September 26, 2022
September 24, 2022
シンポ「在日クルド人と共に」
シンポジウム「在日クルド人と共に」(9月23日、蕨市立文化ホールくるる)に出かけた。小生が育った川口市と、隣接する蕨市にはトルコ国籍のクルド人約2000人が暮らしている。国内最大のクルド人居住地域。トルコで迫害を受け日本へ来た彼らの多くが難民申請しているが、これまで難民認定を受けた人はひとりもいなかった。
このところ、いくつかの変化がある。先日、北海道在住のクルド人が初めて難民認定を受けた。一方、次の通常国会に提出される入管法改定案には、複数回難民申請をして認定されなかったら強制送還できるとの項目がある。そうした情勢を受けてのシンポジウム。150席がほぼ満席だった。
北海道で難民認定を受けたクルド人の裁判を担当した弁護士による報告。入管に1年半収容された、地元在住のクルド人の体験報告。ウィシュマさんの死で注目された入管収容者の扱いについて、収容者を治療してきた医師の報告など。
地元に暮らすクルド人の多くは「仮放免」という状態に置かれている。仮放免というのは、難民には認定されないが、仮に収容施設から放免する。ただし職につけず、移動は制限される。そんな状態で長期にわたって暮らしているクルド人もいる。支援を受け、家庭をもち、子どもを生む。子どもは無国籍で、日本語しかしゃべれない。
ときどき蕨駅を利用する。「ワラビスタン」とも呼ばれる蕨の改札を出ると、クルド人らしき人たちとすれ違うことがある。中国人やベトナム人も多い。蕨市の人口の1割近くが外国籍。川口市も在留外国人総数では全国有数の”国際都市”。多文化共生は掛け声でなく、ここではいろんな試みが試行錯誤されている。ときどき開かれるこういう催しには、できるだけ参加するようにしている。
September 22, 2022
大西みつぐ写真展
大西みつぐ写真展「島から NEWCOAST 2020-2022」(有楽町・エプサイトギャラリー)へ出かけた。ここは初めて。しばらく外へ出ない間にギャラリー事情もずいぶん変わったみたい。
大西さんのホームグラウンドである東京、東の端の波打ち際で撮影されている。以前に見た同じ臨海部での写真にはたくさんの人が写っていたけれど、コロナ禍で撮影された今回は人の姿が少ない。代わりに写っているのは枯れた花だったり、打ち上げられた流木だったり、小動物だったり。人はぽつり、ぽつりといる。スナップショットというより、じっと立ち尽くし、目をこらしている印象。写された人やものの姿は淋しいけれど、それを包む光は優しい。自分の病気、コロナ、カミさんの病気と続いた小生の時間と重なるものがあって見入ってしまう。
写真左下に見えるのは、波に洗われ浜に打ち上げられたオブジェ。大西さんらしい仕掛け。別の出入口から入って見る映像にはご本人も出演していて、会場では会えなかったが、こちらに挨拶して──。
September 17, 2022
September 16, 2022
「新版画」展へ
「新版画」展(千葉市美術館、~11月3日)へ行ってきた。南浦和から武蔵野線でぐるっと回ってここへ行くのは10年前の「田中一村」展以来。収蔵品も企画展も市の美術館と思えないほど充実してる。
新版画というのは、大正から昭和初期にかけてジャポニスムに興味を持つ外国人に向けて主につくられた。国内にも一定のファンがいた。主な作家に川瀬巴水、伊東深水、橋口五葉がいる。浮世絵の伝統を受け継ぎながらモダンな感覚も併せ持った、いかにもこの時代らしいもの。
その3人、巴水の風景画、深水、五葉の美人画を中心に、200点近くが展示されている。印象に残ったもの。巴水の、藍の濃淡だけで描いた夜の風景画(写真は巴水「東京十二カ月 三十軒堀─現在の銀座2丁目─の暮雪」)。鳥居言人の、寝乱れ髪で布団にねそべる女性を描いた「朝寝髪」(スティーブ・ジョブズがこの版画が好きで自宅にかけていたそうだ)。山村耕花の、上海のダンスホールを色鮮やかに描いた「踊り 上海ニューカールトン所見」。石橋江逸の、瓢箪池越しに夜の浅草歓楽街の賑わいを描いた「夜の浅草」(谷崎潤一郎の短篇、女装した主人公が人混みに紛れて浅草を歩き映画館に入る。その情景が浮かんできた)。
なにがしかの知的理解が求められる現代美術より、最近はこういうものに惹かれる。歳のせいだろう。
