころがりこんだ姪を迎えに来た平山の妹が運転手つき高級車に乗っていることからして、裕福な暮らしをしていたのは分かる。

平山という名が、小津安二郎『東京物語』で笠智衆が演じた男と同じものだと知れば、 もう少し違う見え方もしてくる。この映画はヴィム・ヴェンダースの、小津とはまた違った『東京物語』ではないか。平山が東京という都市を巡る物語。彼が日々を暮らすのは東京スカイツリーが見える押上や浅草。隅田川にかかる橋を歩いて、あるいは自転車で何度も渡る、川面と橋の風景。渋谷周辺の公園と一風変わった公共トイレ。ミニバンで走る首都高速道路。そこに60~70年代の音楽が重なって、ちょっと不思議な東京の映画になった。

そして映画に血と肉を与えているのは、なんといっても役所広司の仕草と表情、その存在だった。

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January 18, 2024

「明治のメディア王 小川一眞と写真製版」展

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「明治のメディア王 小川一眞と写真製版」展(~2月12日、飯田橋・印刷博物館)に出かけた。写真雑誌の編集者だったから、小川一眞という名前は明治の写真家として知っていた。でも小川が同時にコロタイプや網版といった写真製版を日本に導入して印刷・出版に大きな足跡を残した人物でもあるとは知らなかった。

展示されているのは小川が製版し、印刷・出版した本や「写真帖」。写真家としての小川は、ともかくなんでも撮っている。たいていの人が見たことがあるのは、旧1000円札に使われた夏目漱石の肖像。明治の高層建築、凌雲閣に展示された芸妓100人の肖像。牧野富太郎の本を飾った植物写真。東宮御所など建築写真。中でも力を注いだのは水墨画や仏像などの美術品の撮影。これは細密描写が可能なコロタイプで印刷され、「写真帖」自体が手工芸的な美術品といった趣きだ。岡倉天心らが創刊し、現在までつづく日本美術の雑誌『國華』のコロタイプ印刷も手掛けている(『國華』はいま、コロタイプ印刷で世界的に有名な京都・便利堂で印刷されている)。

その一方で小川は、日清・日露の戦争や明治天皇の大葬や伊藤博文国葬といった時事的な印刷物も手掛けた。「写真帖」はコロタイプで印刷されているが、東京朝日新聞の付録についた日清戦争の写真などは網版で製版し凸版印刷で刷られている。写真原稿を網目状のスクリーンを通して撮影し、写真の濃淡をドットの大小で表す網版は手工業的なコロタイプに比べ大量印刷が可能で、以後、新聞や雑誌の写真印刷は網版になった。写真を印刷できるようになった新聞や雑誌が、メディアとして大きく発展したことは言うまでもない。20世紀末にデジタル化されるまで、われわれ世代の編集者にとっても網版はおなじみの製版技術だった。……なんてことを思い出しながら、ちょっと専門的ながら楽しい展覧会でした。

常設展の「印刷の日本史」も充実している。世界最古の印刷物が法隆寺にあるとは知らなかった。70歳以上無料(写真左下にあるのは製版に使うカメラ)。

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クルド文学短編集『あるデルスィムの物語』

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クルド文学短編集『あるデルスィムの物語』(さわらび舎)の感想をブック・ナビにアップしました。

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January 14, 2024

『VORTEX ヴォルテックス』

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老いる、という誰にも訪れる事態を、それにまつわる感情を排して冷静に、言葉を変えればこれだけ冷たく見つめた映画はめったにないなあ。それには、画面を左右2分割して同時にふたつのカメラで対象を見るという手法が深く関わっている。ギャスパー・ノエ監督は暴力やセックスのあざとい描写が話題になるけど、この映画では病んだ老夫婦の日常を、ほとんどアパルトマンの室内だけで追いかけている。複数の画面が同時進行することによって、見る者はどちらにも感情移入することができない。

