『凱里ブルース』 現実と夢の狭間で
ネットフリックスにこの映画があるとは思わなかった。『凱里ブルース(原題:路边野餐)』。中国新世代を代表するビー・ガン監督が26歳でつくった長篇第1作。日本では今年6月に公開された。監督が低予算で親戚や友人を出演者に、故郷の貴州省凱里で撮影した2015年の作品。ロカルノ映画祭などで高く評価され一躍その名を世界に知られた。
リアリズムと非リアリズムの間をたゆたう110分間。亜熱帯の官能的な緑と、後半、40分間のワンシーンワンカットの過去現在未来が入りまじった夢のような世界に酔う。これが処女作とは信じられない。
刑務所を出所したチェン(チェン・ヨンゾン)は、凱里の老女医が営む小さな診療所で人目を忍ぶように働いている。服役の間に妻は亡くなった。腹違いの弟の息子ウェイウェイを可愛がっていたが、ある日、そのウェイウェイがいなくなる。チェンは甥を探し、また老女医の若き日の恋人に思い出の品を届けるため旅に出、その途中でダンマイという町に入り込む。
そのダンマイのシーンが40分のワンカット。バイタクシーの背に乗ったチェンが道を走って町に入り、裁縫店で取れたボタンを縫ってもらうと、カメラはチェンから離れ裁縫店の女性ヤンヤン(ルナ・クオック)に寄り添って彼女とともに町をひとめぐりし、カメラは再びチェンに戻って理髪店に行って散髪してもらい、理髪店の女性と野外のライブを見に行く。裁縫店のヤンヤンはチェンの亡き妻の面影に重なるようでもあり、バイタクシーを運転する青年はウェイウェイの未来の姿のようでもある。カメラが町をひとめぐりするのと、過去現在未来の時間がひとめぐりするのがシンクロしているように感じられる。
ワンシーンワンカットでは常に手持ちカメラが動いている。一瞬たりとも静止することのない40分が独特の浮遊感をもたらす。夢を見ているように感じられるのは、そのせいもあるんだろう。
過去現在未来が混然となった世界を象徴するように、いくつもの時計が登場する。ウェイウェイが壁に釘を打ってつくった時計に光が射して釘の影が回る。チェンの乗る列車がトンネルに入ると、逆回りする(過去に遡る)時計がトンネルの壁に映っている。
そんな非リアリズムとリアリズムが絡みあっている。リアリズムのパートはホウ・シャオシェンの影響が歴然。なかでも『恋恋風塵』へのオマージュかと感じられるくらい。どちらも緑濃い亜熱帯の自然。基隆山によく似た山影。鉄道線路とトンネルへの偏愛。『恋恋風塵』でも野外ライブではないが野外映画が上映されていた。別の映画だが、バイクでの疾走もホウ・シャオシェンが好む映像だ。音楽も、ホウ・シャオシェン映画で担当し、出演もしている台湾のリン・チャンによるもの。80年代台湾ポップスがノスタルジックだ。
古い街区が再開発され高層ビルも見える凱里の現在から、主人公は改革開放後の1990年代あたりのような架空の町ダンマイに迷い込む。ふっと一瞬蘇っては消える記憶や夢。ビー・ガン監督は、そんな世界に惹かれているようだ。
中国の映画監督たちは、ジャ・ジャンクーやワン・ビンは言うまでもなく、もっと若いディアオ・イーナンやロウ・イエも中国と中国人が体験している時代と社会に、ナマな批判ではないにしても静かに目をこらしている。この映画だけから判断すると、ビー・ガン監督の資質は彼らのそれとは少し違うようだ。2月に公開された次作『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯へ』を見たい。
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