浦和の海抜最高地点
わが家から旧中山道に出て南に歩き、浦和駅をすぎて調宮(つきのみや)手前の古書店前に球形に盛り上がった石標が埋め込まれている。ここが浦和の海抜最高地点で16.0メートル。
浦和は大宮台地の南端に位置する。見た目は平坦な市街地だけど、歩いてみると小さな坂がたくさんある。台地南端のこのあたりは南北方向に尾根筋と谷筋が入り組んで複雑な地形をつくっている。いちばん高い尾根筋を旧中山道が走り、その西の尾根筋を昭和になってつくられた国道17号(祖父母は「新国道」と呼んでいた)が走っている。
この石標があるあたりは、道がほんのわずか盛り上がっている。100メートル先の調宮の海抜は地形図によると15.9メートルだから、わずか10センチの高低差。旧中山道をさらに南へ、東京方向へ歩くとほぼ平坦な道がつづく。地下を武蔵野線のトンネルが走っているあたりを過ぎると急な下り坂になる。坂を降りきったあたりの海抜は7メートル。最高地点の石標との標高差は9メートルある。
海面が上昇した7000年前、この坂のあたりが奥東京湾の海岸線だった。旧中山道を下り坂の手前で右に折れると貝塚や縄文の植生を残した神社がある。海は谷筋に沿って台地に入り込み、リアス式の複雑な海岸線をつくっていた。木崎(「崎」は海に突き出た岬)とか根岸とか、海浜にちなんだ地名も残っている。そもそも「浦」和だし。いまはすっかり市街地になっているが小さな高低差を意識して歩きながら、古東京湾の彼方に富士が見えただろう縄文の風景を想像してみる。
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