ご近所の古墳
旧浦和市は大宮台地の縁にあって、古東京湾が入り込んでいたあたりに貝塚がたくさんあり、そのいくつかは散歩で訪れたことがある。それだけでなく、大久保古墳群と呼ばれる古墳が残っていることを最近になって知った。そこで今日はそのいくつかを。
北浦和駅からバスに乗って20分。旧与野市(今は中央区)を走ったバスが坂を下り、大宮台地と武蔵野台地の間に広がる荒川低地に入る。といっても今はすべて住宅地。白鍬バス停で降りると数分のところに白鍬塚山古墳があった。三階建てビルの脇、私道のようなところを入ると四方を建物に囲まれた築山が残っている。開発で壊され円墳か前方後円墳か分かっていないが、墳丘は径30m以上あったらしい。出土した埴輪の形式から5世紀後半のものという。
北へ数分歩くと権現塚古墳がある。墳丘に権現社が祀られているが、四方を住宅や駐車場に囲まれ通路がないので道路から眺めるだけ。さらに100mほど行くと道路脇にかね山古墳(写真上)がある。6世紀後半の円墳。画面左の住宅は、玄関を開けると目の前が古墳。毎日、古墳を見ながら生活するのも悪くない。
古墳群の脇を鴨川が流れている。鴨川はしばらく南へ流れて荒川に合流する。江戸期以前には、ここに旧入間川という大きな川が流れていた。古墳群は、その自然堤防上につくられている。白鍬塚山古墳がつくられた5世紀後半といえば、ヤマト王権の影響が関東に及んできた時期。埼玉県北部にあり国宝の鉄剣が出土したさきたま古墳群も、同じ時代につくられはじめている。住宅地に残った古墳の主は、その時代の大宮台地と旧入間川水系を支配した豪族だったのだろう。
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