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January 27, 2021

『Mank マンク』 『市民ケーン』の誕生

Mank

ネットフリックスでなければ多分つくれなかった映画がまた一本。デヴィッド・フィンチャー監督の『MANK マンク(原題:MANK)』は、監督が以前ハリウッドで撮ろうとして挫折した企画を、ネットフリックス・オリジナルで実現した作品だ。

MANKとはハーマン・J・マンキウィッツの愛称。ハリウッドの古典『市民ケーン』で、監督のオーソン・ウェルズとともに共同脚本を書いたことで知られる。というより、今ではアカデミー賞脚本賞を受賞したこの映画でのみ記憶されていると言ってもいいだろう。マンキウィッツと言えば『イヴの総て』や『クレオパトラ』を監督した、ハーマンの弟であるジョセフ(『MANK』にも登場する)のほうが有名だ。

『MANK』はハーマンが『市民ケーン』の脚本を書きあげる60日間を、過去現在を交錯させながら描いたもの。フィンチャーのことだから、そこに過剰とも思えるほどいろんな仕掛けをほどこしている。

冒頭、ネットフリックス製作のロゴマークが映しだされる。『市民ケーン』はRKO製作。ハリウッド映画のロゴマークといえばMGMのライオンが有名だけど、RKOのロゴといえば地球儀にそびえる電波塔から電波が四方に放たれるもの。このロゴを借用して、電波塔から電波が放たれ、その中心にネットフリックスのNがデザインされている。そこから始まって、あらゆるところで『市民ケーン』のスタイルが踏襲される。だから画面は当然モノクローム。録音もモノラル録音という凝りよう(ただし画面の比率だけはスタンダード・サイズでなく、テレビ画面の比率に合わせている)。製作された1941年当時の映画のあり方をそのまま再現しようとする。

中身も『市民ケーン』のスタイルを踏襲している。この映画は過去と現在を繰り返しフラッシュバックさせる構成を取っている。当時は斬新な手法で、だからこそアカデミー賞を受賞したんだろう。『MANK』も同じ。マンクが『市民ケーン』の初稿を書く現在と、そこに至る背景を描く過去とが複雑に絡み合う。

マンク(ゲイリー・オールドマン)は二人の人物と葛藤を繰り返す。ひとりは、『市民ケーン』のモデルである新聞王ハースト(チャールズ・ダンス)。莫大な遺産を受け継いだハーストは、ニューヨークはじめ各地の新聞や放送局、映画会社を支配する富豪。宮殿のような大邸宅に住み、女優になりたいと望む愛人のマリオン(アマンダ・サイフレッド)を主演に何十本もの映画をつくった。『MANK』の冒頭でマンクは撮影中のマリオンと顔を合わせる。マンクはハーストが催すパーティの常連でもあった。ハーストは酔って辛辣な言葉を繰り出すマンクを面白い男だと「飼って」いた(マンクのことを時に「MONK(EY)」と呼んだ)。MGMに所属する脚本家のマンクは、MGMにも影響力をもつハーストに喧嘩を売るかっこうで、彼とマリオンをモデルに大富豪の孤独と独善的な愛が語られる『市民ケーン』の脚本を書きすすめる。

マンクが葛藤を繰り広げるもうひとりは監督のオーソン・ウェルズ(トム・バーク)。このときウェルズはまだ20代。実験的な劇団を持ち、ラジオドラマ「火星人襲来」で本物と間違えた聴取者がパニックを引き起こして有名になり、この天才的な才能をRKOが映画製作の全権を与える条件で迎え入れた。最初の契約で、マンクは名前をクレジットされないゴーストライターだった(最初のプランはコンラッドの『闇の奥』──コッポラ『地獄の黙示録』の原案──の映画化だった)。ニューメキシコの砂漠にある牧場に滞在して初稿を書きあげたマンクは、その出来に自信を深めたのか、ウェルズに自分の名を脚本としてクレジットするよう要求する。怒り狂ったウェルズがトランクを投げて部屋をぶち壊すと、マンクはさっそくそれを映画で使おうとメモを書き始める。

点描される時代背景も興味深い。大恐慌後の不況で、多くの人々が生活苦にあえいでいた。カリフォルニア州の知事選は民主党のリベラルと共和党の保守の対決となる。ハリウッドの経営者やハーストは民主党の候補を「共産主義者」と攻撃し、マンクの友人の監督にフェイク・ニュースをつくるよう強要する。ハーストや経営者はヨーロッパで台頭してきたナチスにも関心を示すが、マンクはナチスから逃れてきたユダヤ系ドイツ人を援助したりしている。映画の最後に近く、ハースト邸のパーティで酔ったマンクがハーストを悪しざまにののしるシーンは、ゲイリー・オールドマンの見せ場。フィンチャー監督は、この時代の描写に戦後の赤狩りや、さらにトランプ時代を重ねているようでもある。

でもフィンチャーはことさらドラマチックに演出することなく、いつものようにクールなタッチで、歴史のなかに消えかけているアルコール依存で反骨で辛辣な、しかし心優しい男の肖像を描いている。だからこの映画、『市民ケーン』やオーソン・ウェルズ、ハーストについて多少の知識がないと、その面白さが十分に伝わらない。その意味でもハリウッド映画としては成り立たず、善くも悪くもネットフリックスでしかつくれなかった、観客を選ぶ映画かもしれない。

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