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September 01, 2022

高麗神社

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奥武蔵の高麗神社を訪れた。大宮から川越線に乗り高麗川駅で降りる。そこから歩いて20分ほど。

高麗神社は8世紀に創建された。祭られているのは高句麗からの渡来人、 高麗王若光。

7世紀、高句麗は唐と新羅に攻められた。高句麗王は大和朝廷に使節団を派遣。使節団の一員に王の息子、若光がいた。しかし668年、高句麗は滅亡。若光はそのまま大和朝廷に仕えた。高句麗からの渡来人の多くは関東で開拓に従事したようだ。やがて武蔵国に高麗郡がつくられ、若光は郡の長官となる。若光の死後、その霊を祀って高麗神社がつくられた。高麗氏の末裔が60代にわたって神職を務めている。

神社は関東平野の西、奥武蔵丘陵が盛り上がる端にある。神門と本殿(写真)の奥には、慶長年間につくられたという神職の住居(重要文化財)も残っている。境内には李王垠夫妻(日韓併合のときの大韓帝国最後の皇太子)はじめ多くの日韓の皇族・政治家が訪れた碑や植樹がある。
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神社から山裾を10分ほど歩くと高麗山聖天院がある。若光の菩提寺として8世紀に創建された。山門の脇に「高麗王廟」がある。若光の墓はもともと五つの砂岩を重ねた多重塔だったようだが、今は風化して、ただの石柱のように見える。高句麗の版図は今の中国東北部、北朝鮮から韓国北部に当たるが、その王族の墓がこんなふうに関東の地に残っているとは思わなかった。遠い歴史が急に身近になった気がする。

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