金子隆一さんを悼む
写真史家である金子隆一さんの訃報が新聞に出た。フェイスブックでは数日前から亡くなったとの情報が流れていたが、ご家族の意向で葬儀後の公表になったようだ。
金子さんにはじめて会ったのは1990年代、20年ぶりに『アサヒカメラ』誌に復帰したときのことだった。金子さんは既に日本写真史の第一人者として、また東京都写真美術館立ち上げの中心的なスタッフとして知られていた。そのときは雑誌編集者と執筆者という関係にすぎなかったが、親しくつきあうようになったのは雑誌部門から書籍部門に移り、念願の写真集『定本 木村伊兵衛』(2002、朝日新聞社)をつくったときからだった。
『定本 木村伊兵衛』では、木村伊兵衛の弟子である田沼武能さんとともに金子さんに監修をお願いした。「監修」というクレジットは名目的なものから実質的なものまで、本とのかかわりはさまざまだが、金子さんには編集の細部にいたるまで相談に乗っていただいた。なにしろ金子さんは東京都写真美術館の学芸員として500点の木村作品を収集し、その収蔵作品を基に「木村伊兵衛の世界」展を開いた実績がある。
そこでこの本でも収録作品の選定をお願いした。といって、写真美術館と同じでは意味がない。田沼さんから木村伊兵衛の全コンタクトを拝借し、一から写真選びをしていただいた。沖縄や秋田といった写真史に残る名作のコンタクトを一枚一枚眺めながら二人であれこれ語り合ったのは、今となっては至福の時間だったとしか言いようがない。そうして選んだ265点のプリントが出来あがり、新聞社の大会議室に並べたときの興奮は、はっきり覚えている。名作といわれる作品は網羅し、それ以外に読者がはじめて目にするだろう新鮮な写真も選んだ。だからこの写真集は、実質的に金子隆一選と言える。
そんなふうに金子さんを中心に、デザイナーで木村の盟友・原弘の研究家でもある川畑直道さん、年譜作成者の石井亜矢子さんという強力なスタッフに支えられてこの本は出来あがった。定価14,000円の写真集がほぼ完売したのも、写真集の出来もさることながら、まだそういう時代だったのだろう。黒字になったので、田沼さんも含め4人のチームで続けて『木村伊兵衛のパリ』『木村伊兵衛の秋田』、木村のエッセイ集『僕とライカ』を出すことができた。
金子さんとのつきあいは、別の場面でもあった。二人ともボランティアで日本写真協会の表彰委員会という部門に属していたからだ。毎年、その年の優れた作品や新人を選んで賞を差し上げる。そのために年に何回か集まって話し合う。なにか分からないことや困ったことがあると、金子さんに相談するようにしていた。するとあの穏やかな笑顔で的確なアドバイスが返ってくる。編集者として必ずしも写真専門ではなかったので、僕にとって金子さんはこちらの無知をさらして遠慮なく聞ける知恵袋のような存在だった。
最後にお目にかかったのは数年前、その年の外国関係の賞について意見を伺ったときだった。金子さんの自宅である谷中のお寺で、檀家の方や写真仲間と語らったであろう大きなテーブルのある和室で、資料を広げていろいろ教えていただいた。
その後、僕は病気をしたので会合に出席できなくなり、コロナ禍もあって金子さんに会うことはなかった。金子さんの体調が悪いことも知らなかった。こちらが病気をしたせいもあり、木村伊兵衛の本をつくる過程で手に入れた木村関係の資料は金子さんに託せば安心、と思っていた。それが、いきなりの訃報。取り残された気持が消えない。ご冥福を祈ります。
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