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October 20, 2020

鬼海弘雄さんを悼む

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写真家の鬼海弘雄さんが亡くなった。

鬼海さんから携帯に電話がかかってきたのは6月17日のことだった。その日付をなぜ覚えているかというと、昨年秋に悪性リンパ腫が寛解した後、再発がないかどうか調べるため病院で定期検査を受けていたからだ。ちょうど会計を済ませたところに呼び出し音が鳴った。その数カ月前、抗がん剤治療中に自費出版した本を鬼海さんに送り、その中で病気について触れていた。

携帯を耳にあてるといきなり、「私、山崎さんと同じ病気なんですよ」と、いつもの鬼海さんの声が聞こえてきた。悪性リンパ腫は血液のがんなので手術はできず、抗がん剤治療が中心になる。聞くと最初の抗がん剤の効果がはかばかしくなく、別の薬を使って入院中らしい。といっても声の調子からは元気な様子で、同じ病気仲間としてエールを交換した。今年1月、渋谷での「や・ちまた」展に鬼海さんは病院から姿を見せたようだが、そのとき会えなかったので少し安心した。

鬼海さんから「トルコに行きたいんです」と相談されたのは、『アサヒカメラ』編集部にいた1996年の秋だった。『王たちの肖像』や『INDIA』に感銘を受けていたので、一も二もなく承知した。2カ月の取材のうち最初の1週間だけ、編集部のSさんに同行してもらうことにした。そのときの作品は1997年4月号に「アナトリア紀行」として16ページ掲載されている。Sさんは同行記で、鬼海さんのこんな言葉を記録している。「人を撮るには絶対的に相手を肯定しなきゃ。第三者になって分析するんじゃなくて、対象の中に自分自身が見えなきゃ、おもしろくない」。これは浅草を舞台にしたポートレートでも、インドやアナトリアのスナップでも、また東京の風景を撮っても共通する鬼海さんの基本的な姿勢だろう。

その後、暑くなったころにまた電話がかかってきた。声に以前より張りがないのは気になったけれど、「まだ写真集を2冊、つくりたいんですよ」と意欲は満々だった。出版社とも話がついたという。「1冊は東京の風景で、タイトルも決めた。あと少し撮りたせばできるんですけどね。早く東京を歩きたい」というのが、鬼海さんから聞いた最後の言葉だった。「そうしたらまたSさんと3人で、いつかみたいに神楽坂で飲みましょう」と約束したのだが、その約束も果たせなくなってしまった。合掌。

 

 

 

 

 

 

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