September 13, 2022
September 09, 2022
ふたつの写真展
まったく久しぶりに写真展をふたつ見てきた。飯田鉄「復元する鏡」(高田馬場・Alt_Medium、~9月14日)と馬場(うまば)磨貴「まぼろし」(新宿・OMシステム・ギャラリー、~9月12日)。
自分の病気、コロナ、カミさんの病気と続いて、散歩と病院通い以外は外に出ない日がつづいた。最後に行った写真展は渋谷で鬼海弘雄さんのだったから(その後、鬼海さんは亡くなってしまった)、2年半ぶりくらいだろうか。
飯田さんの作品は40年前の、ある工場街。モノクロームの、光と影で抽象化された風景。場所は明示されてない。が、小生には埼玉県川口とわかる。飯田さんも私も川口市で育ったから。本当はこの写真に場所を求めてはいけないのだが、知っている町だけについ、あ、ここはあそこだと探してしまう。実際、荒川の鉄橋やサッポロビールの工場は子供のころから目に焼きついている。もちろん今では、写っているほとんどがなくなってしまった「失われた街」。そこでまたノスタルジックになるのは、この写真を見る姿勢としてはいけないのだが、こればかりはどうしようもない。
馬場さんは、かつて同じフロアで働いた仕事仲間。もっとも、実際に一緒に仕事したことはない。でも彼女の撮る写真はずっと気になっていた。作品は、彼女が日々の散歩のなかで撮りためた花。小生も散歩に出て路傍や住宅の庭に咲く花に見とれるけれど、それが馬場さんのファインダーを通すとこんな「まぼろし」のような風景に変化するから不思議だ。日常目にする花や木々のなかに、そうでない世界を感じてしまう。そんな彼女の資質が滲み出ていると思った。
September 08, 2022
おおたか清流の記憶
おおたか清流が亡くなった。
おおたか清流を一度だけ、聞いたことがある。2008年5月5日。ニューヨークのブルックリン・ミュージアム。
このときブルックリン・ミュージアムでは「MURAKAMI(村上隆)」「UTAGAWA(歌川派の浮世絵)」という二つの日本関係の企画展が開かれていた。ここは毎月第1土曜の5時から展示が無料になり、色んな催しが開かれるから、夜遅くまで人々でいっぱいになる。なるほど美術館はこういうふうに人々に開かれるんだ、と分かった。この夜は「おおたか静流コンサート」があり、溝口健二の映画が上映された。当時、僕はブルックリンに住んでいたので勇んで駆けつけた。
おおたか静流は尺八のデュオをバックに「冬の花火」や「林檎の木の下で」といった持ち歌を披露した。夜のブルックリン、尺八の伴奏で聞く彼女の歌は、遠い異国から届いたわらべ唄みたいだった。
69歳、がんだったという。年下の人の訃報を聞くのはつらい。
September 01, 2022
高麗神社
奥武蔵の高麗神社を訪れた。大宮から川越線に乗り高麗川駅で降りる。そこから歩いて20分ほど。
高麗神社は8世紀に創建された。祭られているのは高句麗からの渡来人、 高麗王若光。
7世紀、高句麗は唐と新羅に攻められた。高句麗王は大和朝廷に使節団を派遣。使節団の一員に王の息子、若光がいた。しかし668年、高句麗は滅亡。若光はそのまま大和朝廷に仕えた。高句麗からの渡来人の多くは関東で開拓に従事したようだ。やがて武蔵国に高麗郡がつくられ、若光は郡の長官となる。若光の死後、その霊を祀って高麗神社がつくられた。高麗氏の末裔が60代にわたって神職を務めている。
神社は関東平野の西、奥武蔵丘陵が盛り上がる端にある。神門と本殿(写真)の奥には、慶長年間につくられたという神職の住居(重要文化財)も残っている。境内には李王垠夫妻(日韓併合のときの大韓帝国最後の皇太子)はじめ多くの日韓の皇族・政治家が訪れた碑や植樹がある。
神社から山裾を10分ほど歩くと高麗山聖天院がある。若光の菩提寺として8世紀に創建された。山門の脇に「高麗王廟」がある。若光の墓はもともと五つの砂岩を重ねた多重塔だったようだが、今は風化して、ただの石柱のように見える。高句麗の版図は今の中国東北部、北朝鮮から韓国北部に当たるが、その王族の墓がこんなふうに関東の地に残っているとは思わなかった。遠い歴史が急に身近になった気がする。
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