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December 13, 2020

『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯へ』 成熟か閉塞か

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先日見た『凱里ブルース』だけでなく、今年2月に劇場公開されたビー・ガン監督の新作『ロングデイズ・ジャーニー
この夜の涯へ(原題:地球最后的夜晩)』もネットフリックスで見られるとは思わなかった。後半のワンシークエンスショット60分が3Dであることがこの映画のウリだけど、テレビ画面で見るわけだから3Dにはならない。でも当方、劇場ではIMAX3Dもあえて2Dを見るくらいだから何の支障もない。

『ロングデイズ・ジャーニー』は『凱里ブルース』とほぼ同じ構造をもっている。主人公が現実の場所を動き回るうちに夢とも記憶ともつかない架空の場所に紛れ込む。監督のデビュー作『凱里ブルース』は低予算で役者も親戚知人を使って撮った自主映画ぽい作品だったけど、これが世界の映画祭で評価されたことでつくることができた『ロングデイズ・ジャーニー』は、『凱里ブルース』の商業映画版リメイクといえるかもしれない。

ホンウ(ホアン・ジュエ)は母の死を知って故郷の凱里(貴州省)に帰ってくる。彼は死んだ友人<白猫>を殺したならず者ヅオの愛人だったチーウェン(タン・ウェイ)を見つけるが、彼女はホンウの夢に出てくる女とそっくりだった。ホンウとチーウェンは愛し合うようになりヅオを殺そうと話しあうが、ある日チーウェンは姿を消した。彼女がダンマイという町で歌っていると聞いて、ホンウはダンマイを訪れる……。

艶やかな映像が素晴らしい。赤くネオンが光る凱里の街角。濡れたトンネルを歩くチーウェンの緑のワンピース(『めまい』のキム・ノヴァクを思い出す)。天井から水の滴る廃屋(こちらはタルコフスキーか)。そして現実の町・凱里から劇場なら3D眼鏡をかけて架空の町・ダンマイへ。露天にしつらえられた舞台では、ひと時代前のようなCポップが歌われている。思い思いの恰好でそれを見る男や女や子供たち。ビリヤードに興ずる少年。駄菓子を売る夜店。夢のなか、あるいは記憶のどこかに残っている風景のような懐かしい気配がただよう。

これに似た風景に20年前に出くわしたことがある。一人旅で行った台南(台湾)。日曜日の夕方に町をぶらぶら歩いて、遠くから聞こえてくる台湾歌謡曲に導かれて広場に出た。野天の舞台では曲にのせてストリップまがいの踊りが披露されている。男たちが笑いながらそれを見ていて、その間を子供やイヌが走り回っている。露店では色とりどりのパジャマやネグリジェが売られている。台北よりもっと南の湿気の高い空気が肌にまとわりついて、ちょっと怪しげな、でもどこか懐かしい風景をしばらくながめていた。

そんな個人的記憶が引き出されたように、おおかたの中国人にとってもこの架空の町の手触りはどこか記憶の底にある風景に違いない。31歳のビー・ガン監督は台湾のホウ・シャオシェンや香港のウォン・カーウァイが好きだと語っている。郷愁を誘う風景を好むホウ・シャオシェンの影響は明白だけど、都会的な映画をつくるウォン・カーウァイの影はどこにあるだろうか。彼の映画には1990年代、中国返還前後の香港の植民地のような孤独な浮遊感が漂っていた。そんな孤独な魂の彷徨が、『ロングデイズ・ジャーニー』にも感じられる。その背後にあるのは、現在の中国社会の成熟と言えるかもしれないし、裏から見れば閉塞とも言えるかもしれない。

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