1台のカメラが追いかけるのは妻(フランソワーズ・ルブラン)。元精神科医で、認知症が急激に進行し、室内や近所を徘徊している。医者なので自分で処方箋を書くことができ、自分も夫も薬漬けのようだ。もう1台のカメラが追いかけるのは夫(ダリル・アルジェント)。映画評論家で、重い心臓病を持ちつつ、映画と夢に関する本の執筆に没頭している。80代らしいが20年来の愛人がいて、彼女が最近つれないのを気にしている。

夫婦が同じベッドで寝たり、触れ合ったりする場面では、ふたつの画面が重なりながら、でもやはりそれぞれを追って分かれてゆく。そこから感じられるのは、同じ屋根の下に暮らしていても結局はひとりという、まぎれもない事実。やがて、夫婦の息子が孫を連れて現れる。カメラは夫と息子、あるいは妻と息子を追う。息子はドキュメンタリーをつくっているというが、実はドラッグの売人。母の認知症、父の心臓病を心配はするけれど、金をせびったりもする。老夫婦も息子も、家族として一応はなすべきことをしているけれど、互いに心が通っているようには見えない。

妻は夫の部屋を片付け、夫の原稿をそれと知らずに捨ててしまう。夫は映画関係の友人や愛人と会った夜、心臓発作を起こして苦し気に部屋を歩き回り、倒れる。もう1台のカメラは、妻が気づかず寝ている姿を映している。夫の死。やがて、妻の死。カメラはそこまでを映し、無人になったアパルトマンを映して終わる。2台のカメラというスタイルでノエ監督は、この家族を批判も共感もせず、ただ、こういうものだと提示しているように思える。

後期高齢者で癌サバイバーである身には、なんとも切実な映画だった。

 

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January 12, 2024

『枯れ葉』

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6年前、前作発表後に引退を表明したアキ・カウリスマキ監督の新作『枯れ葉』(原題:KOULLEET LEHDET)がやってきた。カウリスマキにどんな心境の変化があったのか分からない。でも今回の新作では、主人公の部屋のラジオから繰り返しロシアによるウクライナ侵攻のニュースが流れるから、ロシアと国境を接するフィンランドの映画監督として、それも関係しているかもしれない。といって、むろん政治的映画じゃない。カウリスマキの原点に戻るような、孤独な中年の男と女が出会い、惹かれあう。それだけのお話。

ホームレスに賞味期限切れのパンを渡し、自分もバッグに入れたのを咎められ失職したスーパー店員のアンサ(アルマ・ポウスティ)。アルコール依存で仕事していたが、それがバレてやはり失職する溶接工ホラッパ(ユッシ・ヴァタネン)。二人はカラオケで出会い、言葉は交わさないまま惹かれあう。友人を介して知り合い、映画を見たり食事したり。でもアンサはホラッパの飲酒癖を許せない。やがて断酒したホラッパはアンサに電話し、アンサは「すぐ来て」と応えるのだが……。

すべてがシンプルで、余分なものが削ぎ落とされている。いつものカウリスマキだけど、セリフは少なく、役者の動作や表情もぶっきらぼう(それだけに、アルマのかすかな微笑みがいい)。そこから生まれるユーモア。画面は固定カメラで、カット数も少ない。カウリスマキ独特のこのスタイルは、無声映画を見ている感じと言ったらいいか。ただ、画面に流れるたくさんの音楽が感情をつなぎ留め編集する役を果たしている。これも、無声映画に音楽の伴奏がついたと想定すればいいのか。いきなり「竹田の子守歌」が流れ(カウリスマキは日本の歌も好きで、どの作品だったが、いきなりクレイジーケンバンドが流れたのに驚いた)、フィンランドのポップス、シューベルトのセレナーデ、シャンソンの「枯葉」まで。

いつも質素な水色のコートを着ているアルマ・ポウスティが魅力的だなあ。彼女を見ているだけで心なごむ。ラストがこれまたカウリスマキで、ささやかな希望に満ちたショットに「枯葉」が流れると、つい涙腺がゆるむ。

 

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